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☆「ネット社会で歪んでいく意識」 今季アニメ「うちの娘。」から

今季アニメで略称「うちの娘。」(本当のタイトルは長いので後述)

異世界が舞台で、森の中で親と死に別れた幼い子と巡り合った青年が、自分で保護者になって育てようと決意するのが第一話でした。

非常に大真面目に描かれていたので 諷虹・虚空両名とも好感をもったのですが、ネットではいわゆる「幼女嗜好」というかなり歪んだ見方の感想が飛び交っています。

こうした書き込みをする方々は社会全体としては多くはないのかもしれない・・・でも、ネットでそれを日々目にしている若者達の意識の中に、「純粋に幼い子を可愛いと思う、守りたいと思う」という人間としてあたりまえの「優しさ」のような気持ちや態度まで「変態である」という刷り込みが着実にされていっているのではないか・・・そんな危惧を抱きました。
諷虹・虚空の2019年7月5日のやりとり。
*諷虹君がまずあるランキングについて紹介。

最も男心をかき乱したアニメヒロインランキング
1位 峰不二子
2位 高木さん
3位 浅倉南

諷虹 投票している人っておじさん世代だと思うんですけど、2位が高木さんっていうのが


虚空 何なんだろうね・・・もしかしたら、中学校の初恋の思い出をくすぐられてるのかな。妙に歪んだ性的な部分もない・・・初心な日常だから、昭和世代にピッタリだったのかもね。
川柳少女にもね。

諷虹 (あの少女が片思いする)ヤンキーだって昭和気質だし。
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☆「うちの娘・・・」
正式タイトル「うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。」


虚空 あれなんてみるとね、今の社会が忘れているような・・・かつての・・・幼い魂を愛しむとか、守ってやりたいっていう本能のようなものを描いている・・・今の社会に対して、それに目覚めようよ、といっているようなね。決して幼女趣味なんていう歪んだ観点じゃなくて、かなり大真面目に描いていた。


諷虹 今は守ってやりたいじゃなくて、守られたいですからね。大人になっても。
(バブみ)
⇒年下の女性へ求める母性、あるいは年下の女性から感じる母性。(ピクシブ百科)
注)ネット上などではどんどん意味が変化してしまっている


虚空 そう考えるとね、自分達とかいわゆる普通の家庭で育っている子たちとは、全く違う意識世界が出来上がっていると思うんだよね。そういう虐待とか受けている子たちは。
そうした結果、「みんな」と称せられる社会の型からはみ出ていると、精神に異常があるというレッテルをはられてしまう。
学校でもいろんな精神の歪みに対して名称がつけられているけど、それの功罪っていうのもあると思うよ。

自分が教師をしていた頃だって、今だったらそういう病名がつくようなケースはあったのかもしれないけど、知らぬが仏というか、そんなことを全く気にしないで対等に接していたから、周囲が驚くような変化が起きることだって珍しくなかったからね。

諷虹・虚空の2019年7月6日のやりとり。

諷虹 「うちの娘。」見たんですけど・・朝みたんですけど、朝見るのにちょうどいい

虚空 大真面目に描いているでしょ、そんな歪んだ幼女趣味のようなんじゃなくてね。そういう点ではうちのメイドがうざいとかわたてんとかとは別の系列だと自分は思う。

むしろ現代社会の、人間としてあたりまえにあると思われるような「幼き存在を愛しむ」っていう感情。でもペットと違って大きな責任を持つ・・・それをちゃんと主人公は自覚しているから最初は孤児院に預けようとするわけだよね。

極めて現実的にちゃんと描かれている。現代人が大きな忘れ物をしているのを警告するかのようにね。

でも、ネットの感想サイトをたまたまみたら、もう歪んだ発想のオンパレードだよ。
自分の尺度でしかものをみないと、本当の善人でも悪人とか変態扱いされてしまう。

例えばこんなサイト

http://anicobin.ldblog.jp/archives/55540226.html



諷虹 感想サイトってそういったのばかり抽出しているようなところもありますからね。


虚空 一種の情報操作のようなことがあるよね。

で、問題なのはね、そういった歪んだイメージが一般化してしまうと、本当に心から大真面目に幼い子どもを大事にしようとしても、それは変態なんだというイメージを世間全体が持ってしまったり、あるいは若者がそういうイメージに染まってしまうこと。

それで結婚して子どもができても、逆にね一生懸命可愛がるのはおかしい、っていう無意識が働きかねない。


諷虹 うちのメイドとの違いで最も出ていたのはお風呂にいれる場面かな、って。

ラティナの方は恥じらいがあったけど、男の方はまったくない・・・異性としてみていないで全く子どもとして観ていた


虚空 単に汚れ切っていたから洗おうね、だよね。だから洗ってやる描写はナシで音声だけ。


諷虹 飲み屋のあの女性も途中で入ってきたって「男がやるべきじゃない」なんていうことは言わない。あれも自然体っていう感じですよね。



虚空 そうなんだよ、全く普通の親子の感覚で描かれている。いいお父さんやってたよね。
添い寝の場面だって、全然おかしくなかったしね。


諷虹 さっきの和洋折衷じゃないですが、異世界と日本の融合を感じたんですよね。
一番最初の動機も、日本人的・・・「これを知ってしまったからには・・・」っていう江戸人のような情のもろさ


虚空 埋葬もしてやっているしね。


諷虹 あと、ラティナが大人を気遣って「大丈夫」っていうあの言葉ですよね。あれ、英語圏では十分に表現できないんじゃないかって。


虚空 言葉の使い方で、あの子が実はとってもかしこいんだ、っていうのをきちんと描いていた。
主人公がやっぱり引き取るって決めた時も「大変な覚悟」を意志で行ったというよりも、愛情がそれを自然に上回ってのこと・・・だからこれから想定外の苦労があっても、あの子の笑顔に救われてやっていけるんだろうな、ってちゃんと予感させる。
まあそれがあのながーいタイトルにも表れているんだろうけどね。

「うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。」

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感情エネルギーがどこから湧いてくるのかという話題のあと
虚空 さっき言い忘れたんだけど、「うちの娘。」の主人公が岡本信彦さんだから、っていうことで ラストオーダーを守ろうとするアクセラレーターとのイメージでも随分とコメントされていた。こっちもやっぱり歪んだ見方ばかりなんだよね。幼女趣味の変態のような。
(とある魔術の禁書目録 シリーズ のこと)



