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☆2019,01,11 諷虹・虚空やりとり③ ガンダム「ニュータイプの概念」から再び「江戸庶民の構え」へ

諷虹 これ聞きながら、機動戦士ガンダムの「ニュータイプ」論っていうのがまさにそれなのかな、って。
原作者が新たに見出したニュータイプの結論
富野は今まで結論の出せなかったニュータイプというテーマに対し、2005年・2006年に発表された劇場版『機動戦士Ζガンダム』(新訳Ζ)において「真のニュータイプとは、今までのニュータイプ論で描いた精神的な共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣人を大事にするために活かすことができる人である」という結論を描き、新訳Ζにおけるカミーユ・ビダンこそ究極的なニュータイプであると発言している。
諷虹 ニュータイプは人の気持ちを読み取ったりする能力が主なんですが、加えて空間把握能力とかも非常に高いんです。つまり、戦場で有能な兵士として活躍できるんです。そんな風にニュータイプは人と人が分かりあえる可能性であったのにもかかわらず、人類は戦争の道具としての側面ばかりに気を取られてしまった・・・って感じです
(ガンダムUCで初めてガンダムにのるシーンを視聴)
虚空 この父親との別れのところで血がついたのは「誓い」(血交い)をやっているのかね???
諷虹 (最新シリーズの記事をみて)
『機動戦士ガンダムNT』では、ニュータイプは死者の魂から発する未知のエネルギーを操り、現実に働きかける者であるとされている
死後の世界ともつながった感じですかね。
ガンダムシリーズってあの世にいった後の方が口数が多くなるキャラって多いんですよ。
虚空 自分はほとんどガンダムについては知らないけど、未来な話なわけだろ。そういう時代の話で、あの世とか異空間とかが普通に扱われているというところ・・・
「人の背負った宿命」なんていうセリフが今出てきたけど(最初のガンダム)、人をつきつめていくと、やはり未来の話でも魂とかがからんでる
諷虹 「ときがみえる」って今出てきましたけど、これもよくファンの間ではよく出てくるんですよね。命の灯が消える時にみたもの。明るい未来への希望。でも本当に未来がみえたわけではない。
ガンダムシリーズの主人公たちって、どこか青臭さがあるんですよ。それの裏付けになるのがニュータイプ。だから「子どもはみんなニュータイプ」っていう言葉も出てくるんですよ。
(あるシーンで)
これもニュータイプ同士の「共振」ですよね。

虚空 「貴種」とか上原流の「犠牲者」・・・そういう特殊能力の持ち主、っていう感覚をガンダム風に描いているのかもね。
諷虹 「子どもはみんなニュータイプ」っていうキャッチコピーは3作目のガンダムZZのものなんですが、主人公は宇宙ゴミを拾って生計を立ててる少年で、ある時敵方のパイロットを乗せた脱出ポッドを拾って、ガンダムを強奪するように唆される。そして、なるべくけが人が出ないように立ち回っていたのですが、その敵方のパイロットが私利私欲のために人殺しを平気でするのを見て、味方側の軍に寝返るんです。
これは江戸の反骨精神・「万年中二病反抗期」につながるのかなと・・・
虚空 上原先生の「稚児論」・・・子どもは大人や社会のライフインデキス(生命の指標)となる、っていうのと通じるね。

特に大事なのは「いい意味での青臭さ」かもしれない。もののけ姫でいえば「曇りなき眼(まなこ)

フランス革命で民衆が立ち上がった、というような反乱ではなくて、論理とユーモアとを駆使した部分が結構あるじゃない。さっきの国芳の浮世絵なんてまさにそう。

反発心や反抗心があっても「破壊活動」とか「破滅への道」とはならない

江戸だからボケとツッコミのような雰囲気とは違うけど、やっぱり「笑い」のイメージで包み込んでしまっている

天岩戸での神々が天鈿女命の踊りをみながら「ドッと笑う」・・・そこから新たな夜明けを迎える・・・なんていうのが心意伝承的な根源だったりしてね。

それがあったから長きにわたって江戸時代が続いたんじゃないのかな。
もっといえば、江戸の町が何度も大火事や地震で壊滅的な状況になっても、そこから復活している・・・そのエネルギーの源だよね・・・笑いっていうのが。安政地震のあとの鯰絵なんてその象徴。
諷虹 火事と喧嘩は江戸の華
虚空 そうやってトランスフォーメーションを起こさせてしまう。これは単なるプラス思考なんていうのとは違うレベル。

でも江戸末期になると西洋に対抗しようということで、どんどん西洋的な発想を取り入れた・・・破壊活動が横行するようになった。

そんな風潮を受け継いだ現代人はあまりにも失い過ぎているから庶民の方から転換できないのかも。・・・安定した状態を求めている人でも「誰かそれを実現して」と他人まかせだから。
諷虹 火事と喧嘩は江戸の華 って汚泥から蓮の花・・・混沌とかの中から綺麗なものが生まれるっていう発想
コバルトさんが何度もラインで書いてますけど。
虚空 だから大きな壁にぶつかっても「困り方」が全く違うんだろうね。

開国して海外の人たちがやってきて江戸庶民の生き様をみて相当驚いていたっていうからね。貧しい生活なのに満ち足りた表情で何故かみんな暮らしている、って。
そうした根底に何があったからなのか・・・・
上原先生が江戸時代に注目したのも、そういった部分だってあったんじゃないのかな。
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