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☆「柔らかく生きる」構え

2019年4月12日 前半の午後7時~8時半くらいまでは諷虹・虚空との二人のやりとりでした。
放送が始まったばかりの今季アニメなどの話題も交えながら自由にやりとりしています。


*ラインでのコバルト発言について
諷虹 硬さからは何も生まれない・柔らかさから何か生まれる可能性を孕んでいる、っというのをみて思ったんですけど、日本語で「頭が固い」とか「柔らかい」とか「柔軟な発想」とかって言い方があるじゃないですか。
柔軟っていう言葉にはプラスの意味が入っているようなイメージがね。


虚空 「優柔不断」なんていうと世間的にはマイナスっぽかったり、「骨太」とか「信念を曲げない」とか


諷虹 「強固な意志」とかですね。
*ネット検索
「柔能く剛を制す」
【類義】
怒れる拳笑顔に当たらず/堅い木は折れる/木強ければ折れ易し/木強ければ即ち折る/強大は下におり柔弱は上におる/弱よく強を制す/柔剛に勝つ/柔能制剛/柔は剛に勝ち弱は強に勝つ/柔を守るを強という/茶碗を投げば綿で抱えよ/柳に風折れなし/柳に雪折れなし


虚空 昔さ、新宿に京王プラザが日本一のビルとして建てられる、っていうときに耐震のために「柳」がヒントになったっていうのをやってたのを小学生ながらに「へー」って思ったのを思い出した。同じことで出たのが五重の塔。ガシッと建てていたら倒れてしまう、って。


諷虹 ヘニャヘニャでもダメですよね。両極性を持っている感じですよね。


虚空 以前、一本足の高下駄を持ってきてみんなに履かせたことがあったじゃない。あれもさ、自分もそうだったけど、バランスを崩して倒れるのを怖がって、絶対崩れないようにって踏ん張っているうちは怖くて支えから手が離せなかった。
でも「揺れて当たり前じゃないか」って思えた瞬間、突然普通に歩けるようになった。
だんだんと上手くなったんじゃないんだよね。
で、他のメンバーにやった時も、どうしても怖くて固まっているやつには「ユラユラがあたり前なんだから普通にユラユラしてみなよ」って言ったら、やっぱりすぐに歩けるようになった。あれは印象的だったね。


諷虹 さっきの「柔能く剛を制す」もこの感覚ですよね。


虚空 それこそ「感覚」。もう一つ思い出したのはヒマワリフクロウさんのお姉ちゃん。最初見た瞬間から「乗れそー」って言って、ルンルンに歩き回った。なんのためらいもなく。で「そろそろ(家庭教師の)授業を始めるよ」って声をかけたら「えっ、もう?」って言った瞬間にバタンと転んだ。夢と現実の問題だったんだと思った瞬間。

ちなみにこの時、しばらくしてお母さんがお茶菓子を持ってきてくれて、わきにあった高下駄を見た瞬間に「乗れそー」っておんなじことを言った・・・さすがは「親子」って思ったね。それで「履いていいですか」って・・・やっぱりすぐに履いて軽やかに歩き回ってた。
諷虹 思い出したのが「少女終末旅行」・・・「絶望と仲良くなる」ってやつ。あと地図の男の回。地図がなくなったらもうダメみたいに言っていたけど、なくなったらなくなったで次の行動・・・前向きになれていた。ビクビクする感覚を受け入れると落ち着ける。


虚空 だからさ、あの時もう一つ意外だったのが、一緒に買った二本足の高下駄。じっと立っていればそりゃ安定しているんだけど、一本足のをはけるようになった後にもう一度歩いてみると、これが怖くて歩けたもんじゃなかった。実際にバタッと転んだしね。バランスを崩しかけてもすぐにキャッチできない。キャッチできた時にはもう転ぶレベル。デジタルなんだよね。0か1の。

一本足だと常に傾きのデータが足の感覚に連続して伝わってくるから、しなやかに対応できたんだろうね。


諷虹 敢えて旧型の兵装を使うベテランみたいな。まさにコトブキなんてそうですよね。あとは、オートフォーカスが嫌いで旧式のカメラを使うとか。


虚空 自分もそういうのにこだわっていたんだけどね・・・・体がついてこないから・・・マア、退職の時にそんなことを愚痴ったら、あるお母さんに「でも、そういう文明の力のおかげで、体調を崩しても出来ることがあるんじゃないでしょうか」って言われて・・・あれは強烈に印象に残っている。
それも一種のしなやかさだろうね。


*老化が進んでいることへのぼやき


虚空 さっき言っていたような「両義性」が自由自在っていうのが、単に「柔軟」ということよりも大事なポイントなんだろうね。


諷虹 水の・・・固体にも流体にも・・・っていうのがすごいことなんだろうね。しかも気体にもなるし。身近な生活の中でどの姿もみせてくれるというのはね。
素粒子なんかだと見えないだけ。


虚空 日本っていう国の位置も、水の三態を目の当たりにするにはちょうどいいんだろうね。


諷虹 そもそも水に囲まれていますしね。


虚空 水が豊かな恵みをもたらせてくれる・・・でも水害ももたらす


諷虹 まさに柔軟な存在ですね。


虚空 今、フッと浮かんだのが、「このすば」。異世界カルテットの影響もあるんだけど、あの堕女神が水芸をやっている姿と、めぐみんが爆裂魔法、っていう組み合わせ。
直接は関係なさそうだけど・・・・。


