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☆量子論からみる「心の考察」③ 「名前」の先導作用 から 老荘思想の「道」へ

こうした発展のプロセスの概略はこうなっています。

量子論の観測者問題 ⇒ 名前の意義 ⇒ 通り名 ⇒ ダンデリオンツイッター「老荘思想 道」

こうしたことでも、「量子論からの考察」が「人生」と深く関わってくるテーマ満載だと感じています。


☆2019年 6月28日 諷虹宅-2
虚空 さっきの「名前」にちょっと戻るけど、このはな綺譚の猫屋敷のエピソードでもあったよね。生まれてすぐに捨てられていた子猫にもちゃんと名前をつけてあげていた。すぐに死んでしまったけど、名前をつけていてもらえたから、すぐに成仏できたって、擬人化されたネコたちに感謝してもらっている場面。

人間に名前がつけらえていることがネコの成仏に本当にどう影響しているかは別にして、名前があるかどうかで成仏のことが左右されるという発想が興味深いよ。

戒名なんていうのもね、寺の収益のためという非難もあるけど、もっと遡れば、あちらの世界に住み替えたのだから、当然名前も変化するだろうという信仰。言霊信仰とも関連してるんだろうね・・・出世魚の名前の変化もそうだし、歌舞伎とかの襲名披露も。

格が高まったから襲名っていうのとは別に、襲名するからその名にふさわしい芸域に達することができるという側面もあるんだ、って学生時代に同級生だった日本舞踊の家元の息子に聞いたことがあるよ。

これなんかだと、単に「存在を認識するためのマーク」じゃなくて、それこそさっきから出ている「先導」という意味合い。

名前をつける時にその子の一生が関わってくるという信仰がちゃんとあったから、親の責任で名づけを考えるということがかつては多かったんじゃないの?

それが今はキラキラネームとかのように、かなり違った感覚での名付けが主流になりつつあるような・・・それこそ目立つためのマークとしての意味あい。


諷虹 型のような感じですね、それこそ。こういう風に育って欲しいとか


虚空 そういう自覚があったんだと思う。それがね、ただ目立てばいいというのはね・・・。

ネット社会で迷惑行為だろうが何だろうがハチャメチャなことをやってSNSで目だてさえすれば英雄になったような気持ちになれる、っていう安易な感覚に似ているよ。

さっきの襲名でいえば、「名に恥じないようにこれからますます精進」っていう構えの自覚になるじゃない。

それは名前だけじゃなくて、ポジションにだってね。相撲界が分かりやすいと思うけど「横綱の名に恥じない、とか大関の名に恥じないように」とか必ずっていっていいほど言う。

「嶺上開花」にしても「海底撈月」「深山幽谷の化身」にしても、そういった言葉がキャラをひっぱっているじゃない


諷虹 「阿知賀のレジェンド」とか「阿知賀のドラゴンロード」とか・・・咲って「通り名」が多いですよね。「ステルスモモ」とかも


虚空 その「通り名」っていうのも面白いよね。考えてみると。単なるあだ名とは違うよね。


諷虹 畏怖の対象っていう感じですよね


虚空 「通じやすい」っていう意味で「通り」なんだろうけど、元は道を通るってことでしょ。

この前ダンデリオンツイッターに出ていた「老荘思想」からの「道」の考察と関連づけられそうな気がする。


(荘子 逍遥遊篇第一―5)
道はこれを行きて成り、物はこれを謂いて然り。
物には固(もと)より然る所(べ)きあり、可とす所(べ)きあり。
然らざるなく、可ならざるなし。

其の分かるるは成るなり。其の成るは毀(こわ)るるなり。
凡(およ)そ物は成ると毀(こわ)るるとなく、通じて一たり。
唯(た)だ達者のみ通じて一たるを知り、

是が為に用いずして諸(こ)れを庸(よう)に寓(ぐう)す。
庸なる者は用なり、用なる者は通なり、通なる者は得なり。
適得にして幾(つ)くす。

是に因る已(のみ)。

已(のみ)にして其の然るを知らず、これを道と謂う。

【大体の意味内容】
道は初めから「在る」のではなく、そこを行くものがあって「成り」立ってゆく。
物はもともと存在しているようではあるが、名付けすることで初めてそれにふさわしい在り方になる。

