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☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-⑤  英才小2年生向け「おうち意識」の授業へのあれこれ

翌日から児言態の合宿ということもあり、自然に話は英才小の2年生に対しての「おうち授業」への話になっていきました。

「やり方を考える」というよりも、ここまでの膨大なやりとりをふまえて自然に湧き上がってきた想いを語り合っているという感覚です。
そこからNanba先生が「連歌」というアイデアを出されてきました。

こうした授業の発案の手順そのもの・・・上原先生が生前繰り返してた「授業の方法よりもまず、テーマに関係しそうなことの徹底的な考察。それから単元設定の理由はテーマの確定。授業のやり方はその後に自然に決まってくる」というのを地でいった感じです。

*もちろんこれらの授業へのやりとりは児言態としてのやりとりではなく、駿煌会としての好き勝手なやりとりではありますが・・・・。
虚空 英才小の作文をよむと、この意識構造図に載せているような観点とか項目がね、1年生の段階から相当出ている。だからそれをいちいち出してもらう段階はすっとばしていいと思うんですよ。

Nanba先生 すっとばすと・・・今までの児言態の授業って「出す」ということに命をかけてきたじゃん。仮に「出ている」とするじゃん・・・出ているし。そうすると「次に何をするか」っていうところだよね、今回は。

それは僕が英才小に「小説」を使ってね、って言っているのと全くおんなじだと思うんだよね。中学生や高校生のように小説に向かうというところに彼らはもう行くべきだし、行かないと物足りないと思うんだよね。

だから本当のことを言うと、もしかしたら「おうち」とか書く次に・・・てきとうだけど・・・「地球」とか「宇宙」とかね、そういうテーマで書いたらむしろ「おうち意識」が出るかもしれない。

虚空 まだそれほど深く考えているわけではないんですけど、この前ちょっと思い浮かんでKS先生にもメールしたのが、新潟の大赤沢で行われた3枚のカード合わせの授業。三題噺の。私は参加できなかった合宿なんですけど・・・。
そのカードの中に一見おうちとは関係なさそうな言葉・・・でも本質的には「おうち」とか「母胎回帰」とかに関する言葉も入れておいて・・・それで長編を書かせるんじゃなくて、短文。粗筋。そして一つ書いたら「次のカードを選らんで」って次々と書いてもらう。
選ぶカードの語彙をどこまで広げていけるか・・・常識とかの枠を超えて。あるいはものすごく条件をつけて・・・。
できれば「えっ?これがおうちのお話?・・・あっ、でも確かにおうちだ!」っていいうのが飛び出してくるとね


Nanba先生 ああ!そういうのがいい!!
って言うかそういうのじゃないといけないような気がするね。


諷虹 圧縮ですね


虚空 そう、圧縮と解放。そりゃ何段階かの活動を用意していいんだけど・・・導入で1年生にやったようなことを入れるとか、体感を出してもらって、確かにそう注文すれば英才児はサッとモードを切り替えて出してくれるんだ、っていう確認をしたいならそういうのを入れて「体感も出る」という確認をするのもいいとは思いますけど、でもそこでとまって満足したんじゃね。


Nanba先生 体感はあるんだ、って。僕らは。むしろそっから出発しなきゃならんのよね。せっかく英才小でやるんだから。


諷虹 いかに短文の中にエッセンスというか核になることを入れられるか・・・ちっちゃくすることができれば、でっかくすることも出来るわけですからね。それに応用できるし。本質をつかんで短い言葉で伝えるということもできる。

虚空 あるいは「お話リレー」。これは収拾つけるのが大変だけど。特に研究授業ではね。
この発想は長浜君がかつてやった「接続詞の授業」のアレンジなんだけど、接続詞をなればておいてランダムに「これ」「次はこれ」って指定して続き話をさせる。想定外の筋立て・・・お話リレーでも「次にこういう風に展開させようかな」というのを回りが平気でひっくりかえすような状況。
数学の授業で端的にでていたけど、英才小の子はそれはそれでちゃんと受け入れると思うんだよね。
でもそれによって、コバルト君が最近よく使う「起承転結型」じゃなくて「序破急型」・・・いい意味で想定とか予定調和をぶち壊す・・・新たな発想に転換できる・・・そういう他の児童とのやりとりを授業の中盤あたりに持ってくるとかね。
自分の今意識していることとか、無意識でも出やすいところじゃない部分・・・地下2階とか地下3階を掘り起こし合うような他の子とのやりとり・・・


Nanba先生 それを聞いていたら・・・例えば「連歌」とか「連詩」とかいうのもいいかもしれないね。


虚空 ああそうですね!日本人ってそういうことで、自分の意識世界をすごく修練していたんですもんね

諷虹 俳諧連歌。

虚空 自分が思っている通りには作れないという「制約」が、逆にものすごい広がりを生んでいったわけですもんね。

Nanba先生 そうそうそう。

虚空 好きに自由にやったんじゃ生まれてこない境地


諷虹 「縛り」とか「負荷」をかけることで、っていう感じですよね。

Nanba先生 それが大好きだったんだもんね。それが明治になって正岡子規が俳句という形で独立させてしまったがために面白くなくなってしまったんだよね。


虚空 自由主義なんていうのもね・・・季語はいれなくてもいいとか・・・それが裏目に出ちゃっていると思うんだよね。


Nanba先生 連歌って相手の五七五に対して、ただ七七をつけるだけじゃなくて、何句目には必ず月を入れるとか、そういうのが全部決まっていたんで、その制約がかえってむしろ想像を呼ぶ・・・。