諷虹 水蒸気爆発とか・・・。水素が爆発して水が出来るというのもありますからね。


虚空 あのアニメってこのすばメンバーが目立ってたよね。


諷虹 このすばメンバーの柔軟な対応があるから、あれだけの違う番組のキャラたちが結び付けられる。


虚空 それぞれのアニメの中でも、異なるタイプを何だかんだとぼやいたり文句を言いながらも包み込んでいるのは、このすばチームだもんね。


諷虹 ハグレモノ同士みたいなところもありますからね


虚空 だからいろんな番組のキャラが一堂に会したというようなあんなアニメで接着剤の役割を果たしているんだね。
*今季アニメの話題いろいろ
虚空 ・・・「世話やきキツネの仙狐さん」あれはベースに日本人の多くが共感しうるような「おばあちゃん」がらみのイメージ満載だったじゃない。芋の煮っころがしとかご飯に味噌汁とか、ほうじ茶とか・・・・。あれがもしさ、オムライスにハートマークなんて感じだったらアホな妄想アニメにしかならないよ。


諷虹 ここ数年、キツネのイメージって変ってきていますよね。以前はキツネっていうとタヌキよりも狡猾な感じで人を騙すというようなのばかりだったのが・・・・「このはな綺譚」もそうですよね。
あと・・・・「繰繰れ! コックリさん」キツネも犬もみんなイケメンなんですが・・・女性作家なんで。
主人公の女性がダメ人間で、何とかまっとうな人間にしようと頑張る話なんですけど。
その子が市松人形のような姿で、カップラーメンしか食べない。
ここでも世話焼きのがキツネ。


虚空 尻尾の大きさが半端なかったもんね。ドッグデイズ2期のリス「クーベル」に匹敵するかどうかっていうような。


諷虹 あの尻尾の質感はね・・・


虚空 あとOPでの炊飯器から尻尾が出ている姿


諷虹 ごちうさでもそうですけど「モフモフ」っていう言葉。


虚空 いつごろからだ?昭和のころはあまり聞かなかったような気がするけど・・・もっとも自分はあまりアニメも漫画もみていなかったけど
*ネット検索 2000年代後半から広まったインターネットスラング


諷虹 メジャーにしたのは「ごちうさ」でしょうね。子猫なんかでは使われていましたけど。なでることを「モフル」って。


虚空 昔、「うる星やつら」でコタツネコにあたるがからむ回があったけど・・・あれなんて今風にいえば「もふる」だったんだね。


諷虹 爬虫類だったら「ぬめる」ですかね


虚空 いや、爬虫類ってみんなヌルヌルっていうけど、実際にはカサカサだよ。小さい頃に一人遊びばっかりだったから、トカゲとかヘビとかよく遊び相手になってもらっていたけど・・・・
だからちょうどコバルト君のクラスの時に、通勤途中で道に蛇が死んで転がっていたのを拾っていって・・・希望者には触らせたんだけど、みんなビックリしてた。
両生類のカエルとかの混同しているのかね・・・・


諷虹 タオルの感触って・・・反則ですよね。柔らかい上に自分の家の匂いがする・・・高校の時にタオル持参で寝る気満々だったのが結構いましたから


虚空 「ゆゆ式」にもあったエピソードだね。家の匂いっていうことだと、おうち意識を分析した時にも出てきたけど・・・アニメだと「のんのん劇場版」のれんげ


諷虹 仙狐さんをみていて「たたみ」とか「味噌汁」とか・・・そういった嗅覚が刺激されるのがありますね。ごちうさも「コーヒー」とか「パン」とか、嗅覚刺激がね・・・


虚空 おうち分析で「におい作文」・・・茨城町の子たちの作文は印象的なのが本当に沢山あって、どれを使うか絞り込むのが大変だった。


諷虹 私、ホテルのじゅうたんの匂いって落ち着くんですよね。あと映画館。あの匂いが昔から好きで、気持ちが切り替わる。


虚空 匂いによってトランスフォーメーションっていうのを受け入れることが出来るかどうか、っていうのは「構え」の上でも重要な課題。
旅先での匂いがいつもと違うから逆に不安定になって眠れない、っていう子もいるしね。自分なんかもそういうタイプだった。さすがに枕は持っていかなかったけどね。
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☆上原輝男先生の命日 から「知性と構え」

先生の命日にブラックホール撮影のニュースが合いまったことからのやりとりです。

人間が「知性」「論理性」を進化の過程で獲得したというのも、ありのままを捉えていく際に正面からとりあげる必要のある部分です。

一般的には「理系・文系」の仕分け発想の根底にあるように、「人間らしい感情・想像力」と「知性・論理性」は相反することとされてしまいがちですよね。数学者は頭がガチガチである代名詞のように。
でも歴史的にみてもホンモノの数学者ほど非常に人間くさいというか純粋だったようです。「美的センス」なども大切な要素だという人さえ少なからずいます。

上原先生が「論理性の発達」「感情やイメージと切り離された言葉の世界があることに気づかせる」ということを盛んに強調されていたのは、単に昨今のように正確にやりとりするためのコミュニケーションの基礎として、という面だけではないと考えています。

もちろんそうした面についても「言語操作性」として探求されていましたが、本当に大事にしようとしていたのが、今の自分の枠を突破するために、という位置づけ。そしてその具体的なある一つの理想の姿を「英才児」に見た・・・そういうことだったんだろうと考えます。

