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ゲゲゲの鬼太郎 6期 ☆第35話 感想 上原氏「犠牲論」との関連で

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54559853.html
鬼太郎のもとに向かうアニエスが罵られ石を投げられ・・・なんていう場面には思い出したくない過去をいろいろ思い出してしまいました。ねこ娘さんのような救いの手はなかったですし。砂かけ等々鬼太郎の側近妖怪(?)達が次々と加勢に加わるというのにはジワッとくるものがありましたが、でも直接鬼太郎にお願いするときにはしっかりと自分一人で向き合うのも好印象です。
まなちゃんとのやりとりの中で温かい心の交流によって優しさなどに目覚めなければ、「日本妖怪を利用してやれ」くらいにしか思わないでドライに割り切れ、悩まずにも済んだのに、というようなことをアニエスが訴えかけていました。
これは上原輝男氏の犠牲論の重要なポイントと通じるものがあります。
優れているから何の悩みもない苦労もない「いい暮らしができる」というのではありません。それだからこそ試練の多い人生に成り得る。繊細な心を持っている人間の方が、鈍感で人を傷つけても何とも思わない人よりもずっとストレスや悩みをかかえてしまうこともよくあることです。他人の悩みや苦しみも自分のこととして受け止めてしまいますから。
そういったプラスの特性の持ち主だからこそ、犠牲者として選ばれてしまう・・・犠牲は結果ではなく、あらかじめ神様にマークされてしまった存在・・・というのが大きなポイントです。
西洋妖怪ではあるし、神にではなく悪の親玉妖怪にではありますが、アニエスも姉より魔法力の素質があるからこそ、バックベアードに選ばれて、母親どうように生贄になる運命を背負ってしまった・・・そしてまた、鬼太郎と接触して世界中の命運を左右する存在として苦難の日々を送ることになっている・・・という点で、まさに上原輝男氏のいう日本人本来の感覚での「犠牲者」です。
だから「貴種流離」なんていうお話の型なんかがあるんだと折口先生も指摘されています。
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2018,12,08 諷虹・虚空⑥ 昭和の頃の「笑点」の話題

☆「笑点」の話から・・・虚空は三波伸介が司会で歌丸と小圓遊のやりとりの頃が一番印象に残っている⇒おなじみのメンバーの若い頃が・・・動画検索
諷虹 昭和っぽいというか・・・
虚空 笑いに品格が求められていたかもね。笑わせればどんなネタだっていいというわけではないというような。今のバラエティーなんて「みんなで楽しむためには、こんな風に特定の誰かをいじったり、からかったり、嫌なことをさせましょうね」って教えているようなものだから。で、観ている子たちは、それでギャラをもらっているという部分は全く抜きにしてとらえてしまう。これは大変な問題だよ。

2018,12,07 諷虹・虚空⑤「人生の充実 時間意識」

*本日の総まとめ
虚空 この世的にみて「はかない人生」「どういう意味がこの人生にあったんだろう」ってついつい考えてしまう事ばかりの自分の人生だったし、つい最近もそれを痛感させられることがあったんだけど・・・・
 「自分の人生を悔いなく生きる」というのを幼い子どもであっても出来る範囲でというのは大事かも。主体性を認め、自覚し、それを喜びとできる小さな積み重ね。幼児期であってもね。
 それこそ、重賞レースに出場するだけで競走馬の世界ではすごいというのも、そこにいくまでに一体どのくらいの数の仔馬が切り捨てられ、極秘処分されてペットフードになってしまうのか。今の日本では競走馬候補として毎年7000頭くらいは生まれていらしいけど、それがみんな競走馬になれているわけじゃないのは明らかだろ。

 じゃあ、切り捨てられる馬に意味があったのか・・・ペットフードなどになったという以上の生きている時点での生きる喜び・・・経済動物の宿命と割り切る考えが主流だそうだけど、今は子ども達も「経済動物」扱い。

 どこぞの首長が公然と口にしていた「エリート教育」「学力の結果を出せる学校以外は存在意義がない。潰れればいい」というような発想は、まさにその象徴。
 上原先生の言い方だと「人間が消耗品扱いされている」というのがさらに加速している時代。体を壊した自分が用済み扱い、使い捨てカイロ扱いされているのも同じこと。
 実績を残した馬だって、種馬として行先がある馬がすべてじゃないようだし。
 悔いのないように生きる、っていうのも「今に生きる」というのと「行き当たりばったり」の違いなんていうことからしても、難しいところだね。
 「となりの吸血鬼」で、エリーがちょっと昼寝していたら100年たっていた、っていうことになっているじゃない。あれなんかも「たとえ100年」という長さであっても、「満足・納得・喜び」が伴わなければ、過ごした実感がない空白の時間、寝ている時に実時間を感じられないわけだから、当人にとっては長いも短いも関係ない時間、っていうことになるんだろうね。
諷虹 でもこうも言えますよね。あんな100年寝過ごしていたエリーがああして毎日来ているというのがね・・・。
 灯たちがいる毎日は100年以上に相当するってとらえることもできる。
虚空 人間関係によって意識世界では物理的な時間を超越して、という生き方だね。

アニマエール ☆第八話感想

参考サイト  http://anicobin.ldblog.jp/archives/54494568.html
(虚空)
いよいよ本格的に牛さんの登場でしたが、きつい印象とは裏腹にすぐに恥ずかしさ等々で真っ赤になってしまう描写の連発のバランスが観ていて好印象でした。
有馬さんも含めて自分の視野が狭かったことが自然に自覚されていくプロセスも良かったと思います。
理屈っぽい言い方になってしまいますが、「人間」を「人間」としている以上は、「他とのつながり」を離れてのことはあり得ない・・・どんなに他との関係がわずらわしくても・・・関わり方の中にも喜びや生きがいが見出されなければ「人としての喜び」をさらに上回る「人間としての喜び」はなかなか味わえないのでしょうね。
私などは人生の半分以上を独り暮らしで、ほとんど生の他人との関りがない状態で過ごしていますから、正直いって「人間としての喜び」はほとんど味わえていません。
(諷虹)
よく強豪校で血反吐をはくようなきつい練習をしていたキャラが(いい意味で)ゆるい環境を見て驚くという展開があります。好成績を残す、自分を高めるといったことももちろん大事ですが、それはほんの一面でしかなく他の面でもその道を極めることがあるのだと思います。『ガールズ&パンツァー』における大洗の戦車道なんかがまさにそんなところでしょうか。
今期の『風が強く吹いている』も丁度そんな展開真っただ中です。今のところはまだ過去のやり方にこだわってしまっている主人公ですが今後どうなっていくのか注目です。

となりの吸血鬼さん  第一話感想

*諷虹
作品の雰囲気や設定などが個人的なツボで、吸血鬼の方が引く件ぐらいからだんだん引き込まれ、血液ネタをはじめとする現代に生きる吸血鬼ジョークで思わず笑ってしまっていました。ミイラの飼い方のミーくんのミイラネタのように、ソフィーの”吸血鬼ならでは”のネタがふんだんに出ていましたが、それが尽きた時どうなっていくのか今後の展開が気になります。
*虚空
吸血鬼さんの方が現代日本に順応して生き抜いてきている、というギャップが見所なんですかね。まあ理屈ぬきで楽しく観ました。
最近「このはな綺譚」を観返していたので「人形」がやたらと出てくるのも面白かったです。
あと、血液がらみのシーンをみるたびに「あの中の血球や血小板たちは」というのがやたらと気になりました。「はたらく細胞」が私の意識に与えた影響が深いことを再確認です。
        
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