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2018,12,07 諷虹・虚空⑤「人生の充実 時間意識」

*本日の総まとめ
虚空 この世的にみて「はかない人生」「どういう意味がこの人生にあったんだろう」ってついつい考えてしまう事ばかりの自分の人生だったし、つい最近もそれを痛感させられることがあったんだけど・・・・
 「自分の人生を悔いなく生きる」というのを幼い子どもであっても出来る範囲でというのは大事かも。主体性を認め、自覚し、それを喜びとできる小さな積み重ね。幼児期であってもね。
 それこそ、重賞レースに出場するだけで競走馬の世界ではすごいというのも、そこにいくまでに一体どのくらいの数の仔馬が切り捨てられ、極秘処分されてペットフードになってしまうのか。今の日本では競走馬候補として毎年7000頭くらいは生まれていらしいけど、それがみんな競走馬になれているわけじゃないのは明らかだろ。

 じゃあ、切り捨てられる馬に意味があったのか・・・ペットフードなどになったという以上の生きている時点での生きる喜び・・・経済動物の宿命と割り切る考えが主流だそうだけど、今は子ども達も「経済動物」扱い。

 どこぞの首長が公然と口にしていた「エリート教育」「学力の結果を出せる学校以外は存在意義がない。潰れればいい」というような発想は、まさにその象徴。
 上原先生の言い方だと「人間が消耗品扱いされている」というのがさらに加速している時代。体を壊した自分が用済み扱い、使い捨てカイロ扱いされているのも同じこと。
 実績を残した馬だって、種馬として行先がある馬がすべてじゃないようだし。
 悔いのないように生きる、っていうのも「今に生きる」というのと「行き当たりばったり」の違いなんていうことからしても、難しいところだね。
 「となりの吸血鬼」で、エリーがちょっと昼寝していたら100年たっていた、っていうことになっているじゃない。あれなんかも「たとえ100年」という長さであっても、「満足・納得・喜び」が伴わなければ、過ごした実感がない空白の時間、寝ている時に実時間を感じられないわけだから、当人にとっては長いも短いも関係ない時間、っていうことになるんだろうね。
諷虹 でもこうも言えますよね。あんな100年寝過ごしていたエリーがああして毎日来ているというのがね・・・。
 灯たちがいる毎日は100年以上に相当するってとらえることもできる。
虚空 人間関係によって意識世界では物理的な時間を超越して、という生き方だね。
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