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☆「江戸庶民の発想」から④ 諷虹・虚空やりとり-2「聖女」「色」 (2019,02,09~)

*「シスター」が過激な設定で描かれることが多い、という話題に。
虚空 とある魔術の・・・でもそうじゃない。シスターたちは戦闘集団。
諷虹 シスターじゃないけど、はたらく細胞のマクロファージもそうじゃないですか。
虚空 笑顔で鉈をふりまわして病原菌を血祭りにする。
上原先生の「殺しと血の心意伝承」・・・「聖女と殺し」というよりは「血」
諷虹 魂の救済?
*諷虹 「シスター 銃」で画像検索・・・かなり出てくる 「シスター 剣」でも
 
諷虹 十字架だから銃とかけているなんていうことありますかね・・・ないか。
「シスターゾンビ」が出てますけど「ナースゾンビ」ってのも主流ですよね・・・本来救済の存在がそうでなくなる・・・
あとは「白」に対しての「血」っていうのもあるんでしょうね。
みんな女性。
 
虚空 だからさっきの「聖女と血」なんだろうよ。折口先生でいえば女性の位置づけで「水の女」っていう論文があるけど、それとも深いところでつながっていると思う。
その中に水辺で神にささげる機織りをする娘っていうのも出てくるんだけど・・・このはな綺譚にもいたじゃない。あのアニメ「君の名は。」なんていうのもベースはそれだと思うしね。あと「若おかみは小学生!」も。
諷虹 鶴も水辺の鳥っていうイメージだから「鶴の恩返し」で機織りするんですかね
虚空 「白鳥の湖」なんかも日本人のドツボにはまっているのかもね。白鳥と黒鳥・・・犠牲論・・・。
それこそ鶴や白鳥が撃たれたり罠にかかっていたりして血にまみれて、なんていったら鮮烈なイメージが浮かぶ。
諷虹 白装束ですよね。白い着物をきている女性が夜立っているから怖い。
虚空 もちろん西洋人だってさ、天使のイメージは白っていうのがあるんだろうけど、日本人はそれももっと拡大して白鳥だのなんだのにもね・・・想像上の存在ではなくて、身近なところにそうした神の使いがあちこち存在している。
諷虹 昨日の「鳥は自由か」の話・・・「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」あれは不自由さを歌っていますよね。
虚空 前なんかのドラマでもやっていたけど、白鳥って優雅に浮かんで水面にいるようにみえて、水面下では相当足を動かしている、って。そういう部分を見せない。
諷虹 けいおんのエンディングにもそんな歌詞があります。
「白鳥たちはそう 見えないところでバタ足するんです」
虚空 現代人はそういう見えないところを観ようともしない・・・楽そうなところだけをみて、それを楽に自分もゲットしたいと望む。かげで苦労があるんだということを知ったら、自分のダメさ加減を自覚してしまうことになったり、やっぱりそれなりの努力をしなければならなくなるから、絶対にそういう部分をキャッチしようとしないのも多いよ。
諷虹 「みにくいアヒルの子」っていうのは・・・
虚空 幼稚園の卒園間際の会で劇やったときに、アヒルの子の役の一人だった。「お前は醜いガーガーガー 僕らの仲間じゃありません」って歌ったのをそこだけ覚えてる。
諷虹 白って何にでも染まれる色なのに、白鳥は周りに染まれない、って描かれ方をしていることが多いですよね。
(GAのコミックをパラパラとめくり)今たまたま色鉛筆の話がのっていたんですけど、色鉛筆を使いこんでも「白」だけは長いまま、って。(笑)
虚空 自分は白鳥でも何でもなかったけどさ、さっきの部分をやたらと覚えているっていうのもね、もう幼稚園の頃からいつも熱を出していて半分以上休んでいたから友達もいなくて孤立してたんだよね。それだから意識に強烈にひっかかっているのかも。
諷虹 白が強すぎると色がのらないのかな・・・背景の白にぬりつぶされる・・・ホワイトアウト。ブラックアウトもありますよね
虚空 協調性がなくなるっていうイメージ?
諷虹 ブラックアウトって言葉からすると「黒の向こう側」っていうことですかね
虚空 黒の向こう側にどんな世界があるんだろうね。ブラックホールの底を学者たちがいろいろ考える
諷虹 (ネット検索)この場合のアウトは「完全に」っていう意味らしいですね。だからブラックアウトは「完全な黒になる」

