忍者ブログ

☆ダンデリオンツイッター 「令和」は「霊和」より⑤ 見た目の裏に隠れているものを感じる

2019年5月10日 諷虹宅-3
いろいろな話がごちゃ混ぜになっていて、まさに混沌状態ですが・・・とどのつまりは「修理固成」(日常生活から見えない世界の理(ことわり)を実感していく)重要性・・・それが上原輝男先生の「生態研究としての授業スタイル」が如何に重要か、という話になっていきます。




虚空 オヤジの古事記解説は「現代に生きる古事記」っていうのが究極のテーマ。そこで大事にされている言葉が「修理固成」

物事の真理は生活を通して感じ取っていかなければ意味がない、っていうこと。
理屈だけで分かった気になってしまうと、それこそ180度とか0度とか・・・キリのいい形のイメージだけで考えようとしてしまう。複雑になってしまうと単純に分った気になれなくなるから。


諷虹 「温故知新」みたいなものですかね


虚空 そこに、今この瞬間の・・・・「旬」「垣間見」の感覚も融合させていく、っていう感じだと思う。


諷虹 トレンドとか流行・・・今風にいうと。ブームっていうのには波のイメージがありますよね。広がっていくのもそうだし・・・


虚空 「現世は波」っていうのが誤解されてしまうと妙なことになる。流行は流れ去るものなのに、そこに絶対的な普遍のような価値観を抱いてしまうとかね。


諷虹 この前ツイッターに載っていたのは・・・オジサンたちも流行に乗ることはできる・・・ただ若者と違うのは、おじさんたちは流行のやめどきを見極められない。だから流行が去ってしまっても、新しいものだと思って使い続けてしまう。


虚空 すべってしまうオヤジギャグのような感じかね・・・でも若者には「どうだ俺も若いだろ」って胸を張っている。「すくらっぷぶっく」に出てきた校長先生が海水浴でサングラスをかけて中学生たちに「ナウいじゃろ」って言ってドン引きされていた場面があった。
波なんだから浮き沈みもあるし、潮時もある・・・。

生活を通して、どこが仮の価値で、どれが普遍的な価値なのかを探求することがね。


諷虹 (ニュートン2015年5月号 記事「いにしえの色彩を求めて」)
ネット上での紹介ブログ画像
http://ricky4968.web.fc2.com/kimono/clips/kohrin_ogata.html
解説が詳しいサイト
https://yoi-art.at.webry.info/201202/article_2.html



虚空 だいたいさ、仏像とかだって古びて風情がある、なんていうけど、作られた当時はね、それこそタイやビルマやチベットのような金ぴか姿だったわけだよね。
当時の人たちがみていたのもとはまるで違うものを見ていたわけだよ。


諷虹 こうやってみると天の川じゃないですけど、川を挟んで白梅と紅梅なんですね。


虚空 織姫と彦星・・・あのさ、どっかで以前読んだことがあるけど、一説にはこの梅はね、左が女性で右が男性を表している、って。

https://karintei69.exblog.jp/13183461/


諷虹 本当にそういう意図があったのか・・・まさか数百年後にそういった解釈をされると思っていたのか・・・


虚空 「バレたか」って照れているのか、「ふざけるな!」って激怒しているか・・・


諷虹 描かれた当時の印象だと今のと全然違うから・・・・。
この川の模様の渦・・・混沌の感じがね・・・うらら迷路帖の神様もこんな感じでしたよね。渦の感じが・・・この作者(はりかも)は色使いが毒々しい感じ。


虚空 それがまじりあって一つの世界が作られているわけだよね。他の人が気持ち悪がるようなものもポップに表現しているんですよね。

「はりかも画集」ネット検索
https://www.google.com/search?q=%E3%81%AF%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%82%82+%E7%94%BB%E9%9B%86&tbm=isch&source=univ&sa=X&ved=2ahUKEwjBvs6UkJHiAhVcIqYKHeJcCpAQsAR6BAgJEAE&biw=1280&bih=578
作者言
「少年少女と怪獣や異形の生き物の組み合わせが好きです。

(中略)強い色をどんどん置いていって、まとまらなくてもまあいいや、という。まあ楽しいから上手じゃなくてもいいや、という感じだったのが、仕事で絵を描くようになって、それじゃだめだと思ったり、でも楽しくないとな・・・と思ったり。

日々さまざま悩みつついろいろ追われながら描いていても絵を描くのが毎日楽しいです。ありがたいことだなと思います。


虚空 さっきの漫画の中のセリフともかぶっているね


諷虹 なんか心に闇があったんだろうな、って感じますね。ヘビだとか蜷局を巻いているのとか好きなんですかね。


虚空 そこの蓄積がさ、うらら迷路帖にもなっているわけだよね。
イラストとか漫画って、外に向けての表現だよね。外だから「外積」の方、って単純に考えるとさ・・・真逆ではないいろいろな人生でのことが上向きのベクトルをいくつも作ってさ・・・そのベクトルの和が天や宇宙の意識に向かっての上昇力になっていく・・・なんていうイメージが湧いてきた。

まどかでいえば、歴史上世界各地の魔法少女の多種多様な絶望感の集積が、外積っぽい原理で相転移して、より「円環の理」が回転していく・・・宇宙全体を包み込むエネルギーを増大させていく・・・そんな感じ。


諷虹 商業となると純度100%の作者の思い通りにはならないじゃないですか。担当さんの意向とかも入って。それによってのベクトルの向きの変化も踏まえることになる。


虚空 だからさ、駿煌会のウリは、立場も経歴も年齢も違う同士のやりとり、っていうのがね、やっぱり大きな意味をもってくる。
学校でさ、単に「合っているか間違っているか」だけを判定する授業が何も生みださない、っていうのは今日の外積の例えから言ってもよく分かるよね。
でもさ、教師主導の先生ほど、自由に発言させると授業の収集がつかなくなるから、どうしても「あれかこれか」っていう二者択一で発言を分類していってしまう。

いろんな発言があればこそ、それを重ね合わせた時に、一人では絶対にみえてこないような全体の構造が浮かび上がってくるのにね。それこそ大いなる世界に昇華されていく。クラス全員の意見を活かせば活かすほどね。
でも合っている間違っているだけの判定・・・教師の期待する発言かどうかだけの判定者になってしまっての授業はね・・・。


上原先生の言っていた「言語生態」の授業っていうのは、まさに上昇気流を作り出す。
PR

☆ダンデリオンツイッター 「令和」は「霊和」より④ 「霊的存在への昇華」と「ベクトルの外積」

2019年5月10日 諷虹宅-2です。

ダンデリオンツイッター記事の中の、特にこの部分に関してのやりとりになりました。「うらら迷路帖」の主人公「千矢」の名の由来から「ベクトル」ということが連想され、また天に昇華していく、という記事内容から、諷虹君が「ベクトルの外積」という概念を持ち出してきました。

ベクトルの内積は高校で習った方々も多いと思いますが、外積っていうのはたぶん習っていないと思います。簡単な例が、中学校の理科で「電流」「磁界」「受ける力」の関係を90度に直交する矢印で習ったと思いますが・・・あれです。

