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☆平成最終日 諷虹・虚空やりとり記録① 「棺担ぎのクロ」を通して

2019年 平成31年 4月30日 諷虹宅
*先週の土曜日にできなかった分の授業。この日になって「今日できませんか?」のメールがきて急遽決定した。
始まって間もなく諷虹注文の「棺かつぎのクロ」の画集が届けられる。
この画集に載っていた作者のコメントが最終的には「上原輝男先生が、初等教育段階で特に言語生態の授業というのを、どの教科の授業の場合でも大切だ」と主張された理由にもつながっていると感じました。

そのポイントは「蒐集」という言葉です。

このこと以外にも、上原先生の発想とつながる話題が出てきたので、そのつど先生の言葉も紹介しています。


冊子の中に「きゆづきさとこ 新連載 企画進行中。」という紙。
諷虹 (ページをめくりながら)きゆづきさとこ展の時のか。もう3年前か・・・コエーな。
虚空心の中の声
 今朝みた夢・・・火葬場で棺もいくつか並んでいた・・・。それでここに到着したらすぐに「棺担ぎのクロ」の画集が届くって!!!!

これって偶然じゃなくて必然???

火葬場とか葬儀の夢って「切り替わり」とかの予兆っていうけど・・・この棺担ぎの画集の中に、サプライズとして新企画のお知らせが入っていた、っていうのも何なんだろう・・・・


諷虹 平成の最後にクロの画集が届くとは・・・(10年越えの連載をふりかえって作者コメントを読み上げる)

虚空 今、心の声を打ったあとに、「平成の最後に」発言っていうのもちょっとドキッとした。ちなみにさ、平成の最後とクロの画集っていうのとに、どんな相関を感じたの?

諷虹 なんやかんや、どこもかしこも平成史を振り返っていますけど・・・平成生まれの自分としましては、平成史=自分の半生という感じなんで

虚空 半生じゃなくて全世だろ。

諷虹 そうですね

虚空 自分は昭和36年生まれだから、本当にだいたい昭和と平成が30年30年でほぼ半生だけど

諷虹 それで結局・・・まあ、その・・・うん・・・なんて言葉にしていいか分からないですが・・・長年追い続けてきた作品であることは間違いない作品なんで・・・

虚空 10年越えなんだから平成期間のおよそ三分の一だよね。

諷虹 私の人生だと半分強ですが・・・25歳なんで・・・
ここ最近追っている「白と黒」とか「混沌」とか・・・その根底にあったのがこのクロだったんだな、って画集をみて再認識。
特にこの最終巻の表紙・・・棺桶に花の冠・・・(形が)「0」ですよね。これ如何に?

虚空 この時点では「令和」なんて発表されていないしね。
棺の中が空になっている・・・入れ物・・・もっともこの主人公はカラのままの棺を背負ってずっと旅をしていたわけだよね。

諷虹 作者のコメントで「希望のある白」「花畑」というようなイメージって書いてありますね。
棺から足がはみ出ている意味とか・・・
(単行本の表紙イラストが載っているサイト)
https://tocage.jp/pages/1550984461.html
虚空 この主人公のように実際の棺をかついで旅をしている人間はいないだろうけど・・・でもこれは全ての人間にあてはまるわけだよね。旅を「人生」に置き換えれば・・・いつポックリ逝くかは誰もしらない・・・いつでも棺の準備をという感覚。自分なんてまさにそれで一生きているからね。
だいたい生まれた直後に死産に近い形で心停止して医師に「ご臨終です」って言われたとか言われなかったとか・・・じいちゃんがミカン箱で小さな棺を作ってた、なんていう伝説が親戚の中に残っているし。
それで平成8年にしたって去年にしたって医師から「長くない」というようなことを言われながら生き続けている・・・そういう点では、やっぱりこの「棺担ぎのクロ」っていうのは自分の中では特別な想いがあるよ。
もっとも複雑すぎるストーリー展開で特に後半は何がなんだかわからなくなっているけど・・・。原作も買っていないから結末に向けての2~3年はほとんど知らないし・・・。

諷虹 ここで足がはみ出ているというのが・・・型破りというか
(最終巻の表紙絵で花まみれで棺に入っている主人公の足が外に出ている)
死んでからその人用に棺を作ったんじゃあり得ないじゃないですか。生前葬じゃないですが・・・。死ぬ前に作っている器を生きている以上ははみ出ていく・・・収まらないように・・・成長していく

虚空 自分が想定していた以上に、っていうことだよね

諷虹 深い意味合いがありそうだな、って。
それともう一つあったのが、画集のサブタイトル、コンセプトが「標本図鑑」ってなってて・・・「蒐集」この字をみたら私は「なのはA’s」・・・「闇の書の蒐集」ってこの字を使っていますから。私の人生の中で特に大きな起点となったのが「なのはA’s」なんで・・・ここで「蒐集」っていうことからこの二つが結びついてきたっていうのがね・・・
まさしく集合ですね・・・そして「添加」のイメージ

虚空 だいたいさ、帯に書いてあるこの蒐集っていう言葉の部分・・・「イラストレーション、スケッチ、コミック、コメント、ラフ etc.  きゆづきさとこの作り方。 蒐集、保存、観察、記録、研究。」ってあるじゃない。
なんだかパッと思い浮かんだのが、上原先生が主張していた初等教育でやるべきこと・・・・言語生態としての授業。これは国語に限らず、すべてがそうあるべきだと。言葉は用具ではなくて「成長の過程」そのものを表しているんだから、ありのままの本音出してもらい、それを丁寧に聞き届けて、整理していく。そこから「人間そのもの」を深く探求していく・・・伝承レベルでね。
その流れそのものが、この帯の言葉そのものだと思った。 


*帯についての作者のコメント 抜粋
・・・画集として纏めて頂ける事になって、過去の創作物をひとつひとつ確かめていくとそこにはやっぱり「10年越え」の思い出と、記録の層がありました。・・・中略・・・

とても帯の一文として誇れるような積み重ねではないのですけれど、クロ同様、わたし自身も、迷いながら歩いてきた道程だと思います。

その長い旅の最中に、その時その場所で採取したいろいろなものひとつひとつを、固定加工や保存処置を施してもらって、こうして標本にすることができました。

そんなクロと筆者の旅の足跡を、一緒に辿って頂けましたら、嬉しいです。
 
諷虹 帯の裏の方も「私達と一緒に来るかい?色の世界へ、それを探しに」って・・・・「色」が出ていますね。

虚空 このさ「それを探しに」の「それ」って?

諷虹 これはおそらく「ニジュク」 と 「サンジュ」を外に連れ出した時の言葉のもじりなんですけど・・・・。
「その時その場所で採取したいろいろなものひとつひとつ」ってまさに「旬」の感覚ですよね。それを蒐集する。

虚空 和歌や俳句で日本人がずっとやってきたことを、四コマ漫画でやってきた、ってことだよね。

諷虹 序盤のクロのストーリーって童話風な小話集っていう感じじゃないですか。俳句とかも何百年も耐えるだけのディテールというか世界が出来ているじゃないですか

虚空 詳しくは知らないんだけど・・・古典をさぼっていたから・・・俳句って、元々は「俳諧連歌」っていうのだったわけじゃない。だからの「古池や」だって単独で詠まれたわけじゃない、って。平安の頃だって前の歌を受けて、っていうのが盛んに行われていたわけだろ。
もしかすると、まんがタイムとかのような単独での四コマじゃなくて、四コマ漫画を積み重ねて大きな流れを、っていう漫画雑誌の構成は「連歌」っていう伝統が背景にあったりしてね。

諷虹 普通の漫画は日本を舞台にしてっていう感じだけど、クロは異世界で日本じゃないような世界で描いていながら、でも季節感があったりして・・・そこが童話的。
作者が「『クロ』の世界でも日本のような国があるんでしょうか」って。
円周率の無限の数列の中には、自分が知っている数字の並びがあるっていうように、異界の中に日本のようなところが存在しているかもしれないし、存在していないかもしれない・・・そんな「不確定性原理」みたいな・・・。
日本と同じように描いていたら、勝手に携帯があるんじゃないかでも王様はいないとか、今の基準で設定を想像してしまいがちだけど・・・こんな風に描いているから、携帯だとかがない世界・・・・だけども、もしかしたらその国のどこかでは存在している可能性もある。
変な話ですけどアニメのGA(同じ原作者)で、クロとセンが一瞬スーッと横切る場面があるんですが、「ああキサラギたしの世界にもありうるんだ。どこでも旅ができるんだ」というような・・・。クロの異界はどこにでもつながっている、無限の可能性をひめている。だからこそ中世的な話も現代的な話も近未来てきな話もできてしまうかもしれない・・・っていう懐の広さがあるのかも


虚空 ディズニーでいうとさ、ミッキーは世界各地でいろんな職業とか立場で登場するけど、クマのプーさんは、あの森から出ないし、キャラ同士の関係も動かない。その両面とのつながりもあるかな・・・


諷虹 さっきの蒐集について調べた時にでてきたブログなんですけど・・・
http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-36.html

趣味に関する「蒐集」で特によく使われる、っていうことで・・・興味あることとか自分が関心を持っていることを集めるということから考えると、さっきの収める方の「収集」って、機械的に定義に従ってただ集めるような感じなのかな、って。
駿煌会のやりとりみたいに、興味ある事柄で集まっている集合と、ただ、日々のニュースを寄せ集めて出来ているようなサイトとの違いみたいなものなのかな、と
「蒐」という植物を赤い染料をとるために集めることから「蒐集」っていう意味になったという部分。血が通って、っていう連想が・・・