虚空 純黒っていうか・・・漆黒だね。
諷虹 ネット検索・・・
世界で最も黒い物質 黒すぎて凹凸が認識できなくなる。光の反射率がが0.035%だそうです。ベンタブラック。

そう考えるとさっきラインにあった「光の混沌」なんていうのはまだまだ可愛らしいものですね。混じり合おうとする余地がある。でもこれなんかは相手に歩み寄るんじゃなくて、ただただ吸収してしまう。例えば赤と青を混ぜたのに赤になるみたいな感じ
虚空 共鳴もへったくれもないね。
諷虹 全てを黒にしてしまう黒と、全てを白くしてしまう白をぶつけて、交じり合わせるのが混沌・・・なんですかね。矛盾の逸話じゃないですが

どっちが勝つのか、何が生まれるのか・・・夢の対決とか世紀の一戦みたいな
一時期「ジェイソンVSフレディ」とか「エイリアンVSプレデター」みたいなのが流行ってましたよね
神の数式の数学分野と物理分野の~って話につながりそうですかね
*コバルトブルー ラインでサイト紹介 言葉の重ね合わせと色
https://blog.goo.ne.jp/pogichan/e/8405fa689a20faf86bc65e4696331487
諷虹 ♪ あーかい あかーい 赤い仮面のV3・・・
虚空 アマゾンライダーだってさ、最初は良かったんだよ。でもすぐに服を着て日本語が話せるようにしちゃって・・・それじゃあ普通のと同じだ、って。
レインボーマンもさ、様々に化身するから面白かったのに、合体の術なんていって変化しなくなった。キャラの持ち味を製作者みずからの手でなくしていってさ
 
諷虹 色とか調和じゃないですけど、その場合は混ざることによって凡夫になってしまっている感じですかね。レアな色なのに、混ぜたことによってありふれた色になってしまうような。
虚空 仮面ライダーもさ、シリーズが進むにつれてライダーも怪人もどんどんケバケバしくなって、ド派手・・・いきつくところまでいって、原点回帰したのが仮面ライダーブラックだったんだけど、それもまたあっというまにど派手パターンになってしまった。
でも最近、シリーズが進んでもそういう方向にならなかったのがあった・・・何だっけ。思い出せない・・・。足し算じゃなくて引き算
諷虹 シンプルな小ネタの方が味わいがあったり・・・
青は藍より出でて藍より青し、 って言う言葉がありますよね。引き算的というか、割り算的というか。調和ではなく、抽出・洗練されることによってより質の高いものになる
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☆「江戸庶民の発想」から③ 諷虹・虚空やりとり-1「混沌」・・・魔女・たそがれ時 (2019,02,09~)