そうしたことから上原先生が盛んに主張されていた「小学校は学級担任制」ということについてもやりとりされています。


10:35 虚空
ブログにアップした記事の駿煌会ツイッター記事転載です。
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昨日のブラックホールのニュースとの関連というわけではないのですが、6日の諷虹・虚空のやりとりは最新の宇宙論からの自由な発想で、ブログ記事のタイトルは『科学雑誌「Newton」と古来日本人の発想』としています。
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/288/ 

理数が苦手、という方々ほど、専門家や詳しい人達のように科学的な常識に囚われずに、大胆で自由な発想が出来るんだ、という想いで想像を膨らませてみてください。後半には、この雑誌での特集のポイントとなっている言葉も入れています。例「宇宙空間は”ホログラム”でできた幻かもしれない」

今回のやりとりの中では特にほりさげていませんが、上原先生の命日前日にブラックホールのニュースがというのも、偶然ではない何かを感じてしまいます。かつてイメージ研究の大家である藤岡先生との共同研究でのテーマは「穴と留守番」。子どもの「穴」イメージの探求だったわけですから。

私が担当した「おうち意識」のことにしても、駿煌会でしばしば使われる「添加」ということも、「虚数世界」「時間・空間・ジンカン」などの「間」意識のことも、ブラックホール研究にはヒントになることがきっと多々あるんだという予感はあります。この世の始まりを解く鍵もブラックホールにあるとか…

もう一つ、ブログにアップしたやりとりは、先日載せきれなかった4月5日のやりとり記録です。主な内容は「天と地」「龍と鯉」・・・ここから最後には「シンデレラ」「魔法少女」と上原先生や折口先生の心意伝承の世界に踏み込んでいます。(犠牲論・貴種流離)   http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/289/
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11:59 コバルト
有も無もない、ブラックホール(究極の死)(地球を角砂糖の大きさにしてしまえばブラックホールになるみたい)が宇宙を高速で移動している。
こう考えると、当たり前に思っていた生と死なんて存在していないのかもしれないですね。
きっと生と死の境界線なんてないんですね。
濃いか薄いかの違いのような。


13:32 虚空
普通の物理法則が存在しなくなる境界線というのがブラックホールに近づくとあるようですね。
また本来なら吸い込むばかりで絶対に何も脱出できない、とされていたブラックホールからも不確定性原理だか何だかでわずかずつ外に出ているとかいうことをホーキングが予言したとか・・・。
あとは超重力によって、時間などが極端に相対的になるとか・・・・
まさに「超現実の世界」が実在する場のようですね。


15:38 コバルト
桜井章一が語る「運」も目に見えない超現実の世界のものですよね。
運があるんじゃないかと実感できている時点で運というものは存在している僅かな証拠なんだと思います。
また知識=実力とはならないんですね。
ここ何十年の教育の中身の結果として流石に認めざるえないと思います。
それなりの学歴を培ってきた人材が大手企業を荒廃させてしまっていますし。
代表的なのは大塚家具の久美子社長(経済学)の盛大な大失敗だって数字、方法、戦略ばかりになってしまってお客から運まで見放されてしまいましたから。
令和の時代は正に本物の実力を身につける時代の予感がします。
というかそうじゃないと、この国そのものが滅んでしまうと思う。
滅ぶというのは日本人というDNAが消滅してしまうこと。
 https://youtu.be/m5fE-Ld56z8
 桜井章一が語っているように、堅さからは何も生まれない、柔らかさから何か生まれる可能性を孕んでいる。
これもブラックホールでも言えると思うんですよ。
少なくとも星という物体のままでは、変化は起こせない。
でも形を無くしてしまえばどんな物にもなれる可能性が無限大にあるということ。


16:41 虚空
「思考」「知識」を発想の柔らかさに出来るかどうかのカギが「添加」という「構え」だと思っています。それがないと「縛り」「囚われ」になる。


聖徳の子たちが、単なる頭でっかちの点取り訓練生と決定的に違うのがそこ。

上原先生の言葉でいえば
英才児は「うんち作文」のようなものも豊かに書ける
あるいは
(葛西先生からの英才児についての発表「潜在意識世界に生きる姿勢を崩さない子ども達である」「トランスフォーメーションが活発な子どもほど英才児」との後で)
 簡単に言うと英才児の条件というのはさ、それはもう絶対的に『素直』じゃなくちゃ。素直さのないようなのは、英才児からはずれてしまっている。根本的な条件が整っていないと思うな。
                (平成七年合宿)


18:22 虚空
最初の方の動画、やっとみました。
細かく書いている気力・体力が残っていないので(苦笑)とりあえず二つだけ
頭で考えないで感覚で・・・ということに修練してもらおうと思ってやってもらっていたのが「イメージ作文」「本音作文」そして「クラス全員での大縄跳び」です。
人生のどの段階になっても大切な時ほど頭を使わないように揺さぶりをかけるのが「古式日本流の占い」・・・だから「偶然」が入り込む余地ばかりです。
上原先生の師匠である折口先生が「らいふいんできす」(生命の指標)と呼んだものも、理屈を超えて(思考や知識や常識をこえて)という境地(世界)に誘ってくれるもの。
でもそれは盲目的に従うというのとはちょっと違うかなとも思っています。
自分の無意識世界にあるものとの「共振・共鳴」・・・それをまさに「感じて」動いていく。
ちなみに「運」の実感が「坊主めくり」・・・・もっとも時として威力がありすぎた体験なので、小学生を必要以上に落ち込ませてしまうこともあり、(特にコバルト君の2年生のクラス)その後はやる時前に「つく」ということについて慎重に前置きするようにしましたが。
ついていても調子に乗ったら神様はすぐに離れる
ついていなくても、精一杯尽くす生き様をしていると、そちらの方が神様は喜ぶ
(犠牲論的には)見込みがあるという人間ほど、神様は敢えて味方をしないで、自力で乗り越えることを期待する
というようなことを「宗教教育」と思われてしまわないような言い方で・・・・

