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☆量子論からみる「心の考察」③ 「名前」の先導作用 から 老荘思想の「道」へ

こうした発展のプロセスの概略はこうなっています。

量子論の観測者問題 ⇒ 名前の意義 ⇒ 通り名 ⇒ ダンデリオンツイッター「老荘思想 道」

こうしたことでも、「量子論からの考察」が「人生」と深く関わってくるテーマ満載だと感じています。


☆2019年 6月28日 諷虹宅-2
虚空 さっきの「名前」にちょっと戻るけど、このはな綺譚の猫屋敷のエピソードでもあったよね。生まれてすぐに捨てられていた子猫にもちゃんと名前をつけてあげていた。すぐに死んでしまったけど、名前をつけていてもらえたから、すぐに成仏できたって、擬人化されたネコたちに感謝してもらっている場面。

人間に名前がつけらえていることがネコの成仏に本当にどう影響しているかは別にして、名前があるかどうかで成仏のことが左右されるという発想が興味深いよ。

戒名なんていうのもね、寺の収益のためという非難もあるけど、もっと遡れば、あちらの世界に住み替えたのだから、当然名前も変化するだろうという信仰。言霊信仰とも関連してるんだろうね・・・出世魚の名前の変化もそうだし、歌舞伎とかの襲名披露も。

格が高まったから襲名っていうのとは別に、襲名するからその名にふさわしい芸域に達することができるという側面もあるんだ、って学生時代に同級生だった日本舞踊の家元の息子に聞いたことがあるよ。

これなんかだと、単に「存在を認識するためのマーク」じゃなくて、それこそさっきから出ている「先導」という意味合い。

名前をつける時にその子の一生が関わってくるという信仰がちゃんとあったから、親の責任で名づけを考えるということがかつては多かったんじゃないの?

それが今はキラキラネームとかのように、かなり違った感覚での名付けが主流になりつつあるような・・・それこそ目立つためのマークとしての意味あい。


諷虹 型のような感じですね、それこそ。こういう風に育って欲しいとか


虚空 そういう自覚があったんだと思う。それがね、ただ目立てばいいというのはね・・・。

ネット社会で迷惑行為だろうが何だろうがハチャメチャなことをやってSNSで目だてさえすれば英雄になったような気持ちになれる、っていう安易な感覚に似ているよ。

さっきの襲名でいえば、「名に恥じないようにこれからますます精進」っていう構えの自覚になるじゃない。

それは名前だけじゃなくて、ポジションにだってね。相撲界が分かりやすいと思うけど「横綱の名に恥じない、とか大関の名に恥じないように」とか必ずっていっていいほど言う。

「嶺上開花」にしても「海底撈月」「深山幽谷の化身」にしても、そういった言葉がキャラをひっぱっているじゃない


諷虹 「阿知賀のレジェンド」とか「阿知賀のドラゴンロード」とか・・・咲って「通り名」が多いですよね。「ステルスモモ」とかも


虚空 その「通り名」っていうのも面白いよね。考えてみると。単なるあだ名とは違うよね。


諷虹 畏怖の対象っていう感じですよね


虚空 「通じやすい」っていう意味で「通り」なんだろうけど、元は道を通るってことでしょ。

この前ダンデリオンツイッターに出ていた「老荘思想」からの「道」の考察と関連づけられそうな気がする。


(荘子 逍遥遊篇第一―5)
道はこれを行きて成り、物はこれを謂いて然り。
物には固(もと)より然る所(べ)きあり、可とす所(べ)きあり。
然らざるなく、可ならざるなし。

其の分かるるは成るなり。其の成るは毀(こわ)るるなり。
凡(およ)そ物は成ると毀(こわ)るるとなく、通じて一たり。
唯(た)だ達者のみ通じて一たるを知り、

是が為に用いずして諸(こ)れを庸(よう)に寓(ぐう)す。
庸なる者は用なり、用なる者は通なり、通なる者は得なり。
適得にして幾(つ)くす。

是に因る已(のみ)。

已(のみ)にして其の然るを知らず、これを道と謂う。

【大体の意味内容】
道は初めから「在る」のではなく、そこを行くものがあって「成り」立ってゆく。
物はもともと存在しているようではあるが、名付けすることで初めてそれにふさわしい在り方になる。

もちろん事物には、もともと然るべき性質が備わっていたり、様々な可能性も潜在している。

然るべき性質や、可能性のない事物はない。

我々の身体では、一つひとつの細胞が分割されて新しい細胞が成長していく。
新しい細胞が成長してゆくためには、旧い細胞が破壊されている。
このようにして我々は際限なく巨大化するのではなく、一定の状態でバランスを保っている。

すべての事物には同様に破壊創造(スクラップ・アンド・ビルド)が不可分一体に働いているのである。

ただ道の原理に達した者だけがこうした不可分一体の道理を知る。

そのため、自分個人がことさらに何かを活用するということはせず、
諸々(もろもろ)のの事物をその凡庸(ありきたり)に任せてゆく。

しかし万物の凡庸さが本質的な活用を発揮する。
事物の活用とは、命あるものが普(あまね)く行き渡っていくことである。

普(あまね)く通用する生命はその全体で一つの生態系を獲得する。
万物はこうした適材適所の獲得において、自己の生命活動を尽くす。

万事この摂理によってのみ世界は営まれる。

だが万物はこの摂理を自覚せずに生を全うする、
このこと自体を「道」というのである。 


【お話】
以前読んでいた『老子』の考え方では、宇宙における森羅万象が働く根本原理として「道」があるというものでしたが、今読んでいる『荘子』はそれとは異なっているようです。
万物には確かに何らかの性能や可能性はあるけれど、最初から今の世界が出来上がる設計図のようなものが内包されていたとは見ません。

原子がそのままでは働かないこともあるように、いくつかの原子が結合して分子となり、一定の働きを始めたり、さらなる化合や分解、創造と破壊を繰り返して、ふさわしいものがふさわしいところでふさわしく働くような、ひとつの秩序だった体系を獲得してゆく、そうした働き自体が「道」だというのです。

まるで近代科学の世界観をとっくの昔に先取りしていたような思想は、今後も随所に出てきて驚かされます。


ここ数万年くらいは近代科学以上の文明は見つかっていませんから(「見つかってない」ことになっていますから)、二千年ほど前の荘子の様な発想はなかなか理解されなかったことでしょう。

もっとも、DNA研究のほうでは、既に設計図はあって、そのDNAの持ち主の顔形などがかなりリアルに再生できるところまで来ているようです。
老子の世界観・道徳観は、DNA的なものかもしれませんね。

諷虹 王道とか覇道とか・・・その人の生き様そのものを表している


虚空 つまりね、前にも何かで出てきたけど「通ったところが道」っていうのと「これから通るところが道」っていうのとの違い。


諷虹 「先導者」ですよね。通ったところが道。開拓者ですね。


虚空 それが極端になるとさ、「前人未踏」であるだけじゃなくて、これからもそこを踏み越える人間は出ないだろう、っていうような・・・

諷虹 (咲の話題)清澄はまさにダークホースじゃないですか、初出場でダークホースのように決勝までいく。でも県大会予選だと、決勝に無名校が出てきても、っていうのがありますが、全国大会決勝で無名校がいくつも出てきたら違和感がありそうですが、阿知賀だとに一度準決勝まで出ているから、あり得そうだと視聴者も、登場人物も納得してしまう所がある。


虚空 あり得そうとか、なさそう、だとかっていうイメージを先行して持ってしまうのも「名前」の威力だよね。名前負けするとかしないとか。

スラムダンクにしてもバガボンドにしても、まずその名前の前に心がひれ伏してしまっているかが大事なポイントになっているしね。

歴史の偉大な人物とか、組織の祖だとか・・・。そういうのも


諷虹 全国常連の・・・。一回戦であたった相手はお通夜モード。最初から諦めモード
(スラムダンク)流川の先に倒すもあとに倒すもっていうのも・・・


虚空 そういう名は、相手を縛るだけじゃなくて、自分達も縛ることがあるよね。自分のチームとかの伝統の重みにつぶれそうになるっていうかプレッシャーを感じる場面
咲にもそういう場面はあちこちあったけど。

あとさっきの流川と同じようなセリフが阿知賀にもあったじゃない。白糸台と同じトーナメントの側になったって、主人公が動じなかった。どうせ決勝を目指すからにはあたるんだからと。
桜木花道も「山王工業」に全くどうじてなかったしね


諷虹 ヤマオーは俺が倒す


虚空 学校名の読み方すら間違えている(笑)


諷虹 阿知賀編で強豪校に入学しようと思えばできたのが、阿知賀を選んだ。本当に有名も無名も関係ない。


虚空 これと同じことを正面から描き続けているのがガルパンとも言えるよね。
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☆量子論からみる「心の考察」②  「異形の存在」と「運命の先導者」

量子論からみる「心の考察」①をふまえての諷虹・虚空のやりとり記録です。

「青春ブタ野郎」シリーズは諷虹君がほとんど観ていないので、アニメや民俗学的な観点からの考察が中心です。
「天狗の鼻」とか「七福神の顔の特徴」手塚漫画「火の鳥のキャラ 猿田彦」・・・「赤鼻のトナカイ」・・・そのような「異形の存在」からライフインデキス(生命の指標)のことに話が発展します。
これらの考察のベースにも、常に「量子論」のことがあります。
☆2019年 6月28日 諷虹宅-1

虚空 青ブタのことはよく分からないだろうから・・・でもこの前から気になっている「名前」を認識するということ・・・・

例えばさ(咲 に出てくる)「嶺上開花」でね、量子論的にいうとさ、人知れず高い山の上でひっそりと咲いている花は「存在していることになるのか否か」っていうことだと思うんだけど・・・

量子論の反論としてこの前みていたビデオでもアインシュタインが「月が観測されていない時にはないというのかね?」っていうようなことを言っていたのが紹介されていたけど。

つまりね、麻雀ってやったことないから分からないけど、この前から感じているのは、競技者が観測者だとすると、卓上は常に「もやっとした状態」で、それぞれの意識世界での様々な想定とか予測とかのことが確定しないままで重なり合っている状態って言えると思うんだけど・・・。
嶺上開花ってのも、咲が開く・・・?


諷虹 あがることですかね・・・要は。


虚空 それが確定する瞬間っていうことだろ?


