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☆Nanba先生を囲んで Ⅰ-② 「理数」「論理」と「人間を育てる真の国語教育」との接点

虚空の中高生に対しての家庭教師実践の話からはじまって、Nanba先生の「論理」に関する持論にまで発展します。

『論理も感情もイマジネーションの上にのってかっているもの』

世間で思われているような「論理」とは格段に違う発想ですが、これが今後の標準的な発想として世間に定着してほしいものです。

*表題で「人間を育てる真の国語教育」としました。もちろん学校教育は「人間を育てる」ためのものですから、このようは表題はおかしいのですが、現実問題としては「テスト(受験)対策国語」に終始していて、場合によっては人間性を損ないかねないような授業や意識付けが行われているという危惧があるので、敢えてこのような表題にしています。
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Nanba先生 児言態の発想を教育全体に活かしていこうとした時に、どうしても中学生以後のところはないので・・・

僕がまとめようとするときにそこのピースがないんよ。第三項理論というのは持ってきているんだけど、第三項理論っていうのは文学の話なのね。だからそこの理論を作らなければならないのよ、前から言っているけど。
それの大事な場っていうのがここなのね。

虚空 最近高校3年生から国語の依頼があって・・・ちょっと国語に自分との接点が感じられないので興味がもてなかったようで。
でも数学には割と興味があって。

上原先生がさっきのイメージの話でも言っていたけど、日本語・・・和語・・・はどうしても感情やイメージがまとわりついてしまうから、だから指導案とかでは漢語を使えって。授業のテーマも漢語でビシッと言えないうちは指導案を書くな、って。
それが今では教材を先に決めて、っていつからそうなっちゃったんだろうというのがあるんですけど・・・。
それを私は「漢語」というのを「数式」「図式」っていうような数学的なものに置き換えてしまっているんですよ、漢文とかには疎いもので。
その高校生とここ数回ずっと話しているのが、数学でいう「公理系」。以前だったら「証明する必要もない、誰の疑いもないものを公理」としていたのもを、現代数学では「自由に定義していいもの」になっているわけですよね。そしてそこから数学的に矛盾なく作り上げた体系・・・世界・・・は、認められるというように。
でもそれって学校教育では扱わないんですよね。古いタイプの「公理」は習うけど。
そこをバカ丁寧にやっているんですよ、ここ何回か。世界観の異なるアニメの話なんかも交えて。
「こう約束されている」というのを受け入れて観ていく必要があるというところはアニメも数学の公理体系も同じなんで。

この間、非常に本人がハッとしていたのが、「説明文でも物語文でも 正しく読む というのは、真実」って思っているようだけど、違うんだよ、って。だから筆者の考えが自分と合わない、納得できない、正しいとは思えないとね、水と油のように「もうこんなの知らない」って入り込めない。取り込めない。
でもそうじゃなくて、「この正しい、っていうのは作者や筆者の作った世界の出発点である約束をふまえてのという意味で 正しいのはどれか」なんだよ、って。

Nanba先生 それが公理と同じっていうことね。

虚空 そう、それを公理と同じように考えてごらん、って。
それからその時に「まだ線形(型)代数っていうのはやっていないだろうけど・・・一次関数のグラフのかき方ってどんな風に習った?」って。そうすると切片のない比例の式として書いたグラフをY軸方向へ平行移動させるんだ、って習ったと。
それはつまり基準は座標軸であり、それが固定されている。だからグラフの方を動かせ、って。
でも実は座標面の方を動かしたって同じグラフにはなるんだよ、って。
そしたらそれがスッと通じたんですよね。
筆者によってスタンスが違うっていうのは、この座標軸の設定そのものが違うんだと。それが「読み」なのか、って。

Nanba先生 ホント虚空さん、天才やな。

虚空 全部こういうヒントは諷虹からもらっているんですよ。

ヒマワリ そっちが先生。週2回の。

Nanba先生 どっちが家庭教師?

コバルト 分母と分子がひっくりかえっているんです、そこで。

Nanba先生 それは面白いね。非常に分かりやすいね。

虚空 ・・・さっきの数学・・・。私って家庭教師をやるようになって依頼のある教科は数学とか理科とか英語。国語の依頼なんてまずないんですからね。でもその中で児言態でやってきたことをどういう風にって。
つまり数学を依頼されたから数学、っていうだけじゃなくて、最終的にはそれが「生き様」=「構え」にまでね。
それでずっと「論理」とか「数理思考」とかを、「イマジネーション」とか「構え」とね、結び付けてきた20年だったっていうのはあるんですよね。

Nanba先生 結び続けてきた20年

虚空 やっぱり切り離したくはなかったんで

Nanba先生 じゃあ僕が今日(学会で)論理について質問されて答えたのは、あれはいい答えだよね。

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(冒頭に紹介した学会でのやりとり
⇒「論理と読み手」に関する質問に対して
Nanba先生 児言態の理論にのっとって、論理も感情もイマジネーションの上にのってかっているものだと考えています。私もそれに従っています。

従って論理によって人の発達を促すことは出来ると考えています。その場合の倫理はイマジネーションの裏打ちがあっての論理だというところがポイントだと思っているので、その論理自体が如何なる人でも無意識のイマジネーションとつながっている形で表現されていく・・・
例えば高等学校でいえば評論文が、筆者のイマジネーションが無意識が論理という形でかなり強く現れていると思います。従って筆者の論理であるという事は間違いなく筆者のイマジネーションと出会うことではないかなと、今考えたんで・・・今考えたんで・・・すごく私はいまの質問によって研究が進むように感じました。ありがとうございました。
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虚空 そうなんですよ。

Nanba先生 ああよかった、虚空さんに怒られんでよかった(一同 笑)

虚空 そういういろいろを諷虹からももらっているし、ヒマワリも例の微積分で彼氏と仲直り・・・

ヒマワリ そうだったねー

Nanba先生 微積分で仲直り? えッ? 何それ?
今スルーしかけたけど・・・意味が分からない。

ヒマワリ 授業の時に微分積分の・・・

虚空 あれ試験の直前だったんだよね

ヒマワリ そう、で分かんないから・・・

虚空 でもテスト対策やる?って聞いたら、それはやんなくていいから微積分の考え方の本質的なことをやってくれ、って。

Nanba先生 あー、なるほどー

虚空 そう言われてテスト前であるにもかかわらず問題の解き方は一切なしでね。

ヒマワリ それで、ああ今自分は微分的な見方しかできていなかったな、って・・・人生において。
だから積分でみていかなければならないな、って。見方がちょっと変わって・・・。
で、ちょうどつきあっていた彼氏とのこととかどうでもよくなっちゃって・・・もう許そう、みたいな。

虚空 その前にさ、メールで喧嘩していたところから・・・

Nanba先生 ここだけ切り取って他の人に聞かせたら、「微分的な見方から積分的な見方で、彼氏と」なんて全くわかんないよね

虚空 諷虹君とかには通じる

諷虹 海とか宇宙をみて自分の波ってちっぽけだな、って
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☆Nanba先生を囲んで Ⅰ-① 「駿煌会」が社会人教育モデル?

2019年6月1日に「全国大学国語教育学会 第136回茨城大会」が茨城大学で行われたのですが、水戸にいらしていたNanba先生(広島大学副理事・大学院教授)から声をかけて頂いて駿煌会若者メンバーと一緒に語り合いの時間を持つことができました。
その際のやりとりの一部です。


話が錯綜しているので、やりとりの順序を入れ替えて同様の内容ごとに分類しています。なので、話の流れが若干おかしいところもあることをご了解ください。


①はNanba先生からみた駿煌会というこの集まりについてのコメントから広がったやりとりです。

*駿煌会メンバーに関して
Nanba先生 良かったね、虚空さん。こういう仲間がいて。

ヒマワリ 本当にそうだよね。

虚空 実際私の方が黙りこくることだって多いですからね。ゆうべもそうだったけど。

ヒマワリ 分母と分子がひっくりかえっちゃって・・・どっちが先生だか分からない。

Nanba先生 本当にこの人たちって一体なんだんだ?すごいね。

虚空 教師と教え子の関係か、っていったら全然違うでしょ。

Nanba先生 全然違うね。だからなんなんやろう、って思って。

虚空 対等どころじゃないですよ。

Nanba先生 多分、ある種、恵まれない人に対して何とかしなくちゃいけないと思っている人たち、っていうのは分かるんですよ。ほぼね。だよね。
情というか義理堅いというか。

(虚空の年齢の話になり)

Nanba先生 !!!!!!! そんな上なの!ビックリした!!! あんた天才やね!!!
この(若者の)レベルと話せるっていうのは天才やな。もっとずっと若いと思ってた。
虚空さんと最初に出合った頃と全然年齢がかわっていない

ヒマワリ いつから出会った?