☆2019年2月9日 諷虹・虚空
ラインのやりとりでの切り込み方の傾向について
虚空 昨日の「川の流れのように」タイプと、「川の流れを自ら作る」っていうタイプがあるのかもね
諷虹 自分は「合気」かもしれないですね。10の力で来たのを違う方に流す・・・水門を開け閉めしてせき止めたり違う方に流したり・・・
虚空 自分はさ、例えば自主制作映画を作っていた頃なんかは市川崑とか小津安二郎に憧れていたこともあって、厳格に構図とかを優先していた・・・だから川の流れ方も方向もすべて決めるみたいな。でも学校で撮るようになってからは180度ひっくりかえったね。それこそ川の流れのままに・・・自然(じねん)に・・・。
授業なんていうのも原則としてはそんな感じだったかな。意図的に制限を加えての場合は極端に規制したけどね。
*コバルトブルー「光の混沌」とラインで発言
諷虹 混沌っていうと普通は「光と闇」が混ざり合ってという感じですよね
虚空 でもこの流れだと、光そのものの混じり合い
諷虹 なんだか、混沌の元である光と闇自体も、いろいろなものが混じり合って光と闇になっているような・・・素粒子論のような・・・
虚空 次元の圧縮のイメージもあるかな。M理論の・・・。
諷虹 GAのアニメ最終回に出てきた ヘクセンケッセル・・・魔女の大鍋。あれも結局いろいろなものを煮込んでカオス状態になっている。
虚空 それも次元の圧縮でいえば、鍋の中は様々なものがるけど、遠くから見れば「ただの点」・・・
諷虹 (元ネタのコミックを持ってきて)・・・外国の慣用語で大騒ぎとか混乱という意味
(別サイト)http://tabi.chunichi.co.jp/blog/majyo/2015/01/003276.html
旅をすれば、喉も渇くし、お腹も空く。このあたりで一休みして、魔女の料理に舌鼓といきたい。魔女の料理といえば、ヴァルプルギスの夜の宴では塩なしパンや腐ったチーズが供されたと言い伝えられている。これは遠慮したい。ヴェアニゲローデの大通りに「ヘクセンケッセル」という名のレストランがある。ヘクセンケッセルとは毒草や蛇、蛙などを入れてぐつぐつ煮込む魔女の大釜、つまり阿鼻叫換のことをいう。容易に想像できよう。同じ通りに「ハルツブルート」(ハルツの血)というレストランもある。グループでシェアして何皿か食べれば、お腹の中はまさに魔女の大釜状態。
虚空 たしかに小さい頃にアニメとかで魔女がイッヒッヒと笑いながら大鍋に怪しげな材料を一つ一つ入れている場面っていうのは「エー」って思いながらも楽しんでいたね。
諷虹 さっきヘクセンケッセルでパッと思いついたのは百鬼夜行のイメージだったんですよ。妖怪っていろんなものがいるじゃないですか。それが一気に来るようなイメージが。ですが、「ヴァルプルギスの夜」では
(以下、サイトの解説)
古代ケルトにはバルティナあるいはケートハブンと呼ばれる春の祭りが5月1日にあり、この祭りの前夜がヴァルプルギスの夜などと呼ばれ魔女たちがサバトを開き跋扈(ばっこ)するなどと伝えられていた。ケルト人たちは1年を暖季と寒季の2つにわけ、暖季を迎えるこの日を、寒季の訪れる11月1日のサァオインあるいはハロウマスの祭り(ハロウィンの由来になった行事)とともに季節の変わり目として大切にしていた

(中略)歴史的なヴァルプルギスの夜は、キリスト教到来以前の異教の春の風習にちなんでいる。ノース人の風習では、ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。北欧神話の主神オーディンがルーン文字の知識を得るために死んだことを記念するもので、その夜は死者と生者との境が弱くなる時間だといわれる。かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことにつながる。
 
諷虹 日本でもそうじゃないですか。死者と入り乱れるお彼岸とかも「暑さ寒さも彼岸まで」って季節の節目。なんか共通している。お盆・ハロウィン・ヴァルプルギスの夜・・・
その夜は死者と生者との境が弱くなる時間
 
虚空 それが毎日ということになると「黄昏時」っていうことかな。千と千尋のあの冒頭シーンだって黄昏時だもんね。それのスペシャルが彼岸がお盆となるわけだよね
 
諷虹 「逢魔が時」・・・付喪神とか、ゲゲゲの鬼太郎の夜は墓場で運動会、っていうような住み分け
 
虚空 今西進化論のキーワード、出た!(住み分け)
諷虹 「誰そ彼」・・・シュレーディンガーっぽいですかね。観測できなくなる。
虚空 人がいるのは分かるけど、誰なのかは分からないレベルの暗さ。いるようでいない、いないようでいる。まさにあの世とこの世が交錯する境界領域の時空世界
 
諷虹 まどマギでワルプルギスの夜を最強の魔女と位置付けて・・・その時間軸のラスボス、シメということじゃないですか。それがやっぱり死者と生者の入れ替わり・・・新たな時間軸に旅立つ・・・まどかもほむらも
虚空 全人類もだよね・・・
諷虹 それの境界にワルプルギスの夜を置くというのがね。