虚空 だからさ、一人一人の用いる言葉も単に機械的に覚えたのを使う、っていう言語感覚でとらえるべきじゃない・・・人間が言葉・・・特に母国語を習得していくプロセスは、周囲への意識の蒐集そのもの・・・だから個々人の人間生態が反映している、っていうつかまえ方だから。
これは子供に限らず、どの年代の人間だってそうだよね。言葉とか語彙の偏りでその人間がどのような積み重ねをして・・・感覚をもとにして蒐集をして・・・生きてきたのかが反映されているし、見て取れる。


諷虹 この帯であえて蒐集っていうのを使っているというのと同じように、敢えてそういう言い方をする、気どった言い回し・・・中2病とか・・・そういう言葉って、同じような発言でもより深い意味とか意図が込められているような・・・。
赤木しげる(麻雀漫画)のセリフなんですけど
「お前 この世で一番うまいもの何だか知ってるか?
たとえば麻雀だ…世の中には頓狂な奴がいてよ
こんなラチのあかねえ遊戯に
自分の分こえた大金
人生さえ賭けちまう奴もいるのさ……
まあそんな奴だから…
頭は悪いんだけど……
勝ちたい気持ちはスゲェーもんだ…
終盤戦…勝負処での大事な一打にバカは
バカなりに必死さ…
もてる全知全能をかけて考える
決断して そして躊躇して
それでもやっぱりこれしかない……て
そりゃもうほとんど
自分の魂を切るように打つパイがあるんだよ
その魂の乗ったパイ
そういうパイで和了ること…
それはまるで人の心を喰らうようだ…
この世じゃ人の心が一番うまいんだ……」
(天 2巻)

相手の心を読み切っての・・・その上で自分一つその上にたつ


虚空 そのさ、読み切って上に立つ、っていうのがくせ者だよね。

諷虹 二つ上に立ってもダメなんですよね。裏の裏をかかれてしまうから・・・ちょうど一つ上じゃないと。
予告ジャンケンの読みあいのような・・・予告通りにする時としない時の心理とかタイミング

虚空 そこなんだよね。相手の心を読む、っていっても、それはその人間の器の範囲内でしか読めない・・・。だからその想定からはみ出す相手と対峙した時にどういった対応が出来るのか。
それも最初から見越した上でいるのか、自分はすべて分かっているという妙な自身があるのかで、大分違うよね。
最近のアニメだと想定外に対応できずにメロメロになるその代表格が「上野さんは不器用」。
でもさ、平成時代って、「成果主義」「勝ち組 負け組」の行き過ぎから「自分はもう分かっている」っていう態度をみんなとるようになっちゃった。
その反動で「想定外」・・・自分の自信を揺さぶられるような相手に対しての拒絶反応はとんでもなく増大した。
許容量が本当になくなったよね。

諷虹 上野さんの場合は、田中の行動が想定内であっても、自分の気持ちとか感情の高ぶりが想定外でうまくいかないっていうパターンが何回もありますよね

虚空 何回も、ってそればっかだよね。
(虚空 半筆談のようなやりとりに、フト 川柳少女の短冊とスケッチブックのやりとりを思い出す)
*仙狐さん原作の話題
一番冒頭のセリフ
「心の闇が人の世を滅ぼす」

虚空 虚空の心の闇が人の世を滅ぼしたり、っていうことはないだろうけどね。
人知れず朽果てていることになるだろうし・・・自分の骸は行政がひっそりと処分するだろうから。
やっぱりこの「おばあちゃんの味」とかそういうセリフ・・・単なる萌えキャラっていうのではなく、ベースにあるのは「おばあちゃん」っていうのがこれの特徴だよね。まあ実質800歳の神様というような設定だから、並みのお年寄りの何倍も生きているわけだから当然なんだということなんだろうけど。

諷虹 アニメだと尻尾や耳の質感が重視されている感じがしますよね。

虚空 やっぱりそれはさ、バーチャルとか二次元とかに対して、人間の本能は欠乏感を抱いていて・・・それがもう悲鳴をあげている状態なのかもね。
あの尻尾とかの「もふもふ」描写だって、フカフカの枕というか羽毛布団の感覚なんだろうね・・・それこそ温かいものに全身を包まれている「子宮」感覚。
真床覆衾の感覚っていうことからすれば、これは大事な感覚なんだし、だからこそそこに包まれて生命力を得るために家に帰る・・・上原流に言えば「帰る」は雛が孵るの「孵る」と同じだし、「甦り」の「かえる」でもあるということなんだけど、それが現代人にはなかなか起きない。

新たなエネルギーを得てまた「外」に向かうという「内と外」の健全な往復が起きない。
内に籠りっぱなしになるだけか、外で消耗しきってやがて朽果ててしまうか・・・という両極端な場合が多いよね。
一応ここに出てくる主人公はブラック企業で毎日遅くまで働いている状態をキープしているけどね・・・仙狐さんに元気をもらいながら。

諷虹 また棺かつぎに戻りますけれど、さっきの卵の話・・・死んだあとに箱の中に入れる、あるいは土葬なんかで埋めるみたいな・・・子宮じゃないですが、また生まれる前の状態に戻しているみたいな・・・・

虚空 今こうして打っている時に「うめる」の漢字変換で「生める」が表示されたんだけどさ、それで思い出したんだけど、上原先生が「埋める」と「生める」は同じことだったんだと。だから「土にかえる」っていう感覚を日本人は大事にしていたんだと。
農耕民族だからまさにそうだったんだろうね。土は命が芽生えるところだから。

諷虹 昔の映画で大和の・・・殉職した兵士を海にっていうのもそういう感覚なんですかね。海に還す。・・・音としては「生み」ですしね

虚空 上原ゼミの学生の卒論で「我は海の子」の歌詞を話題にしたのがいた、って聞いたことある。「海の子」は「産みの子」だ、っていうことを扱ったらしいけど。
「海」に何故「うみ」という音をあてがったのか、っていう言語感覚だよね。音感。それこそ「言霊の国」として。それを単に言葉の意味を覚えさせるのが教育なんて思っているからおかしくなっている。
だいたいさ、こうした「おと」の共通感覚をつかまえるのって、今の国語教育ではダメ扱いされるじゃない。「同音異義語」「誤用」っていうことになってしまうから。
でもさ、漢字が伝わってくる以前の言語感覚からすれば、同音っていうことはもっと重視しなければならない。
その感覚を育てもしないで、乳幼児から英語の音ばっかり入れているっていうのは、本当にどこの何人を育てたいの、って思うよ。
それはさ、上原先生がそう主張していたから、っていうよりもね、よく紹介している自分自身の目にした、あの「グランマ」とか「ホース」のエピソードからも本当にそう思うもん。
周囲の大人たちは日本人離れしたそのネイティブな英語の発音に感心してご満悦な表情だったし、子どもも得意げだったけどね・・・。
数学ってさ、数式とか図式化とか・・・群論でも・・・同じ構造を持っているものは、どんどん同類にみなしてくじゃない。類化性能の極致だと思っているから数学と国語の接点を大真面目に考えてようとしているんだけど・・・。
「同じ音」を数学的に扱っていけば、みえてくるものはどんどん広がると思うよ。だって、漢字が導入される前はまさにそういう感覚でずっときた・・・それを大事にしてきたから、文字を発明しないでいたともいえるんだから・・・これは上原説だけど。
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☆真の学ぶ姿勢  「数学ガール」「上原語録」そして「食べるということ」

2019年4月26日 諷虹・虚空やりとり、その2です。
結城浩著「数学ガール」シリーズの第一巻を読み返し始めているという諷虹君が気になったやりとりを紹介。

それを受けてフト頭に浮かんだ上原先生の言葉を虚空が紹介。
また、このところのやりとりで話題になったこと(例えば小学校高学年での教科担任制導入検討のこと等々)と関連の深そうな上原語録を、いつもより多めに紹介しています。
そしてこの日のやりとりが「食」を中心に行われたことから、その視点で人間や教育についてまとめ、しめくくっています。 


虚空 ヒマワリフクロウさんがラインに書いていた
「実るほど頭を垂れる稲穂かな、みたいな感じで、上に行けば行くほど、謙虚になるってゆう人ステキだよね。」
っていうのを「成果主義」「競争原理」ばかり強調されて生活している現代人はあまりにも忘れているよね。学校なんてまさにそう。分かっていなくても「分かった」っていうフリをしなければあった言う間に居場所がなくなる。
昔からさ、いろんな授業を見せてもらった時に特に低中学年で先生と子どもたちとのやりとりである「分かりましたか?」「ハイ!」・・・あれにはずっと違和感を持っている。あんなやりとりで「分かりません」なんて言ったら顰蹙ものだからね。
特に他の先生たちが参観しているような研究授業でそれをやったら、あとでどれだけ叱られるか分かったもんじゃないよ、多くの場合は。
だってさ、算数なんかでも1年生が習うような単純なことが数学的には非常に説明が難しい、ハイレベルな発想、っていうのがいくらでもあるじゃない。
だからうちのクラスではほとんどあんなやりとりをしなかった。
だってさ、「分からない」っていうことを丁寧に聞くと大抵は深い部分と直結していることなんだよね。だからそういう発言は授業を深めるためにとってもありがたい発言なんだけどね。
でも、多くの先生は、「分からない」って子どもが言うと「自分の指導力が疑われる」ってとらえてしまう。テストだって間違えている部分なんていうのはその子その子にとって貴重な教材なのにさ。