Nanba先生 20年前に出合ってる

ヒマワリ えー

Nanba先生 じゃああの時にはもう40くらいだったんだね。

虚空 むしろあの時よりもガキになってると思います。同年代としゃべっていなかったのが、ここ数年で深夜アニメなんかの話を中高生とやりはじめたりしてるんで。そういうざっくばらんな話をしたことがなかったわけですよ。それを今は普通にやってる。
できなかったことを今になって取り戻している感じ。だから数年前よりガキだよね。

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*社会人教育と駿煌会

虚空 コバルト君が言っていたんだよね「好き勝手に自分のものをぶつけあってる」って。
でもそれで世界が出来上がってちゃっている。

Nanba先生 そういう空間を作っているのよ、虚空さんが。今日の発表でも何度かいったけど「しつらえている」のよ。
簡単に言っちゃえば「何でも言い合える」なんだけども、そういう風にパーンと違う話題を出してくって、なかなか現実の世界では許されないじゃない。邪魔するものがいっぱいあるじゃん。そういう邪魔するものをなくそう、なくそうとしてこの空間が作られているな、って。
これは外からみると気持ち悪い集団なんだけど、中にいるととても心地よいと思うよ。ちゃんとしつらえて教育しているなと思う、とっても。

虚空 私が教育されているんです。

Nanba先生 いやいや・・・これは成人教育の一つの事例として出したいくらいだよ。成人教育するってどういうことなのか、って。

ヒマワリ ほんどだ!

諷虹 私も高専くらいの時から・・・さっきもどっちが教師なんだという話になりましたが・・・高専の数学(3年の後半)から教えてもらうというより、一緒に考える、っていうような

虚空 だってその頃になると大学数学の初級レベルで自分が習ったこともない内容ばかりで・・・

諷虹 その蓄積がずっと今にも続いていて・・・もう大学を卒業して勉強することは何もないんですけど、毎週毎週このアニメをみてこういうことを思った、みたいな・・・共鳴感みたいな・・・互いに思ったことを・・・

コバルト 重ね合わせていく。

虚空 そこで象徴的だったのは先週の金曜日だったんだけど、私が諷虹の意見を聞きたくて量子論の番組をみせはじめて・・・そこで量子コンピュータ―の量子ビットの話が出たところで、麻雀アニメの「咲」っていう話にポンと飛んでね。私は麻雀のルールも何も分からないんですけど、でも「だから分からない」じゃなくて直感するわけですよね。諷虹がどういったつもりでこの話題を出してきたんだろう、って。麻雀のことは全く私が知らないのを知っていて、敢えて出してきたわけですから。

諷虹 まずポーカーの話がでたわけですけど。

虚空 そこからね、ガルパンとかは昭和の青春ドラマ風で、咲もそういう要素はあるけど、このアニメの特徴は「重ね合わせ」だな、って。量子論的な発想がとれるアニメだよね、って。
でもね、量子論の科学番組をみて、いきなり咲の話・・・だってあのアニメについて虚空に話そうなんて思ったことはなかったんでしょ?

諷虹 たまたまですね。そういえばこんなのあるんですけど、くらいの感じ。私も全然意図していなかったんですけど、

Nanba先生 そういうのがちゃんとつながっていくのがすごいよね。

虚空 量子論の話をしているところで「咲の話を出していいのかな?」って考えないところがね。

Nanba先生 考えないような風にしているんだね、虚空さんが

諷虹 それが今までの積み重ね。

Nanba先生 自由に出せるイマジネーション・・・これが僕は虚空さんがこういう学校を作っていると思えばいいんだよ。成人教育の場なんだと思う。
それが僕は分かった。虚空さんは一体何をしているのかな、って思っていたけど、そういうことだったんだな、って。

発達段階があがっていった人たちが・・・発達段階があがった人たちって下がれないんだよ。
そうしたらどうしたらいいかっていうと、他の人を上げるしかないんだよ。取り残されちゃうから。
そしてもう一つは、上がっちゃった人同士がつながらなければならないのよ。潰されちゃうから。僕はこの場はそうだな、って。

虚空 コバルト君の方が分かっているかもね。コバルト君もさ、いろいろな話に対して違うサイトからポーンポーンって出してくるじゃない。
それを情感の世界に引き戻すんだよね、ヒマワリさんが。

ヒマワリ 情感の世界にヒマワリ戻してる?

Nanba先生 そうか

虚空 それはソルティさんがすごく感じてるじゃない。

ヒマワリ ああ、そうだね・・・優しいみたいな・・・

虚空 やっているうちにこの3人(虚空・コバルト・諷虹)はちょっと学問的な方向に走りがちなんだよね。
ヒマワリ そうだね・・・

虚空 それを人間の世界に戻してくれる、っていうので塩見さんがヒマワリさんの発言をそういう受け止め方してるじゃない。

諷虹 ワイドショーのおばちゃん感覚のように

ヒマワリ こういうことを言って欲しいのかな、っていうのが分かっちゃうんだよね、なんとなく。

(各メンバーについてのあれこれのあと)

虚空 駿煌会でみんな怪しげな名前をつけてやりとりしていますけど・・・あれ、知らない人がブログに載せたやりとりをみても、そんなに年齢差が分からないとおもうんですよね。それがここの特徴であり面白さだと思うんですよね。

Nanba先生 いやー面白いわ。面白いけど読んでないけどね。

コバルト 衛星と恒星が入れ替わると言うか・・・・

Nanba先生 なにそれ!天才すぎるんじゃない、それ!!

コバルト 分母と分子がひっくりかえるようなものなんですけども・・・月と地球がひっくりかえるようなもので・・・

諷虹 重力の中心感覚ですね。

虚空 こんな風にすぐに言い換える

コバルト こっちがずれたことを言っても分かりやすくしてくれる

Nanba先生 それほど分かりやすくはなっていないけどね(笑)

諷虹 場を支配するというか、空気を作る人がいつの間にか入れ替わっている

Nanba先生 それなら分かる分かる・・・それが月と地球ってことね。それが重力

諷虹 こっち側に立っていると思い込んでいるけどいつのまにか月の側になっている

Nanba先生 それがまた逆に心地いいわけでしょ?

コバルト 教室でもそうです、教師と・・・

Nanba先生 学習者のね。

コバルト それが入れ替わる

虚空 コロコロ入れ替わるよね。

ヒマワリ 誰が中心だなんて考えたことない。

虚空 私と諷虹との間で数学的な例えになっていっても、すぐにこの二人は使い始めるからね。

Nanba先生 そして違う事を言うんだよね。

虚空 果敢に取り込んですぐに使うよね。

ヒマワリ そうだね。辞書が増えたっていう感じで。

虚空 その取り込み能力っていうのは・・・特にこの二人は

Nanba先生 天才だよね

ヒマワリ 面白いからね。

諷虹 面白いと思わなかったらね

虚空 「私は数学なんて苦手だから」とか、そういった拒絶反応なんてなしに貪欲に取り込んでいく・・・添加していく。自分の意識の世界にポンポン入れていってしまう。
英才児もそうだけど・・・

Nanba先生 この人たちも英才児なのよ。

ヒマワリ 英才小に行きたかったなー、なんでZAKI小だったんだろう。

虚空 でもね、ZAKI小ってそういう子が多いのよ。地域的に成績とか進路にこだわっている親があまりいないからというだけでね。

Nanba先生 それ、よう分かるわ。

虚空 ZAKI小の子はすごいの、潜在能力が。

ヒマワリ そうだったのかー。
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*類化性能に関しての話へつながる
虚空 この4人の特徴って、折口先生が言っている「類化性能」がね・・・あれがあたり前にね

Nanba先生 そう、すごいんよ。働くのね。

虚空 だから、みんなポーンって見かけ上全く違う話題をふってくるわけですよ。本質はナルホドつながっている、っていう。
それが駿煌会のラインでは飛び交っているわけですよね。

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*拠点をちゃんと作るべきでは?
Nanba先生 (コバルト君に対して)あんたさ、自分の立場を生かしてさ、ここを組織化してさ、

ヒマワリ すごいね!塾作る?