理科的な部分が苦手だったら、そこは読み飛ばしても結構ですが、そこから得た二人の仮説などは是非お読みください。

(ダンデリオンツイッター記事後半)
結論から言うと、やはり「霊和(れいわ)」なのです。

繰り返しますがこの序文は、大宰(だざいの)帥(そち)大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅に集まって宴会を開いたときに梅の花に関する歌を詠みあった話、とされています。のどかでのんきな場面と思われるかもしれませんが、おそらくそうではありません。武将としての功績もあった大伴旅人は、その武威を警戒されて、大和(今の奈良県)から遠く隔たった筑前国(今の福岡県)の大宰府の長官として、老年に至るまで中央政界からは遠ざけられます。藤原氏を中心とした、物部氏や蘇我氏のグループによる陰謀です。こうしてその旅人を中心として形成されたサロンは、『老子』の影響も受けた反権力、反政府の気概に満ちたものだったのです。



命あるものの全てが、その生命の輝きを発揮し始めるのが春です。そしてどんなに厳寒の中に在っても、その春の気を真っ先に感じ取って花咲(はなひら)く霊木が、梅です。


梅の開花に呼応して、雲がこの世の自然界を覆い、そうした霊気の中で、旅人たちもこの世の秩序から逸脱して霊的な存在へと昇華してゆく。



一個の人間としてのちっぽけな輪郭が熔解して、宇宙そのものと共鳴一体となる。人間界の言葉を忘れ、この小さな身体を雲散霧消させようという境地は、確かに老子荘子の「道・徳」原理に通じると同時に、一切の権威・権力から自由であろうとする宣言でもあります。


虚空 この部分がさ、特にひっかかってて・・・自分のここ数十年の恨みとの関係もあるんだけど・・・ここから今日来る時の車の中で考えていたことがあって・・・で、着いたら「うらら迷路帖」のこの話で・・・・。あとは確率とかベクトルのこともね・・・


諷虹 いつもよりピンとはきていないんですけど・・・何でしょうね・・・一番しっくりくるのがかぐや姫の部分で、あんだけおいおいと泣いていたかぐや姫が薬を飲んだ瞬間に人間的な感情を失って・・・キュゥべえ的に言えば感情エネルギーが一気に解放されて別のものに置き換わったわけですよね。

そこでさっきの(科学雑誌 ベクトル特集記事の外積)内積って射影じゃないですか。自分達の、人間界の尺度におろして考える・・・下ろして観測する。虚軸の世界を無理やり実軸におろしている感じ。


で一方外積って、同じ平面上にある二つのベクトルから全く別方向にベクトルが生まれるわけですよね。この二つを実軸・・・実世界・・・とすると、それとは違う方向を向く。並行なベクトルの外積はゼロ。別方向を向いている方が新たなベクトルが生まれる。
(外積=二つのベクトルの両方に垂直なベクトル・・・簡単な例 フレミングの左手の法則)


虚空 そうするとさ、この垂直方向が霊界とか天界への矢印っていうことになる?
さっきの千矢の名前の由来から考えてみるのも面白そう。


諷虹 (フレミング)これも電場と磁場・・・場と場の積から力のベクトルが生まれてくる。
霊界とか霊和・・・これは和でなくて積ですけど・・・実軸方向のベクトルではないんだと思います。


虚空 ここから何を思いうかべたかっていうとね、まどマギの最終回。あのドロドロした状況の中でまどかの存在の相転移・・・円環の理として昇華された。

あの場面がね、何だかこの記事の内容とつながってさ。さらに言えば、あの呪われた気持ちで魔女化してしまったさやかだって、相転移・・・。歴史上すべての魔法少女の絶望が相転移したのも、まどかが「霊和」したから、っていうようなね。

で、ここに来て読んだうらら迷路帖でも、千矢が一番占という一般には見えないあの町の秘密のコアの嫁となる。そしてさ、両親が消えていく・・・消えていくけど、千矢は全く違う境地に達して、ある種の幸福感を得ている・・・そんなところがね。


諷虹 電磁波の模式図・・・右脳でとらえると面白いと思うんですが、二重螺旋構造にもみえるよな、って。電気と磁気が常に直交している。実軸と虚軸に近いですかね・・・直交しているものの内積はゼロなんですね。内積的に見ると磁気の世界には電気の世界は関知されていない、電気の世界には磁気が感知されていない・・・でも外積という見方では関係がみえてくる。
http://sekigin.jp/science/phys/gallery_phys/050301.jpg

外積についての簡単な解説サイト
https://mathwords.net/gaiseki




虚空 真逆のベクトル同士だと???


諷虹 内積はマイナスになると思うんですけど・・。(+1、0)と(-1、0)だから-1ですが・・・外積はゼロ。そうすると90度の時に最高値になって・・・90度違う・・・真逆というよりは、全然違う方向を向いている場合に最高値になる。


虚空 それこそさ、真逆だったら関連性は簡単なんだよね。

全く関係なさそうな二つの世界を結び付けることが「類化性能」ということからすれば、類化性能が発揮されることが異界への扉も開く。それこそ人知を超えた類化性能が「宇宙そのものとの共鳴一体となる」っていう感じかな


諷虹 今季アニメでいえば異世界カルテット・・・・「このすば」の軸と「オーバーロード・幼女戦記」の軸との関係が90度の関係なのかな、って。


虚空 まどマギだとどう思う?


諷虹 例えばマミさんとか杏子とかさやかの向いている方向と、ほむらの向いている方向って絶対違う方向ですよね。「魔女を狩る、狩らない」とか「人のため、自分の為」とかだったら真逆の関係ですけど、ほむらがみているのは「まどかのため」という別方向。加えて言うと、キュゥべえは「宇宙のため」と言うベクトルでみていたわけじゃないですか。10話11話では、まどかがそれぞれのベクトルを加味して判断した・・・これも立派な外積。

さっきの千矢もいろいろな可能性を観ての決断。


虚空 「あれかこれか」ではなくて「あれもこれも」っていうのは、単に二者択一じゃないんだよね。それ以外にも無限の方向・・・ベクトルが存在するっていう発想。


諷虹 ほとんど機能していませんが一応、国会もその仕組みになってますよね。本当はいろいろな立場の政党があった筈なのに、今は与党と真逆というばかりの存在に・・・・


虚空 だからさ、権力者とか、権威主義の人たちがすぐに持ち出して迫ってくる「イエスかノーか」っていう二者択一っていうのは危険だし、何も昇華していかない。何も生みださない。しかもさ、実軸に投影されるのが内積、っていうことで例えれば「マイナス」しか生みださない、っていうことだよね。


諷虹 この90度っていうのがね・・・「1」と「虚数単位 i 」の関係だって90度じゃないですか。慣用句でも180度考え方が違う、っていうのはありますが「90度考え方が違う」っていうのはないですよね。


虚空 この前も話題になった「愛情の反対は憎しみではなく無関心」


諷虹 愛情と憎しみと無関心のベクトルってどういう角度で混じわっているんでしょうね・・・。反対っていうからには真逆だからゼロなんでしょうけど
虚空 そのこととさ、さっきちょっと出てきたかぐや姫が地球の記憶を失うとか、人間の感情を失う、っていう関係もね。


