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☆ダンデリオンツイッター 「令和」は「霊和」より① 記事紹介

2019年5月6日 月曜日
「令和」は「霊和」ということがダンデリオンツイッターに投稿されていました。
「霊和」「零和」というように捉えての考察は駿煌会ブログでも紹介していますが、それとはまた違った切り込み方での「霊和」論です。

【お話】の後半の、万葉集をもとにした「令和」=「霊和」に隠された本義の考察・・・そこから「かぐやひめ」の話になり、最期はトランプ大統領の訪日の狙い・・・読み応え十分です。
おはなし ⇒ 大体の意味内容 ⇒ 元の文 の順に紹介します。



「令和」は「霊和」
お話
この「和光同塵」のイメージには、何かもっと積極的なとらえ方がありそうな気もしてきたのです。新元号が発表されてからもやもやとしてきました。


2019年5月1日から始まった新元号「レイワ」は「国書である『万葉集』を典拠とした」と主張されていますが、『万葉集』の歌人たちの文章は、多く中国の古典籍を範としていることは論を俟(ま)ちません。今回引用された箇所は、太宰(だざいの)帥(そち)大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で開かれた宴会で詠(よ)まれる梅の花の和歌群についての序文です。


その大伴旅人自身、『老子』や『荘子』の影響を多分に受けていたことは、学界ではすでに常識なのです。政府の発表でもその後のマスコミ報道でも、最初の一文しか引用しませんが、不思議と興味がわいてきて、この序文全体を読み、その後の和歌群を一通り読んでみました。主要箇所だけ引用します。


「初春の令月にして、氣淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薰(くん)ず。曙の嶺に雲移り、松は羅(うすぎぬ)を掛けて蓋(かさ)を傾け、夕(ゆうべ)の岫(くき)に霧結び、鳥は?(しらぎぬ)に封(こ)めらえて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空に故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきい)とし、言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く。淡然と自(おのずか)ら放(ほしいまま)にし、快然に自(おのずか)ら足る。」(『万葉集』巻第五「梅花三十二首序」 下線筆者)



これも例によって「勝手訳」しちゃいます。
(初春正月は令(きよ)らかな霊気に満ちて、風は和(やわら)かにそよぐ。梅は鏡に映(は)える女の白粉(おしろい)のように白く、蘭は帯に珮(は)いた匂い袋のように薫(かお)っている。
夜明けの嶺に雲が移ろい、それはまるで松が薄絹(うすぎぬ)を蓋(かさ)としているようなありさまだ。やがて夕に山のくぼみから霧が立ち込めてくると、鳥は白(しら)絹(ぎぬ)にからめとられたように林の中をさまよう。庭園に何かひらめいているのは今年の蝶なのだろうか。空には去年来た雁が帰ってゆく。これは夢想の世界なのか、天を笠とし地が座席(しきい)となったようだ。

言葉は邸宅の内へ忘れ去り、胸襟(きょうきん)は立ちこめる霞の外へ開く。自分という一個の輪郭が曖昧(あいまい)になり、雲のごとく静かに淡然と解放されていく。それが何の違和感もなく、快然として充(み)ち足りた心地なのだ。)




いかがでしょう。「和光同塵」の「光」を「風」に、「塵」を「雲・霧・霞」と翻案しながら、老子の思想を何か明るい方へ換骨奪胎しているとは言えませんでしょうか。


覚えてますか、4月1日の新元号発表の際、漢字より先に「れいわ」という音を発声してくれました。「霊和」のイメージがぱあーっと広がりました。あれはいいことをしてくれました。
そのあと「令和」という文字を示されて、「は?」と、思い切り違和感を感じつつも、「まあ、妥当な画数か」と無理に納得しました。確かに「れい」で始まる元号は千三百年前の「霊(れい)亀(き)(715-717)」のたった二年間以来例がありませんし、「霊」では画数も多すぎるし何しろ日本だけでなく世界中が怖がるでしょうから、「令和」でカムフラージュしておく方がよいでしょう。

