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☆上原先生「テレビ作家の教育力」発言から 「大洗」「リリカルなのは」

諷虹・虚空のアニメ談義は何年も続いているのですが、特に「ガルパン」「まどマギ」「なのは」(それぞれ略名です)に関してはのべ何十時間ではきかないくらいやりとりしています。
それでも新たな考察の観点が沸き上がってくる。また新たに話題に加わる人が増えてくる・・・。
今回の話題でもふれていますが、大洗の町ではそれまでアニメなどとは無縁だった年配者が中心になって「ガルパン」での町おこしが起きて、イベントの賑わいはますます拡大中。
まさにテレビ作家の教育力の証です。

*2019年 3月 8日 諷虹宅でのやりとり②
虚空 たまたま今日英国紳士の武蔵君とガルパンとかの話にもなったんだけど、ガルパンということだけでなくて、大洗の町の中で実際に起きている事。それまでアニメとは縁も何もなかったような年配者とファン達との交流とか、ガルパンおじさんに象徴されるような、昭和の青春ドラマに熱く感動した世代。
それはガルパンに限らず「リリカルなのは」にかきたてられたというのもそうなんだけど、あれだけ青春ドラマがお笑いのネタにされて流行らなくなって・・・でもやっぱりあの頃の自分と同世代の人たちは心の中ではあの頃の純粋な熱い物語を切望していたと思うんだよ。今の人たちは熱血キャラが出てくるとすぐに「うざい」「重い」っていうように拒絶するけどね。
で、この前送られてきた上原先生の言葉も紹介した。
『子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。
ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。
教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
9月例会 1992(平成4年)9.15 』

「教育力」っていうのがね。どういったイメージがテレビなどで刺激を受けて目覚め、意識世界をどう形成していたのか・・・これが、単にアニメなどの影響で意識世界が染まったというようには先生はとらえていなかった言い回しだろ。

もちろんアニメなどの中の知識による影響っていうのがあるとは思っていただろうけど、それとは違う受け止め方。最近使っている言葉で言うと何らかの「共鳴」が起きていた。
それが自分の奥底にあるものとの共鳴だからこそ、何十年たっても心がゆさぶられたり、惹かれたりする意識世界につながる。

それだからこそ「教育力」といい、「学校教師」は子供の心に触れていないという点で、はるかにテレビ作家よりも教育力が劣るという言い方だと思うんだよ。
そうするとね、昭和の青春ドラマとかスポ根ものに共鳴した波がずっと自分達の世代には引き継がれているというのは確かに大きな「教育力」だと言える。
じゃあそれを現代に置き換えるとね、ガルパンにしてもリリカルなのはにしても、まどマギにしても・・・・もちろんそこまで定評を得た作品でなくても普通に観ている深夜アニメにしても、何らかの意識世界への共鳴はあるわけで・・・だから駿煌会でもそういう語り合いになっていて・・・それはきっと自分と同様に50代や60代になっても何らかの形で残っているんだと思う。

(最近ライン上で話題になっていたジュエルシードのことについて)
虚空 それだってなのはの中での設定に、ソルティーさんが新たな解釈を出してきた・・・それを添加するとまた違った見方が出来そうだって感じたから、改めて劇場版のクライマックスを観返してみたわけだけど・・・・

諷虹 この前知り合いとジュエルシードの話題になって、ラインに書いたんですけど・・・
(ライン記事)
進化しすぎた技術や魔法によって滅んでしまった次元世界や古代遺跡から発掘される知識や物品の総称を「ロストロギア」って言うんだけど、その中でなのはの魔法の師匠であるユーノ・スクライアとその一族が発見したロストロギアの一種が「ジュエルシード」。