ダンデリオンツイッター記事
同時に、これより後世の平安時代に成立した「竹取物語(かぐや姫の物語)」の元型がここにあったのだと思わされますこの梅の花三十二首のあと、関連する歌が挙げられますが、「故郷を思う歌」二首が、「雲に飛ぶ薬」をテーマにしています。この仙薬(霊薬)は、服用することで「雲に飛ぶ」だけでなく、變(お)若ちる、すなわち若返り不老長生するというのです。

「竹取物語」のラストシーン、かぐや姫が不老長寿の薬を天皇にプレゼントし、自分は月世界へと飛翔する仙薬を喫(の)んで、地球界でのことをすべて忘れてしまうという場面に、見事に受け継がれていたのだと気付かされました。反権力とは、既存の権力体制を否定することではなく、その権力体制を包摂する宇宙になること、すなわち「霊和」というダイナミズムなのでしょう。


諷虹 考えて観れば月に帰るっていうのは縦の移動じゃないですか。異国とか海の向こうとかだと平行移動だけど・・・


虚空 そこに不老不死とか記憶喪失になるとか・・・。


記憶だって、寿命だって現世での大きな価値観だけど・・・だから老後に認知症になるのかどうかをみんな問題にしている。でもうちのじいちゃんが入院した時の急速な認知症もそうだったけど、ボケるから現実の絶望感に押しつぶされないで済む、っていう側面は感じたからね。だからボケるっていうのはもしかしたら、摂理なのかもしれない、って。


ちいちゃんのかげおくりのクライマックスだってね・・・現実と別の意識世界になるという機能が人間のイマジネーションとして備わっているから、昇華モードになれた。


それがさ、円環の理になれたまどかの表情と妙につながるんだよね。


ほむら以外の記憶からはみんな消えてしまうし、円環の理として時空を越えた存在になる・・・形態は違うけど、不老不死の一種じゃない。



諷虹 あれはどうですかね・・・人類補完計画。ネルフは使徒の殲滅とかゼーレのシナリオとか、ゲンドウがユイを甦らせたいとかというように全然違う方向。シンジはシンジの方向性ですよね。それぞれ真逆とは違う向き。それぞれの思惑っていうやつですよね。
で、最終的にみんなLCLに還元される。


虚空 個人ラインの方なんだけどさ、ヒマワリフクロウさんがこんなコメントしていた。

ヒマワリ
近いだけの血の繋がりを親族と言うのは薄っぺらいもののようですね、ダンデリオンのお話にあった「コミュニケーション能力」みたいな薄っぺらさ。子育てや介護みたいに家族だからこそ辛いものは、血の繋がりのない他者の方がよっぽど素直になれたりするし。
それこそ他者が自然や宇宙にまで繋がって、共鳴が起きたり…みたいなことを今回のダンデリオンのお話そんな感じに捉えてます。
LCLのスープになる感じ。


諷虹 これは血のつながりがあると似たような方向になっちゃうとかで平行なベクトルの場合になるのかな・・・外積はゼロ



虚空 親族同士の骨肉の争いなんていうのは真逆の対立になる。これも平行は平行だからゼロ・・・お互いに自滅っていうことだね。



諷虹 「東京に出てミュージシャンになるんだ!」って父親の反対を押し切ってっていうのも、父親とは真逆のベクトルを目指そうと・・・対比を無理やり真逆の方、真逆の方って・・・


虚空 二者択一のままでの平行線では、それこそ話し合いは平行線で終わりました・・・だよね。


諷虹 フトね、さっき「君の名は。」のことを出したからなのかもしれないですが、前半の三葉のね、東京に憧れる様子と、村から出ない生活をというクラスメートとのやりとり・・・その後に瀧君の体での東京の生活になるわけじゃないですか。生活スタイルの違い。性別が180度違うってだけじゃなくて、村と都会も180度違う。


虚空 これって性別真逆っていう要素と、生活空間真逆っていう要素が同時にからむわけじゃない。こんな複数のベクトルのってないの?


諷虹 ベクトル三重積っていうのがありますね。結合法則が成り立たないっていうのは面白いですね。交換則も成り立たない。


「君の名は。」の場合は、単純に真逆というよりは「田舎育ちの女性」とか「都会育ちの男性」がそれぞれ肉体が入れ替わっていることから「女性らしい男性」「クラスの女子から憧れの目でみられるような男っぽい女性」っていうことで180度とは違いますよね。


虚空 そこが現実生活での妙だね。

☆ダンデリオンツイッター 「令和」は「霊和」より③ 千里眼能力を持つ少女「うらら迷路帖主人公」

2019年5月10日 諷虹宅やりとりの1 (午後7時半頃開始)
諷虹君がブックオフで科学雑誌ニュートンを何冊も購入。
そこから話は始まりました。
またずっと二人で話題にしてきた「うらら迷路帖」という一流の占い師を目指す少女たちの異界でのことを描いた漫画の連載が来月最終回をむかえるということから、「先を見通す千里眼」と「パラレル宇宙論をふまえた運命論」の方向に話が進みます。


漫画の内容が分からなくても、趣旨はわかるように書いたつもりですので、パスしないで読んでみてください。


また令和の由来にちなんでの「梅の花」に関することや、「おむすび」と「むすびの思想」との関連などにも少しふれています。


虚空 (ニュートンの特集記事をみながら)
やっぱり好奇心だよね。中身が分からなくたって、この図だとかイラストだとか表題をみているだけでも、すごい刺激になるよ。それを分かるようになりたい、っていう憧れとかさ・・・。学校の勉強って何の役にたつの、っていうのが、こういった世界につながっていくんだ、って・・・そう感じる子が全員でなくったっていいからさ。

だからうちの教室にはそういう本はたくさん並べていたつもり・・・。



諷虹 これだけカラーの図式がいっぱいで解説されている、っていうのもなかなかないですよね


虚空 それもさ、インターネットで検索して出てくる画面よりも全体がつかみやすいじゃない。この前の最先端の理数学者がチョークででっかい黒板に数式を書きまくっているのと同じでさ、他の部分との関係とか流れとかの構造がつかみやすいよね。


{確率論とギャンブルとの関係についての記事}
諷虹 こうした部分・・・ルーレットの期待値とか・・・


虚空 まさか数学の時間にギャンブルみたいなことをしながら授業したらクレームがつくだろうけどね・・・でも生徒にはものすごく身近になるだろうよ。


諷虹 聖徳の低学年にある「ゲームの時間」なんていうのもそういうのがあるんでしょうね。


虚空 それこそ「論理思考」と「感情」とのせめぎあいもあるよね・・・・ゲームの駆け引きの中には。作戦を考える上で、感情をオフにしたり、相手の感情へのゆさぶりを考えたり・・・本当の意味での総合学習だよ、これが。


諷虹 あと、宇宙の問題も確率がからんでくるわけですものね。サイコロの振る舞いがカオス的、とか書いてあります・・・「初期条件がすべて分かればコンピューターで予想可能・・・でもほんのわずかな初期条件の違いにサイコロは敏感に反応」とか・・・。


*「うらら迷路帖」次号が最終回という話でのやりとり
千矢の父と母は千里眼の持ち主で、未来がすべて見えた。でも千里眼を持つ者同士では見えないので、そこに惹かれ合って結婚。


神 千里眼を完全に目醒めさせたな。姿なき概念(わたし)の姿さえ視えると言うのか。すべてを暴き捕えられる気高き女よ。なんと稀有なうららだろう。
お前は矢見(母親の名)と同じように一番占に…町の花嫁に相応しい。故にお前が新しい花嫁となり迷路町を救うならば友の呪いを解いてやろう。


千矢 迷路帖を救う?どういうこと?