ちょっと話が変わりますが、ドラクエで死んだ仲間を蘇生させるのは教会なんですよね。
虚空 そういうようなイメージって西洋の教会にあるの?
諷虹 ないんじゃないですかね・・・
(サイト解説)
本編ではDQ2以降(およびリメイク版DQ1)に登場する施設。イメージとしてはキリスト教カトリックっぽいが、実際には違う宗教のようだ。【神父】や【シスター】が奥の祭壇に立っており、話しかければ「生きとし生ける者はみな神の子~」といったような言葉と共に対応してくれる。
主には、仲間を生き返らせたり、毒の治療といった不利な状況を改善してくれたりする有り難い施設。但し、蘇生などには寄付金が必要。
因みになぜ教会で治療をするのかというと、ドラクエのモチーフとなったゲームのひとつである『ウィザードリィ』にて毒や麻痺などで負傷した仲間を教会に連れて行き回復していた事から。
 
虚空 日本古来の霊魂観っぽい部分は感じられるね。肉体は器、そこかから魂が出て行ってしまったのなら、呼び戻せばいいじゃない、という古代日本人にとってはごく自然な発想。
 

☆「道」と「自然(じねん)」④  諷虹・虚空やりとり-3 「人間の特性・魅力」「やらせに神経質すぎる?」等々 

諷虹 AIがその頃にあったらどうなっていたでしょうね
虚空 今はまさにあるわけだよ。で、どんどん人間の領域に踏み込んできている。だからこそさNHKのAI入門番組のキャッチフレーズじゃないけど「人間って何だ?」というのが問われる時代。人間らしい「自然)じねん」さを本気で追求しなければならない時代。

それなのに逆にAIに学ぼう、頼ろう、っていう方向にばかり世の中は暴走している。教育界もそうだと思う。
それこそ「主体」と「客体」が逆転している。人間の脳を模倣してAI研究というのが出発点だったはずなのにね。

だいたいさ「共振」「共鳴」なんていうことから類化性能も発揮して「宇宙レベルまで」なんていう発想の仕方をAIが獲得するのはいつなのか・・・本当にそこまでいけるのか。

それを子ども達は馬鹿みたいに場数をふまなくても生得的にできているイメージ世界を持っているし、知性や論理性を獲得して以降は、そこからさらに飛躍できる。ディープラーニングなんてしなくてもね。
諷虹 アニメ演出で上手に嘘をつく感覚っていうのもね。
あと今の「やらせ」に敏感な世界っていうのも何なんでしょうね。演出っていうことが浸透していないんですかね。
虚空 映像なら真実、っていう錯覚が長く続いたからね。写真雑誌だってそういうことでしょ。「ダイエットの前・後」写真もね。
今だったらちょっとPhotoshopなんかの使い方をおぼえれば合成写真も痩せた写真も簡単に出来てしまうしね。
今まで信じていた映像に裏切られたという感覚があるのかもね。

でもさ、同じ映像素材だって編集の仕方やBGM・ナレーションのつけかたでどうにでもなる。映像編集を長い事やっていたから、それは本当に痛感していた。
だから世の中が「やらせ」で大騒ぎしているのはどこか冷めた見方をしていたかな。ドキュメントだって、作為がなくても番組としてまとめた以上は演出意図は必ず入る・・・これは宿命。
諷虹 かつてはテレビが真実と思われていたんでしょうけど、今は怪しいものが多いネットの方が真実と思われているような・・・

虚空 それはさ、もしかするとネットは「素人が投稿」しているから真実・・・テレビ局のような「加工」はされていないという思い込みがあるのかもしれない。素材のまま。
諷虹 そう勝手に思い込んでいるだけじゃないかな・・・・・。勝手に自分の中で虚構を作って、勝手に裏切られたと・・・
虚空 アニメで自分の思い通りの展開にならないと激怒して、っていうのもそうかもね。
諷虹 世界の中ではプロレスでも「八百長です」って公言しているけど、それでも熱狂して観ている
虚空 アニメやドラマだってシナリオや演出家の作った世界を楽しんでいるんだからさ、目くじら立て過ぎない寛大な気持ちっていうのもね。