極端な例だけど「点数が悪いと指導力がないって思われちゃうでしょうよ」なんて言って業者テストをする前に、同じ問題を何度もやらせて、分かっていない子には答えを丸暗記させて、みんな出来るようになったら業者テストの本番をやらせていた・・・なんていう先生もいた。だからクラスのほとんどは100点。その100点にどれだけの意味があるのか・・・結局先生の自己満足というか、自分が評価されるために子どもをダシにしているだけ。
今も似たような風潮はあると思うよ。だから学力テストの前に過去問や類問を何度もさせるとかね・・・・・実態をつかんで今後の指導に生かすためのテストでなければならないのに、まるで受験のテストであるように人物判定だけのテスト。
まあ、テストの結果が悪い学校や教師がダメのレッテルをはられて為政者からクビにされかねない今の風潮では自衛としてそれも仕方ない部分があるんだろけどね・・・。


諷虹 数学ガールを読み返してて

「数学ガール」第一巻より
テトラちゃんとの問いに対して
「好きだから。好きだから手間暇をかける」・・・
「学校の世界はとても小さくて狭い。子供向けの偽物がたくさんある。学校の外にも偽物はたくさんあるけれど、切ったらちが噴き出てくるような本物もたくさんある」
「学校の中に本物はないんですか?」
「いや、そういう意味じゃない。例えば教師。村木先生は知っているよね。変わり者だと言われてるけれど、いろんなことがよくわかってる。僕たちはときどき、村木先生から問題を出してもらったり、面白い本を紹介してもらったりしている。

好きなことをしっかり追い求めていくと、本物と偽物を見分ける力もついてくる。いつも大声を出している生徒や、賢いふりをする生徒がいる。きっとそういう人たちは自己主張が好きで、プライドが大事なんだ。

でも、自分の頭を使って考える習慣があって、本物の味わいを知っているなら、そんな自己主張はいらない。大声を出しても漸化式は解けない。賢いふりをしても方程式は解けない。誰からどう思われようと、誰から何と言われようと、自分で納得するまで考える。それが大事だと僕は思っている。好きなことを追い求め、本物を追い求めていくのがーー」

虚空 ここで「本物の味わい」って・・・味覚の例えが出てきたね。
よくさ、センター試験なんかで「何でこんな関係ない教科までしなければならないんだ」っていう学生に対して「本当に好きな事をするための大学に入るためなんだから、そこは割り切って我慢して勉強しなさい」っていう言い方をするよね。
自分なんかもそう思っていたけど、最近は随分違ってきた。
「好きなことを極めるためにもきちんと学んでおいた方がいい。様々な分野の事柄・・・むしろ関係ないという思うような事柄を積極的に添加することで、好きなことだけをしているのとは全く違う次元に飛躍できるんだ」って。


諷虹 
(さらに「数学ガール」からの引用)
「学校は学ぶ素材しか与えてくれない。教師は受験のことばかり考えている。それはそれでいい。でも、僕自身は自分の好きなことをずっと考えていたい。親から強制されて式変形しているわけじゃない。僕がどんな数式をいじっているかなんて、親は興味ない。机に向かっている僕の外面しか見ない。だから、僕は好きなようにやっている。といっても、もともと勉強しろなんてあんまり言われないけどね」
「先輩は成績がいいからですよぅ。あたしはだめなんです。しょっちゅう≪勉強しろ≫っていわれます。うるさいんです。うち」
「僕は図書館で考え事をしている。ノートを開いて、式を思い出す。どうしてその定義でなければならないかを考える。定義を書き換えて何が起こるかを調べる。肝心なところは自分で考えなければならない。教師が悪いとか、友達が悪いとか言ってもしょうがない。テトラちゃんは言ってたよね、さっきーー式が出てくるたびに≪どうしてこう書くのかな≫と考えるーーって。

それは、決して悪くない。時間はかかるかもだけど、自分が抱いた疑問に安易に納得せず、ずっと考え抜くのは大事だ。それこそが勉強だと思う。親も、友達もーー教師だって、テトラちゃんの疑問には答えられないよ。少なくとも全部には答えられない。もしかしたら怒り出すかもね。人間って自分が答えられない問題を与えられると怒り出したり、問題を出した人を恨んだり、逆に馬鹿にしたりするものだから」


諷虹 こういう「考える」っていうことが「問い」なんでしょうね。


虚空 この発言に近いことが上原語録にあるよ。
教育は『天下国家を動かすもの』ですよ!母親を動かすレベルではないんですよ!(平成七年二月例会)

だいたいさ、学校長からして親や教育委員会や議会ばかりの顔色をみてビクビクしているか・・・。堂々と「ホンモノの教育はこうである」って主張できなればならないのにね。マアそれはそれで他人には分からない苦悩はいっぱいあるとは思うんだけど。
教育に関する上原語録はそれこそ山ほどある中で・・・最近の駿煌会のやりとりと関わりの深そうなのをほんの一部だけでもあげてみるとね・・・・
上原語録
・『教えない素晴らしさ』の確認も必要ですね。二十一世紀に向けて慌てすぎている。(平成六年忘年会)
・教育は『伝承過程』の中でしか考えられないんですよ。・・・『過程的教育観』が必要なんです。今の教育は過程抜きだから、せっかちすぎる。学習過程を大切にしてやるんです。・・・
 扱う子どもの「生から死」に全部つきあうんではないのですからね。その一部分を担当するんですよ。           (日本教育史特講)
・子どもに『あの世』を教えるべきなんですよ。「この世限り」と言って何か得があるんですか。「今が大切」と言っても、「今はすぐ消える」んですよ。(国文学)
・教育するという事は決して既成の文化をもう一度子どもに考えさせる事ではない。(昭和六十三年合宿)
・ 教育っていうのは危険を伴っている仕事なんだよ。安全圏内で何かをする事なんて教育じゃないですよ、絶対に。次代の子どもを作ろうとするんだもの。危険に決まっているじゃない。次代が分かっているわけじゃないんだもん。・・・吉田松陰はどうだった。気違いじゃないか。でも吉田松陰がいたから明治維新はできたっていえるだろうね。    (平成五年合宿)
・教育学はロマンチシズムでなくてはいけない。教育者もロマンチストじゃなくちゃね。今の教育学はただの「子どものわがまま」です。    (児童言語)

・教育学は哲学・史学・文学と比べても浅い学問ですからね。だから逆に新鮮さが必要なんです。・・・体系づけの試みをする段階なんです。「教育方法学」なんていう方法を対象とするのがあるのも、教育学がまだ未熟だからですよ。方法論なんて安っぽいじゃないか。人間が消耗品化してしまう。(日本教育史特講)
・教育者は世の中を常に見つめ、世の先行を見守るんですよ。それをつかまえるためにも総合雑誌を読みなさい。・・・(国語教材研究)
・「知育偏重」に走れば墓穴を掘るんですよ。各教科の専門家になろうとしなくていいんです。より上の専門家はいくらでもいるんですから。
 
我々の仕事は「○○」を上手にさせるのではなく、子どもが「○○」にどう反応するかを見届ける事なんですよ。そして専門的なことが必要になったら、その時は専門家を連れて来ればいいんです。専門家は片輪なんですから。(国語教材研究)
・かつて、小学校の先生は何と呼ばれていたか、知っていますか?「訓導」と呼ばれていたんですよ。小学校と中学校では仕事の内容が違う事を、こうしたことでもきちんと分けていたんです。小学校は「日常性」を扱い、中学校は「知識」を扱うんだって。(国語教材研究)
・小学校の先生を『訓導』から「教諭」にしたのが間違いだったね。中学校以上の先生の真似をしたから。小学校には『訓導』が大切なんですよ。『孝』を忘れてはならないのです。人を理解するには親の理解が第一なんですからね。(国文学)
・ 教師は一般者とは違った生活感情を持たなければいけませんよ。時間・空間が違うんです。「子どもの見方」が違うから教育者だったんですよ。企業の常識っていうかイメージが現場を振り回しているんだけれども、一般の人にないイメージ、それは「子どもの存在の在り方」や「そのイメージのよりどころ」をしっかりとと持たないと・・・。   (平成五年忘年会)
・小学校の先生はガキ大将的でなくっちゃ。    (平成二年七月例会)

風虹 数学ガールのあとがきでの作者の想いで・・・数学への想いは好きな子への想いと重なるようなことが書いていあるんですが・・・


虚空 高2の時に出合った若い数学の先生がちょうどそんな感じだったね。本当に数学に恋しているというような。
「恋」って「乞う」で魂が互いに惹きつけ合うということだ、っていうけど・・・・だから何事も「好奇心」「興味・関心」がベース。
で、理想的にいえば好きな分野以外のことも積極的に添加していって、どんどん結びつけていける構え・・・そんな意識世界を広げていける・・・。
そうしたら身近なところから宇宙全体・・・見えない世界も含めての・・・共振共鳴が勝手に起きてきて、ますます面白くなっていくんだろうね。


諷虹 今日の全体を結び付けるような名言がありまして・・・
『食べ物に対する愛より 誠実な愛はない』
バーナード・ショー



虚空 だいたいさ、深く理解することを「自分なりに消化する」っていうもんね。あるいは「血となり肉となる」っていう言い方もある。
食べ物に例えているわけだからね。


諷虹 昔の人が単語を覚えた辞書のページを食べた、なんていう話もありますよね


虚空 本当に食べたかどうかは知らないけれど、でもそれでどこか納得してしまう意識があるというのがね


諷虹 爪の垢を煎じて飲む、もですね。


虚空 「うちのメイドがうざすぎる」の「胃袋をつかむ」とか・・・あと「ゆらぎ荘の幽奈さん」だと「餌付け」なんていう言葉が何度か出てくる。やっぱり「食」が大きなポイントだね。
夕方にさ、近所の人があく抜きしたばかりのタケノコを持ってきてくれて・・・さっそく新じゃがとかと一緒に煮ものにしたんだけど・・・やっぱりただの水煮で調理したのとは違う感覚があったよね。

それこそ「ああ、これがまさに旬の味」っていうような。
やっぱり「旬の食材」って「生命力を取り込む」感覚。
食べないまでも「和歌」で季節感を読み込むなんていうのは、魂に生命力を与えていたっていうこと。
のんのんびよりの春の場面だったら「つくしを食べた」、ふらいんぐういっちだったら「フキノトウ」とか山菜・・・・分校の時にも子どもらはそんな風なやりとりをしていたし、実際に自分も「つくしの佃煮」や「掘りたてのタケノコ」を頂いたけどね。
やっぱりそういった食材を日頃から食べている子は、どこか違うよ。


諷虹 興味ある話題とか、旬な話題とかで知識を深めるというのも「生命力」とつながるのかな、って。「生きた学問」


虚空 「只今」の感覚。だからこそ「垣間見」も伴って、あちらの世界とも共鳴しあえる!
 