神 一番占の不在が長く続けば迷路帖は占力を失う。うららは占えず町は役目を終えるだろう


父 そうか、だから矢見はその身を町に捧げたんだな


神 うららは町あらばこそ、町はうららあればこそ、滅ぶなら共に滅べばいい。選ぶのはお前だ。さあどうする?


千矢 そんなの決まってるよ。私、一番占になる。


父 待て、千矢!一番占になるのがどういうことかわかっているのか。
千矢 分かってるよ!


母 だめよ、千矢。運命に流されては駄目!


千矢 じゃあ、皆を見捨てる方を選べば正解なの?
私は運命に流されているわけじゃない。犠牲になるわけでもない。自分がそうしたいからそうするの。私が皆を助けたくて一番占になる道を選ぶの!
千矢の内言 ー選択を迫られる時、人生の岐路 どっちに行けば正解なんだろう。ー


(千矢の未来の数人・・・パラレルの可能性千矢が出現 それぞれ異なる道を歩んでいることを自己紹介)


未来千矢の一人 そして私は迷路帖で一番占をしてるんだ、背中を押したり時には難を避けるお手伝いをしたり、迷うひとの力になれる。だから私はうららのお仕事が大好き。

ねえ、私。未来なんてひとつじゃないよ。

全部視えたってどれも面白そうで難しそうで、結局何を選べばいいのか決めるのは自分で、どっちの道を選んだってその先でまた迷うかもしれない。あっちに行けばよかったって後悔するかもしれない。

あの時私が千里眼で迷路帖の秘密を暴かなければ皆は呪われなかったのに・・・未来の心配をするのと、過去の後悔をするのとは似ているよね。

そんな時はその度に考えるの。自分を信じて自分の道は自分で決めて、もし間違ってもその選択は私の運命を作る大事な矢なんだよ。



千矢内言 ーそうだ、だから今の私の選択は、私は、私の未来に大切なひと達がいてほしい。それが何よりの理由で、それ以上に大事なことなんてない。私がそう選ぶこと、誰にも文句はつけさせない!!


母 千矢、ああ、この子は私とは違う。私はどこか悲劇の主役のように自己犠牲に酔っていた。自分さえ我慢すればいいと用意された道を仕方なく選んだ。
だけど千矢はどんな道であれ自分の道だと。その手で運命を掴み取るのね。


(母と町の関係が切られ、母の体がボロボロに朽ちていく)
千矢 お母さん、体が


母 いいのよ千矢。私達の命は呪いによって保っていたの。町と縁が切れた今、朽ちるのは当然のこと。でも化け物で在り続けるよりずっといい。


(夫に)ねえ九郎、私、世界の全てが視えるような気がしていたけど、こんな未来は夢にみたこともなかったわ。千矢がみせてくれたのね。おおきくなったのね


千矢 お母さん、お父さん、わたし…私ね、ずっとずっと会いたかった。今…つらいのに会えてよかったってすごく思うの。
私、一生懸命歩いていく。これからの私の道、私の未来。
どうなるかわからないけどきっとすてきな未来にしてみせる。だからみててね。
(両親の姿は消える)


別巻 千矢の母の回想より
今までは運命というものが視えてなんでも大体予測がついた。どの道を選んでも結末はなんとなくわかって、それがあたり前だと思っていた。そのおかげでたくさん楽をしたし、得もしてきた。

だけど私、本当はずっとこの道はどこにつながっているのか、明日はどうなってしまうのか、まるで中身のわからない宝箱をあけるように、そんな風に毎日を過ごしてみたかった。


悪いのはそんな私。全部私なの。


そうして一年後に子どもを身籠った。これは一番占として完全な裏切り行為だ。この子を産めばきっと私も呪われる。わかっていたけどいざとなると怖いものね。気づかれぬよう九郎や時江を遠ざけ、一番地にひきこもり、セツにだけは子どもができたことを伝え頼った。産まれたら預かって欲しいと。・・・


子どもの名は「千矢」にした。願わくば私のように運命に流されることなく、千の矢の中から自由に行く道を選べますように・・・

虚空 千矢の両親が未来を見通すことができる千里眼、の持ち主っていっても、運命決定論の立場だから一つの未来しか見えない・・・それってね、またいつか触れるけどね、うちのオヤジがかつてノストラダムスがらみで書いた文章があるんだけどね、それとも通じる内容でさ。

神々は「運命決定にはならないような理(ことわり)で世界を創っている」って。どうなるかは神様すら分からない。


だからさ、その両親から生まれた千矢が同じ千里眼の持ち主でもね、一つの未来だけが見通せるんじゃなくて、いろいろな未来・・・並行世界・・・パラレルが見通せる、っていうのが大きなポイントだったわけだよね。

(注) パラレルワールド=並行世界 といっても大きく分けて二つ

*この世界とは全く別のところにいくつも違う世界(宇宙)が存在している、というもの。

*この世界が様々な出来事や判断によって運命がどんどん枝分かれしていく。そうしたあらゆる可能性の先々が、すべて同時に並行して存在している、というもの。

両親の千里眼は、そのうちの現時点でもっとも可能性の高い道、一本の先々。
千矢が千里眼でみたのは、複数の枝分かれした運命の、それぞれの先。


虚空 そういう意味での千里眼。「これしかない」っていう限定ではなくて、意識世界をそれこそ想定外に広げていくための千里眼。


そういった事実を示されればね、仮に千里眼の能力を持っていなくても、ものすごい能力の占い師とか予言者に出合わなくても、各自があらゆる可能性を意識世界の中で想像(創造)していけばいいだけの話になる。


*見終わった漫画雑誌きららを諷虹がどけると、その下に「ベクトル特集」をした科学雑誌ニュートンがちょうど置いてあった。


虚空 さっきニュートンがらみでベクトルの話をしただけに・・・・


あのね、車の中でぼんやり考えていた事とつながりそうだったから、今うらら迷路帖を大量に抜粋したんだけど・・・この前のダンデリオンツイッター記事「霊和」との関連でさ・・・



諷虹 全く話が飛躍するかもしれないですけど、梅・・・
花っていえば桜じゃないですか



虚空 昔は梅の花の方が珍重されていたらしいよ。こっちが先に咲くしね



諷虹 例えば梅干しが好きな人って日本でどのくらいいるのかな、って。
おにぎりで本当に人気が上位かどうかは分からなくても、イラストとかで梅干しのおにぎりを描くことが定番・・。食べるなら鮭でも、描くなら梅干し。ツナなんかは描く気が起きないですけど、梅干しには・・・。あれはやっぱり米に包まれている部分。


虚空 紅白のイメージもあるかもね。日の丸弁当なんかにも象徴される。
だいたいさ、水戸は梅の都のようなことで観光PRもしているけど、桜が満開になる前に偕楽園の梅が満開になる・・・時には花盛りの時に雪が降ったり・・・雪景色と梅の花のコントラストもあるよね。



諷虹 雪と梅と米と梅干・・・そこまで意識しているかどうかは分かりませんけど、日の丸とか雪の中で咲いているというのが・・・



虚空 梅の花そのものにだって「白梅」と「紅梅」があるじゃない。紅白なんだよね。それが春の訪れの印。昔はさ、例えば渡り鳥が季節特定の季節にやってくるというのはその季節になったからじゃなくてさ、渡り鳥がその季節を運んできた、っていうとらえ方なんだよね。だから梅の花もさ、春を運んできてくれる花、っていうイメージもあったんじゃないかな?