2019.04.12 金曜日
00:11虚空
今、駿煌会ツイッター記事にも書いたのですが、10日に発表されたブラックホール画像が撮影されるまでのドキュメントを描いたNHK番組が上原先生の命日である11日にさっそくBSで放送されていたというのは、単に天文学の問題以上に何かありそうな予感があります。
体調は今一つなのですが、夕方から休憩をとりつつ、以前録画しておいた宇宙関連番組での「ダークエネルギー」と「ダークマター」に関する物を少しずつ観直しています。まだ途中ですが、両者は相反するようなものなのですが、それが見えない世界の中に、あるいは究極の真空の中にある、由来する・・・そうしたことも、やっぱり大きな秘密が隠れていそう。
ニュートンなどもそうだったようですが、現代以上に、そういった天文とか物理とかの真理の探究は神や精神世界の真実とリンクしているという発想・・・・それが何故か結び付けて考えるのは非科学的とされるようになったわけですが・・・そういった発想を、日本人がもともと抱いていた構えで再起動できれば、忘れられた大切なものがいろいろ見えてきそう・・・・
そんな予感を得られた、今年の上原先生の命日です。


08:18虚空
 2番目の動画も観ました。

守り
うちのオヤジが「得意な教科の先生にはなるな」と言っていたことなんて、そういうことだったんでしょうね。変に自負心・・・自分は分かっている・・・と思っていると、崩れるのを恐れてしまうから余計に守りに入る。
主体性と客体性
主体性というのはもちろん大事なことだけど、それは同時に相手の主体性も認め合ってのこと。これが今の世の中は「自分」「自分」「自分」・・・・。でもそんな自分なんていうのは、表層に現れた影にすぎない。それこそよく紹介する上原・藤岡先生の「無意識からいくらでも出てくる」というようなもの。だからこそ今の表面を常に捨てて、自分を大きな器にしていく心がけが大事なんだろうと。
自然
自然というのを単に「ありのまま」と捉えて何もしなくていいんだ、という人が時々いますが、あれって「自ずから然り」ということをしっかりと考えてみると、そうではないように思います。

自他ともにのことをしっかりと踏まえながら創意工夫したまっとうな生き方をしていれば、一番ふさわしい結果にたどりついていく・・・仮にそれが人間の常識からするとマイナスのようなことであっても、人知を超えた観点ではやっぱりそれが一番いい結果というような。
「なるようにしかならない」⇒「なるようになる」という感じかな?
 小学校高学年からの教科担任制導入議論が本格化だそうですが、それも「教師は教えなければならない」という大前提だからなんでしょうね。小学校の免許を持っていても、全教科が得意な人はそうそういない・・・きちんと教えられない・・・だからそれぞれの得意教科を教えるシステムにしよう・・・と。

でもやっぱい小学生の段階で一番大事なのは「丸ごと全体」を見守ってくれて寄り添ってくれる人間の存在。
稚児に付き添う「庇護者」。
上原先生が
小学校の先生のことをかつては「訓導」と呼んでいた。それが「教師」なんていう呼び方になったからおかしくなった
という趣旨の発言をされたことがあるのですが、そういったことも思い出しました。
(導く、といっても私の解釈では 共に寄り添って進む という感覚での導くですがね。無理やり引っ張っていくというのではなくて)

だからこそ、小学校の先生ほど、専門教科が詳しい、云々よりも、「人間そのもの」「世界の内的関連をどう感じ取っていくか(共鳴しあっていけるか)」という生活を日々送っていることが不可欠なんだと思います。

*ちなみに「内的関連」というキーワードは私が卒論でテーマにした幼稚園の創始者「フレーベル」が盛んに強調していた言葉です。
そうしたことを見抜き、感じ取っていく能力が「類化性能」ということ。
その土台がどう育っているのかを見極めて見守っていく段階に関わるのだから、やっぱり小学校の先生は全教科領域に渡って一人一人の子どもをみていくことが最優先。
そうした力が自然に獲得できていれば、中学校以降に教科担任にガンガン鍛えてもらっても、単なる知識バカにはならないで、ちゃんと自分の力で総合的に世の中を結び付けて面白がって生きられるようになると思います。
(無論、中学生以降の先生にだって、そうした他の教科の授業の時にはそれぞれの生徒がどうなのかという観点学級担任の発想は大事。
自分が家庭教師として特定の教科を定めないでやってきたというのは、学級担任の発想を中高生以上に持ち込んだということです)
そもそも教科担任導入の本格化のきっかけの一つは小学校での「英語」の導入らしいですが、英語教育の本格導入という前提がそもそもおかしいのですから、話になりません。


09:39コバルト
専門性の否定が重要なキーワードだと感じます。
ある程度極めた所で、あえてそれを手放す。
宮本武蔵なら剣を(桜井章一なら麻雀を)(静かなるドンみたいに暴力団なら暴力を)、塾生は剣を習いに来ているのに、全く剣を握らせてくれないから、内心「早くこんな無駄な事はいいから剣を握らせて必殺技を教えてくれ」とどうしても先走ってしまいがちです。
だけど関係なさそうだった修練が実は重要な過程だったとかよくあること。
体が出来ているから自然に技が出る、逆にいうと頭や思考が出来ているから問題がすんなりと解けていく感じでしょうか。
そもそもそういう土台作りが出来るような人間はけっこう極端な人達が多いですからね。
普通に教師をやっている人からみたら目の上のタンコブですよ。
構造が守・破・離になっていましたね。