諷虹 麻雀強い人だとあがった手の形から遡って見ていくんですよね。逆算していく。もっとすごい人だとこの人がどういう思考パターンでいくのかっていうデータを収集するというのもありますね。


虚空 それっていうのもさ、無理やりこじつけかもしれないけど、シュレーディンガー方程式によって固有の存在確率を求めようとしているのにも似てない?圧倒的な実力差がある場合はどうか分からないけど、読み取った思考パターン通りに100%相手がなるとは限らないじゃない。


諷虹 ラプラスの悪魔の方が近いのかも・・・
ネット検索・・・ラプラスの悪魔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、英:Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。

「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、宇宙の全運動(未来を含む)までも確定的に知りえる[1]」という超人間的知性のこと。フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる



虚空 青ブタだと時間を繰り返す後輩の女の子が「ラプラスの悪魔」ってことになってるんだよね。


諷虹 ローゼンメイデンに出てくる鏡の中のうさぎが確かラプラスの魔って言われてましたよね。

ピクシブ百科  ローゼンメイデンの「ラプラスの魔」
CV:津久井教生(アニメ版)/三上哲(2013年アニメ版) 
ローゼンの古い友人。 
nのフィールドに現れる紳士風の衣装をまとった謎の兎頭の紳士。 
意味深な言葉を残しては消えていく怪人物、狂言回し。 
真紅などからは嫌われている。
 
アリスゲームを中立に裁く審判を自称しており、ときにはドールたちを邪魔するが、本当に行き詰った時にはドールと契約者を助ける事もある。 
旧アニメシリーズでは槐と薔薇水晶に協力しておりキャラがだいぶ違う。 
諷虹 この前もちょっとうさぎの話になりましたが・・・不思議の国のアリスのような・・・(咲 の天江衣)
あれですよね、トリックスター的な立ち位置・・・話が収拾つかなくなった時にこういうのを登場させれば、話が予想通りの方向に修正できる先導者(車)みたいな・・・先に導く。


虚空 らいふいんできす?(ライフインデキス 生命の指標)


諷虹 それがウサギの形をしているというのもね。不思議の国のアリスもうさぎを追っていって・・・。天狗的な存在ですかね・・・猿田彦のような
(祭の行列の先導をつとめる  天孫降臨の神話に由来する)


虚空 古い漫画だけど、輪廻転生の壮大なドラマだった手塚治虫の「火の鳥」シリーズで、いろんな形で転生をくりかえした主要きゃらに「猿田彦」の化身のようなのがいた。


猿田彦 さるたひこ ピクシブ百科 https://dic.pixiv.net/a/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6
猿田彦とは、日本神話に登場する神にして天狗の原型。およびそれをモチーフとした手塚治虫の漫画『火の鳥』の登場人物。

「黎明編」に登場。弥生時代の邪馬台国の女王・ヒミコの忠実な家来。 
以降シリーズに登場する”猿田型”人間たちの祖先もしくは前世。 

猿田彦、猿田博士、我王、鞍馬の天狗など、共通して大きな鼻の持ち主と運命付けられているが、それぞれの編の世界観に合わせ名前やキャラクター、何ゆえにそのような大きな鼻を持ったのかの由来が少しずつ異なる。 
猿田彦、八百比丘尼の父は「元々醜い顔で、さらに病気で鼻が大きくなった」、猿田博士は「元よりそのような顔と鼻」、我王は「病で醜くなると同時に鼻も大きくなる」、宇宙編の猿田は「元より鼻は大きく、さらに醜くなる」、生命編/太陽編の猿田は「鼻が大きいだけでそれ以外は醜くはない」など、作品ごとで異なる。鼻が大きい理由も、猿田彦は蜂によるもの、八百比丘尼の父は鼻癌であるが、それ以外は原因不明。 
雑誌版の火の鳥太陽編では鉄腕アトムのお茶の水博士の兄弟として登場していた。 
単行本版では手塚治虫本人によりその部分は削除された。 
基本的には猿田にまつわる人物の殆んどはその醜さから女性との縁が無い事が多いが、一部の猿田にはその容姿とは関係無しに純粋に女性(猿田とは正反対の美女)に惚れられた者もおり、その女性は後の猿田の名がつく者に繋がるとされる子孫を身籠っている。 

虚空 まさかここで昔愛読していた火の鳥がからんでくるとは・・・


諷虹 (記事をみながら)八百比丘尼
妙な想像ですが・・・ウサギも耳が長いですよね。猿田彦は鼻がでかい。
で、干支でサルが・・・


虚空 猿が馬の守り神っていう信仰


諷虹 馬も顔が長いですよね。みんな顔のパーツが長い


虚空 すごい今斬新な発想にハッとしたんだけどさ・・・
馬だって上原先生が盛んにいっていたけど、神の使いとして人間を導いてくれる・・・イマジネーションの先導をつとめてくれる存在だったんだよね。

だから競馬も単なるギャンブルではなくて、人生を賭ける=「掛ける」っていう意識。


諷虹 遠くからみても目立つ存在。目印になる発想なのかな???
赤い鼻のトナカイもね


虚空 そりゃサンタにとって暗い夜道の道しるべになるっていうんだからね


諷虹 角要素と鼻要素。画像で改めてみるとこの角本当に目立ちますね。先導者的な感じで・・・

画像検索 https://www.google.com/search?q=%E3%83%88%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%A4&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjS-4KKsYvjAhXAy4sBHU5TCEMQ_AUIECgB&biw=1280&bih=578#imgrc=zrrefk38VAkIMM:
虚空 あとさ、耳たぶが大きくて「福耳」っていうのもあるじゃない。


人相占い サイト
福耳という言葉があるように、耳の肉、とくに耳たぶの肉の厚い人は福運があり、
物には不自由しないですみます。
耳の肉の薄い人は運もうすく、財産を受け継いでもそれを減らしてしまったり、
大金を得ても結局はもとのもくあみに戻ったりします。
⇒「七福神」耳の大きな神様が多い 長寿・延命・豊かな財の象徴


諷虹 長寿・・・さっきの八百比丘尼
福禄寿・寿老人って星の化身なんですね

福禄寿
解説サイト⇒福禄寿は、名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。南極老人星(カノープス)の化身であり中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。

長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。招徳人望の神様として信仰されている。
寿老人は、福禄寿と同じく星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。


カノープス wikiより
カノープスは、トロイア戦争時のスパルタ王メネラーオスの船の水先案内人、操舵手の名に由来するという説がある[1][8]。ストラボンやコノンの伝えるところによれば、トロイア戦争の後にヘレネーを連れて帰還する途中でメネラーオスの艦隊は難破してしまい、カノープスは辿り着いた先のエジプトで蛇に噛まれて死んだ、とされる
補足
折口信夫先生の「髭子の話」などにもあるが、神様に降りてきて頂く際の目印として高いものを掲げる、等々の風習が各地に残っている。正月の「門松」も神様を「待つ」ための目印。それと同様に異形なる存在は、異形なるがゆえに「神の道しるべ」「依り代」たりうる資格を持った特殊存在ではないか・・・と考えての二人のやりとりです。


虚空 このはな綺譚での柚の育ての親が八百比丘尼って設定されているのもすごいよね。
火の鳥でも魔物の病気治療に従事することになるけど、あっちの比丘尼様もあの世とこの世の狭間で苦しんでいる人達を救う


八百比丘尼 ピクシブ百科
伝説
若狭国(福井)に暮らしていた漁師の娘は、不老不死になれるという人魚の肉を食したが、不老不死ゆえに家族友人に先立たれ、永遠にその最期を見なければならない運命を背負う。 

その後、彼女は出家して「八百比丘尼」と呼ばれる僧侶となり、全国を行脚したと言われており、日本各地にそれにまつわる伝説が残されている。 

各地の伝承に共通して、生前は椿の花を愛したと言われ、特に白い椿(或いは白地に薄い赤の斑が入った椿)は、八百比丘尼を象徴する花として伝承されている。 


『火の鳥』における八百比丘尼
「異形編」と「太陽編」に登場。 
戦国時代、一国の主であり数々の非道を行い成り上がってきた父親から男児として育てられてきた女、左近介(さこんのすけ)。そんな父が致死性の鼻の病にかかり、「父さえ死ねば自分は女として生きられる」と考え、その治療を行わせないために、治療に当たるはずだった尼・八百比丘尼を殺害する。 

しかしその罰として、無限に繰り返す時間の中に閉じ込められてしまい、以降、己自身が八百比丘尼として成り代わり、永遠に若い頃の自分(左近介)に殺され続けるという宿命を負わされる。 
「太陽編」で、霊界の戦いで傷ついた神々の手当てを行っているのは、負った罪を清算する方法であると語られている。 

☆「咲」からの考察  「月」「ふるさと」

6月14日の諷虹×虚空のやりとり記録です。

6月8日の最後に出た「東方キャラ」と「咲」の接点についてからはじまって「月」「ふるさと」にまつわる日本人の意識について語り合っています。
「東方求聞史紀」から
諷虹 これは幻想郷にいる妖怪とかを図鑑のように描いているものなんですが・・・先週いっていたフランドールと姉のレミリアのところをパラパラと読み返して・・・
意識に引っかかっていなかったんですけど、姉の能力が「運命を操る程度の能力」なんですよね。
https://pl.touhouwiki.net/wiki/Perfect_Memento_in_Strict_Sense/Remilia_Scarlet

「幻想郷で確認が取れている吸血鬼と言えば、紅魔館に棲むスカーレット家である。 その主がこの紅い悪魔(*1)、レミリア・スカーレットだ。 姿と考え方は幼いが、実際は五百年以上生き続け、吸血鬼らしく驚異的な身体能力を誇る。 身長は低く、まるで十にも満たない幼児の様だが、背中に自分の身長よりも大きい羽根を携え、シルエットだけならかなり大きく見える。 また、態度も大きい。 行動も子供っぽく、驚異的な身体能力と無尽蔵の好奇心を兼ね備えた、いつ爆発してもおかしくない恐怖の悪魔である。

 昼間は紅魔館で眠り、夜になると散歩したりパーティを開いたりしてはしゃぐだけはしゃいだ後、疲れたら眠る。 能力の運命を操る事は、本人は意識してかしないでか、周りにいると数奇な運命を辿るようになり、一声掛けられただけでそこを境に生活が大きく変化する事もあると言う。 まず、珍しい物に出会う事が高くなるらしい(*2)。

 この妖怪に纏わる逸話 紅霧異変 紅魔館の存在が人間の間に大きく知れ渡った異変である。 幻想郷が紅く深い霧に包まれ、地上は日の光も届かず、夏なのに気温も上がらないという異変があった。 この霧は吸うだけで気分が悪くなり、人間達は数日間に渡って、人里どころか家からもまともに出られなくなったのである。 結局、霧の原因はレミリアであり、ただ単に幻想郷から日光を奪えば、昼間でも騒げるんじゃないかという自己中心的な動機により、引き起こされた異変である。 最終的には博麗神社に住む巫女が、彼女を懲らしめて解決したと言われている。

 対策 多くの弱点を抱えている妖怪だが、その弱点を突いたりして刺激するのは得策ではない。 生半可な事では退治しきれないので、怒りを買ってしまい、いとも簡単に消し飛ばされてしまうだろう。 好奇心が旺盛な為、思いつきでパーティに人間を呼んだり、人里で遊んだりする事がある。

 だが、性格は幼い為、気分を損ねないように接しないと、恐ろしい目に遭う事もある。 大人しく我儘に付き合わないといけないだろう。 人間だけではなく、妖怪に対しても「自分より優れた奴は居ない」と考えている。 いつでも高圧的な態度で、誰に対しても友好度は低い。 *1 幻想郷に来る前から人々に紅い悪魔と呼ばれていたという。由来はよく血をこぼし、白いおべべを紅く染めていたからだという。 *2 実際はそんなもんじゃないかも知れないが、目で見て判る効果が無い能力である。 *3 変えられた運命次第では、人妖になってしまう事もあるという。


妹の方 フランドール・スカーレット
紅魔館の中でも仲の良い妖怪は少なく、常に孤立している。姉のレミリアですら、一緒にいる姿は余り確認されていない。そう言った理由からか、未だ謎が多い妖怪である。
破壊の能力を持ち、触れようが触れまいが物を破壊してしまうと言われている。一緒に遊んでも作った物を片っ端から壊されてしまうので、誰も一緒に遊んでくれないのだろう。
どうやって物を破壊するのかというと、全ての物質には「目」という最も緊張している部分があって、そこに力を加えればあっけなく破壊できるのだ。彼女はその「目」を移動させ、自分の手の中に作る事が出来るという。つまり、彼女の手の中にある「目」を自分で潰せば(*2)、物は壊れてしまう。抗い様の無い恐ろしい能力である。
ピクシブ百科
フランドール・スカーレット(Flandre Scarlet)は、紅魔館の主レミリア・スカーレットの妹で、姉と同じ吸血鬼。 
少なくとも495年以上生きているが、少々気がふれているという理由でその大半を紅魔館の地下室で過ごしてきた。 
また本人も外に出ようともせず引きこもり状態だったようで、その箱入り娘っぷりは生身の人間は見たことがないという程。 
だが紅魔郷の異変「紅霧異変」後は主人公たち(霊夢・魔理沙)と接触したことで外界に興味を持ったようで、「外に」とまではいかないものの、『東方文花帖(書籍)』で屋敷内を出歩いている姿が目撃されたり、屋敷のすぐ傍ながらも屋敷外にいる挿絵がある。 
また、長い間閉じこもって生活していた関係で与えられたものしか食べたことが無いため、人間の襲い方を知らない。通常の吸血鬼は食事をするために人間を殺さない程度にしか襲わないが、彼女は手加減が出来ないため一滴の血も残さず吹き飛ばしてしまう。 
その歯止めの効かない破壊力は、遥かに姉を凌ぐとされている。 レミリアの実妹か義妹かについては不詳。 