でもさ、この前放送されていたシリーズでもそうだけど、そのラストオーダーの生命を守るために、本当に命がけ・・・実際に何度も死にかけるような闘いを何度もやって・・・命がけで守っている。そんな単なる幼女趣味というだけでそんなことできるわけないのにね。
でもそういった見方しか出来ないのは寂しい。


諷虹 子どもを守るために力を発動させる・・・子連れ狼なんかも子供を守りながら戦う姿で描かれてますが、そういったテンプレートみたいなのは色々見てきたように思うんですが、それの始まり、始点的な部分を今回の「うちの娘。」で初めてみたような気がします


虚空 親子の関係も、単に世話をするという一方通行ではなくて、相互関係っていうのが大事だと思うんだよね。

それがきちんと描かれていたのが、この前最終回でおわった「盾の勇者のなりあがり」だったと思うわけ。


尚文が買った奴隷の少女ラフタリアを、真面目に育てようという感じだったのが、そうしているうちに人間不信の塊から徐々に回復・・・結局途中からはラフタリアが尚文の救い主・・・もう救いの神・・・という位置づけで描かれてたんだよね。


諷虹 今回の「だいじょうぶ」の掛け合いにもそういうのがありましたよね。


虚空 そういった高尚な部分がきちんと描かれているんだから、そういうのを素直に受け止められる風潮を復活させたいものだよね。

小さい子が迷子で泣いているのを「どうしたの」って真面目に話しかけただけでも誘拐犯と間違えられて通報される、なんていうことが実際に起きているだろ。そりゃ本当に危ない人がいるから仕方ないんだけど、でもそれが困っている子がいても見て見ぬふりとかいう風潮だった生んでしまっているのはやっぱり寂しい。


昭和の頃のことばっかりいって悪いけど、見知らぬ大人と挨拶を交わしたりとか、地域社会の中で自然にいろんなやりとりがあったのなんて、今の人達がみたら全部犯罪とか変態にみえてしまうんだろうね。


マア、幼子にとって最も安心できる場である「おうち」や、一番守ってくれるハズの「親」が最も恐ろしい、ってなっている世の中なんだから・・・ましてや他人は、っていうのは仕方ないのかもしれないけど・・・。


でもこのままでいくと、本当に助けてくれそうなのは第三者・・・でもその第三者が関りをためらうという悪循環。


そのうえ虐待防止法での「絶対口止め」が各家庭で徹底したら、悲劇ばかりが連鎖して起きるよ。

ささやかな理由での殺人もね。今日も教科書のトラブルで友達を刺したとか、刺された子が死んでしまったというのが話題になっているけど・・・そういうのがどんどん普通になっているじゃない。社会的な緊急事態だよ。

もちろんまだまだ全体からすれば犯行に及ぶ子は少ないって思っていても、予備軍は爆発的に増えている。

あえていうけど、乳幼児期からの英語教育が徹底したら、ますます加速すると思うよ。
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☆自分に内在しているもの・感情エネルギー  「血筋」「名前」の重み

日本人が「家」「名前」にこだわる意識についてアニメを題材にしながら語り合っています。

こうした意識はとかく「個人の自由を縛る封建的なもの」と現代では思われがちですが、逆の見方をすると、現代人の「自分って何だろう?「自分の存在なんて無意味」「居場所なんてない」等々の悩みの根本的は解決にも結び付くんではないかという考察です。
後半は「エネルギー保存の法則」「インフレーション宇宙論」などを交えて「感情」について大胆に考察しています。



2019年7月6日 諷虹宅
今季アニメ 略称「うちの娘。」から
諷虹 あと片角の問題。(まちカドまぞく)力を封印されている状態。

今回のラティナも片角であることによって大罪人なのか、何か別のことがあったのかと思わせる。これってレム(リゼロ)もそうじゃないですか。
この前から話題になっている猿田彦・・・欠損みたいなモチーフで過去をにおわせる。
歴戦の勇者が眼帯しているとか・・・



虚空 中2病ではなしにね。



諷虹 中2病もそういう心理かもしれないですね。まだ自分にはそういう過去の積み重ねがないけど・・・。あの包帯を巻くのだってね・・・過去に何かあったということにしたい。


虚空 この前コバルトブルー君もいっていたけど「経過」だよね。
単に今自分がここにいる、んじゃなくて、今ここにいる裏側にはこんな見えない経緯があったんだという・・・まさに複素平面の世界観


諷虹 血統・血筋もそうですね。自分がいるのは自分の先祖が・・・
我こそは「〇〇の生まれ変わり」
中2病はバックボーンを作るというのが大きいんでしょうね。


虚空 だからさ、前にも話題になった合戦で大物同士が命のやりとりをする時の名乗りで自分の素性、先祖のことまで語ったというのもね。


諷虹 貴族キャラでもそうですね。〇〇家の人間として・・・。日本でいうと当主


虚空 それこそ今のアニメだとフルーツバスケットの草摩家の当主


諷虹 ひぐらし(のなく頃に)だと、園崎家の当主・・・おりょうさんも魅音も・・・


虚空 芸能なんかの世界での「襲名」だってね。


*「ひぐらしのなく頃に」・・・「綿流し編」の該当部分をみる
「はじめまして、ご挨拶申し上げます。園崎本家、当主跡継ぎ、魅音でございます」


諷虹 ここで「はじめまして」っていうのですね。
当主になった瞬間、友達としてではなく、当主としてお目にかかります、って。
まるで別人になったよう・・・。

その瞬間に人間的な動揺とかがなくなって・・・かぐや姫もそうですよね、天の衣をきたとたんにおいおい泣いていたのが別人のようになって・・・機械的な態度になった。
感情をオフっていう感じですよね。


虚空 この前の高3もそうだし、今日の中3にも「感情をエネルギーとしてつかまえる」っていうことから「量子論」とか「キュゥべえ」の話を大真面目にしているんだけど、このオン・オフの問題がどういうようにつながっていくのか、現在模索中。


諷虹 咲で化け物と称される人間も普段おどおどしていても、空気がかわる瞬間。感情みたいなのは切り離されていますからね。


虚空 そうらしくないキャラがっていうのもポイントだろ。天江衣だって普段はウサギ頭のチビキャラだし、宮永咲だって、すぐに建物の中で迷子になるドジキャラ。
でもその二人が長野県の二大化け物だもんね。


