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アントワネット供養の視点?・・・江戸歌舞伎との接点 他 ガルパンと人間

☆2019年 6月21日 諷虹・虚空やりとり。虚空もガルパンを観てきています。

例の如く多様なやりとりになっているのですが、今回の大きなポイントの一つが表題にもあげた「アントワネットへの供養という視点が水島監督の中にあったのでは?」という観点です。


それは上原輝男先生が、江戸歌舞伎の「義経千本桜」を例にして説いているのですが、平家の怨霊を鎮めるために、花を持たせるような内容にした上で、またあの世に送りなおしているのではないか・・・という発想。


そんな意識が監督の中にも(自覚のあるなしは別にして)あったのではないか、と考えながら観てみると、違った面白さが出てくると思います。
*事前メモ
ダンデリオンツイッター 高山植物
⇒・咲との関連 
 ・量子論との関連(観測される と 存在)・・・青ブタ
 ・名前がつく (リリカルなのは)
ヒマワリフクロウ「錯綜」
⇒君の名は 青ブタ ひぐらし 咲(4人 +α による世界定め の一般化) との関係
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ガルパンのマリーさんのことからマリーアントワネットの話。
マリーアントワネットを明らかに題材にした歌
「悪ノ娘」 動画 https://www.youtube.com/watch?v=ODrIR1I528I

諷虹 お菓子に対する意識・・・・処刑の時間が午後3時だから「おやつの時間だ」といって処刑されたり、自分から戦争をしかけておいて・・・。自分の世界で生きている感じですね。

虚空 ベルサイユのバラの影響もあるんだけどさ、マリーアントワネットの境遇をふまえると、どうしてああいった行動をとる王妃になってしまったのか、ということがどうしても気になってしまう。

もちろん民衆を苦しめたことなどは悪いことなんだけど、この歌の作詞をした人は、そういったことは踏まえないで、アントワネットに関しての悪い逸話を誇張して組み立てていることに終始しているような印象を正直受けた。

虚空 (マリーアントワネットの境遇をおさらい 政治の道具、貴族たちの思惑に本楼された日々)

小さい頃から嫁入りして、民衆の生活も知る機会がなく、宮殿での舞踏会等々の日々を送っていたら、自分だって「食べるものがないならお菓子を食べれば」って何の疑いもなく言ってしまうかもしれないよ。

水島監督はさ、今回のマリーさんを、アントワネットだって、ああいった境遇でなければ素晴らしい女王になっていたかもしれない、っていう視点を持っているんじゃないのかな・・・。
でさ、歌舞伎の義経千本桜の知盛のように、もういちど甦らせて葬送をしなおしたのと同じような感覚で、マリーアントワネットの供養をしているような気持ちがどっかにあるような気がする。花を持たせる感じでさ。
そんな眼差しを感じる。

諷虹 そう考えると、安藤と押田の出会いも・・・愛情と憎悪の紙一重ぐあい。

ベルばらは読んでないのでわからないけど、アンドレとオスカルって恋仲の関係なんですよね。それがやっぱり水と油のね・・・幼馴染と主人公の感じ。


虚空 オスカルは女性でありながら男性の軍人として育てられた。アンドレはその家に仕える身で、オスカルの剣術の相手などをして子どもの頃からすごしていた。

いつしかアンドレはオスカルに恋心を抱くようになったが、オスカルはスウェーデンのフェルゼンに片思い。そしてフェルゼンはオスカルの仕えるマリーアントワネットの不倫の相手。このあたりがドラマになっていった。

さっきの千本桜だけど、江戸庶民の意識の根底には知盛を祟り神として非常に恐れていたという部分もあったから、花を持たせると同時に、碇につないだ太い縄を体にグルグル巻きにして海に身を投げるというクライマックスにしている。

「もう2度とこの世に甦って怨霊になどならないでくださいね」という願いを込めているんじゃないかと・・・上原説ではね。

水島さんはさすがにそんな風にはしていないけど・・・。代わりにアズミ先輩とのやりとりで、今後さらに名隊長になっていくことを予感させてシメてるよね。

諷虹 あとは試合後に大洗にお菓子をふるまう場面・・・還元するっていうかな。自分の私腹を肥やしたというイメージとは違った振る舞い

虚空 そこだと思うんだよ。本当に水島監督がマリーさんで描きたがっていたのは。
悪名高いマリーアントワネットに違う光をあてて、再評価してもらうため。

それは決してあの時の態度が良かったというわけではないけど、境遇によって人間は変わり得る・・・善人と評価されている人間でも、境遇によってはどうなっていたのか分からないよというのを、人間肯定の立場からいいたかったのかなと。