虚空 そうするとその中に一見おうちの要件とか違うもの・・・それは5年生や6年生の作文からキーワードを拾い出してもいいんだけど・・・要件の出し方にはあんまり学年の差がないと感じているんで。高学年になるとそれこそ数学的に家の定義を述べるとか、一般化しようとするとか・・・書式は変化するけど家の要件としてはね


Nanba先生 変わんないね。


虚空 でも何人かは宇宙とかに突き抜けている子がいるから・・・それこそ星に移住する話を書いている子もいるし。


ヒマワリ すごいね


虚空 それでも「おうちの要件」ってあるわけだよね。これを外したらおうちにはならない。
でもね逆に言えばその要件が満たされていれば、それは一見したらおうちとは関係なさそうなものも「ああ、これもおうち意識なんだな」って・・・。
具体的にいえばさっきの2年生の立体マンダラだよね。どうして「おうち」という課題でマンダラのことをかきたくなったのか。


諷虹 やっぱり自分の興味関心のある事だからじゃないですかね。

虚空 そこでね、立体マンダラの構造を的確に描写というか説明しているでしょ。そうするとね、おうちには何らかの閉じた世界という構造があるというのを満たしている。自分のおうちを書いていなくても、立体マンダラの世界も閉じた世界としてはこれもおうちだと2年生なりにつかんでいると思うんだよね。
でもヘタをすると普通の先生は「ちゃんと話を聞いていたの?おうち で作文を書くって言ったでしょ」なんて叱りそうでしょ。

ヒマワリ ああ、言うね。

虚空 でもね、あの子はちゃんと「仏の世界です」って書いているじゃない。

ヒマワリ おうちの作文で仏なんて言われたらゾッとするよね。逆に「怖」!

諷虹 ピカソの絵だとか・・・著名な人が全く関係のないようなことを言ったときに「深いな」って思うのか、「荒唐無稽なことを言ってるな」と思うのかの違いですよね。

ヒマワリ 関係ない事を言わないわけはないよね。

諷虹 結局その人の中ではつながっているから出ているんですからね。

ヒマワリ そうそう。

虚空 それが周囲が全く無理解でずっときてしまうと、統合失調症だと診断されるくらいに追いつめられてしまうことがあるわけだよね。

でも実際にすごく感覚のいい子って、学校でもわけの分からない子、変なことをすぐに言い出す子・・・っていうことで問題児扱いされるからね。教師の期待する発言をしてくれないから・・・あの子がいなければもっと授業がきちんと進むのに、とかね。
研究授業でそういった子が挙手しても指名しないとか・・・・。事前に発言を禁止している教師もいたしね。指導案での期待通りの発言をしないと自分の指導力が疑われるとか・・・プロの教師として・・・。
Nanba先生 やっぱり(他人とは違う世界が)「見えちゃう」人の不幸が近代はやっぱり強いよね。
(補足 広い意味での 犠牲論 ともつながりあり?)

虚空 西洋の自我のとらえかたと、日本古来の自我のとらえかたの違いっていうのも大きいと思うんだよね。それぞれ相性が悪いように思う。
西洋でいうと「自己同一性」とか「アイデンティティの確立」とかうるさく言うけど、日本人なんて「そんな生き方はつまらないじゃないか」って。短い人生なんだから何通りにも生きよう、って。それが郡司先生の江戸庶民の発想法にもつながると思うしね。
異なる自己を同居させてしまう。
その名残だと思うんだよね、ネット上で複数の自分を使い分けているというのも


ヒマワリ アカウントね。

虚空 それを一つに統一しないと大人として成熟していない、なんてね

ヒマワリ 全然そんなことないよね。

虚空 それは表面的には異なるアカウントを単に使い分けている・・・それによって本音を出せる・・・とか、そういう処世術の一つと思われがちだけど、日本人の場合はもっと根の深いものがあると思う。

諷虹 個人レベルで終わってしまっていますよね。


(立体マンダラ作文の話に戻る 文の冒頭よみあげ)
諷虹 それを家族としてとらえている可能性がありますよね

虚空 そうそう。

Nanba先生 あるある。それはすごくあるよ。

諷虹 鯉のぼりもお父さんとかお母さんとか子どもとか・・・並んでいるからあれが家族構成に通じていくわけですもんね。

虚空 「大日如来は太陽の仏でもあるし、すべての仏が集まったものでもあります」って。

諷虹 天照・・・お母さん意識ですよね。

Nanba先生 こういうことが「おうち意識」の拡大であり「自己」が拡大していって、それでこの子の中で「おうち」自体も拡大しているよね。
それこそ「コスモス」・・・「宇宙」が「おうち」だものね。
そういうとらえかたが出来ている・・・この段階はもう抜けているわけだから・・・次の段階へということだよね