諷虹 ふり幅がでかいほど、その化け物感が強くなると思うですよね。


虚空 キュゥべえのいう言葉の「落差」の問題。希望から絶望への相転移・・・それがエネルギーとして膨大になる。


諷虹 あとはフェイトZEROのキャスターですよね。恐怖の鮮度。
ウマ娘にもありますよね。サイレンススズカとか・・・レースの時のキリっとした雰囲気と普段の穏やかさ・・・そういうアンバランス感は一番最初に感じたんですよね。


虚空 そういう部分はスペシャルウイークもどんどん受け継いでいったよね。


諷虹 スズカが倒れたあとのスぺが特にそうなっていきましたよね。
合宿回で「私情を捨てて」っていうのを会得したあとで


虚空 たまたま今日みかえしていた咲の長野の個人戦予選なんかもそうだね。本当の強さを手に入れる前段階として、私情をはさみまくる。

これを一般化すると、大きな転換を起こす前に黄泉の国を通過するという神話の発想になるかな。一旦汚れたあとで綺麗にする。
なんだか「うちの娘。」の話にまた戻ってきたけど。


諷虹 普段のおだやかさで思い出したんですけど、ドラゴンボールの悟空・・・もともと戦闘民族なんだけど、地球にうまれて人間に育てられたことで、種族のスペック以上の力がでる。「超(スーパー)サイヤ人」になった時ですね。サイヤ人を超える。
穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士
虚空 怒りのエネルギーが新たな超越的な変化への引き金になる、っていうのもね、当たり前って受け止めがちだろうけど、すごい発想だと思うんだよ。
だって、それで巨悪を倒す力を得る。理性を失えばさらなる力が爆発するっていうことだろ?
今の世の中って逆切れしたらすべて反社会的な行動になるだけじゃない。
上原先生の「犠牲論」「恨み論」って究極にはそれを解明したかったのかな、って思うんだよね。超越的なパワーを持つための約束手形。

「とっくにご存じなんだろ?オレは地球からきさまを倒すためにやってきたサイヤ人・・・穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士・・・
超サイヤ人孫悟空だ!!」


虚空 たまたまさっきね、「真空からのゆらぎでビッグバン」っていう話をしてたんだけどさ・・・何も考えずにボーッとしているとか惰性で生きている中で、何らかの刺激に触発されて「ゆらぎ」が起きる。上原流にいえば「イマジネーションの触発」

それによって「イメージ運動」が起きる。イメージ運動という名称をあてがってくれたのは藤岡先生だっていうんだけど、これは絶妙だと思うんだよね。
イメージの根元がエネルギーという印象を持てる。そして「感情をエネルギーととらえる」っていうのと非常に相性がよくなる。


諷虹 さっきの話の流れで言うと、感情エネルギーが運動エネルギーに変換。力学の基本中の基本じゃないですか


虚空 ちょうど今、中3が理科でエネルギーの保存則をやってるじゃない。
でもね、この真空のゆらぎの場合は、保存則を全く超越しているでしょ。


諷虹 複素平面とか想定外からのですよね


虚空 現象世界の中には、エネルギーの元はないわけじゃない。つまり保存もへったくれもない。完全な無から何故か宇宙全体の物質を構成して、さらにダークマターなんていうのがうまれるだけのものが発生した、って。


諷虹 バタフライエフェクトもそういう次元の超越、次元がかわることを経て爆発的に広がる・・・それこそ1円玉の質量でっていうエネルギーの質量変換の・・・E = mc2 


虚空 人間の心って、こっちに近いと思うわけだよ。キュゥべえのセリフじゃないけど、物質的なエネルギーの保存則とは違うエネルギーの発生。


諷虹 まどマギの魔女も個人的な人間の絶望が現実世界に大きな影響を及ぼすようになる


虚空 さっき中3に言ったのはね・・・唯物論の人達はそういうのは脳細胞の中の電気信号によってなせるもの、っていうんだけど、それこそ物理的に考えたたら、そんな脳細胞の中の電気信号の量の変化なんて微々たるものだよ。

それこそさっきの1円玉じゃないけど、電気量として豆電球でさつけられないような微量で、激しい感情がわきあがるわけだろ。


虚空 中2病(でも恋がしたい)のセリフでもありましたね。元ネタはフェイトステイナイト(無限の剣製)なんですね。

『「爆ぜろリアル! 弾けろシナプス! Van!shment Th!s World!」
真名を口にする。
瞬間。
何もかもが砕け、あらゆる物が再生した。
――――妄想が走る。
行き過ぎた妄想は壁となって境界を造り、世界を一変させる。
手にはシュバルツゼクス・プロトタイプMk-Ⅱ。
己の存在理由(レゾンデートル)より生まれた、唯一無二の武装だけが存在していた。
「――――――――」
その光景は、彼女にはどう見えたのか。
「いくぞプリーステス――――お玉の貯蔵は十分か」』

概要
術者がイデアに直接アクセスすることにより現実境界線を歪ませ、
過剰活動をさせたシナプスより自らの心象風景を外界へ投影、
世界そのものを一瞬にして塗り替える窮極の禁呪。
固有結界と呼称されることもある。


虚空 結局これだって台所用品と折り畳み傘でやりあっているだけなんだけどね。映像としてはとんでもなく激しい描写でも。でも六花の頭の中では妄想じゃなくて、立派な現実。
現実生活にどっぷりと漬かって生きている大人だって、それこそ夢の中ではね。


諷虹 これも脳内の微々たる電気信号であり、エネルギーの変位じゃない。
それがとんでもなく大きいことを引き起こす原動力になりうる。

☆量子論からみる「心の考察」⑥ 相反するものの重ね合わせ・共存

最近NHKプロフェッショナルで紹介された「腰痛専門のすご腕ドクター」の「問診がすべて」という基本姿勢の話からの発展です。

「医者と患者」もそうだし「教師と児童・生徒」「親と子ども」等々、ある種の上下意識が働く関係の中にあっても、そうではない関係意識を同時に持つことが不可欠であるという内容。

この相反することを重ね合わせて共存させていく発想は、量子論の基本の一つですが、古来日本人の発想の基本でもあります。
そういう意味では最新科学の最先端と、日本の古代信仰とが、一つに成り始めている時期がようやく訪れてきたのではないかという予感があります。
今回「問診」に関する番組の部分も紹介していますが、それが6月29日の、「ことりのおやつ君」が参加しての駿煌会若者たちとのやりとりにも深く関わってきます。
このやりとりは明日あたりブログアップできればと思っています。


