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駿煌会 児言態50周年参加後⑤ (2018年11月3日)

作文・・・イメージ運動・世界を定めていく・・・等々について

虚空 描きながらね。思ったことを作文に書くのか、描きながら思っていくのか。
今回の授業でも、前の方の子と個人的にやりとりした中で 最終的にどんな風になるか決まっていない。書きながら浮かんでくるから、多分書ききれない。どうしたらいいでしょう、って。紙はまだあるから時間いっぱい気のすむまでそのままの流れで書いていけばいいんだよ、っていうような助言したんだけどさ。
でも学校教育って「文章全体の組み立てを考えて書きましょう」っていう方に極端に偏っている。コバルト君なんかを担任した小学校2年生の教材でもそうだった。おおまかな作文の流れを魚の形をした図の中に書き込んで、それから作文を書いてみましょう、って。

うちのクラスでいつも書いていた「イメージ作文」とか、心の実況中継である「本音作文」なんていうのは、ちゃんと出来ている子ほど、どんな内容になるかなんて全く予期できなかったからね。そんなの鉛筆に聞いてくれ、っていうような。
諷虹 北斗の拳の作者が番組で「どうやって連作を生んでいるんですか」って聞かれて「毎週毎週苦しんでいるんだ」って。「先の展開は一切考えないで、考え着いちゃったら忘れるぐらいで何も考えないで机に向かって、じゃあ今週はどうしよう、って頭をかかえて作っている」っていうふうな。
ヒマワリ いいものが浮かんだらそれに向かってイメージをふくらませていく、っていうのとは違うんだね。
虚空 そういう人もいるだろうけどね。
ヒマワリ いいのを思いついたらさ、それに向かえばいいのに
虚空 漫画でも映画でもラストシーンを先に考えて、なんていう人もいるよ。
キャラが動き出す、なんていう人は先を考えないんだろうね。勝手に動き出しちゃうんだから、自分たちの今後が実際にはどうなるのか分からないように、物語の展開も先が読めないんだ、って。
ヒマワリ でもそれも自分のイメージで作られたキャラにひっぱられた故にキャラが動き出している。
虚空 そうなんだけれど、でも自分では予測できないっていうんだよ。
諷虹 「動く」っていうのはそれはやっぱり想定外ですよね。「動かしている」だとそれは想定内だけど。
コバルト こいつだったら、こういう風にとか
虚空 コマとして使うのか、本当に頭の中に生きて存在している別人格なのか。
それはさっきの授業中の生徒をどうみるのかと同じだよね。「生態研究」の授業だったら「どうなっていくんだろう」と見届ける姿勢。でも子供を自由自在に動かし染め上げるのが優れた教師、なんていう発想は子供をコマとしてしかみていない。だから独創的な子を「自分勝手な問題児」としかみることができない。
諷虹 「動いている」っていう感覚までいくと、自分の想定を超えて意志をもって動く
虚空 もちろん無意識の世界を踏まえれば「想定内」とも言えるわけよ。さっきあなたが言ったのもそういう意味だろうと思う。
でもさ、例えばビシッと役者に注文を出すようなタイプの映画監督はキャラを仕切る。小津安二郎とか伊丹十三なんていうのはそのタイプ。
シナリオでも漫画でもキャラが生きているのを追いかける感覚の人だと、最終的に「あら、こんな話が出来上がっちゃった」って・・・。
イメージ作文はそれ。小2で担任したとき作文嫌いだったコバルト君がイメージ作文で初めて夢中になった時に、授業が終わってもその流れを止めたくない、って。休み時間も給食の時間も食べないで書き続けたことあったよね。次の日も続きを書いていた。あれ、書き始めた時にはそんなこと全く考えてなかったでしょ。
もちろん事前に構想をガチッと決めて書くというのも大事な能力だけどね。でもそれにあまりにも偏り過ぎている。
コバルト そう、結局引っ張られて・・・手が追い付かないの。
虚空 いつ書き終わるのか?っていったって、そんなことオレに聞かれてもわかんねーみたいな。
コバルト 完成したっていってもまだ続いていた。
諷虹 今回の授業でもいましたよね。止まらなくなってしまった子。
ヒマワリ はみだしちゃった子もいたよね。