虚空 次を考えてあげなきゃいけない

Nanba先生 次だよね。

虚空 だからね、よっぽど本気で「意識のベース」とかね、「知識を拡大させるとはどういうことなのか」とかね・・・そういういくつものことを徹底的に突き詰めてからじゃないとね・・・・

 実際今日もね、ほんの2年生の作文を数枚読んだだけだけど、Nanba先生先生が着く前のファミレスから始まってもう何時間もこれだけ盛り上がっているし、教育全体のいろいろなことに話が発展しているんだよね。


諷虹 2~3時間はゆうに超えていますからね・・・この作文に直接かかわるやりとりだけでも。


Nanba先生 この作文を子ども達が読み合ってもいいくらいだよね。何か言うよね、子どもは。


虚空 そういうのも導入の中で面白いかもね。この立体マンダラなんて。どう受け止めるのか・・・この子の個人的な思い込みとして片付けるのか、「ああ、たしかにこれもおうちだ」って受け止めるのか。
でもね、「これっておうちじゃない」って否定する子は少ないんじゃないかな

Nanba先生 少ないと思う。

諷虹 この作文の続きを書いてみようとか・・・

虚空 導入段階でこの作文をつかって「ああ、おうちっていうことをどんどん拡大していいんだ」って・・・それは誘導じゃなくてね・・・「構え」の問題として。「ああそうか、今日はそういう発想もアリなのか」っていう「世界定め」の確認事項の一つとしてね。
そうしたらもうあとはね

Nanba先生 行けるよね。

虚空 それがバタフライエフェクトになっていく。あの言葉、最近本莊さんもよく使ってくれているけど。

ヒマワリ 波がブワーッと広がっていく感じだね。

虚空 なんだかんだいって本荘さんが一番ブログを丁寧に読んでくださっていると思う。それで新たな漢文紹介がそれにつながっているような事を書いてくれているし


諷虹 さながらこれも「連歌」ですね。


虚空 お互いにそれでいろんな方向に広げ合える。


ヒマワリ 本莊さんも一緒に呼んで話をしたいよね。


(そういういろいろな分野の人たちを一同に集めてのイベントを開けたら、という企画を語り合う。 Nanba先生がみんなに日常スケジュールを細かく聞く)
Nanba先生 なんでこんなことをきいたかというと・・・ガッツリ時間をとってこのためだけにみんなを集めて・・・これは実現できるかどうか分からないけど、うちの学生たちも集めて連れてきて、お話をきく座談会を・・・
ヒマワリ 面白そー、やろー!
虚空 私もね、英才小の先生たち・・・数学の先生とか。
この前、数学の授業をされた教務主任の先生ともずっと話し込んで結構深まったんですけどね・・・。
私は絶対英才小なんかは数学と国語とか・・・いろんな教科の先生方がタイアップして子ども達の発達を検証した方がいいな、って
Nanba先生 それはやるべきだし・・・あとあの図書の先生とか・・・すごい人達が揃っているんだよね。
そういうメンバーとうちの学生と・・・。
まあいきなりだと大変だから、まずは茨城に来れる人だけでも一日きて・・・。
何かのついでにというのではどうしても時間が短くなっちゃうから。
だからみんなで予定を合わせられないかな、って。
それをやりたいね・・・ちゃんとテーマを設けて・・・
ヒマワリ いいね、楽しそう!会場押さえよう!!
Nanba先生 会場をおさえて・・・そうしたらいいよね。
虚空 異種格闘技じゃないけどね・・・
ヒマワリ 畑違い合戦。
Nanba先生 一応みんなも児言態は知っているでしょ。うちの学生たちも児言態は知っているから。だからベースは一緒。
やっぱり朝から来て、ずっと一日やるというのがいいかもね。夜は無理だね・・・茨城のこの状況を考えたら。
諷虹 開いている店もないですしね。
虚空 今日だってこのロビーが使えなかったら、大変だったもんね。
Nanba先生 やっぱりガッツリ時間をとりたいね。今日は結構しゃべれたからよかったけど、ちゃんとテーマを決めて・・・
(具体的な計画に向けてのやりとり)

ヒマワリ その束が全部作文なの?1年生から6年生までの・・・
虚空 そう
Nanba先生 そしたらすぐに発達がとれるよね
虚空 できますね、大変だけど(苦笑)
でもざっくりした印象なんですけど、おうち意識の発達というよりは「型」の発達っていう傾向の方がはっきり出ているように思います。
だからこの前からずっと話題にしている雑誌2号の「教育の本質は形式である」っていうことの秘密は、多分ここからも伺えると思います。
そういう時にね、「ナマの感覚」っていうのをヒマワリさんなんてどんどんぶち込んでくれるじゃない。
ちょっと話が変るんですけど、この前の金曜日にヒマワリのお姉ちゃんと会って・・・
(娘さんの出生前の記憶に関するエピソード紹介)
夜11時、時間切れでお開き
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