見た目は青色に輝く美しい宝石で、さやかちゃんのソウルジェムを思わせる。全部で21個存在していて、各結晶にローマ数字のシリアルナンバーが記載されている。魔法科学によって生み出され、一つ一つが高密度の魔力結晶体で次元干渉型のエネルギー結晶体。自覚のあるなしにかかわらず周囲の生物が抱いた願望を実現させてしまう能力を持っていて、その辺が若干QBと被ってる。かなえる望みに比例して、使用者はいろいろなものを失ってしまう危険性があるため、正しい使い方を知らないものが使用すると非常に危険。特に、急いで望みをかなえようとしすぎると「オーバーロード」状態になり、正気を失い、時にその容姿さえ変化させてしまうことがある。こうなった者を元に戻すには、正しい「魔法」の力が必要。力の発現が不完全になると、ジュエルシードは使用者や動物を襲う。ほおっておくと、使用者を求めて思念体に変化し周りに危害を加える。実体のある生物を取り込むとパワーアップし、人の強い想いによって発動をすると最も強い力を持つ。

ユーノが発掘後、次元管理局に調査を依頼したところ、輸送中の時空船での運搬中に事故が発生し、なのは達の住む海鳴市に散らばってしまった。この輸送事故の原因については作中で描かれていないが、「プレシア・テスタロッサ」という魔導師の関与が疑われている。魔導士ランクは「条件付きSS」クラスとなのはシリーズの中でも破格の魔力の持ち主。(ちなみに三期シリーズのStrikerS時点でなのはとフェイトがS+ランクであり、プレシア以上のランクを持つのはSSランクの「八神はやて」のみ)プレシアは所属していた組織上層部からの無茶で無謀な指令の数々に追われるうち、実子「アリシア・テスタロッサ」を事故で亡くし、それが原因となって精神の均衡を崩す。なお、アリシア死亡の原因は、当時プレシアが開発していた物への上層部からの安全基準をほぼ無視した命令の結果であり、これに関してはプレシアは被害者だと言える。その後「F計画(フェイト計画)」に参加して人造生物の開発と記憶移植の技術を学び、アリシアのクローン、「フェイト」を生み出す。

しかしどちらも本物とは成り得ず、数々の相違点を有するようになった。そして彼女は「アリシアの代わり」ではなく、「アリシアを蘇らせる」ために死者蘇生の秘術を求めて忘れられし都「アルハザード」を目指すことを決意。そのための力としてフェイトにジュエルシード確保を命じる。そしてフェイトの向かった第97管理外世界にある惑星、「地球」の中の小さな海鳴市で運命的な出会いがその後に大きな影響を及ぼしてく・・・
詳しくはテレビアニメ作品『魔法少女リリカルなのは』をご覧あれ
虚空 ストライカーズのことではやてにも話が及んだっていうのはテレビ版をみていないとわかりにくいとは思うんだけど、でもそれをね、「宝石」っていうのが単に綺麗だとかいうよりも深いところで、人間にとって何なのか、っていうところから考えるとね・・・。
で、それがやっぱりアニメのものすごい「教育力」だと思う。
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☆「日本人の感覚」③ 「人間生活主体の 暦・時間」

もうすぐ「平成」も終わりを迎えるということで、私の周囲の若者たちも「元号がかわる」初体験となるわけですが・・・。

江戸時代まで公に使われていた「暦」や「時間」に伴う感覚についての話題です。
所謂「六曜」についても後半なされますが、あれも元々とは違ったニュアンスが「語感」(語呂)から日本的に変化している例と言えるでしょうね。