☆「あれかこれか」から「あれもこれも」の姿勢に成る・・・とは?

2019年4月26日 諷虹・虚空やりとり、その2です。
先ほどの「料理」「味覚」「匂い」等々の話から、諷虹君がそれらの感情照応がとんでもなくずれてしまった主人公が描かれるアニメを紹介してくれました。「東京喰種 トーキョーグール」というのですが、人肉しか美味しいと思えない体になってしまいます。

「いくらなんでもそういう話題は無理」という方々は、アニメの内容やセリフ関連はどうぞ遠慮なく読み飛ばしてくださって結構です。

やりとりの内容は、ここから「数学ガール」という本のこと、そして上原輝男先生の教育に関する語録紹介・・・そして「食べる」という視点で人間を見つめてみると・・・という方向になります。それはまた次のブログ記事として紹介します。

諷虹 「東京喰種 トーキョーグール」なんていうのは、舌の作りが違う存在になって、人間の食べ物が全くダメになった。1話はそこの葛藤が細かく描かれていて、絶望感をものすごく共感しましたね
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00198/v08701/v0866300000000531835/


虚空 自分も半年近く味覚障害になったことがあるけど、あれは本当に辛かったね。やっぱり人間って栄養素だけではダメ。精神的におかしくなるよ。
「盾の勇者の成り上がり」でも主人公は異世界にきてしばらくは味覚を失っている。それがあることで味覚を取り戻すんだけど・・・他人ごとではなかったね。
そういえば諷虹君も味覚障害になったことあるよね。


諷虹 数週間で治りましたが、あんなに舌ざわりだけど味が感じられなくなるのはね・・・。味覚チェックでレモン汁を飲む時も、水と変わらない。でも喉には水と違う刺激がある。
チョコなんてやばかったですね。味がしないのに溶けていく。
味がないのに触感だけっていうのはね・・・


虚空 自分はそれがシュークリームとかケーキだった。生クリームとかのね。味がしないのにベタベタしたものが口いっぱいに入っていることの気持ち悪さ。


諷虹 髭剃りの泡が口にいっぱいっていう感じですよね。脳が拒絶反応起こしている


虚空 だからさ、やっぱり個々の感覚とかは独立しているんじゃなくて、密接にリンクしているのが人間だよね。
そうすると「思考・感情(イメージ)・構え・用具言語」って便宜上分けていても、それは相互的に複雑にからみあっている。その統合具合をある意味で端的に教えてくれるのが英才児と上原先生は感じたんだろうから。
「感情照応」「感覚照応」なんていう言い方もよくしていたけど・・・今のその「東京喰種 トーキョーグール」っていうのは味覚を感じなくなったのではなくて、人間としての味覚と脳の対応がずれる話なんでしょ。


諷虹 一話の後半では、人間が上手そうに感じるようになってしまうんですよね。
空腹が引き金になって。飢え死にするか人を食って生きるかの二択を迫られる。
Wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%96%B0%E7%A8%AE%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB
人間社会に紛れ込み、人を喰らう正体不明の怪人喰種が蔓延する東京。
上井大学に通う青年金木 研(カネキ ケン)は女性の喰種神代 利世(カミシロ リゼ)に襲われ瀕死となるが、直後に起こった鉄骨の落下がリゼに当たったことで捕食を免れ、命も取り留める。しかしその後、彼女の臓器を移植されたことで、半喰種となってしまう。それ以来、カネキは苦悩と恐怖に満ちた日々を送ることになる。

序章
読書好きの平凡な大学生カネキは、好意を寄せていた少女リゼと小説「黒山羊の卵」がきっかけで知り合い、本屋デートをすることになる。別れ際にカネキは、喰種の本性を現したリゼに襲われ瀕死の重傷を負うが、突然リゼの頭上に鉄骨が落下したことにより危機を逃れ病院に搬送される。しかし重傷であったカネキは、嘉納 明宏(カノウ アキヒロ)という医師の判断により、リゼの臓器が無断で移植されることになる。

手術後、目を覚ましたカネキの体にはある異変が起こっていた。今まで食べてきた食物を口にできなくなり、代わりに人肉に食欲をそそられるようになってしまったカネキは、喫茶店あんていくの従業員である少女霧島 董香(キリシマ トーカ)と同店の店長を務める芳村(ヨシムラ)、二人の喰種に出会う。

あにこ便 一話概略  http://anicobin.ldblog.jp/archives/39679108.html
飢えた主人公が食欲を刺激された際のセリフ
「この香りは初めて嗅ぐのにどこか懐かしいような 
まるで母さんの手料理のような優しい香り 
僕にも食べられる何かがある!」
実はその香りは死体の匂いだった。
「死体の香りにつられていたなんて・・・」
(中略)
死体を前にして
金木「・・・助けてください 
信じてもらえないかもしれないけど僕は人間なんです。
なのにそれを食べたくて・・・食べたくて仕方がなくて
でもそうしたらもう人間ではなくなってしまう!」
トーカ「そんなに苦しいなら食いなよ」
金木「・・・・・・いやだ・・・嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ・・・
そんなの食べられるわけないだろ
なんだよこれ・・・なんだよ喰種って人は殺す、仲間同士殺しあう。僕はそんなんじゃない
僕は人間なんだ!!」
トーカ「馬鹿みたい さっさと諦めたらいいのに
食べる勇気がないなら アタシが手伝ってやるよ(肉片を口に押し込む)」


虚空 この作品の設定って、どういうことを描きたかったのかね?


諷虹 んー・・・結局のところ主人公が「人間」と「グール」との両面を持っていて・・・人間はグールを問答無用で退治しようとするけど、グールにもいろいろあるということに気が付いていく。

で、どっちつかずというよりも「どちらでもない?それは違う。君は喰種であり、同時に人間でもあるんだ。二つの世界に居場所を持てる唯一人の存在なんだよ」って店長に助言されて・・・。本当に狩られる対象なのかっていう。か弱いグールの女の子も出てくるし。
ただ、途中でついていけなくなって、この作品を追いかけなくなったんで・・・後半は分からないですけど。
でも人間もやることがえげつないんですよね。


虚空 「盾の勇者」では人間に差別・迫害を受け続けている「亜人」が出てくる。「異世界はスマートフォンとともに」でも共存できている町もあれば、差別意識の強い一部貴族たちも出てくる。

この前から差別意識についても出てくるけど、だいたいそういう意識が前面に出てくるキャラって、特権階級だよね。そもそも亜人じゃなくたって庶民に対して上から目線しかないから。
そうした差別感覚がなくなってきた世界を描いたのが「亜人ちゃんは語りたい」だったけど。流れとしては「となりの吸血鬼さん」もそういうことかな。


諷虹 (グール)ヒロインの「確かにアンタは喰種じゃない。でも人間でもない。どちらにもなりきれないアンタに居場所なんてないんだよ」っていうのは、さっきの店長のセリフとは対極ですね。
ここに「添加」っていうこともからんでると思うんですが・・・。
*原作登場 アニメとは構成がだいぶ違う
アニメではなかったやりとり
主人公 助けてください。お願いします。あなた以外に頼れる人がもういないんです。この身体になってからすべてが最悪あんです。お願いします、僕を。
ヒロイン やだ。その眼と言っていることからしてアンタ、元は人間で今はグールってこと?ふーん。

教えてよ、元人間。ケーキって本当はどんな味なの?吐くほど不味いからわかんないんだけどさ、あれ、人間は美味しそうに食べるじゃない。ドーナツとかタルトとかさ。
誰にも命を狙われない生活はどうだった?喰種捜査官とか頭のおかしい喰種にも怯える必要のない日々は?ねえ。教えろよ!
すべてが最悪?ざけんな!だったら私は生まれた時から最悪ってワケ?誰がお前なんか助けるか 馬ァ鹿 一人で勝手に死ね。

*無理に人を喰わされたあと
主人公 ヒ、ヒトの肉なんか喰べられるわけないだろ。喰べられるわけないじゃないか。僕は人間だ。お前ら化け物と違うんだあッ!! 人間の肉なんか喰えるかよッ!!
お前ら化け物と僕を一緒にするなッ!!
ヒロイン (主人公をボコボコにして)
偉ッそーに…ご立派じゃん。
確かにアンタは喰種じゃない。でも、人間でもない。
どちらにもなりきれないアンタに居場所なんてないんだよ。
そこまで人間気取りしたいなら、一回限界まで飢えてみたらいい。
言っとくけど、喰種の飢えは、マジで地獄だから。