諷虹 最近は誰が悪者なのか分かりにくいのが多いじゃないですか。そういう意味ではリリスパは勧善懲悪・・・昭和気質っていうかな・・・。
虚空 根底には普遍的なものがあった上で表面的にはいろんなアレンジっていうのとさ、中身がカラッポでみかけだけ奇をてらうっていうのは別物だからね。
人間の魅力だってそうじゃない?見てくれだけ体裁をとりつくろってもさ・・・。
「盾の勇者の成り上がり」なんて観ていると主人公たちの根幹はかなりガチ。昭和のある時代に一世を風靡した市川崑監督の「木枯らし紋次郎」っぽいとろこがあるからね。
ヒロインはいい意味での「かあちゃん」気質にどんどんなってきているしね。最初は「奴隷と主人」という関係だったのに・・・
諷虹 ルパン三世にもありますよね。次元のセリフで「今回ばかりは降りるぜ。付き合いきれない」なんていっていて、ピンチになるとやっぱり来てくれる・・・。
虚空 紋次郎も次元もどっちもクールだしね。見た目は明らかに情が薄いというか・・・でも見えない部分には優しさが隠れている・・・今風にいうとギャップ萌え???
諷虹 ギャップ萌えというか・・・それも演出なんでしょうけどね。「今回ばかりは」が何回あるんだろうって・・・。それに頼り過ぎているのか・・・お約束になってしまえばいいんんでしょうけどね。

今ふと思い出したんですけど北斗の拳の「雲のジュウザ」・・・誰にも縛られないような雲のような存在・・・「かぶき者」と解説サイトでは紹介されていますね。
重要な役割を果たしたわけではないけど、キャラの魅力だけで読者のハートをつかんだ、って書かれていますね。また「笑顔」についても触れられていますね。
⇒俺は食いたい時に食い、飲みたい時に飲む
俺はあの雲のように 自由気ままに生きるのよ
防具があってはそこに油断甘えが生ずる!!
我が拳の真髄は背水!
我が拳は我流!我流は無型!無型ゆえに誰にもよめぬ!
おれは雲!おれはおれの意志で動く
⇒彼の行動が人々を惹き付けるのは、そこに「笑顔」があるからだ。彼はとにかく笑っていた。死を覚悟した後も、そして死んだ後も笑っていた。その笑顔は一つではない。ユリアを忘れるために作られた偽りの笑顔。虚無を彷徨う己自身への呆れにも似た笑顔。ユリアと再会し死を享受した覚悟の笑顔。そしてラオウの秘孔に打ち勝ち、己の自由を貫き通した事に対する勝利の笑顔。あらゆる場面で様々な笑顔を浮かべるからこそ、ジュウザの行動には魅力と凄みがあるのだ。
http://www.geocities.jp/hokuaniken/chara/hokuto/main/juza.html
虚空 バガボンドの武蔵の境地だね。