最後に上原先生の師匠の一人である郡司先生の言葉も紹介しています。現代人の多くが失ってしまっている豊かな発想法についてです。
諷虹 あれ、平成天皇っていう言い方は生きているうちはしないですよね。
虚空 上皇かな。「平成上皇」って呼ぶのかね?
(祝日の話から)
虚空 以前、中国人の子を担任していて、本国に帰ったんだけどね、あとからカレンダーを送ってきてさ・・・みんなビックリしてたよ。祝日が違うって。あれはいい国際教育だった。
だいたいさ「大安」「友引」「仏滅」なんていっても、よその国の人にとっては何の根拠もない・・・もっとも日本人の中でも気にする人はだいぶ減っているけどね。
*ネット検索 wiki 「六曜」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9B%9C
諷虹 友引って元々の意味は違っていたようですね。でも今更元には戻せないですよね。
虚空 そりゃもう感覚がくっついちゃったから。今更切り離せない・・・感覚には嘘がつけなくなっている。
諷虹 みんな元の意味とは違っているんですね。
虚空 だからさ、さっきのような「正しい言葉」っていうのだって時代でどんどん動いている。それは避けられないよ。
諷虹 (六曜の基本法則を見抜き)こういうシステマチックなのって好きなんですよ。
虚空 そりゃそうじゃなかったら数学なんてやらないよね。単に神秘で片付けない
諷虹 六曜の順序が変化したところで旧暦も分かるっていうことですね。
(10年前のをみて)
大安から先勝になっているのが特異点・・・そこから考えるとこれが旧暦の1月1日っていうことになる・・・やっぱり。
1999年の1月18日が仏滅から赤口に変わっている・・・・これは6月か12月。でも6月のわけはないからこの日が旧暦の12月1日・・・
大抵は当たるな。旧暦から六曜を出すんじゃなくて、六曜から旧暦を出す・・・何かに使えそうですね。この仕組みは教えないでおけば
虚空 そりゃ特技ともいえるよ。かくし芸のような。じゃあここはブログには載せないでおくか・・・・。秘密のやりとり・・・企業秘密。
自分だってさ、自作カレンダーを作ってって頼まれてその時に六曜を入れて、時々順番が変わるのがおかしいなと思っていたけどね、それがどうしてかを探求なんてしなかった。ましてやそこが特異点だから旧暦を知る手掛かりになる、なんて見出そうとなんて全く思わなかったもんね。
諷虹 それが発見の喜びですよ。
虚空 そういう方向で喜びを見出せそうだ、っていう鼻の利かせ方を自分なんてしないわけだよ。
諷虹 六曜が切り替わる瞬間が旧暦で月が切り替わる瞬間。
虚空 それをすかさず「特異点」って呼ぶところがね・・・・
自分も旧暦には関心があったから参考図書とかも買ってるけど、それでしらべたのは季節感とかとの関係方面なんだよね。全然数学的じゃない方向。
(諷虹 旧暦の仕組みをネットで調べる)
(暦・二十四節気 や 時の表記 江戸時代の時間ルール等々の話題)
虚空 季節によって「時」の単位を変える生活をしていたわけじゃない。本当の意味で「人間主体」の生活だよね。現代は時の方が絶対基準で、人間がそこに合わせるんじゃない。逆。
暦の方は季節の移ろいに人間の生活がリンクするという形をとった、と言う意味でやっぱり人間中心だったんじゃない。
そういう意味では江戸時代に万年時計なんて作ったなんてすごいよね。
異なるモードの時間感覚の生活を同時進行ですべて表示してしまおう、っていう発想。
まさに郡司先生の江戸庶民の発想法そのものが具現化したようなものだよ。
江戸時代の「万年時計」では何がわかる?
https://www.jcwa.or.jp/kids/hatena-6-3.html
今日はさ、話としてはいつもとはまた違った感じでかなりあっちこっちにとんだけど、とどのつまりは「日本人の感覚」をいろんな形から浮き彫りにした、っていうことだよね。

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補足 上原先生の師匠の一人である歌舞伎研究家の郡司先生の言葉
遺稿集 P73  [江戸の発想]
 歌舞伎の作品を補綴(ほてい)したり演出しだしてから、もう十本ほどになる。
 私がどうも腑におちないのは、必ずといっていいほどに、劇評に、筋がよく分からないとか、テーマに明解を欠くとか、わかり難いという評が焦点になっていることである。・・・
 いったい、どうして江戸時代の庶民が創り出した大衆劇である歌舞伎が、今日の最高学府を出たインテリにわからないのであろうかということである。・・・こういうとき、私は、あなたは教養があり教育がありすぎて解らないのでしょうということにした。
 
 歌舞伎狂言の構成は、仕組むといって、いくつもの世界を、時代の違う世界を、同時に組み合わせて綯い交ぜ(ないまぜ)にして作劇する。江戸時代の奇才鶴屋南北などになると、四つも五つも世界を組み込んで「筋からみあって新しい」と評されるほどである。まァいってみればTVのチャンネルを何分かごとに切り替えて見るようなもので、これに有機的関連性をもたせ、最後には一つに纒(まと)まって決着がつくこうしたのを上々とする。 

