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☆「道」と「自然(じねん)」① 「学習塾ダンデリオン」ツイッター記事

やりとりのきっかけとなった 2019年 2月4日 「学習塾ダンデリオン」ツイッター記事の転載です
「お話」では東日本大震災のことなども例に出されています。
(老子道徳経 下編徳経65)古の善く道を為す者は、 以て民を明らかにするに非ず、将に以てこれを愚かにせんとす。 民の治め難きは、其の智の多きを以てなり。 故に智を以て国を治むるは、国の賊。...智を以て国を治めざるは、国の福なり。 此の両者を知るは、亦た稽式なり。常に稽式を知る、是を玄徳と謂う。 玄徳は深し、遠し。 物と与(とも)に反(かえ)る。 然る後乃(すなわ)ち大順に至る。
 【大体の意味内容】 往昔(おうじゃく)の、「道」理を善く体得した者は、それによって人民を明敏にしたのではなく、むしろ凡愚であるかのように配慮した。人民で治めにくいのは、自分の利に敏く、「道」理を無視した知識をやたらと振りかざす者たちである。だから功利的な知を重視した政治は、国を害することになる。そのような理知を振り回さずに国を治めることが、国家にとっての幸福につながる。この二つのことをわきまえることが、「稽式(けいしき)」すなわち「法則を稽(かんが)え実践すること」になるのだ。 言い換えれば、この世を成り立たせている「道」理を稽え、その「道」理に従った生き方を実践しようとする努力である。 常にこの「稽式」を知るべく修行すること、これを「玄徳」という。「玄徳」とは「玄(くろ)」くて深く、そして深淵(しんえん)なる生命の「徳(はたら)き」である。 万物が皆そこへと帰還するような、根源である。そのようにして我々は、「大順」つまり「大いなる自然(じねん)への順応」の境地に至るのである。
【お話】この章はよく誤解されます。「愚民(ぐみん)政治(せいじ)」を説くもの、つまり「民衆を愚かな存在にして、支配しやすくするべきだ」と主張していると決めつけられることがあります。しかしそのような浅はかでくだらない考え方とするのは、『老子』全体を読んでいない者の独断に過ぎません(もちろん、「愚民政治」を実行しようとする不届きな権力者や大富豪はたくさんいるので要注意ですが)。 
『老子』全編を通じて忌み嫌われている『智』とは、宇宙・自然・世界・時間(じかん)・空間(くうかん)・人間(じんかん)(『人間(にんげん)』とは本来は「人間(じんかん)」です)の力動的(ダイナミック)な均衡(バランス)をつかさどる「道(みち)」の「徳(はたらき)」をゆがめたり狂わせたりするような、 利益に偏(かたよ)った「智」なのです。
たとえば、東日本大震災で広範囲にわたって街が破壊され津波で流されてしまいました。この後、被災地域の復興のため30兆円規模もの巨額の金額が用意されます。世界第3位の経済大国日本の国家予算のほぼ3分の1に当たるとてつもなく大きなおおきなお金ですが、 被災した人々はきちんと救われたと言えるでしょうか。 到底そんなことはありません。

復興で発生する利権に群(むら)がる大手ゼネコン(general(ゼネラル) contractor(コントラクター)の略:大手の総合建設業者)によって、 放射能汚染も受けている現地での復興作業に伴う危険から、通常よりもはるかに割高の料金が国に請求されました。たしかに危険な現場で働く人々には一応割増賃金は支払われたものの、それでもはるかに高い利益を企業が得られるように計算されていて、まじめな労働者やボランティア、何よりも一番救援の必要な被災者の方々には、そこまで豊かな配慮が届かず、 手を汚さない大企業ばかりが「焼け太り」しています。
「焼け太り」とは火事などで保険金や見舞金などを受け取り、かえって以前より金持ちになることですが、 大手業者自身は「火事」にも遭(あ)わず、よその災害でどでかく「焼け太り」できるので、 災害があると目の色変えて「復興」へ群(むら)がるわけです。こんな風に、不幸があってもそれを最大限利用して利益を得ようとする「智」をどう思いますか。ここに挙げたのはほんの一例に過ぎません。 別にゼネコンだけがずる賢いわけではありません。
日本の様々な分野で、世界中で、道理を無視し、バランスを稽(かんが)みない「智」の行使が当たり前の様に行われています。 2500年前の老子がこのような「智」を何度もやり玉に挙げて批判しているということは、同じようなことはそんな大昔から繰り返し行われていることも意味しますが、だからといってあきらめたり認めたりしてよいとは思えません。

また、自分自身がこうしたずる賢い「智」の行使者ではないと、断定することもできません。そのつもりはなくても、自分だって当事者かもしれないのです。 常に自己批判の精神も、持ち続けなければならないと思います。
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☆「自然(じねん)」についてのやりとり① 「学習塾ダンデリオン ツイッター」原文

