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「火の鳥 鳳凰編」からの「ふるさと意識」「母胎回帰性」  学修塾ダンデリオン ツイッター記事より

8月23日のダンデリオンツイッター記事をもとにしたラインや、諷虹・虚空の直接のやりとりです。


手塚治虫氏の「火の鳥 鳳凰編」にはいろいろな要素が盛り込まれていますが、その中で「ふるさと意識」に焦点をあてています。



火の鳥のシリーズ全体が「輪廻転生」の物語・・・「死と再生」・・・ですが、これと「母胎回帰と闇」という上原先生の言葉が妙にひっかかってきます。


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06:50 虚空
 8月23日のダンデリオンツイッター記事の転載です。

「お話」の中心は手塚治虫の「火の鳥」 「鳳凰編」の話題ですが、これは高校生の頃に私も特に愛好して何度も読み返していました。
お話 ⇒ もとの文 ⇒ 大体の意味内容 の順に紹介します。
 【お話】なぜか手塚治虫の漫画『火の鳥 鳳凰(ほうおう)編』を思いだしました。
主人公のひとり我(が)王(おう)は、荘子のこの部分の話とは真逆の存在でした。奈良時代、生まれてすぐの事故で片目と片腕を失い、村の中でいじめにあい、過(あやま)って殺人を犯します。逃亡し、盗賊として殺戮(さつりく)や強奪(ごうだつ)を繰り返し、再び誤って最愛の妻まで殺してしまいます。妻への疑いが誤解だと知って絶望し、良(ろう)弁(べん)僧正(そうじょう)に拾われて旅の供をします。

この間、病で鼻が醜く肥大しながらも人の心を取り戻し始めます。同時に我執や怒り憎しみの情念を持て余していた我王が、貧困に苦しむとある村人たちに乞(こ)われて「仏像」を彫りますが、自分のあらゆる邪念(じゃねん)や狂気をたたきつけるように彫った忿怒像(ふんぬぞう)が、見たこともない見事な、鬼気迫る仏像となって多くの人々に感謝されます。それから我王は怒りそのものを祈りとして彫り続けるようになるのです。

その後も無実の罪を被(き)せられて数年間牢に閉じ込められたり、苦難の連続を生きますが、いかなる時も自分の烈(はげ)しい怒りや妄執(もうしゅう)を力として彫り続け、観る者を圧倒し続けます。この世で最も醜(みにく)い我王の姿が、次第に神々しさを帯び始めてゆく。

東大寺大仏殿の鬼瓦(おにがわら)制作のコンペに出させられ、全霊を込めて生み出した鬼瓦はライバルを打ちのめすほどすさまじいものでした。が不正投票で落選し、のみならず過去の罪を暴かれて残る片腕を切り落とされ、放逐(ほうちく)されます。

両腕を失い、もはや生きるのが不可能なほどの体になった我王は、その後、奥深い山の中で、鳥獣(とりけもの)や草木たちと一体となって生き続けるのです。森羅万象の美しさを知り、涙し、鑿(のみ)を口にくわえて、まるでキツツキのようにして彫ることを続ける。荘厳(そうごん)な祈りに、生き続けます…

 (荘子 馬蹄篇第九―1二)
民には常性あり。織りて衣(き)、耕して食う。是を同徳と謂う。一にして党せず、命じて天放と曰う。故に至徳の世は、其の行は塡塡(てんてん)たり。其の視は顛顛(てんてん)たり。是の時に当たりてや、山には蹊隧(けいずい)なく、沢には舟(しゅう)梁(りょう)なし。

万物は群生して其の郷に連属し、禽獣(きんじゅう)は群れを成し、草木は遂(すい)長(ちょう)す。是の故に禽獣も係羈(けいき)して遊ぶべく、鳥鵲(ちょうじゃく)の巣も攀援(はんえん)して闚(うかが)うべし。
【大体の意味内容】民衆には恒常不変の本性がある。織り物をしてはその衣類を着、耕作してはその作物を食べている。それを同徳、すなわち万人に等しい徳(ありさま)という。統一された徳性を持ちながら決して徒党を組んだり、権力に束ねられたりはしない、名付けて天放、つまり天地自然(じねん)の摂理への解放という。ゆえに最高の徳に満ちた世では、人々の行いは塡塡(てんてん)としてゆとりがあり、眼差しは顛顛(てんてん)として柔和な光を宿している。

