忍者ブログ

☆2019,01,19 諷虹宅 ヒマワリフクロウ・虚空⑤ 「生態研究としての授業」

(児言態50周年をふりかえり・・・)
諷虹 (自分の教育実習で)指導案をつくるのもけっこう苦戦したんで・・・ここでこういうセリフを言おうとかを考え過ぎちゃう。この言い方ではダメかな、とかを延々と計算した挙句に指導案通りにはしゃべんない、みたいな。だから指導案を作っている時間って何なんだろうな、ってズーッとね。だからもう形だけでいいのかな、とか。
ヒマワリ そうだね・・・・・・
諷虹 授業中に「アッこれ言おう」とか言っちゃったりすると指導案がガタガタになっちゃう
虚空 指導案通りにいくわけないんだから、と思っていた方がいいんだよ。むしろ「指導案通りにバッチリいきました」なんて教師が胸をはっているようじゃ、よほど子供らをコントロールして誘導したとか、日頃から先生の意図をくみとって発言する子ばかりを優遇して、子ども達に合わせて頂いているか・・・。

だから上原先生が本時の展開よりも「単元設定」っていうのをうるさく言っていたのは、どういったことで生態を探るのかというポイントをしっかりと教師が自覚しておけば、思わぬ方向に子どもたちが流れても臨機応変に対応できる、っていうことだったと思うから。
ヒマワリ そういうことなんだ
諷虹 始点と終点だけをはっきりとさせておけばということですよね。途中のベクトルを定めなければ自分で好きな経路をたどっていける。
虚空 その場合の終点っていうのも、数学だとかの定義なんかの授業は別として、生態研究の授業では決して内容の中身そのものであるような「こういう考えをするようになってもらう」ではないからね。こういうことに関してのありのままを出していってほしい、という方向性という意味での終点だから。
だからそれがはっきりしていれば途中の発問とかは臨機応変に変更できる。

単元設定の理由っていうのは「この授業はこれをみようとしているんだ」っていう決意表明だからね。
準備していた授業の流し方よりも、そっちの方がより生態が浮き彫りになりそうだったら、そっちに変更した方がいいんだもの。子どもの成長が大事なんであって、教師が「素晴らしい指導案ですね」って周りに評価されるのなんてどうでもいいっていてばどうでもいいことなんだから。
子ども達との響き合いで一緒に授業を作っていている、という世界になる。
諷虹 到達点がもっと奥までずれる、っていうこともありますよね。
虚空 そういうことならそうなった方がいいんだよ。実際にさっきの中学生とのやりとりだって、今日は「構え」をテーマにして「琴浦さん」の第二話を題材にしようとしていたんだけど、自分の中では「構え」ってだいたいどういったことで、「それぞれの構えをつかまえてみようとする」というあたりの方向性というように思ってた。でもやっているうちに「もっと行けそう」って感じたから飛ばし飛ばしではあったけど、第四話まで使って「構えの変革」の方にまで突き進めたからね。
PR