諷虹 昔からなんですけど、妹の方は狂気顔で描かれていることが多い・・姉の方はキリっとしているか幼女幼女なんですけど・・・


虚空 あのさ、まず思いついたことから・・・この血を吸う時の程度っていうので、ファーブル昆虫記とかに出てくるハチ・・・獲物に卵を産み付けるけど、孵化した幼虫は獲物が死なない部分から上手に食べていく・・・鮮度を保っているわけだよね。

ところがさ、例えば極端な例を出せば癌細胞なんかは、勝手にどんどん自己繁栄ばかりをしようとして、宿主を殺してしまう。マアそこはハチの場合も最終的に宿主は死んでしまうけど、その時にはもう蛹になって成虫になり生きながらえる。

加減を知らないというのは、自然の理とは無関係な生き方・・・吸血鬼の理からも反しているっていうことでしょ?この吸血鬼は。

もう一つはね、天江衣って、両親が死んで引き取られたあとに叔父かなんかに幽閉されていただろ。幽閉されていた理由があまりはっきりと出てこないけど・・・衣の事を恐れたとか、両親が死んだのもそのせいだと思い込んでいるとかあったけど。


諷虹 異能の力ですよね。
これがファンの作った紅魔館の3Dモデルなんですけど、衣が幽閉されていた屋敷に似ているかな、って。(アニメ版)
(原作を確認すると 6巻P142)ではとんでもない屋敷の描写


諷虹 これって ドラキュラが住んでいる城 みたいですね。


虚空 自分が今パッと思いうかべたのは、「眠れる森の美女」が眠りについていたお城。棘とかがからみあって中にはとても近づけない状態だったのが、運命の王子様が来た時には道が開けていった、なんて確か昔読んだ童話ではかいてあったと思うんだけど。 
(原作3巻 P157 は屋敷っぽい)


諷虹 こっちの方が紅魔館っぽいですね。
あと不思議の国のアリス、月の描写も・・・


虚空 そう、それも言おうと思っていたんだけど・・・原作とアニメでは時計を腰にちゃんとぶらさげているよね。でも実写版での同じシーンでは時計はつけていないんだよね。

それと前回も言ったけど、可愛い幼女と大人びた言葉遣いの恐ろしげなギャップが特徴のこのキャラが、実写版ではほとんど妖怪じみて描かれている。笑顔とか可愛らしい表情は一切出てこない。このあたりの演出意図なんかは気になるところなんだよね。


諷虹 時計ですけど、さっきの東方の方でいうとフランドールではあまり関係ないんですけど、紅魔館と時計っていうのは・・・メイド長が人間なんですけど、時間を操る程度の能力を持っているんですよね。


虚空 人間なのに?


諷虹 時間だけでなく空間も操るんですよね。
「この能力は空間を弄ることも同様に可能である。時間を遅くすることは、空間を小さくすることと同じであり、速めることは空間を広めることと同じである。彼女はその超絶な能力を十分に生かし、掃除や洗濯、炊事にと役立てているである」
このメイドさんがだいたい懐中時計を持っているんですね。だから懐中時計と紅魔館は切っても切れない関係にあるんです。


虚空 今ちょっと考えているのはさ、さっきの眠れる森の美女の王子様に該当するのが、最終的には「宮永咲」だったわけだよね。そんでもって、咲はあの卓の世界を支配する力があるような感じでしょ。森林限界を超えた所に花を咲かせるというようなイメージで。

先週の帰りの車でフト思った「潮の満ち引き」と衣の「海底撈月」のつながり。潮の満ち引きって地球とか人類が遭遇している最も大きな時間・空間の変動だよね。人によっては地球最大の津波って表現する人もいる。そしてその満ち引きのリズムが生命誕生にも大きくかかわっているとかね。


諷虹 あとは「月」と「ツキ」・・・運の尽きですよね。


虚空 40年近く前だけど、勤めていた塾の中学生が妙な替え歌ばかりを集めたテープを持っていて、その中に『冒険ガボテン島』主題歌フルバージョン 1967
https://www.youtube.com/watch?v=Gylt8ruHwjE
の替え歌があったんだよ。同じ塾に勤めていた麻雀に詳しい学生が大爆笑してた。「ハコテンハコテン」とか「フリテン」とか「でもちょっぴり悲しくなっちゃう、月のない夜は」とか。月とツキとかけているんだろ?

諷虹 東方の二人にとって王子様は誰なのかっていうのがあるんですけど、2次創作でよくあるのは、・・・
(人間メイドについての解説文続き・・・吸血鬼から名前をもらって、生きる方向が大転換(という説)。吸血鬼の味方・・・でも人間とも交流  十六夜咲夜)


虚空 こっちも「咲」だね

諷虹 そうですね、夜に咲く。

虚空 あの予選決勝で、衣だけじゃなくて、宮永咲も「化け物」って称されていたよね。だいたい試合前に本人は全く無自覚でいるにも関わらず、周囲にはとんでもない気配をふりまいて歩いていてさ。でもそこで迷子になってのドジっ子ぶりもさらけだす。

諷虹 決勝が夜にもつれこんで、まさに夜に花が咲いたわけですよね。

虚空 そこに月の描写もリンクしててさ。衣が「生まれ変われるかもしれない」って予感しているよね。「月の夜」に「潮の大変動」が起きて「森林限界の場所に花が咲く」=「新たな生命が生まれる」・・・・っていう流れ。

そこと「吸血鬼」っていうことに人類が抱いてきたイメージとの接点。その吸血鬼のイメージだって、東方のは西洋風のじゃなくて日本風にアレンジされたイメージで設定されているよね。日本人が素直に納得できちゃうような形で。

さっき「となりの吸血鬼さん」との類似についても言っていたけど、あの人間「天野灯」だって、個人的な趣味での行動でありながら、結局は異界の存在どうしの壁をぶち壊しているよね。
それが可能だったのも「壁」を気にしていないから。

天江衣がとんでもない能力で昨年活躍した、っていうことも、宮永咲はそれほど特別視していないような感じだよね。それをまた感じたから衣も心を開いた。

(咲 のキャラ同士の関係を特集したサイトをみる)
さっきのメイドさんの話もそうだけど、自分が麻雀ルールを全く知らなくても入り込めたのは、キャラ同士の人間関係がきちんと描かれている事と、もう一つは麻雀場面が「時空転換」のイメージで描かれているからだよ。

そうすると例の世界定めの3つの軸「時間・空間・人間(ジンカン)」が非常に前面に出ている作品と言える。だから引き込まれている。


諷虹 (5巻 P79)
「嶺上の花が咲き、海底の月が輝く・・・・か。花天月地ね」
これ逆なんですね。花が天で、月が地。
天に向かってと、地に向かってということなんですかね

虚空 この逆転に込められた想いは何だろう????


諷虹 深いんじゃないですかね(笑) 相転移なんじゃないですかね。相手と自分の

ネット辞典
〔花が空一杯に咲き、月光がくまなく地上を照らす意から〕花咲く陽春の頃の月夜の景色。


虚空 「月の光」と「太陽の光」の大きな違いって、太陽は自ら発しているのに対して、月のは太陽光の反射だよね。光の成分としては同じようなものだけど・・・これは単に光量だけの問題じゃない。


諷虹 さっきの花見じゃないですけど、「花」とかって「春のうららかな様子」を示す季語のようであり、「夜桜」とか「月下美人」のように「夜に咲き誇っている様子」っていうのもまた、絵になる・・・


虚空 源氏物語の女性キャラの中で男性に人気なのが「夕顔」っていうのを瀬戸内寂聴さんがいっていたけど、そんなイメージもあるんだろうね。


諷虹 花魁とかも・・・。


虚空 まさに夜に咲き誇る花だよね。それこそ華やかに。
天江衣のイメージだってさ、昼間というよりは、月明かりの夜にぼんやりと浮かんでいる女の子・・・その中で静かにしていても絵になるし、子どもっぽく一人ではしゃいでいた、なんていうのも絵になりそう。


諷虹 満月なんかになるとより能力を発揮するとかね。そうするとまさに吸血鬼のイメージ。


虚空 あの、前観たみんなの歌の「月のワルツ」なんかが「静」の衣のイメージに近いかも。
でもそれを白日のイメージにも合うようにしたのが、宮永咲。


諷虹 月と兎のイメージって、日本独自?


虚空 そうじゃないの?


諷虹 不思議の国のアリスってうさぎと時計は出てきますよね


虚空 月は出てくるの?


諷虹 中国とかアジアにはあるようですね。
Wiki 「月の兎」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E3%81%AE%E5%85%8E

虚空 そういう意味ではセーラームーンの主人公の名前なんてそのものズバリでよくつけたよね「月野うさぎ」
ネット検索 不思議の国のアリス 月・・・
「三月うさぎ」
「三月うさぎ」という名前の由来はイギリスの「3月のうさぎのように狂っている」という言葉であり、ヨーロッパのウサギの繁殖期が3月でその時期のウサギは落ち着きがないという意味から原作者が不思議の国のアリスに登場させたと言われている。
お月様かどうかはあいまいだけど「繁殖」っていうのとは絡んでいるんだね。


諷虹 (別の麻雀漫画で  自分の直感を信じて勝てていたのが、定石を知ったら勝てなくなった  ということの紹介)


虚空 あの先のメガネ先輩がど素人に負けたところなんていうのと通じるよね。今までみたことのないパターンだから混乱してしまった。なまじ自分の特殊能力(膨大な過去の牌の知識を瞬時に呼び起こしてうつ)に頼らないで、普通の人間の気分で打てばきっと難なく勝てたんだろうにね。

入試でもあるじゃない、よくでる問題のパターンと似ているけど、微妙に違う問題の時に解けなくなる子。覚えていた解法から離れられないで。
もっとひどいのになると、解き方を覚えていない問題は解けっこないと最初から諦める子。こういう子は真面目に勉強していても問題集やプリントと同じようなものばかり出る学校の中間・期末では100点近くとっても、何が出るか分からない、範囲も広い実力テストや入試ではガクッと得点力が下がる。


本質的なことを理解している子なんかだと、解き方を覚えていなくても、内から湧き上がってくる思いに素直に向かうから、結構ひねった問題でも解ける。そういう子は中間・期末はマメに勉強していないからそれほどよくないけど、実力テストとかひねった問題を出す学校の受験問題だと結構できるよね。

そういうことって、暗記していれば高得点できる、っていうのは「月の輝き」との類似もあると思う。自分が輝く力を持っているわけではないのに
見かけ上魅力的に輝いているから。

もちろん「月の光」にまつわる心象はマイナスイメージばかりではなくて、日本人は「太陽の光」よりもそこに深い意味を感じ取ってきたわけだけどね。

どうも日本人って「ギラギラ」はあんまり好きじゃないのかもね。太陽だって、ありがたがるのは「朝日」「夕日」だし。
でも「ピカピカ」とか「キラキラ」は好きだよね。だから黄金なんていうのはね・・・実り豊かな稲だって「黄金色に輝く」なんていうしね。

古典で「月の影」っていうのを「月の光」って訳すことは前にも話題にしたけど、本当はそれを暗記するんじゃなくて、古来から日本人は「光」と「影」に対してどういった本質的なイメージを感じ取っていたかだよ。

