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☆2019年1月12日 諷虹・ヒマワリ・虚空対談⑤ 意味の本質に迫るとは?

虚空 この前から諷虹君との間で盛んに話に出てる「コーヒーコーヒー」なんだけどさ、「これってコーヒーコーヒーしてない!」っていったらあなたは何を思い浮かべる?
ヒマワリ 苦くないとか・・・自分が思い描いているコーヒーっぽくはない、っていうような。
虚空 じゃあ、その自分が思い描いているコーヒーっていうのはきちんと示せるの?他人に正確に伝えられるの?あるいはさ、他の人が思い描いているイメージとどこまでは一致していてどこはずれているかって、厳密に分かるの?言葉や数値で説明できるの?
ヒマワリ 色にしても味にしても苦みにしても・・・コーヒーっていうような、コーヒー(笑)
→この話のきっかけになったミニアニメを観る。
虚空 その自分の中の究極のイメージっていうかな・・・本質のイメージって自分でもきちんと言語化だきないけど、でもそれに向かっていこうとするわけだ。それをこの前から諷虹君との間で「意味の極限値」なんて言ってるわけだよ。(先日作成した図を示しながら説明)
この前児言態のブログにも上原先生のいう「言葉の意味」についての記事が載っていたけど・・・
参考)上原語録
・『意味調べ』っていうのは一番くだらんね。それは『言い換えの時間』の方がいいね。
・『意味を感じた時』に言葉になる。辞書にあるのは意味とは言えない。言葉を言い換えているだけ。 意味が教科書や辞書に書いてあると思うな。
・言葉の意味として子ども達に例示して示そうとしているものは『一人一人のその本体・事物に対する迫り方・感じとり方』
 
・「気分」と「音」のつながりが『習俗』→これが意味の感じ方
 
・「意味は?」と聞かずに「どう感じたか?」と聞けばよい。
・意味は『子どもの体の中』に求める。
だから単に言葉の意味を知ったっていうんじゃダメだろう、って
ヒマワリ なるほどねー、面白い!
諷虹 そういう意味では・・・さっきもちょっと出しましたけど「えもい」って言葉、あれは「エモーショナル」からきているらしいんですよ。激しく心が動かされる瞬間みたいな。
虚空 辞書的な意味を聞かされて「へーそうなの」っていう段階と、実際に心が動かされたときに「それが えもい だよ」って言われて「ああ、これが えもい なのか!」って心にストンと落ちた時って違うじゃない。
だからさ、ストンと落ちる前には、よく分からなくてもとりあえず言葉の言い換えとして受け付けておかなければならないわけじゃん。それが「器の感覚」だと思うのよ
ヒマワリ あれこれ
諷虹 とりあえず波に乗ってみる
虚空 それからその実体に迫ろうとする構え。でもその実体っていうのは意味として覚えたことそのものじゃないし、本当に誰にとってもズレのない本質なんていうのはないわけだよ。同じ「悲しい」とか「痛い」とかいったって、人によって蓄積された体験も体感も違うわけだしね。
なんとなく最大公約数的にお互いに同じ事を了解していることにしているけどさ。

さっき極限値っていったのもそれが大きなポイントなんだよ。近づいていくことはできても、本当にそこにたどり着くことは出来ないんだよ。だってビシッとした一つの普遍的なものなんて最初からないんだから。

極限値に近づこうとはする・・・そのためにはお互いにさ・・・「ああ、君の辛いはそういう辛いなんだね」とか察する・・・そして共鳴し合う、そういうことの積み重ねによって近づいていけるんだよ、きっと。いろんな人の「辛い」「悲しい」を重ね合わせていくことで実体に少しずつ近づく。
諷虹 それを共感っていうわけですよね。
ヒマワリ 自然とそういうことができるようになっているから友達の相談にものってあげられるようになっているわけだよね。
虚空 そんな時にさ、自分の常識だけを基準にして「もうわかっている、そんなことは!」なんて言い出すと傲慢になっていくんだよ。