諷虹 ガルパン自体が戦車そのものをそういう立ち位置にしているじゃないですか。戦争の道具というのではなくて。

虚空 大洗の年配者の中にだって戦争体験者はまだいらっしゃるのにね。
そういう「絶対的にダメなのはいない」っていうのは一貫しているよね。
それが今回ので象徴的に描かれていたのが知波単学園・・・特に福田。
先週の「思考による感情・構え」の問題そのもののような描かれ方。言語操作性だよね。
でも最後の最後では西さんに「転進ではなく撤退だ!」と言語操作ではなく、ナマの気持ちを言わせて周囲をハッとさせている。これはなかなかすごいやりとりだったと思うよ。
操作する意識を突き抜けて、再び感情というかナマの言葉の世界に戻った。


諷虹 こういう考察的なことは別にして、「大洗が勝つんだろうな」っていう意識はあるじゃないですか。でもこの知波単はね・・・黒森峰戦よりもいい試合をしている。

虚空 知波単の持っている能力が上手く使えるようになっているよね。また水中でのかぶりものが登場したり・・・。

バレー部が福田にご馳走しながら助言している場面も、あそこからあれだけのことを掴み取って隊長に進言した福田の潜在能力。


諷虹 あとは、先週、そんな話になってもネタバレになりそうだったから黙っていたんですが、サメさんチームの旗のくだり。聖グロリア―ナとの練習試合前の塗装や飾り付けを西住は泳がせたわけじゃないですか。それでやられて気づくというような。

それを歴女チームは分かっていてもサメさんたちに言わないで「歴史はくりかえす」っていうのは・・・大事な試合でも失敗できる環境


虚空 それは意地悪とかで黙っている訳じゃないんだよね。そういった体験の蓄積こそが大事だと感じているから。

だから今の「失敗させない教師(大人)が素晴らしい指導者」っていう風潮は大問題だよ。
そりゃ命に関わるようなのはまずいけど、子ども時代に普通に起きる失敗・・・多少の怪我とかね・・・それは成長のためにも絶対必要。

でも学校もすぐに訴えられたり、SNSで批判が拡散するとか恐れて、本物の教育がどんどん出来なくなっている。
自分達が馬鹿みるだけだから、本当はよくないことだと分かっていても「ハイハイわかりました」といい加減な要望にも答えてしまう。

諷虹 手を出してしまう前に一旦冷静に考えるって、ナマの感情を一旦オフにしている・・・フィルターを通して変換して出していく部分ってあるのかな、って。

虚空 現代の若者だけじゃなくて、大人もね、すぐにブちぎれて何をするか分からないところがあるじゃない。あっというまに制御不能になる。

それはやっぱり学校とかがナマを扱わなくなっているし、地域社会の中でも大人の中でナマが出せる環境にない。
同じ年齢でのナマのやりとりだって怪しいもんだよ。スマホとか中心のやりとりはナマとはいえないから。

そんな中で育っているから、自分のナマが暴走したらどうなるのかも分からない・・・・ブレーキやハンドルの使い方を知らないで育つ。


諷虹 自分はメールがちょっと苦手っていうのは、後々残るとか考えすぎてしまうから。電話だとどんどん消えていくからいいんですけど

虚空 自分はメールでもラインでも言語操作性の意識はオフにしてるね。だから気分でバーッと書いてしまって、読み返さないで送信しちゃう。

諷虹 旅先で買ったものをあとで見た時の感覚に近い者

虚空 ちびまるこで扱っていたのは縁日でのおねだりだった。家にかえってきて、なんでこんなものをあんなに欲しいと思ってしまったのか、って。
自分の場合はさ、クラス担任した時に、本音を重視っていうことを初日に言ったわけだけど・・・まず自分が率先して大人げない情けないことを話した。それこそ恥も外聞もなく。その名残だね。

だから板書でも如何に自分が汚い字しか書けないのかを、ちゃんと披露した。
一番ビックリされたのは小2のクラスの時だよね。女の先生のあとで、学校の先生はすべて綺麗な字を書けるって信じていたから。

まあ都合よくいえばね「学校の先生だからって〇〇とは限らない」っていう発想をするための生きた教材になったわけだよ。


諷虹 それは一回戦のBCで肝に命じた・・・

虚空 知波単だからといって見下す仲間に警告を発した。

諷虹 隊長からね。・・・サメさんチームの存在ってももさんが隊長であることを忘れさせないためのものですよね。視聴者も「隊長はももさんだ」と言われるたびに「ああ、そうだった」と思い出す。

虚空 常に原点に立ち返る

諷虹 あとは大洗の街並みですね。だんだんとディープな大洗の世界に。特に第一回目の上映のときには笑いがでていましたね。地元の人達が観ているようなリアクションでしたね。