Nanba先生 マジ、マジな話。僕も参加するよ、無給でいいから。マジでマジでマジでマジで。

ヒマワリ 教員免許持っていないけどいいかな

Nanba先生 表にでる先生は別に雇ってもいんだから。でもバックアップするための組織体っていうのはいるじゃん。

コバルト 面白そうですね

Nanba先生 絶対面白いと思うよ。

コバルト 儲かる儲からないじゃなくて、面白そうですね

虚空 実際前に社会人クラスってコバルト君が言い出してやったじゃない。

(社会人クラスの話題)

Nanba先生 それをちょっと視野に入れようよ。

コバルト まあやっていて面白かったです。

Nanba先生 やろうよ!このメンバーがこうやって元気でいる間に、何か作って・・・虚空さんがいつどうなるか分からない人だから・・・。マジで。ヘッドがおる間に・・・

虚空 実際に4月に主治医がかわって、去年の4月のデータをみて「よく死にませんでしたね」って感心されましたから。

ガルパン 論理・感情 と 構え

☆2019年 6月22日 諷虹・虚空
ガルパンを通しての考察がさらに続きます。


やはりいろいろな場面を問題にしても、いきつくところは「論理や感情」が「構え」にどう統合されていくのか、という問題。ガルパンはそういった点についても豊かに示唆してくれます。


ラインやりとりから
虚空
ヒマワリフクロウさんとコバルトブルー君の感想を読んでいて思い出したのですが、マリーさんが最後にお菓子を食べたことに関しても諷虹君が
諷虹「これまでの戦車戦の中で、もっとも潔い態度だったんじゃないか」
というような発言をしていたような・・・。

諷虹
⇒今までのやられた隊長の中で一番優雅に去っていったような気がします。前のシーンで完全に包囲されたカモさんチームの慌て方との対比もあって・・・最後に引き絵で煙だけがっていう演出もボカージュの背景と相まっておしゃれだったなと
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虚空 散り際の美学というか・・・演出としてどう観せるか・・・伏せることも含めてね。

諷虹 強キャラほどやられる瞬間はうつさないような演出・・・例えば最後の最後まで軽口や憎まれ口のような普段通りの様子で、その後に天井を映して銃声だけが・・・みたいな

虚空 余韻の美学・・・みせないことで観客の想像力にゆだねる

諷虹 逆にさえないキャラほど「金ならやるから助けてくれ」というように往生際の悪さを描く・・・・まさに往生際

虚空 往生の際だね・・・・自分はどうなることやら・・・・

諷虹 マリーさんが食べているお菓子で「山」状の形のが印象的で・・・あれってモンブランですよね。

虚空 シフォンケーキだと思ってた。
マリーさんフィギュアの画像 https://hobby.dengeki.com/news/783166/
マリーの食べていたお菓子に関する諷虹覚え書き
・抽選会場⇒イチゴジャム(?)のかかったケーキ
・秋山潜入時の戦車の上⇒大きなモンブラン
・「私がケーキを食べ終わるのと向こうの白旗が上がるの・・・どっちが先かしら」⇒オレンジシフォンケーキ
ここから第2話
・撤退中⇒クリームの乗った栗のケーキ?
・ボカージュ内「辛抱強いものに勝利が・・・って誰かが言ってたわ」⇒カヌレ
・モブ「持ち場を離れるな」マリー「いいじゃないの。味方のピンチにいてもたってもいられなくなったんでしょう」⇒白いスフレ
・やられた瞬間⇒ティラミスケーキ
・知波単戦鑑賞時⇒大きなモンブラン(二回目)

虚空 ミリタリーと対極のケーキなどをどうしてここまで徹底して出しているのかね。

単にマリーアントワネットのエピソード以上の意味があるように思うんだよね、水島監督のことだから。どこの場面で何を食べているのかもね

諷虹 言われがあるでしょうね。
(改めて最初のもみて)
虚空 同じ「撤退」でもマリーさんのと西隊長のでは雰囲気も意味も随分ちがうよね。

*昼間のラインやりとりに関して
諷虹 「ケーキの美味しいところ」っていう見方はなかなか・・・。あと「三日月」の印象も。あそこで西隊長が「大洗をうちたおすことが一番の恩返しだ」って言ったようなこともね。

虚空 ここで出している月もね・・・三日月にした理由。これは「咲」の衣の場面での影響があるからそう思ったんだけど・・・これ、どっちが欠けていた月だかよく覚えていない。

左が光っている月だったら、三日月ではなくて、新月直前の月だから、死に向かうイメージの月なんだよね。で、死と再生・・・知波単が本格的に生まれ変わる予兆。

いわゆる三日月で右側が光っているんだったら、これから満月に向かうから、もうあの前半で転換は終えているイメージ。

諷虹 「お皿みたい」って書いてありますよね。

虚空 っていうことは夕方の三日月の方かな・・・地平線に沈む直前。

諷虹 あとこの西隊長が大切なものをぶっ壊すことが・・・
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ヒマワリフクロウ
知波単学園が落ちた穴、あれも子宮イメージですよね。
あの場面で西隊長は初めて「撤退」を命じた。
突撃を美学として生きてきた彼女らに取ってとても勇気ある選択だったと思います。
西隊長は、大切なものほど捨てる・塔をぶっ壊すことができたんだなぁと。
残された道が開かれ、生まれ変わったところが描かれているなぁと思いました。
これ知波単こんなになってまって大洗負けてまうんじゃないかと心配になりますわい。
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虚空 こう考えると、やっぱり月が夕方に地平線に沈むイメージかな

諷虹 コミカライズ版でダージリンが聖グロリアーナの伝統からくる低迷のような部分に危機感をもっていて、非常に貪欲にいろいろなことを取り入れようとする、っていう描かれ方をしているんですけど・・・本編でもローズヒップがスタメン入りしているというのも、聖グロの伝統からは一番かけ離れたようなローズヒップを入れているというのは・・・

虚空 水島監督だっけ・・・オーディオコメンタリーで試合直後のローズヒップの座り方を言っていたのは???品のない座り方をしているのをサラッと暗示してた。
お嬢様にあるまじきような・・・

諷虹 ローズヒップも大家族育ちですから。

そういえば桃ちゃんは、本人をいれて1男5女でしたね。
あと友達が言っていたのは「 わし ぶんぐ」も古くなって「か」と「ま」が取れちゃったんじゃないかって。



虚空 この「撤退」という言葉をちゃんと使った西さんについては昨日のやりとりでも出たけど、あれで隊員たちがハッとしているように描かれていたよね。それこそ福田に起きていたトランスフォーメーションが全体に共有された瞬間。

ヒマワリフクロウさんが書いているこの真髄は、まさに日本神話の「黄泉の国」から「禊」へのこと。

子宮を経ての「死と再生」黄泉がえり=甦り 帰る=孵る

だからウシガエル???水島さんだったらそのくらいの駄洒落でマジな暗示ってやりかねないからね。


諷虹 コバルトブルーさんの「行いの最終決断は知識ではなく心そのものであると言うことです。」も・・・劇場版なんかも遊園地に入ってからは戦車道のセオリーからはなれたじゃないですか。前半はセオリーにとらわれすぎて。

今回も知波単対策として高地を狙おうとしていたけど、思わぬ攻撃をくらって・・・で、二番目の策として開けた水辺を選んだから、向こうにおあつらえむきの展開になって。
そういうところってもう知識では測れない。

チェスなんかも序盤は定石でうちはじめても、途中でお互いに定石から外れていく。そこからが相手の動きを見て・・・っていう戦いらしい戦いになっていく


虚空 それが「守破離」だよね。さっきの黄泉の国のことも、現実をきちんと受け止めた上で、それを捨てての神の出現。だから「超現実」。

熊野の六道図にも通じる。


諷虹 知波単は突撃ということによってある種の「思考停止」


虚空 他を考える必要がないんだからね。完全パターン化だから。
それこそAI機能のない昔のロボットのようなもの。


諷虹 今回の2話で水辺でワニに偽装した特二式内火艇が出た直後の西隊長の「吶喊」っていうセリフがものすごくヒヤッとするというか、ゾクッとくるんですよね。劇場版のエキシビジョンでも全く同じ「吶喊」って台詞がありますけどあちらは笑える台詞だったのが、今回はとても恐ろしいセリフになっていた・・・

虚空 コバルトブルー君の言葉でもう一つ思ったのは、この前の難波先生の学会発表でもあったんだけど、論理と感情の問題。

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⇒「論理と読み手」に関する質問に対して
Nanba先生 児言態の理論にのっとって、論理も感情もイマジネーションの上にのってかっているものだと考えています。私もそれに従っています。

従って論理によって人の発達を促すことは出来ると考えています。その場合の論理はイマジネーションの裏打ちがあっての論理だというところがポイントだと思っているので、その論理自体が如何なる人でも無意識のイマジネーションとつながっている形で表現されていると考えます。
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これを思い出した。

自分も論理と感情とイマジネーションと用具言語・・・そしてそれが「構え」とどう関連づいているのかをずっと追いかけてきているけど、そのあたりのことがここにも現れてきているよ。

現代社会はさ、政治家をはじめとして、あまりにも「言葉」に対して意識が軽すぎる。言い訳の屁理屈・・・論理ともいえないような幼稚は言い訳は一緒運命するけど・・・でもあれで社会人としての信用をドブに捨てているような大人ばっかりじゃない。

みんなの上に立つということの自覚がない。単なるお山の大将になって威張れる、欲張った生活が出来る・・・なんていうガキのような感情だけがみえみえ。

論理の裏側にくっついている感情こそが、人から信用されるとか、人間として立派と感じさせる部分なのにね。モンスター〇〇とか、うちのあの親戚連中なんで都合のいい時ばっかり偉そうに演説ぶるけど、一皮むけたらただの駄々っ子。3歳児以下だよ。