 ☆2019年 6月28日 諷虹宅-5
 
虚空 あとさ、腰痛専門医の番組のことからコバルトブルー君がコメントしてくれた内容もね・・・「問診」についての
 
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ラインやりとりの一部
06:39 虚空
この医師の基本姿勢・・・教育でも普段の人間関係でも基本だと思います

NHKプロフェッショナル・・・まだ前半しか観ていませんが腰痛の専門医でした。他の病院の医師と格段に違うのが原因をみつける力と内視鏡の技術。

中でも自分にとって思い当たったのは原因をみつける秘訣のところ。この先生、徹底的な「問診」重視。患者に体を動かしてもらったり、触れたりしながらいろいろなことを医師の方からも聞き返しつつ原因らしいことを絞り込んでいきます。そこに最大に時間をかける。そしてその検証が検査の画像診断等々なのだと。でも一番重要なのは「問診です」と言い切っていました。



08:52 コバルト
 問診!それなんです。
何事にも「そもそも」からが大事なんです。

それが単元設定であって、鳥観的意識でもある。
足し算一つを学ぶにしても、そもそも足し算とはなにか‥を吟味していく事が重要。
大切な事は手っ取り早い「答」だけではないんですね。

現代は答に先走りすぎるんです。
だから大切な事を見過ごすんです。



09:29 虚空
 そこにこだわっているから、なかなかまともに読んでもらう事が難しくても、やっぱりやりとりのほぼ全部の記録をブログアップしたいんだよね・・・。

どんなきっかけで話が始まり、広がり、共鳴し合って、何が見えてきたのか・・・そのプロセス=駿煌会の「構え」・・・こそに価値があると思うから。

駿煌会のやりとり、って「医者と患者」「教師と生徒」「親と子ども」という上限じゃなくて、常に「問診する側」と「される側」がグルグルと回転しあっている・・・そんな感じだものね。
問いかけて・・・聴き合って・・・響き合って・・・
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*この記事の最後に、NHKプロフェッショナルの問診に関するあたりの文字起こししたものを掲載しています。


諷虹 自分も中学生とかに数学を教えるときに「鳥瞰」・・・これによって何ができるのかっていうことから説明しますね。



虚空 全体と個のバランス。木もみせるし森も見せる。どちらも見せての重ね合わせ。



諷虹 問診じゃないですけど、授業とか質疑応答のやりとりで「質問ありますか」って聞いて、あった時の方が一番実のある時間になる



虚空 「教える」のが教育、って思っている先生たちは質問が出ることを嫌がることが多いからね。自分の指導力のなさが暴露される感覚なんだろうけど。

でもね、本質的なことって、小学校1年生が学ぶ内容だって滅茶苦茶高度じゃない。自然数の定義なんてちゃんとできる小学校の先生なんてどのくらいいる?子供らに説明はできなくてもさ。
国語の教材文でごんぎつねとかの話題もこのところやっているけど、小学生の国語の文章だって、教師によって千差万別だよ。もちろん指導内容も。



諷虹 質問がない状態の例として、エヴァでシンジが「目標をセンターに入れてスイッチ」っていうひたすら教えられた通りに繰り返しているシーン。異様に印象が強いんですよね。



虚空 だいたい生き生きしていないよね。惰性。それこそ慣性の法則の人生観。加速度0の時は静止も等速直線運動も同等だっていう。死と惰性の生き方は同じことになる。

学校教育だって、もちろん約束事を教えるときにはそういうこともあるけどね、もっと大事なのは、本質的なことにどんどん関心を向けて、自ら疑問をもって、探求していく構え。


*エヴァ動画 まさに死んだ魚の目


諷虹 名場面ですね



虚空 こういう目をした子どもを育ててはいけないんだよ。



諷虹 方程式におとしこんだあとは、オフモードになっている自分はいるかも・・・



虚空 いいんだよ、それは。立式の時に人間らしくしていれば。それこそ重ね合わせ。どっちも大事なんだから。

だから駿煌会でも「現実」か「非現実」か、っていう二者択一ではなくて、「どっちも」っていう「超現実」の立場をとっているんだから。
 
 

 
 プロフェッショナル 仕事の流儀▽腰痛治療いまだ進化せり~腰痛専門医・西良浩一
元巨人高橋由伸、女子ハンマー投げ室伏由佳、ハンドボール宮崎大輔…。日本を代表するあまたのトップアスリートを診る『腰痛』治療のスーパードクターが、四国にいる。徳島大学整形外科医・西良浩一だ。

西良はまず、“徹底した問診”で、特定が難しい腰痛の原因を正確に突き止め、そして内視鏡を用いる自ら開発した手術法を駆使し、少ない負担で治療する。日本人の4人に1人が悩んでいるという腰痛に挑み続ける医師の日々に密着!

画面右上テロップ文字 「つきとめろ!謎の腰痛の原因 腰痛のすご腕ドクター」

ナレ 何故西良は診断が難しいとされる腰痛の原因に迫ることができるのか?
(プロゴルファーをめざす女性。これまで3つ病院をまわったが原因が分からない

西良 症状のことを教えてもらいましょうか (非常に丁寧な問診やりとりが続く )
確かにこれ(レントゲン画像)を見るとすごく類骨骨腫ってやつね・・・

ナレ 前の病院では良性の骨の腫瘍 類骨骨腫 が疑われた。・・・・・・・類骨骨腫であれば体にメスを入れる必要も出てくる。
(問診 + いろいろな動作をしてもらう)

ナレ 西良は前に撮った病院での画像を見つつ、丁寧な問診を続ける。・・・・どんな時にどんな痛みがでるのかを丹念に探る。

高度な医療機器や画像診断が駆使される現代医療。その最先端で戦う西良が最も大事にするのは極めてシンプルな一つのことだ。

字幕 ”問診”を究める

西良 一番大事なのは問診ですよ。問診にはじまり問診に終わるじゃないけど、「靴下はくのが痛い」とか、ちょとした言葉の中にヒントが隠されているんで、いかに引き出すかですよね。
それでだんだんと真犯人はこれだなって浮かび上がってくるんですよ。

その時に本当に真犯人がいるかどうかの確認が 画像 なんで・・・画像は最後。
話して触って悪いとこ見つけてあげて、が一番大事ですよ。

画面右上テロップ文字 「”問診力”で原因を特定する! 腰痛のすご腕ドクター密着」

ナレ 西良は問診から導き出した推理を語り始めた。  (その後でまた動いてもらう、検査等々を行い特定していく)