(参考 野口三千三氏 理解は誤解・・・理解したといってもそれは誤解でしかあり得ない という自覚が大事)
諷虹 流行語だって、自分の中でストンとふにおちたら使うっていう感覚ですよね。
虚空 言葉の獲得って、アニメでいうと蒼き鋼のアルペジオでハルハルが言葉集めをやっていたシーンだよね。(アニメの説明)
ストンといった時に理解して・・・で、自分もその言葉を使う。
諷虹 ちっっちゃい子ってそれありますよね。
虚空 昔の子は今の子よりもずっとそういうアンテナをはっていた。カッコつけよう、目立とう、なんていう「気取り」「生意気」意識の強い子なんてさ。低学年だとカタカナ言葉、4年生以上だと漢語・・・意識にひっかかった言葉をどんどんためておいて、ここで使えるかなと思ったらチャンスとばかりにどんどん披露する。その名残が現代では中二病。

それが今ではとにかく辞書的な解説を覚えていたらもうそれで子どもは理解できた、としてしまう。それは言葉だけじゃなくて、数式でも何でもそうだよ。それが今のテストでの成果主義重視教育。
諷虹 ウマ娘の「La victoire est a moi」もそうですよね。「いい試合をしましょう」って言っているつもりが、全然違う意味で教えられているから・・・。
(参考 ネットより)スペがエルに教えられたフランス語は「La victoire est a moi」と推測されています。直訳すれば「勝利は私のもの」となります。画面には「調子に乗んな!」という訳が出ていましたが、面白くなるように大げさに訳したのだと思われます。
虚空 だからさ、外国語ってそうなっちゃうわけだよ。母国語でないし、日本語のように極端に音声による響きで意味を感じさせるという言語ではないから。知識で覚えた通りに違和感なく受け入れてしまう。記号としてしか言葉を受け止めていないから。
諷虹 首を縦にふるとノーで横にふるとイエスの国がありますよね。
ヒマワリ 止まって、っていうこの仕草はドイツでは相手を呪うって
虚空 そこだよね。だからそういった仕草なんかは体感と強く結びついてしまっているから、いくらこの国ではこういうことを意味するんだよ、って聞かされても体感が受け付けない。場合によっては「そんなの絶対変」って、頭で受け止めることすら拒否してしまうよ。

最低でも「ああ、そういう国もあるんだ」って受け入れて、添加していく・・・そういう構えを育てることが、本当の意味での国際人を育てる教育だよ。
それが身に着けば子どもは自然に豊かになっていくし、将来いろんな国の人たちとやりとりできるよ。
実際にこの前から話している 英国紳士の武蔵君だってさ、そんなに英会話の勉強をしていたわけでもないし、英語を本格的に勉強したこともなかったからイギリスに留学してすぐはほとんどやりとり出来なかったって。でも数か月向こうで暮らしたら普通にやりとりもできるし、英文でメールのやりとりも出来てる、って。

日本が国際交流を本格的に行った明治維新直後とは戦後とかに幼児期から英語を学んだ経験のある人間ってどの程度いた?ほとんどいないよ。それでも外国人と交流し、海外で新しい技術を学んでいけたんだろ。
そんな幼児期から英語教育なんてばかりやっていたら、上原先生が警告していたように中途半端な人間にしかなれなくて、子どもが苦労するだけだよ。日本人としても外国人としても中途半端な存在。
もう10年以上前に一度NHKニュースで早期の英語教育について特集されていたけどね。幼稚園で日本語でコミュニケーションができなくて孤立したり、心の病になる子供が出始めている、って。
でもその後特にそれについて大々的には特集されていない。本当はもっと問題が起きているんだと思うけど・・・。国策に反するとか、業界の営業妨害になるとかの圧力があったのかと勘繰りたくなるよ。
(ここから早期英語教育や、競争原理・成果主義によっての教育の歪み、親の不安をあおっての教育産業等々の話題がしばらく続く)
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