 こうした構造を芸術の基準としている、その構造が理解できなければ、おそらく絶対にわからないであろう。近代の学校教育は、西欧的理念と方法によったものだから、はなはだ合理的科学的で、そうした教育がすっかり身についているインテリにとって、こうした江戸の文化の構造や発想様式は、習いもしないし、生活にもないとすると、もう体質的に受け入れられなくなっているのである。日本人も、まったく西欧人なみの頭脳になっていて、すでに江戸人とは異質の人種になっているのではないか。

 江戸人の目は、いくつもの世界を、同時に一緒にみることの能力があった。トンボの眼のように、複眼的構造は、同時に、いくつもの事象をうつしとることができる。あるいは、それは封建時代に生きる者の生活の知恵であった。右か左かを分明しては生きてゆかれなかったこともあろう。なまじい教育のある者にとっては矛盾として受け入れられないものを、おもしろしとして、そこに見るべきものを見た世界構造。それが歌舞伎の構成であった。
 江戸歌舞伎は、テーマを四つも五つも一つの作品に盛り込み、鵜匠の手綱のように、その捌き方の技術を、ほれぼれと舞台で鑑賞するような、そんな生活基盤の美的基準がもうなくなってしまったのかと考えこまざるを得ない。
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ちなみに私(虚空)はこの江戸庶民の発想法を「多次元構造の同時進行」と呼んでいます。

☆「日本人の感覚」②  「言葉に伴う感覚の違い」 2019,3,1 諷虹・虚空やりとり

放送禁止用語や差別語を全く無自覚で使っていることが多い、ということがあるわけですが、国や立場によって差別語扱いすることが逆に差別である場合があるということもあるのが人間社会の難しいところです。
*ネット検索 「インディアン嘘つかない」
諷虹 「インディアン嘘つかない」って・・・白人に対しては差別語になるんだってありますね。そうか・・・裏を返すとそうなるわけだ。
こんなサイトがありました。
インディアンは嘘つかないは放送禁止用語
http://vybzscope.com/2017/06/30/post-4794/
虚空 でも「インディアンは嘘つかない」はちょっと違う気もする。差別した側がケチをつけているような感じ。アメリカの歴史的な背景からそういうことが出てくるんだね。
確かに「馬鹿〇〇〇カメラ」なんかのように、歴史的な背景があって使う側が相手を見下しての差別語は問題だよ。
最近は「デジカメ」とか携帯カメラとかの普及でこの言葉を使う人は以前よりは減ったけどさ・・・。
でも年齢層の高い人は割と今でも使っている。
「そんな差別的な言葉だということは知りませんでした」では済まないくらい相手にとって失礼な言葉ってあるから、それは気をつけないといけない。
諷虹 こんな歌もあるんですね。
「インディアンの教え」という歌(ひらけポンキッキ)