⇒前に診断された場所とは少し離れた場所の 椎間関節炎 が本当の原因であることを特定。手術での必要ななし。
 しばらくして練習を再開できた
 
 
 
 

☆量子論からみる「心の考察」⑤ 先験的イメージとの関連を経て、再び「名前と存在」の考察へ

上原先生の探求しつづけた「心意伝承」・・・その具体的な裏付けとなることの一つに「先験的イメージの世界」があります。

それとの関りの深い内容に自然に流れて行きました。
こうしたことを踏まえてまた最初の「観測者問題」(名前の作用)等々について再検討です。

 ☆2019年 6月28日 諷虹宅-4

*アニメ「阿知賀編」第一話
赤土先生・・・子ども達と過ごして原点を見出す 生まれ変わる 子ども麻雀教室がなくなる際に看板を外す
虚空 ガルパンもそうだけど、咲だって「学校」への愛着がみんなあるよね。
それはやっぱり「学校」っていうのが「おうち気分」と重なっているからじゃないの。
 

*阿知賀編 子ども麻雀クラブがなくなっても一人で2年以上教室を守り続けていた先輩の存在。
「私がいつも通りなら、いつか来るかもしれないから。誰かがまたあの頃みたいに」



諷虹 清澄の部長さんにしても一人ででも存続させている



虚空 そこにまたみんなが帰ってくる、とか、誰かのたまり場になる、っていう「場」を守っている感覚って、やっぱりさ、息子や娘が巣立っていった後でも、いつでも帰ってこられるようにしておく心境と近いよね
 


諷虹 出ていった時と同じようにしておく・・・「裁断と継続」・・・コンビニから帰ってきたのと同じようにまた自然に前の続きって感覚になる。

この後のセリフで
麻雀をしていればいつかきっと巡り合える。」

シノハユもそうじゃないですか。「お母さんに会える」。咲も「お姉ちゃんに会える」
これって、ダンデリオンツイッターで言えば同じ志を持っていればどっかでちゃんと巡り合うだろう、っていう。



虚空 経路が違っていても行きつく先は同じっていう発想もあるよね。パラレルの中に。
全く違う未来に枝分かれっていうのもあるし、ドラえもんの第一話なんかだと、中間?
 


諷虹 それこそ、「山」じゃないですか。どのルートを通っても山頂。高みで会おうという感覚
 


虚空 でもさ、そのルートの取り方で頂上にいたった時の感覚はだいぶ違うよね。自分は筑波山でも迷うことなくケーブルカー



諷虹 ヤマノススメでもありましたね、ロープウェイで山頂にたどり着いたときの達成感がイマイチだったって



虚空 自分なんて無理したら達成感を抱く前にオシマイになっちゃう(苦笑)



諷虹 道はどっかでつながっているっていう感覚ですよね。
めぐり逢いっていうのも。



虚空 先験的イメージで「邂逅性」っていうのがあるけど、そういう意味もあるのかもね。
デジャブなんていうのに近いようだけど、完全にイコールっていうのとは違うかもしれない。


デジャブ 
既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象である。 フランス語: "deja-vu"よりデジャヴュ、フランス語由来の英語 "deja vu"よりデジャヴまたはデジャブなどとも呼ばれる。
 


諷虹 さっきの阿知賀編の第一話のタイトルも「邂逅」ですよね。



虚空 そうだっけ!?(確認)



諷虹 止まっていたら出合わないというイメージもあるのかもしれないですね、邂逅には。



虚空 どうしても今、青ブタが引っ掛かり続けているわけだけど、「名前を認識する」ということと、世界の中で存在が確定するということからそもそも始まっているわけだけど、今回の劇場版では「時空が錯綜しての出会い めぐり逢い」も大きなポイントになっている。そういう点では「君の名は。」もだけど・・・

青ブタでは、そういった出会い・めぐり逢いの根拠が「量子もつれ」に起因しているということになっている。


そうした事と今の咲を通しての事とがつながってくると面白いんだけど・・・

 
諷虹 一番最初の問いに戻ると「嶺上開花」で花が存在しているのか否かということで、「邂逅」っていうのと「量子論における観測」っていうのが似ているのかな、って。

さっきの阿知賀編一話でも、離れ離れになって連絡もとりあっていない状態で「今、何をしているのかな」って思い描いている(=波の状態)と、実際に出合う(邂逅する)と、しっかりと今の状態が分かる(=粒子の状態)

どっちでもある・・・咲いてもいるし、咲かないでもいる



虚空 相手にとってはどっちも共存しているよね。



諷虹 寅さんで「今頃どっかで野垂れ死んでいるんじゃないか」っていうのも、「シュレーディンガーの寅」ですよね。



虚空 この感覚ってさ、この歳になるとよくあるのは、年賀状とかのシーズンだよ。
かつての恩師とかに毎年年賀状を出している人に近況を手書きする時は、生きているとして書いている。でも実際には御家族の方から「実は昨年の〇月に・・・」何ていう通知。

本当は死んでいるんだけど、事実を知らされていないうちは観測していないわけだから、確実に生きている存在として認識している。



 
諷虹 便りのないのは良い便り、なんていうのもそうですね。


ネット解説『便りが無いのは良い便り
 
遠くに住んでいる知り合いから長く連絡が無い場合などに、悪い知らせが来るわけでもないのだから、むしろ息災であるに違いないと考えるという意味をもつ語。 』
 

諷虹 この「ちがいないと考える」っていうところですね。



虚空 だってさ、知らせを受けていなかったら、死んでいるとは想定しないじゃない。自分の意識世界では確実に「生きている」んだよ。

人間の認識と離れて存在するものに、存在という意味があるのかどうなのか、というのは古来から哲学でも議論されてきたことだけどね、でも人間の意識の問題や意識世界のことをずっと考えていると、「認識されているから存在」っていう発想の方が、実感をともなってピンとくるようになってきた。


もちろん若い時は、宇宙全体からみればこんなちっぽけな存在である人間が認識しようがしまいが、大宇宙も大自然も存在する、って何の疑いもなく考えていたけどね。



諷虹 認識する(予定)だから存在、っていうのもあるのかな・・・。
スラムダンクでも咲でも「全国にいる猛者」・・・まだ出合ってはいないけど確実にいる。まだ見ぬ強敵は。



