忍者ブログ

☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-③  英才児の特性・・・自己の拡大と没我性

類化性能や数理的発想が、「人間としての器を大きく成長させることに、どうつながっているんだろう?」ということに関しての考察です。同じエネルギッシュな子どもでも、一般の子と英才児の違いはどこにあるのだろうか?ということも・・・・


そのカギの一つが「没我性」にあるのではないかという仮説が出てきます。



場所を移して、Nanba先生が宿泊するホテルのロビーを語り合いに使わせて頂きました。
虚空 たとえば私はちょっとだけ数学にも首をつっこんだけど、彼(諷虹)は大学で数学を専門にやった立場。
それでね、さっきファミレスであの6月の時の数学のプリントと作文を突き合わせてみたんですよ。

Nanba先生 わー、すごいすごいすごい。

虚空 そうするとね、「見比べてどう?」って聞いた時に諷虹なんかは切り口が違うわけですよ。それがすごく面白かったんです。

諷虹 リンク大、とかメモりましたよね。
(何人かのを丁寧にみる)
諷虹 きっちりと仮定からはじめてというような流れ・・・道筋のたてかた

虚空 そういう型が2年生でも増えている・・・普通の発達からいえば5~6年生くらいの段階になっている子もいる。

Nanba先生 すごいね、すごいね、
明日の合宿の時にこの作文って話題になるの?
この子たちなんだよね、10月に授業をするのは

虚空 ええ、それで思考面の発達もみてみたかったんで、数学の授業だったのもあって参観したんです。KS先生も一緒に。

Nanba先生 ちゃんとこういうことも話題になるかね?

虚空 私が話す時間もあるので、そこで話します。

Nanba先生 なるほど。

虚空 (数学のプリントに特徴ある答え方をしている子)この子だって数学ではこうだけど、国語とかは全く別というわけではないですよね。こういうこだわりは必ず出てきていると思うんですよ。それが数学だから出やすい部分っていうのもありますから。

諷虹 (別の子の作文で)「弟を持っている」ってすごく英文っぽいかな、って。have から来ているんじゃないかというように考えると、文章全体が英文を日本文にしたような雰囲気・・・

Nanba先生 「わたしが6歳だったとき」っていうのも「私が6歳のとき」っていうよね。「だったとき」っていうのは珍しいよね。
諷虹 こういう方向で英語が伸びていくのかな、って
虚空 英語頭なのかもね。小さい頃から習っているとか・・・・


(別の作文)
Nanba先生 数学のこうした形式論理と国語をつなげて考えるのは大事だよね
(落書きの二人 それぞれの違いの様子と作文、プリントの分析)

虚空 この子は複数のことを同時進行でいけてる・・・落書きをして面白がっても、そちらだけに暴走しない。ちゃんと数学も進めていたんです、きちんと切り替えて。
私がずっと上原先生の師匠である郡司先生が江戸庶民の発想といっていたこと・・・勝手に「多次元構造の同時進行」って名付けていますが、それをやれている子。
量子論でいえば「量子コンピュータ―」の「量子ビット」。いろんな状態を重ね合わせて同時に違った演算ができる・・・そんな頭の使い方だと思うんですよね。
:::::::::::::::::::::::::::::::
(参考 https://ferret-plus.com/9474 
実際には、もっと直感的に言えば、量子コンピュータの情報単位は、「重ね合わせ」により状態が2つ以上であり、0でもあり、1でもあり、2でもあり、3でもあるという状態になります。(中略)量子ビットは、例えばn量子ビットあれば、2のn乗の状態を同時に計算できることになります。先日アメリカ・ラスベガスで行われた「CES 2018」では、インテルが49量子ビットのテストチップTangle Lake(タングルレイク)を発表しています。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


諷虹 「帰ったら手洗いうがいをして、ランドセルを空にして中にはいっていない状態にしておやつを食べます」って、ランドセルを空にしなかったら家に帰ったことにならない・・・

虚空 儀式だね

諷虹 ルーティーン (routine)かな、って。

Nanba先生  ルーティーンだね。

諷虹 私だったら家に帰ってパソコンのスイッチをいれたり、靴下を脱いだら落ち着ける。外行の格好をしているうちはおうち意識になれない。

虚空 どうしても英才小の子はそこに体感とか気持ちの記述をしていないから、どうしても表面的な事実ばかりをつかまえているように見えてしまうけど、実はそうじゃない。裏側にはある。でも、もしかしたらこの子たちは所謂作文にはそういったことを書くものではないと思っているかもしれないな、って。