「影の大番長」とか「闇の支配者」とか・・・


諷虹 夏目漱石の「月が綺麗ですね」っていうのはどうなんでしょうね。
「I Love You」を「月が綺麗」と訳したエピソード。「月がきれい」ってアニメの題名もそこからきているわけですよね。このエピソードの真偽は定かではないようですが、結構有名な話ですね。
共振・共鳴ですよね、これも。


虚空 直訳がいいとは限らない。

手前味噌になるけど、大学の時の英語の授業の時に「Stay with me をどう訳す?」って聞かれた時に「行かないで」と訳して褒められたことがあるよ。実際にこの題名の映画の邦訳がそうだったらしいんだけど・・・なんだかパッと浮かんだのがその言葉だった。

やっぱり日本語って感覚言語だからね。
最初に赴任した学校は帰国子女が滅茶苦茶多い学校だったけど、日本語は話していても頭の中は英語モードっていう子がけっこういた。

それがトラブルの原因になっちゃって。ものすごくきつい言い方に聞こえちゃうんだよね。英語の発想をそのまま日本語にすると。自分勝手な我が侭人間とさえ誤解されてしまう。

でも、逆に何かの本で読んだけど、日本人が外国に行って英語でやりとりしようと思ったら、まず英語でどう話せばいいんだろう、じゃなくて、「日本でそんな言い方をしたら絶対嫌われる、顰蹙を買うだろう」と思うくらいに遠慮なく自分の気持ちを全開にする・・・そいう心の状態に切り替えて話していかないと、現地でのやりとりはうまくいかない、って。

そのことはこの前イギリス留学をした英国紳士の武蔵君にも事前に話したんだけど・・・確かにそうだったって。そこに慣れるまでは大変だったけど、慣れたら変に気を使わなくてすむ分楽だったって。

ただ、帰国してから大変だったっていっていたけどね。仲のいい気兼ねなく話せていた友達相手でも、「こんなに気をつかって今まではなしていたんだ」ってビックリしたって。元に戻すのが大変だったって。

言葉が人間性を支配する・・・・だから母国語習得段階の乳幼児に英語教育っていうのはよほど考えないとね・・・
天江衣がさ、シリアスモードの時に普通の大人だって使わないような難しい言い回しをするじゃない。あれも、「どうしてそうなったのか」も興味深いけど、ああいいった言い方をしていることで、どんな人格形成がされてきているのかも、興味深いところだよね。

さっきの帰国子女でさ、家庭訪問の時にいつも聞いていたのは「きょうだい喧嘩なんかの時に、どっちの言葉になりますか?」って。そうすると例えばお兄ちゃんは日本語だけど、下の子は興奮すると英語になります、とかね。母国語としてどっちの言語に足をつっこんでいるのかが分かる。マアこれも上原先生仕込みの知恵だったんだけど。

そうすると天江衣が、咲とかに心を開いた場面とか、相手によって無邪気に振舞う時・・・素のモードになった時は難解な語句が消えるだろ。


諷虹 ニュートラルな時でも難しい言い方をする時はしますけどね


虚空 でもそうじゃない時があるだろ。


諷虹 (咲に心を開く前でも)ペンギンのくだりなんてはそうですね


虚空 どっちが素なのか分からないけど、麻雀で真の戦闘モードになる、っていう意味での「真の姿」っていうのと、人間としての「素」との違い。

本来だったら「おうち」っていうのは素のモードになれる場所なわけだよね。
天江衣はそもそも「おうち気分」を喪失していた。考えてみればさ、宮永咲も、原村和も、なんだかおうち気分になれてるような描写はないよね。人間関係で。


諷虹 麻雀うっている時のおうち気分はありますよね。咲は靴下を脱ぐとか、和はエトペンを抱いているとか。


虚空 だから何らかの形で「おうち気分」は絶対に精神的な土台として必要なんだよね。児言態の授業では「意識のベースを探る」なんていっていたけど。

阿知賀編の主人公のおうちはどう?


諷虹 そういう意味でいうと、学校の雰囲気にしてもいい感じの田舎感というか・・・それが長野よりも強いかな、って。地域ぐるみの・・・
そういう意味で私は阿知賀編の方が好きなんですけど・・・


虚空 今、児言態の方で進んでいる話と自然につながってきたんだけど・・・上原先生が国際理解教育研究協力校の指定をうちの学校がうけた時に「おうち、ふるさと、世界」という3つのキーワードからっていうステップを示した事。

あとね、この前の難波先生と語り合った時の大洗の話でもちょっとでてきたけど「空母」とかの・・・。学校も「母校」とかね。だいさいさっき自分も「うちの学校」って自然に言ったしね。


諷虹 憧が全国に狙える学校に進学しようとしていたのが、阿知賀で狙えるなら、ってそっちを選んだのも好きなんですけどね。

この前シークレットベース・・・あの花のEDでも使われている曲ですけど、これは私の個人的な感覚なんですけど、「夏」に関する情景を描いた歌は体験したことはなくてもノスタルジックな感覚になれるんですよね。
妙に共感してしまう部分がるというか・・・


虚空 この曲がアニメで使われていた時って、途中で絵柄が大転換するよね。
めんまが成仏するのだって、世界が転換するわけだし、それによって幼い頃からのトラウマから次のステップにいけなかった高校生たちも転換できた、そんな話だものね。
めんま「みんながいつもめんまのことを見つけてくれる」


虚空 咲でいえば桃子も衣も本当の自分をみつけてもらえたような感じだよね。
あと、本編でも阿知賀編でも、「自分がふと思い当れる」ような形での麻雀の解説。「咲」という名前にちなんでいるとか「山」とか・・・そういう身近なこととつながったから麻雀にはまりこんでいっている。

それからね、本編でも阿知賀編でもね、主人公たちが「全国」を目指す動議がね、ものすごく個人的っていえば個人的じゃない。お姉さんに会うとか、ここの住み続けるとか、かつての友達と会って遊ぶんだ、とか・・・・そういう超個人的なことが出発点でありながら、本当に「全国」に突き進んでいくエネルギーが沸き上がっていく。


諷虹 ジャンプ漫画でも「全国には強いやつがいっぱいいる」っていうことで目指すんですよね。


虚空 バガボンドでもスラムダンクでもそうだよね。まともにはみていないけどドラゴンボールもそんな感じ?


諷虹 ストリートファイター2・・・「俺より強いやつに会いに行く」。
ゲーセンで地元で一番強いやつが他県にいって腕試し


虚空 それに比べるとね、主要キャラの動機は超個人的でしょ。阿知賀の部長は顧問を全国の決勝に連れて行くっていうのが主目的だったけどね。
全国に行くんでしょ、って確認しあう場面だって「指切り」したことを重視しているしね。
現代に「指切り」の効能ってどのくらい生きているのかわからないけど・・・極めて呪術的な行為じゃない。
和なんてオカルト全否定派のようで、そいういう部分はマメ。小指と小指のからみあいにどれだけの重みがあるのか・・・これはまったく呪術的な感覚だから。


諷虹 前話題になったように「全国」っていうのと「世界各国」っていう言葉の違い。「全国は全世界という意味でとらえられる」じゃないですか、字でみると。でも実際は「世界各国」の方が「全世界」。「全国」だと「日本全土」ですよね。

ただ、やっぱスラムダンクだとか咲で「全国」っていいう言葉でピクッと反応するところがあるじゃないですか。


虚空 「国」という言葉や「世界」という言葉が実際にそれぞれの子どもの中でどうつかまえられているのか・・・知識や概念での部分と、実感を伴う部分と・・・境界領域の話になっていくけどね。

そうするとやっぱり出発点は「おうち気分」。これをどこまで拡張して感じ取っているのかによって生き様=構えは随分とかわってくるよね。

学校なんて行きたくもない、というのとガルパンキャラたちみたいに「学校が母校・母体」・・・だいたいあのアニメで学校が空母の上にあるような設定というのもね・・・学園艦なんていって。

大洗を「ふるさと」としてとかいえば、学校も地域もあの子たちにとっては「おうち」気分。それを日本の国とか、地球全体とか、宇宙全体・・・あるいはミクロの世界とか、目に見えない世界、異界、・・・パラレルワールド、そこまで取り込めるかどうか・・・・。
実感を伴ってね。

このまえのNanba先生との大洗談義ってとっても大事だったんだね。


諷虹 ラインでソルティさんが「ふるさと」のことを話題にしていたじゃないですか。で、あの「ふるさと」の歌の出だしも
「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川」
虚空 「山」と「川」だね。咲の麻雀の話が最初に出た時から話題になっていたことだよね。

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*5月24日 のやりとり
諷虹 麻雀の「山」・・・捨てたところを「河」っていうんですよ。山と河って・・・それだけでいろいろな考察ができそうなんですけど、例えば山から牌を持ってくるわけですけど、一番最後の牌を海底(はいてい)って言うようになる、とかね。山が突然海の底になったり、捨てるのが河・・・そう名付けた人は一種の箱庭のような感覚で作っていたのかなって。

咲の主人公なんかも、嶺上開花(りんしゃんかいほー)っていうのが山の上に花が”咲く”っていう所が自分の名前と同じって言うことでその役が好きになる・・・というかその役でしか上がらないレベルにまでなるんですよ。実際にはありえない確率ですが。
原作 1巻より
咲 リンシャンカイホー?
照(姉) 麻雀の役の名前だよ
 「山の上で花が咲く」って意味なんだ
咲 咲く?おんなじだ!私の名前と!!
照 そうだね 咲
 森林限界を超えた高い山の上 そこに花が咲くこともある
 お前もその花のように――強く――
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虚空 「箱庭」って要するに世界をつくること・・・世界定めだからさ。
麻雀をやったことがないかわ分からんけど、あれって自分の思い通りにとか、意図通りに世界を創りたくても作れないわけだろ?やっている4人がそれぞれの思惑で寄ってたかって作り上げていく一つの世界。それぞれの思惑と運とを重ね合わせて出来上がっていく世界
原作 1巻より
この空間を支配する超人的な豪運が・・・人はそれを奇跡と呼ぶ・・・奇跡を可能にするのは・・・・神か悪魔ッ!!
「ふるさと」歌詞
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷


虚空 いってみれば「山」「川」(水)が「ふるさと」っていう場所を確定する要素だよね。そこに「父母」がからむ。


諷虹 のんのんびよりでもそうですよね。


虚空 実際には人によってふるさとの風景は違うわけだけどね・・・でもこれはお約束として日本人のDNAに刻まれているよね。これ、国によっては全然違うと思うよ。

それにさ、これも国際教育で3年生に「小さなリスの大旅行」を授業する前に上原先生に指摘されたことだけど、アメリカの原作のこの話は日本人には違和感のある話だと、そこに焦点をあててやるといい、と。具体的には「西部」とか「ふるさと」意識の根本的な違いなんだけどね。

(日米の違い)
諷虹 イスラム教とかの聖地巡礼なんかもそうなんでしょうね。
イスカンダルのは・・・

虚空 宇宙戦艦ヤマトね・・・あれもあの困難な旅への原動力は「地球というふるさとを守るため」そして「何としても帰るんだ」っていうお話だからね。デスラーとの戦闘も根底にあるのは、ふるさとの星の存亡をかけた戦い。でも次の彗星帝国では話の中心が違ってきた。