もちろん事物には、もともと然るべき性質が備わっていたり、様々な可能性も潜在している。

然るべき性質や、可能性のない事物はない。

我々の身体では、一つひとつの細胞が分割されて新しい細胞が成長していく。
新しい細胞が成長してゆくためには、旧い細胞が破壊されている。
このようにして我々は際限なく巨大化するのではなく、一定の状態でバランスを保っている。

すべての事物には同様に破壊創造(スクラップ・アンド・ビルド)が不可分一体に働いているのである。

ただ道の原理に達した者だけがこうした不可分一体の道理を知る。

そのため、自分個人がことさらに何かを活用するということはせず、
諸々(もろもろ)のの事物をその凡庸(ありきたり)に任せてゆく。

しかし万物の凡庸さが本質的な活用を発揮する。
事物の活用とは、命あるものが普(あまね)く行き渡っていくことである。

普(あまね)く通用する生命はその全体で一つの生態系を獲得する。
万物はこうした適材適所の獲得において、自己の生命活動を尽くす。

万事この摂理によってのみ世界は営まれる。

だが万物はこの摂理を自覚せずに生を全うする、
このこと自体を「道」というのである。 


【お話】
以前読んでいた『老子』の考え方では、宇宙における森羅万象が働く根本原理として「道」があるというものでしたが、今読んでいる『荘子』はそれとは異なっているようです。
万物には確かに何らかの性能や可能性はあるけれど、最初から今の世界が出来上がる設計図のようなものが内包されていたとは見ません。

原子がそのままでは働かないこともあるように、いくつかの原子が結合して分子となり、一定の働きを始めたり、さらなる化合や分解、創造と破壊を繰り返して、ふさわしいものがふさわしいところでふさわしく働くような、ひとつの秩序だった体系を獲得してゆく、そうした働き自体が「道」だというのです。

まるで近代科学の世界観をとっくの昔に先取りしていたような思想は、今後も随所に出てきて驚かされます。


ここ数万年くらいは近代科学以上の文明は見つかっていませんから(「見つかってない」ことになっていますから)、二千年ほど前の荘子の様な発想はなかなか理解されなかったことでしょう。

もっとも、DNA研究のほうでは、既に設計図はあって、そのDNAの持ち主の顔形などがかなりリアルに再生できるところまで来ているようです。
老子の世界観・道徳観は、DNA的なものかもしれませんね。

諷虹 王道とか覇道とか・・・その人の生き様そのものを表している


虚空 つまりね、前にも何かで出てきたけど「通ったところが道」っていうのと「これから通るところが道」っていうのとの違い。


諷虹 「先導者」ですよね。通ったところが道。開拓者ですね。


虚空 それが極端になるとさ、「前人未踏」であるだけじゃなくて、これからもそこを踏み越える人間は出ないだろう、っていうような・・・

諷虹 (咲の話題)清澄はまさにダークホースじゃないですか、初出場でダークホースのように決勝までいく。でも県大会予選だと、決勝に無名校が出てきても、っていうのがありますが、全国大会決勝で無名校がいくつも出てきたら違和感がありそうですが、阿知賀だとに一度準決勝まで出ているから、あり得そうだと視聴者も、登場人物も納得してしまう所がある。


虚空 あり得そうとか、なさそう、だとかっていうイメージを先行して持ってしまうのも「名前」の威力だよね。名前負けするとかしないとか。

スラムダンクにしてもバガボンドにしても、まずその名前の前に心がひれ伏してしまっているかが大事なポイントになっているしね。

歴史の偉大な人物とか、組織の祖だとか・・・。そういうのも


諷虹 全国常連の・・・。一回戦であたった相手はお通夜モード。最初から諦めモード
(スラムダンク)流川の先に倒すもあとに倒すもっていうのも・・・


虚空 そういう名は、相手を縛るだけじゃなくて、自分達も縛ることがあるよね。自分のチームとかの伝統の重みにつぶれそうになるっていうかプレッシャーを感じる場面
咲にもそういう場面はあちこちあったけど。

あとさっきの流川と同じようなセリフが阿知賀にもあったじゃない。白糸台と同じトーナメントの側になったって、主人公が動じなかった。どうせ決勝を目指すからにはあたるんだからと。
桜木花道も「山王工業」に全くどうじてなかったしね


諷虹 ヤマオーは俺が倒す


虚空 学校名の読み方すら間違えている(笑)


諷虹 阿知賀編で強豪校に入学しようと思えばできたのが、阿知賀を選んだ。本当に有名も無名も関係ない。


虚空 これと同じことを正面から描き続けているのがガルパンとも言えるよね。
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