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☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-②  「類化性能の発揮」を大人が邪魔しない

「類化性能」は、異なる物事を次々と関連づけさせる、全く違う世界を橋渡しする大事な能力です。

でも、それを発揮する子どもほど、とかく教室では「わかのわからない発言をいきなりしはじめる子」と否定されがちです。
特に昨今のような丸暗記のテスト対策授業「教えた通りにやりなさい」式では邪魔者扱いされかねませんし、子ども自体がそうした学校には拒絶反応を起こしてしまいます。

諷虹君と二人で英才小の数学を参観した時に、大いに感動したのはその点でもありました。世間的には「答えが一つ」と思われがちな「数学の授業」であっても、子ども達の自由な発想はきちんと保証されていましたし、それらを先生方が交通整理することで「数理思考」と「感情思考・イメージ思考」が相互作用をいい具合に起こして深まっていました。まさにこれが生きた数学なんでしょうね。

そうした類化性能の発揮の大前提になる大人側の構えに関するやりとりです。 

*尚、途中で「体感による類化性能」という言葉が出てきますが、これが明確に出てきた駿煌会のやりとり記事がこちらです。
「母胎回帰性」いろいろ 「体感」による類化性能:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/398/

Nanba先生 あのさ、これ潜在的に聞いてみたいと思っていて、今ふっと思い出したんだけど・・・虚空さんの教育は、公立小学校でやっていたわけじゃない。英才小の子たちとは一応違うじゃない。
でも無意識の層を厚くしたままここまできたんだとしたらよ、それは虚空さんのどういった教育が・・・それは小学校だけじゃないかもしれないけどね、何がこの人たちをこうしたんだと思う?

虚空 やっぱり「邪魔しない」っていうことだったと思うんですよ。

Nanba先生 ほー。なるほど。

諷虹 素直さを出せる・・・だから例えば富士山から天使の階段が折りている、にしても「宇宙が母胎」みたいな感じだよな、って・・・母胎回帰がそこに出ている、っていうことを言えるんですよね。
一昨日もそんな話で「水中と宇宙は近いから、羊水に浸かっている状態と宇宙にいる状態は母胎に近いのかな」って言ったんですけど。

虚空 重力の影響を受けるようになってしまったから、今のような現実意識になってしまったけど、受けなければ「胎内での感覚」と「宇宙での浮遊感覚」は同じになるんじゃないかってね。(注 こうしたことをその後「体感による類化性能」と呼ぶ)
Nanba先生 それはあるね。
虚空 だから富士山のところで天からはしごっていうのも、普通の人が考える母胎じゃなくて、とんでもなくスケールの広いところでつかまえているんだろうな、って。

Nanba先生 だって、キリスト教の「処女懐胎」は聖母マリアが孕んで天から降りてくるからね、子どもが。子宮なんですよ、地球が、宇宙が。完全にその感覚だよ。
それは今僕は自分の持っている知識でそうとらえたんだけど、多分そういう感覚があるのは、「邪魔しない」

虚空 そこでその「知識」がそういうことも確かにあるな、って自分の感覚と共鳴しあえば、それは新たな世界を拓いてくれるわけですよね。地下2階よりも深い部分の。

だからね、そこに私は「類化性能」がカギをにぎっていると思っているわけですよ。
だから「類化性能」にずっとこだわっていたのは、英才児だから普通は結び付けないようなことを結びつけていけるだろうと。それは数学的な抽象化能力と一体。
そうすると最も身近なところから、宇宙への振幅とかが起きる、っていう・・・・そういう発想から組み立てたつもりなんですけどね。
でもどうしても「類化性能」とか「抽象化」っていうと、思考であって、イマジネーションの邪魔をするもの、っていう壁が一般にはあって・・・

諷虹 さっきNanba先生が虚空先生の何がこういった結果を生んだのか、っていう話で・・・「類化性能がものすごくあるのかな」って思いましたね。家庭教師をはじめて間もなくの頃(中1)、類化性能と別化性能っていう話になって・・・自分の中でいろいろなことを学ぶ上で、常にありますね。あれとこれ、つながりそうだな・・・とか。それを常に意識して頭の中にしまっていた。
それが数学の抽象化とうまくつながってきているな、って。

虚空 ますますそれに磨きがかかっているもんね。量子コンピュータ―の番組をみながら麻雀アニメの咲の話に平気でとぶんだから。
そういう数学的な抽象化をコバルト君にしてもヒマワリにしても、常に使っているんだよね。こういうおしゃべりをしているとき。

