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☆「恋する小惑星」地質班との共鳴① ~感覚を呼び覚ますための知識

今回の大きなテーマは「知識とイマジネーション」との関連です。

地学に限った事ではないですが、どの分野でも、日常の感覚でも「知っている」ということが「縛り」「感覚オフ」の方向に働いてしまうのか、それともさらなる世界へと誘ってくれるものなのか・・・・・

そういったことがベースにあった上での、地質班との共鳴ということです。

前回のブログ記事でも書きましたが、「恋する小惑星」を単にアニメとして楽しむだけではなくて、あのキャラ達の感覚を自分達も呼び覚ましたい・・・・それによって、現実対応ばかりの意識世界を包み込んで、豊かに現実生活を生きていく構えとなっていくのではないか・・・。


後半(次の記事)は、虚空がかつて岩石などのミクロ撮影をしていた時の機材に加えて新たな新兵器などを思い切って購入したものを諷虹君と試し撮りをしながら、地質班気分になっていました。
*2020年1月31日 諷虹宅
(26日のやりとり後に、ある品物の受け渡しでコバルトと会い、そのまま2時間以上おしゃべりしていた時の話)

虚空 メインの内容は先週のここでの「恋する小惑星」の話になったんだけど・・・もちろんコバルト君はアニメは観ていないんだけどさ・・・ただ、去年の暮れに出ていた「沈没船」をきっかけにしてのいろんな話と深くつながりそうな気がしたから・・・。
「沈没船」に対するイメージを調査しても面白いかもしれない。
で、先週の最後に「時間性・空間性」っていう点から、このアニメの登場人物たちのイメージ世界と共鳴できたら・・・っていいうのを言っていたんだけど、それをさらに具現化しようと思って・・・先週ブックオフで鉱物の本を買ったわけだけど、そのあとも図鑑やら何やら買い足して・・・「地学部」に入部したような感じになってる。特に地質班の方。
ところで諷虹君は地学はどうなの?塾とかで教えてる?


諷虹 一応教えていますけどね。中学生程度のことだったら


虚空 自分はどうしても頭をスルーするんだよね。天体もそうだったけど、写真とかをみるのは好きだったんだよ。小さい頃も鉱物の図鑑の宝石のところだとか、偏光顕微鏡の岩石画像をよく眺めていた。

でもね、地学的な知識を入れようとは全然思っていなかった。
大人になって岩石の顕微鏡写真とかを撮るようになってもね。天体の方はそれなりに知識も勉強したけど


諷虹 無粋な気がするんですかね。


虚空 そうかもしれない。カッコつけていえば「純粋経験」から離れるような・・・


諷虹 「島人ぬ宝」っていう唄知っていますか?


虚空 ほとんどノーチェック

視聴する
「島人ぬ宝」 歌詞
僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知っているんだろう
輝く星も 流れる雲も 名前を聞かれてもわからない
でも誰より 誰よりも知っている 悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていたこの空を
教科書に書いてある事だけじゃわからない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

僕が生まれたこの島の海を 僕はどれくらい知ってるんだろう
汚れてくサンゴも 減って行く魚も どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている 砂にまみれて 波にゆられて
少しずつ変わってゆくこの海を
テレビでは映せない ラジオでも流せない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

僕が生まれたこの島の唄を 僕はどれくらい知ってるんだろう
トゥバラーマもデンサー節も 言葉の意味さえわからない
でも誰より 誰よりも知っている 祝いの夜も 祭りの朝も
何処からか聞えてくるこの唄を
いつの日かこの島を離れてくその日まで
大切な物をもっと深く知っていたい
それが島人ぬ宝

諷虹 中学生とかの島への作文をモチーフにしてつくった唄のようですね。


虚空 今の話の流れにピッタリな唄だね。


諷虹 ふるさと意識ですよね、これも。
虚空 本当にいい唄を紹介してくれた。
こういうところでね、ずっと児言態の場でも話題にしているけど「知識」と「イメージ」との関係。

「純粋経験」からすれば「知識」は邪魔。


諷虹 知識っていうか具体的な名称を言えるということで、もうそれが分かっていると思ってしまうというか。図鑑に載っていることを知ることばかりで、目の前にいる虫とかが目に入らなくなる・・・。

例えば星の名前とかは別かもしれないですけど、石を拾って求めているのは共感なのに、「それは〇〇という石でどこにでもあるものだ」なんて言われると冷めるわけですよね。「どこにでもあるならいいや」ってなっちゃう。


虚空 それは極めて大事な指摘だよ。
ずっと言っているけど「知識や論理」が「狭める方向に行く」「縛る方向にいく」というのと、「さらなる想定外の世界に誘ってくれるツール」っていうのとの違い。
本当に好きな人は、知識が冷めてしまう方に行かないからね。
あのアニメの地質班なんてそうじゃない。


諷虹 スケッチブック(コミック・アニメ)の栗原先輩もその口ですよね。田村ゆかりが声をあててていた

虚空 虫の先輩ね。確かに知っているから「もう分かってんだぞ」じゃなくて、常に新鮮な驚きや感動の心で虫に接しているよね。


諷虹 主人公の「空」なんかは、栗原先輩に正式名称を教えてもらうまでは自分で勝手に名前をつけちゃうじゃないですか。

虚空 それって小惑星の「みら」にも言えるよね。あの河原のシーンで石にいろいろな名前をつけていた・・・。

恋する小惑星 第二話 あにこ便 http://anicobin.ldblog.jp/archives/56298108.html
『桜先輩~!この石は何ですか?』
『それはチャートね』
『放散虫なんかの殻が堆積してできた石よ』
『へ~』
みら『じゃあこれは?』
桜『ん~…多分安山岩ね。火山でできるやつ』
みら『これは?』
桜『泥岩ね。粒子が細かい堆積岩よ』
桜『そっちのははちまき石ね。白い枠がぐるっと1周してるでしょ?そこだけ成分が違うのよね~。通称はちまき石。縁起物としておみやげにする人もいるらしいわよ』
あお『みら。何か見つかった?』
みら『見て見てこれ!はちまき石だって!』
あお『かわいい~ 私は木星みたいなの見つけた』
たくさん拾った石を持ち帰りきれない
桜『なんでもかんでも拾えばいいってもんじゃないのよ』
みら『せっかく集めたのに…さよならはちまき2号。泥岩3号。チャート4号…え~ん…』
*スケッチブックより
第13巻 
空(あ、とんぼだ。こんな季節に寂しげにぽつねんと草にとまっている。
よし、 ぽつねんトンボ と名付けよう。)
栗原「あっ、おつねんトンボだね」
空(惜しい)
第14巻
空がシャクトリ虫に「オメガ虫」と名付けている。
ネーミングセンスが独特。