諷虹 自分の生まれ故郷が戦争で破壊されたのっていうのは非常に大きな原動力になるっていうのもありますよね、荒野のコトブキ飛行隊でもありましたよね。


虚空 ストパンだってそうじゃない。宮藤の扶桑はまだネウロイの侵攻を受けていない。だから故郷を滅茶苦茶にされたペリーヌとかの気持ちが分からなかったわけだよね。


諷虹 温度差ですね


虚空 それこそ平和ボケの理想論者にしかみえなかった。

戦後の日本人が「戦争反対」「核戦争廃棄」を強く訴えたのは、平和ボケの理想論どころじゃなかったわけだよね。それこそいつもいうように自分の子ども時代だって、親の世代はみんな戦時中の記憶を持っている世代。大人たちのほとんどが戦争体験者。その体験からの心の底からの叫びだったんだよね。自分たちだけじゃなくて、これから先の日本人たちにも、もう絶対こんな思いはさせたくない、っていう。


諷虹 第一次世界大戦とかの「火薬庫」っていう表現があるじゃないですか。日本は島国だから、戦国時代はともかく、陸続きで「ふるさと」の積集合的な・・・


虚空 皮肉なのはさ、戦争体験者がいなくなった今の日本人の方が「戦争反対」なんていうと「平和ボケした理想論者」と叩かれる。おかしな逆転現象だよね。

でもそれも、本当に実感がないから・・・アニメやゲームの世界の・・・痛みとか苦しみとか血だとか理不尽さとか・・・そういうのとはかけ離れた世界が、リアルだと勘違いしているから。
まあこれだけ幼い頃からナマの体験をさせないでバーチャルばっかりさせていればね。
行き過ぎた清潔志向とか安全志向とかがそれに拍車をかけている。

学校とかでちょっとでも怪我をしたり、服を汚したら怒鳴りこまれる。
そんな中で育っているんだから、そりゃ人の痛みも迷惑も分からない人間がたくさんできるよ。自分の意識世界だけが絶対なんだからさ。

それこそね、自分がいじめられていた頃ね、銀玉鉄砲っていうのが流行ってて、いつも学校帰りに的にされていた。それなりに痛いんだよ。だからさ、本物の弾があたったらそれこそ死ぬまでにもものすごく苦しいんだろうな、なんていつも思っていた。

最近エアガンで大怪我をさせたというニュースもあるけど、あれもゲーム感覚のまと当て遊びだと本人は思っている。自分がやられたらいかに遊びを逸脱しているのかがもう少し分かってもよさそうなものだけどね。
 

☆「量子論視点」からみる「咲 Saki 」・・・特に「量子もつれ」から

いきなり現代の身勝手な風潮について「モンスターペアレンツ」や「秋葉原事件」などをとりあげながらのやりとり。

それから量子論の観点。

そもそも量子論に関する番組を観始めたことから「咲」の話題になっていったのですが、実はその番組はまだ途中までしか観ていませんでした。

残りの部分の話題は「量子もつれ」。そこから「咲」について・・・そして古来日本人の発想や構えについてやりとりしています。

この現象世界を「うつしよ」としてとらえていた日本人の発想が、科学的な真実だったと証明される日も近い???
☆2019年6月8日 諷虹×虚空
虚空 今中学生にも話してきたんだけど、自分が狙っているのは最先端というんじゃなくて、古い時代の感覚を復活させようとしているだけなんだよ。万葉人とか江戸庶民の発想。

諷虹 ダンデリオンさんがよく引用している故事成語・・・それがこれだけ語り継がれてきているのはね・・・


虚空 そうなんだよ。そしてそれが最先端の数学とか物理学とかに本当に通じている。だから自然に頭の中で結びついてくるだけ・・・それはこの前の難波先生とのやりとりでも、駿煌会メンバーが自然に混ぜこぜの話を展開していたわけだけど・・・・小学校の国語が専門じゃないからこそ、自由に数学とか宇宙論とかアニメとか古典とかを結び付けておしゃべりできる。全員が。

諷虹 教育ママって言う言葉があるじゃないですか

虚空 懐かしいな


諷虹 あれってマイナスのイメージがあるんじゃないですか。それで「教育ママ」っていうと、無理やりで伸びなくしているような・・・我が強すぎて・・・

虚空 昭和に比べて遠慮がないよね。教育は個々人の権利だと思っていて、公教育に通わせている意識がない。

諷虹 一億総教育ママみたいな

虚空 さっき我が強すぎて、って言ってたじゃない。公教育っていう意識がなくなって自分の考えに合わせるのがサービスとしての公教育の役割だ、っていうとらえ方にみんななっているから。

諷虹 自分が学校に対していいイメージを持っていない反動なんですかね

虚空 公教育っていうのは、「通性」を問題にしていたわけだよね。社会的ルールっていうか・・・悪くいえば横並び。
で、それは完全否定されるべきものではない。社会的側面も無視はできないから。
でも、今は親も社会もそれを躾ける機能を失ってやりたい放題の無法状態

諷虹 今日って、秋葉原通り魔事件の日なんですよね。それで教育ママっていうことを考えたんですけど・・・

虚空 身勝手な理由の重大事件が普通の感覚で起きる。「ストレスがたまっていたから」といえば何でもやっていいかのように言い訳をするでしょ。地位の高い人も。
それじゃあ、子どもや若者もそれを見習うよ。

でもさ、客観的にみればまだまだ今の日本は自由が許されている国だよ。
制限があるっていうことの意味を再確認する必要はある。

量子論でいえばさ、モヤの状態だけ。ビシッと粒子になることも必要。
この前のNanba先生との話の時にも出たけどさ・・・・。

逆に粒になることを学校でやっているのが、自由への迫害と受け止められるようになってしまっているのもね・・・。理不尽な暴言は許されない事だけど、本当に真剣にこれは叱らなければいけないという時に、ビシッと叱るのだって、教師というよりは大人の役目・責任。でもそれをやると何でも「パワハラ」とか「虐待」と言われてしまう。

あと数年もしてみなよ、もしかすると大人が子供や若者から脅されるのがあたりまえの時代になるから。

だって、自分が教師している頃だって、今でいうモンスターペアレントの子が「僕を叱ったらおかかさんにいいつけて教育委員会に訴えてやるからな」が口癖だったからね。それでやりたい放題だった。

本当に直すべきことがあっても、誰も注意してくれなくなる、って本当は大変なことなんだけどね。

諷虹 何でもそうですね、社長のバカ息子とか。

虚空 秋葉原の事件だってね・・・そりゃ教育環境として同情できるところは多々あるけどね・・・でもそれでやっていいことかどうかは全く別だよ。自分なんて知らぬが仏で過ごしていたけど、犯人の決行の決意があとちょっと早かったら、被害者になっていたわけだから。(買い物のためにあの日、あの現場を数分前に2度通過していた)

☆中断していた「量子論」の番組の続きをみる
「シュレーディンガーの猫」の解説・・・「量子が波であり粒、観察されるまではモヤ」そんなことがあるわけないという反論。量子の世界を説明するシュレディンガー方程式を考えた本人が最も疑っていた。
観察されるまでは確固たる存在ではない=生きている猫と死んでいる猫がフタをあけるまでは同時に存在している

虚空 この変なところは、生きているか死んでいるかの確立が50%ではないことだよね。既に箱の中で結論が出ている・・・それを当てる、という確率ではないてね。


諷虹 テスト返される時みたいなね。「何故一喜一憂するのか?」って高専の先生が嘆いていましたけど。得点はテストが終わった瞬間に確定しているわけだから

虚空 この思考実験では、開ける瞬間までは箱の中でもどうなっているか確定していない、っていうことだからね。開けない限り生きているのか死んでいるのかも決まらない。
シュレディンガーは「そんなことはあり得ない」と反論した。
同様に異論をとなえたのがアインシュタイン。
「君は君が見ていないときには、月がそこに存在しないと本当に信じているのかね?」


諷虹 雀荘から出た瞬間に「ああ、もうこんなに明るかったんだ」って・・・これとは違いますが、存在は信じていても、実際に目の当たりにした時の感覚は別。知識としては知っていても、実感を伴ってはじめて「確定」っていうか・・・

虚空 量子論的にいえばね。

諷虹 となりの吸血鬼さんで外出するエピソードに共感できるのもね・・・。日光を浴びて灰になりそうな感覚になることがありますからね。
ボーアはアインシュタインと激しい論戦。とうとう決定的な反論を見いだせず、自ら量子論を裏づける「量子もつれ」のことを発表する。でもそれを本心で受け入れられなかった。
現代では「量子もつれ」が示された。
諷虹 納得するかは別として、ですね。


虚空 そこがアインシュタインの偉いところでもあるよね。自分が納得できないからといって事実をねじまげたり、隠蔽はしない。それが科学者としての良心でもあったのかな。
「ベルテスト」実験・・・量子もつれが確かめられた。
ねこ「この宇宙は量子の世界の不思議な理に支配されている」

(ハッブルがネコに ニコラスコペルニクスという名前をつけていたことをあれこれ言ったあと、諷虹「自分も犬に蘭丸ってつけたんだから人のことはいえませんが・・・」

「量子もつれ」と「宇宙」の関係の研究が進む
(例 ハッキング防止の通信網研究)
アメリカ 量子コンピュータ―の物理学と、宇宙のなりたちを考える物理学が合体をして面白い研究が進んでいるといいます。
「量子コンピューターの科学者たちが編み出したテクニックは私達が時空について考えるときに、大きなヒントになります。
たとえば重力と量子力学の関係を考えるときに、量子コンピューターの理論が役立つのです。⇒ブラックホールと量子力学 

そのキーワードが量子もつれ。
「最近の研究で量子ビットが十分に強く相互作用した場合に、重力が働く宇宙が生まれることが分かりました。

相互作用がなければ 重力も宇宙も出てこないのです。
諷虹 エヴァのセカンドインパクトとか・・・アダムと使途が接触した時に起きる・・・っていうような
それに限らずいろいろな・・・・「科学と魔術が交差する時、物語がはじまる」(とあるシリーズキャッチコピー)

虚空 今自分がフト思ったのは、阿知賀編にでてきた部長副部長・・・鍵でリンクしている二人。宮永姉も言っていたじゃない「あの二人にはプロでも苦戦」って。本当は一人なのに、二人・・・

諷虹 リザベーション【reservation】ですね。
ピクシブ百科
哩と姫子の2人1組で完成するリザベーションと呼ばれる能力を持つ。 
まず哩が初期状態の配牌から「自分がX飜で和了る」という縛りを自らに課し、一度牌を伏せて起こす動作を行う。その縛り通りに和了ることができれば姫子が同じ局でXの倍の飜数で和了する事ができる、というもの。 
発動すると、哩がその飜数と同じ数の鎖に繋がれるエフェクトが発生。セルフ緊縛プレイである。そしてその「縛り」の感覚は相方の姫子にもビビクンと伝わる。 
ちなみに、リザベーション(reservation)とは「予約」とか「保留」という意味。新道寺の制服や哩自身に散見される「縛る」イメージはこのリザベから着想されているのが分かる。 
諷虹 どっちかっていうと量子もつれかもしれないですね。部長がやったことで後輩はその2倍になる、っていう関係ができている
麻雀から離れて考えると・・・


虚空 いってみれば「時間差量子もつれ」かな・・・まあ普通に「因果律」の約束っていってもいいんだけどさ・・・ただ、客観的にはそうした因果関係の間に情報とかのものがないわけだろ。そこにはっきりした情報共有の手立てがあってのことだったら「因果律」って言った方がいいんだろうけど、不可思議な連鎖だから「時間差量子もつれ」って言った方がいいような気がする。

まあ、確実100%でないところは確実に相関している「量子もつれ」というたとえにはならないかもしれないけどね。
新道寺女子 白水哩「私のあがりは、普通の期待値では測れん!」

諷虹 この二人だけの世界で成立していること

虚空 だからその尺度で自分らを考えるな、っていうことだよね。
ネット この二人の解説(ピクシブ百科)
「彼女との絆の深さが姫子自身の能力と麻雀の強さに大きく関わっている。そのため百合カップリングが存在し(まいひめ)哩とのツーショット状態でのイラストが目立つ」

