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2018,12,01記録③ 上原輝男氏の「犠牲論」「稚児」から「宿命」に関するやりとりへ 

(②続き)
虚空「フェイトの最初のシリーズのマスターで見た目ではイリヤが一番最年少で、一番燃費の悪い英霊を召喚して、最後はあんなむごたらしい死に方をしているでしょ。
   上原先生の犠牲論とか、稚児論との関係で考えた時に、稚児と庇護者 なんていう関係が、イリヤにもラストオーダーにもいえそうだよね。」
諷虹「改めて犠牲論っておさらいすると」
虚空「結果じゃないというのが上原流の特徴。結果じゃなくて、もう神様によってご指名を受けていた資格者。特殊能力の持ち主だったりすると、普通の人間以上の過酷な試練がね。貴種流離譚が結局それ。」
諷虹「運命と宿命の違いってまさにこれみたいですね。宿命が犠牲。」
虚空「事が起きる前から決まっていた。ただ、日本人は現世に主軸を置いていなかったから、宿命を単に悲観的に受け止めるだけではなくて、そこから積極的な解釈や生き様を探求した。
   宿命であっても、そうなっている肉体は変容の余地もある。」
諷虹「宿命と運命・・・魔法少女もので出てくる定番ですが。まどマギにしても なのは にしても、そうでない選択肢も用意されているわけじゃないですか」
虚空「難しいのはさ、まどかでは何とかほむらがそのまどかの運命を変えようとして頑張るけど、結局どうあがいても、何度時間を逆戻りさせても結局まどかは魔法少女になって、悲劇を迎える。
   そうするとまどかでは宿命は変えられない という結論になってしまう。
   でもそこに「犠牲論」を添加すると意味合いが全然違ってきてしまう。
   簡単にいえばそれがまどかがこの世に生まれた意味であり、お役目。まどかにしかできない「宿命」というよりは「使命」。
   それを果たすために産まれてきたのだから、勝手に変えることは許されないし、できない、という発想。
   問題は「これが使命を押し付けられたと受け止めるかどうか」という点。
   生まれる前にあちらの世界で今度の人生はこういったことが課題だと打ち合わせをして生まれてくる、でも主体性の確保のためにそういった打ち合わせな内容は忘れて生まれてくる、って。
   だから使命を忘れた人生を歩む人間の方が多数派。
   それが、内なる無意識の世界とのコンタクトが敏感にとれる人間は、自ら無意識に大変な方を選んでしまって苦しむ。この世的には。
   自分自身の今の境遇が使命なのかどうかは分からないけどね・・・あんな親戚たちの身勝手を許すことが使命なんては思いたくないし・・・」
諷虹「過程ですよね。結果は変わらないですよね。この世から消えるという点では。でも単なる魔女として消えるのが、多くの魔法少女・・・過去も含めてすべての絶望を飲み込む存在となりえたわけですよね」
虚空「そうなるためにあの繰り返しが必要だった・・・ただ、西洋的な神の発想と違うのは、神の意志でコントロールされてそうなったのではないという点。
  自由意志と宿命と運命・・・そのあたりのせめぎ合いと 心意伝承とのコンタクトや垣間見の能力・・・人間としての主体性。
  俗な言い方をすれば させられる勉強 から 自らする勉強 という転換。」
諷虹「ここまではテレビ版のまどかの内容ですよね。
  でも反逆の映画でも 打ち合わせを忘れて というのがね。そこになぎさとさやかが庇護者として一緒にいて、最後に思い出せたというのが犠牲論とつながるのかな、って。
もうちょっというと最後は終着点まで変えてしまっているわけですよね。宿命さえもねじまげられる悪魔にもなりうる」
虚空「うちにくる宗教の人たちと何度も話題になっている全知全能の神が、なにゆえあんなまぎらわいし知恵の木を野放しにしていたか、悪魔が存在できたか・・・。もしかするとそこに日本人的な積極的な意味合いもあるのかもしれない、って。」
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