虚空 どこか「のんのんびより」のれんげと通じるところがあるね。
性格は違うけど。
*スケッチブック 最後の頃は栗原先輩の虫の知識と共にの話ばかり


虚空 上原先生がさ、中学生以降は「知識教育も大事」って言っていたけど、上原先生の言っていた「知識教育」ってどういう知識教育だったのか、っていうことについてはあまり情報がないんだよね。初等教育の話ばかりだったから。
でも先生自身は高校の教師から大学の先生になった・・・高等教育畑をずっときた人だったんだよね。
先生のいう知識教育っていうのは、決して狭める方のじゃなかったとは思うんだけど・・・。

段階にもよると思うんだけどさ。例えば前、筑波学園都市の施設で小学生とかの天体に関する特別教室なんていうのを開くと、天文博士のような知識いっぱいの小学生が集まってくるんだと。本当にマニアックな知識をいっぱい知っているんだと。
だからその教室の最初にやることは、そうした知識を捨てさせることなんだ、って担当の天文学者の人がいっていたよ。
「こんなことも知っているんだ」っていうのが邪魔になる。
それはまさにさっき諷虹君が言っていたことに通じるんじゃないのかね。
「それ、もう知っているよ!」って得意になると、どんどん純粋経験的なことから離れていく。


諷虹 「知っていることでちやほやされたいのか」それとも「深く知りたい・共感したいのか」という違いは大きいでしょうね。

虚空 知識の目的だよね。
本物の学者なんていうのは、知れば知るほど謎が深まるっていう感覚じゃない。さらなら探求に向かう。
でも中途半端な優等生は「ゴールした気分」になっちゃう。

知識って「着眼点」とか「想定外の方向」のサンプルを示す羅針盤みたいなものだと思うんだよね。でもその方向だけが方向じゃない・・・示されていないものの方がいっぱいある、っていう感覚。

Nanba先生が聖徳との会合の時に力を込めて話していたのは、小学生に知識ばかりを与える必用ないけど、先生達は知っていなければならない、うんと勉強しなければならない、って。
教師自身も「それで分かった」っていうような構えではダメだろうけどね。
広大な世界に誘えるための最低の知識というか羅針盤を持つための勉強


*スケッチブック 別のエピソード (第13巻より)
顧問「ダニがいる 殺そ」(殺虫剤を構える)
栗原「待ってください
これダニじゃないですよ ニセセマルヒョウホンムシっていう昆虫ですよ」
顧問「ふうん」(殺虫剤を構える)
栗原「だから待って」
顧問「へぇ よく見たらテントウムシとかみたいな前翅があるのね」
栗原「これでも甲虫類なんですよ」
顧問「でも何?これぞ虫の世界の名づけ方って感じよね ニセセマルヒョウホンムシ?
ミツバギンナンチャワンムシモドキみたいな?」
栗原「え?何ですか?そんな虫いるんですか?」(目を輝かせる)
顧問「テキトーに言っただけだから」

虚空 何でもそうだけどさ、作者ってすごいよね。こういうやりとりを創作できるんだから。ちゃんとキャラを描き分けてさ。
何重人格にもなれるっていうことだよね・・・意図的に。

それにしてもさ、つい最近読み返していたわけでしょ。まるで今日こういう話が出るというのを分かっていたかのようなタイミングで。
そういう偶然で片付けられないようなことって、しょっちゅう起きるけど・・・でも毎回驚かされるよ。

結局ね、さっきも言ったけど、この1週間に参考図書もやまほど買ったんだよ。
でもね、自分としてはテスト勉強的に地学に詳しくなろうという気持ちはないんだよね。むしろあの地質班の子たちのような、さりげない石なんかを見ても心から盛り上がれるような感覚を呼び覚ましたい、っていう気持ち。
そのままでは見過ごしてしまうところをハッとさせるような感覚での知識。

だからさ、例えば「空」にしたって「みら」にしたって、専門的な知識を聞いても、それで知的に冷めたモードにならないじゃない。
余計にイマジネーションが広がる


諷虹 今までの自分のイメージとの乖離を楽しむような


虚空 そうだんだよね。「正しい知識」や「現実的なこと」を与えられて、それまでの自分の世界を捨てるとか、否定されたという受け止め方じゃないじゃない。
自分の土台の上にどんどん新たな世界を上乗せしていく感じ。


*小惑星 第二話の河原シーンを再生


虚空 乖離を楽しむと同時に、上乗せを楽しむ・・・悪ノリする楽しさ。
だいたいさ、鉢巻石の解説を上の空で聞いていたような みら も、青に話をしたり、その後受験を控えたお姉ちゃんにお守りとしてプレゼントしてるよね。
ちゃんと聞いてる。


*天体観測で盛り上がったシーンのあとのやりとり
すず『だんだん見える星が増えてきたね~』
みら『明るめの星が二つ並んでるのはふたご座』
あお『あそこのオレンジっぽい星の当たりは牛飼い座です』
桜『なんでわかるの?』
みら『え?慣れかな!逆に桜先輩はなんで石の種類わかるんですか?』
桜『…慣れかしらね』
*星座をきいて思いうかべている「星座絵」がそれぞれらしい
みら『ああやって楽しんでもらえるとなんか嬉しいよね』
あお『うん。私も嬉しかった』

虚空 この感覚なんだよ。自分の世界を土台にしてさらに広く深く伸ばしていく・・・想定外もどんどんと・・・そのための知識。

諷虹 そこらにある石が何なのかは判断できないですよね


虚空 実際には難しいらしいよ、そこらの石ころは。堆積岩とか・・・砂岩とかは割合わかっても、そうじゃないのは。

ただね、知識としてじゃなくて、「驚きのネタ」を仕入れたいんだよね。

分類なんて出来なくていいから、「とんでもなく長い時間スケール」とか「地面のはるか奥底でのドラマ」だとか・・・こんな背景があったのかもしれない、って想像する足掛かりを増やしたい。
諷虹 ちょっとずれますけど、運転していて車に詳しい友達がいろいろなことを言っても分からない。