13:53 虚空
いろいろな話題から展開していっても、やはりそこに行きつく・・・
ならば、もういろいろな角度からの考察がいらないのかと言ったらそうではないというのが大事なのに、今は変に合理化の名のもとに肝腎なことをバッサリと切り落としてしまう。
同じ真理にたどりついたとしても、実際の生活を通して「感じる」「模索する」ということがなかったら、それは「知識」「思考」レベルに陥ってしまうということなんでしょうね。
いろいろと考えてみて・・・「やっぱり~になっていく」というらせん構造のような生き方ということかな????

だから「麻雀」の話題から一旦離れて、様々なことがらに結び付けて考察し、感じ・・・その繰り返しの中で捨てたり得たりを繰り返す・・・まさにそうしたやりとりが展開されているという点で、やっぱりここでのやりとりは長すぎて読みにくくなってしまっても、できるだけそのまま残しておきたいんです。



15:08コバルト
 https://youtu.be/tF0VgknYDbw
無ってすごいこと。
答えは「不思議」。
麻雀の流れのテーマなのに、結局最後まで麻雀をやらずに終わった。


17:02 虚空
ちょっと今、片頭痛がまた起き始めているので動画のほんの出だしの部分しか観る事ができないかったのですが・・・この人が言っている「流れ」って「循環」とかだけではなくて「波動」のようなものもすべて含めての事で言っているのかな???・
(インタビューしている側の男性が一所懸命に桜井さんの話に合わせようと努力しているのは分かりますが、実際には「麻雀」にとらわれた現実思考でとまっているので結構ちぐはぐになりますね・・・もっともそうだから一般人目線になれていてのやりとりになっているんだろうけどね。同じような境地の人同士の語り合いだったら、雲の上のようなやりとりになってしまうんでしょうね)

☆上原輝男先生の命日 から「ありのままの人間」

ラインやりとりでは先の「人間をまるごと全体」としてつかまえる、ということが続いています。
そこに「感覚」「体感」「実感」をどう直結させていくのか。
それを抜きにして知性や思考だけで向かっていってしまっては、どんなに立派な学説が構築できても個々の人間の心には響かないものになってしまうのではないでしょうか。


2019.04.11 木曜日
00:00 虚空
今日、4月11日は上原輝男先生の命日です。
ついさっきまで、今季アニメでの新番組を観ていたのですが・・・・日常の現実対応の中で病んで真黒くなっていく心が神の使いによって浄化されるという内容だったのですが・・・やたらと父方や母方の祖母を思い出してしまうアニメでした。
自分も相当心が汚染されているからな・・・・・・・・
転倒しかけて足腰や肩や手首も痛いわ、激しい咳で眠れないわ、堰のしすぎで筋肉痛だわ・・・そこに今日は片頭痛も加わって咳き込むたびにえらい苦しみ・・・・それがすべての痛みや苦しみが怨念のような形で東北方面に向かっている自覚はあるので、余計に複雑な心境で観ていました。
(ちょうど鬼太郎の怨念話も観たばかりだったし・・・。あちらは最後には何とか浄化されましたがね)
犠牲論、恨み論・・・・そういったことを知識ではなくという感じで何年も追いかけていますが・・・「実感実証の学」ということの「実感」を得る部分には事欠かないことだらけ・・・・
でも「学」となるような「理性」のコントロールがますます出来ない方向に突き進んでいますね。というよりも、コントロールをすることを阻止しようとする方が本音になっていると言った方が正解かも。
上原先生の命日にこんなことを書いているのも罰当たりですが・・・


03:35 虚空
学修塾ダンデリオン ツイッターに更新されていた記事です。

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平成8年4月11日。恩師上原輝男博士のご命日です。様々な教えを賜りました。「虚空にさらされて生きろ」。最もインパクトあり。M87銀河ブラックホール撮影成功の報。ウルトラマンの故郷M87星雲光の国原作者金城哲夫は上原先生の愛弟子。人知れず現世界を創り出した先生はこれからどこへ向かうだろう。
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08:46 ソルティ
 おはようございます。今日は上原先生のご命日ですね。上原先生には、昔「君は一人でやっていなさい。」と言われたこともあるのですが、その一人でやっていなさい。の意味は未だにわからないのだけれど、自分の心が躍る方へ進みたいと思うのですよ。
とにかくあっという間に10年・20年はすぎさっていくので、もうこの先は自分のやりたいこと(&やりたかったこと)を中心に据えて生き、棺桶に入る時には( ア~いい人生だったな~)と言えるような生活をしたいな~と思うのです。
誠にずううずうしい事だとは思いますが、この駿煌会に時々よせていただいてお喋りさせていただけるとありがたいです。
そしてね、上ちゃんの願っていたであろう 「平和」 のことだけはいつも心のどこかにとどめておいて、毎日の生活を送っていきたいなと思っています。皆さまこれからもよろしくお願いいたします。