虚空 さっきの店長の「どちらでもない?それは違う。君は喰種であり、同時に人間でもあるんだ。二つの世界に居場所を持てる唯一人の存在なんだよ」ってさ、昔から教室でも強調していた「あれかこれか ではなく あれもこれも」っていう発想。
ここでいえば「夢か現実か」ではない両者を同時に踏まえつつ超越した「超現実」の生き方だよね。


*この店長の、このあとのセリフ
「私たちの店へ来なさい。喰種の生き方を教えよう。人間の居場所を守る道にもきっと繋がる筈だよ。そして少しで良い。人間である君に私達(喰種)のことを知って欲しい。我々がただの飢えた獣なのかどうか」



虚空 この店長さんは、はっきりと「人間である君」って認めた上での提言なんだね。さっきのヒロインは「どっちつかず」って言っていたけど、どっちもの存在。
「あれもこれも」っていうとね、単なる「いいとこどり」とか「調子のいい風見鶏」なんていう風に受けとめて批判する人がいるけど・・・・その時その時の自分勝手な利害でコロコロ態度を変える、っていうレベルでとどまったらそうなのかもしれないけど、本当に「あれもこれも」っていうのは、対立を超えて大きく包み込む境地を意味する・・・「認識の次元そのものが高次元になっていく」という感覚。
目先の利害でしか考えられない次元に留まっていると、結局は自分の認識のレベルでしか物事をつかまえられないから、安易な批判になってしまうんだね。
このあたりのことも、今回のダンデリオンツイッター記事の孔子様の言葉と深くつながっていそう。

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学問研究することで物事の真理に到達することは可能ですし、またそうやって学問研究しなければ、どんな徳目も軽佻(けいちょう)浮薄(ふはく)な独断と偏見によって捻(ね)じ曲げられてしまう危険性があるということです。
(中略)人に人格があるように、その表の人格とは異なったさらに奥深い精神や魂、さらには、祖先たち死者たちの霊界とのかかわり方さえも示すような、「霊(れい)格(かく)」というモノも、私たちにはあるような気がしています。『史記』という書物を読むと、孔子が、老子に面会してわずかな時間ながら教えを受けた後、老子のことを「あの人は竜のような人だ」と弟子たちに言ったそうです。
おそらくこの「霊格」の違いを思い知らされた、というお話なのだろうと思っています。またこうして素読プリントを作っていると、いろんな人々の書く文章にも「文格」とでもいうべきものが備わっているのを実感します。
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虚空 こうした「格」ということを意識していないと、自分の器でしかとらえられていないのに、知っているだけで「全て分かっている」っていう傲慢な姿勢になってしまうんだろうね。
コバルトブルー君が書いていた「馬鹿製造工場」「クイズ王選手権」っていう例えもそういった事を直観してのことだと思う。

☆孔子のお言葉 (論語陽貨八)③ 本物の人間が育つ雰囲気

2019年4月26日 諷虹・虚空やりとり、その1です。
このところのラインやりとりを受けて語り合いがはじまりました。
「自分も生き方を変えなければ」ということが頭では分かっていても、実際に切り替えることが出来ていないと感じてしまっている時、さらに努力できればいいのですが、なかなかそうもいきません。
世間が「前向きに生きなきゃ」と当たり前のようにいう現代だからこそ、「そんな簡単に出来れば苦労はしない」「パッと切り替えられない自分ってダメなのかな・・・」とより絶望状態になってしまうことがあります。
そんなこともふまえてのやりとりです。


*諷虹コメントに対しての最近のみなさんの意見から
ダンデリオン「凄く面白かったです!「重心」という言葉の意味もハッとさせられました。北斎の幾何学、オイラーやガウスの逸話、ジョッブズの養育論、読み応えありました!」
コバルトブルー「それにしても重心は重心と思ってしまっていて、暫くパッとしてなかったのですが、重心→重ねる心は、真に会心の一撃(ビッグバン)でした。説明の仕方も上手だし。」
ソルティ 「諷虹さんは、私のつたない質問に答えてくださるときに、非常にわかりやすいので 嬉しいし、また尊敬もしています。」


虚空 (諷虹君は)高専時代に友達にテスト前に教えるときもそうだったけど・・・相手に応じて的確にたとえ話を作り替えて、理解させていっていたんでしょ。で、時には自分よりも高得点をとれるようにしてあげていた・・・。
それって数学による抽象化が類化性能をよりアップしているんじゃないかな


諷虹 発想の飛躍っていうのは大きいかもしれませんね。で、飛躍した先から風が吹けばじゃないですけど、順序だててフィードバックしているところはあるかもしれませんね。


虚空 そのパターンって、アインシュタインが友人に書いた「自分の思考パターンは」っていうのと似てるかもね。「考える 跳ぶ」っていきなり飛躍した発想が浮かんで、あとから理論立てていく・・・。
飛躍っていっても、ベースには「抽象化」ということで本質をつかまえているから、みんな説明を聞いて納得できる・・・それだけじゃなくて「目から鱗」っていうか「ハッとする度合い」が強い。
その持ち味はどんどん生かしていってほしいね。
結局「ハッとする」っていうのが「構えの変革」につながっていくわけだから・・・俗に言う「生きた学力」とか「生活の知恵」に直結していくためには、その感覚が伴わないとダメなわけだよ。

コバルトブルー君が我が子の授業参観で・・・相当イライラしながら観ていたと思うんだけど・・・ラインに書き込んでいたこと・・・


コバルトライン文
最近子供の授業参観に行って、相変わらず馬鹿製造工場みたいなことやっていたので、愚痴ります(笑)

今のところずっと大部分の学校でやっていることはただのクイズ王選手権なんですよね。
そのクイズの得点力が学年の順位、全体の偏差値としてレッテルを貼る。
これって一体なんの為にやっているんですかね?(笑)
大人達が一目で子供達を仕分けできるようにしか思えないし、普通に人間性を歪めさせるものにしか思えないです。

ここが子供達に区別ではなくて、歪んだ差別という意識を植え付けてしまっていると感じます。
教育界(親も同じ目線)そのものが人の上下に人を作ってしまっている。
先生も授業というよりは作業をしている感じ。

授業中の質問は基本煙たがれる。ただ生徒が気を利かせた質問にはご満悦で答えるだけ。
ただ教科書を覚えて知っているというだけで、称賛される世界。
逆に知らない、分からないは見下されたり、馬鹿にされたりする訳だし。
そして自分自身より下を見つけては馬鹿にして見下してはホッとする。

クイズなんてほぼ脳内スキャンだけのものなので、感覚が必要ないんですよ。

だからこそ、あの小学校2年間での虚空学級は救いでしたね。
美学でしたから、先生からの指示がなく迷ったとしてもあたたかいと感じた方に行動すればいいだけでしたし、そこをしっかり汲み取ってくれるから何処のクラスより活き活きしていた気がします。

逆にねずみ男みたいな薄汚い言動、行動には厳しかった訳ですけど。

諷虹 辛辣な


虚空 クイズ王選手権じゃないか、とか感じたのもそれだと思うんだよね。「構えの変革」への共鳴が起き得ないような教室。

*ここからいくつかのやりとりを経てエヴァンゲリオンの大きな流れについての話題 
「明るい雰囲気」から「精神汚染」へと大きく変わる
(列車の中で碇シンジの精神内対話描写が入るようになってから大きく変化)
諷虹 割と碇シンジに共感する人は多い印象はありますね。かくいう私も最近の男主人公キャラよりは嫌いじゃないところありますしね。


虚空 最初の企画書では前向きに変化させるような想定だったような気がするけどね・・・。制作しているうちにそんな簡単に前向きになんてなれないだろう、って思ったんじゃないかな。そこが共感っていうか安心できるところなのかもしれない。
特にさ、今のような12話で完結なんていう流れだと、あっという間に主人公の態度が改善される。そうするとさ、なかなか変われないことに日々悩んでいる視聴者からしたら、自分が置いてきぼりにされたというか・・・すぐに変われないことを否定されているかのような感覚になるんじゃないかな、って思う。
そういうアニメとかを観れば観るほど「よし、自分も頑張ろう」じゃなくて「どうせ自分はあんな風になれない」ってますます自己否定しちゃう。
その点、碇シンジは安心して観ていられるんじゃないかな。
カヲル君にしても「そのままでいいんだよ」っぽい受容的な感じがあるじゃない。


諷虹 後半なんか話ができる相手はカヲル君だけになっちゃったじゃないですか。エヴァQもそうですけど。ミサトさんの立ち位置が全然違ってしまった。
あそこに加持さんがいるといないとじゃ全然違うし。スイカのくだりのような。


虚空 それがある意味で凝縮されたのが「仙狐さん」かもね。
ある人ともそんな話が出たんだけど、あれは単に萌えキャラによる癒しアニメじゃなくて、形式的には幼女キャラってなっていても、主成分は「おばあちゃん」。
仙狐さん自身は「妻と母親」って主張していたけど、あれは「おばあちゃん」だよ。第一話で主人公の回想にもおばあちゃんのことは盛んに出てきたけどね。