虚空 自分も車に詳しい小学生を乗せた時に同じ経験があるよ


諷虹 運転中はまだいいんですよ、実物が目の前を走っているから。
でも詳しい友達同士の会話を聞いている時は、全然違うことを思いうかべているんだろうな、って。

虚空 このアニメでも互いの専門分野に関してそんな感じ。
でもだんだんと互いに共鳴しあっている・・・今年から一つの部になって、最初は水と油のような関係だったのが、だんだん「地学部」としての一体感が生まれてきているじゃない。
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☆「恋する小惑星」から 「時空イメージの拡張」

このところずっと単にアニメとして楽しむ以上のこと・・・時間・空間に関する日常とは全く違うスケールのイメージ運動の獲得・・・そして「意識の転換」「世界定め」・・・・を「恋する小惑星」では話題にしているわけですが・・・

そのベースの部分についてが中心の語り合いです。

2020年1月26日 諷虹宅
(虚空 バウムのお菓子の写真を撮る)
虚空 (一昨日の話から)ミルフィーユだけじゃなくて、こんなお菓子でも地質班メンバーは地層を思いうかべてワクワクするんだろうね。
⇒実際にこのやりとりの後で放送された 第5話「それぞれの夏休み」にそのようなシーンが出てきた
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56379890.html
何でも結びつけば舞い上がれる・・・・これって「類化性能」の力を自然にアップさせるよ。
「子どもが好きなことに夢中になる」って結果としてはそういう効能もあるんだろうね。夢と現実の区別がつかない、何でもゴチャゴチャに捉えてしまうということを、「脳の未発達」って片付ける人もいるけど、むしろ逆じゃないか、って思ってる。
大人として区別はできるという一方で、どれだけ子ども時代のように夢中になって没入もできるか・・・・それが学問的にみていっても大切なんじゃないか、って。
特に今期の「恋する小惑星」の地質班をみているとそう思うよ。
今週の(第4話)エピソードなんかでもね。


諷虹 原作でいうとこれだけのページのだったんですけど、だいぶ小ネタは省略していたな、って。
(虚空 原作を読む)
諷虹 だいぶ印象は変わりますね・・・アニメをみても原作を楽しめる。どちらも楽しめる。
虚空 構成というか、構造が変化すれば別モノになる・・・・有機化学の世界?
世界定めもそうだけどね。
ごんぎつねで、兵十の視線の移動の順番がちょっと違っただけでラストの場面は極端に変わる・・・・

自分は原作を読んでないでアニメだけをみたわけだけど・・・・今回は地学らしさが全面に出ていた感じがした。この前まではそういうネタも混ぜながらも、百合アニメっぽい要素が強かったじゃない。
でも今回はピュアだったというか・・・・。
だからEDを観ていても余韻に浸りきって見る事ができた。


諷虹 一昨日いった感想ですけど、原作でも進むとキャラが濃くなった。原作の最序盤は地味な感じもあったんですけど、山場のないところに山を入れるためにアニメでは百合要素を入れたんじゃないのかな、って。
まちカドまぞくなんかは序盤からダッシュできるけど、これは4話の内容をいきなり冒頭には出せない・・・それなりに各メンバーや顧問のことを描いてからでないと・・・。
ただ、アニメでは冒頭からお姉ちゃんを登場させたりしていましたけど、そういうことでも・・・

☆恋する小惑星・・・「あにこ便」サイトでのあらすじ紹介等々
1、約束
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56274169.html
2、河原天の川
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56298108.html
3,宝の地図
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56324934.html
4 夏合宿
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56350294.html
虚空 シリーズ構成がしっかりしているということだよね。
今回も冒頭にあのパン屋のお友達を入れてきたことで、これまでの流れとの連続性を明確にしていたしね。でもあの子を登場させたのは冒頭だけでというのも工夫されていたと思う。
最後は地学部と顧問の関係にしぼっていたからね。狂言回しはおじいちゃんとおばあちゃん。
でもさ、本当にね、あのEDに流れていた各シーンから、どれだけ思い入れがあって描いていたかが伝わってくる感じで・・・2回観なおしたんだけど、その時にもとっても心地よかった。それこそ最終回の余韻に浸る気分レベル。

一昨日紹介されたセリフもアニメ内にちゃんと出てきたけどさ・・・ちょうど昨日の中3の授業で、理科の地学分野の話になってさ。
このアニメの話もしたよ。天文にしろ地質の話にしろ、はまっている人達って、そもそも「時間」「空間」のイメージの基準が根本的に違うわけだよね。
だから同じ「星」や「岩石」や「地層」なんかを観ても、全く違う世界がイマジネーションとして広がる。
「違うイメージ運動を持っている」って言ってもいいかもしれない。
それは歴史が好きな人は、歴史を知識ではなくドラマととらえるという視点を持っているというのと同じ。
数学だってさ、数式や図形の向こう側に全く違うものをみている。
そういう構えを獲得するというか、目覚めるためには、「テストのため」「受験のため」なんていう目先のことが目的になるずっと以前の幼い時から興味を持つきっかけにいろいろと触れることだと思うよ。
だから自然の中をかけまわったり、身近な動植物や昆虫とふれあったり・・・石ころを集めたり・・・そんな他愛もないことに夢中になるのを大人がストップさせない。
そういうことを完全否定して、バカみたいにお金をかけた幼児用教材を与えることが、素晴らしい早期教育だと勘違いしているんだからね。
やっぱり出来るだけナマに触れる、本物にふれる。

(諷虹 第二話を流す  交替でみているうちに望遠鏡の視野から火星がなくなる場面  地球の自転によってずれてくる)

虚空 この場面で思い出したのが、昔ある望遠鏡ショップでの店員の言葉だったよ。天体に興味をもった中学生のために望遠鏡を買いに来た親がいてさ。その親に話していた言葉。
今の主流はモータードライブで一度視野に入れたら自動的にちゃんと追いかけてくれるわけだけど、その店員さんは、旧式の手動で追いかけるタイプのを勧めていたんだよね。
「手動で追尾するのは大変なんですけど、だからこそ地球の自転を実感できるんですよ。中学生なんかの時には、そういったことを体で感じる事がとっても大切だと思うんですよね」
っていうようなことをね。
その親はちゃんと自動追尾の架台の望遠鏡を購入するつもりで予算も確保して来ていたんだけど、店員は値段の高い安いではなくて、っていうのが脇で聞いていて「へー」って思った。
商売の基準が全然違う、って。
その中学生が今後もずっと天文にはまり続けるかどうかは分からないわけだよね。
だからこその「今」
自動追尾よりも、思ったより早く視野から離れて行ってしまうということで、こんなに早く地球は自転しているんだ、って肌で感じる体験の方が重要だ、って。
それで将来的に天体に興味を持ち続けたら、徐々にグレードアップしていけないい・・・最初から便利すぎるものはいらない、って。
これも今の教育全体に通じると思うんだよね。
乳児のころから至れる尽くせり・・・失敗させない、壁にぶつからないように育てる、それが上手な子育て、素晴らしい子育て、って思われているけどね。
もちろん生命にかかわるようなのは別だけど、適度な壁はむしろ成長の糧になるわけだから。