今回のやりとりの元になった 2019年1月30日 「学習塾ダンデリオン ツイッター」漢文とそれに関する解説文です
(老子道徳経 下編徳経64)合抱(ごうほう)の木も毫(ごう)末(まつ)より生じ、九層の台も塁土より起こり、千里の行も足下(そっか)より始む。為す者はこれを敗り、執(と)る者は之を失う。是(ここ)を以て聖人は、為(な)すこと無し、故に敗るること無し。執ること無し、故に失うこと無し。
民の事に従うは、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いて之を敗る。終わりを慎むこと初めの如くなれば、則ち事を敗ること無し。是を以て聖人は、欲せざるを欲して、得難きの貨を貴(とうと)ばず、学ばざるを学びとして、衆人の過ぎたる所を復(かえ)し、以て万物の自然(じねん)を輔(たす)け、而(しこう)して敢(あ)えて為さず。
【大体の意味内容】その幹を両腕で抱えるほどの大木も、毛先ほどの小さな芽から生まれ、九層にも積み重ねた築山(つきやま)も、一杯の土の積み重ねから起こり、千里の道も足元の一歩から踏み出される。
効率的に事業を営もうとする者ほど、かえってそれをぶち壊しにするし、成果や利益に執着するものは、それを失うものだ。聖人は、ことさらなことを為(な)そうとはせず、故(ゆえ)にぶち壊しにすることはない。物事に執着することがない、故に失うこともない。
人民が、とあるプロジェクトに従事する際は、いつも完成間際になって、それを台無しにしてしまう。最後の仕上げを、開始した時と同じように慎重に、時間のかかることを覚悟のうえで進めれば、失敗することもない。
したがって聖人は何も欲しない、無欲である生き方を欲して、希少価値の高い宝を有難(ありがた)がったりはしない。これは成功するための方法を学ぶことではない。人間の行為として学習するということをなくし、道の徳(はたら)きに生かされている真実を「学び」として、人間中心的な生活態度を本来の在り方に復(かえ)すべきだ。万物に備わる「自然(じねん)の力」つまり「自(おの)ずからあるべき姿へと成り上がってゆく働き」を輔(たす)ければよく、殊更(ことさら)に何かを為(な)そうなどとはしない方がよい
【お話】「無為自然」を「むいしぜん」と読むのは本当の本当は間違いなのです。本来は「ぶいじねん」と読む言葉でした。人間の浅知恵(あさぢえ)で余計なことや、かえって有害なことをするのではなく、すべてのものには、そのものにおいての本来あるべき姿や、成(な)るべき相へと進む力が備わっている「自(おの)ずから然(しか)らしむる(おのずと、そう、あらしめる)」という意味で「自然(じねん)」と呼んでいました。これは生命あるものに限りません。

地球の自転や太陽光や熱の影響で空気の流れや水の循環が起こり、風や雨によって山や岩石がゆっくりと削(けず)られ様々に変貌(へんぼう)したりするのだって、その物たちに備わった「自然(じねん)」なのです。たまたまその場に存在したりそうした現象に触れたりすることも、そのものにとって宿命的な「自然(じねん)」にほかなりません。

明治になって西洋の様々な文化文明が入ってきて、日本語に訳せそうにない言葉もたくさん紹介されたので、漢字の組み合わせで「新しい日本語」が強引に作り出されました。「ネイチャー(nature)」もその内の一つで、もとからある和語では訳せませんでした。
「世界の中で人間から独立して存在する物、大地、岩石、天候、植物、そして動物」といった説明がされる言葉で、生き物や無生物などすべてを包括(ほうかつ)する言葉です。しかも人間とは切り離して考える物だから、ほとんど苦(くる)し紛(まぎ)れに一番近い「自然(じねん)」という語を借りてきて、でもそれだと当然人間も含んでしまうから、「自然(じねん)」とは区別する意味で「自然(しぜん)」と読ませるようにしたのではないかと思われます。

でもそうだとしても、やはり「exists independently of human being(人間から独立して存在する)」という「nature(ネイチャー)」の見方考え方は、私たちにとっては違和感ありますね。人間だって「自然(しぜん)」の一部ですし、「自然(じねん)」が備わっています

「無為(ぶい)自然(じねん)」は、決して「怠けていろ」という意味ではなく、また科学技術や文明と対立するものでもなく、むしろ「nature(ネイチャー)」と対立するものなのではないかと思えてきました。

万物の自然(じねん)を捻(ね)じ曲(ま)げるような営みをせず、私たち自身も含めた自然(じねん)を輔(たす)け、その力によって生かされるよう、努力すること。「今、私にどのような自然(じねん)が働いているか」感覚を磨いて冷静に受け止め、それに従って全力で生命燃焼することが大事なのではなかったか。