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『波動同士の共鳴』⑤「現実世界は自分の内?外?どっちにある??」 2018,12,30 諷虹・虚空やりとり + ライン

ある話題が続いての流れで
諷虹 全視点 全観点っていうのも・・・ある部分に集中することで、そこが「世界」になるのかな、って
虚空 そもそも「世界」とは何ぞやっていうことだね。
ちょうど昨日中2の 50円玉君 にも話したことなんだけど「世界」があるからその中に人間がいる  のか  人間がいるから「世界」というのが生まれるのか。
これだけ個々人で意識世界が違ってくるんだから、現実世界だって、外部にあるのではなくて個々人の内部にしか在り得ないんじゃないか、って。
それで教材として「月刊少女野崎くん」を使ったんだけどね。
諷虹 観点っていうと、さっきのフーリエ変換の話ででたフィルターを通す前を観測するのかあとを観測するのか
虚空 そこなんだけど、そもそも人間ってフィルターなしになれるのか、って。これは高校の倫理社会で西田幾多郎の「純粋経験」を習った時からずっとひっかかっているんだよね。
上原先生だって本当の意味での客観なんてあり得ないって。藤岡先生のイメージタンクと感覚器のことからしても、やっぱりそっちの方が人間に即しているんじゃないかなって。
まあまともに瞑想なんてやったことがない自分が自分基準で大哲学者の意見に意義をとなえるのはおこがましいし、禅を極めた人間なら案外可能なのかもしれないけど。
諷虹 そもそも錯覚とか、自分の都合のいいように本当にとらえてしまうっていうこともありますしね。被害妄想なんてそうですよね。全部自分基準に置き換える。
虚空 そしてそれは本人にとっては間違いなく「現実」なんだものね。
諷虹 やっぱりここに「集合論」がでてくるんですね。
虚空 集合の演算 っていうことと さっきの 波のかけ算による新たな世界の構築 っていうのもつながりそう
諷虹 論理的に集合を処理することで、自分に都合の良い悪いではなく判断できる。これが理系は論理的とか文系は感情的とか・・・
虚空 文系人間も、それができることでこれまでの縛りを断ち切って新展開ができる、っていうことをずっと言い続けているわけだよ。理系と呼ばれる人たちより、より強力に縛り付けていると思うし、そもそも純粋なイメージ世界が構築できているんだから、むしろそれを守ろうとする。その世界に中にふさわしいものはどんどん取り込むけど、違う要素はいれない。添加しない。
前線形代数の話で出てたじゃない。純粋に最初の頃からのイメージ世界だけ、っていう場合と新たなことを取り込みながらっていうのをベクトルにたとえたことがあったじゃないか。
諷虹 従属ベクトルですね。独立なベクトル(方向が違うベクトル)だと面が構築されますが、従属ベクトル(方向が同じベクトル)だと何本用意しても線にしかならない
虚空 添加とかベクトルの基準を増やして意識世界とかイメージ世界を多様に、って言ってもね、実際は全部自分の無意識世界から出てくるんだよ。ただ、さっき言っていたような「意識の向け方」「スポットライトのあてかた」で、これまで自分の中に光をあてなかったところにあててみる。物置にたとえれば開けたことのない箱をけてみる。ビルだったら行ったことのない階にもいって知らない部屋をあけてみる。
児言態の授業ってそういうことなんだから。上原先生が言っていたのは。
だから全体の構造を問題にしていたし、それによって現在の自分の位置が確認できれば、空白が自覚できるから次のステップに自然にのぼっていくんだ、って。
高学年とか中高生以上だと、論理とか知識を武器にしてどんどん世界を広げることに目覚めていけばいい。そういういみで思考・感情(イメージ)・知識(広い意味での用具言語)が統合されて「構え」という生き様に流れ込んでいく・・・それをまさに聖徳の子ども達はみせてくれた。
諷虹 さっきの視点観点ですが、視点を向けるから見えないところも見えるわけですが、逆に意識して見えるところができるから、視点をむけていないで見えていないところが発生する。これが積もり積もっていくと空白部分・・・未知の領域が浮き彫りになってくる。
虚空 逆説的な世界観だね。
諷虹 視点を向けるべき場所がみえてくる・・・「見える」「見えない」以外の第三の場所みたいな。
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漢字の勉強 2018,12,14- からのやりとり