歌詞
https://mojim.com/jpy113595x5x9.htm
虚空 見た目とか言葉の記号的な意味内容だけが伝わればいいじゃないかという風潮がデジタル社会で加速しているから、ますます微妙なニュアンスとか言葉や表現の裏側なんていうのが感じられなくなっている。
伊藤若冲なんかの実物の絵画を見るとさ、どんなに綺麗に印刷されていても、やっぱりホンモノとは違う。若冲の版画の黒い部分も、現代の摺り師がどんなに頑張っても出せない、ってNHKでやっていたよ。
記号化された言語では微妙な色合いの違い、感覚の違いはすべて切り捨てになるわけだよね。
でもそんな感覚を切り捨てた世界だったら、この前みたいな「色づく世界の明日から」なんていうアニメは成立しないよね。
諷虹 友達が外国人の留学生に「やばい」ってどういう意味だって聞かれていろいろと使い方を説明した、って・・・・
虚空 きのうたまたまメガネ屋さんで待っている間にみた新聞に「やばい」について年配の人の投書があってさ。その感覚は分かるんだよ。自分も昭和育ちだから今でも「やばい」の使い方には違和感がある。
でもさ、その女性が「正しい日本語を」って言っている正しい日本語だってさ、平安時代だの万葉の頃からは随分と変化しているじゃない。その頃の人たちだって「乱れた言葉」「間違った使い方」というのが定借していく中で変化してきた・・・その繰り返しだものね。
だから難しいよ、正しい日本語、っていってもね。
今朝のラインでヒマワリフクロウさんとのやりとりもさ、
(駿煌会メンバー以外の人の感想のコメントをみて)
08:12 ヒマワリ
 累乗的とはまた数学用語がサラリと出てきて嬉しいですね♪
08:13 虚空
 こういう語句の使い方が少しでも広まるというのはね!
諷虹 現代の若者だって、女子高生なんかはまた違った意味でという言葉がいっぱいありますよね。「壁ドン」なんかも全然違う意味に昇華されているし。
虚空 昨日もそんな話になったんだけどさ、話し言葉でいうと、今の女子高生の方がまだ通じるかな・・・あのギャル語の頃の女子高生と比べたら。あれはまさに宇宙人の会話。
今はあいかわらずライン上の略語とかはさっぱり分からないけどね・・・。
諷虹 流行語大賞で何でそれが流行語になるのかな、って不思議に思ったら自分が知っていたのとは全然違う意味で、ってことがありますから。
虚空 昨日あたりからスッキリなんかで使われている「デジタルタトゥー」なんかさ、もしかしたら今年の流行語にノミネートされるんじゃないかな、って。「平成」もね。
諷虹 「平成最後」かもしれないですね。でも今回の場合はいつ切り替わるのか分かっているからこれだけあふれている・・・
虚空 昭和は突然に終わったからね。
諷虹 新年早々だったんですよね。
虚空 そうだよ。1月7日・・・
諷虹 まだ生まれていませんでしたけど。

