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2018,12,01記録④ 落語「死神」の話題から「オチ」「サゲ」からの構えの獲得

諷虹「落語の死神 も、主人公の寿命をかえてしまう・・・因果を超越・・・でも調整も自分でしなければならなくなる」
落語「死神」ラストや昭和元禄落語心中のクライマックスを視聴。
ネットで様々なサゲのバリエーションを検索。
諷虹「アニメでは夢落ちとしてしまうんですが、そういう手もあるんですね。同じ話でもいろいろと変えられる・・・演じながら変更もできるとか」
虚空「まさに人生ってそうじゃないか。だから絶対的な宿命、逃れられない宿命も、イマジネーションのオブラートにどう包むかで意識世界そのものが変えられる。
   で、意識世界がその人間にとっての真の現実なのだから、宿命すらも転換できたと思えるんだろうね。他人がどう言おうとも。」
諷虹「落語の死神で天啓を受けた、っていうのが面白いですよね」
アニメ内での師匠のセリフに「子どもっていのはとんでもない生き物だねえ」・・・師匠の生き様の転換には常に子どもがいた。何人かの子どもによって生き様を支配されていたようなものだった。これも稚児でありライフインデキス(生命の指標)としての存在。(トランスフォーメーションを引き起こす存在)
平成落語心中で師匠が死神のお迎えを拒絶するも、結局あちらの世界へ。
虚空「果たして虚空の運命やいかに・・・」
諷虹「さっきのお稚児さんの話ですけど・・・、死に際でも若手の練習などをはさんでから旅立つというのがね・・・」
虚空「月並みな言い方だけど 代送り が済んだから、それ以上いたらかえってみんなの主体性を阻害するから旅立つ・・・うちのオヤジなんかはそれが口癖だったし、上原先生だって 僕がいるといつまでもみんな僕を頼ってしまうから、なんて言ってたからね。
   どこで去るのが一番いいのか・・・・自分もいつお迎えがくるか分からないけどね。
   12月を迎えて、ああ、今年も師走を迎えられたって夜中に思っていたんだけど、明け方に観た夢っていうのが、前半は学校に勤務することになって、後半はこれまでの人生をぼやいていたら、いつのまにか死んだはずのじいちゃんがわきにいて話を聴いていて・・・。
   そんな夢をみたからね。来年公開のガルパンだって観ることができるかどうかなんて分からない、ってどうしても考えてしまう。
   もう自分の運命をいい意味でひっかきまわしてくれるようなお子様たちとの関りもなくなってるしね。トランスフォーメーションのきっかけもなかなかね・・・」
落語心中 あの世での寄席のシーン
お囃子演奏の前に笛などが入る・・・魂を召喚して、お囃子で生命力を掻き立てる という手順を踏んでいる。
*虚空、自分の寿命が近いかもというようなことについてあれこれ語る。教材につかえるかもと、今でもせっせと様々な番組を録画したり、本を買っている・・・それも単なるごみとして行政に処分されるんだろうと。
諷虹「(数学者)オイラーが目がみえなくなってからさらにすごい業績をあげたっていうのも、見えないからこそ、様々な可能性がみえる・・・真っ暗だからみえる」
虚空「それを意識の上でやろうとするのが、論理性なのかもね。自分の思い込みなどの縛りから解放してくれる。理にかなった制限が、逆に無限を見せてくれる。
   筋道がたつ部分の可能性を全て網羅した上で、そこをよりどころにして、今度は論理を超越しら世界に羽ばたける。
   そのエネルギー源がワクワク・ドキドキ・・・ハラハラだって武器になる。
   今日の話のつながりも、論理的ではないけれど、でも全く関係ないことではなくて、ちゃんとある種の必然性や流れがあって、展開していく。」
諷虹「さっきの落語心中でも枕の部分がサゲにつながっているじゃないですか。ちゃんと」
虚空 「思考として、上原先生が 論理思考 だけじゃなくて、 感情思考 や イメージ思考というのもあげている。
   今回の原稿にもそれにはふれたんだけど、思考を考える時に、それらもふまえてきちんと整理する必要はあるね。 」
*ネットで「まくら」を検索
虚空「前にも話題にしたけれど、どうしてあの部分を 話のまくら と言ったかだよ。単に冒頭というのではない意味がある。
   そもそも クラ という音声には 蔵 鞍 と、大事なものをしまう、乗せるという意味合いがあるわけだから。」
諷虹「さっきの死神でも始まりと終わりが一つの円になっている感覚もありますよね。ピタッと決まって終わりという感じ。輪になる感覚。
   馬につける鞍だと、この話全体の部分が最初から最後まで運ばれてくる・・・一つのキーワードを貫いてひっぱっている。
   オチによる連鎖反応・・・同音異義語」
虚空「類化性能なんてそういうのを活用するわけだからね。」
諷虹「演目を決めないでやっているっていうこともあって・・・お客さんの雰囲気や反応をみてから決めるとか」
虚空「駿煌会やここでのことも毎回そうだよ」
諷虹「落語の内容って一回聞いただけでも結構覚えているもんなんですよね」
虚空「それはあれじゃない・・・庶民の伝統芸能っていうことは、それだけいろんな人間が受け入れる素養があるものが残ってきた・・・それだけ普遍的なものを含んでいたということだから。
さっきの「オチをつける」とか「サゲ」っていうのもさ、落語って庶民にとっての日常の娯楽だったわけだけど、その中で自然に親しんみながら、そういう締めくくりの仕方があるという構えを学んでいたともいえるんじゃないかな。
人間関係でトラブルが起きてこじれまくったり、現実対応で行き詰まったりしても、どこかで「オチ」をつけて一区切りできるんだと。そしてそこから仕切りなおして再起動すればいいんだと。そういう知恵のエッセンスだったと思う。
今はそれがないから、それこそ悩みや苦しみが永遠に続くように思い込んでしまったり、自ら無限ループにはまりこんでしまって、抜け出せなくなってしまうんじゃないかな・・・。
   
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