Nanba先生 その部分をみつけていくのが多分私達なんだね。書いてないようにみえるところを。

(落書きと行き来できる子に関して)

虚空 いつも話すことですけど、あの6年生の数学で、図形の説明でどう言っていいのかわからなかった子が「トイレの便器みたいな形」って言ったときに、クラス全体がワーッと笑ったけど、でもすぐにそれを「数学用語」として受け止めて話し合い活動に自然に戻った。あの変わり身の早さの芽生えが、この子には出ていると思うんですよね。

諷虹 ほかの子もその言葉を使って話し合いをするんですよね

虚空 それはヒマワリとおんなじ。すぐに取り入れて使える。

Nanba先生 なるほど

虚空 さっきの便器の6年生も、その時にはもう数学用語だから大真面目な顔をして話し合っているんだよね。
多次元構造の、っていう部分でゆうべのやりとりで出ていたのは、Zaki小と英才小は何が違うかっていうと、ベースになっているエネルギーは同様なんだけど、Zaki小は「収束砲」・・・宇宙戦艦ヤマトの波動砲のようなかんじ。全エネルギーを自分の関心のある部分にグーッと収束させて、ドーンと撃つ。リリカルなのはでいえば「スターライトブレイカー」・・・なんていってもよく分からないと思いますが・・・。
英才小の子はそれがマルチというのかな・・・ここにもここにもここにも撃てるぞ、っていう感じでドーン。


*この日のやりとりの前日に行われた、諷虹君宅でコバルトブルー君やことりのおやつ君を交えてのやりとりでも、こうした点などについて語り合っていました。
☆「英才児の特徴を作文から探る」 ・・・日本語英語の違いなども交えて:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/397/


Nanba先生 何でそこが違ってくるんだろう?

虚空 これは諷虹と話したんですけど、「観察」の時の「没我」の違いじゃないか、って。
英才小の子は「主観」を生じさせる「我」を封印してる・・・美術でいうデッサンに近い。最初から「こう」って関心のあるものしか目に入らないんじゃなくて。デッサンって何でやるかっていうと、正確に描くだけじゃなくて、なるべく気が付いていないものまで発見するという意味があるわけだよね。

諷虹 あとは、自分の中に入れて自分の言葉として表現するのか、ここにあるものを「これはここにあってこういうものです」という風に説明できるのか・・・「自分の中に入れる」「だから伝えられる」んじゃなくて、「入れていなくてもこういう考え方がある」と言う風に。

虚空 それが高学年になると急に増えるんだよね。自分はこう思うけど、「こういう場合もあるでしょう」って場合分けをすごく使うようになってくる。英才小の子は。
Zaki小の子は自分の思いでワーって行く。

諷虹 集まらないもの、自分の中に入って来ないものは発射できない

虚空 だから自分の受け付けるものだけを収束させてバーンと撃つか

諷虹 その場にあるもので、その場のままで

虚空 Zaki小の子も感性はいいからいろんなことをキャッチはしてるんだよ。でもその中で自分の関心のあるなしで強力なフィルターをかけちゃうんだよね。関心のあるものを発射するエネルギーに変換してしまう。

諷虹 考え方の違う人の話と融合できるかどうか・・・

虚空 さっきの没我でいうと「我を忘れて夢中になってしまう」のがZaki小なの。余計なことを考えないんだよ。こんなことを作文に書いたら変かな・・・なんていう他人の目を気にする自分をオフにする。そりゃ担任したばかりの時にはナマを作文に書かない子だっているよ。女の先生に担任されたあとの子とかは特に。でも、書いていいんだ、って了解するとあっというまに書く。そこは最初に勤めた県南の子たちとは全然違っていた。
だから「うんち」なんかの話も平気でどんどん書けるわけだよ。女の子でも。
英才小の子は、自分の好みとかを一旦封印する傾向にあるんじゃないかなと思うんだよ。特に作文を書くというときには。
それはそういった指導をされている部分もあるかもしれないけど、「こういうこともある」「ああいうこともある」っていろいろな発見をしたり、違う考えを受け入れてそれをおもしろがっているところもあると思う。

ヒマワリ 位置づけができるのが英才小の子?

虚空 位置づけをしちゃうんだよね。さっきの立体マンダラみたいに。自分の意識世界を構造化できる。

諷虹 コンステレーションですね。

ヒマワリ コンステレーションだねー。図式化が頭の中で出来るんだね。

虚空 そうそう。それを感覚としてやっちゃうんだよ。論理もね。
だからね、Zaki小の子だって・・・・(雑誌15号に掲載されている るすばん ボットン便所探検作文 を読み上げる)
すごく丹念に観察した様子を書いているでしょ。こういうところは英才小的なんだよ。
コバルト君のこの前の生まれた時作文もそうなんだよね。周囲を観察している視点での描写ばかり。

ヒマワリ 面白いねー。最高やん!