劇場版からそうだったけど、福田は自分が進言することの重大さを自覚した上で発言を常にしているよね。単にきまりきった言い回しとして「おそれながら」と前置きするんじゃなくて、本当に今から自分は「恐れ多い発言をするんだ」という自覚。

それは自分の言葉が人の運命・・・極端にいえば生死をも左右しかねないことを発言するんだという自覚だよね。


諷虹 チームメイトだけでなくて、今まで伝統を守ってきた数々の先輩方や、これから入学してくる後輩たちすべてに対して責任を持つというようなね。

虚空 「咲」の中で今まで個人戦がメインだったキャラが、団体戦で思いがけない重圧を感じるという場面がいろいろ出てくるよね。

あと阿知賀編での部長(鷺森灼)、昔麻雀で負けたショックから打たなくなった顧問の先生(赤土晴絵)の気持ち・・・自分が団体戦をやってみたら、なんだか分かるような気がしたっていう場面。地域のみなさんにも顔向けできないという気持ちは、小学生の頃の灼には理解できなかった、って。

オリンピックの代表に初めてなった選手が「日の丸の重圧を初めて感じた」ってコメントするのもよく聞くけどさ。

だから、東京オリンピックのマラソンでスタジアムにはいったあと大勢の観ている前で抜かされて銅メダルになってしまった円谷が、メキシコオリンピック直前に自殺してしまったというのも、そういう日の丸の重みあってのことだったんだろうし。

諷虹 赤土晴絵が阿知賀のレジェンドと持ち上げられたのも、壊してしまったのも自分という両面性になっちゃうわけですよね。
無名の時と、期待されたあとでの・・・。ガルパンはよく毎回期待以上のものを出してくるなって思いますよね。

虚空 最初はほとんど注目なんてされていなかったからね。

諷虹 アカギが自分の生前葬の場面で、組長の原田に言った「お前は成功を積みすぎた」って場面。
http://application.hateblo.jp/entry/2018/10/24/000000
あとはまどか母が言ってた
「若いうちはケガの治りも早い。今のうちに上手な転び方を覚えといたら後々きっと役に立つよ。大人になっちゃうとね、どんどん間違うのが難しくなっちゃうんだ。背負ったものが増えるほどヘタを打てなくなってく。」
っていうのも繋がりそうですね。

虚空 まさに聖徳とかの子どもが廊下で多元的な見方を学んでいる姿だよね。この前から言っているような。


諷虹 大人になってからだとね・・・。ただ、逆に若い頃のイメージで動こうとして体を壊すっていう人もいますからね。


虚空 自分なんかはそもそも全力で動けないし、動こうともしない。大怪我をしてしまいがちなのはやっぱり動けていた人だよね。地区民運動会とかPTA競技で危ないのは、そういう人達。

今日もメモ欄に書いておいたダンデリオンさんの記事からの「名前」の問題・・・あれはどっちかっていうと、ガルパンよりも「咲」とか「リリカルなのは」とか・・・あと自分にとっては「青ブタ」に大きく関わることなんだけど・・・早い話が「量子論」の「観測者問題」とか「量子もつれ」の問題。
これも「ひぐらし」とか「君の名は。」との関係から深く考え直したいところで・・・青ブタもテレビシリーズの一話から観直しているんだけど・・・体調が悪いからすぐに寝ちゃって肝腎なところが意識できてない。

ひぐらしの並行世界を梨花や羽入以外でもおぼろげに記憶している、っていうのと似たような場面が今回の劇場版青ブタのかなり大きなポイントになっているんだけど、パラレルの問題を「意識世界の構築」として現実的に考えていくと、この「量子もつれ」がからんできそう・・・という予感があるんだけどね。

なのはA’sで囚われの身のフェイトが夢の中でアリシアとか別人格のプレシアと出合って、というのもね・・・・

実際に青ブタは量子論とか相対性理論とかのセリフがたくさん飛び交う。

思春期症候群っていうのはかなり極端な症状として描かれているけど、それも現実生活の「例え」としてみていった場合に、「量子論」の発想を導入すると観点を整理しやすくなるかなって。あのアニメ通りの説明になるかどうかは別にしてね。

それは「とあるシリーズ」の頃からも量子論のことはたびたび出てきているから。

アントワネット供養の視点?・・・江戸歌舞伎との接点 他 ガルパンと人間

☆2019年 6月21日 諷虹・虚空やりとり。虚空もガルパンを観てきています。

例の如く多様なやりとりになっているのですが、今回の大きなポイントの一つが表題にもあげた「アントワネットへの供養という視点が水島監督の中にあったのでは?」という観点です。


それは上原輝男先生が、江戸歌舞伎の「義経千本桜」を例にして説いているのですが、平家の怨霊を鎮めるために、花を持たせるような内容にした上で、またあの世に送りなおしているのではないか・・・という発想。


そんな意識が監督の中にも(自覚のあるなしは別にして)あったのではないか、と考えながら観てみると、違った面白さが出てくると思います。
*事前メモ
ダンデリオンツイッター 高山植物
⇒・咲との関連 
 ・量子論との関連(観測される と 存在)・・・青ブタ
 ・名前がつく (リリカルなのは)
ヒマワリフクロウ「錯綜」
⇒君の名は 青ブタ ひぐらし 咲(4人 +α による世界定め の一般化) との関係
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ガルパンのマリーさんのことからマリーアントワネットの話。
マリーアントワネットを明らかに題材にした歌
「悪ノ娘」 動画 https://www.youtube.com/watch?v=ODrIR1I528I

諷虹 お菓子に対する意識・・・・処刑の時間が午後3時だから「おやつの時間だ」といって処刑されたり、自分から戦争をしかけておいて・・・。自分の世界で生きている感じですね。

虚空 ベルサイユのバラの影響もあるんだけどさ、マリーアントワネットの境遇をふまえると、どうしてああいった行動をとる王妃になってしまったのか、ということがどうしても気になってしまう。

もちろん民衆を苦しめたことなどは悪いことなんだけど、この歌の作詞をした人は、そういったことは踏まえないで、アントワネットに関しての悪い逸話を誇張して組み立てていることに終始しているような印象を正直受けた。

虚空 (マリーアントワネットの境遇をおさらい 政治の道具、貴族たちの思惑に本楼された日々)

小さい頃から嫁入りして、民衆の生活も知る機会がなく、宮殿での舞踏会等々の日々を送っていたら、自分だって「食べるものがないならお菓子を食べれば」って何の疑いもなく言ってしまうかもしれないよ。

水島監督はさ、今回のマリーさんを、アントワネットだって、ああいった境遇でなければ素晴らしい女王になっていたかもしれない、っていう視点を持っているんじゃないのかな・・・。
でさ、歌舞伎の義経千本桜の知盛のように、もういちど甦らせて葬送をしなおしたのと同じような感覚で、マリーアントワネットの供養をしているような気持ちがどっかにあるような気がする。花を持たせる感じでさ。
そんな眼差しを感じる。

諷虹 そう考えると、安藤と押田の出会いも・・・愛情と憎悪の紙一重ぐあい。

ベルばらは読んでないのでわからないけど、アンドレとオスカルって恋仲の関係なんですよね。それがやっぱり水と油のね・・・幼馴染と主人公の感じ。


虚空 オスカルは女性でありながら男性の軍人として育てられた。アンドレはその家に仕える身で、オスカルの剣術の相手などをして子どもの頃からすごしていた。

いつしかアンドレはオスカルに恋心を抱くようになったが、オスカルはスウェーデンのフェルゼンに片思い。そしてフェルゼンはオスカルの仕えるマリーアントワネットの不倫の相手。このあたりがドラマになっていった。

さっきの千本桜だけど、江戸庶民の意識の根底には知盛を祟り神として非常に恐れていたという部分もあったから、花を持たせると同時に、碇につないだ太い縄を体にグルグル巻きにして海に身を投げるというクライマックスにしている。

「もう2度とこの世に甦って怨霊になどならないでくださいね」という願いを込めているんじゃないかと・・・上原説ではね。

水島さんはさすがにそんな風にはしていないけど・・・。代わりにアズミ先輩とのやりとりで、今後さらに名隊長になっていくことを予感させてシメてるよね。

諷虹 あとは試合後に大洗にお菓子をふるまう場面・・・還元するっていうかな。自分の私腹を肥やしたというイメージとは違った振る舞い

虚空 そこだと思うんだよ。本当に水島監督がマリーさんで描きたがっていたのは。
悪名高いマリーアントワネットに違う光をあてて、再評価してもらうため。

それは決してあの時の態度が良かったというわけではないけど、境遇によって人間は変わり得る・・・善人と評価されている人間でも、境遇によってはどうなっていたのか分からないよというのを、人間肯定の立場からいいたかったのかなと。