2018,12,14
コバルトブルーのライン書き込み、小2息子の漢字練習の話から
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14:55 コバルト
 ちょっと私事であれなんですが、ここ最近子供が「学校なんてなくなっちゃえばいいんだ」って頻繁に口に出すので、自分が学生の時とまったく同じ境遇なものですから、このまま行くと、自分と同じ勉強意識の一斉放棄になる兆候が出ているので本気で悩んでいます。
自分にしても勉強アレルギーを克服するまでえらい時間がかかりましたし??
後遺症は全然あると思います。
また先生が宿題をミッションと言い換えただけで子供はのせられて宿題をやると思ってると小学校2年生の家の子供は見透かしているんですよね。
宿題もやったとしても、流れ作業としてやっている所(漢字でいうと読み方も理解しないで、同じ線を何個も同時進行で書いていって完成させる感じ)をみて愕然としました。(俺と同じことをやっている??たしかに早く終わらせるには効率がいいからな(笑))
なのでこういうやり方をするぐらいなら宿題はやらなくてほしいと言いました。
さすがに学校も行くか行かないか自分で決めなさいっていうふうにもしようと思います。
家族も頭ごなしで学校に行け!!なものだから。
親と先生のメンツで勉強や宿題をやっている子供達の意識が不憫でならないですね。
今の学校教育から社会までがんじがらめな状態、子供達の逃げ道が大人達の安心感や利益の為に八方ふさがりの状態、逃げ道がなくなってしまい最終的に自殺という選択肢も頭によぎってしまう。
そうですね、義務(型にはまる)の放棄!これが毎年実際18万人が自ら命を絶つ自殺大国日本の影の部分ですね。
追い込まれた人間は何をしでかすか分かりませんから
義務教育から自由教育に切り換えなきゃいけない時代なんだと思います。おたがいのメリット、デメリットを知った上で。
15:44 ソルティ 
高校生になる時、親の見栄のために大学なんか行きたくないとおばあちゃん先生に言ったことがあるのを思いだした。まあ実際にはほとんどの生徒が進学する学校だったので、一人進学をやめるという選択肢は選べなかったけど。(小心者))無理無理・嫌々受験勉強をやったあげく一応大学には出かけたけど、殆ど学校にいかなかったような・・・?ゼミの先生にも(教育学の女性の先生・北からの帰還者)勉強しない学生はほっておくタイプの先生。なぜか、その先生に「こんといて頂戴( こないで頂戴 )」と言われ そのまんまゼミに行かなかった。大学生活、学問など何もせず、殆ど無為にすごした。
漢字練習の提案
1、きったない字で、よーいドンで 漢字を何分で書けるか?に挑戦する。(一応宿題終わり)
2、コバルトブルー君が 漢字を学ぶ面白さを教える。っていうのは どうでしょう?
以前 ポステイングをやったことがありました。時給1000円位、という話だったけど、家のポストを探したりしていたら、延々と時間がかかって 時給500円にもならなかったけど、だんだんと回数を重ねていると早くなって、その成長?に自分で感動し、もっと効率よく。。。などとがんばったことがありましたっけ。ある程度やったら 自分が満足して もういっか。となりました。積み上げるとか、工夫するとか、それなりに面白いかも?
大事なことは、多分、つまんない学校~。だって ぽにょぽにょじゃん、といわれたときに、そだね~と理解してくれている人が一人でもいることじゃあないだろうか?
とりあえず、中学校までは出かけて、その先の選択肢を沢山みつけておいてあげたらどうだろうか?と思う。何より分かり合えるお友達ができるといいな~と思う。
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☆諷虹・虚空の直接やりとり
諷虹 そもそも漢字ドリルとかだと 二 というような単純な漢字と 校 とかを同じ回数ずつ練習させるじゃないですか。それってどのくらい意味があるのかな、って。