諷虹 苦労してみえるからという感動もありますよね。


虚空 そりゃ自動導入は便利だよ。最新式だと曲軸の設定もしないで済むのもあるから。でもね、逆にいうと、その機材がなければアウト。
双眼鏡とかさ、ドブソニアン望遠鏡で導入することなんかは出来ない。
(注 もちろんそういったものに対しての導入装置も販売はされている)

諷虹 紙の辞書と電子辞書の違いみたいなもんですかね

虚空 あとは、図書館や本屋で探すのと、ネット検索の違い。
掘り出し物で出会える可能性・・・目的以外のものに触れる可能性の問題。
ただぼんやりと双眼鏡で眺めるっていうのも大事。
それこそ純粋経験に近い。
だから子どもが「・・・の為に役にたつ」なんていう意識でばっかり物事をするようになるのは本当に寂しいことだよ。
それもツマラナイ大人のしいたレールの上を、大人の思惑通りに進まされる。

今回のエピソードの中でもさ、3日目の予定が国土地理院になったのがあったじゃない。地図好きの子の要望でみんなが予定していたのと違う場所になった。他の子はそれほど地図に思い入れがあったわけじゃないのにね。
でもそこで夢中になっている友達の姿にちゃんと共鳴できている。
「あの表情をみたら誰も文句なんて言わないと思います」って。
この感覚だよね。
他のメンバーにとっても、国土地理院で体験したことって、やっぱり自分のイメージタンクに蓄積はされるわけだしね。自分の関心事につながりがあるかどうかとは別にしてさ。

自分は小さい頃は河原の石を集めたりしたこともあるし、岩石標本とかにはそれなりに興味はあるんだけど、それ以上は探求していない。それは天体もそうだった。天体写真とかで「すごいな」とは思っても、天体関係の勉強をしようとは思わなかった。いわゆる理科の勉強としては。
だから家庭教師をやりはじめた当初、天体のことは初歩的なこともほとんど分からなかったし、地学関連なんかは、今でもそうだよ。はっきりいって岩石とか地層がらみはほとんど解説できないよ。
それでも何も言わないわけにはいかないから、昨日も「時間・空間」という観点から地学にはまっている人達の話だけはしたけどね。
でも話ながら、そういうスケールに対してもイメージ運動を起こせたら・・・っという気もちょっとは起き始めている。
それは年末にコバルト君との間で「沈没船」の話をしたのがきっかけだけど、その流れで今期ああいうアニメが始まったとかね・・・一昨日のこの時間の冒頭もね。


諷虹 今、国土地理院のサイトをみたんですけど、お堅い内容の中に「恋する小惑星」のことが出てますね。


虚空 そりゃ今回ので見学者がドッと増えるでしょうよ。自分だって行ってみようかな、って思っちゃったもん。体調からすると結構厳しいけど・・・


サイト 
地質標本館
https://twitter.com/AIST_JP/status/1220730543349927936
https://www.gsj.jp/Muse/
国土地理院
https://twitter.com/GSI_chiriin/status/1220738032128741377
虚空 地学をベースにした漫画・アニメで有名なのは「セーラームーン」だよね。あの原作者も高校時代は地学部だったし、(大学は薬学部)・・・地学の内容をふんだんに盛り込んでいたわけだけど・・・・。
「恋する小惑星」は、本当に地学の知識そのものを盛り込みながらの内容っていう点でセーラームーンとは違う。


諷虹 監督は「わたてん」(私に天使が舞い降りた)の人ですね


虚空 だから宮ねえを使ったのかな。


諷虹 この4話で初めて一本まるまる脚本も書いたようですね。あと絵コンテ
https://twitter.com/dddchangddd/status/1220742677227982848
虚空 ずっと前に話したかもしれないけど、大学時代の仲間に面白いイメージ世界の持ち主がいてさ、池とかに石を投げることが自分はどうしても出来ないんだ、って。
自分が投げて池の底に沈んだら、その石はずっと長い時間沈んだままでやがて土に埋もれて行ってしまう。半永久的に表には出て来れなくなるんだ、って考えてしまうから、って。本気で罪悪感を感じてしまってる男だよ。
そんなこととね「沈没船」の事と、一昨日出ていた化石についてのセリフがつながってくるんだよ。
参考 恋する小惑星 原作のセリフ (一巻 P89)・・・アニメにも登場
『数万年ぶりに表に出てきた化石かもしれないんだから、一体何者なのか見定めてあげたいじゃない』
さっきの子どもの時の他愛のない事っていうのでいえばさ、このアニメをみながら思い出すのが「おじゃる丸」のカズマ。石ばっかり集めているじゃない。
それが何の役に立つとかなんて気にしてない。だからいいんだよね。

(地図大好きキャラの場面 地図好きのきっかけは友達が描いてくれた 宝の地図  宝の中身はどうでもいいようなもの)
虚空 どうして「飛び地」探しにここまでこだわっているのかね。土地の区画を巡る骨肉の争いを思いうかべているわけじゃないだろうしね。
(原作を読んだ上でアニメを観返すと新たな発見や印象が 「わたてん」との関連に限らず)

諷虹 質の高いアニメを量産している感じですね、動画工房も。
::::::::::::::::::::::::::
『ダンベル』『わたてん』を生んだ動画工房ってどんなアニメ会社? 全作品をまとめてみた!
https://moemee.jp/?p=8744
ここで話題になったアニメリスト(片方だけが観ていたものは除外)
ゆるゆり
恋愛ラボ
未確認で進行形
月刊少女野崎くん
三者三葉
NEW GAME!
ガヴリールドロップアウト
多田くんは恋をしない
アニマエール!
うちのメイドがウザすぎる!
私に天使が舞い降りた!
世話やきキツネの仙狐さん
恋する小惑星
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
虚空 この「恋する小惑星」のキャラたちにより共鳴しながら観るためには、「日常とは違う時間・空間の軸」を獲得していく必要がある・・・って義務感じゃなくて、あの子たちのような軸を自分も獲得したいな・・・日常にそういったイメージ運動を伴った構えでいられる時間を増やせたらな・・・なんて思うよ。
少なくとも天体写真をいつも撮っていた頃は、そのモードになっていたわけだけど、今はすっかり星空も眺めなくなってしまったしね。
望遠鏡にもカビがはえているんじゃないかな・・・・セッティングの仕方も、導入装置の使い方も忘れてる。
とはいっても、今また天体をやれるほどの体調ではなくなっているのが悲しいところ・・・・。