諷虹 ガルパン自体が戦車そのものをそういう立ち位置にしているじゃないですか。戦争の道具というのではなくて。

虚空 大洗の年配者の中にだって戦争体験者はまだいらっしゃるのにね。
そういう「絶対的にダメなのはいない」っていうのは一貫しているよね。
それが今回ので象徴的に描かれていたのが知波単学園・・・特に福田。
先週の「思考による感情・構え」の問題そのもののような描かれ方。言語操作性だよね。
でも最後の最後では西さんに「転進ではなく撤退だ!」と言語操作ではなく、ナマの気持ちを言わせて周囲をハッとさせている。これはなかなかすごいやりとりだったと思うよ。
操作する意識を突き抜けて、再び感情というかナマの言葉の世界に戻った。


諷虹 こういう考察的なことは別にして、「大洗が勝つんだろうな」っていう意識はあるじゃないですか。でもこの知波単はね・・・黒森峰戦よりもいい試合をしている。

虚空 知波単の持っている能力が上手く使えるようになっているよね。また水中でのかぶりものが登場したり・・・。

バレー部が福田にご馳走しながら助言している場面も、あそこからあれだけのことを掴み取って隊長に進言した福田の潜在能力。


諷虹 あとは、先週、そんな話になってもネタバレになりそうだったから黙っていたんですが、サメさんチームの旗のくだり。聖グロリア―ナとの練習試合前の塗装や飾り付けを西住は泳がせたわけじゃないですか。それでやられて気づくというような。

それを歴女チームは分かっていてもサメさんたちに言わないで「歴史はくりかえす」っていうのは・・・大事な試合でも失敗できる環境


虚空 それは意地悪とかで黙っている訳じゃないんだよね。そういった体験の蓄積こそが大事だと感じているから。

だから今の「失敗させない教師(大人)が素晴らしい指導者」っていう風潮は大問題だよ。
そりゃ命に関わるようなのはまずいけど、子ども時代に普通に起きる失敗・・・多少の怪我とかね・・・それは成長のためにも絶対必要。

でも学校もすぐに訴えられたり、SNSで批判が拡散するとか恐れて、本物の教育がどんどん出来なくなっている。
自分達が馬鹿みるだけだから、本当はよくないことだと分かっていても「ハイハイわかりました」といい加減な要望にも答えてしまう。

諷虹 手を出してしまう前に一旦冷静に考えるって、ナマの感情を一旦オフにしている・・・フィルターを通して変換して出していく部分ってあるのかな、って。

虚空 現代の若者だけじゃなくて、大人もね、すぐにブちぎれて何をするか分からないところがあるじゃない。あっというまに制御不能になる。

それはやっぱり学校とかがナマを扱わなくなっているし、地域社会の中でも大人の中でナマが出せる環境にない。
同じ年齢でのナマのやりとりだって怪しいもんだよ。スマホとか中心のやりとりはナマとはいえないから。

そんな中で育っているから、自分のナマが暴走したらどうなるのかも分からない・・・・ブレーキやハンドルの使い方を知らないで育つ。


諷虹 自分はメールがちょっと苦手っていうのは、後々残るとか考えすぎてしまうから。電話だとどんどん消えていくからいいんですけど

虚空 自分はメールでもラインでも言語操作性の意識はオフにしてるね。だから気分でバーッと書いてしまって、読み返さないで送信しちゃう。

諷虹 旅先で買ったものをあとで見た時の感覚に近い者

虚空 ちびまるこで扱っていたのは縁日でのおねだりだった。家にかえってきて、なんでこんなものをあんなに欲しいと思ってしまったのか、って。
自分の場合はさ、クラス担任した時に、本音を重視っていうことを初日に言ったわけだけど・・・まず自分が率先して大人げない情けないことを話した。それこそ恥も外聞もなく。その名残だね。

だから板書でも如何に自分が汚い字しか書けないのかを、ちゃんと披露した。
一番ビックリされたのは小2のクラスの時だよね。女の先生のあとで、学校の先生はすべて綺麗な字を書けるって信じていたから。

まあ都合よくいえばね「学校の先生だからって〇〇とは限らない」っていう発想をするための生きた教材になったわけだよ。


諷虹 それは一回戦のBCで肝に命じた・・・

虚空 知波単だからといって見下す仲間に警告を発した。

諷虹 隊長からね。・・・サメさんチームの存在ってももさんが隊長であることを忘れさせないためのものですよね。視聴者も「隊長はももさんだ」と言われるたびに「ああ、そうだった」と思い出す。

虚空 常に原点に立ち返る

諷虹 あとは大洗の街並みですね。だんだんとディープな大洗の世界に。特に第一回目の上映のときには笑いがでていましたね。地元の人達が観ているようなリアクションでしたね。

虚空 それだけ他県のガルパンファンにとっても大洗のあちこちが分かっている・・・「ふるさと」なんだよね。

諷虹 ももちゃんが勉強できないのは家庭環境もあったという

虚空 それがさっきのアントワネットの境遇と通じるところだよね。
単に勉強が苦手とかさぼっていたのとは違う側面をみせておく。もちろん受験はそういうことは言い訳にならないけど。

諷虹 短絡的な思考も幼い子たちと過ごしているからなんですかね。

虚空 あんな幼いきょうだいがゴチャゴチャいたら、そりゃ沈着冷静にはなれないよね。

諷虹 あの長さに本当によくつめこんでいる。
コアラの森も出てきましたし。

虚空 本当に最終章の最終をはたして観ることができるのかが真面目に心配になっているよ。それまでちゃんと生きているか・・・生きていたとしても、映画館にいけるだけの資金が手元にあるか(苦笑)
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虚空 戦車道とかだけじゃなくて、ボコミュージアムにも結構尺をとっていたじゃない。
その他チームの戦車の試合よりも気合を入れて。

だからさ、それこそひたち海浜公園のノリで大洗に作ればいいんだよ。映画館も併設してさ。普段も使えるように、大規模な公民館のような施設ということにしてさ。
子ども達も学校教育の一貫とかで気軽に利用できるようにしてさ。

諷虹 知波単って今まで縛られていた分、伸びしろは一番だったのかな、って。
⇒OP曲の歌詞 「真っ新な扉 開くなら」

虚空 未開発の部分だよね。実際に「大嫌い」とか「苦手」な教科の方が、その気になったときは一気に伸びるよ。

諷虹 去年でいえば競馬界は我々にとっては真っ新な扉だったわけじゃないですか。

虚空 それこそ深夜アニメとか萌えアニメとかが自分にとっては真っ新な扉だよ。

駿煌会キーワードの「添加」だって、極意はそれだからね。苦手だとか全く分からないとか・・・そういう方が新たな風を吹かせて可能性を秘めている。
そしてバタフライエフェクトを起こしうる。

成果主義だとか競争原理だとかで「パッと分からなければならない」「詳しくないとダメ」ってなっちゃうから、そういう結果がすぐに出せそうもないことにはみんな手を出さなくなってしまう。

それに互いに叩き潰し合いの風潮もあるから、苦手なことに挑戦しようと前向きになった人間に批判をしたりね。エリートの足を引っぱるな、どうせできないんだから邪魔にしかならない、って。

芸能人でもアニメとかでも、新たなファンを歓迎しない古参ファンなんていうのも、邪魔してるよね。世の中に新しい風が吹くのを。

ガルパンでだって、テレビシリーズの初期に、黒森峰の副隊長エリカが、大洗のような初心者学校は大会に出場するな、って発言してる場面があるけどさ。これはみみっちいエリート意識を必死に守ろうとしているネット社会の住人とか、狭い地域社会でしか通用しない学歴をひけらかして大威張りで生きている連中に、共通している意識だよね。

頑張ろうという意識に目覚めようとしている者を叩き潰すしかできないんだから・・・そうでもしないと自分達の地位やプライドを保てないなんて、自ら超小者であることを認めているようなものだね。


諷虹 このあいだ10話をみていて、まほって一度たりとも油断したり相手を見下す場面ってなかったじゃないですか。王者の慢心をみせない。
大洗の方が優勝校の慢心に陥っていたというのがBC戦で出たんだなと。

虚空 それを率直に認めるところがみほだよね。西隊長に「私達ちっとも変わっていなかった」って。結構マジで。


諷虹 西隊長の「まだーまだー」っていうのも、あれだけの早い展開でありながらあの溜めはね・・・。

虚空 まさに緩急自在の演出。

結局知波単って「日本軍」をふまえているわけだよね。
だからこれもね、第二次世界大戦での日本軍云々ではなくて、水島流の弔いしなおしじゃないかね。軍の規律に縛られ過ぎないこと。

