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☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-①  作文の型からみる英才児特性

8月11日のやりとり記録です。明日から児言態の夏合宿ということもあったので、英才児の「おうち作文」の話題から始まりました。


これも「英才児特性」とは銘打っていますが、真の狙いは、教育全体の理想像として考えようとしていることです。すべての子ども達・若者達の教育に反映させられる大事な事が示唆されていると。

*東京に数日間滞在ということでNanba先生が駿煌会メンバーに声をかけてくださったことから実現しました。

当初は先生が水戸まで来てくださるということだったのですが、東京を出るのが遅くなりそうということで、少しでも長く語り合いができるようにということで中間地点の土浦で合流しました。
コバルトブルー君が急用で参加できなくなったので、諷虹・虚空がヒマワリフクロウさんの運転で土浦へ。

早めに着いたので、ファミレスで英才児のおうち作文をいくつか読み合って盛り上がり、その雰囲気そのままにNanba先生と夜の8時半に駅で合流しました。まずはどこかで夕飯をとなったのですが、多くの店が閉店。
やっとみつけたラーメンチェーン店(幸楽苑)での最初のやりとり、前半です。(周囲の雑音で録音が聞き取れない部分が多々あります)
虚空 さっきちょっと時間をつぶしている間に英才小の作文を読みながらああだこうだ話していて・・・面白い事を言ってくれて

Nanba先生 ああ、そうなの

虚空 合宿とは関係なくまた改まって時間をとって聞かせて、ってなったんですけど・・・。
例えば立体マンダラ・・・そもそも駿煌会のメンバーはこだわりがないじゃないですか。こういうのを書いてほしいというような願望もないし。わりかしそのままを受け止める。

Nanba先生 いいね、いいね。
やっぱりね・・・読みたいものを探しちゃうからね・・・。だから・・・そこよね・・・。

虚空 KS先生からのメールでの上原先生の指摘にあった「観察」・・・・あの子たちは作文といったら理科のレポートのようなものだととらえているんだと思うんですよね。自分はどういうことをキャッチしています、っていう報告文のようなもんだ、って。
だから体感を書けと言われたらいくらでも書けるけど、通常「作文を書く」というのはそういう風にとらえているだけなんだろう、って。
だから2年生だってそう注文すれば面白いことも書いてくれるとは思うけど、それってただ、モードを切り替えただけ。

Nanba先生 そうそうそう!

虚空 だから単に体感を出しましょう、っていう授業では我々が満足するだけで、子どもにとっては何の刺激にもならない

Nanba先生 そうそうそうそうそう!その通りよ。

虚空 だからその点をしっかり考えなければならないと思うんですよね。

Nanba先生 全くその通りでね・・・・英才小の子は2年生とはいえ4~5年くらいの感じよね。

虚空 今回作文を読みながら改めて感じたのは、今まではIQからいうと普通の学年でのこの段階、って対応させて考えていたけど、読めばよむほど、単に発達が早いだけじゃなくて・・・やっぱり上原先生が指摘していた「統合された理想の形」をとれた状態での上の段階・・・それが英才児。だから普通の高学年とか中高生とは全く違う。

Nanba先生 それそれそれそれ。

虚空 それを浮き彫りにしないで授業計画をたてたって、意味がないんじゃないか、って。その点をKS先生も随分と大切にしようと・・・・。

Nanba先生 それはいいね。

諷虹 さっきレポートっていう話がありましたけど、なんだか「個性のあるレポート」っていう感じがするんですよね。それが新鮮な感じがして。

Nanba先生 今からでもさ、日帰りでもこの人たち合宿に来れないのかね

ヒマワリ 合宿に出てもしゃべれなさそうだよね。

Nanba先生 そりゃすぐにはなかなか言えないかもしれないけどね・・・

ヒマワリ でもコバルト君さんは行くんだよね、2日目

Nanba先生 そうなんだ!じゃあ会えるんだね。
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虚空 ここ何年も「英才児の特性」にこだわっているんですけど、それが上原先生の「観察」ということでやっとみえてきた部分があって・・・。それがさっきの「単に発達が普通の子より早いだけじゃない」っていうことで。
「思考・感情・用具言語」が「構え」とどうせめぎあい統合されていくのか、そこが根本的に違うんだ、って。

