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☆量子論からみる「心の考察」④ 量子論と上原輝男流「遊び意識」⇒真床覆衾としての「おうち意識」

麻雀アニメ「咲」の「阿知賀編」のEDの歌詞の話題から始まって、量子論での「波と粒子という相反する状態が重なって一つ」という相反することも含めて多様な可能性が混在していることと、上原輝男先生が説く「遊び」が成立している「場」の問題につながり、それが「おうち」意識の基本である「真床覆衾」につながるのではないか、というやりとりです。
☆2019年 6月28日 諷虹宅-3
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阿知賀編ED「Square Panic Serenade
頂点まであと一息
アガリーち All Right!!
咲き誇れ
東から西まで 北から南まで
走り抜ける 四方八方
全身全霊
握るも捨てるも ドキドキ選択
センチメンタルに ドヤッと!
また騒ごうよ

こっちでも (牌!)
あっちでも (牌!!)
偶然でも 幸運でも
引き寄せて 乗っちゃって
せい! a-c-h-i-g-a れっつごー!
(まーじゃんぱにっくもういちど Here we Go!)


あの舞台を転げ回って
奏でちゃってよ、My セレナーデ
星屑みたいキラキラって

四角い箱の中 夢いっぱい
楽しくなってきちゃったね
くるくる回る、ターン to ターン
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
この草原駆け抜けよう
悔しい涙で ステージを濡らして
優しい笑顔で 抱き止める
次は私だ
しょっぱなの一打 歯車回りだす
自分次第のショータイム 皆はしゃごうよ!


有名でも (牌!)
無名でも (牌!)
関係ない 勝てば官軍だ
レジェンド もう一度
[穏乃]指切りげんまん! [憧]あの子に会いたい
[宥]なんだか眠い。。[玄]ちょっとお姉ちゃん!
[灼]はぁ…。みなさん?いきますよ?
(Yeah!!試合開始~!)

願い背負って勝ち進め
指先が歌うよセレナーデ
掴もう奇跡 ドラドラって
積み上がってく数 そう絶対


四角の空を 自由にさ
飛び回ろうよ、一緒にね
笑って 怒って 明日へと繋いで
一歩ずつ駆け上ろう

また遊ぼうよ (Future is bright)
ありのままの私たちで (Dream come true)
1、2、3、4、5のステップを
(テンパリぱにっくさいごに Here we go!!)
あの舞台を転げ回って
奏でちゃってよ、My セレナーデ
星屑みたいキラキラって


四角い箱の中 夢いっぱい 箱いっぱい
まだまだ続くこの勝負
走りぬけてく Run the world
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで

笑って 怒って 明日へと繋いで
この草原駆け抜けよう
徹底的 射程距離圏内
ここ一番 ぞっくぞく
打ち上がれ
 

諷虹 高専仲間と夜中に麻雀やってて変なテンションになるとみんなでこれを歌い出すんですけど・・・これを全員フルで歌えるメンバーっていうのもなかなかシュールで

♪有名でも (牌!)・無名でも (牌!)・関係ない 勝てば官軍だ・レジェンド もう一度


この部分ですね。
 
虚空 あとさ、今聴いていて、咲の話が出てきた最初から気になっている事・・・さっきも言った事だけどさ・・・「四角い箱の中」っていう 場 。その中で量子論的な展開がなされている、って受け止められるよね。


 
♪四角い箱の中 夢いっぱい
楽しくなってきちゃったね
くるくる回る、ターン to ターン
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
この草原駆け抜けよう

♪四角の空を 自由にさ
飛び回ろうよ、一緒にね
笑って 怒って 明日へと繋いで
一歩ずつ駆け上ろう
また遊ぼうよ (Future is bright)

♪四角い箱の中 夢いっぱい 箱いっぱい
まだまだ続くこの勝負
走りぬけてく Run the world
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
笑って 怒って 明日へと繋いで
この草原駆け抜けよう
 
「シュレーディンガーの猫」は「半死半生」の状態が同居している、っていうことだけど、実生活としては、あらゆる可能性が混然一体となっていて、自分の意識次第でそれがどうにでも確定する、っていうようなね。

「自分の意識の包み込み方」っていうか・・・それが観測者で・・・それが現実を受け止めた瞬間に、どう認識して、自分のイメージで包み込んでしまうかによって「場の意味が確定してしまう」・・・世界定めが完了してしまう。

でも、実際には、自分の意識とは関係なしに周囲(世界)は既に確定していて、人間はそれに抗うことなどできない、っていう見方が主流だからね。

もっとも自分自身も今の現状をそんな風にしか受け止められないでいるんだけど・・・。


あとはね、この中の「遊び」も前に紹介した上原先生の説く遊びで考えるわけだけど・・・
前に紹介しなかったものも含めてもう一度載せると


*上原語録
遊び
・遊びは本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。    (平成元年六月例会)
・子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。             (平成六年新年会)
・「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
・ 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。              (平成二年十月例会)
 
 
遊 び 心
郡司先生のいう『遊び心』と『子ども心』、それと藤岡先生のいう『最も根源的なイメージの追及』の接点、関連を考えたい。郡司先生は「これが失われるから人間は年をとると寂しくなる。」なんて言っているけど、自分を生かしめているのは『幼い頃の遊び心』なんでしょうね・・・。   (平成三年二月例会)
 
 
遊び場所
遊び場所とは『理想郷』であり『神のいつく場』と考えた方がいい。神の領域に近付くこと。 吉原などの遊び場所を性的行為と結び付けて考えるのはいやしい現代人の発想であり、除くべき。 遊女名が仏と同じものを名乗っているのはその現れ (平成二年十月例会)
 

虚空 これをふまえて、さっきの量子論的な「場」のつかまえ方をしながら、この歌のこの部分を読んでいくとさ、「麻雀」を超えたいろんなものが見えてくる気がする。

それこそ心意伝承というか・・・人間が生命を受け継いで生きていくということまで。



諷虹 阿知賀編の最初で、和が走るのもダメで出来るのが麻雀っていうのがあったわけですけど「駆け抜けよう」とか「飛び回ろう」とか外で遊んでいる感覚ですよね。
 


虚空 都会っ子はやっぱダメだな、目線だよね。

アニメセリフ「これが都会のもやしっ子ってやつか」
 

虚空 さっきの指摘って面白いよね。

咲は別にして、一般的には麻雀っていうと徹夜でタバコの煙が蔓延している部屋に籠ってやっているっていう不健康な室内遊びっていうイメージがあるけど、阿知賀の子たちにかかっては、元気いっぱい大自然の山に囲まれた外遊びのイメージに転換されてしまっている。
 


諷虹 山もあるし河もあるし・・・

虚空 さっき引用した部分だって、とても狭い部屋の中でのなんていう風には絶対思えないよね。

そんな世界だからこそ深い友情もはぐくまれるし、未来へとつながっていく、そんな「場」となっているんだろうね。

上原流の「真の遊び場所」たる世界。

結局「おうち」だって「ふるさととしての地域社会」も「学校」も「教室」も・・・みんなそういう世界が成長の場としては理想。

だから「真床覆衾」になりうるんじゃないの?
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