虚空 回数じゃなくて、本当に覚えた と責任持てれば回数は自由、っていうことにすればいいんだよね。複雑な字だって2~3回で覚えられればそれでいいし、20回必要だったら20回とか。で、漢字テストでそれを証明するとかね。
あと大事なのは時間をおいてテストをくりかえすこと。校内一斉の漢字力テストのあとなんて特にね。
校内一斉は親も力を入れて勉強させるから結構いい点をとるんだけど、無理して強制的にさせた分忘れるのも早いから。2~3日後でもすごいよ、低下率。それでも一回目にいい点をとった子には終業式の日に各クラスで担任からの表彰状を渡すんだからね。その時点ではほとんど忘れて書けなくなっていても。
どうして定着しないかといえば、一つには使わないから。ノートでも作文でも習った字を使わない。理由を聞くと「漢字でかくのが面倒くさいから」って。
何を目的にするかだよね。ただノートが埋まればいいとか・・・それだと、よく中高生が学校のワークで時々わざと誤答を交えながら答えを丸写しでやっていて・・・教師もそれを黙認、なんていうのと同じだよ。
*実例をいろいろと話す。
諷虹 そもそもやっていて面白くないじゃないですか。それなら適度な回数を踏まえられるような実際の文章を写した方が・・・。あんなヤンデレの手紙みたいに同じ言葉を執拗にくりかえすなんて。
虚空 逆にヤンデレの手紙風に書かせるとかね・・・高校生くらいじゃないと通用しないかもしれないけど。
諷虹 何かもっと工夫が必要。
虚空 あとは罰として漢字練習とかさせる先生もいるけど、あれも問題。ましてや罰として掃除をさせるなんて、問題外。勉強や掃除は人間としていけない事と教育いしているようなものだよ。とんでもない差別教育。
諷虹 中2病っぽい傾向のある子は逆に難しい漢字や言葉を好んで使おうとするから習っていないものでもどんどん覚える
虚空 「気どっていた子」なんていうのはそうだったからね。気位の高い子。最近は小学生で気どったり生意気な子っていうのが本当に減っていると思う。マア大人にしてからに痩せ我慢なんてもしない・・・動物的な本能丸出しで我が侭し放題。そんな大人ばかりみていたら気位を高めようという意識すら芽生えないよ。
諷虹 習っていなくても難しい字を使おうという事がありませんよね
虚空 昔だったらもっといたよ「これって漢字でどう書くの?」って聞いてくる子が。
それこそさっき言っていたようにマニアックな専門書でも興味をもったものをどんどん写させるとか
諷虹 好きな歌の歌詞とかね
虚空 それで分からない言葉があればどんどん知らさせる・・・ネットではなく。
聖徳の図書室なんていうのは、まさにそういった環境が整っていたよね。
諷虹 オタク気質っていわれそうですが、好きなことへの執着心で調べたものは覚えようと思わなくたってどんどん覚えちゃう
虚空 ポケモンのキャラ名だけでなく能力とかだってスラスラ言える小学校の低学年なんていっぱいいたじゃないか。
空海の楷書をきちんと書いていた時代から、不思議な字体に変化していった様子を紹介したあの番組を観せるとかね。古典的な字体なんでデザインとかイメージの観点からもかえって小学生とかは面白がる子がいるよ。
ライン書き込み********************* 
16:05  虚空
現在いつもより早めの時間帯で諷虹宅。漢字練習のことからいろいろとやりとりをしている最中です。あとで例のごとく更新します。
ソルティさん、気合の入った書き込み・・・すごいなと言いながら二人で読んでいます。
16:08 ソルティ
別に気合がはいっているってわけじゃあなくて、お喋りが好きなんですよ~。では お二人のやりとり楽しみにまってま~す。
 全然話がかわって申し訳ないんですけど、外国の方が学ぶ「漢字」のバイブルがあるそうで、それを読むと 難しい漢字も簡単に覚えられる っていう。芸人の何とか?っていうお兄さんがそのバイブルで学んで 難しい漢字を沢山覚えられたらしいのですけど、 その日本語版ってあります?実は私は、日本人なのに漢字も言葉も知らないので ちょっと勉強できたら楽しいかな?って思う。学童の子供たちにも 漢字の覚え方みたいなことを教えてあげたれたら 楽しいかな~と思うので。