諷虹 君の名は、であの男の子が食べていたおにぎりの具は何でしたっけ?
(ネット検索したが不明 ただ、次のサイトが目にとまる
「君の名は」「おにぎり」と「おむすび」
https://ameblo.jp/hhwasa/entry-12297218386.html

虚空 これは折口先生が注目していたことで、上原先生も文学での古事記の講義で話していた。「結び」の思想。今日はずっとオヤジの書いた古事記の解説の一部をまとめていたんだけど・・・そこともつながる大事な観点。

☆諷虹・虚空 5月4日やりとり 「関心(好奇心)」が大きなカギ 

子育てに奮闘しているヒマワリフクロウさんのお姉さんの娘さん姉妹と初対面をしてから到着。

いろいろな事に関心(好奇心)を向けて、全身で周囲のことを感じ取り吸収している二人の幼子の様子を踏まえてのやりとりです。

こうした部分を小学生・中学生・高校生でも温存していければ、世間が要求しているような表層的な得点力なんかは勝手につくと思うんですがね・・・常識以上のレベルで。


虚空は、言語生態という関係で、言葉がまだ十分に出ない段階の乳幼児には苦手意識が昔からある、という話から


諷虹 ちっちゃい子でもテレパスみたいなのが絶対ると思うんですよ。言葉が通じない年頃でも。小さい子が苦手なんですが・・・・小さい子もこっちにはあまり寄ってこない・・・来ないでくれと言う気持ちを読まれているような・・。

変に表にだすよりも、心の中で思っている方が子供には見抜かれている・・・そういうオーラが出ているんでしょうね。


虚空 特に下の子・・・全身が感覚器のかたまりみたいな子だった。好奇心の塊みたいな子。もちろん上の子もそうなんだけど、まだ言葉が出始めた段階だからこそ、自分の内側から湧き上がってくるものに忠実なんだろうね。


諷虹 ちょっと前の記憶でもすっかり忘れていることとか、ついこの前のようなこととか・・・



虚空 自分の中で一番古い記憶ってどんな記憶?


諷虹 結婚式で花束を渡した・・・


虚空 それっていくつぐらい


諷虹 4~5歳だと思うんですよね・・・


虚空 小学校とかの思い出でもさ、普通に受けた授業ってまず覚えていない。担任の先生がくだらない冗談をいったとか・・・そんなのは断片的にあるけどね。

でもさ、児言態っぽくやった授業って案外みんな細かいところまで覚えてるのは不思議。それとさ、作文でもね・・・

この前のコバルトブルー君。におい作文が本当に当時書いたのと同じ・・・ちょっと前に書いた文だってこんなこと書いたっけ、なんていうことがあるけど・・・


諷虹 「関心」があるかどうかも・・・・心に関わる・・・


虚空 心に届くかどうか・・・上原先生のテレビ作家の教育力のあの言葉もそうだよね・・・


上原先生「テレビ作家の教育力」発言
子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。

ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。

教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
1992年(平成4年)9月15日 月例会 
*ネット検索 『関心』
ハイデガーの基礎的存在論の根本概念で,「憂慮」「懸念」とも訳される。世界内存在としての現存在 (人間存在) のもろもろの様態の構造の統一を彼は「関心」と名づける。

それは「 (内世界的に見出される存在者の) もとでの存在としての,自己にすでに先立つ (世界) 内存在」と規定される。自己に先立つことのうちに未来,もとでの存在 (頽落) のうちに現在,既存在 (被投性) のうちに過去と,3重の時間方位が暗示されている。 (→決意性 )  
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


諷虹 この3重の時間方向って・・・小さい時ってほとんど明日のこととか考えなかったですよね。過去の記憶がなかったのもふまえると、現在しかなかったのかな。
今の事に関心があるから、今のことはそこに確かに存在していたけど。


虚空 なんだかよく分からないけど・・・ちょっとひっかかっているのは「自己にすでに先立つ (世界) 内存在」って言葉。これって「先験的イメージ」っていうのと何か関係あるのかな????


諷虹 ウマ娘から競馬について突然関心をもって自分の中の集合に入って「添加」してくる感じ。それと同時に「来月天皇賞だな」とか「過去にあったあのレースであの馬が予後不良になった」とか・・・過去と未来が意識にひっかかるようになった。


虚空 因果関係の認識って記憶力の発達と相関しているなんていうのを読んだことがあるけどさ・・・子どもの発達で。思い出を思い出として記憶できるようになって、その記憶の断片に関連をつけられるようになって、それからようやく因果関係をつかまえられるようになる。
知識とかで関心を持つことが、因果のつながりをより深く広くしていく。


諷虹 青ブタなんかの・・・関心がなくなると存在そのものも世間から消えていく


虚空 あれなんかは本当に目の前にいても見えない存在になる、っていう話だったけど、一般的にいえばそうだよね。認知していないものは、存在していることにならないから。
一発芸のお笑い芸人だって、一時期あちこちで見かけたって、ブームが去ったら、もう「今はどうしているのかな」とさえ思われなくなる。世間から忘れ去られるっていうのは、存在そのものが最初からいなかったかのようになるのと同じだよね。


諷虹 ワンピースにもそんなのがありまして・・・・
「やめておけ お前らにゃおれは殺せねェよ 人はいつ死ぬと思う・・?」
「心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う」
「不治の病に侵された時・・・違う」
「猛毒のキノコのスープを飲んだ時・・・違う!!」
「・・・人に忘れられた時さ」


虚空 この逆が「カノン」とか「3D彼女」にあったよね。「最後のお願い・・・私のことを忘れてください」っていうのが。
このあたりって、難しいところ。

例えばさ、反戦アニメでも「対馬丸」と「うしろの正面だあれ」のEDは真逆だった。対馬丸は「僕は絶対に忘れない」って生き残った子が決意表明をしているし、EDに遭難した子ども達全員の実名がテロップに出てくる。そりゃもう圧巻というか・・・事実上の戦死した子たちの無念さが伝わってくるようなラスト。
それに対してうしろの正面は、あまりにも辛すぎる戦争時代のことは早く忘れて、新たな時代を生きて行こう、という希望を前面に出した終わり方。


諷虹 まどマギもそうですよね。鹿目まどかとしての存在は消えたけれど、世界中の魔法少女から認識される概念・・・過去や未来のすべての魔法少女がなんとなく知っている存在になったわけですよね。(円環の理)

あと、さっきのハイデガーの『頽落』について調べてみたんですがこんな感想のブログを見つけまして
http://salon.idaki.co.jp/%E3%80%8C%E9%A0%BD%E8%90%BD%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
【頽落】
意味
1.堕落(だらく)
2.崩壊(ほうかい)
3.衰落(すいらく)