08:55虚空
 それは私も同様です。
自分の余力は先生の「人間探求」という方向や、先生の幅広いところをどう後世に伝えていくかということに使いたいんです。
この駿煌会でのやりとりは、お互いに専門外のことに対しても自由に発言をしあっている、というのが駿煌会の一番の特色だと思います。
今、更新準備をしているブログ記事の冒頭にも書いたのですが、「知らない」ということは「縛られない」という点で、よく知っているという人よりも「自由」なんだと思うので・・・・


09:19 コバルト
 https://youtu.be/5yzp7i1OEoM
 感覚じゃなくテクニックを覚えてしまうと、ズルくなっちゃう。
確立や法則に縛られずに感覚で打つというのは、今の駿煌会の目指している姿勢に近いかもしれないです。


09:34 虚空
先にも書いたけど・・・平成の世の中は「感覚じゃなくてテクニック」という方向に暴走してしまった感があります。
高学年で教科担任制の導入を本格的に検討しはじめたというニュースもありましたが、子どもの成長を分かっていない人の安易な発想。
むしろ中学生や高校生にだって「学級担任制」のメリットを何らかの形で導入すべきだと私などは考えているんですがね。
かつて人体をバラバラにしかみないということで批判されてきた西洋医学だって、最近では体まるごと全体でみる、というのが重視されてきているのにね。


09:34 ソルティ
 ={知らない」 「縛られない」 のお話し = 
占(算命学)の話になりますが、うちの校長先生が、「 算命学を学ぶのがいいような悪いような。。」というような発言をしていた事があったように記憶しています。 
何か事を起こすときに 今それをやるとどうなるのか?という事が経験豊かな鑑定師だとある程度予測がたつわけで、(何かの運を犠牲にする場合がある)
例えば、がっぽりお金もうけができたとしても、それによって家庭が崩壊していくとかそういったことが予測できるわけです。(←わたしゃ無理だよ)でもそんなこと知らなければ、自分がやってみようと思ったことを思いっきりできるわけでしょ。
下手にそのあたりを知っていると( 生兵法=ワタシ )ホント動きが取れなくなる。特に家族を持っているとそう言う感じ。

コバルトブルー君・・・出ました!桜井さん、今から見てくるね。好きだわ、この人。本気で生きてきた人ってどこか違うな~と思う。


09:36 虚空
そう考えると「知らぬが仏」なんていうことわざには、深い深い意味というか「知恵」がありそうですね


09:36 ソルティ
 いや~ホントそう思う
 気づけば 仕事にいく時間になっていた。桜井さんは夜にでも。では行っまいりま~す。


09:44 虚空
以前にもお話したと思いますが、古来からの日本人って陰陽師等々でそういった知識なども非常に気にしていながらも、いかにそれを「超越するのか」という方向に意識を向けていたんだと思います。
その背景にはもしかすると日本と中国の「魂観」の決定的な違いがあるのかもしれません。
「肉体は器」「魂は入れ替わる」(憑依で他の種と重なり合って新たなことに目覚める)
「新たなこと」とは言っても本当に大切なことは他から入れるのではない・・・すべて自分の内なる世界に持っている
上原流言い方・・・心意伝承
自分の父の言い方(神道)・・・誰もが天御中主神を内在している
フレーベルの言い方・・・神性を宿している
仏教(そうでない宗派もありますが)・・・仏性を宿している
ユング・・・集合的無意識の世界に「元型」をもち、究極的には「宇宙意識」ともつながっている・・・・そういった
等々


09:52 ソルティ
HO(ハワイ先住民族の知恵「ホ・オポノポノ」のこと)の考え方も そういう感じ(どういう感じ?)。的確に表現できないもどかしさ。仕事から帰ってゆっくり考えるね。ってか ちょっとその後も家庭の用事があった。いずれまた!


09:56 虚空
 「的確に表現できない」というのも大事なメリットかもしれません。具体的に分かりやすい表現ほど逆に「限定」「決めつけ」「縛り」になってしまう・・・公式病に囚われて伸び悩む子ども達なんてまさにそれ。
「あいまいさ」「抽象的」なことほど、様々な応用がきくという普遍性を帯びている。
短歌や俳句の素晴らしさも、あの文字数では細かく説明できない・・・だから逆に読み手のイマジネーションが広がる。
能の舞台などもそうでしょうね。極端に制約をつけたり、型に凝縮させている。
まさに「数学の生活化」!

☆「日々の迷いに向かい合って」②  ラインやりとり

「ゲゲゲの鬼太郎」などのことを通して人間の負の部分等々についてのやりとりが中心でした。

上原先生も折口先生も「心意伝承」がらみでは人間のそうした部分も含めて「ナマ」の意識や感情を正面から取り上げているというのが大きな特徴です。とかく学問の世界ではそういった人間の屈折した部分などは、敬遠されがちですから(きちんと取り扱っているのは犯罪心理学などくらいではないでしょうか)

人間を「まるごと全体」としてとらえなければそれは本当に人間をつかまえようとしていることにはならない・・・そんな当たり前のことが「科学」の名のもとにゆがめられてきたのが現代社会ではないでしょうか。教育でも医学でも・・・

「人間そのものの探求」に強い関心を抱かれていた上原先生。
「ボクは自分を教育学者だと言ったことはない」と言われていたこともあります。

人間全体を考える・・・その中に初等教育・・・言葉(国語)・・・を位置付けられていた・・・そうした位置関係をあいまいにしてしまうと、やはり教育についての考察が「木をみて森を見ず」ということになってしまうんだと思います。