諷虹 スーパー仙狐さんタイム、なんていうので視聴者が主観視点で入り込める部分もありますし。


虚空 そりゃやっぱりね、幼い時にそんな思い出があれば尚更刺激されるよ。
自分なんて小学生5年の頃から家族の夕飯を作る立場だったから。独立後はずっと独り暮らしだったし、じいちゃんと同居した数年間も作る側。
だから帰宅した時に夕飯が出来てる、とかいう感覚にはかなり疎い。しいていえば、田舎にいった時に、それこそおばあちゃんが作ってくれたのを・・・っていう思い出が強いからね。


諷虹 メイドなんていうのもそういう存在なのかもしれないですね。メイドラゴンでもメイドがウザイでもそうですけど・・・食事シーンにはどっちも気合入っていましたからね。


虚空 アンドロイドメイドの「まほろまてぃっく」だって料理上手。
メイドものではないけど、「藍より青し」も今時こんな人っているのかっていうような和服女性が料理上手。


諷虹 フルーツバスケット、もそういうところがありますね。
女性とは離れますけど「銀の匙」・・・あそこで八軒がどんどん変わっていけたのも「めし」。どれも胃袋をつかんでいる。


虚空 男女の役割云々じゃなくてさ、やっぱり人間の感覚として「匂い」とか「味」の記憶っていうのは、本当に深い部分につながっているよ。
そうすると「なつかしい味」っていうのに直結することが出来るのは人間関係において大事なもの。
だいたいさ、自分が体を壊して退職する、ってなった時に、一番言われたのが「えっ、じゃあもう先生の作った豚の角煮、もう食べられないの!」だったからね(苦笑)
最初の学校では特にそうだったんだけど、弁当の時には多めにおかずを作って持って行った。クラスの連中が交換して、っていってくるからいつも交換してたんだけど、忙しい親が多い地域だったから、「交換して」って言ってくる子のおかずは冷凍食品のおかずがほとんどだった。お母さんがお気に入りのおかずを作ってくれている子は交換しようとはしなかったのかもしれないけどね。
こっちに来てからの学校は手作りがほとんど。だから交換っていうよりは一方的に提供・・・大鍋いっぱいに作っていくのが恒例になった(笑)

☆「最先端の宇宙論ほど神話的?」

2019年04月20日の諷虹・虚空のやりとりです。
上原先生の命日以来、宇宙論との接点がやたらと意識のアンテナにひっかかってくるようになっています。
数式とか難しい理論などは分かりませんが、科学の啓蒙雑誌や番組などのことを参考にしながら自由に発想を伸ばしています。

というか、むしろ専門家ではないからこその束縛のなさでやりとりしています。
なので科学的には間違った解釈をしながら話を進めている部分も多々あると思いますので、その点はご了解ください。
・・・宇宙の真実を探るための考察が目的ではないので。

日常とは違った世界の情報や仮説を「添加」することによって、どのような発想やイマジネーションが広がっていくのかを試している(楽しんでいる)という感覚です。)

*4月12日の 諷虹・コバルトブルー・虚空 3人のやりとりとの関連も深いので、もしまだやりとり記録をご覧になっていない方はそちらの記事を先にどうぞ 
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/296/ 

*50円玉君宅での話題を紹介。
ニュートン慣性の法則 絶対性⇒相対性⇒相補性
国語教材の詩「命とは」との関連
修学旅行に向けて京都の構造を「おじゃる丸第一話」を使いながら


*冒頭、急須ではなく湯呑にお茶葉を入れてしまう虚空。
虚空 こんなことがジワジワ増えてくると認知症になっていくんだね・・・


諷虹 でもそれが気づいたんだから・・・


虚空 気づけなくなったら年貢の納め時・・・
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諷虹がブックオフに行ってニュートンの古書を購入してきたとの事から


諷虹 こうしてみると最先端の宇宙論ほど神話的ですね


虚空 まさにゲゲゲの鬼太郎のキャッチフレーズ「見えない世界もあるんだ」を通り越して「見えない世界だからあるんだ」「見えない世界がホンモノなんだ」っていうような感覚だよね。