ヒマワリ 数学用語なんて知りもしないのに

虚空 でもその使い方がとっても自然なんだよね。それは本質を直観的にパッと感じ取れるからなんだよね。知識や理解を超えて。

ヒマワリ なんなんだろうね。

虚空 すごく自然に使っているよ。

ヒマワリ 共鳴なんだよね・・・「コーヒーコーヒー」みたいに近づいていくんだよ。

虚空 極限値の発想をそうやってつかまえてるんだもんね。まさに数学の生活化。

諷虹 猿真似じゃない。ちゃんと自分の中で

Nanba先生 そうそう、自分の中でね。すごいよね、この人たち

ヒマワリ やっぱりそれが類化性能なのかもね。それを聞いて、自分に近いのをすぐにみつけて、それで核を、芯をとらえた時に「ああ、こう使えばいいんだ」ってすぐに分かるから。

虚空 そしてね、テスト数学とか受験数学を拒絶していた分、「学校で習う数学」ということに囚われないから、いろんな場合に広げていけちゃうんだよ。

ヒマワリ そうだねー。

諷虹 やっぱり、自分の中で持っているものと何かくっつかないかなということを模索して、これだ、って言う時に

Nanba先生 それってもしかしたら求めてるのか、そういう感じを

諷虹 毎週先生とやりとりしている時に、10年くらい「こんなこと考えてなかったな」っていうことがポンって復活したりするんですよね。

Nanba先生 それって産婆術だね。

虚空 考えてみるとね、諷虹とのやりとりは週に2回。そして一回がだいたい4時間とか長いと5・6時間。それを何年間もやっているわけですよ。特に高校生以降は。それでもネタが尽きないんですよね。

諷虹 私もそうですけど、先生も「それで思い出したんだけど」って・・・そういう感じで以前はなしたことが初めての感覚でどんどん出てくるんで・・・

虚空 それは彼らの言葉が自分の中から引っ張り出してくれるんで・・・

Nanba先生 そうだね。お互いに引っ張り合っているんだね。
ライブ性があるから、ラインとかブログとかだと絶対分からないよね。やっぱり空気感が違うから。ここに居てここで聴いているとすごくいいんだけど、文字になったのを読むとアレっ?ってなるよね。

ヒマワリ 嫌になるよね、あのブログ

虚空 そりゃ自分だってあの分量を載せるのはね・・・

諷虹 どんな風に発言しているのか、っていうのを脳内再生しながら読むと読みやすいんですがね。

(Nanba先生先生なりにここのやりとりを分析して様々語ってくれるものの、周囲の雑音でうまく聞き取れず)

Nanba先生 で、それを生みだしているのは「邪魔をしない」ということか。
自分も学んでいるという感覚だもんね。。

虚空 全然教えようなんて思っていませんから。分からないフリをしているわけでもないし。
だから英才児の作文を読む場合でも、2年生を担任した時でも、そりゃ計算の仕方とかの技能面は「教えてあげる」という感覚はありましたけど、基本的には対等とか向こうの方が上。だから聞く側。

Nanba先生 聞く側だよね。

虚空 だから私の基本的な授業スタイルは、白紙の短冊のようなのを大量に用意しておいて、子どもらの発言を片っ端からマジックで書いて、黒板に磁石ではりつけていく、っていうスタイルだったんです。
それから例の現実世界・意識世界・無意識世界の図(最近児言態でキノコ図と呼ばれているもの)にそれぞれの発言を位置付けて構造化する話し合いを中心にしていった・・・上原先生の「子どもの本音の意見を交通整理していく」というのに徹していたんですよね。
そうすると、表面的な意見だった、それは現実世界の部分なんだ、っていう意味付けがはっきりとみえてくるわけですよ。
誰の発言も意味を持ってくるというのが子ども達にも感じられる。無駄にならない。
そういうことを視覚化していっただけなんです。
2年でも3年でも4年でも6年でも基本はそういうスタイルでしたね。

Nanba先生 そういうのが子供の思考も生み出すんだね。読解レベルも含めてね。

虚空 どうしても子どもって「多数決」で考えてしまうわけですよね。誰の意見が正しいのか、とかね。
だからみんなの意見と違うことを発言するのに抵抗があるじゃないですか。
でもね、こうした授業を重ねていくと「空白」に目を向けるように自然になっていくんですよね。

Nanba先生 なるね、確かに。

虚空 ああ、あそこはまだ出ていない。まだ誰も見つけていない何かが隠れているかもしれない・・・とかね。

だから諷虹君なんかも「空いているところこそ何かがある」っていうことを去年の英才児たちの作文分析でも盛んに言ってくれていたわけですけど・・・

Nanba先生 そこはそうよ。あるんだから。

虚空 意識化されていても言葉として出てこないのは、こっちの聞き方に問題があるか、それともこの人たちには話しても無駄と感じられてしまっているか・・・

諷虹 そろそろ出ますか・・・場所うつして・・・
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(移動中の車内 帽子の話題 諷虹に似合う帽子は 等々)
ヒマワリ タバコと同じなんじゃない? 内と外で。帽子をはずすことで構えをかえる。

Nanba先生 そういう発想がすごいよね。やっぱ賢いな。
この能力をもう少し社会に役立てられないかな。いつも思うのよ、この人たちのやりとり・・・無駄に消費していってしまっているだけのような気がして。
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