このキャラの説明を読んでさ、駿煌会にあてはめたら志向が似ているのが二人思い浮かんだ・・・
諷虹 ジュウザについてどう思ってるでしょうね。・・・・

☆「道」と「自然(じねん)」③ 諷虹・虚空やりとり-2 「川の流れのように」から「老子の 道・自然」へ

諷虹 歩くということも自由だけれど、山あり谷あり・・・でもその地形っていうのがない
分「空」は自由って感じが強まりますよね。微分積分の発想じゃないですけど、空から見ると球体に見えても、地上では平面、あるいはさっき言ったような地形がぐちゃぐちゃあってとても球体だとは思えない・・・
虚空 明日ちょうど朝から雪なんていう予報だから・・・
諷虹 ああ、あの道ですね。(葛西先生からの新聞記事)
虚空 道をすべて雪が隠してしまう。
諷虹 『川の流れのように』の歌詞も・・・・だいたい「美空ひばり」っていう芸名からして(本名 加藤和枝)・・・「陸海空」っていう感じですよね。
美空ひばり きちんと歌ったものとしては最後の映像とされているもの https://www.youtube.com/watch?v=d_Ns_B23LT0
歌詞検索
知らず知らず 歩いて来た
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や
曲がりくねった道
地図さえない
それもまた人生
ああ 川の流れのように
ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように
とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢探しながら
雨に降られて
ぬかるんだ道でも
いつかは また
晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように
おだやかに
この身を…
虚空 「でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生」っていう言葉が初めて意識にひっかかってきた。
だいたいこの歌ってさ、美空ひばりのことは詳しく知らなかったんだけど、ドキュメンタリーをみたら、この歌はほとんどステージで歌ってないんだってね。もう体が限界の時期で。それでも代表曲のようになっているっていうのは・・・・。
余談だけどさ、美空ひばりが他界したのってかなりお年を召してからだと勝手に思っていたんだけど・・・
諷虹 52歳ですね。 (ネット検索)石原裕次郎も52歳ですね。普通の人がもっと長生きしての人生よりもすごい52年間ですね。
虚空 それが驚きだったんだよね。今の自分より若い年齢だった。その最期の頃のドキュメントだったんだけどね・・・。病と闘いながら壮絶な最期だったわけだけどさ・・・自分もこの数十年ずっと・・・でも美空ひばりの足元にも及ばない。薄い人生。
諷虹 東京ドームのこけら落としコンサートの名称が「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」っていうのもね。
虚空 「荒野のコトブキ飛行隊」から「美空ひばりの不死鳥伝説」まできたね。こんな風に話がつながっていくのも、ある意味では知識とかに変に縛られないで話をつなげていっているからだろうね。それこそ「ああ 川の流れのように おだやかに この身を…」のごとく流れに自然にのって話を展開していったら・・・いつもそんな感じだよね。
諷虹 (劇場版 ガルパン で)継続高校の時に「風」って話題にしましたよね。道行とかとも結び付けて。あの頃から下地はあったんだと思いますね。
虚空 この前のダンデリオンさんの事から話題になった「自然(じねん)」とか、今回の「老子が嫌わなかった「智」って
『老子』全編を通じて忌み嫌われている『智』とは、宇宙・自然・世界・時間(じかん)・空間(くうかん)・人間(じんかん)(『人間(にんげん)』とは本来は「人間(じんかん)」です)の力動的(ダイナミック)な均衡(バランス)をつかさどる「道(みち)」の「徳(はたらき)」をゆがめたり狂わせたりするような、 利益に偏(かたよ)った「智」なのです。
での「智」とは逆の「智」・・・「川の流れのように」のような発想だと「自然(じねん)の智」っていうことになるんじゃないのかね。
諷虹 (ネットで震災復興にまつわる多重下請け問題のサイト。)
虚空 茨城県や千葉県だってそれなりの被害を受けているし、今でもあちこちに傷痕は残っているけど、世間的には被災地扱いされていない。それは宮城や福島と比べると微々たる被害だろうというのもあるんだろうけど、もう一つ言えば「旨味の少ない地域」だからとも言えるよ。もっと遠慮なく言わせてもらえれば「下請けの多重構造ができる余地がほとんどない」地域。膨大な予算が組まれたといっても、本当に救いが必要な人たちが援助されているなんていう実感が全然もてない・・・何年たっても。

今でもいわき市方面にいけばあちこちで護岸工事とかしているけどね。そういった工事が茨城なんかではほとんど行われていない、っていうのはやっぱり本音では旨味が少ないからという見方だってね・・・。そりゃ表向きは被害の大きかった地域優先ということなんだろうけど、純粋に予算が復興にまわっているかというと、かなりの金額が何もしてない人たちのところに転がり込む構図。

まあこれは復興に限らず公共事業などの世界では半ば常識になっているけど。
諷虹 やっぱり「富と名誉」の問題ですよね。
虚空 コバルトブルー君の紹介してくれていたサイトにからんで「仕事」「働く」っていうことについてラインに書いたけどさ、もともとの文字から考えれば「仕事」は「(他人や社会に)仕える事」、「働く は傍の人たちを 楽 にしてあげること」

それをお互いにそういう精神でやっていたからみんなが幸せになれた、という感覚。
これも「共鳴」し合うっていうことだと思うけど。
老子様の真意は不勉強だから分かっていないけどさ・・・・

コトブキのメンバーも仕事の命令として出撃はしているけど、自分たちの気の流れというのを犠牲にして命令に従っているという感じではないよね。
諷虹 だからこそカレーうどんとかパンケーキの恨みっていうのがね
虚空 正義云々よりも私情がかなり混じる。でもそれだから単に職業的な傭兵以上の活躍ができる・・・
諷虹 だからこそマダムに雇われている「月夜の用心棒」であっても・・・
虚空 マダムの手足ではないよね。規格外というか、厳格にコントロールしようとしたら優れた能力を発揮できないということを承知しているよね。