諷虹 この「相転移」なんかもなかなか・・・


虚空 この前ラインの記事にも使ったけど・・・この「相転移」って言う言葉も定着させたい。「トランスフォーメーション」とワンセットでね。
4月17日のライン
08:14 たぬき先生
だから今私の身に次々と降りかかってくることに関しても、とてもプラスにはとらえられないというのが本音。ましてやあのような身勝手な連中に対して「自分の魂を向上させてくれるありがたい存在として感謝」なんていう気持ちにはとてもなれません。父はそういった境地にまで達していたようですが・・・・。(中略)
あわよくば、それがいつのまにか相転移する・・・・そんなことへのヒントとして、ずっと「犠牲論」とか「恨み論」とかを実感実証しようとしているこの数十年のような気がしています。
相転移(読み)そうてんい(英語表記)phase transition
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
相転移
そうてんい
phase transition
相変化ともいう。1つの相から他の相へ移る協力現象。
相転移には,エントロピーや体積などの値が両相で有限の差をもつような一次相転移と,定圧比熱や等温圧縮率の値に有限の差をもつような二次相転移とがある。一次相転移の例としては水蒸気から水,水から氷への転移などがあり,二次相転移の例としては磁性体における常磁性-強磁性転移,合金の秩序無秩序転移,液体ヘリウムの λ 点における正常流体から超流動流体への転移などがある。
虚空 これの三次相転移・・というような使い方を定着させたいものだよ。
精神世界への使い方としてね。トランスフォーメーションだって上原先生が精神世界に持ち込んだんだから。
Wiki の解説
相転移(そうてんい、英語:phase transition)とは、ある系の相(phase)が別の相へ変わることを指す。 しばしば相変態(そうへんたい、英語:phase transformation)とも呼ばれる。 熱力学または統計力学において、相はある特徴を持った系の安定な状態の集合として定義される。
相転移 - Wikipedia
虚空 この解説の方が拡大解釈しやすいかな
諷虹 バンブーブレイドのたまちゃんが、剣道をしているときと戦隊もののヒーローについて語る時でキャラが変わる、っていうのもそうですね。
虚空 「系の相」への変化だね。今まで「モードの切り替え」って言ってきたこととも近いかな。
諷虹 これって可逆性もあるんですね。水が氷になるとか氷が水になるとかあるんだから・・・
虚空 この前みていた番組で宇宙論の第一人者である村山 斉さんの話を聞いていたんだけど、ビッグバン以前の段階について、ホーキングは「虚時間」を導入することで「前」を考える事が意味をなさない、っていうことにした、なんていうことを言っていた。
(その時のやりとり)・・・後述する「最後の講義」という番組https://tvpalog.blog.fc2.com/blog-entry-6193.html・・・以下何度か引用
理工学部学生
物理学者というのは よくビッグバン理論だったりそういった宇宙の始まりについて議論することが多いと思うんですけど、自分が子どもの頃からずっと疑問に思ってるのはそもそも 宇宙ができる前っていうのはどうだったのかっていうことを物理学者っていうのは考えて…なさってるのかなという疑問があるので
お答えをお願いします。
村山 
あの 考えてますけど皆目 分からないです。
ほんとの一番最初のとこっていうのは今の私たちの知ってる物理法則では記述できない。アインシュタインの理論もここで壊れちゃうんだよね。
ホーキング こないだ亡くなったホーキングはまた別のこと言ってますね。
ホーキングが言うにはそもそも宇宙が始まる前っていう質問自身が おかしいんだと。
何を言ってるかっていうと空間だったら右に行っても 左に行ってもいいじゃないですか。
時間の場合には前にしか行けないと思ってるから始まる前っていうのが問題になるわけですよね。
で 彼が言うには 時間ももともとは空間と同じように右に行っても左に行ってもいいようなものだったんだと。
実は 数学的には もし時間が虚数マイナスの数の平方根の虚数だとすると時間も数学的には 右にも左にも行けるようなものになるんです・・・空間と同じように。
でも なぜか その虚数の時間がある時 突然 実数に変わるとそこで時間に向きができたように思うんだと。
だから もともとは時間の前 後ろっていう概念が そもそもないのでそういう質問をしてもしょうがないですよ、ってのが彼の説です。
全く分からないでしょ 何言ってるかね。
(笑い)
何がいけないかっていうと 何でその虚数が実数になったかというのは説明してくれないので それだけだと全然いい説明になってない。
だから それぐらいみんな いろんなこと言ってますけど
よく分かってない すごく大事な問題です。一緒に考えて下さい。
諷虹 今まで意識にはあまりひっかかってこなかったですが・・・相転移・・・・
虚空 モードの切り替えとかトランスフォーメーションとかとはちょっと違う何かを感じさせてくれる用語だと思うんだけど、そこがまだおぼろげ・・・
諷虹 「転移」だから「移る」っていう言葉も入っていますよね。移動のイメージも伴う感じ・・・。トランスフォーメーションだと、その場で転換するっていう感じだけど・・・
虚空 芸談の研究で最初の頃からひっかかっていた「移りと成る」っていうあの言葉・・・それとの関連がありそう・・・。
芸談だから「移り」の感覚・・・・憑依っていってもいいかもしれない・・・それによって「成る」
諷虹 あと「場」ですよね。ここにもありますけど。
虚空 例の世界定めの3要素「時間・空間・ジンカン(人間)」が舞台上の世界を決定する、成り立たせるということなんだろうけど、そこに「真空」だとか「ヒッグス場」だとかがどうからむのか・・・
「ヒッグス場」に関しては以前ちょっとだけやりとりしたけど・・・「質量」の定義が「動きにくさ」であり、その動きにくさを発生させているのがヒッグス場・・・っていうことからすればね、それを人間に置き換えると、心の動きや行動に何らかの影響を与えれば、それはヒッグス場だとかヒッグス粒子みたいなもんじゃない。
諷虹 直感でいろいろと感じた事で・・4つの力(強い力 弱い力 電磁気力 重力)が万有引力とかとの関係・・・素粒子の世界での力の及ぼし方が違う。
虚空 陽子どうしも本来は正電荷どうしで反発するから容易にはくっつくことができないけど、滅茶苦茶気合を入れて融合させて接触させれば今度はガチッとくっついて超安定状態になる、っていうんだろ。その超安定した分だけのエネルギーを一挙に放出すると、水素爆弾とか恒星の輝きになるんだよね。
だから水爆の原理って簡単にいえば水素を原爆で囲んで爆発させることで無理やり圧縮させて水素の原子核である陽子同士を接触させる・・・って何かで読んだ。
諷虹 逆縁と順縁の関係。同じもの同士を無理やりくっつけて・・・それが成功すれば、逆にプラスとマイナスという引き付け合う同士がくっついたよりも強固な結びつきに成り得る。
虚空 似た者どうしだから逆にいがみ合うっていうのがあるからね。
諷虹 同じTシャツを着ている同士で近寄らない。ある意味、場の理論ですね。この空間にこれを着ているのは一人でいい。ライブとかだとみんな一緒での一体感と街中では
虚空 ライブ会場だと、みんなで一つの塊っていう意識だから一体感なんだろうね。街中だとそうはならない。
ただ、同じファン同士だって、古いファンが新参者を歓迎しない、なんていうのがあるじゃない。あとは宗教の世界。同じ開祖様なのに、激しく対立している場合があるよね。互いに攻撃して。
違うもの同士の方が、それぞれの違いを認め合うだけで和合できるけど、対立する理由が異質でない場合は、かみ合わせるところを見つけるのがかえって難しいのかも。
さっき50円玉君に「相補性」についても解説してきたんだけど・・・欠けている部分を他が補う、っていうのは分かりやすいよ。でも、同じところが欠けているとか、満たされているっていうんだとね・・・
受け入れる気持ち・・・添加しあうことで補いあう感覚・・・・あるいはこの前ラインに載せた「エースを狙え」の地獄・極楽の御馳走のような境地になれるだけで、パッと若いできるけどね
諷虹 滅茶滅茶野球のうまいやつが入部してきたと思ったら、それまでのエースとポジションがかぶっていた・・・なんていうのと・・・
虚空 前、某球団の戦力補給で言われてたことがあったよね。自分は野球のことが詳しくないからそういう批判の意味が分からなかったんだけど・・・「4番バッターばかり揃えてどうするんだ」って。
ちゃんとチームで組み合わせて一つっていうのを明確に出しているのが「井上さん」だよね。スラムダンクでもリアルでも、そうした精神があふれていた。
諷虹 (山王工業の)河田がどこでも出来る、っていうのがね・・・一つのパターンしか出来ない弟とは対で描かれていた。
虚空 「器用貧乏」って言葉があるけど、あの選手は本当にどのポジションでも一流レベルだったわけだよね。だから状況によって自分を立ち位置を的確に変化(へんげ)できた。まさに変幻自在。
それが剣道になると(バンブーブレード)榊心(さかきうら)になるのかな。
諷虹 剣道だと上段と下段ってあるじゃないですか。あれも相手に・・・
今、たまたま目に入ったんですけど・・・(水の状態変化の分子構造図)
氷が上段の構えでガチッとしてて・・・気体になるともう何をしてくるか分からない。つかみどころがない。
虚空 バガボンドの吉岡でいえば伝七郎と清十郎だね。
諷虹 図体がでかい方が上段の構えになるのは重力の影響とかもあってそうなるのかな・・・。規則正しい結晶構造は美しいけど、機能美にはあふれていないイメージ。
虚空 自分で自分をガチガチに縛るとか・・・想定内の枠にとどまろうとするのか・・・。
諷虹 麻雀とか花札とか、高い役を狙うと動きが停滞するけど、それを捨てて安い手、軽い手にすると点数は安くなる分動きやすくなる・・・見栄えのいいことばかり追求しようとすると、進みにくい。それを捨てた方が汎用性がある。
あと、電磁気力と光・・・人間世界でも目に見えるものじゃないですか。「光」が波なのか粒子なのかと大議論になったのも、目に見える世界で日常的にありふれていたからなんじゃないのかな、って。
電気だって基本は中学生でも習うような・・・使いこなせているじゃないですか。
電磁気の場なんていうのは目に見える
虚空 砂鉄とかいろいろなことで磁力線を感じることばできるからね
諷虹 でも水分子とかは見えないじゃないですか。
虚空 確かにそれだと、「本当にそうなのかな」くらいの疑問を抱かれることはあっても「そんなわけない」っていうような大議論にはならないよね。それぞれが自分の知覚したことに、どんなことをくっつけたか、が分かれる時ほど議論になる。
自分がずっと昔から「数学」だとか「物理」とかと「人間の精神」「アニメ」なんかとを結び付けるのは、無理やり結びつけているわけでも何でもないんだよ。
「結び付けて確かにそう思える」っていう実感が伴うから。こじつけでもなく。
うちのオヤジも日本古来の発想を説明するのに「自分にもう少し数学の力があればもっと分かりやすく説明できる」っていうのはよく言っていたんだけど・・・大学時代に卒論のテーマにしたフレーベルも、教育学の原点は「鉱物の結晶」などの観察が大きなヒントになったって。セーラームーンの原作者だってそうだよね。高校時代は天文部在籍、大学は薬学部。
武内さんが日本神話についてどの程度知っていたのかどうかは分からないけど、本当にかなりの部分が神話的発想と重なってる。これは興味深いことだよ。
「武内直子」Wiki 解説
・・・山梨県立甲府第一高等学校、共立薬科大学薬学部卒業。平成元年に薬剤師免許を取得し、現在も薬剤師名簿には武内直子の旧姓のままで登録されている。薬剤師および臨床検査技師の資格を保有している。大学卒業後、半年間、慶應義塾大学病院中央検査部に勤務していた。
高校在学中は天文部に所属。一高祭実行委員会でも重要人物として活躍。当時の同級生と共作した一高祭ポスターは高校生の作品とは思えぬクオリティの高い作品として評価されていた。・・・
人物
・・・ネームが詰まるとよく地元の山梨宝石博物館に行っていたこともあり、上述のとおり実家が宝石店であることもあって鉱物マニアとしても知られているほど宝石類にも詳しい。作中のキャラクターにキラル・アキラルなど化学用語やネフライト・カオリナイトなど、鉱物の名前で命名することもある。
諷虹 (ニュートン記事 「アクシオン」 非常に軽いのに動きは遅い ダークマターの正体ではないかという説もある)