☆「日本人の感覚」①  「日本語の語感は英訳できない」 2019,3,1 諷虹・虚空やりとり

2月28日の英国紳士の武蔵君とのやりとり内にあった海外の日本アニメファンとのやりとり http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/245/ をきっかけにしての対話が中心です。
アニメの吹き替えにしても、俳句などの英訳にしても、本来持っている語感が伝わるのかどうか・・・
「言霊の国」という言い方もありますが、「音感」で意味の違いを伝えようとする特徴のある日本語の微妙なニュアンスを直感できるように英訳するのはかなり困難だと思います。
それだけ日本語を「母国語」として獲得することは「人間性そのものの成長」と直結しています。」
しかし、現代の日本人そのものが感じられなくなりつつある・・・
早期英語教育は国家をあげて日本人を育てない政策を官民一体となって行っているようなものだと思います。
先ずはコミックに関してのやりとりから始まりました。
*NEW GAME  フランス編
虚空 ライバルに助言・・・ライバルが向上すれば自分もより向上できる・・・。せこいことを考えてしまったら自分も伸びなくなる。
*棺かつぎのクロ おまけのラーメン屋シーン内セリフ
作品としてピリオドを打っても誰かの心のなかに残っているうちはそれはきっと”続いていく”ものなんだよ。やり残した事が特に思いつかないのだって、多分私はこれでそれなりに満足しているんだろう。それでも必要なときが来ればまたどこかに呼ばれる事もあるだろうし、また何か新しい出来事につながるかもしれな。その時のために継ぎ足しスープはこれからも残しておくから・・・・・』
*英国紳士の武蔵君 「海外の日本アニメファン交流体験」のことを聞いて
諷虹 吹き替え版じゃないんですね
虚空 日本のアニメは吹き替えじゃダメだって向こうのアニメファンは言うらしいよ。
やっぱり音感語だからじゃないかな。音の響きの面白さがなくなってしまう
諷虹 イメージが全然違ってしまう・・・ずれている。だいたい日本の「声優」というような職業の人たちっているんでしょうかね。熟練の技がない。
虚空 英語の直すと全く味気なくなるよね。
昔、古い日本映画・・・吉村公三郎監督「源氏物語」で海外輸出版だったから英語の字幕がついていたんだよね。そうするとさ、敬語もはったくれもない。紫の上のセリフについていたのが「Mikado said」だった衝撃は今でも覚えているよ。
諷虹 海外のを日本語にするとむしろ・・・
虚空 微妙なニュアンスとかで元のよりも豊かになるかもしれないよ。
最近、NHKで再放送している刑事コロンボを原語で観ているんだけど My wife だもんね。「うちのカミサン」っていうのが名吹き替えだって言われていたし、今だに伝説になっているじゃない。
諷虹 「ちはやふる」の中で主人公が百人一首で英語の勉強をする場面があって・・・でも単に情景を読んだ文にしかならない。(原作第34巻 178首)
 田子の浦に うち出(い)でてみれば 白妙(しろたへ)の
    富士の高嶺(たかね)に雪は降りつつ
⇒ Coming out from Tago's nestled cove,
I gaze: white,pure white the snow has fallen on Fuji's lofty peak.(リービ英雄訳)
千早「『たご』だ…原歌のほう…『たご』を訳すとこうなるんだ・・・」
周防「へぇ…おもしろいね 『真白にそ』はたんに”pure white”としてもいいところを”white pure white”と書く。確かに気持ちが伝わってくる。受験生さん 君の得意な『ちは』はどう訳す?」
千早「・・・・・・・・・」
周防「『唐紅』は”red”? んー”crimson”かな…」
千早「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・訳せない・・・」
周防「『水くくる』とか難しいですよね」
千早「ただの 景色を詠う歌になっちゃう」
虚空 
今ネットで文法解説を読んだんだけどさ・・・
【雪は降りつつ】
 「つつ」は反復・継続の接続助詞で、時間の継続の意味がこめられており、雪が連綿と降り続いていることを表します。
それを英語では現在完了形でつかまえているんだね。「継続用法」なんてあるから「現在完了進行形」を使うほどでもないのかな?????
以前も話題にしたけど「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」だってさ、直訳したら何のこっちゃ、だろ。
ネット検索 いろいろな英訳例が載っているサイト
俳句を英語で楽しもう!素晴らしきHAIKUの世界へ
https://eikaiwa.dmm.com/blog/39040/
古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉)
Old pond / Frogs jumped in / Sound of water.
小泉八雲(Lafcadio Hearn)
The old pond, Aye! / And the sound of a frog / leaping into the water.
Basil Hall Chamberlain
The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
 Donald Keene
The old pond. / A frog jumps in / Plop!
Reginald Horace Blyth
An old silent pond... / A frog jumps into the pond, / splash! Silence again.
Harry Behn
静かによどんだ古池に、突然その静けさを破り、カエルが飛びこむ音がする。しかしそのあとはまたひっそりと静まりかえる。
ご存じ松尾芭蕉の名句。数々の英語訳が存在しており海外でも "Frog Poem" として有名です。
「古池や」ですが訳者によって "old" を使ったり "ancient" を使ったりしています。 "ancient" という言葉には「古来の、由緒ある」という歴史をより感じさせる意味が含まれます。
Chamberlainが用いた "Aye" とは驚きを表現する間投詞です。
Blythの用いた "plop" は「ドブン、ポチャン」といった水に物が落ちる音を現す言葉です。
Behnは「水の音」を "Silence again” (また静けさが戻る)と訳しています。これはカエルが飛び込む音ではなく、その後の静けさを強調したいという芭蕉の意図を汲んだ意訳となっています。
でも日本語レベルでもさ、「ふるいけや」じゃなくて「古池に かわずとびこむ 水の音」って、切れ字の「や」を「に」にしただけでも、全然印象が変わるじゃない。
これがどんな風に変わるのか、なんて外国人に納得してもらう説明なんて出来るの?
そういう感覚が「母国語」の獲得。上原先生が盛んに言っていたけど「母国語は単なる意味伝達の道具ではないんだ」って。「心や生き方そのものを整えていくものなんだ」って。
それを幼児期どころか乳児期から英語の音にばかりさらしていたら・・・末恐ろしいよ。
漢語に伴う感覚だってさ、さっきの「唐紅」を crimson ってしていたけど、「深紅」っていってさ、じゃあ「深紅」と「唐紅」は完全に同じ感覚の言葉なのか、って。
どうなんだろうね。
諷虹 Chinese crimson(笑)
虚空 それで違いがどうでるのかね?ネットで調べたんだけど・・・
 唐紅は真紅色のこと。つまり唐紅は真紅の別名です。真紅(しんく)は名前の通り深みのある紅色のことです。基本的にまじりっ気がない赤色を指します。
違うサイトでは、特に「紅花で染めたものをさす」ってあった。
一応区別はしていたみたいだね。
諷虹 「命くれない」ってあるじゃないですか。「紅の糸」
虚空 男女を結ぶ「赤い糸」がもっと強烈になった感じだね。
諷虹 このあたりも日本語の響きと色の知識と・・・かなり高度ですよね。
虚空 それこそ江戸時代のグレー・・・鼠色。何種類もある。
日本の伝統色<江戸時代の流行色、鼠系あれこれ>
https://ameblo.jp/4847sanki/entry-12383806541.html
諷虹 「きつね色」っていうのも、料理で使われるとおいしそうに感じますよね。
茶色って言われたんじゃね・・・
虚空 「こんがりキツネ色に」が「こんがり茶色」「こんがり黄土色」「こんがり茶褐色」では全然美味しそうに感じないよね。
諷虹 飴色なんていうのもそうですよね。
虚空 外国人に説明を求められても、それこそ解説できないものが山ほどある。
でも英語漬けで日本の子どもを育てていたら、そうしたことが分からない子になっちゃうよ。でさ、それは大きくなって周囲と言葉のやりとりをするようになって深刻な孤独感を感じることになるんじゃないかって。それが心配だよ。
前にも言った、スーパーでの「grandma」や、神田明神での「horse」・・・日本人ばなれした発音を幼児が語っていたわけだけどさ、あの子たちは将来「おばあしゃん」とか「おうまさん」という言葉を聴いた時に、その響きから意味以上の雰囲気を感じられるのかなって。懐かしい響きとかさ。昔話なんて聴いても、全く違った感覚になるんじゃないの。
それこそ「まんが日本昔ばなし」なんかを観せてもさ・・・。
諷虹 英語の得意な人って、普段から英語にすること前提で細かいニュアンスとかは考えないようにしているんですかね。
虚空 きのうの英国紳士君もね「単語単位」での並びでむこうは発想する。でも日本語は音で意味をつくっていく、って。
昨日のやりとりも近々アップするけど、面白い感想をいっぱい話してくれたよ。