そのためには人間の負の部分と片付けられがちな心・・・屈折したようにみえる部分にも果敢に向かい合っていく必要があります。

2019年4月9日
10:14 コバルト
勇敢さとは息(意気)も詰まる状況でさえもしっかりとした自意を持った行動をとれるか。
人間追い詰められれば、なんのあてにもならないものでも手をのばしてしまいます。
(それ)っぽければその場に限っては構わないと思ってしまうんです。
あるサイトからの引用
せっぱつまったときには、頼りにならないものでも頼りにすることのたとえ。溺?(おぼ)?れる者は藁をもつかむ。「藁にも縋る思い」
現代的にいうと切迫つまった時の闇金融って言ったところでしょうか。あと切迫つまった時の覚せい剤とか。
死中にこそ活があり!なんですよね。死中に主導権を握るのは、弱い方の自分か、強い方の自分か。
また逃げることが(死)に繋がることもあるんですよね。

10:20 虚空
判断の基準を目に見える価値にだけ置いてしまうと・・・と頭で分かっていてもそれをついつい無視してしまうのが人間の愚かなところでもありますよね。
だからこそ「偉大な馬鹿」とか「馬鹿には勝てぬ」ということも・・・。
あのもののけ姫のジコ坊は現代人の代表といえば代表ですよね。
ゲゲゲの鬼太郎でいえば「ねずみ男」が同じポジション。
彼らの言動に対して眉をひそめつつ、でも実は自分達だって五十歩百歩ではないかと宮崎駿や水木しげるの両人から問いかけられているようです。

10:23 コバルト
なるほど、面白い。

10:24 虚空
観るのが追い付けないでいた6期鬼太郎の49話「雪女」と50話「皿小僧」の話を今朝、続けて観たのですが、まさにこういうことを象徴しているような内容でした。
動画でなないですが、画面とセリフがあるのでだいたいの内容はつかめると思います。
両極端な内容なのも興味深いです。
☆第40話 感想 皿小僧
参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54763720.html
☆第39話 感想 雪女
参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54730354.html
 読むなら 39話 ⇒ 40話 の順がいいと思います

10:27 コバルト
そもそもゲゲゲの鬼太郎が始まっていたのも、令和への序章だったのかもしれないですね。

10:31虚空
この二つは今年1月になっての2連発でした。
このアニメが作られた時点では、まだ「令和」は発表されていませんが、「平成」の世の歪んでしまった側面を新しい時代になる前にきちんと問うておこうという製作側の意図は明確に感じます。
そういう意味ではまさに序章ですね。
6期鬼太郎のテーマの一つには「妖怪と人間の距離感」があるということなのですから余計に「令和」への序章・・・そう思います。

10:34 コバルト
(雪女の方)彼氏が切迫つまった時にねずみ男に相談を持ち込むのも、先ほど話した事にしっかり結びついてるし(笑)

10:38 虚空
 切羽つまった時にサタンは誰よりも理解者であるような顔をして近寄ってきて・・・もちあげるだけ持ち上げてから・・・ドンと突き落とす。
現世的はご利益があると人気のある神社などでは、本物の神様はもうどこかけ行ってしまって、からかい趣味の低級霊が居座っていて、どん底落差を楽しむという・・・まるでまどマギのQべえのようなのが居て・・・得意の絶頂から突き落とすことをして面白がっている。
そんな餌食になっている現代人を、両極端な側面から描いているのが、この二つ

11:11 コバルト
そうですね。
人の夢や希望は利用できてお金にもなりますから、ディズニーとか学校ビジネスなどは正にその典型で、たとえば声優学校を卒業できたら、みんな声優の仕事にありつけられるのか?なんですよ。
また芸能スクールとかで、元NHKアナウンサーの講師から御教授を受けたからって、みんな似た製品化してしまうだけで、人気がでるアナウンサーになれる訳でもない。
そもそも成りたいとおもったら、声優の花江夏樹(東京グールの主役)みたいにまず声優学校から、ではなく直接大元に自分の声を売りに行くぐらいじゃなきゃいけないんですね。
頼り方の構えというのが、現代では大きく間違っているのかもしれないです。

13:32 虚空
 根本的に本当に自分に力をつけて夢をかなえよう・・・ではなくて、何とかして安易に夢をかなえる手段だけを手に入れて、早く(無駄なく?)結果を出そう・・・それがやはり平成時代の「成果主義」「競争原理」が加速させた風潮。
もちろん昔からそういった構えの人間はそれなりにいましたが、かつては身の回りに何十年も努力して神業的な能力を獲得した、努力した、という人たちが沢山いましたからね。
だから安易に結果だけを求めるマニュアル的な発想が、単なる幻想だということに気が付けるチャンスが今よりはずっとあった。
本当に優れた師匠に弟子入りしたとしても、教えを乞う側の構え次第では、優れた教えも本当に魂の向上にはならない・・・むしろ堕落させてしまうことになる・・・・
今度の木曜日は上原先生の命日なのですが・・・どうしても合宿での研究授業指導案作成で悩んだ時に会員のみんなが先生の発言を期待してしまうことがよくありました。そういう時に「僕がいると君らはすぐに僕に頼ってばかりいる」といって、不機嫌になって別室に寝にいってしまいました。
結果的には上原先生の脳溢血による突然の死というのは、別室で寝るどころではない、究極の別行動になってしまったとも言えます。
これは勉強でもなんでもそうですが・・・問題の解き方をただ教えてほしい、という人ほど、実質的には伸びません。これは事実です。
 