虚空 さっきの村山さんの話の中でね、言い方によって印象が大分かわると思ったのが「ダークマター」だったんだ。村山さんの言い方では、学校では「この世界のすべては原子から出来ている」と習うけど、あれは間違いだったと。圧倒的にダークマターの方が多い。でもダークマターは原子で出来ている物質とは違う。「原子以外のもので出きているものの方が圧倒的なんだ」というような言い方は、より強烈に響いた。
「見えない世界に実体がある」っていう感覚により近いよね。
講義記録より抜粋
村山
こういう研究をしていくと 暗黒物質がどこに どんだけあるか分かる。
その結果 はっきりしたのは『宇宙の物質の8割以上は原子ではないんだ』ということが分かりました。
万物が原子で できてるっていうのはあれも大うそだったんですね。宇宙のほとんどは原子で できてないんです。何か違うものなんです。
ところがですね 暗黒物質 実はすごい大事なものなんです。
諷虹 我々の使っている実数の世界が複素平面上ではいかに小さいか、っていうのと似ていますよね。
アレフ0の無限だって、同じ無限でもいかに小さいか。
(オイラーの公式についてのあれこれ)
まさしくエレガントですよね。
虚空 あれもさ、それまでの常識にとらわれて「こんなことあり得ない」「結びつくわけない」って思ってしまっていたら、式を変形していくのを途中でやめたと思うよ。でもそれこそ数式がライフインデキス・・・人知を超えた領域に引っ張って行ってくれた。
上原先生流に言えば、イメージや感情と切り離された言葉の世界に気づかせる・・・それには記号とか数式とかも「数学用語という言葉」として含めれば、そういった言葉だからこそより先入観に囚われなくなる、っていうことだよ。
論理だって、そうした発想を使えば概念を機械的に広げていける。操作性だよ。
そして拡大してから概念の中身について考察していけばいい・・・そういう手順も獲得しておければ、意識世界やイメージ世界をどんどん広げるツールになる。
もちろん幼少期のような何も考えずに自然に湧き上がってくるイメージ運動に誘われての純粋なイメージ世界だって大事だよ。でもある時期になるとどうしたって、理性の枠で自分の中の広大な無意識世界・・・それこそ「共通意識」・・・心意伝承とか元型というようなものと共鳴しあえる部分・・・にフタをしてしまって、自然に湧き上がってくるイメージだけでは掘り起こせないものばかりになってしまう。
だから中学年での「論理性の目覚め」を上原先生は極めて重視していたし、その理想の形を「英才児」たちに見出していたんだと思うから。
(ヒッグス場の話を再び)
さっきの村山さんの日本とアメリカとの学問的雰囲気の違いなんかだって、ヒッグス場としてとらえればわかりやすいじゃない。それは習慣や文化の違いだけじゃなくて、もっと身近な友達同士の関係やクラスや家族による違い・・・。
同じ物質でも場が変れば動きが変化する・・・
*ダークマターについての村山さんの話
暗黒物質 どう頑張っても望遠鏡で見えないんですけれどもいたずらをしてるのでいたずらをしてる現場をつかまえたらいたずら者がどこにいるか分かりますよね。それで どこに暗黒物質がどんだけあるか分かるんです。
諷虹 イタズラの現場を押さえればっていうのも、意図的にいたずらをしているのか、あるいは生まれ持った性質として誰にも観測されない不幸体質のようなものなのか・・・究極に運が悪いのか・・・。
キャラの例え方にやって・・・恥ずかしがり屋なのかいたずらっ子なのか・・・物理法則なんかを擬人化する時にどうなるか。
不確定性原理を擬人化したり、ニュートリノ・・・幽霊みたいなのか、実直なのか・・・どっちでとらえてイラストにするのか。
虚空 その発想がまさに日本人の擬人化の真骨頂だよね。
たとえば今でいう「ツンデレキャラ」なんていうのは、量子論とかでいう「観測している時としていない時とで全く違う面をみせる」なんていうのと違いじゃない。
諷虹 すごく人間くさいですよね。
虚空 そういう例えがつかえるものっていろいろあるよね。化学だと「酸化還元」での酸化鉄と炭素の・・・。恋人を乗り換える感覚で説明したけどさ。
諷虹 このあたりの素粒子に意志があったら「なにくそ、つかまってたまるか」「発見されてたまるか」っていう強い意志を感じますね。
イタズラ好き・・・っていうことで・・・
ネット検索「トリックスター」
Wiki
トリックスター (英: trickster) とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。往々にしていたずら好きとして描かれる。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。
トリックスターは、時に悪意や瞋恚を持って行動したり、盗みやいたずらを行うが、最終的には良い結果になるというパターンが多い。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、乱暴者や愚か者として描かれる場合もあり、両方の性格を併せ持つ者もある。
文化的に重要な役割を果たしているとき(例えば、火を盗むなど)や神聖な役割のときでさえ、おどけてみせたりもする。文化英雄であると同時に既存概念や社会規範の破壊者であり、あるいは賢者であるが悪しき要素を持つなど、一面的な定型に納まらない存在である。文化圏によってはコヨーテやワタリガラスと関連づけられる。
諷虹 今の科学技術の最先端で素粒子とかダークマターとかそういうものの正体をまだしっかりとつかめていない、っていうところが科学技術を躍進させている側面もあるかな、って。混沌を生みだすトリックスター的な役割。
原子とかが世界を創っているんだという風にきちっと説明できてしまったら、もう科学は発展しないわけですからね。
虚空 そういう意味でも、成果主義なんかで「分かった」って言わないと脱落者・負け組になってしまうというような風潮は、本当に世の中をおかしくしたよ。
諷虹 「わかんね」って言って全く停滞してもダメだし、「分かった」っていってそれ以上進まなくなるのもダメ
虚空 実際にさ「もう分かってる」ってすぐに言い過ぎる子は多い。それこそさっきの村山さんの姿勢を学んでほしいものだよ。
人間の心だってそう。河合隼雄さんが盛んに言っていたけど、心理学者だから人の心は全てお見通し、って世間の人は誤解している、って。「人の心は分からない」ということが分かっているのが本当の専門家だ、っていうようなことを言っていた。
そもそも足し算・引き算なんていうのだって、自然数なんていうのだって、当たり前と思われるものほど、実は難しいのにね。
諷虹 「いたずら好き」っていうのもね。辞書でひくと「無益なこと」。
昨日話題にしていた「生徒」の「徒」の字でのもあるんですね。
ネット検索
いたずら
いたづら 【徒】
《ダナ》無益なこと。幾らしても、実りのないさま。「―に時間を費やす」
いたずら
いたづら 【悪戯】
《名ノナ》ふざけて、無益な事やよくない事をすること。悪ふざけ。わるさ。
諷虹 「無駄」「無益」って最先端の宇宙論研究にはよく出てきますよね。でもトリックスターの存在の意味合い的にはそういう「無益」から「有益」を生み出すところにあるわけですよね・・・まさに「無」の物理学(Newton 2010 2 表紙の見出し)
虚空 すぐに役にたつものほどたいして役に立たない、って。具体的に何の役にたつのか分からないものだから逆に汎用性が高くなる。
村山講義記録
公共政策大学院学生 
村山先生ご自身もワクワクするようなすごい面白い話なんだなっていう学問的な好奇心という意味でこの世界の面白さというのは十分 伝わってきたんですがやっぱり 先ほどの大きな装置のようにやはり この分野の実験とか研究にはかなり莫大な費用が必要であってやっぱり その費用っていうのは何かしらの形で社会からの支援を受けて行うものだと思います。
やっぱり その中で学問的な好奇心だけじゃなくてその費用を出してもらうということに対する社会的な責任というのもやはり問われてくるとは思うんですがそういったところをどのようにお考えでしょうか?
村山 
えっと それは全くそのとおりだと思いますね。ほとんどの場合 やっぱりいろんな国の税金でこういう基礎科学の研究が行われているのでもちろん 頂いたお金があるってことはそれについて責任もあるしその価値を ちゃんと説明していかないといけないと思います。
日本って そもそもすごく不思議な国だと思うんですよ。何でかっていうと 全然 資源がない。200か国ぐらいありますよね 世界に。日本のところを見るとどう書いてあるかっていうと「無視できるほどの鉱物資源」(笑い)
200か国見ても 「無視できるほどの」って表現は日本しかないんです。それぐらい 資源がない。どういうことかっていうとイラクに行くと油田ってのはこんな感じですけど日本も油田っていうのはあって秋田の油田というのはこんな感じですね。(笑い)
無視できるほどの鉱物資源。
こんな 資源がない国が普通 成功するわけがない。だから 特に日本みたいに資源のない国っていうのはいつも そういう柔軟にものを考える力っていうのを育てていないと逆に危ないんじゃないかっていうのが私の個人的な考えなんです。
例えば 日本の将来を考える時にイノベーション イノベーションってよく言われるんですが そのイノベーションの代名詞っていうのはiPhoneとか iPadですよね。
でも スティーブ・ジョブズのスピーチ私 すごく好きでいつも聞いてたんですけど彼が言うにはアップルっていうのはテクノロジーの会社じゃないんだと。テクノロジーとリベラルアーツの交差点にあるんだと。「リベラルアーツ」っていうのを辞書で引いてみると「すぐには役に立たない学問」って書いてあるんですけどそれが大事だって言ってる。
だから そういう一見 役に立たないと思える学問こそがほんとに新しいものをつくってきたっていうのは 多分ほんとでそういう例も 実際調べるといっぱい あるわけですね。
だから 直接 役に立たないように見える例えば基礎研究の宇宙であり素粒子であり 場合によっては それこそ哲学とか そういう学問も含めてそういうのがあるからこそ社会として次の一歩を特に変革の激しい今みたいな時代を生き残っていけるんじゃないかと個人的には思っていて。
そもそも こんなこと やることに税金使うことが いいかどうかって問題もちろん あるわけで大事な質問ですよね。
そういう質問を 自分で考えてちゃんと ぶつけてみてその答えをもらおうとして そのあとまたご自分で考えられるんだと思うんですけどもそれって すごく それこそ猿の中でも人間しかできない行為で自分の頭で考えて それを発言してまた受け取って… ってその繰り返しをするっていうことはものすごく大事なことだと私は思ってるんです。
例えば 自分の学生でも基本的に盾ついてくる学生の方が私は好きですね。例えば 「こういう問題やったら?」って言ったら「そんな簡単なこと やらないよ」って蹴飛ばす学生もいました。それから 「こうなんじゃないの?」って言ったら「それ 絶対違う!」って反論してくる学生もいました。
そういう学生の方が一緒にやっててはるかに楽しいです。
暗黒物質が こういうものじゃないかっていう 今日 私の言った説であれ別に 間違ってるかもしれないわけですよね。もちろん いろんな実験 観測で確かに正しかったって証明されたらこれは すごくうれしいですけども間違ってたって分かるのもやっぱり それは進歩で分からないよりも 間違ってたって分かる方が はるかにうれしいです。
だから 自分が正しいことを証明するためにやってるわけじゃなくて人生の中で 答えが出るかどうかすら分からないことをやってるわけじゃないですか。ちょっとでも答えが分かったっていうだけでもすごいことだと思うんですよ。しかも こんだけいろんなことが分かってきてる時代っていうのは めったになかったのでそれだけでも ものすごくやっぱり うれしいですね。
だから 恐れずに自分の考えをちゃんと言ってそれが間違ってることもあり正しいこともあり決着のつかないこともあるわけですけどもそれも やめちゃったらそのあと何もできなくなりますから是非 そういう活動をこれからも続けて下さい。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)
虚空 さっきさ、50円玉君にも話していたんだけど、学校の先生の中には、先生にたてつくどころか、自主的に何か提案をしたり、先生と違う意見を言っただけで激怒して差別的な待遇をするバカ教師がいる。本当にお山の大将というか・・・自分のコピーを作りたいんだね。人間を育てるんじゃなくて。
昨日も言ったけどさ、「先生」っていうのは「先死」で・・・順番からいえば先に死ぬんだからさ・・・・自分の思う通りにコントロールしようなんていう意識はさっさと捨てるべきだよ。そうでないと糸が切れた凧のようになってしまう。
以前自分が書いた原稿の副題・・・折口先生の言葉をもじった「らいふいんできす(生命の指標)は、我が内にあり」に目覚めさせることが本当の役目だと思うよ。