虚空 それだけ他県のガルパンファンにとっても大洗のあちこちが分かっている・・・「ふるさと」なんだよね。

諷虹 ももちゃんが勉強できないのは家庭環境もあったという

虚空 それがさっきのアントワネットの境遇と通じるところだよね。
単に勉強が苦手とかさぼっていたのとは違う側面をみせておく。もちろん受験はそういうことは言い訳にならないけど。

諷虹 短絡的な思考も幼い子たちと過ごしているからなんですかね。

虚空 あんな幼いきょうだいがゴチャゴチャいたら、そりゃ沈着冷静にはなれないよね。

諷虹 あの長さに本当によくつめこんでいる。
コアラの森も出てきましたし。

虚空 本当に最終章の最終をはたして観ることができるのかが真面目に心配になっているよ。それまでちゃんと生きているか・・・生きていたとしても、映画館にいけるだけの資金が手元にあるか(苦笑)
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虚空 戦車道とかだけじゃなくて、ボコミュージアムにも結構尺をとっていたじゃない。
その他チームの戦車の試合よりも気合を入れて。

だからさ、それこそひたち海浜公園のノリで大洗に作ればいいんだよ。映画館も併設してさ。普段も使えるように、大規模な公民館のような施設ということにしてさ。
子ども達も学校教育の一貫とかで気軽に利用できるようにしてさ。

諷虹 知波単って今まで縛られていた分、伸びしろは一番だったのかな、って。
⇒OP曲の歌詞 「真っ新な扉 開くなら」

虚空 未開発の部分だよね。実際に「大嫌い」とか「苦手」な教科の方が、その気になったときは一気に伸びるよ。

諷虹 去年でいえば競馬界は我々にとっては真っ新な扉だったわけじゃないですか。

虚空 それこそ深夜アニメとか萌えアニメとかが自分にとっては真っ新な扉だよ。

駿煌会キーワードの「添加」だって、極意はそれだからね。苦手だとか全く分からないとか・・・そういう方が新たな風を吹かせて可能性を秘めている。
そしてバタフライエフェクトを起こしうる。

成果主義だとか競争原理だとかで「パッと分からなければならない」「詳しくないとダメ」ってなっちゃうから、そういう結果がすぐに出せそうもないことにはみんな手を出さなくなってしまう。

それに互いに叩き潰し合いの風潮もあるから、苦手なことに挑戦しようと前向きになった人間に批判をしたりね。エリートの足を引っぱるな、どうせできないんだから邪魔にしかならない、って。

芸能人でもアニメとかでも、新たなファンを歓迎しない古参ファンなんていうのも、邪魔してるよね。世の中に新しい風が吹くのを。

ガルパンでだって、テレビシリーズの初期に、黒森峰の副隊長エリカが、大洗のような初心者学校は大会に出場するな、って発言してる場面があるけどさ。これはみみっちいエリート意識を必死に守ろうとしているネット社会の住人とか、狭い地域社会でしか通用しない学歴をひけらかして大威張りで生きている連中に、共通している意識だよね。

頑張ろうという意識に目覚めようとしている者を叩き潰すしかできないんだから・・・そうでもしないと自分達の地位やプライドを保てないなんて、自ら超小者であることを認めているようなものだね。


諷虹 このあいだ10話をみていて、まほって一度たりとも油断したり相手を見下す場面ってなかったじゃないですか。王者の慢心をみせない。
大洗の方が優勝校の慢心に陥っていたというのがBC戦で出たんだなと。

虚空 それを率直に認めるところがみほだよね。西隊長に「私達ちっとも変わっていなかった」って。結構マジで。


諷虹 西隊長の「まだーまだー」っていうのも、あれだけの早い展開でありながらあの溜めはね・・・。

虚空 まさに緩急自在の演出。

結局知波単って「日本軍」をふまえているわけだよね。
だからこれもね、第二次世界大戦での日本軍云々ではなくて、水島流の弔いしなおしじゃないかね。軍の規律に縛られ過ぎないこと。

もしかすると日本軍だけじゃなくて、国民もがんじがらめになっていたというのを初期の知波単になぞらえてね。

それは、柔軟な発想をすれば戦争に勝てたかもしれない、という意味でのことではなくてさ、ガチガチの頭の軍部が政治の実権をにぎらずに、柔軟な発想にたって国際社会の中で振舞えば、あのテレビシリーズて敵チームと仲良くなるとか、劇場版での共闘のように「本当の和」をリードできる存在に日本がなれたというのを示唆しているのかもしれない。

(再び福田とバレー部とのやりとりについて)
諷虹 意味を感じ取った福田も、食べ物に意味を込めたバレー部も、どっちもね

虚空 それこそ類化性能による一般化だよね。
どれだけ関係なさそうな分野に広げていくか。
それが生きた数学の発想でもある。
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やられる瞬間にマリーさんがお菓子を食べる ということに関して
諷虹「これまでの戦車戦の中で、もっとも潔い態度だったんじゃないか」
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