もしかすると日本軍だけじゃなくて、国民もがんじがらめになっていたというのを初期の知波単になぞらえてね。

それは、柔軟な発想をすれば戦争に勝てたかもしれない、という意味でのことではなくてさ、ガチガチの頭の軍部が政治の実権をにぎらずに、柔軟な発想にたって国際社会の中で振舞えば、あのテレビシリーズて敵チームと仲良くなるとか、劇場版での共闘のように「本当の和」をリードできる存在に日本がなれたというのを示唆しているのかもしれない。

(再び福田とバレー部とのやりとりについて)
諷虹 意味を感じ取った福田も、食べ物に意味を込めたバレー部も、どっちもね

虚空 それこそ類化性能による一般化だよね。
どれだけ関係なさそうな分野に広げていくか。
それが生きた数学の発想でもある。
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やられる瞬間にマリーさんがお菓子を食べる ということに関して
諷虹「これまでの戦車戦の中で、もっとも潔い態度だったんじゃないか」

☆「英才児・ガルパン・麻雀漫画・論理」を通して「人間や教育全般を考える」

2019年 6月16日 諷虹・虚空のやりとりです。


まずは聖徳学園英才小学校の公開授業を参観しての虚空の感想から始まって、ガルパンで新たに劇場公開されたのを機にこれまでのガルパンを振り返って、人生とか教育とかとの接点をあれこれと語り合っています。



途中からは女の子たちが主人公の(パラレルワールドが舞台)麻雀漫画のことやスラムダンクの話も大幅に取り入れながら「論理」と「感情・構え」などの関係も考察しています。



諷虹君は深夜の初回上映で観てきたのですが、虚空がまだのため、具体的な話にはこの段階では踏み込んでいません。


*聖徳の昨日のこと  落書きを注意することなく笑って通過
諷虹 最終的に信じていたら言わないですよね。
のんのんびよりでもそうですよね。夏海と小鞠で大人の対応が違う。
最終的には絵を描いていようがちゃんと戻ってくると信じているからだと思うんですよね。


虚空 放課後に授業をされた教務主任の先生と結構長時間立ち話ができたんだけど・・・いろんな発言をそのまま受け止めて、その中から浮き彫りにしていっているのが、本当にいいなって、伝えたんだよね。

そうしたら、正確な言い回しは覚えていないんだけど「人間として向き合っている」っていうような言い方をされた。

諷虹 昭和の子育てと今の子育てにもそういう部分もあるかなって。人生のレールをしくことを強要しない。なるようになる・・・どっしりした構えの人が多かったのかなって。
でも今はいかに先の道まで敷いておくかってなっちゃってんのかな、って。


虚空 もちろんレールをガチッとっていう親はいたよ。でもそういうお母さんは「教育ママ」とか、もっとひどいのになると「教育ママゴン」なんていわれていた。

優等生も「点取り虫」とかね。どっかそういうのは本来の人間性とは離れているような直感が働いたと思う。

諷虹 江戸庶民とかにそういうのってあったと思うんですよ。字は読めない、でも仕事はできる。

虚空 ちょうど昨日の中3に余談として言ったんだけど、江戸の文化の主役は庶民だった、っていうのがポイントだって。そしてね、有名大学とかそんなのがなくても、すごい人材が沢山育った。割合で考えるとすごいことだよ。今の高学歴な人間から、どれだけすごい創造力をもった人とかが生まれている?


諷虹 それこそスマホとかですぐに調べられる・・・ただ、何年に何が起きたのかとか言葉の意味とか一瞬で調べられるわけじゃないですか。
それが「一億総全員が調べられる」状態になっているけど、世の中どうなっているかというと、そんなすごくはなっていない。
だから知識を機械的にデータを持っていても、それを並べた時に何がみえてくるのか・・・類化性能じゃないですけど・・・


虚空 構造がみえる・・・それがやがて抽象化・一般化・普遍化っていう方向へ。


諷虹 月並みな言い方だと知識を活用していく。
どっかの国では計算は電卓でOKらしいんですけど、大事にしているのは活用のしかた


虚空 それは昔、特殊教育の免許をとるための講義でも話題になっていた。計算力を無理に訓練するのはしない、電卓を使わせる。でも大事なのは、今が何算になるのかがわかること。これは何も特殊教育ばかりじゃないよね。

算数が苦手な子には「せめて計算力」っていって計算練習ばかりさせるのが教育界の常識だったけど、自分はあれには異論があった。

文章題が「応用」だからやらなくていい・・・そんなアホなことあるか、って。

それこそ生活の中での算数・算術だったら、式を思いうかべられなかったら、計算力だけあっても計算できないよ。仮に電卓を使わせようとしてもキーをどう打てばいいのか分からなくては駄目なのと同じ


諷虹 ガルパンの西住流とかいっても、みほのなかでは、他にもいろいろあるし、大洗の素人集団を上手に使う。

大洗の試合を各校の隊長が観に来るというのも、ここに負けたからじゃなくて、西住みほのそういった自由自在な姿、新しい戦い方を創造していくのを学びにきているんじゃないかって。
あれだけ格言を貯蔵している・・・古きを学ぶタイプのダー様が一番熱心に通っている・・・新しきをっていうのも心がけている。

外伝作品ですけど、野試合の闘いで一番ノリノリなのがダー様。紅茶仮面なんて素性を隠してまで出ている。
虚空 やっぱりそうした二律背反・・・「どちらか」ではなくて「どちらも」。
それは「いいとこどり」というようなご都合主義とは全く次元が違う。

相反するものと、その両極の間にある、無限のものをすべて包み込んで一つの世界を構築していくっていう構え。
それが「守破離」の神髄とも連なるかな????
聖徳の数学もそうだけど、いろんな発言をとことん出し尽くしてもらっている。期待するような発言が出た時に過剰な褒め方とかしないで・・・やっぱりそういう教師の反応って子ども達はよく見ているから、何を言ってもいいんだと子ども達に信じてもらう関係はなかなか大変だけどね。
でも、一見無駄にみえてもそういう段階をたっぷり行うから、狙った事だけではなくて、そこから外れて考えるだけの自由自在も同時に獲得できるんじゃないのかな。
ガルパンでいえばさ、プラウダ戦でみほが立てていた作戦に反することでみんなノリノリだった。それをみほは受け入れたじゃない。それも「そんなことをしたらきっとダメになるから好きにやって思い知ればいい」っていうようなのではなくてさ。自分の判断が違っているかもしれない、・・・さっきのことでいえば、みんなを信じているからの発想。
諷虹 機械じゃなくて人間だから急に判断をかえるとリスクが増える、っていうことを言っています。多分10.5話だったかな???
⇒「人間は機械じゃないから、簡単にスイッチを入れたり切ったりはできないの。みんなの士気を下げたくなかった」
(罠にかかってみんな意気消沈・・・士気を失う・・・あんこう踊りで回復)
虚空 そんな風にストーリーを組み立てるんだから、水島監督って教育者の素養がバッチリだよね。とんかつ屋の常磐さんも教育者・・・名校長になれるタイプ。
(10.5話を観ながら)
虚空 「ありさ」が自分の学校より大洗が格下だということにこだわって混乱を余計に増長させていたよね。感情やイメージで切り捨てられるものは自由にオンオフできるかどうかだよね。
*生徒会室 コタツの鍋
諷虹 これで距離感が変りましたよね。
虚空 「包み込む」「囲む」・・・日本文化の神髄の一つだよね。
美味しんぼでもあったけどさ、外国人が「どんぶり文化」と「海苔巻き文化」の論争をする回があったけど・・・どちらも片っ端から取り込んでいく点では同じ
諷虹 「昔の母校」っていうこのセリフ・・・この間からの「母校」の話・・・なのはA’sのフェイトじゃないですが「過去との決別」。
*決勝前のみほのメンバーへの語り
「明日対戦する黒森峰女学園は私がいた学校です。でも今はこの大洗女子学園が私の大切な母校です。だから私も一生懸命に落ち着いて冷静に頑張りますので、みなさん、頑張りましょう」
虚空 「ここが母校」っていうのを「だから」と受けて「おちついて冷静に」っていう言葉に流れているっていうのも、面白いね。地に足がついた意識になれるから「おちつける」ともいえるから。
実際に「おうち意識が薄い」なんていうと精神的に不安定になったり、真の力を発揮できないよ。意識のベースが崩れているから。 
あとはさ、ソルティさんからのことで出てきた「ふるさと」をどうつかまえるかとも関わるね。
一度きちんと決別する・・・でもそれは「捨てる」とは違うわけだよね。意識世界の中ではつながっている。でも現実世界で「いつでも逃げ場所」と自分で思ってしまっていると、本物の力が出ないこともあるからね。「背水の陣」に成り切れるかどうか。
ふるさとの人たちが「いつでも帰っておいで。」って言ってくれるのは大事。でも本人がそればかりを言っていたら、それは必要以上の甘えになってしまう。
これが難しいバランスだよね。
*決勝の直前 ダージリンがみほに
ダー「あなたは不思議な人ね。闘った相手みんなと仲良くなるなんて。」
みほ「それはみなさんが素敵なひと達だから」
ダー「あなたにイギリスのことわざを贈るは。 四本足の馬でさえつまづく 強さも勝利も永遠じゃないわ。」