それでさっきブックオフで鉱物に関する本を買ったんだけど・・・最近は本もなかなか読めないからな・・・・

(諷虹、パラパラとめくりながらさっそくアニメに登場した石をみつける)
自分も小さい時に石を拾っていた時があったし、岩石標本を買ったりもしているしね

諷虹 それは拾おうと思ったから拾っているんじゃなくて、気が付いたら拾っていたわけですよね。


虚空 だから子どものようにね・・・それが純粋経験に近い・・・そんな時間の過ごし方を、ちょっとでも回復したいものだよ・・・現実にばかり押しつぶされそうになっているからさ・・・特に最近は。

今期アニメでさ・・・この「恋する小惑星」は「時間・空間」に関してのスケールアップ、「群れなせ!シートン学園」は「人間(ジンカン)」に関してのスケールアップをあちらの世界から示唆されているような気がする。
基準の意識をどんどん拡大するように、って。
その上で「おうち」「ふるさと」「世界」とか、あらゆる世界との共振・共鳴について考察しなおすように、っていうようなね。

☆「事実」に関する日本人の意識の偏向性 ~真実よりも先行するイメージ~

今年の「ネット流行語 100」で、駿煌会でもたびたび話題にしてきた「まちカドまぞく」に関するある流行語についての、2019年12月20日の諷虹・虚空やりとりです。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1912/16/news137.html

この受賞に関して、上原先生が「かぶき十話」などの著書で盛んに強調されている日本人のイマジネーションの世界が端的にあらわれているように思いました。

こうした日本人古来の特性は現代人の中にも根強く残っているわけですが、それが形だけ西洋的な発想をどんどん導入してきた明治以降の世の中の動きに対して、精神的・社会的な歪となってきている、というのは十分に再検討される必要があります。

それなくして「知識教育」「論理」「外国語」等々のカリキュラムを教育現場や家庭教育にねじ込んでいくと、さらにとんでもない問題を引き起こすことは必至だと私(虚空)は考えています。
上記のネットでの解説サイトから
「では、なぜ二次創作によって生まれた言葉がこんなにも広まりを見せたのでしょうか。それは、「ものすごく原作で言ってそうな感じのするせりふだったから」です。

原作で言ってないだけで言ってる説
前述の通り桃は逃げ出そうとするシャミ子を鍛えまくるのですが、「ちがうよしかたないんだよ」「町とシャミ子のためだからだよ」と諭すシーンが数多くありました。そんな数多くあるせりふの中の1つとして「シャミ子が悪いんだよ」がありそうな気がして仕方ないのです。

あまりにも言っていそうな気がするため、ネット上では「原作とアニメで言ってないだけで言ってる」「たまたまそういうシーンが描かれていないだけで言ってる」「言ってるけど原作とアニメでカットされただけ」「言ってないというのは原作者の勝手な解釈」という新解釈が広まる始末です。

アニメでは鬼頭明里さんが桃の声を担当したのですが、一度アニメを視聴した人であれば脳内再生が余裕でできてしまう謎の説得力があります。こうして「二次創作で百合っぽいことをしているシーンのせりふ」「でも原作でも言っていてもおかしくない自然さ」の2つがいびつな合致を見せ、「シャミ子が悪いんだよ」はネットミームとして1人歩きを始めます。」)

虚空 こうした意識が上原先生がこだわっていたところと通じると思う。
歴史的事実よりも、大衆のイメージの方が先にあって、そちらの方に引き寄せられるという感覚。
それこそ12月でいえば、忠臣蔵の真実に関する新たな説が出てきても、大衆は受け付けないというようなね。「こんなの忠臣蔵じゃない」って。
極端にいえば「史実」の方が「ウソ扱い」になる。
だから歌舞伎にしても、アニメにしても、その時代の大衆の好みというか、イメージの偏向性が表れるという点で心意伝承の資料になるということなんだね。


諷虹 この記事にこんな言葉もありました。

さらに、最初に「シャミ子が悪いんだよ」の二次創作イラストを投稿したユーザーも、「伊藤いづも先生の誰にもネガティヴな印象を与えないコメントに膝を打った。こういう人だからこそシャミ子や桃みたいな優しい女の子を描けるんだろうなと感じました」とコメント。
こうして「シャミ子が悪いんだよ」はその語感に反して誰も悪くない、全てを平和に包み込む2019年のアニメを代表する言葉となりました。おめでとうシャミ子、ありがとう「まちカドまぞく」。こんなにもみんなの心に優しい気持ちが広がっていったのも、シャミ子が悪いんだよ……。

虚空 こんな平和な時空への願いが本当に広まってくれるといいんだけどね・・・ 今年は京アニのあんな事件もあったしね。
ダメ押しのようにあったのは新幹線内の殺傷事件の判決で被告人が望み通りに無期懲役の判決が出て万歳三唱をしたとかね。
身勝手だらけの世の中に、いい加減嫌気をさすような風潮が出てきて欲しいものだよ。このままで本当にいいのかな、って・・・。

