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「咲 -Saki-」やりとり から「ダンデリオンツイッター記事 大宇宙をかけめぐる意識」へ 

2019年5月31日 諷虹宅でのやりとり、続きです。
麻雀漫画(アニメ)「咲 -Saki-」からのやりとりの中で、先日ダンデリオンツイッターにあげられていた内容と深く関わることが飛び出してきました。

これも昨年10月の児言態公開授業のテーマ「宇宙との振幅・共鳴」の事例になると思います。
諷虹 ・・・阿知賀編の主人公が初めて麻雀をやった時の感想が
「山?これ山っていうんですか?
ふおおぉおお
つまりこれから駆け巡る山が!毎回違う山が立ち上がるわけですね!?」


虚空 あのさ、この前ダンデリオンツイッター記事で更新されていた3つのはなしのうちの一つ、次に紹介しようと思っていたことなんだけどさ、今のことと関係ありそうだから今、紹介するけど・・・

2019年 5月25日 
(道元2 正法眼蔵第一 現成公案)人の悟りを得る、水に月の宿るがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水に宿り、全月も弥天(みてん)も、くさの露にも宿り、一滴の水にも宿る。悟りの人をやぶらざる事、月の水を穿たざるがごとし。
人のさとりを?礙(けいげ)せざること、滴露の天月を?礙せざるがごとし。深きことは高き分量なるべし。時節の長短は、大水小水を?点(けんてん)し、天月の広狭を辧取(はんしゅ)すべし。

【大体の意味内容】人が「悟り」を得るということは、水面に月が映るようなものである。月は濡れないし、水面も割れたりはしない。広く大きな光やその七光りも、一尺とか一寸とかの小さな水面にすっぽり収まるように全体が映る。

満天の星やその背後の宇宙空間すべてが、草の露にも映り、一滴の水にもやどるのである。大いなる「悟り」が、その偉大さがあっても、小さな一人の人間を押しつぶしてしまわないことは、月が水を突き破ったりしないのと同じである。

どんなに弱小な人間であっても「悟り」を啓(ひら)くことの障碍(しょうがい)になったりはしない。それは一滴の露が、天月の光を世界中に映すことの妨げには決してならないのと同様である。「深い」ことは「高尚さ」に比例するが、それはサイズが大きいとか小さいとかの影響は受けない。時間が長いとか短いとかいうのは、月影を映すのに十分な大きさの水面であるとか小さすぎるとか、月光の照らされる範囲が広いとか狭いとか、無益な議論をするようなものである。


【お話】高校時代に、徳川家康の子孫にあたる女子生徒がいて、友達と一緒によく話していましたが、こんなことを話してくれたことがありました。「この地球が太陽の周りを公転してるっていうことは、『今・ここ』は明日になったら、宇宙空間になってるってことよね。そう考えると、何か、すごいよね」足元がぐらっと揺れて、とてつもない深みにさらされたような感覚に襲われました。

たしかにそうだ、「徳川さん」の言う通り、我々が他愛もないおしゃべりに興じている学校の図書室のこの机やいすがあるあたりも、明日になったら宇宙空間になっているのだ。それに『今・ここ』自体が、昨日までは宇宙空間だったわけだ。それどころか、ついさっきまでも宇宙空間だった。地球は太陽を中心に公転しているから1年後には同じ場所に戻ってくる?

 いや、太陽系は、銀河系の中を回っていると聞いたぞ。銀河系のような島宇宙たちも、それぞれ大宇宙の中を回っているって。じゃあ、宇宙の中の本当の中心は?本当の中心は、見つかってないはずだし、あるのかないのかもわからない。ということはつまり、我々は永久に同じ場所には戻ってこないで、宇宙空間の中を放浪し続けているということだ。たしかに、すごいや…

なんだかやたらと感動して、今でも鮮明に覚えています。女子高生「徳川さん」の思い付きも、きっと立派な「悟り」なのだろうと思います。


地球という小さな星の一角に浮かぶ小さな島国に貼りついた一人の少女の心でも、大宇宙を翔け巡ってしまう、実感をもって…私にとってもこの時に連想したイメージ世界が、その後の自分の人生、生き方に何か方向性を持たせてくれたような気がします。極小なものでも極大の世界と一致できるし、一瞬の事でも永遠を体感できるし、定まったコースでも常に未知への彷徨(ほうこう)(さまよい)になっている。


そう悟ったからといって急に肚(はら)が据(す)わったり、迷わなくなったりしたということではありません。迷いや失敗の連続の人生ですが、少しずつ、自分の中の中心ができてきた気もし始めたものでした。失敗してぶっ壊れても、また自分の中のどこにどんな柱が立ちそうか予感できるような、中心座標が。草の露一滴にも月影は宿る、全天の星は映る、ただし、濁ってなければ、です。素直に受け入れる透明さを。


コバルト 分母と分子が逆転するという部分もあるし・・・それとこの字にしても彷徨(ほうこう)(さまよい)・・・さまよいを楽しんでいる。さまよう事を恐れない。孤独を恐れないっていうことと同じ。


諷虹 今この瞬間が過去になるっていう感覚ってあるじゃないですか。この考え方は時間軸でしかとらえていないというのが、この公転の話だと場所、自分の立ち位置もかわるっていう部分も実感できる。時間軸と(空間)の座標軸が一緒になっている、っていう感覚。


虚空 そこがさ、麻雀のシーンにそって考えると、人間同士のかけひきや、友達の想いの影響を受けて見え方も変わってくるという点では「人間性」の部分もからんでる。まさに「世界定めの3つの軸が錯綜しての世界定め」があのテーブルの上で展開している、っていうことになるよね。

そしてさっきの「山?これ山っていうんですか?ふおおぉおおつまりこれから駆け巡る山が!毎回違う山が立ち上がるわけですね!?」発言がね・・・


諷虹 さっきみた池田が吠えた時に「誰か牌いじった?」っていうのも・・・場所も牌も何も変わっていないのに


コバルト 世界が変わった


虚空 宮永の場面のは・・・個人戦の決勝戦でそんなのがあったと思う。
ダンデリオンさんも書いていることで言えば身近なところとの宇宙とのつながり。まさに去年の宇宙との共振・共鳴の実例だよね。

そしてそれが、ライフインデキス(生命の指標)になっている・・・それがちゃんと内側から湧き上がってくる。

⇒地球という小さな星の一角に浮かぶ小さな島国に貼りついた一人の少女の心でも、大宇宙を翔け巡ってしまう、実感をもって…私にとってもこの時に連想したイメージ世界が、その後の自分の人生、生き方に何か方向性を持たせてくれたような気がします。


虚空 これが誰かに示されるっていうことじゃない

コバルト 誰かに支配されるわけじゃない
⇒穏乃「そこはもうあなたのテリトリーじゃない」



諷虹 カン裏を確認しないで点数申告しようとする相手・・・自分のテリトリー、支配下だと思っていた領域が、実はもう主人公のテリトリー、山の深いところに変わってしまっていたっていうラストシーンで・・・


コバルト 分母と分子が入れ替わっている・・・公転で言うと自分が地球で相手が月・・・自分が重力の中心だったのが、入れ替わることで逆に相手が地球・あるいは太陽で、自分が衛星になってしまっている。

*この次の日が、広島大学のNanba先生をお迎えしての駿煌会やりとりだったのですが、ここ数日の「量子論」や、「鳥瞰」や、この最後の「衛星」の事なども飛び出しました。
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