虚空 だいたい上原先生がいた時もそうだけど、そういった状態になった時にこちらは極力邪魔をしないように、っていうスタンスだったからね。授業・・・特に参観者がいる研究授業なんかだと、予定通りに進めなければならないということで、みんなが夢中に書いている状態になっていても、制限時間通りに全員にストップをかけて次の活動に集中させるから。それは「誘導する予定の流れ」が最重要課題だから。でも児言態は「生態研究」だから子ども達の反応に応じてかなり柔軟に対応していく。上原先生自身が授業を進めた女川での「読みの世界をひらく」の時だってそうだったよ。終わってみれば指導計画とはかなりずれた。
ヒマワリ 私も小学校2~3年生頃まではあった。物語の続きを考えましょう、でいつまでも書ける、っていうような。
虚空 ラストは考えてないでしょ
ヒマワリ ラストはもちろん考えてない。ただ、「もしかしたらこういうふうにまとまっていくのかもしれない」って思いついた時に、枚数制限がかかったみたいな担任の声がして、ああその枚数に収めないといけないんだ、って思ってその制限に合わせてそのオチに持っていこうとしてたかな。その制限がなかったらどうなったか分かんないんだけど。
コバルト でもフィナーレが決めてあったとしてもキャラが先立っているからそれに収まらなくなる・・・やっぱりそうはおさまらなかった、って。
ヒマワリ やっぱりそいつらの人生になっちゃうからね。だから永遠に続くだろう、みたいな。
虚空 漫画家でも何でもさ、それを複数のキャラで描き分けるでしょ。それらがやっぱりさ
コバルト 世界を作っている。
虚空 そう。それぞれのキャラによってつくられている世界が違うという事を作っているっていったらいいのかな・・・
コバルト この人物がいたらこのような展開にはならないだろう、っていう「特異点」的なこともでてくるし。
虚空 さっきのスラムダンクでいえばさ、桜木と流川なんて全くの別人だけど、同じ作者が生みだしているわけだよね。
その時に下手な人だと、自分の言いたいことをただキャラの口で言わせるだけ。それはコマだから。プログラムされた通りに動かそうとしているコンピューターのゆなものだから。だからキャラとしては不自然な言動でも作者の都合だけで動かして行ってしまう。
諷虹 花〇〇〇とか・・・。
虚空 自分がシナリオ書けないくせに人のことを言いたくはないけどさ、あの人間は本当にキャラも視聴者も全部自分にとってもコマ扱い。どんなに無理した展開、不自然な展開であっても、「俺が書いたんだから感動しろ」とでも言いたげな姿勢が露骨だよ。
ヒマワリ 誰?それ
虚空 ベテランなんだけどね。定評もある。でも自分に言わせればご都合主義。だから観ていてしらけちゃう。それこそ吉田玲子さんとか横手美智子さんとか見習えって。
諷虹 吉田さんあたりはかなりキャラが生きていますね。あれだけ何本も書いていて・・・自分の意識で書いているのってどの程度なんだろう、って。
虚空 吉田さんっていうのはガルパンの劇場版とか、のんのんびよりとか、この前みんなで観に行った若おかみとかの人。
ヒマワリ ああ!
虚空 ガルパンなんてあんなに登場するキャラが多いでしょ。でもちゃんと書き分けている
コバルト キャラが立っている
虚空 それが出来るというのは意識で書き分けているというよりは、一種の「憑依感覚」なんじゃないかな、って思うよ。作り出しているっていうのとは違った感覚。
よくさあ、このキャラが自分の分身です、っていう言い方をする人がいるけど、人によっては「全てのキャラが自分の分身です」って。これも面白いと思うよ。自分が意図的に操作できているから自分のコマとして「分身」なのか、それとも無意識を含めて自分の意思世界には様々な自分がいて、ほとんどがまだ未知なる出会った事のない自分・・・だから様々なキャラにそれが投影されているという意味で、どのキャラも自分の分身。どっちなのかは人によって違うだろうから。
今回の授業もそうだったけど、まだ気が付いていない自分、光をあてたことのない心の世界・・・そんなのがいくらでもあるわけだ。それを引っ張り出すための刺激として絵を使ったわけだよね。そんな風にして湧き上がってきたイマジネーションは、これまでの自分とは違ったイメージ運動をする。それが授業の中で他のイメージ運動と錯綜し、共鳴しあっていく。
より深い部分から湧き上がってきたものが時空を超越したこととつながっている。それこそ大宇宙とかあの世とか。
それが共振・共鳴を起こしてくれるのではないか・・・という期待を込めての授業だったと言えるわけだよ。
*⑥以降はまた別の機会に
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