虚空 この百合関係って、この二人だけじゃなくて作品全体でいっぱい出てくるよね。
それでそれぞれの関係の中で・・・マア、咲と和は普通のカップリングかもしれないけど・・・特殊能力の源泉の一つになっている・・・これって、二人だけの間にパーソナルリアリティーが成立しているともいえるかね。


諷虹 咲と和は「オカルトとデジタルの融合」と言えるかもしれないですけどね。それが溶け合って・・・・

ピクシブ百科 「ビビクン」
「ビクン」の上級表現。主に白水哩が能力を発動した際の、鶴田姫子の反応の擬音。           
白水哩が能力「リザベーション」を発動すると、その感覚(拘束される様な感覚)が鶴田姫子に伝わり、『ビビクン!』と彼女が反応するのである。
番組
コンピュータ―の中で使われている量子ビットがもつれると宇宙が生まれるという
「量子ビットを1本の糸だとすると、それが量子もつれによって複雑に織り合わさり、時空という布が出来上がるといういうイメージです」
諷虹 君の名は、ですね


虚空 まさにね
「まだ理論上の話で、実験はされていませんが、ごく小さなシンプルな時空であれば、研究室でつくり出すことができるのではないかと考えています。

「宇宙で起こることはすべて、この外側のスクリーンに描かれているようなものです。
現実の究極の記述はこのスクリーン上にあります、量子ビットの一種だと考えてください。
それが動画のプロジェクターのように3次元世界の幻想をつくり出し、私達が経験しているのです。」
つまり、3次元のぼくらは本当は量子ビットに記録された2次元情報でしかない、ということ。それが量子もつれのおかげで3次元のこととして写し出されているということ」

諷虹 ホログラムですね(この前科学雑誌の記事に載っていて話題になった)


虚空 日本人古来の発想にどんどん近づいているよね。この世は「うつしよ」見えない世界の投影っていう・・・・
「非常に小さい量子力学と宇宙論というのはマッチするようでマッチしない部分があって、これを完全にマッチさせることができれば生き物から星からいろんなスケールのことに関係づいた理論が作れる。そういう意味ではまだまだ研究段階ですけど面白いことが待っているんだなと思うと、研究者の立場からすると非常にワクワクしています。」
諷虹 いろんな格言で「〇〇は人生だ」って。いろんな自然現象と結び付けようというのも似ているかな、って。重なりがみえてくる。


虚空 精神活動っていうのは、ミクロ宇宙に属すると思うんだよね。だから量子論と滅茶苦茶相性がいいと思ってるし、実際にこの前から出ているように、本当に結びついている。
単に思い付きだろうと言われていたけど、こういう宇宙番組で紹介されている内容が、本当に関連することばかりになっている、っていうのはね。

さっき、アインシュタインが今の時代に生きていたらどんな顔をするだろう、って言っていた学者がいたけど、あの時代では科学的に彼の思考実験や理論を実証するだけの科学技術がなかった。でも今は、実際に計測できる手立てが増えてきちんと確かめられている。

それと同じようにさ、駿煌会で語り合っていることも、単なる思い付きではなくて、本当に客観的な事実だった、って証明されるのもすぐそこまで来ているかもしれないよ。


諷虹 ミクロコスモとマクロコスモ・・・相互作用・・・いいかえれば宇宙との振幅ですよね。


虚空 人間の意識の中では、とっくの昔から成立させることに成功していると言えるよね。

最初に中学生に「最先端の教育は、過去の発想法の復活」っていうことを話していた、っていう話をしたけど、これを観終わった今、改めてやっぱりそうなんだな、って思った。
・・・それが古典を学ぶ意義でもあるわけだ。最先端を察知するための古典。

諷虹 ようやく観終わりましたね。3週にわたって・・・


虚空 でも今日までかかったことがね・・・咲を自分が見ていない段階で観てたとしたら「ふーんそうなのか」で終わっていたかもしれない。


諷虹 リザベーション【reservation】の話は私からじゃなかったですからね。


虚空 咲の話が量子論から飛び出した最初の2回のを今日ブログにアップしたわけだけどさ、あの時点ではまだ咲のアニメは観ていなかったわけだよ。で、今日、アップの作業をしながら読み返すと、さらに「ああこういうことだったのか」っていうのばっかりだったからね。

(片付け作業をしながら)
諷虹 来週覚えていたら話そうと思っていた議題なんですが・・・(メモをしながら)・・・フランドール妹と天江衣って書いておくか。
さわりだけ話すと衣って 「海底撈月 はいていらおゆえ」って一番最後のところの・・・牌であがるっていうのが、それが元は麻雀的には海に映った月を救いとる、ってらしいんですよね。

⇒あるサイトでの紹介冒頭文
「海に映った月をすくい取る」そんなロマンチックで美しい名前を持つ役、それが海底撈月(ハイテイラオユエ)です。別名を海底摸月(ハイテイモーユエ)とも言いますが、海底撈月には四字熟語で「無駄骨を折るだけで全然見込みのないこと」という意味もあります。ロマンチックな名前を持ちながら、なかなか見る事ができない海底撈月とは一体どんな役なのでしょうか。


諷虹 で、この月でフト思い出したのが、フランドールっていう東方に出てくる一番最初のシリーズって言っちゃっていいんだと思うんですけど、最初のシリーズの裏ボスが吸血鬼の妹なんですけど、気がふれてて人間とかを見境なく破壊してしまうっていうのがあって、あまりにも危険すぎるから吸血鬼の姉が屋敷に閉じ込めていた、っていうのが、雨の日に出てきた、っていうのがあるんですね、設定的に。

衣もそういえば幽閉されていたよな、って。で、フランドールっていうのも二人とも吸血鬼なんで月をバックにして描かれていることが多いんですけど・・・・


虚空 自分もちょっとメモしておこう・・・「月への幼子がよくやるやつ」で・・・月が自分に付いてくるように感じる・・・歩いている時ね。
それから水面に写った月を取ろうとする。
あと貴族の遊びで、水面に写った月でお月見をするとか・・・・


諷虹 酒なんかもそうですね


虚空 そうそう。盃の中の月を楽しむ・・・これはちょっとね・・・個人的にね。
昔は花見っていったら桜よりも梅。梅の花を酒に浮かべてそこに写った月と梅の香りを楽しむのが非常におしゃれな楽しみ方だったというようなのをテレビでみてさ、さっそくうちの庭の梅が咲いたらやってみようと思っていたんだよ。
そしたらその矢先に起きたのが東日本大震災だったんだよ。


諷虹 ああそうだったんですか(苦笑)


虚空 もうそんな梅の花を浮かべて花見なんて風流なことをしているどころじゃなくなった。
おちついてきた時にやってみたけどね・・・・。
あとそうそう、衣ってウサギ・・・いつもうさ耳をくっつけているじゃない。月を意識していたのかね?

月をすくいとるっていうのからの連想じゃないの?
何でこいつはうさ耳をくっつけているキャラなのかな、ってずっと思っていたんだけど、さっきの話きいてそんな風におもった。

参考 この後、帰宅中の車の中で、衣と対戦している時に、みんな増水した水に溺れるような描写があるが、これって満ち潮のイメージなんだろうな、と。
アニメでも実写劇場版でも「満月の描写」はあるが、実写版はそれほど月を流れとリンクさせていない印象。
夜明け前、アニメ、映画版で衣との対戦後半を見比べる。
微妙なセリフや動きの違いでだいぶ印象が変わる。
原作は未見だから確かなことは言えないが、衣の心象と響き合っているのはアニメ版の方と自分は感じた。

☆「咲 Saki 」と「山意識・鳥瞰視点」と「構えの変革」

2019年6月7日 諷虹宅でのやりとりです。

先日アップしたラインやりとりの記録内容と前後しているので、同じ話題などが出てきますが、これはこれで一つのやりとりとしてのまとまりがあるので、ライン記録で紹介した資料などもそのまま載せておきます。

麻雀漫画を通してのやりとりではありますが、最終的なねらいとしては「山」ということに何を感じているのか、そこからどういった「視点」を日本人が獲得してきたのか・・・そういうことの考察です。

そうしたことによる「構えの変革」(神話的思考の獲得)が実際の生活でも短時間に大きな成長の変化を起こしうるということにも言及されています。
⇒それが日常化しているのが「英才児?」
虚空 で、まずこの前のラインでの質問なんだけど・・
「諷虹君・・・阿知賀編の原作に、予選前、山に行って暗くなってしまうエピソードってある???」


諷虹 多分ないと思いますね・・・


虚空 じゃあ映画オリジナルエピソードっていうことだね。
大将戦の前の先生のセリフはどうかな?


諷虹 たしかなかったと思いますね。


虚空 このところのことを交通整理する上でいいとっかかりになりそうだから覚書きとしてさっき載せたわけだけど・・・・

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 虚空 覚書
*外伝主人公(穏乃)が修験道の山の中で自分の能力に目覚める場面・・・コミック・アニメ版
・「修験者が修行のために歩いた深山路、そこを修行ではなく庭のようにかけまわっていたという。」
「女の子が山を?」
「その幽邃(ゆうすい=景色などが奥深く静かなこと。また、?そのさま。)の地でひとり、しずのは何を感じ取ったのか」
・穏乃(あの頃――山の中で一人でいる事が多かった――
  だからこそ自分自身と言うものをハッキリと感じることが出来たし色々考える時間が出来た気がする
  いつか意識は自然の中に溶け込んで――深い山のすべてと一体化しているような。そんな気分になったんだ。
  今、牌の山も対戦相手も、あの頃の山のように感じる!!)
劇場版、穏乃悟りのセリフ
「子ども麻雀クラブのみんながバラバラになったあと、山の中で一人でいることが多かった。だからこそ自分自身というものをはっきりと感じとることができた。
深い山の全てと一体化しているような気分になったんだ。
それはきっと今まで出会った人たち、今目の前にいるこの人たちも一緒。
触れるほど私の力になってくれる。
そう、あの深い山々と同じで。」

先生(対戦をモニター観戦しながら)
「そっか、シズ。目の前にいるのは敵じゃないんだね。私がずっと恐れていた準決勝という山に・・・」

⇒土曜日に語り合ったことや、富士山のことや、ラインでのやりとりとの接点がいろいろありそう。
あと、どこにあったかみつからないんだけど、子ども麻雀クラブがなくなって麻雀を打っていなかった期間が無駄ではなかったと独白している部分もあり。
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虚空 あとさ、ラインでもふれたけど、麻雀から自分が離れていた間に和はちゃんとした時間をすごしていた、って劣等感を抱いている場面・・・・(原作からみつける)


穏乃 (原作6巻 P132)視界良好。なんかのインタビューで和が言っていた。1年半くらいずっとひとりでネットで打っていたって。和のひとりな時間はムダにならず、今の和を形作っている。
私は2年半ひとりで山を駆け回っていただけ。和とくらべて最初はヘコんだけど、今は違うんだ。それもまた力になっているから。


虚空 ここなんてさ、「積分的な見方」・・・コバルトブルー君が「一瞬懸命」ってさっきラインに書いていたけど、それは決して「微分的な見方」ではないと思うんだよね。その一瞬一瞬が濃ければ濃いほど、見えないところの蓄積が累乗的にたまっていく。
それこそ共振共鳴での倍々。


諷虹 これに近い言葉で「一所懸命」ってありますよね。

ネット検索 Wiki
一所懸命の土地 (いっしょけんめいのとち)は、中世日本において各々の在地領主が本貫とした土地であり、命をかけて最後まで守り抜く覚悟を持った土地をいう。その土地の地名を名字として名乗ることが多い。また一生懸命の語源でもある[1]。


諷虹 イチローの話にも通じますね、一曲を何度もずっと聞くっていう話。


虚空 昔さ、教室でジブリアニメなんかを教材として見せた時にね、「あーもうそれ観たことある」ってがっかりするような反応の3年生と、「ワー、それ面白いんだよね」とまるで初めて観るかのようなワクワクした表情で観た3年生がいたよ。

