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ゲゲゲの鬼太郎 6期 ☆第35話 感想 上原氏「犠牲論」との関連で

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54559853.html
鬼太郎のもとに向かうアニエスが罵られ石を投げられ・・・なんていう場面には思い出したくない過去をいろいろ思い出してしまいました。ねこ娘さんのような救いの手はなかったですし。砂かけ等々鬼太郎の側近妖怪(?)達が次々と加勢に加わるというのにはジワッとくるものがありましたが、でも直接鬼太郎にお願いするときにはしっかりと自分一人で向き合うのも好印象です。
まなちゃんとのやりとりの中で温かい心の交流によって優しさなどに目覚めなければ、「日本妖怪を利用してやれ」くらいにしか思わないでドライに割り切れ、悩まずにも済んだのに、というようなことをアニエスが訴えかけていました。
これは上原輝男氏の犠牲論の重要なポイントと通じるものがあります。
優れているから何の悩みもない苦労もない「いい暮らしができる」というのではありません。それだからこそ試練の多い人生に成り得る。繊細な心を持っている人間の方が、鈍感で人を傷つけても何とも思わない人よりもずっとストレスや悩みをかかえてしまうこともよくあることです。他人の悩みや苦しみも自分のこととして受け止めてしまいますから。
そういったプラスの特性の持ち主だからこそ、犠牲者として選ばれてしまう・・・犠牲は結果ではなく、あらかじめ神様にマークされてしまった存在・・・というのが大きなポイントです。
西洋妖怪ではあるし、神にではなく悪の親玉妖怪にではありますが、アニエスも姉より魔法力の素質があるからこそ、バックベアードに選ばれて、母親どうように生贄になる運命を背負ってしまった・・・そしてまた、鬼太郎と接触して世界中の命運を左右する存在として苦難の日々を送ることになっている・・・という点で、まさに上原輝男氏のいう日本人本来の感覚での「犠牲者」です。
だから「貴種流離」なんていうお話の型なんかがあるんだと折口先生も指摘されています。
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