諷虹 堕落っていうとマイナスの感じになってしまうけど、そういう受け止め方ではないようで・・


虚空 ポイントは「没入」なんだろうかね。イメージの没入性


諷虹 昨日の「王道」のようにマイナスにもプラスにもとれる言葉
タロットの塔みたいな感じもあるのかな、っていう気もするんですよね。
ガ―ッと集中しているけど、いつかはパッと切り離される瞬間がある。崩壊だっていつかは粉塵になってそれ以上は崩壊しない有限性。


虚空 没入っていうのを「夢中」って言いかえると、まさに幼な子の日常そのものだし・・・文字通り「夢の中」・・・ヘタに使うと「夢の世界に逃げ込む」・・・現実か非現実か、になってしまうけど、上手につきあえれば「超現実」になる。


諷虹 夢もいつかは覚める・・・有限性。死後の極楽の世界も、いつかは輪廻転生でまた極楽から出ていくことがあるのかな、って。此花亭からもいつかは出ていくみたいに。


虚空 どんなに居心地のいい場所でも、っていうか居心地のいい場所だからこそ、そこにはい続けてはいけない、なんていう見方もあるよね。


諷虹 居心地が悪い場所にはそもそも長くいない。さっきのはだしの話じゃないですが、居心地が悪ければ靴をはいたり、はだしで歩き回らないだろう、っていう。
あることに興味をもって夢中になってても、ハッと夢から覚める瞬間があったり、でも逆にしばらくするとまたその熱量が復活したり、違うことに興味を持ったりするんですよね。・・・まさに波。


虚空 それが「内」と「外」の往復の繰り返し・・・家に帰るが「孵る」・・・生まれ変わる。ぐっすり眠ることは「死と再生」・・・甦りの感覚。


諷虹 どんなにぐっすり寝てても覚めないことはないですからね


虚空 自分は危ないかもしれないけど(笑)


諷虹 違う生物として起きたりして
平家物語でしたっけ・・・あの冒頭の文章もそういう部分があるんでしょうね。


虚空 繁栄している時が夢・・・ってつかまえているよね。
それが憧れにもつながる、ってとらえられればいいんだけどね。
好奇心にしても憧れにしても、本人にその気がなかったら、夢の世界と現実の世界の行き来ができない。

現実的な諦めとか絶望で一杯になってしまったら、いくら現実対応の訓練をしたって、生命エネルギーが枯渇して、どこかで破綻するよ。

伸び続けられる子ども・・・大人になっても・・・生命力にあふれているっていうのは、やっぱり夢も現実も・・・で、ベースは憧れや好奇心。

そのモデルの一人が宮崎駿だよね。


諷虹 興味関心の赴くままの生活・・・アニメやったり数学やったり馬に夢中になったり・・・どのその繰り返しの中で、同じことでも違った見方ができてくる。

その基本にあるのは関心・好奇心なんですよね。それがあるからまた戻ってきてみたり・・・
忙しいとどうしてもね・・・

このはなの比丘尼さんも「心を亡くすと書いて忙しい」っていっていますが・・・忙しいとどうしても関心も好奇心もなくなってしまう。
心も動かないですね・・・


虚空 極端なことを言えば、本当に子ども達が関心意欲態度・・・好奇心と構えだよね、それに目覚めたら教育者はほとんどやることないくらいなんだよ。

だから20年くらい前に盛んに教師が教え込むのではなくて子ども達の興味関心とか主体性を育てる、って強調されて、通知表の欄でも各教科の一番下にあった欄が一番上になったんだから。
でも平成になって、やっぱりそんな子どもの主体よりも大人が無理やりでも教え込むのが教育、ってなってしまった。

興味関心を育てる、っていうのもね、大人が期待する・・・はっきりいえばテストに出題されることにだけ興味関心を持たせる・・・それ以外への興味は邪魔、っていう見方になってしまった。

本当はこの前コバルトブルー君が作物の土作りでコメントしてくれたように、そんな大人の勝手に決めた枠をはるかに超越した・・・それこそ宇宙との共振・共鳴なんかに連なるような・・・そんな幅広いものができていれば、学校や受験のテスト対策なんていうのは勝手に出来るようになるよ。



諷虹 関心意欲態度を土と考えると、基本的事項の理解は咲いた花を見るような感じですかね。たとえ、学問の花が咲かなかったとしても、自分の興味あることで小説や漫画・絵画みたいな芸術とか・・・いろいろな分野で開花させる土台を重視するようになった・・・


虚空 そういうこと。大人の変な狭さを子どもに押し付けたらもったいない。
その後ラインで
17:27 ヒマワリ
おぉぉぉ…読みました。



17:40 諷虹
 一応確認しました
此花亭奇譚(このはな綺譚でない)上巻の2話の柚の回想でした




改めてこの回を見ると、櫻が自由奔放に仕事(?)する様を見て柚が自分の認識の幅(此花亭の回りの景色や1日の時間)を広げるという回

まさに今日のやりとりそのもののように感じます



21:32 虚空
この言葉の経緯としての部分をふまえると本当に今日の話そのものですね!

大人であればこそ心していなければならないこと・・・ここ数年まともに天体をなんていうのをしていないのも、心が勝手に「忙しくなっている」からなのか・・・・・(反省)

☆諷虹・虚空 5月3日やりとり③ + ラインやりとり  「闇・裏」への意識転換

闇の世界でのギャンブルを扱ったアニメが諷虹君から紹介されました。

こういう点も日本人の発想として面白いところなのですが、反道徳的と思われているような世界から、深いことをつかみとっていく、そういう側面があります。

かつて駿煌会で話題にしたことでいえば「究極のバッドエンドが究極のハッピーエンドにつながる」というようなこと。


何も特別に難しいことではありません。平面的にしか物事をみなければ、数直線や座標軸のほうに、正の数と負の数はどんどんかけ離れて行ってしまいます。

でも地球のような球体世界・・・球体思考・・・であれば、両方向に離れていけばいくほど、やがて結びついてしまう。


上原先生や折口先生の学問の発想の裏にもそうしたことが前提としてあると思っています。

最後に上原先生の「心意伝承の研究」から「闇」という意識に関して述べている部分の抜粋も載せています。

その後に続くラインやりとりは、昭和を代表するアニメの一つである「タイガーマスク」を通して「生きる意味」についての考察です。

諷虹 ギャンブルに強い人って、勝った金をすぐに使うから強いのかな、って。


虚空 さー?自分には未知の領域だからね。麻雀だってしたことないし・・・ルールも知らないし。

*アニメ「勝負師伝説哲也」
純粋に「運」だけで勝とうとする青年とあらゆる手段を使って(イカサマなどの卑怯なことをするのも力のうち)のプロ(玄人:ばいにん)の勝負・・・相手にならない。

「力とは所詮イカサマの能力か」・・・自分もイカサマを身に着けようとするが、「まだ覚えるのは早い。力がなければイカサマを覚えても無駄」と言われる。・・・コロンブスの卵(頭が固い)「玄人は殺されても金を払わない」負けたら払わなければならないと思った時から相手の風下にたってしまう。それでは玄人には潰される。

「怠惰を求めて勤勉に行きつく」
「運がなくなった・・・力がなければダメ・・・どっちも必要」
「もっと教えて欲しい」「教えることなんて何もねえ」
諷虹 伝説の勝負師だったんですけど、一回のミスで引退してしまう