同じ3年生でも随分違う。「知っている」=「分かっている」=「観たってつまらない」っていう意識になってしまっているんだろうね。

でも何度観ても、っていう子は常に新鮮な感覚。幼い子がトトロを何度も夢中になってみるのはこの感覚だよね、知識でみていない。


諷虹 たまたまAT-Xで再放送をやっているのをみて「オッ、やってるじゃん!」っていうのと似ていますね。


虚空 それだけ自分達は知識でみていないんだよ。乳幼児波並みの新鮮さ。
一生懸命に作ったスタッフさんには悪いんだけど、劇場版では天江衣がまるで妖怪。でも原作とかアニメでは極端な幼児性も持ち合わせていたでしょ。ものすごくちっちやい女の子のような可愛らしさをみせている中で、チラッと怪物の顔をみせる。だから底知れぬ見えない恐怖を抱かせる。

対戦後もそれをひきずるから対戦相手がみんな精神障害をきたしてしまうみたいになったわけだろ。怖そうでないのがそうだから、っていうのが天江衣の怖さだということなのに、そういった側面は劇場版では演出されていない。ただただ精神の歪んだ妖怪みたいな背の低い子。

日本人の「両義性」とか「陰陽一元論」っていうのは、決して西洋合理主義のような意味での「両極」でも、中国的な「陰陽」でもないと思うんだよね。
むしろ両極の間に無限のことがある・・・内包されている。

それは虚数空間の中で、実軸の裏側に無限があるように・・・あるいは、最先端の宇宙論で「究極の真空」だからこそ「宇宙のすべてが誕生する可能性を孕んでいる」というような意味での。
それが天江衣とか宮永咲とか高鴨穏乃とかのキャラに現れているような気がする。超天然であるようで、化け物。
あとはね、劇場版の先生のセリフ。これは土曜日の難波先生とのやりとりなんかを随分と思い出したよ。教育者としての基本姿勢としてね。

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アニメではなかった劇場版の先生のセリフ 大将戦に向かう穏乃に
「シズ、10年前の阿知賀はこの準決勝をもえられなかった。
私にはこえられなかった山なんだ。

だから細かいアドバイスは出来ても、もうこの先の道のりを私は知らない。
ここからは私が導くんじゃなくて、みんなが歩いていく道。
山頂まで登ることがすべてではないし、山歩きにもいろんな楽しみ方がある。シズも無理せず楽しんできて。」
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虚空 さっきもいったようにね、いかにも怖いヤバそうなお姉さんが、実際にヤバかった、っていうのは「想定内」っていえば「想定内」じゃない。だから相手だって極端なダメージはない。でもね・・・・

Fate/Zero の出目金コンビの「恐怖には鮮度」っていうのと同じでさ、やっぱりその落差が問題。それを原作者はちゃんと意識して描いているよね。個々のカップリングのエピソードもそうだけどさ。


諷虹 アニメでは麻雀以外の部分が肉付けされていたかな。龍門渕のドジっ子メイドみたいなのもアニメオリジナルですね。


虚空 だからさ、アニメスタッフの原作のそうしたことをちゃんとふまえて作っていたと思うんだよね。そこがね・・・劇場版の天江衣はただの妖怪みたいな変は子にしかみえない。
そういうことからいうと、同じスタッフなんだけど、阿知賀編の劇場版の方がずっとまとまっている。役者の演技も前作の超学芸会レベルよりはよくなっているし・・・。

(全国編)身長高い子・・・(姉帯豊音)

諷虹 漫画で勝手に声が低いと思っていたんですが、高いんですよね。


虚空 それもこれのギャップ要素だね。急に幼子みたいにシクシク泣きじゃくったり・・・作画ミスと思うくらいに大きな子なのにね。
この留学生の子(エイスリン・ウイッシュアート)もそうだよね。
「一人だけど一人じゃない」・・・よくあるパターンっていえばよくあるパターンだけど・・・


諷虹 雪深い山奥に知られざる逸材が、っていうのもね
虚空 昭和のアニメで「アパッチ野球軍」ってのがあった。そんなに真面目にはみていなかったけど、通常の人知を超えた規格外の運動能力のメンバーがそろってのチーム。
OPの動画
https://www.youtube.com/watch?v=CZRRDJs3dnQ
豊音(背の極端に高い子)についての、巫女のコメント
「山分け入れば美しき女あり。身の丈高き女、梳きたる黒髪はその身の丈よりも長かりき。」

虚空 なんだか柳田国男の遠野物語っぽい表現?
*巫女チームのことを調べる


虚空 天岩戸みたいなのをふまえた場面ってあったよね。


諷虹 だいたいこの大将のキャラ名が「石戸霞(いわとかすみ)」ですから。


虚空 あの眠り姫は?あれが一番神格が高いんだよね。


諷虹 本家の子ですね。神代小蒔ですね。、声は早見さんなんですね。

ピクシブ百科「神代小蒔」
キャラクター
無名校が相手でも侮らずに当たろうとする、気真面目な性格の頑張り屋さん。ただ天然気味で浮世離れしたところもあり、対局中でも構わず居眠りしてしまうことも。 
昨年の全国大会で大活躍し、天江衣と並び称された、所謂「牌に愛された子」。インターハイ2回戦で彼女と対峙した優希も、咲に似たものを感じ取っていた。 
麻雀
「起きている」時は特に目立つ能力のない普通の頑張り屋さん。むしろ分家であるはずのメンバーにも「トバされなかったらなんでもいい・・・」と言われてしまう程の実力のようだ。 
 
しかし小蒔は眠り姫よろしく「寝る(眠る)」ことで神をおろし、能力を発揮するのである。さらに「二度寝」によって鬼のような強さが「覚醒」するようで、IH2回戦後半のオーラスでは片岡優希に三倍満を直撃させることに成功した。 
 
降ろす神にはローテーションがあるようで、IHの日程にあわせて準決勝から順に強い神が降りるように調整していたこともあり、2回戦では比較的力の弱い神が降りていたために大きく活躍はできなかったとか。小蒔は個人戦にもエントリーしているため、そちらでの活躍も期待される。 


虚空 これって、降りてくる神様を選べないんでしょ?


諷虹 その時その時は選べないですかね。前もって儀式とかでおぜん立てしておけば・・・って感じですかね。


虚空 寝ぼけた天然さんみたいな巫女さんが怖い神に憑依されて人格が変わるじゃない。鬼のように。・・・でも鬼のようなコワイ表情とか語り口になるのとは違う・・・人間としての感情が失せているような雰囲気。

ラインで出てきている「山」のことと関連するんだけど、「人知を超えた世界」だからこそ「人間要素」から離れる。それをヒマワリフクロウさんも直感して「富士山」について語ったんだと思うよ。

「ガラスの仮面」で野生児を演じることになった主人公の北島マヤが山で放浪して、やっとつかみとったのが人間としての表情を失った境地。人間らしい感情で悲しむのではない、虚ろな表情。人間であることを切り離さないと到達できない部分。
「無念夢想」なんてなかなかできるものじゃないけど、神に近づくためには、人間的な部分をどうやって一旦オフにするのか。

千日回峰行での堂入りなんていうのは、生きた状態で死人になるっていう荒行。多分思考も感情も停止するんだろうね。
*巫女軍団に対しての岩手の先生(熊倉トシ)の言葉
「天の八重棚雲を押し分けて、稜威(いつ)の道別(ちわ)き道別きて、
筑紫の日向の高千穂の久士布流多氣(くじふるたけ)に天降りましき
六女仙を従える、霧島神境の姫

虚空 今やっとヒマワリフクロウさんの高1の時のやりとりをみつけた。
(先のブログ記事でも紹介していますが、一応また載せておきます)
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虚空  あなた、富士山ってどういうイメージ?
ヒマワリ 青い、デカイ・・・
虚空  あなたがさっき「今、悩んでいることがある」って言ってたよね。それでもしトボトボ歩いていて、フッと顔をあげたら目の前に富士山がみえて、その瞬間、富士山があなたに何かを語ってくれたとしたらどんなことを言ってくれるような気がする?
ヒマワリ (沈黙のあと)何を言ってくれるんだろう・・・。・・・何を言ってくれるんだろう・・・。
・・・・なんかアドバイスしてくれるにしても、結局それは自分が「あっ、富士山はこういってくれているのかな」って自分が自分にアドバイスしてるみたいな・・・。(注 かつてライフインデキスなどが自分の内面の投影・移りというような内容の塾便りを読んでいることが影響してる発言?)
虚空  マアそういうことなんだけど、じゃあどんな内容になると思う?具体的な中身はともかく。
ヒマワリ とりあえずあれか・・・「悩むだけ悩め」と言ってくれるのか、それとも「こうだよ」みたいなことを言ってくれるのか・・・・えっ、どっちだろう?知らねェって!・・・何を言ってくれるのかな・・・山だしね、偉大だし・・何かためになる事というか・・きっとそんな無駄なことは絶対言わないだろうし・・・。
虚空  無駄なこと?例えばどんなことが無駄なこと?
ヒマワリ 何で悩んでんの?みたいな事は言わないじゃん・・ぜってぇ(絶対)。普通になんかこうこっちが「ねえ、富士山。今日こんなことがありまして」みたいなこと話しかけなくても、「もう分かっておる」みたいな・・・だからこう「富士山」みたいなことをやったら「ああ、そうか」ってみたいな感じで、ただ話を聞いてくれるっていうのは、もう分かっているっていう感じだから、富士山は・・・もうなんかアドバイスしてくれるか・・・
アッ、違うな・・・「おのれで!」みたいな。
虚空  じゃあアドバイスしてくれるとしたらどんなアドバイスになりそうだと思う?
ヒマワリ そうだな、具体的に言ってくれるんじゃなくて、自分でこう「道」・・・自分の中から答えを見つけ出せるようなヒント的な・・・タヌキみたいな!?・・・事を言ってくれると思う。(真面目に発言しているのだが、タヌキとは虚空をさす) 
虚空  ハア、そこでタヌキと富士山を重ねてくれましたか。
ヒマワリ うん。
虚空  何と畏れおおい!
ヒマワリ ハハハ!
虚空  じゃあ、富士山のかわりに樹齢何百年とか何千年とかの木があったら?
ヒマワリ そりゃもう寄りかかっちゃうかな・・・というより抱きついちゃう。ここに木があったら(自分の後ろ)こんなんとか。(体育すわりでよりかかる)・・・それかもうコテッみたいな(脇に木があって寄りかかって寝るような姿勢をとり)とりあえず「支えて」っていうか「助けて」的みたいな。「どうしたらいいの」って感じてコテッって。で、しばらくこう、またそん中でいろいろ葛藤したりなんだり・・・・なんかそんな感じで、きっとスッキリしたりするのかね。で、そんで「ありがとう」って言って「また来るよ」みたいな感じかな。
やっぱ、富士山と木って言われたら木を選んじゃうと思う。
虚空  どういう感じで。
ヒマワリ 何か、身近?木の方が。
虚空  富士山は身近じゃないか。
ヒマワリ 茨城にあるわけじゃないじゃん。富士山って「スゲエ」みたいなイメージはあるけど、やっぱもう・・・どういうイメージだろう・・・「神」っていうか「天」っぽい感じするんだよね。
虚空  どういうところで?
ヒマワリ 雲!雲の上に出ているじゃない。それにやっぱり青とか白とか・・そいう色っていうか・・・何か遠くに感じる。で、木はスゲエこう「先輩」って言うか、何でも分かっている」「何でも知ってる」的な・・・そうすると富士山もそうじゃんってなっちゃうんだけど、何か木の方が好き。・・・・緑っていうのも・・・太い!太いっていうのも好きなのかな・・・何かよくない?木って。根っことか超こうなってるのが、超よくねぇ?そこに何かね・・・手を広げているっていうか。
富士山だと寄りかかっている感じがしないと思う。どっから富士山みたいになっちゃうし。・・・でもどっちも偉大な人って感じ。人?言ってることは同じような気がするけど・・・違うか。もし由佳が悩んでいるとしたらかけてくれる言葉は一緒なのかな・・違うか。木はちょっと休める感じがする。・・・・(しばらくブツブツと自問自答が続く)
ヒマワリ 山が身近にないからね・・だから遠くに感じる部分があるんじゃない。由佳は富士山を軽蔑しているわけじゃないんだけど、やっぱり木がいい。木とか花みたいな・・・。
(木や花についての雑談後)
虚空  ねずみは米が好きの主人公がトボトボ歩いていた時に富士山が助言したらどんな助言をするんだろうね。
ヒマワリ でも、あれじゃん、やっぱ・・富士山は(と言いかけて)いいや、意味わかんね。
虚空  わかんないままでいいから。
ヒマワリ ・・・・富士山はマジ、めっちゃこう「人生なみにやべえ」って時に相談に行く感じだから、恋愛っていうの・・
虚空  初恋系?
ヒマワリ 初恋系は身近なこの花とかに「あのさあ」みたいな方がいい感じのノリで多分言ってくれると思う。富士山って・・そこまでなんかデカクないからみたいな・・そんな感じしない?「マジ、男の子にチョコあげようか、どうしたらいいかな、富士山」みたいなこと言っても「富士山、困っちゃう」みたいな。その辺のチョウチョだったら「そうね」って返してくれそうな気がするけど・・・富士山はマジ、本当に困った時に言って、後はこの辺の金のなる木あたりに言っておこうみたいな感じがすげえした。
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諷虹 富士山って「海でも宇宙」とかでも通じる・・・相対的スケールみたいなものかな。
自分の悩んでいるスケールとか富士山とか宇宙とかと比べれば相対的な尺度になれるっていうのかな