*黒森峰のエリカのみほをバカにしたセリフ「弱小校だとあなたでも隊長になれるのね」
を改めて考える。
⇒ もしみほが黒森峰に居続けたら、現在エリカは副隊長になれなかったであろう。
みほを批判してばかりいるが、それは危機感の表れとも考えられる。
結果を出せなかったら、自分が副隊長として格がないことになってしまう?
あるサイトでエリカとみほの関係を独断と偏見で(?)解説しているサイト
(この人の意見は みほのキャラからすると不自然な考察もある)
https://ch.nicovideo.jp/hito_hoshi_gomi/blomaga/ar163008
*戦車に手をあてて「がんばろうね」
物としてではなく仲間・パートナーとしての見方
試合後の傷だらけのアンコウへの眼差し


諷虹 黒森峰の小梅・・・みほが助けた子ですけど・・・とのやりとりで、みほが長い間ずっと心の中でひっかかっていたことが解消されるわけですよね。
秋山とのやりとりもあって。
::::::::::::::::::::::::::::
小梅「あの時はありがとう。あのあとみほさんがいなくなってずっと気になっていたんです。・・・でもみほさんが戦車道をやめないで良かった」
みほ「私はやめないよ」
::::::::::::::::::::::
秋山 西住殿、良かったですね。仲間を助けた西住殿の行動は間違ってなかったんですよ。
みほ 今でも本当に正しかったかどうかは分からないけど、でもあの時私は助けたかったの。チームメイトを。だから、それでいいんだよね(開放的笑顔)
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諷虹 よくガルパンで戦車の上でみんなで食べるシーンがありますが、これも雌雄同体じゃないですが、戦車がレジャーシートの上みたいな・・・外でありながら内である「縁側」のような領域。
::::::::::::::::::::::::::::::
サンダースへの初勝利のあとのやりとり
秋山 勝ったじゃないですか
みほ 勝ったというより、何とか勝てたという感じだけど
秋山 でも勝利は勝利です。
みほ そう・・・だよね。勝たないと意味がないんだよね・・・
秋山 そうですか?楽しかったじゃないですか。サンダース付属との試合も、聖グロリア―ナとの試合も、練習も戦車の整備も練習帰りの寄り道も・・・みーんな!
沙織 うんうん。最初は狭くてお尻痛くって大変だったけど、なんか戦車に乗るの楽しくなった。
みほ そういえば、私も楽しいって思った。前はずっと勝たなきゃって思ってばっかりだったのに。だから負けた時に戦車から逃げたくなって・・・。
秋山 私、あの試合、テレビで観ていました。西住殿は戦列を離れて助けに向かったんですよね。
みほ でも、私の戦車はフラッグ車だったからそのせいで撃たれて負けて10連覇できなかった
秋山 私は西住殿の判断は間違っていなかったと思います。前にも言いましたけど、助けにきてもらった選手の人たちは西住殿に感謝していると思いますよ。
みほ 秋山さん、ありがとう。
::::::::::::::::::::
諷虹 この時はまだ完全には晴れていないんですね。
小梅さんに言われてはじめてそれが確認できて・・・・

虚空 あとさ・・・今日、ブックオフで シノハユ の1巻を立ち読みしたんだけど・・・
勝負ごとに「好き」という感情はいらないとか邪魔みたいに言い張るキャラが出てるじゃない。

諷虹 2巻はその好きはいらないって言っていた子の視点なんですよ。その背景が描かれている。

虚空 昨日の聖徳で先生たちと語り合ったことにもつながるんだけど、聖徳の子って基本的に勉強を楽しんでいる、面白がっている。でも世間的にはそういった態度・・・楽しく勉強しているのは真剣みが足りないとか、そういう見方もたくさんあるじゃない。

進学塾なんかでなんてそうだよね。間違った時には真剣に悔しがれとか。

2年を担任した時に、体育会系の学年主任に学年体育のあと、叱られたことがあるんだけどさ・・・うちのクラスの子で、ドッヂボールで当てられたあと「当たっちゃった」って笑ていた子がいて・・・もっと当てられて悔しいとか、そういう気持ちを持たせないとダメだ、とかね。
でも、自分はそういう感情を否定はしないし、時には大事だとは思うけど、強制的に受け付けるもんんじゃないと思っていてさ。

まず楽しいとか・・・それはヘラヘラという軽いノリの楽しさばかりじゃないわけだろ。

真剣にやって高度なことを乗り越えての楽しさ・・・ライバルに打ち勝ったとか・・・そういう充実感だって「楽しさ」のうちだよ。

野球とかで優勝したときのビールかけとかだってそうだろ。

そういう意識が土台にあった上で、どこかの段階で初めて「悔しさ」を感じた・・・その時でいいんだと思うんだよね。自分がそう思ったらで。

それを何でも先走って大人が対応する術を仕込もうとするから、かえって何も分からなくなる。

シノハユ2巻冒頭
「石飛閑無 小学3年生 基本無敵  自分を妨げるものがこの世にはある なんて考えたこともなく 甘やかされて知識もなくて なんとなくぬるま湯の中にいた・・・」

虚空 この冒頭さ・・・ずっと議論になっている「分母分子の転換とイマジネーションの関係」ともつながってくるって思っちゃった。

上原先生が、本当に口をすっぱくして中学年には論理の訓練をしろ、感情やイメージと言葉が切り離された世界があることを理解させるように、って。

難波先生の学会発表もこれと密接な内容だった。特に小学校のあと・・・中学生や高校生もふまえての視野からの内容だったから。
*コミック2巻をみながら

このキャラの名前もすごいよね。「閑が無い」・・・「石が飛ぶ」・・・別に石を投げるという方じゃないよね。飛び石連休の方のだよね???

その子が「いつの世も革命ってのは私みたいのが起こすんだ。」って主張しているよね。上原流にいえばトランスフォーメーション・・・意識や時空の転換。

でもすぐあとに、何でもみんなより出来て無敵な場面が続いて「なんだろ、最近なんか食い足りないような感じだ」ってぼやいているよね。
・・・で、麻雀に出合うわけか・・・。

*「煩雑でわかりにくいルール。意味不明な要素満載。・・・クソゲーっぽいけど、退屈しのぎにはなるか」
*一か月後の4年生になって、大会で同じ学年の子に負けてくやしがる
「自分は最適手を選択していたはず、。それなのにあの結果。最悪だ。最悪のゲーム。でも、このままずっと運のせいにしていたら、本当に負けたことになる気がする。」

諷虹 将棋だったら勝てるんですけどね、最適手ばかり選べれば。
*「つまり!!私はまだ完全に負けたわけじゃねェ!」
虚空 ここさ、気持ちを立て直すのに一種の「論理性」を持ち込んでいるよね。理詰めで自分を納得させている。これ理屈に合わなかったら・・・何の根拠もないと自分で分かっているような強気の発言だけだったら、口でいいつつも内心は余計に落ち込んでしまうのかもね。

そこが4年生っていえば4年生らしく描かれているといえるかな。
*「人間相手にもっと練習する必要がある…か!!」

虚空 理屈で納得したあと、これも話の筋道で今後の対策はどうあるべきかを組み立てて動き出すわけだよね。難波先生がよくいう「論理思考の裏づけ」との接点を感じる。

根っこを育てる国語教育 -第三項理論と児言態理論- 難波博孝(広島大学)
⇒「論理と読み手」に関する質問に対して

難波 児言態の理論にのっとって、論理も感情もイマジネーションの上にのってかっているものだと考えています。私もそれに従っています。

従って論理によって人の発達を促すことは出来ると考えています。その場合の論理はイマジネーションの裏打ちがあっての論理だというところがポイントだと思っているので、その論理自体が如何なる人でも無意識のイマジネーションとつながっている形で表現されていると考えます。

例えば高等学校でいえば評論文が、筆者のイマジネーションが無意識が論理という形でかなり強く現れていると思います。従って筆者の論理であるという事は間違いなく筆者のイマジネーションと出会うことではないかなと、今考えたんで・・・今考えたんで・・・すごく私はいまの質問によって研究が進むように感じました。ありがとうございました。
 
*続きの場面、自分のトラウマが刺激されるような周囲の言葉でいちいち感情がゆさぶられている描写が続く。

先の学会やりとりのちょうど続き
⇒「ゆさぶり体験」ということに関する質問に対して
難波 まず前提としてはここでは小学校高学年になっているということを注意して頂きたいと思います。その上で今おっしゃったように自分の中で「そう読んでしまう読み」を転換させていくようなゆさぶりが大事だと考えます。先ほどの発表ともつながると思うんですが、やっぱり登場人物で読んでしまうのに対して作者から観るという視点が大事です。