虚空 命をかけての世界だから甘えは命取りっていうことなんだろうけどね・・・。
日本人って「卑怯」っていうことに敏感だったから、どうしても「イカサマ」でも勝つ、っていうことには抵抗があった。

柔道の元金メダリストが地区民運動会で障害物競争でズルして勝って「ズルをしてでも勝つということを教えにきました」とインタビューに答えていたことがあったけど・・・。
今でも自分はそれに対して批判的な立場はとっている。それは本来のオリンピックの精神とか、子ども達に対して示す手本ではないと思うから。

ただね、世界が違って基準そのものが異なっていれば、何が正義とか正しいのかも変わる。法律が違う国にいけば、日本では罪にならないことが罪になったり、またその逆もあるから。
戦後のプロレスブームの時に、日本人レスラーは反則をしない、というのを美徳にしていた時期が長かったよね。外人レスラーがどんなに反則とか卑怯なことをしてきても、正々堂々と戦っている姿が大衆の心をうっていた。

反則とはいえないまでも、相手が怪我をしている部分を集中的に攻めるのもご法度だった。
でも海外では相手の痛めている部分を攻撃するのは当然の戦法だと。勝ちの定石なんだと・・・。それでも長らくはそこに踏み込まなかったのが、もう今は仮にショーとはいっても普通に誰もがやる。そんな意味ではだいぶ変わったよね。

で、今のアニメをみて思い出したのがアニメの初代タイガーマスク。覆面悪役リーグ戦。反則OKの試合だったけど、子ども達にフェアプレーを誓ったタイガーは反則をしないで戦おうとして大苦戦。でもタイガーのファンである健太に「反則OKのルールなんだから、反則は反則ではない」と言われて頭を切り替えて勝った。

そういうことだよね。玄人の勝負の世界は昼の麻雀の世界とは大前提が違う。だから最初にも「ここのルールを知ってるか」なんて相手にすごまれていた。

それでも普通に勝負しようとして負けた。イカサマが勝ち負けの分かれ目・・・でも、そういう世界なんだからそういう現実を踏まえての生き様が求められるっていうことだよね。
それが嫌ならあのおっさんのように玄人の勝負の世界になんて入り込んでくるんじゃない、っていうことだよね。


諷虹 忍者の影の世界っていうのと同じなんでしょうね。日のあたる世界とは違う。麻雀のプロでもイカサマなしでクリーンに勝たなければならない、のと、何が何でも勝たないと命がないという裏麻雀のプロとの違い。
柔道なんていうのは表の世界のことなんだから、やっぱり卑怯なことをしてでも勝つっていう必要はないと思いますけどね。
タイガーも虎の穴で鍛えられていたから、反則OKの試合でも勝てた。これがまっとうな選手だったら反則OKでも勝てない


虚空 まあ反則のレベルが違うからね・・・アニメとはいっても。
だからさ、例えば「赤き死の仮面」とか「ミラクル3」・・・タイガー・ザ・グレート・・・のとんでもない反則に対して、馬場と猪木が「超一流の反則」と評する場面があるけど・・・そこも興味深いといえば興味深い。
タイガー・ザ・グレートだって、反則をしなくても技もスピードも怪力でも超一流っていう設定だったからね。単なる反則魔ではない。超一流のレスラーが世紀の大反則をする。印象深いのは、タイガーとの試合で反則の5カウントはちゃんと守っていた場面があったよ。反則であっても5カウント内だったらルールで認められている。
原作だとさ、馬場がある段階に達したタイガーに「これからは多いに反則もやるべし」という場面がある。アニメにあったかどうかは覚えていないけどね。
5カウントのかけひきも使いこなせてこそ、海外の一流レスラーたちともやりとりできるようになると。

このあたりのことがね、今の時代って「表」の世界にも平気で「裏のしきたり」を持ち込んでいるところがね。
上原先生が「闇」の感覚っていうのを問題にしていたことがあるよ。
公然と昼間からやっていても「闇市」とかね。
そういうことをきちんと意識世界で区別していた。


参考 「心意伝承の研究」上原輝男著 
”殺し” と ”血” の心意伝承 血饗の衰亡
「殺し場」なる異常であり忌避すべき用語も、歌舞伎界では、それが重要な鑑賞対象として、むしろ関心を寄せ、その非道ぶり、より残忍さを見せるもの、また見届けるものという諒解があるのは、どうしてなのだろう。

(中略)たとえば、明治の演劇改良運動で、為政者や知識階級が、日本の芝居から追放しようとしたものは、この血まみれ騒ぎと淫蕩猥褻さであったことは、演劇史として記されなければならなぬ事実にはちがいない。

(中略)もともと、それが表向きには良風美俗に反する悪所の芸術であることを知悉していたことを見落としてはならないと思うからである。


たとえていうなら、状況では全くうらはらだが、敗戦後の”闇”を生きる日本人の生活態度と共通するところがある。”闇米” ”闇市” ”闇の女” と、それは法網をくぐって行われたというよりも、それが白昼に行われても、人目を憚る意味において、見て見ぬふりの出来る許容の生活空間を人々はつくり出していた。

それでも、それを表向きの生活と区別するところに ”闇生活” の語があった。決して、それはほめられたことではなく、それが恥ずべき行為であればあるだけ隠蔽されねばならぬとする日本人の体質の対応であったともいえる。

勿論、隠蔽し切れるほど当時の生活は、余裕もなければ美しくもなかった。だから、この時、日本人はその現実生活を闇に葬り、うそとまことの意識転換を行ったと言えないだろうか。
「うそはまことの骨、まことはうその皮」と喝破できた江戸時代の感性は失われていなかったのかもしれぬ。(中略)


問題は折口学における「賤民の文化」の発想であり、ハレの日の「客人(まれびと)」がケの日には「乞食人(ほかいびと)」となる両義性が日本人の感覚には流れているといわねばならない。簡単にいうと、歓迎され愛される神は、また忌避され追われる鬼である両義性を感覚の基本として具有していることの追求がしてみたいのである。
虚空 「決して、それはほめられたことではなく、それが恥ずべき行為であればあるだけ隠蔽されねばならぬとする日本人の体質の対応であったともいえる。」から考えても、元オリンピックの金メダリストがテレビ取材が入っている地区民運動会で堂々とズルをして「ズルしてでも勝つということを教えに来ました」なんて堂々と語っているのは疑問。

あんなことを言っていたら「じゃあ、お前は審判などの目をごまかして反則やズルをして優勝したのか?」と疑いたくなる。

木枯らし紋次郎なんかの渡世人のドラマでも「カタギ」云々とかね。
そういう住み分け・・・まともな人間なら「お天道様に恥じない生き方」っていうのを躾けた。そうでない生き方をするならそれなりの覚悟をさせた。

今はそれがゴチャゴチャ。だから表の生活も無法者がはびこっておかしくなっているんじゃないの?