虚空 それはやっぱり意識世界においては「まだみぬ猛者」っていう名前が認識されているからだよね。

あとさ、同じ感覚でいえばシロバコの「あるぴんはいます」もね。想像上のキャラであってもみんなで信じれば本当にいることになってしまう。実在感いっぱい。

大洗の町もそうだよね。ガルパンキャラはいると行政すら信じている。
だからガルパンキャラ住民票まで役場が正式に出している。看板をたてているお店ではそのキャラが本当にその家の子どもとか孫とかの感覚。

そしてさ、それをみんなで信じているから、リピーターが大洗を自分のふるさとに感じたり、なじみのお店を実家のように感じている

 
*シロバコ 2話「あるぴんはいます」会議
宮森が、各キャラの年表・履歴などを作成
 
虚空 これって、キャラも成長していくプロセス・・・人生という観点の導入だよね。
本当にこの世界で生きて成長してきた存在として認めている。



諷虹 監督のセリフでの「作っていく過程でキャラも成長」っていうのが、本当にキャラが成長しているという部分と、自分が成長しているからキャラのとらえかたが変化するっていう部分と・・・もっと深くっていうことで
 


虚空 これって、まさに教育の世界で教師が大自覚をしなければいけないところだよ。
同じ子どもをみても、同じ作文や発言をきいても、こっちの見方が未熟だったら、問題としか受け止められない・・・

咲でもさ、宮永とかの打ち方で「まるで初心者」って見下す連中に対して「全然違うものが見えているとしたら?」っていう問いかけをする式の場面が何度も出てくるよね。

所詮はその人の器でしか物事をとらえられないわけだから。
だから上原先生も「教える」なんていう意識を持つ暇が合ったら「生態」をきちんとつかまえていけ、って。

でも読み手の感覚によって、大事な事でも抜け落ちてしまうことが多々ある。だからいろんな人間が読んでいって、その結果を重ね合わせていく必要だってあるわけだよね。

前に駿煌会で「壺作文」の読み合わせをやった時に4人の読みが違った観点でさ・・・。
まさに量子論の「重ね合わせ」の発想の重要さ。
 



諷虹 「俳諧」なんかもそうだったんでしょうね。自然とかの情景をどうとらえていたのかを共有していく。



虚空 「お題」なんていう発想もそうだろうね。歌会とか・・・新年恒例の宮中歌会始めなんていうのも考えてみれば面白いよ。天皇陛下とか皇族の方々の詠まれた歌だけが披露されるわけじゃなくて、広く一般公募もしているじゃない。その気にさえなれば自分達だって応募できて、万が一選ばれたら、新年に皇居に行くわけだろ



諷虹 おーいお茶の新俳句大賞もそうですよね。それこそ幼児・小学生からお年寄りまで、国籍を問わず幅広く載っている。



虚空 万葉集の精神が息づいているのかもね。
 

*あるぴん は牽引役・・・さっきの先導との関りでも興味深い
会議でのやりとり、改めて観るとさらに面白さを再認識
 


諷虹 ここで実体が出てくるというのも・・・今のもある意味で邂逅ですよね



虚空 ホログラム理論だったりして。
だいたいさ、アニメの中での世界も、本当の人生と思っている世界も、個々人の意識世界の中では人によって違っているんだから、そんなに大きな違いはないんじゃないの?

だから「世界定め」とか「構え」が重要になってくるんだと思う。



諷虹 コンステレーションですよね。位置関係。



虚空 あの我が侭一杯のうちの親戚なんてみていると本当にそれはよく分かる。

全部自分の都合のいいように現実を捻じ曲げて世界を作っている、最初は意図的に替えている事も自覚してるようだけど・・・でも言っているうちに自分で自分を信じて、そういう世界を作り上げて信じ切る。信じきるから実感をともなってもきてしまう。

幼い子が現実と虚構が入り混じる、っていうのも、本人は入り混じっているとは思っていないじゃない。それが現実として認識されている。

まあ、そんなのは極端な例かもしれないけど、本当に客観的な事実をとらえて生きている人間なんていないんじゃないかと思うよ。大なり小なり自分で世界を作り変えている。



諷虹 表現として「世界は自分を中心にまわっている」っていう言い方をするじゃないですか。あれって、自分は「定点」ですよね。

そういう意味で言うとさっきの邂逅性みたいな思いがけない出会いなんていうのは起こり得ないのかな、って。自分が動いていないから。道でいうと始点で立ち止まっている状態なのかな、って。



虚空 別の言い方をすれば「定点」っていうのが「絶対基準」になっているから、「添加」が起きない。新たな軸の設定とか、目盛りのとりかたも。



諷虹 絶対的か相対的か・・・自分の物差しでしか測らない



虚空 ましてや「相補性」なんて取り入れない、認めないよね。自分だけでは限界がある、みんなの力も借りよう、っていうのが相補性の根本だから。

そうするとね、また咲になるけど、あそこで場を守ってきたキャラたちが「団体戦」をメインに考えているじゃない。持ち味の違う・・・オカルトめいた能力も含めてね・・・そういったチームの組み合わせの妙というのに大きなこだわりがある。
ガルパンも同じ。



諷虹 一種の「集合」ですね。



虚空 この集合っていうのが、軍国主義のイメージ歪んでしまって、みんなが全体のために個をなくす、平均化する、っていうイメージになってしまっているけど、飛鳥時代の宮大工の発想に残っているように、日本人古来としては「個々人の違い」を「一見悪いと思える癖までありのまま取り込むから素晴らしく長持ちする建築が生まれる」って考えたわけだよね。



諷虹 野村監督でしたっけ・・・「フォア・ザ・チームとは、「チームのために自分はどのように役立てばいいのか」を常に念頭に置き、実践すること。それができる人間が多ければ多いほど、組織は強くなる。
 


虚空 違いとか癖をそのままに組み合わせて生かすのが棟梁の役目とされていたわけだけど、それって棟梁にもそれだけの度量というか力量が必要なわけだよね。

組織論だったら上に立つ者すべてに必要な素養。教育でも、スポーツでも全部そうだよ。
でもなかなかそういう人材がいない。教師でもスポーツの監督でも、単に成績が優秀だったというだけでなった場合はそういう発想がとれない。ましてや欠点とか使いにくい人間を組み合わせて使うなんていう芸当はできない。