☆鳥瞰の距離感② ~「時間」にも適用してみたら~

2019年 12月21日 諷虹・虚空やりとり

*ちょうど駿煌会連歌部にNanba先生からの歌が投稿され、次の順番の諷虹君が歌を詠むための参考に、ネットで「脱皮」関連についてあれこれと調べていました。


そこから発展して、「いい具合の距離感」を「適度に過去を振り返る」ということに置き換えて考えてみました。

諷虹 今解説を読んでいったら「空蝉」だとかのことが出てきたんですが・・・やっぱり無常観とかにつながるんですね。
虚空 この前、乳飲み子がいる教え子たちの別のラインで、若いママさんたちが「正直言ってこのまま可愛い赤ちゃんのままでいてくれたら」っていうやりとりがあったんだけど、脱皮を喜ぶ側面と、しないで欲しいという側面とがあるよね。
今回の「放課後さいころ倶楽部」の最終回もそれが大きな柱になっていたけどさ。
あと、本人の中でも「巣立ち」を早くしたいっていう気持ちを持たない場合も増えているような気がするよね。ニートなんてそうじゃない。昔「ピーターパン症候群」っていう言葉が流行ったけど、それが中年以降も続く傾向が強まってる。
「脱皮」っていうのを上原先生流にいえばトランスフォーメーションっていうことになるんだと思うんだけど、今の教育現場っていうか、子育ての中で「トランスフォーメーション」・・・構えの変革・・・を実感できることがどのくらいあるか。
かつての「通過儀礼」なんていうのを持ち出すめでもなくね。
もうじきまた成人の日がやってきて相変わらずの光景が繰り返されるんだろうけど、どこが成人なの?・・・下手すると「今日からは堂々と酒も飲んで好き勝手やっていい日」っていう勘違いがひどすぎる。
脱皮とか巣立ちなんていうのとは逆行しているよね。
ましてや「無常観」なんていう感覚なんてね。


諷虹 「Nanba先生 15 恥も一緒に 煤払いかな」 
に対して最終的に
 
「16 空蝉や 脱皮し羽得て 大空へ」

って詠んでみたんですけど、空蝉って虚しいイメージのが多いんで、なんとなくプラス思考で詠んでみようかな、って。

ある漫画で自分の抜け殻を親にとっておくようにと言われて「観たくない(脱皮しながら成長する爬虫類の獣人)から捨てる」っていうのがあったんですけど・・・過去の自分なんて観たくない、って。
注)ある漫画=境界線上のリンボ(上巻)P95からのやりとり
虚空 上原先生なんてそういう感覚に近かったかもね。「それはもう過ぎたことだ」っていって、過去の栄光にもしがみつこうとしていなかったからね。「はい、次」ってさ。
「もうわかった」というなら、それはもう済んだことなんだから、って。それで次々と新たな課題をみつけて探求していた。

過去に縛られるっていうんじゃなくて、自分の変化のプロセスを概観する、っていうのはそんなに悪いことじゃないし、自覚は大事だけどね

諷虹 スラムダンクで桜木花道がシュート練習をするのに最初は自分のひどいフォームをビデオでみるのがありましたよね。

虚空 おのが下手さを知りて一歩目・・・だっけか?

(正確には「下手くその上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目」 安西先生


虚空 これも、言い方は変だけど、割と最近の経過を客観的に振り返るという点では、きのうのいい具合の距離感での鳥瞰と通じるよね。
英語だと過去形は日本語以上に距離感のイメージを伴うっていうけど、それがちょうど「ふるさとを概観する程度」の時間的距離の鳥瞰による観察。

諷虹 そうすると「抜け殻」とか「足跡」とか「軌跡」とか「轍」とかもみんなそうですよね。

虚空 さっきの漫画にもそんなセリフがあったけど「過去の積み重ねのエッセンスが凝縮している」ようなものだもんね。
積分と人生経験の関連にもなる・・・・。

36句で完結した連歌を通しで読み直してみる時も似たような感覚だよね。
途中途中では最初から読み返さないで、最後に通しで読み返すと、その期間が凝縮されている。一人の世界だけじゃなくて、このメンバーのイマジネーションのキャッチボールでふくれあがった世界がね。

それは10月20日に初めて連歌をやった時にも感じたけど、あれよりも長い期間をかけているから、最初の頃のを忘れているじゃない。だからこそ読み返しのインパクトはあると思うよ。


諷虹 今、英語の過去形の距離感についてありましたが、逆に未来形だとどうなるか・・・不確定性のゆらぎの観測になるのかな?って。
過去のことは確定したことのふりかえりだけど、未来は確率的な可能性・・・未来を量子論的に観測しているのかな、って。

虚空 大西先生(NHKで有名になった ハートで感じる英文法の講師)いわく、英語には本当は未来形はないんだそうだ。
一般に未来の助動詞とされる will は「意思」を表す助動詞。もう一つの be going to  は、その状態に向けてまさに今進んでいます、っということだから現在形なんだよね。
そうなると、未来が未来として「確定している」という感覚ではないよね。


諷虹 一巡先を見る園城寺怜(咲に出てくる特殊能力をもつ麻雀選手)ですね。

ネット解説
前述の通り一巡先を見る能力を持つ。詳細は以下の通り。
・見えるのは「能力発動時」の一巡先の全員の打牌ならびに和了結果。行動を変えた場合、その結果は見えない未来を変えると、2巡程度経過するまで再使用ができない
・普段の行動から逸脱しているほど未来が曇る
・その気になれば2~3巡先まで見えるが、意識を失いかけるほど大きな負担がかかる。

上記により考えられる影響は、
1.次巡ツモで和了り牌を予見した場合、リーチ一発で2飜を上乗せできる。但し、鳴きで潰される事がある為確実ではない
2.誰が何を切るかが見える為狙い撃ちが可能
3.他家の和了が見えた場合、自分が鳴くか、他に鳴かせる牌を打てばツモずらし可能。また差し込みで大物手潰しも可能
4.一巡目で裏目を引くことがない為、聴牌速度が向上する
5.能力発動中は(差し込まない限り)放銃しない
虚空 もちろん「咲」はあり得ない能力者たちの特殊な麻雀の世界を描いているわけだけど、「先を見る」とか「かならずこうなる」っていう能力者が多いよね。で、それが通じない相手が表れて・・・っていうのが見せ場の一つだと思うんだけど。
「絶対こうなんてあり得ないんだ」・・・「あっても確率的なものなんだ」、って。
その象徴が原村和のデジタル打ちとか、姫松高校なんて・・・・多少特殊能力があっても、オカルトじみた度合いは少ないでしょ???
オカルトじみた力を持っているメンバーほど、それが通用しない局面で激しく動揺して、崩れるじゃない。
それって、丸暗記中心の勉強で定期テストなんかでは絶対的な自信を持っていた子が、ちょっとひねった入試問題で総崩れになるのにも似ているよね。

諷虹 それでも、さらにそれを上回る想定外のが決勝とかでは出てくるっていう気はするんですよね。(まだ連載途中なので実際にどう描かれるのかは分からない)

☆鳥瞰の距離感① ~ふるさと意識とのつながりから~

2019年12月20日  諷虹・虚空
*KS先生から送って頂いた「武蔵野樹林」 Vol 2 2019春号 の「縄文の武蔵野」という鳥瞰図をもとにしたやりとりです。