教育でもさ、教師の思い通りに子ども達を自由自在に操ることが出来るというのが専門性っていう見方も強いけど、それではいつまでたっても指導者の枠から出られない。

だいたい出たら怒られるしね。「勝手なことをするな!教えた通りにやれ!!」って。それで「指示待ち症候群」とか「安易にやり方を教えてもらう」という構えの子を大量生産している。高度経済成長期のオートメーション工場社員を育成する価値観を、そのままひきずっているような教育論だと思うよ・・・・。

☆「道」と「自然(じねん)」② 諷虹・虚空やりとり-1「空と自由」に関する歌あれこれ  2019年2月8日

現在放送中の深夜アニメ 「荒野のコトブキ飛行隊」の話題から (監督は ガルパン イカ娘 などの水島努)

諷虹 今回の冒頭・・・「でも、隼でこんなに長距離を飛ぶのは久し振りだもの。ああやって好き勝手に飛び回って、時々は思い出さないと。空は青くて自由で…そんな自由な空だから、私たちは飛べるってこと」・・・同じ何もないでも下界は荒野じゃないですか。
その対比が・・・
虚空 これってキリスト教とかの世界観に通じるかもね。山折哲雄さん(宗教学者)が言ってた、砂漠の国から発祥した宗教と、日本のような四季折々の自然に恵まれたところから発祥した宗教。荒野ばかりの土地だと、神の国は地上には見いだせないから天のかなたになってしまうけど、日本は身近なところにいくらでも神の国を感じられる場所がある、って。だから八百万の神々とか、あちこりに聖域があるとか・・・。
まだこのアニメの設定はきちんと明かされていないけど、第一話にちょこっと出てきたセリフ

《その昔、世界の底が抜けて…そこから色々なものが降ってきた。良いものも悪いものも…美しいものも汚いものも…色々なものがあった。そして今――再び世界は閉じられて、あたしたちは…色々なものを失いながら…生きている》

から考えるとどういう世界構造なんだろうね。世界の底がぬけて降ってきた、っていうんだからこの荒野の世界は下にあるわけだろ?じゃあ、この底が抜けた「世界」ってどの世界???
諷虹 パンドラの箱の考え方・・・しかしパンドラの箱とかラプラスの悪魔・・・よく分からないけど、どうしてか知らないけど意識にひっかかっているのはどうしてなんでしょうね。
虚空 このまま受け止めると、上空かなたに別世界があって、下に彼女たちの住む荒野の世界があって・・・・「自由な大空」っていうのはその二つの世界の間にある「境界領域」っていうことにならない?
諷虹 天空の城ラピュタ・・・・。あとそれに近い設定の何かがあった気がして・・・・(検索)「クロノトリガー」でした。浮遊大陸と極寒の地上とが二分されていて・・。

これに限らず「高天原」とかもそうですよね。あと「イカロス」とかが空から落ちてくる(ギリシャ神話 太陽に近づきすぎて蝋が溶け、翼がとれてしまい海に落下、死亡)

みんなの歌にもありましたよね・・・イカロスを歌ったのが・・・
⇒みんなの歌『勇気一つを友にして』 
https://www.youtube.com/watch?v=xQ930Dqyx4w
昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根(はね)
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして
赤く燃(も)えたつ太陽に
ロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼(つばさ)奪(うば)われイカロスは
墜(お)ちて生命(いのち)を失った
だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日(あした)へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして
虚空 イカロスのように果敢に攻めろ?
諷虹 無茶しすぎるなよ
虚空 無茶を奨励してるんじゃない?
諷虹 これだと地上は海になっていて・・・死んだにしてもちょいマシになってますね。
荒野のコトブキ飛行隊は、水と真逆の荒野って設定なんだなって、改めて・・・
歌つながりでいうと『翼をください』なんてはどうですかね。
虚空 今や新劇場版エヴァンゲリオンの劇中歌っていうイメージだね。
エヴァンゲリオン新劇場版 林原めぐみ https://www.youtube.com/watch?v=Upk5rWX9Pok
(『翼をください』歌詞検索)
いま私の 願いごとが
かなうならば 翼(つばさ)がほしい
この背中に 鳥のように
白い翼 つけてください
この大空に 翼をひろげ
飛んで行(ゆ)きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい
いま富とか 名誉ならば
いらないけれど 翼がほしい
子供の時 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている
この大空に 翼をひろげ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい
諷虹 「悲しみのない自由な空」って誰が決めたんですかね。
空戦ものだと、「オヤジや恋人が死んでいった空」っていうのがあるじゃないですか。
虚空 「ちいちゃんのかげおくり」でもそうだね。かげおくりをして遊んでいた空は空襲が激化して怖い場所になった、っていうような描写が確かあった。
諷虹 空は理想郷と隣あわせっていうイメージありますよね。地上は地獄とか。