そうしたら個々の違いはぶっ潰して、それに従わないものは排除して、って言う方が簡単にできる。
 



諷虹 ガルパンのコミカライズでみほがチームメイトを助けた理由に関して・・・
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去年の黒森峰の敗因ーーそれは・・・西住姉妹に頼りすぎたことだ!
昨年の全国戦車道選手権大会――西住流後継者の隊長・西住まほと彼女の戦術を完璧に理解していた副隊長・西住みほ
そしてその手足となるために錬成された他の隊員たち その状態を誰も疑問にすら思わなかった
監督陣も・・・OG連中も・・・対戦相手さえも! 
すべては十連覇のために――万全の布陣だと思われていた

否、万全すぎたのだ――

知ってるか?人は訓練したことしかできない――手足は自ら考えて行動しない
だから彼女は飛び込んだ
彼女しかいなかったのだ

その瞬間自分の頭で動けるものはかのじょだけだったから
 
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虚空 西住流を受け継ぐ副隊長いなくなった、っていうのは「その名前の人間が消えた」っていうことだよね。

こういう場合じゃなくても、「世代交代」っていうので「頼っていた存在が消える」っていうのは宿命だよね。上原輝男がいい例だよ。先人が偉大だった時の代がわり。
ただ、どんなに偉大な存在でもいつかは消えるわけだから、消えたことによって、残された者達が「その名に値する」「その名を超える」というような自分達になろうと努力すればいい、っていうことになるわけだ。


偉大な先人の時ほど、一人じゃなかなかできるものではない。だから「重ね合わせ」という量子論の発想「相補性の原理」に立たないとだよね。


大洗チームがまさにそうだけど、それぞれにチームがど素人なりに個性豊か。他のチームはなかなかはみ出しがいないじゃない。それこそ「統率」がしっかりと取れていすぎている。だから想定外のことが起きると案外もろく総崩れになる。


劇場版の大学選抜との試合前半は、みほがみほらしくなくて、統率型の作戦で向かったから総崩れになりかけたわけだよね。でもすぐにみほらしい戦車道に切り替えて立て直した。


さっきも「道」の話が出たけどさ、水島監督が単に戦車の競技会というようにしないで「戦車道」の大会、って「道」を全面に出しているっていう設定にしたのはすごいと思う。


あとさ、覚書にリリカルなのは、っていうこともちょっと書いたのはね、単に相手を認識するために「名前を教えて」っていうのとは違うところがあるよな、っていうこと。

青ブタの桜島麻衣さんのエピソードだと認識の証としての「名前」っていうのが強いんだけどね、なのはの場合は「名前を聴く」っていうことに対してもっと積極的な意味があるような気がして。


以前にも出たけど、なのはとフェイトの関係だけじゃなくて、ヴォルケンたちとのやりとり。特にフェイトとシグナムの呼び合い方に伴う感覚。



諷虹 ずっとヴィータがなのはの名前を言えないでいたのが、最後に共闘する時になって名前が言えた、っていうのも。

意味合いの個人的な解釈だと、なのはとフェイトは「友達になるなり方」としての名前じゃないですか。形から入る。型をつくる。「友達は名前呼びするから、名前呼びすれば友達になれる」というような。結果の部分に・・・友達になっている状態を先にもってくれば、中身はあとからついてくる。



虚空 まさに「型」の文化だし、「言霊」の真髄だよね。



諷虹 シグナムとフェイトに至っては「邂逅」というか「認識する」ということじゃないですかね。冥途の土産じゃないですが、名乗ってから切り合う感覚。誰と闘っているのか、誰に切られるのかを分かった上でという・・・

フェイトステイナイトの佐々木小次郎・・・あれも真っ先に名乗るわけですよね。本当は真名を名乗るのは不利になるからしないというのが聖杯戦争での常識みたいなものだったのが・・・。



虚空 どうして名乗りが剣士で常識なのか



諷虹 不届き者とかに「名を名乗れ!」って迫るのもね。正体を知りたいとかそういうのよりも、「お前は、自分の名に恥じることをしているんじゃないか!?」ということに対してのこと。「悪名の状態で自分を名乗れるのか」という、踏み絵みたいな。

「汚名返上」とか・・・「汚名挽回」っていうのもありますけど・・・。
 
ネット検索 ニコニコ大百科
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B1%9A%E5%90%8D%E6%8C%BD%E5%9B%9E
 
 
誤用ではない?
概要で示されているように一般的に誤用として広まっているが、間違いではないという説もある。
実際、一部の辞書には明確に「汚名挽回」は誤用ではないとわざわざ記されている。
一度デマが広がると否定するのにコストがかかるのと同様の例だといえる。
 

「挽回」の意味
「挽回」という言葉には「巻き返しを図って本来の良い状態に戻る」という意味がある。
そのため「汚名挽回」は「汚名を被っている状態から元に戻る」という解釈が可能なため、「汚名返上」と同じ意味であるととらえることもできる。
似たような用法の言葉として「疲労回復」を思い浮かべれば理解しやすいだろう。
 

また、同じ「挽回」を用いた言葉でも「遅れを挽回する」「劣勢を挽回する」という言葉が一般的に使われているが、これも遅れや劣勢をもう1度得る、と言う意味では使われない。
 
なお、この説を正とする場合、「汚名挽回」は「汚名の有る状態から、良い状態へと回復する」と言う意味である。
「汚名返上」は、汚名を返上した後の状態を問わないため、根本的に意味の違う新語である、とする説もある。
 
また、「(悪い意味で)汚名をもう1度得る事」と言う意味で「汚名挽回」を使ってしまった場合、「挽回」を誤った意味で用いていることになるため、明らかに日本語の誤用となる。
恥ずかしいので使わないようにしよう。
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☆量子論からみる「心の考察」④ 量子論と上原輝男流「遊び意識」⇒真床覆衾としての「おうち意識」

麻雀アニメ「咲」の「阿知賀編」のEDの歌詞の話題から始まって、量子論での「波と粒子という相反する状態が重なって一つ」という相反することも含めて多様な可能性が混在していることと、上原輝男先生が説く「遊び」が成立している「場」の問題につながり、それが「おうち」意識の基本である「真床覆衾」につながるのではないか、というやりとりです。
☆2019年 6月28日 諷虹宅-3
ネット検索
阿知賀編ED「Square Panic Serenade
頂点まであと一息
アガリーち All Right!!
咲き誇れ
東から西まで 北から南まで
走り抜ける 四方八方
全身全霊
握るも捨てるも ドキドキ選択
センチメンタルに ドヤッと!
また騒ごうよ

こっちでも (牌!)
あっちでも (牌!!)
偶然でも 幸運でも
引き寄せて 乗っちゃって
せい! a-c-h-i-g-a れっつごー!
(まーじゃんぱにっくもういちど Here we Go!)