諷虹 茨城県人の特徴として、興味のあることにはとことん熱中するけど、興味のないことには全然っていうのがありますよね

虚空 そうそう、

諷虹 改めて英才児というのを考えてみると、何でもできるという印象・・・万能型というか。それって興味のない分野でもそれなりに結果を出せてしまうから・・・オールラウンダーみたいな。自分の興味がないことでも説明できたりとか。自分の領域外も受け入れられちゃう。

虚空 もちろん鉄道マニアとか魚マニアとか、自分の興味関心にとことん忠実な子もいるけどね。
でも違う世界を否定はしていない。
今のネット社会だと、同じアニメでもちょっとでも考えが違うと叩きつぶそうとするやつが多いじゃない。それは英才児にはないような気がする。

諷虹 共存共栄

虚空 共鳴しあえる。

諷虹 共存・共栄・共鳴ですね。

虚空 それがね、ただ単に分母分子がひっくり返ったあとの普通の中学年高学年に早い段階からなっているな、じゃないと思うんだよね。それとは違う境地に到達できてる。それが上原先生が英才児の中にある意味での教育の理想的な到達点をみた気がした、っていうことだと思うんだよね。
英才児の研究をしたいというよりは、公立学校でもこういう風に統合していける子ども達を目指せれば、って。

諷虹 やっぱ勉強が嫌いだったら勉強できないですよね。
万能型でありながら、そこに自分の好きなことがあると・・・

虚空 「何故万能になれるのか?」っていうところに類化性能があるんじゃないかな、って思うんだよ。抽象思考に裏づけられた。
ヒマワリさんなんてそれをいつもやっているんだよね。だから虚空と諷虹のアニメや数学がバンバンでてくる話に普通についてこれちゃうし、自分でもすぐに取り入れて話として使えちゃうわけだから。

諷虹 完全にのめり込まないみたいな感じなんですかね。好みに合わなくても使えるものは使う。自分の流儀に反するものでも。

ヒマワリ 引き出しとしてもっている分には別に構わないもんね。

諷虹 この人は嫌いだけど、この人の考えはマアいいかな、とか。
一般の人だと「この人きらい」っていったら何をいっても全部否定じゃないですか。

虚空 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、だね。
上原先生が「英才児は個性がない」っていったのも「没我の一つの形をそういったのかな」って。
それは英才児が没個性で全員同じなのか、ってそういう意味ではなくてね。
「これは自分だ」っていう壁を作らない、という意味での個性がない。
そういうことも含めて、本当に丁寧に「英才児ってどういう子たちなんだろう」って話し合って、仮説をたてていかないと、どんなに授業のやり方を考えても、彼らにとっても意味のある授業にはならないとね。
あとこれは教頭先生と話した時にでたことだけど、「我々は英才児しかみていないから、お二人が驚かれていることに、そういうところで驚くんだ、と驚いています」って。
だから私と諷虹とで驚いたことをいろいろお話したときに、最初は何にビックリしているのかが本当に分からなかったって。

諷虹 そういう意味でいうと「すごい生徒を作ろう」っていう気でやっていないと言えますよね。自然に。

虚空 さっき出たことでいえば、英才児の成長の邪魔をしないということだと思うんだよね。

Nanba先生 それはすごいことだよね。ああいった学校だったら「英才児育成システム」なんていう方向に行きそうだけど。
先生たちは、実際にそんなことをやってもこの子たちには関係ない、って分かっているから。
ずーっとさっきから気になっているのは、成人発達の発達段階の研究から考えると、自己がどんどん大きくなっていく発想があり、最終的には宇宙が自分になる、みたいな感覚に発達するようです。だから地球が環境汚染でよくない状況になった時に、本当に自分自身が痛くなる、感覚的に。

諷虹 確かにそれはあるかもしれませんね。

Nanba先生 そういうところまでいっちゃうみたいなね。
この子たちの没我性というところがね、「おおきな自己を実現していくプロセス」なのかな、って。
夢中になるというのも「個」にこだわるんじゃなくて・・・・なんで多くのところに目がいくんだろう?っていったら、俯瞰的にというわけではなく、他者や周囲を一つの大きな自己として、そういう風に大きくなっていくという意味かな、と思って。
それが「統合」という言葉でもあるんだけど。

虚空 そういう時に「自分」「自分」なんて言えば言うほど

Nanba先生 ちっちゃくなっちゃう
PR