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虚空 「漢字の学習」の究極の狙いだって、一体未来を担う子供や若者たちに、どういったことだけは伝えたい、という想いがあるのかだよね。
単に指導者や地方公共団体の長が学力テストの点数だけで周囲に認められるため、なんていうのは子供にとってはどうでもいいことなんだもん。
諷虹 今週の「風が強く吹いている」(駅伝を題材にしたアニメ)・・・長距離ランナーに対する一番の誉め言葉は速いことではなくて、強いことなんだと。毎日自分を競争相手として毎日鍛錬をし続けるか。
ウマ娘でも皐月賞は短距離だから「一番早い馬娘が勝つ」菊花賞は一番距離が長い上に坂が二回もあるから「一番強い馬娘が勝つ」、で、ダービーは一番運がいいウマ娘が勝つ、って・・・
虚空 レースによってどういった馬が勝つのかという基準が違うというのは、当たり前のことのようで、教育界とか人生を考える上では忘れられているよね。
あんな学力テストの結果とか、今の学校教育のカリキュラムに適応できる子だけが、万能であるかのような風潮は愚の骨頂。
上原先生だって学校教育制度が今の様に整っていなかった江戸時代の方が本当の力や強さを身に着けていたんじゃないかって。それこそ多様性に満ちた。
華々しく目立つ活躍ができる人間だけではなくて、むしろ日の目をみないような縁の下の力持ちのような立場、あるいは女性だったら主婦としてに何十年も生活していたら「おかみさん」として神格が認められるような境地。今でも京都のお茶屋でも相撲部屋でも日本伝統の世界はその名残を残しているから。
でも、中国の「名をあげる」「名誉」云々の思想が入ってきてからおかしくなってしまった。
(他のアニメの話題)
ライン********************
20:44 ヒマワリ
てか単に学校に行きたがらない理由は勉強だけなの?
私が漢字の面白さを知ったのは中1?かな?
小学生の時はノブと同じように木木木木木木かいて冊冊冊冊冊冊とかやってたよ(笑)
でもそれだとテストで点数取れないっつーことが分かって前後の文章の大事さを知った(やった?)
ゆとり世代とはいえ100点の魅力に頑張る気持ちは私も多少あったと思う。笑
まー別に勉強なんかできなくたっていいんじゃないこうして生きてる奴らが山ほど居るから。
宿題はやんなくていいけど、学校は遊びに行っといたら?って感じ。
社会との繋がりを絶ってほしくはないかな?。
2018.12.15 土曜日
06:46 ソルティ
ヒマワリフクロウちゃん流石~。まず、漢字のおもしろさを自らが発見したというのがすごいな~と思う。
ワタシの場合はただひたすら覚えたって感じ。(=小学校)だけど中学に入ってからは英単語を覚えるのが大変で漢字なんてやっている暇がなかった。大学で空虚になったのは、ひたすら、無理やり詰め込んだ受験勉強のせいだと思う。( 何だったんだ~受験勉強 )親の圧力はないし、大学も行かなくてもそこそこ、ゆえにさぼった。学びもせず、だからといってはっちゃけもせず、全部 そこそこ。いや~ 何度も言うけど、児言態の方々に出会ったときは、(しもた、=しまった)しっかり勉強しとけばよかったと思った。
でも、まあ、今考えると いわゆる学問は嫌いなんだということがわかる。人生はなが~~~い。まあムリせずいきまっしょい。
追伸。。。お子様にとってお友達は大事だと思うので、ヒマワリちゃんが言っているように、学校は遊びに行っといたら?って言ってあげると気持ちが楽になるんじゃあないかな?と思う
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☆児童の言語生態研究会 ブログに 上原語録「漢字」あり
http://jigentai.blog.shinobi.jp