大事なのは作者や語り手として読んでいったときに、読者という学習者がイマジネーションを発動していけるようなゆさぶりになっていかなければならない。作者・読者ということをただ教えていくような授業ではダメだということだと思います。

これは先生の御専門の説明文である場合でも、筆者の事を教えて筆者が分かるというのではなかったと思うんですね。筆者というものを新たに想定していくことによって今まで見えなかったものがみえる。それは自分の浅い確認から深いところからのイマジネーションが沸き上がるのかなという気がしています。
*閑無 私は麻雀が大嫌いだ!でもあいつに勝ちたいから付き合ってほしい。
補足1巻「知ってる?一流のアスリートにはその競技が好きじゃない者も多い。好きかどうかよりまず負けず嫌いなんだ、私もね」
諷虹 身長でかいからバスケとかもありますからね。

虚空 以前プロ野球のある選手が「好きな野球を毎日やれていいですね」って言われて「仕事でやる野球は楽しくない」って答えていたよ。

諷虹 イチローも似たようなことは言っていましたね。これからは草野球をやってみたいようなことに関わっていきたいって。
この漫画の面白いところはキャラの視点をかえて同じ事を描きながら話がすすんでいくんですよね。

虚空 同じ出来事でも認識の主体が変れば世界が違う、っていうのを具体的にみせている、っていうことだよね。「自分が思っている当たり前」とか「真実」は、今のあなたが認識してとらえているその位置づけでできている世界なんだ、って。

だから違う人間には当然違う世界になるし・・・また同じ人間であっても意識の軸が変化すれば「過去」だって変わる。

昨日もそんな話が出たんだけどね。「過去は変えられないけど」なんていう言葉が全体会で紹介されていてさ・・・
*一時的に閑無さんがトップになった時の内言
「順位を見ろ!今、私がトップ!去年のはナシだ!!」
諷虹 去年の10月の50周年の時・・・第三項理論の須貝先生が、ヒマワリフクロウさん懇親会で話していた時に、「過去はかえられないから」って言ったのに対して、須貝先生が「いや、過去は変えられますよ」って言ったんですよ。

「どんなにひどい過去でもそのあとに成功してしまえば、そんな過去も良いものになる。だから過去は変えられるんですよ」って。


虚空 まさに昨日そんな話も飛び出したんだよ。


諷虹 さっきの「今この瞬間」っていうのと「論理性」ってことで・・・スラムダンクでありましたよね。

試合の最初の2点を桜木花道が入れた時に「今湘北の全得点をこの桜木が!(今のところ)」っていって気持ちを盛り上げている場面が。

虚空 まあ、嘘ではないよね。

諷虹 論理的に「正しい」からこそ、自分への理由付けとして

虚空 その正当性がお墨付きになる、っていうことだよね。
そりゃ普通に考えれば何十点も入れていて、それが自分一人で叩きだしたというならいざ知らず、試合開始直後の一回のシュートだけで何を言うんだ、ってことなんだけど・・・でも、論理的に誤りはない。

高学年以降、ましてや中学生や高校生で論理や知性に目覚めている子ほど、理屈に合わないことは受け入れないことがあるよね。単なる精神論とか気分の言葉を「軽蔑する」姿勢。

夢の世界の発言を「幼稚っぽい」「もう自分はそんな子供じゃないんだ」って排除、拒絶する意識。

聖徳の子はどっちも共存していくのが自然体なんだろうけど、普通はそういう段階の子にそのまま「余計なことを考えずに昔みたいにイメージして」っていっても、なかなか「ハイそうですか」とはならないよ。時に生真面目な子なんてさ。

もう一つは、さっきも出ていた、一旦現実思考になった後の境地は別次元になるという問題。想定外というか・・・人知を超えた・・・奥底から思いがけずに湧き上がってくるいイマジネーションの世界。これをひっぱり出すのは自然に思い浮かぶように、というだけではなかなか出てこないから。


諷虹 先ず一勝した時に「先ず一勝」と思うのか「今のところ全勝」と思うのかですよね。事実は変わらないにしても、人に勘違いさせると同時に、自分自身も騙せるというかな・・・。自分自身をだます、ホラにも似てますが、嘘じゃないところが強い。ホラに残ってしまっているマイナスもなくなっている。


虚空 論理が使える子・・・大人でもそうだけど、常識とか思い込みをオフにして、あらゆる想定をパッと場合分けしてしまうことができる。そうすると想定外の回避の道が「あるじゃない」って気づける。


論理性とはちょっと違うけど、咲でもあったよね。構えが変ったら、今この瞬間に自分の前に並んでいた牌の配列が全く違ってみえてきた・・・悪い並びにしかみえていなかったのが、そうでもない見え方になった、って。
麻雀に限らず「悟りを開く」ってこれだよね。

さっきの過去が変るっていう問題でもね・・・・昨日聖徳の数学の先生と話していた時に「児言態でありながら小学校の国語」が封印されて「中学生や高校生に数学や理科ばっかりを教える20年あまりだった」って。でも逆にいえば、本気で理数と感情・イメージとかの人間性の問題を直結させて考える発想がでてきた、って。

国語嫌いの子に理数の話題ばっかりで授業をして、結果として国語の得点力が上がったり、人間感情の問題を解決できた例も話したんだけど・・・

そういう実際の姿をみせてくれた人たちによって、過去の自分が変化できている、っていうのは感じられた。


諷虹 シノハユの続きで口では否定的な言い方をしていても、表情が変わってくるんですよね。


虚空 まだ読んでないから何ともいえないけど、それも新たな経験とか出会いによって、意識や構えが変化して・・・それによって過去も含めての意識世界が変化した、っていうことだよね。

何度もいうけどさ、そりゃ普通に生活を送って行っても、突破口を見出せることは普通にありうるよ。

でもね、結果として同じ打開策をとってもね、自分の中から沢山想定できた中で選んだのと、一つしか浮かばなかったのが、たまたま上手くいったというのは違うじゃない。
それは決まりきった問題しか出題されない中間や期末で高得点できる子と、何がどんな形ででるか分からないテストでも得点できる子との違いだよ。

人生そのものでいえば、常に正解と思えるような助言をしてくれる存在に頼り切りになって、失敗なく生きて行こうというのと、失敗をしながら知恵を会得していく・・・修理固成をして生きて行っているか、の違いでもある。

咲でも特殊能力に頼り過ぎて勝ち進んでいる子が案外何かのきっかけでそれがうまく機能しなくなると脆く崩れてしまう場面が結構あるじゃない。あのメガネの・・・

諷虹 染谷まこですね

虚空 ど素人にあっけなく負けてしまう。それは自分の特殊能力が活かせない相手だったから。でもこの前もいったけど、そんな能力使わないで、普通の人間として麻雀していればきっとあっさり勝ったかもしれないわけだろ。ビギナーズラックがあったにしても。

だからさ、郡司先生が指摘していた江戸庶民の発想・・・同時に複数のことをみて進めていける・・・自分はそれを「多次元構造の同時進行」って名付けているけど、そうした「重ね合わせ」だよね。量子論的な「相補性の原理」。
成果主義とか、失敗をしないように、とかを気にし過ぎたら、そんな多角的な視点とか意識は育たない。

昨日たまたま聖徳の子が休み時間に廊下を走り回っていることについての話題も出たんだけど、聖徳の先生たちって特に注意とかもしてなかったじゃない、一昨年参観した時だって。でも聞いたら特におおきな怪我はないんだって。

だから「もしかすると、走り回りながらも周囲の状況を多元的にパッとつかめているからかもしれないですね。それも英才児としてのいい訓練になっているのかもしれませんね」って言ったんだけど・・・それは量子論のことで2個のボールを使ったドッヂボールの話から湧いて出てきた言葉だった。

今の普通の子たちに学校の廊下を走っていいよ、なんていったら衝突事故が多発して大怪我するだろうね。全く周りが見えていない状態で突っ走るから。

車の運伝でもF1レーサーと違って一般人が運転してレースに出たら自分も他人も巻き込む大事故をあっというまに起こしてしまうのと似ているんじゃない?

だから適度の失敗とか怪我とかの体験を小さい時から積み重ねておくのは大事だよね。
人間関係のトラブルとか喧嘩もね。

それをとめすぎる、相手の親をすぐに訴える、学校の指導力不足として攻撃する・・・そんなことをやり続けていたら、全くダメな人間しか育たないよね。
西住みほみたいな生き方ができなければ、これからますます多様化して予測不可能な世の中には対応していけない。
今の自分がとんでもない転倒をしても致命傷にならないでとりあえず生きているのも、小さい頃から転んだりはいっぱいしてきたからかね・・・。
(補足 その時、難波先生からある女子高の話も紹介された)