☆「骨」に関する意識・・・英国紳士の武蔵君と 

2019年02月28日 やりとりの続きです。
英語に関する話題以外に「骨」に関する意識の話題にもなりました。
日本人が骨に対して抱く感覚については、「骨」に関する慣用句や複合語にも表れているし、またそれ以上の心意伝承的な部分について上原輝男先生も強い関心を寄せていて晩年の論文でも扱っています。
養老孟子さんもヨーロッパ旅行での墓地や納骨堂からの考察を本に書いていますが、骨に対する日本人の感覚って不思議なものがありますね。

対話冒頭の「教会」や「複合語」に抱いた彼の感覚も面白いと思います。


英国紳士 パワースポットに行くのが好きなんで、神社仏閣にいくのが好きで御朱印なんかももらうんですが、イギリスに着いた時にその趣味に近いことができないかと思った時に、教会めぐりとかしかなくて、中には観光名所的なものとか地元の人たちが行くようなのとか・・・。

教会は僕の肌には合わなかったですね。違いって何なのかって感覚的に考えた時に、教会の場合は建物で勝負をしにきている感覚がして・・・。造形とか作りとかで。

神社仏閣だと空間で勝負・・・空間全体で勝負しているような・・・・敷地であったり・・・まわりのもので完成しているような。

教会だと建物だけで隣はもう駐車場。写真を撮ったらおしまい・・・そこも外人と日本人の違いのように思いますけどね。

虚空 教会って、やっぱりみんなで讃美歌を歌ったり、牧師さんの話を聞いたり、懺悔をしたり、っていうイメージがあるけど・・・宗教的なことをする器。建物が荘厳っていうか、特別な感じがあれば、その中で神の世界に浸れるっていうような・・・。

日本だと自然の万物そのものが神が宿っているっていう感覚・・・山そのものとか滝そのものが御神体だったり・・・そういう感覚ってキリスト教とかの一神教の発想にはないじゃない。
周辺が背景じゃなくて、神そのものであり、八百万の神々に包まれている感覚
心霊スポットには行ったの?