でもこうして全体を読んでみると、この元号の考案者の意図がなんとなく見えてきました。
結論から言うと、やはり「霊和(れいわ)」なのです。



繰り返しますがこの序文は、大宰(だざいの)帥(そち)大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅に集まって宴会を開いたときに梅の花に関する歌を詠みあった話、とされています。のどかでのんきな場面と思われるかもしれませんが、おそらくそうではありません。


武将としての功績もあった大伴旅人は、その武威を警戒されて、大和(今の奈良県)から遠く隔たった筑前国(今の福岡県)の大宰府の長官として、老年に至るまで中央政界からは遠ざけられます。藤原氏を中心とした、物部氏や蘇我氏のグループによる陰謀です。こうしてその旅人を中心として形成されたサロンは、『老子』の影響も受けた反権力、反政府の気概に満ちたものだったのです。


命あるものの全てが、その生命の輝きを発揮し始めるのが春です。そしてどんなに厳寒の中に在っても、その春の気を真っ先に感じ取って花咲(はなひら)く霊木が、梅です。


梅の開花に呼応して、雲がこの世の自然界を覆い、そうした霊気の中で、旅人たちもこの世の秩序から逸脱して霊的な存在へと昇華してゆく。一個の人間としてのちっぽけな輪郭が熔解して、宇宙そのものと共鳴一体となる。人間界の言葉を忘れ、この小さな身体を雲散霧消させようという境地は、確かに老子荘子の「道・徳」原理に通じると同時に、一切の権威・権力から自由であろうとする宣言でもあります。


同時に、これより後世の平安時代に成立した「竹取物語(かぐや姫の物語)」の元型がここにあったのだと思わされますこの梅の花三十二首のあと、関連する歌が挙げられますが、「故郷を思う歌」二首が、「雲に飛ぶ薬」をテーマにしています。この仙薬(霊薬)は、服用することで「雲に飛ぶ」だけでなく、變(お)若ちる、すなわち若返り不老長生するというのです。


「竹取物語」のラストシーン、かぐや姫が不老長寿の薬を天皇にプレゼントし、自分は月世界へと飛翔する仙薬を喫(の)んで、地球界でのことをすべて忘れてしまうという場面に、見事に受け継がれていたのだと気付かされました。反権力とは、既存の権力体制を否定することではなく、その権力体制を包摂する宇宙になること、すなわち「霊和」というダイナミズムなのでしょう。


現政府は、こうした背景(元号考案者の意図も含めて)を、全く知らない。新天皇も、そこまでは知らないかもしれませんが、おそらくは元号考案者の意図と同じ意図をもって、これからの「象徴天皇」のあり方を、追求してゆくのだろうと考えられます。上皇(平成天皇)が「沖縄重視」の姿勢を貫くことで政府権力と壮絶な戦いをしてきたように… 


今度トランプくんが日本に来て、新天皇皇后両陛下を手玉に取ろうとしています。もしかしたら、きちんと英語で対応する夫妻の、しかもトランプくんの過去の苦労をねぎらうお言葉に、七十歳越えた赤ん坊が泣きじゃくるシーンも見られるかも。となったら全世界が驚倒するでしょう、見物(みもの)ですね。


【大体の意味内容】
「道」は虚空のようなもので、働き自体は無限のものだが、これを利用しても何かで満たされるということはない。まるで底なしの淵(ふち)のようで、万物の根源といえる。それは、鋭くとがったようなところをくじいて、むしろ鈍いようなものとし、もつれからまったところを解きほぐす。高貴な輝きをおさえやわらげて、塵芥(ちりあくた)と同様になる。悠久の歳月をかけて湛(たた)えられた水のように存在する、何かなのであろう。例えば私という存在も、「誰の子」であるかというのは本質的には、わからないものなのだ。しいていえば、この世の造物主の、その先の宇宙根源の姿をかたどったものであろう。


【元の文】道は沖(むな)しきも、これを用うれば或(ま)た盈(み)たず。淵(えん)として万物の宗(そう)たるに似たり。其の鋭(えい)を挫(くじ)いて、其の紛(ふん)を解き、其の光を和(やわら)げて、其の塵(じん)に同ず。湛(たん)として存する或(あ)るに似たり。吾(われ)、誰の子なるかを知らず、帝(てい)の先(さき)を象(かたど)る。
 (『老子道徳経』上編4)
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