この歌って受け止めようによっては「自殺志願者」の歌のようにも受け止めることができますよね。『今日の日はさようなら』にしても林原めぐみが歌っていた力ってすごいものがありますよね。
自由な世界へ・・・
エヴァンゲリオン新劇場版 林原めぐみ https://www.youtube.com/watch?v=1ZL2v30Pq5k
『今日の日はさようなら』歌詞検索
いつまでも絶えることなく
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで
虚空 別世界への強烈な憧れがあって、この世から離脱したい願望の歌・・・確かにそういう風にきこえてくるね。林原さんの雰囲気は。
諷虹 この歌が流れるところ・・・ダミープラグを使う・・・父親との決別を象徴するシーンじゃないですか。もうエヴァに乗らないって駄々っ子のようになる場面。
この前話題になっていた「覚醒」の場面・・・エヴァの暴走と本来の姿を現した。起承転結の起にあたるところですよね。
こうやってみてみると「空を飛ぶ鳥のように」って出てくるんですね。
虚空 最初に戻ったね。
諷虹 自由の象徴ですよね。進撃の巨人での「調査兵団」のマーク・・・「自由な翼」と呼ばれている・・・
あの壁の中は鳥かごみたいな発想ですものね。
虚空 昔浜崎あゆみのWhat ever プロモの中で最後に天使が鳥かごに閉じ込められているのは、誰が閉じ込めたのか、って中学生たちに聞いたんだけど、「社会」とかっていうのと「自分の心」っていうのと両方あったよ。
*中3の時のコバルトブルー君も混じっての発言
タカピー「これはね、あれだね、鉄条網と檻っていうのは周りにいる人達か自分に期待することのプレッシャーで自分がそれに壁を作っているような感じで・・・」

コバルト「これはもう心の中に閉じた悲しい思い出・・・。もう二度と出したくないようにぐるぐるまきにしている。・・・いや違う、わかった!檻の中にいるのは本当の自分で、この檻の外にいるのはただ人の言う通りに動いている」

ムラ仙人「この中にいるのは閉ざされた自分で、有刺鉄線とかは傷」

虚空「有刺鉄線とかは誰が用意したの?」

コバルト「自分の心!」
あの頃の浜崎あゆみの歌ってさ、ねこ娘さんに紹介されて初めて知って・・・プロモとかも録画して随分と集めたんだけど、どっかいっちゃって・・・。
でもあの世の中に大ブレークして、自分の実態がみえなくなってグチャグチャになっていた頃の浜崎あゆみのプロモとか、コンサートの演出とかはイメージ世界として興味深かったから・・・。まあ見つかってもビデオテープだからもうカビだらけで再生できないかもしれないけどね。 
諷虹 (駅伝アニメから)縛られずに自分の意思で自由に遠くまで走る・・・っていうセリフがあるんですが、今日の自由に飛ぶという話につながるかな、って。
虚空 自分の受け止め方はちょっとひねくれちゃって・・・あのこのはな綺譚8巻の人間生まれ変わりを拒否する娘の話・・・「鳥に生まれ変わりたい」っていうシミュレーションが全然期待通りでなかった場面・・・最初から飛べる鳥はいない、って言われてさ・・。あそこを思い出した。

自由っていうのは「楽」を簡単にゲットできるということじゃないよね。自分の意思が自由。その上で誰からの強制でもなく厳しい練習を自ら行うという意味なのに、現代人はどこか勘違いしてるかもね。自由に好き勝手していれば自分らしい人生が送れる・・・誰も俺の好き勝手を邪魔するな、とばかりになって結局は無法者になってしまっている。

そこがこの駅伝アニメキャラは違うんだ、ってちゃんと意識して観てればいいんだけどね。
うっかりすると「誰にも縛られない」という自分に都合のいいところだけしか意識にひっかけないで、「あのアニメでもそう言っていた!」と自分を正当化する理由に使ってしまう。