「オオタカの視点」で描かれたというその絵から「いい具合の距離感」という風に「ふるさと意識」の方向で話がふくらみました。

「高台」とか「丘」とかに集中する意識の問題にも通じているのではないか・・・・玉川学園創立者の小原國芳先生が「玉川の丘」と盛んに口にされていたのも、何故「丘」と呼べる土地を理想の学校の敷地として選んだのか・・・そんなことにも関係しているのではないか、という発言もあります。

前半は諷虹君の通っていた中学校のすぐわきにある「大串貝塚ふれあい公園」との関連で「串」「櫛」という言葉についての考察が続きます。

そこから鳥瞰の話に戻っていくのですが、何をもって「いい具合の距離感」と言っているのかは、具体的なやりとりをお読みください。

諷虹 (文字が細かくてまだ読めていないといいう虚空のために文章を音読してくれる)

 縄文的な生活が何故日本は続いたか 日本の豊かな環境 農耕に頼りきる必要があまりなかった 気象変動で稲作も受け入れた  自然の価値を現代人は忘れている・・・・

上の絵からいうと・・・「オオタカの視点」の水辺なんですね。遠くにみえるのが富士山で・・。武蔵野がこういうのっていつの話なんだっていう・・・


虚空 自分も子どもの頃は武蔵野台地の上に住んでいたんだけど、畑が結構多かったし、川も流れていた。
学校の近くには、それこそ縄文土器のかけらが拾えるというので知られていた場所もあったしね。


諷虹 私も思ったんですけど、ここいらへんも大串貝塚とかで縄文の名残は残っているんですよね。ダイダラボウのあたりにも縄文の住居跡が再現されたところもあるし。

(公園内の様子画像)
http://precious.road.jp/ibaraki/ookushi.htm

虚空 茨城町も土器が結構出てるんだよね。涸沼とか涸沼川の影響なのかな?


諷虹 大串貝塚の説明にこんなのがありますね。

個人サイト・・・https://blog.goo.ne.jp/junko-f2/e/5ce8ed0e765610639a3cf751b2792786
「「常陸国風土記」那賀郡の条に、「平津の駅家の西1~2里のところに、大櫛という岡がある。昔、巨人が居て、岡の上に立ったまま手を伸ばして海辺の砂浜の大ハマグリをくじって(ほじって)食べた。その貝殻が積もって岡となった。

元は「大朽」といったが、「大きくくじった」というところから今は「大櫛之岡」と呼んでいる…」というような記述がある。この「大櫛之岡」が「大串貝塚」の台地とされ、その近くに古代官道の「平津」という駅家があったと推定されている(「平津」駅家は現・水戸市平戸付近に比定。)。これにより、「大串貝塚」は、文献に記録された貝塚としては世界で最古のものとされる。

*諷虹 「櫛」についてもネット検索


ウィキペディア「櫛の文化」
櫛の文化[編集]
日本語の櫛(クシ)[編集]
日本語では櫛は「霊妙なこと、不思議なこと」という意味の「奇(くすし)」や「聖(くしび)」との音の共通性から呪力を持つものとして扱われた[3]。他方では女性が髪を梳くことから女性格の象徴的な物品としても扱われた[3]。

語の読みからは「苦死」に通じるため、道に落ちている櫛を拾うことは「苦と死を拾う」ことにつながり、縁起が悪いことと忌み嫌われる。どうしても拾わなくてはならない時は、足で踏んでから拾う。贈り物にするときは、忌み言葉として「かんざし」と呼ぶ。そのほか「94」を「くし」と読む語呂合わせから、櫛を大切に扱い、人々の美容への認識を高めてもらおうと、日本の全国美容週間実行委員会が9月4日を「くしの日」と定めた。


櫛の呪力[編集]
日本では古来、櫛は別れを招く呪力を持っているとされ、現代の日本人でも櫛を贈答品にしたり、気軽に貸し借りしたりするのを嫌がる人は少なくない。一方で、魂の宿る頭に飾るものであることから、自らの分身として旅立つ人に手渡しもした。

『古事記』には、伊邪那岐命が、妻の伊邪那美命が差し向けた追っ手(黄泉醜女)から逃れるために、櫛の歯を後ろに投げ捨てたところ筍に変わり、黄泉醜女がそれを食べている間に逃げることができたという記述がある[3]。同じく『古事記』で大蛇を退治しに出向く須佐之男命は櫛名田比売を櫛に変えて自分の髪に挿した。

天皇は斎宮として都を旅立つ皇族の少女を見送る儀式で、「別れの櫛」を手ずから髪に挿し、別れの言葉をかけた。彼女たちは身内か天皇に不幸があるまで都に帰ることはできず、巫女であるため任務を解かれるまで恋愛もできない。櫛を挿す儀式には俗縁を断つという意味があるとされる[3]。逆に成人式に当たる「髪上げの儀」では、大人社会への仲間入りの象徴として櫛が少女の髪に挿される。この儀式の直後に婚礼を済ませることもあった。

ドイツ童話の中には『白雪姫』のように、櫛が女性の生命活動を一時的に停止できる(気絶させたり、金縛りにしたりする)黒魔法の道具として登場することもある。
古代中国の一部の呪術者の中には、『捜神記』の于吉のように体を洗わず、髪に櫛を入れないことで雨乞いをする者もいた。



諷虹 団子の串じゃなくて、こっちの櫛の方がお洒落ですよね。

虚空 団子の串の方は・・・貫いているイメージだよね


諷虹 象形文字のようですよね。


*ネット検索「串」
象形。重ねた貝をひもで連ねた銭さしの形にかたどる。


虚空 価値あるものを貫いているイメージかな?