英国紳士 行かなかったです。

虚空 伝統的に心霊研究が盛んな国なんだからさ・・・コナンドイルの話とかだってしただろ。そういう場所に行けばよかったのに。
もっとも下手にいって誰かに憑依されても大変だけどね。除霊のために真言とか唱えても、日本語だから通じなかったりして。

英国紳士 確かに(笑い)
ロンドン塔には行きましたけど・・・でも城としてカッコイイなぐらいにしか思いませんでした。

虚空 イギリスじゃないけど・・・養老孟子さんがヨーロッパの納骨堂とか墓地を巡った本が出ている・・・。
そうするとね、土壌の関係で日本のように土に還らないとか、納骨堂を骨で装飾しているとか・・・・
その感覚っていうのがね、日本人は土に帰る事にこだわるじゃない。それと違うのはどうしてなのか。
これってやっぱり、身体観とか魂をどう感じるかとの違い。
そもそも「骨」に対するイメージ。
遺骨を使ったサービスだってどんどん出てきているしさ。

英国紳士 (検索)本当だ、ありますね。「大切なあの人をいつもそばに」って書いてあります。

虚空 しかも「骨」を使った慣用句だってね。どんなのがある?

英国紳士 ・・・・・・

虚空 例えばね「気骨がある」

英国紳士 言葉を作る時に一文字一文字で印象が変わるじゃないですか。単語で話していくんで。言葉のニュアンスを作れるのは日本語のすごさですね。
(「気骨」ネット検索)

虚空 これだってね、意味からすると理解していてもいい言葉だろ?
宮本武蔵とかが好きな人間にはピッタリな言葉だよ。それを知らないというのはね・・・
(骨 慣用句)骨が折れる 馬の骨 骨の髄 骨休め ・・・

虚空 複合語の感覚を磨くっていうのは、日本人としてのセンスを磨くことでもある
ガイア(昨年6月に大往生 17歳 人間でいうと100歳ちょっと)の骨だってまだ骨壺でおいてあるの?

英国紳士 そうです

虚空 それだってどういう感覚なのかだよ。

英国紳士 まあ・・・独りにさせたくない、っていうのはありますね。あとは「いる」って思いますね。
最後ガイアを火葬する時に、形がきれいなまんな出てきて、これは長生きする犬だったんですね・・・太くて丈夫だったって。

虚空 火葬場の職員って骨をみると生前についてかなり分かるっていうよ。

英国紳士 お母さんが骨壺をあけて見せてこようとするんですけど「いいよ」って・・・

虚空 何で見ないの?

英国紳士 悲しくなるからですかね。基本そういうのをみるのが苦手なんですよね。

虚空 どうして?

英国紳士 はっきりさせたくないというのもあるんですけど、単純に気持ち悪くなる・・・終わったあとのをみるといい気しないじゃないですか。
そういう面では何も分からないまま終わっている・・・結果は知っているけどハイライトの録画ビデオはみていない、って言う感じですかね。
だから骨壺の中をみるのはハイライトをみてしまうような感じがするんですよ。
(臨終の頃にはイギリスにいたため)・・・ガイアが弱ってきたから一時帰宅したけど、帰国して一週間くらいで亡くなった。

虚空 それもあるから余計だよね。生きていた姿で思い出をとどめておきたい感覚。

英国紳士 そのニュアンスに近いですね。そういう面でいうとお母さんが「骨を残す」感覚がね・・・骨に話しかけますから。僕は絶対しない・・・生きているままで終わらせたいという表われなんでしょうね。

虚空 これはガイアじゃない、って・・・

英国紳士 仏壇や遺骨に話しかける気持ちも分かりますがね・・・・
最近はガイアの夢もみなくなりました。留学しているときは結構みたんですが、日本に帰ってきたらみなくなりました。
もう日本に戻ってきたからガイアも夢にでなくていいだろう、って思っているんですかね。