あの舞台を転げ回って
奏でちゃってよ、My セレナーデ
星屑みたいキラキラって

四角い箱の中 夢いっぱい
楽しくなってきちゃったね
くるくる回る、ターン to ターン
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
この草原駆け抜けよう
悔しい涙で ステージを濡らして
優しい笑顔で 抱き止める
次は私だ
しょっぱなの一打 歯車回りだす
自分次第のショータイム 皆はしゃごうよ!


有名でも (牌!)
無名でも (牌!)
関係ない 勝てば官軍だ
レジェンド もう一度
[穏乃]指切りげんまん! [憧]あの子に会いたい
[宥]なんだか眠い。。[玄]ちょっとお姉ちゃん!
[灼]はぁ…。みなさん?いきますよ?
(Yeah!!試合開始~!)

願い背負って勝ち進め
指先が歌うよセレナーデ
掴もう奇跡 ドラドラって
積み上がってく数 そう絶対


四角の空を 自由にさ
飛び回ろうよ、一緒にね
笑って 怒って 明日へと繋いで
一歩ずつ駆け上ろう

また遊ぼうよ (Future is bright)
ありのままの私たちで (Dream come true)
1、2、3、4、5のステップを
(テンパリぱにっくさいごに Here we go!!)
あの舞台を転げ回って
奏でちゃってよ、My セレナーデ
星屑みたいキラキラって


四角い箱の中 夢いっぱい 箱いっぱい
まだまだ続くこの勝負
走りぬけてく Run the world
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで

笑って 怒って 明日へと繋いで
この草原駆け抜けよう
徹底的 射程距離圏内
ここ一番 ぞっくぞく
打ち上がれ
 

諷虹 高専仲間と夜中に麻雀やってて変なテンションになるとみんなでこれを歌い出すんですけど・・・これを全員フルで歌えるメンバーっていうのもなかなかシュールで

♪有名でも (牌!)・無名でも (牌!)・関係ない 勝てば官軍だ・レジェンド もう一度


この部分ですね。
 
虚空 あとさ、今聴いていて、咲の話が出てきた最初から気になっている事・・・さっきも言った事だけどさ・・・「四角い箱の中」っていう 場 。その中で量子論的な展開がなされている、って受け止められるよね。


 
♪四角い箱の中 夢いっぱい
楽しくなってきちゃったね
くるくる回る、ターン to ターン
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
この草原駆け抜けよう

♪四角の空を 自由にさ
飛び回ろうよ、一緒にね
笑って 怒って 明日へと繋いで
一歩ずつ駆け上ろう
また遊ぼうよ (Future is bright)

♪四角い箱の中 夢いっぱい 箱いっぱい
まだまだ続くこの勝負
走りぬけてく Run the world
駆け引き、勝ち負け、あの子に繋いで
笑って 怒って 明日へと繋いで
この草原駆け抜けよう
 
「シュレーディンガーの猫」は「半死半生」の状態が同居している、っていうことだけど、実生活としては、あらゆる可能性が混然一体となっていて、自分の意識次第でそれがどうにでも確定する、っていうようなね。

「自分の意識の包み込み方」っていうか・・・それが観測者で・・・それが現実を受け止めた瞬間に、どう認識して、自分のイメージで包み込んでしまうかによって「場の意味が確定してしまう」・・・世界定めが完了してしまう。

でも、実際には、自分の意識とは関係なしに周囲(世界)は既に確定していて、人間はそれに抗うことなどできない、っていう見方が主流だからね。

もっとも自分自身も今の現状をそんな風にしか受け止められないでいるんだけど・・・。


あとはね、この中の「遊び」も前に紹介した上原先生の説く遊びで考えるわけだけど・・・
前に紹介しなかったものも含めてもう一度載せると


*上原語録
遊び
・遊びは本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。    (平成元年六月例会)
・子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。             (平成六年新年会)
・「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
・ 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。              (平成二年十月例会)
 
 
遊 び 心
郡司先生のいう『遊び心』と『子ども心』、それと藤岡先生のいう『最も根源的なイメージの追及』の接点、関連を考えたい。郡司先生は「これが失われるから人間は年をとると寂しくなる。」なんて言っているけど、自分を生かしめているのは『幼い頃の遊び心』なんでしょうね・・・。   (平成三年二月例会)
 
 
遊び場所
遊び場所とは『理想郷』であり『神のいつく場』と考えた方がいい。神の領域に近付くこと。 吉原などの遊び場所を性的行為と結び付けて考えるのはいやしい現代人の発想であり、除くべき。 遊女名が仏と同じものを名乗っているのはその現れ (平成二年十月例会)
 

虚空 これをふまえて、さっきの量子論的な「場」のつかまえ方をしながら、この歌のこの部分を読んでいくとさ、「麻雀」を超えたいろんなものが見えてくる気がする。

それこそ心意伝承というか・・・人間が生命を受け継いで生きていくということまで。



諷虹 阿知賀編の最初で、和が走るのもダメで出来るのが麻雀っていうのがあったわけですけど「駆け抜けよう」とか「飛び回ろう」とか外で遊んでいる感覚ですよね。
 


虚空 都会っ子はやっぱダメだな、目線だよね。

アニメセリフ「これが都会のもやしっ子ってやつか」
 

虚空 さっきの指摘って面白いよね。

咲は別にして、一般的には麻雀っていうと徹夜でタバコの煙が蔓延している部屋に籠ってやっているっていう不健康な室内遊びっていうイメージがあるけど、阿知賀の子たちにかかっては、元気いっぱい大自然の山に囲まれた外遊びのイメージに転換されてしまっている。
 


諷虹 山もあるし河もあるし・・・

虚空 さっき引用した部分だって、とても狭い部屋の中でのなんていう風には絶対思えないよね。

そんな世界だからこそ深い友情もはぐくまれるし、未来へとつながっていく、そんな「場」となっているんだろうね。

上原流の「真の遊び場所」たる世界。

結局「おうち」だって「ふるさととしての地域社会」も「学校」も「教室」も・・・みんなそういう世界が成長の場としては理想。

だから「真床覆衾」になりうるんじゃないの?