諷虹 王道じゃないですが、お天道っていうのも「天の道」なんですね。


虚空 どちらの世界も認めているっていうのが日本人の特殊性だよね。だから折口学なんかでも「任侠道」と「道徳」の関連なんていう発想が飛び出してくる。

任侠にだって「道」があると。市川崑の木枯らし紋次郎が当時の女性たちに大人気が出たって言うのも、単なる渡世人のやくざドラマだったらあそこまで受けなかったと思うよ。「渡世の道」っていう「道」意識・・・相手がどんなに卑怯なことをしても「渡世の道」は外さないっていう「大馬鹿者の姿」・・・本当に馬鹿正直な場面がいっぱいあったから。


「道」っていう枠で考えれば、そこには「表」も「裏」もない、何か普遍的なものがあると感じられたのが日本人。

だからさっきのアニメみたいな世界も、裏世界の麻雀以外の視聴者にだって共感されるんじゃないの?


諷虹 見通しが見えないから「闇の世界」っていうんですかね。自分の足元しか見えないからそれで精一杯。レールの敷かれた人生っていうのも道の感覚なんですかね。

日の下の不便さっていうのもあるでしょうね。道が見えているから道から外れることを躊躇するというような。暗闇とか見えない状態だから柔軟な動きができるのかな、って。


虚空 以前さ、映画版の「火の鳥」で卑弥呼の逆鱗に触れたスサノオが目をつぶされて追放されるシーンがあった。そのスサノオが戻ってきた時に「目が見えなくなったからかえって見えるようになった」っていうようなセリフがあったよ。

目に見える世界と見えない世界・・・どっちも大切なんだけど、どっちの主とするかで完全にひっくりかえる。

それこそさ、この前から言っているあの地域での高校問題。その中で住んでいる人間にとってはそれが本当に人生を左右するんだろうから、仕方ないことなんだけどさ、そのルールとか価値観をよその地域でもひけらかそうとしたり、よその地域の人間をも上から目線で見下す、っていうのがね。

それは水戸黄門がよその国にいって印籠を出したって、誰も恐れ入って土下座なんてしてくれないのと同じ。

見た目の権威とか肩書なんていうのは、所詮そんなもんでしょ。価値観が違う世界にいけば何の役にも立たない。お金だっていくら持っててもただの紙屑になってしまう地域だってあるしね。
そんな時に、さっきの震災の話に戻るけど、自分を支えてくれているものが封印された時に切り抜けられる知恵と力があるのかどうか。

そうなってくるとさっきの勝負師アニメとも通じてくるよね。真っ先に有り金を封印されて命がけの博打麻雀の世界で修行させられた、なんていうのは。
本当に自分の力を伸ばしたかったら、「これが自分の持ち味」とか「これなら自信がある」っていうことを真っ先に手放して新たなことに挑戦する勇気。

「僕は足踏みが嫌いだ」が口癖で、ある程度の目鼻がついたら「もうこれは済んだ」とさっさと次に向かった上原先生の姿勢そのものを一番見習わなけりゃとは思ってる。


2019.05.03 金曜日 ラインやりとり
23:32 虚空
今夜の諷虹君とのやりとりは松下さんの言葉などからの考察からはじまって、後半はアニメ「勝負師伝説哲也」という裏世界の麻雀を描いたものからの考察でした。上原先生の解く日本人の「闇」に関する意識などともからんでいる内容・・・より深い意味での「超現実」意識に通じるかも・・・・



2019.05.04 土曜日
00:12 コバルト
雀聖と呼ばれた男ですね。
このマンガを読んだから麻雀を始めたようなものです(笑)

世界観はまさに汚泥の底ような世界で、薄汚れずに美しい花を咲かせようとするのは、仏教の蓮のようです。

裏社会の世界ほど本物がモノをいうと思います。
強者は嘘やハッタリ脅しが通用しない相手ばかりです。
ということは「素直」こそが裏社会ではモノをいうんですね。
そしてこの素直(ワクワク、ドキドキ)さに本物の「運」がやってくるんですね。


00:15 虚空
このやりとりからアニメのタイガーマスクの話になったりしました。

あとやりとりの中で出てきた上原先生の「闇意識」に関する記述を、今、悪戦苦闘して打ちなおしています。
それらも合わせて近くブログにアップします。


00:40 コバルト
運をもっと細かく言うと
「僥倖(ぎょうこう)…予想もしなかったような幸運。」ですね。
運気(勝機)は流れの中にある。
それを「天啓を得る」と言います。
引用
超越的な存在からひらめきや行動の指針を受けることを言います。
他の言い方では、啓示を受ける、神の声を聞く、お告げを得る、神託を得る、夢枕に立つなどがあります。
タイガーマスクでも、もしかしてあるかも知れませんが、絶体絶命のピンチからの大逆転には、この僥倖と天啓が密接に関係していると感じます。


06:40 虚空
初期のタイガーマスクを観たことがあるかどうかは分かりませんが・・・虎の穴のラスボスが打倒タイガーのための研究をするために次々と刺客を送り込んでいく中で、絶体絶命のピンチになっても想定外の力を発揮して切り抜ける事に注目しているセリフがあります。

そういう時のタイガーの頭の中にあるのは、自分が命がけで守ってきた、自分も過去に同じだった「孤児たち」の姿。
あの子たちのためには死ねない・・・・という想いが想定外のパワーを発揮させます。

そうした自分の事よりも子ども達を・・・という純粋な想いが天を味方にという部分をきちんと描いていたアニメだから名作になったんだと思っています。(数々の社会問題・・・福祉・公害・戦争孤児 等々のこともたびたび描いていましたし。)

ちなみに、「タイガーマスク2世」が放送された時には第一話を観た時点で「宇宙プロレス連盟(?)から日本プロレス界を守るため」というような設定だったので、それっきり観ませんでした。


09:56 コバルト
タイガーマスク観たことないのですが、二世の解説を聞くと、連勝しまくり無双状態の東日本震災前の石川遼を思い出しました。
それまで保っていた圧倒的(精神的)強さが。
インタビューで被災者の為にプレーをする。みたいなことを宣言した後から嘘みたいに勝てなくなったんですね。
ゴルフというメンタルスポーツで抱えきれないほどの名前も顔も知らない被災者を背負ってしまった事は致命的で当時のインタビューを見て、すでにここで崩れ始めてると感じとりました。


10:54 虚空
物事どちらに転ぶか分からないものですが・・・想定外の力が出る場合もあれば、逆に気負いで自分を縛ってしまうこともある。
「自分の力で何とか」と思い過ぎると、どんなに目的が他人の幸せのためでもうまくいかないのかな????
このあたり・・・自分のための稼ぎではあっても、「力だけでは勝てない」と最終的には説いた昨日のアニメの老人の言葉にも通じるかもね・・・


13:16 コバルト
https://youtu.be/yCpIy7YoowM
難しいですが‥力みを生んでしまう事は弱さになってしまいますよね。
背負ってしまったモノを力に変えるには中庸(ニュートラル)が必要です。
要は積み過ぎたというこ とでしょうか。
零に出来ない事をやり過ぎたんですね。
羽生結弦の「明日のことは明日考えます」とイチローのルーティンにしても、リセットが要なんですね。
この動画の役者達の演技力の凄さはさておき、雀鬼にしても「鬼」の生業はリセットなんでしょうから。

鬼ほど一番共存共栄を望んでいる訳なんですね。
人間が一番共存共栄を崩しているんです。


15:19 コバルト
https://youtu.be/Q8VmQXCKMMA
やはり鬼と仏は表裏一体なんでしょうかね。



16:18 虚空
なまはげなんかそうだけど・・・「春来る鬼」・・・・でその鬼は神でもあるんだよね