虚空 うちの例の親戚がね、自分のことだとささいなことでも大騒ぎするくせに、他人が悩んでいたり病気で苦しんでいると、決まって「何よそのくらいで!大袈裟な!!!私なんかね、もっと大変だったのよ」なんてケチつけまくる・・・若い頃から身近な人に対してはね。
相対的っていっても、そっちの方へ突っ走ると、余計に相手を追いつめてしまうことだってある。


でもヒマワリフクロウさんの感じているのは、単に「お前(人間)の悩みなんてちっぽけだ」と見下すっていうのとは違う視点だよね。


それこそ心意伝承的・・・。神道とか仏教とかキリスト教の浪漫主義なんかにみられるような「神性(仏性)を誰もが宿している」というような、絶対的な肯定感。
極端な言い方をすると「人知を超えた部分がちゃんとお前にもあるんだぞ。」ってスケールアップを期待している。


諷虹 今みえていることとか、今までにあったことの中に正解があるんじゃなく、もっと奥地・・・それこそ山の奥とか海の向こうとか宇宙の果て・・・そういった人知の及んでいないところ・・・


虚空 それが「咲」の中にもあちこち出てくるよね。


諷虹 そういう意味では高校の部活っていう設定じゃないですか。加速度的な成長。一日でどんだけ成長するんだよ、っていう場面もある。


虚空 麻雀でそういった変化が本当に起きるのかどうか分からないけど、プログラム学習とか公文式とかは、スモールステップで変化していくものだという大前提があるわけだよ。そんな発想からすれば、こうした変化は作り話。

でもね、実際に小学生を教えていた時も、家庭教師をしていた時も、何かをきっかけにして一気に大きな変化を起こすっていうのは何度もあった。

構えが変っただけで大変化。それこそ周囲も本人もビックリするような・・・それまで最も自分が苦手とか嫌いだったものに、案外大きな変化が起きる。
そういうのをいっぱいみてきてるから、咲のキャラたちの急な進歩にもそんなには違和感がない。
だから自分は最終段階では「構え」っていうことにこだわっている。

構えの変革で日常とか自分が変った・・・魂が入れ替わったレベルでのトランスフォーメーション・・・それがおきてからのイマジネーションは、低学年の時の自然発生的に湧き上がってきて、そこから伸びていくようなイメージとは違う。


聖徳の子は、葛西先生の言葉を借りれば分母分子の転換が起きたあとでも潜在世界から離れようとしないし、結果として自由自在に分母分子を入れかえているから、去年の公開授業の時のように、さも知性や思考とは無縁にイマジネーションを起しているようにみえる時もあるけど、でもそれとはちょっと違うような気がする。

だからさ、「宇宙の振幅作文」であれだけ知的なものばかりを書いていた子たちが、絵をみての作文ではまったく違った姿をみせてくれた。両刀使いだね。
*染谷まこ(過去の様々な対局データがインプットされている子)が、ド素人や中国人留学生に大苦戦するエピソード


虚空 これなんてまさに「知識に縛られる」っていう典型だよね。それだったらなまじ過去のデータの蓄積にたよらないで、今の自分に素直に打った方が勝てそう。
とんでもなく弱い相手にも負けるエピソードがね・・・しかもご丁寧に合同合宿での再戦でもまた負けている。まこだけじゃなくて、試合で一緒に負けた別の強い子も・・・
「ビギナーズラック」として描いていたけど、それだけでは片付けられない場面だよね。

*12巻 第117局「景色」
虚空 最初に紹介された「山」だとか「川」だとか・・・で、このタイトルが「景色」。じちゃん譲りのメガネで別世界になったというような・・・。

これって、最近は特に痛感するよ。本当に極端に見え方がおかしくなっているから。ブルーレイの高画質でも自動的にDVD画質に変換してる、って言い方をしていたけど、最近じゃそれ以下の画質にダウンコンバートだもんね。

そうすると、つい数年前とも全く違う世界に生きている感覚だよ。暗いところでも見え方も極端に落ちているからね。周囲の人間とも全く違う世界。


諷虹 神性と野生でしたっけ・・・分母分子のここらへんで・・・さっきの山の奥地とか、宇宙の果てとか、人知が及ばない部分っていっても、人知が及んでいる部分がはっきりわかるから、及んでいない部分が分かる。


虚空 それもさ、黄泉の国を突き抜けての禊、とか、熊野の六道図のような構造とかと関係ありそうだね。現実を十分に踏まえてこそ突き抜ける境地。


諷虹 そういう意味で英才児って、小さい子が知識がなくて自由にイメージすることで時に深いところに到達するんじゃなくて、知識を持った上で、その持ってる知識とか学問ではどうにもできないような深い領域に直接イメージでショートカットするような感じ・・・
大人の学者とかではセオリーに囚われすぎて到達しきれないような領域まで深く進んでいけるような・・・若さみたいなのも同時に兼ねそろえている・・・英才”児”だけに


虚空 まさに「超現実」の生き方だね。


諷虹 めちゃくちゃ現実的なプランを組んでいて、どうしても実現不可能なところだけはドラえもんの秘密道具を使って・・・みたいな荒唐無稽というか、突然非現実を織り込んでくるような


虚空 これって、やっぱり大前提として「潜在世界を手放していない」からだよね。手放していたら「そんなの在り得ない」「みえることだけが現実」ってなっちゃうから。常識に縛られるのはその典型。

でも、古の日本人のように、そうでないところに真の世界を見出している・・・それが直感できるから、知識や学問で網羅できない深い部分にもイマジネーションの力でどんどん踏み入っていくんだろうね。

咲でいえば穏乃は山の奥深くへ奥深くへ踏み込んでいって、超人的な力を発揮するわけだし・・・まだ原作では描かれてないんだろうけど、やがて宮永咲と対決なんていう場面がでてきたら、衣が咲に語っていたセリフにあったような(原作 6巻 アニメ 阿知賀編16話)
「現実の修行の山路も、有為の奥山を越えて、その先にいる
深山幽谷の化身、その穏乃を相手にして、峰の上で花は咲くのか?」
っていう勝負が描かれるんだろうね。

*「有為の奥山」について検索
色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 
有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず

・無常なこの世の中を、越えにくい深山にたとえたもの。「 色は匂へど」にはじまるいろは歌の一節。

・文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである

「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」

諷虹 文字でみると全然印象が違いますね。「色は匂へど」はこの前のアニメ「色づく世界の明日から」のようだし、「誰ぞ」は「君の名は。」みたいだし・・・。


虚空 この前から何度も出てきている「シノハユ」(咲の番外)での「鳥瞰」っていうのと、さっきの「英才児の超現実意識」が重なり合ったのが「現世の超越」だったりしてね・・・。


諷虹 シノハユになってから表紙の背景に銀箔の線が入っているんですよ。数学の三次元図のような感じで。
少女たちが歩んだ軌跡を表しているって言われてます。
帯にある言葉
『ー旧約青春麻雀物語ー シノハユ』(SC 原作 小林立 作画 五十嵐あぐり)
シノハユ 9巻 45ページ・・・子どもの時のエピソード
11巻 87ページ 「62話 鳶目」(えんもく)

(ネット検索)
鳶?(とび)?の目。転じて、よく見える目。他人の欠点などのよく見える目。



虚空 でもさ、この前にも言ったけど、だからといってこの子が鳥瞰の力を発揮している時って、別に対戦相手の牌の状況や欠点が客観的にみえているわけではないんだよね・・・岡目八目のようにさ。
むしろ対戦とは全く関係ないものばかりが見えてくるわけだろ?


諷虹 チームメイトから始まって、それまでに対局したことのある知り合いの現在の様子(麻雀だけでなく、ショッピングしている子や歩いている描写)、果てはまだ知らない・出会っていない人も見えたり・・・今気づいたんですけどこれ(鳥瞰の時に見えている人)全部同年代の子なんですね。世話してくれている叔父さんの姿とかはない・・・

シノハユ 各巻裏表紙の言葉
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/205710/A000210888/
1巻
白築慕は小さな胸に大きな夢を抱いた。大好きな母に自分を見つけてもらうため、大好きな麻雀で注目される選手になると…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
2巻
石飛閑無は負けず嫌いの自分に誓った。暇つぶしで始めた麻雀で敗北した汚名を、本気で挑んだ麻雀で返上してみせると…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
3巻
瑞原はやりは理想の将来を思い描いた。嫌いだった大人の生き方に憧れ、自分も皆を元気にしてあげられる大人になろうと…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
4巻
本藤悠彗は憧れた夢を見つめ直した。一途に麻雀と向き合う同世代に魅せられ、同じ道をひたむきに歩んでみようと…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
5巻
赤土晴絵はまだ知らなかった。栄光と挫折を経て、のちに“阿知賀のレジェンド”と呼ばれる選手になることを…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
6巻
小禄心は正直な気持ちで願った。初めて心の底から楽しめた相手と、またいつか大舞台で麻雀が打ちたいと…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
7巻
稲村杏果は今よりひとつ先を見据えた。傍に寄り添うだけでなく、真剣に取り組むことこそが親友の笑顔につながるだろうと…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
8巻
椋千尋は不敵な笑みで県予選を眺めた。1年生で7年連続県代表校の大将である彼女には、相手が誰であろうと関係ないから…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
9巻
行長柚葉は人知れず矛盾を抱えていた。うしろに控える後輩が、自分を守る“壁”であり、越えられない“壁”でもあるのだと…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
10巻
野津雫は溢れ出る涙を優しくぬぐった。決してひとりじゃない、志した想いは皆同じ、改めてそう感じることができたから…。これは麻雀で全国の頂点を目指した少女たちの軌跡──。
11巻
白築慕は窮地の中で笑顔の行方を探した。大好きな麻雀で、大好きな友達、そして大好きな母にもう一度会うために…。羽ばたけ、舞い上がれ、終われない私の“青春”──。