このような時代では、人々は自然(じねん)と一体となった生活をしており、山には小径(こみち)も隧(きり)道(どおし)もなく、沢には舟も橋もない。万物は群生して人々の村里にまで連なり、鳥獣も群れを成し草木は旺盛に繁殖する。だから鳥や獣たちも人々とつながりあって遊んでいる。木の上にある鳥や鵲(かささぎ)の巣にも、攀(よ)じ登って覗き込み、雛たちとじゃれあうこともできた。
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8月27日
07:37 虚空
皆さんは手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」を読まれたことはないと思いますが・・・今回のダンデリオンツイッター記事の内容なんかは、そういう意味でやっぱり意識のベースとしての「おうち」なんだと思います。大自然が自分を包み込んでくれている感覚・・・おうち そして ふるさと
8月27日 諷虹・虚空やりとりから
*火の鳥 鳳凰編 ダンデリオンツイッター記事にあった原作本を持参

虚空 高校の時に本当に繰り返し読んで・・・今でも意識のベースの一つだよ。

(諷虹 読破 ダンデリオンツイッター記事も読み直す)

諷虹 これをみて思ったのは東方の幻想郷ですね。そこで暮らす人々も江戸時代の頃の感覚・・・だからこそ妖怪とかとの共存も「自然」なのかな・・・と。

虚空 全巻通してこの我王はいろんな人物として描かれているんだけど、大元は猿田彦なんだよね。鼻のでかい。


諷虹 この鳳凰編しかまだみていませんけど、この我王っていうのが、最初から一番自然な生き方だったんですよね。幼い頃から・・・・。茜丸は諭されてもう片方の腕で彫り始めたけど、我王は両腕を失ってもあたりまえのように口でノミをくわえてキツツキのように彫る。
それもまた自然な考え方・・・手がないなら口を使う。


虚空 昔話題にしたけど 無手の法悦(しあわせ)    大石 順教著 は両腕を失って鳥をみて悟ったんだよね・・・たしか。鳥は嘴だけでみんなやっている・・・

「これを失ったら人生も終わり」っていうので、なくて当たり前の時代があったものをあげる人が多いじゃない。どこまで本気かは別にしてさ。

戦争時代に空襲だとかがいつやってくるのか分からない、あるいはかつての江戸の町・・・地震は大火事で家を焼け出されるのがあたりまえの世界・・・それは逆に物質にとらわれない自由な境地だったのかもね


諷虹 あの感覚にも近いと思うんですけど・・・妖怪ウオッチのプロデューサーの人が子供たちの「あと5分もある」って言葉に感銘を受けていたところ
時間があるから何かするっていうのは当たり前といえば当たり前のことですけど、「何ができるか」を考える前に「何かする」っていう生き方・・・子供の方が自然に生きているんでしょうね


虚空 そんな我王・・・猿田彦が天孫降臨の時にも先導役を勤めている・・・その輪廻転生の壮大な物語という位置づけでもあるっていうのは、これも大真面目に考えた方がいい問題だな・・・
8月28日ラインやりとり
10:27 虚空
先ほど「火の鳥」についてツイッターにコメントしたことです

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・ゆうべ諷虹君に「火の鳥 鳳凰編」を読んでもらいました。そこから浮かび上がってきたのがやはり「おうち意識 母胎回帰」のこと。大自然に抱かれてという感覚でした。
彼が読んだのはこの1巻だけなので、火の鳥前編を通しての壮大な流れについてはまだ触れられていないのですが・・・

・日本神話の中で登場する重要な神の中に猿田彦大神・・・天狗の元とも言われています・・・お祭りの行列などで先導役を務めることの多い神。その神が様々な形で火の鳥には登場するというのも大変に興味深いところです。自分には上原輝男先生の「犠牲論」と重なってくる部分もあって・・・

・火の鳥を高校時代に読んでいた頃、特に印象深かったのは「鳳凰編」「未来編」、意識に強くひっかかるものがあったのが「望郷編」「乱世編」・・・(もちろん他の話も印象深いですが)

望郷編などはタイトルからしてそのものズバリですが、母胎回帰等々の観点から全編通しで読み直してみようかな…
⇒ 実際に少しずつ火の鳥シリーズを読み返しています。
やっぱり「おうち」「ふるさと」「宇宙」というのがワンセットという感じがありますね・・・「母胎回帰」・・・「死と再生」・・・「甦り」・・・・
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