ゲゲゲの鬼太郎 6期 ☆第35話 感想 上原氏「犠牲論」との関連で

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54559853.html
鬼太郎のもとに向かうアニエスが罵られ石を投げられ・・・なんていう場面には思い出したくない過去をいろいろ思い出してしまいました。ねこ娘さんのような救いの手はなかったですし。砂かけ等々鬼太郎の側近妖怪(?)達が次々と加勢に加わるというのにはジワッとくるものがありましたが、でも直接鬼太郎にお願いするときにはしっかりと自分一人で向き合うのも好印象です。
まなちゃんとのやりとりの中で温かい心の交流によって優しさなどに目覚めなければ、「日本妖怪を利用してやれ」くらいにしか思わないでドライに割り切れ、悩まずにも済んだのに、というようなことをアニエスが訴えかけていました。
これは上原輝男氏の犠牲論の重要なポイントと通じるものがあります。
優れているから何の悩みもない苦労もない「いい暮らしができる」というのではありません。それだからこそ試練の多い人生に成り得る。繊細な心を持っている人間の方が、鈍感で人を傷つけても何とも思わない人よりもずっとストレスや悩みをかかえてしまうこともよくあることです。他人の悩みや苦しみも自分のこととして受け止めてしまいますから。
そういったプラスの特性の持ち主だからこそ、犠牲者として選ばれてしまう・・・犠牲は結果ではなく、あらかじめ神様にマークされてしまった存在・・・というのが大きなポイントです。
西洋妖怪ではあるし、神にではなく悪の親玉妖怪にではありますが、アニエスも姉より魔法力の素質があるからこそ、バックベアードに選ばれて、母親どうように生贄になる運命を背負ってしまった・・・そしてまた、鬼太郎と接触して世界中の命運を左右する存在として苦難の日々を送ることになっている・・・という点で、まさに上原輝男氏のいう日本人本来の感覚での「犠牲者」です。
だから「貴種流離」なんていうお話の型なんかがあるんだと折口先生も指摘されています。

2018,12,08 諷虹・虚空⑥ 昭和の頃の「笑点」の話題

☆「笑点」の話から・・・虚空は三波伸介が司会で歌丸と小圓遊のやりとりの頃が一番印象に残っている⇒おなじみのメンバーの若い頃が・・・動画検索
諷虹 昭和っぽいというか・・・
虚空 笑いに品格が求められていたかもね。笑わせればどんなネタだっていいというわけではないというような。今のバラエティーなんて「みんなで楽しむためには、こんな風に特定の誰かをいじったり、からかったり、嫌なことをさせましょうね」って教えているようなものだから。で、観ている子たちは、それでギャラをもらっているという部分は全く抜きにしてとらえてしまう。これは大変な問題だよ。

2018,12,07 諷虹・虚空⑤「人生の充実 時間意識」

*本日の総まとめ
虚空 この世的にみて「はかない人生」「どういう意味がこの人生にあったんだろう」ってついつい考えてしまう事ばかりの自分の人生だったし、つい最近もそれを痛感させられることがあったんだけど・・・・
 「自分の人生を悔いなく生きる」というのを幼い子どもであっても出来る範囲でというのは大事かも。主体性を認め、自覚し、それを喜びとできる小さな積み重ね。幼児期であってもね。
 それこそ、重賞レースに出場するだけで競走馬の世界ではすごいというのも、そこにいくまでに一体どのくらいの数の仔馬が切り捨てられ、極秘処分されてペットフードになってしまうのか。今の日本では競走馬候補として毎年7000頭くらいは生まれていらしいけど、それがみんな競走馬になれているわけじゃないのは明らかだろ。

 じゃあ、切り捨てられる馬に意味があったのか・・・ペットフードなどになったという以上の生きている時点での生きる喜び・・・経済動物の宿命と割り切る考えが主流だそうだけど、今は子ども達も「経済動物」扱い。

 どこぞの首長が公然と口にしていた「エリート教育」「学力の結果を出せる学校以外は存在意義がない。潰れればいい」というような発想は、まさにその象徴。
 上原先生の言い方だと「人間が消耗品扱いされている」というのがさらに加速している時代。体を壊した自分が用済み扱い、使い捨てカイロ扱いされているのも同じこと。
 実績を残した馬だって、種馬として行先がある馬がすべてじゃないようだし。
 悔いのないように生きる、っていうのも「今に生きる」というのと「行き当たりばったり」の違いなんていうことからしても、難しいところだね。
 「となりの吸血鬼」で、エリーがちょっと昼寝していたら100年たっていた、っていうことになっているじゃない。あれなんかも「たとえ100年」という長さであっても、「満足・納得・喜び」が伴わなければ、過ごした実感がない空白の時間、寝ている時に実時間を感じられないわけだから、当人にとっては長いも短いも関係ない時間、っていうことになるんだろうね。
諷虹 でもこうも言えますよね。あんな100年寝過ごしていたエリーがああして毎日来ているというのがね・・・。
 灯たちがいる毎日は100年以上に相当するってとらえることもできる。
虚空 人間関係によって意識世界では物理的な時間を超越して、という生き方だね。
        
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