それの大々的な土地だったから「大串」っていうのもあったのかもね。
・・・風土記の記述とは違うけどさ。


諷虹 デジタル大辞泉の解説なんですが・・・ 
デジタル大辞泉の解説
くし【串】
《「櫛(くし)」と同語源》
1 魚貝・獣肉・野菜などを刺し通して焼いたり干したりするのに用いる、先のとがった竹や鉄などの細長い棒。「串を打つ」「串を刺す」


諷虹 バーベキューなんかのイメージがあるからどうしても肉が真っ先に浮かんでしまいますが、最初に書いてあるのが「魚貝」なんですね。

やっぱり「貝」が出てくるんですね。「貝」と「串」の関連性。
つまようじの感覚ですかね。


虚空 恵みを連ねる道具っていうのが根元にはありそうだよね。


諷虹 団子なんても縁起のいい食べ物っていうイメージがありますよね。鹿島神宮とかいい感じのパワースポットでも串団子とかなら売っていますしね。
「だんご三兄弟」なんかも触発されるものがあったんでしょうね。 

虚空 そういうことをふまえて、こうしてオオタカ視点での鳥瞰風景をみると、まさに「豊かな自然の恵みに囲まれている」っていうのが実感できるよね。
そういう意味では「台地」とか「丘」っていうのは大事な場所なのかもね。
山ほど平地から離れていないから、具体的なん恵みが見えるという意味で。


今、フト思ったのは、玉川学園。創立者の小原國芳先生が理想の学園を作るための場所探しをしていて、気に入った場所だったらしいんだけど、「玉川の丘」っていうことを随分言っている。校歌の中にも「この丘に我らは集い」なんて入っていたしね・・・。
「丘」だったから「理想の学校の地」としたのとも関連ありそう????
理想の学校の構成要素というかね、構造が見渡せる感覚。


諷虹 大串貝塚にしても現代人的な価値観で住んでいる場所を選んでいないですよね。単純に水や食べ物で選んでいる。
「東京は住むところではない」っていうのも、そうした直観がある。


虚空 まあ東京っていっても奥多摩もあるし小笠原諸島もあるし・・・。
ただ所謂東京都内でも「皇居」「明治神宮」「新宿御苑」とか別世界もあるけどね。


諷虹 こういう絵でみると、人間も「動物感」がありますね。この辺にちっちゃく描いてある犬だとかの四足歩行の動物とかと行動原理は変わらない。
江戸時代の絵だと子どもが遊んでいる様子が描かれていたりもしますが、この絵にはないですよね。みんな食料をとったりしている

虚空 これもさ、山から見下ろしていたというのでは人間の営みは分からないよね。いい具合の距離感だからこそ、人間と自然との関りだとか、人間も動物と通じる存在という

諷虹 ヘリとかからの空撮だとカメラマンが構図を決めちゃうじゃないですか。ドローンとかもそうですよね、操縦者の意識がはいる
でも、飛んでいる鳥の視点だと、自然に目に入ってくる感じ
虚空 作為が入らないっていうこと?

諷虹 まあそうですね

虚空 そうするとこれも「純粋経験」への道かな???


諷虹 これはオオタカの視点という想定だから・・・。ここに富士山を描いているのなんかはちょっと(笑)

虚空 本当に鳥の視点になりきればなりきるほど、意識を離れるから純粋経験に近づくんだろうね。

まさに上原先生が言っていた「英才児の観察の構え」に通じるかもね。
諷虹 それこそ木の実とか動物の死骸とかも観ているわけですよね・・・


虚空 子どもの視点ってそうだよ。学校から家までの通学路について作文を書いてこらったときに、ここにはカラスの死骸がある、とかみんな書いていたもんね。

諷虹 ここにはどんぐりがいっぱいあるとかね・・・


虚空 分校で家庭訪問の時に、「何か目印はあるか」って聞いたら「近くに牛がいます」って答えられたことがある。社会科的な目印とは違う意識なんだよね。

諷虹 地図とかもね、つまらない記号化ばかりになっているんですかね。そういう羅列ばかりになっちゃう。
それこそ方程式を立てる時に必用な情報だけにしているのと同じ。余計な情報はどんどん切り捨てる。


虚空 それを3年生の算数でやったわけだよ。余計な言葉が沢山入った問題文で、式をたてるのには必用ない言葉を消す、っていう授業。あんなに喧々諤々になるとは思わなかった。もちろん議論にはなると思ったから3年生にとってちょうどいい課題かと予想しての授業だったわけだけどね。

地図でいえば、子どもが「宝の地図」なんかを自作したりするじゃない。あれはちょうどその中間なのかもね


諷虹 まちカドまぞくで吠える犬が地図に描かれているのとか
(コミック 1巻 トップにある「まちカド MAP」)

主観的マップですよね。漫画の上で意識にひっかかってくるところが目立つように描かれてますよね。


虚空 まさにそういうのが書き込める距離感の地図・・・それをイラストにするとこの縄文武蔵野の鳥観図だね。

よく博物館とかでジオラマがあるじゃない。あれがちょうどこんな感じの距離感だよね。江戸博物館もそうだったでしょ?


諷虹 ジオラマって自分で距離感が作れるじゃないですか。近づいたり離れたり。プラモデルとかミニチュアとかってそういうのがありますよね


虚空 まさにオオタカの視点だね。自由に視界の枠を変えられる。


諷虹 ダイダラボウの像って奈良の大仏より大きいんですね。そうか台座も入っているからか・・・。

虚空 あの公園の場所だってちょっと小高い場所だよね。
「おうち」意識からの広がりで「ふるさと」「世界」「宇宙」っていう広がりも去年からずっと話題になってるけどさ、「ふるさと意識」っていうのがこの「いい具合の距離感でみおろす鳥瞰」なんだね。個々の営みとその地域全体との関わり方の構造がみてとれる・・・まさにこの武蔵野の鳥観図はふるさとの世界だよね。


諷虹 大串公園の近くに折居神社っていうのがあるんですね。武甕槌命を祀っているとか祀っていないとか・・・


*麻雀アニメ(漫画)「咲」との関連
虚空 このところ体調の関係で寝付けないから「咲(麻雀アニメ)」を見直しているんだけどさ・・・あいかわらずルールも何も分からないままなんだけど・・・あれって結局「山や川を見下ろしながら全体像をつかみながら」っていうことなんでしょ?


諷虹 そういう風になるのは中級以上だとは思いますけどね。最初のうちはやっぱり自分の牌のことしかみないでやると思います。


虚空 少なくともあのアニメのキャラたちは全体像をつかみながらやっているじゃない。
そうするとね、それもさっきの「ふるさと」を感じ取れる「いい具合の距離感での鳥瞰」だと思うんだよね。感じとるだけじゃなくて、「構造そのもの」をつかまえる「観察」の構えでね。


諷虹 自分も今年の4月から咲の原作をガッツリ読み直しているわけですけど・・・この作者は今採用されていない「古役」をいっぱい描いているんですよ。
昔の古役はもっと美しさを見立てていた節があるんですよ。それを意識した牌選びで描いているんだな、って。(月・槍・鳥などのイメージ)
非常に情緒がある・・・趣きのあるのが昔の古役での芸術点のようなものだったんですよね。和歌のような・・・今は単に自由詩になっているような。
今はもうなくなっているんですけど・・・。