Nanba先生 イマジネーションが基本にあることは確かなんだけどね

虚空 私だってイマジネーションを否定したことは一度もないですよ。ただ、児童の実態とか段階によって切り込み方が変わるはずだと思っているだけで

Nanba先生 思考・感情・構えに形をかえて顕現していくわけでしょ。表象に現れている時に。見えないものだから。

虚空 この世の中、「目にみえる世界」への出方だと思うんですよ。
そうするとね、ずっとこのところ諷虹と話題になっている2号の金城さんとの対談で「教育は形式」と言い切っているあのこと。
しかもKS先生の証言で英才児と出会ったことをきっかけに、上原先生は「構え」について本気で考えはじめた、って。
その本当の意味を馬鹿正直に考えてみたいだけなんですけどね。

Nanba先生 子ども達にとってイマジネーションが一番大事だというのはわかるんだけれども、それを現せることが一番なんだと考えているのかもしれないけど・・・それが出たらいい、と。・・・・

虚空 幼児期とか低学年だったら素直に出るだろうけど、でもそれは出たとしても地下一階。それも自分の意識を向けていたテリトリーのところからしか出てこない。
無意識の世界が無限だと考えると、それも引っ張り出すには「知識」だとか「論理」だとか「俯瞰・鳥瞰視点で観察する」だとか・・・「縛り」じゃなくて、想定外のもの、地下2階より深いところのを引っ張り出してくれるライフインデキスとしてのツール。
そう考えると中学生や高校生の国語以外の教科の知識教育も非常に重要な意味をもってくると思うんですよね。
そういう全体像で考えているんですけど。

Nanba先生 もう、それは何の反論もない。本当にその通りよ。(3回繰り返す)

虚空 彼らなんかも・・・さっきの作文よみながらのリアクションもNanba先生先生が見ていたら面白かったと思うんですけど。

Nanba先生 響くんだよね。

虚空 でもね教師側に狙い意識が強くあると「期待外れ、これも期待外れ」って

Nanba先生 文章が見えない。Welcome であることが一番大事だと思うんだよね。
この会・・・何だっけ?

虚空 駿煌会です

Nanba先生 なんでこのメンバーは作文などをしっかりと受け止められるのか・・・しっかりと作文の内容を自分たちの中にいれていくことができるのか・・・

諷虹 自分たちの作文を読むときの受け止め方っていうのは、「先生視点」じゃなくて「クラスメート視点」で読んでるような気がするんですよね。

Nanba先生 なるほど。

諷虹 同世代の友達・・・だから「ああ、これあるな!」とか楽しみながら読んでる

虚空 それが共感なんだろうね。

諷虹 共鳴なんですよね。だから分析するときも、子どもの視点に立つから、月並みな言い方ですけど「自分もこういう経験あったな」というのを思い出しながら読むだけでも全然違うのかな、って

虚空 それがまさに意識のベースから、っていうことなんだと思う。(補足 虚空 卒論テーマでのフレーベルでいう 共通感情)
だからさっきの作文読みながらでも幼い頃からの生活経験と結び付けながら照らし合わせてる。共感だけじゃなくて、ずれている部分も驚きとしてね。拒絶の驚きというよりは「へー」っていうような。自分達とは違うという発見。
・・・さりげなく子どもが書いている文章でも、例えばさっきの「屋上で遊びます」なんていうのに二人はすごく反応して・・。
田舎では考えられない、って。広い場所がいくらでもあるんだから遊ぶなら庭で遊べばいいだろう、って。だいたい屋根の上にそんなスペースはないわけですよね。

ヒマワリ 土から離れることなんてなかったから。

虚空 こういう言葉がスッと出るって言うのがね・・・

ヒマワリ ただただそれしかなかったから

Nanba先生 でもそれがこの人たちにとっての普通なんだよね。

ヒマワリ おうちベーションの違いですよね。

Nanba先生 おうちベーション・・・

虚空 だからね、家で騒ぐのどうのこうのっていうのも、ヒマワリの家のように隣の家と何百メートルも離れていると「隣近所の迷惑でしょ」なんて注意されることなく育つわけだよね。

Nanba先生 ないよね。「近所って?」っていう感じだよね。
そうやって作文が読めるということは、いまだにそういう目線を持っているということだよね。
普通だったら大人になる過程で失ったり、抑圧していくわけじゃん。それを抑圧しないまま露呈できているというのは大きいし、それは逆にいうと、ちゃんと自分の論理的な思考と統合されていないとしんどいだけになるじゃない。
英才児はある子たちは統合されているけど、ある子たちは統合されていない。そういう子が、感度は良くて統合されていないと、結構シンドイ。
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