声優でいえば、昭和からの大御所といわれる人たち・・・今も現役では野沢雅子さん・・・はみんな舞台などの出身の役者さんたち。だいたい「声優」なんていうジャンルはなかったわけですからね。ナマの観客相手の舞台演技もしっかりした人たちです。
今、声優の専門学校でも体を使った演技のレッスンもあるそうですが、中には「自分がやりたいのは声優なんですが」という若者もいるらしいですね。仮に納得の上でレッスンを受けたとしても、専門学校の授業で受けたトータル時間なんてたかがしれています。
第一、本当に役者を成長させてくれる ナマの観客 を相手にした場数を踏んでいない。
でも、そうしたことから下積みをしていって、本格的な声優になろうという覚悟の人はどの程度いらっしゃるんでしょうね


18:25虚空
テレビ作家の教育力ということに関して
録画しておいてなかなか観られないでいた鬼太郎6期をさらにいくつか観ました。
救いのないような話もあったりして・・・http://anicobin.ldblog.jp/archives/54865941.html
6期も2年目に突入なのですが、それに関しての記事に、かつて幼い頃観ていた円谷プロの姿勢と似たようなことが書いてあったので紹介します。

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「ゲゲゲの鬼太郎」は日曜朝の子供向けアニメではあるが、朝から重い……と感じることもある。子供には難しいのでは?という声もある。しかし、“アクセル全開”でチャレンジしてきた。
 「水木プロの方から『朝だから見られますね。夜、見たら怖い』と言われたこともありました。それが『鬼太郎』なのかもしれません。ありがたいことですが、フジテレビさんからも『アクセル全開でかまわない』とおっしゃっていただいています。子供は理解できないことが多いと思いがちですが、大人が思っている以上に子供には文脈や行間を読む力があります。今の放送事情を過剰に考え過ぎず、面白いものをやろう!とフルスイングで作っています。シナリオ会議がすごいんですよ。エネルギーを使いますね」
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全文はこちら https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000040-mantan-ent&p=1

この記事の中で6期新シリーズで描こうとしている鬼太郎の揺れが、先に紹介したダンデリオンツイッターの内容とも関わると思っています。
「揺れ」「ブレ」というのが、最近諷虹君とのやりとりでも話題になっている「無からの宇宙の始まり」のきっかけが「ゆらぎ」ということとも相まって。

2019.04.10 水曜日
15:16 コバルト
心の揺らげば迷いが生まれる(新たな選択肢が増える)。迷ったら、予感(導かれる方へ)がする方へ歩みを進めて行けばいいだけ。
ジブリの「一緒に迷子になろうよ」みたいですね。
「揺らぎ」と「揺さぶり」
揺さぶるで思ったことが、赤ん坊が不安定になる時って、変化がない状態なんですね。
静寂がとても不安で怖ろしいんです。
だから抱いて揺さぶってあげたり、また車の揺さぶりに安心感を感じているんだと思います。
いないいないばあでも、そうですね。
ビックリが面白がれるんですね。
まさに子供は刺激に対する好奇心の塊みたいなものですね。
まず自分的にも、「ゆらぎ」というワードには最初はチンプンカンプンでしたが、やはり予感のする方に暗闇の中で模索していくうちに、微かに?めそうな物が湧いてくるんですね。
それに対して波長に合うもの(引き寄せ合うものシンパシー)と照らし合わせていって世界を出来上がっていく感じでしょうか。
それも「ゆらぎ」なんだと思います。


16:02 虚空
大人だってそうだよね・・・電車に乗っている時のウトウトの心地よさ!
心地の良い眠りから、次への力が湧いてくる・・・・宗教学者の山折哲雄さん風に言えば「安らかな死」であり、だからこその「甦り」・・・かな?
今の自分にはそういった安眠がないから余計に不安定・・・・まあ化学的に言えば「不安定」=「エネルギーが大」だからトランスフォーメーションなどをはじめとしての変化が起こせる可能性も大。
また鬼太郎の話ですみませんが、3月は「人間も妖怪も共に滅んでしまえ!」という強烈な怨念の塊の妖怪のエピソード。ネットを駆使して憎悪の連鎖をあおり・・・という内容。
憎悪部分などは、他人ごとではない感覚で観ていました・・・かなりきついものがありました・・・正直いって・・・。

☆「日々の迷いに向かい合って」① ダンデリオンツイッター記事より

4月8日の「ダンデリオンツイッター記事」からのやりとりです。
私(虚空)などは、自分に卑劣な圧力をかけてきた人物たちにその都度反発はしていますが、時には諸事情で「逆らうことが許されない」という流れの中でずっと生きてきて破綻寸前の現在の状況になっています。
「人知を超えた・・・それこそ自分では思いつけないような意志」の存在があって、「こんな人生にも何か意味があったのかな・・・」(思わず過去形です)という可能性を微量でも実感できなければ、やってこれなかったと思います。(かなり危険水域ギリギリできていますが)
今回も先ずは「お話」⇒「意味内容」⇒「原文」の順での紹介です

【お話】勇敢とは「敢(あ)えて勇(いさ)む」と訓(よ)みます。突き進むにせよ後退するにせよ、ことさらに意思を働かせて行う人為(じんい)には、必ずプラス面もあれば、マイナス面も伴う。極力人為を排して、天即ち宇宙の摂理(せつり)に従うことが、絶対的な価値にたどり着けることになる。

そうしたことは実は、はるかかなたの、手の届かない高根の花であるのではなく、日常(にちじょう)卑近(ひきん)のところに遍在(へんざい)しているのだということなのでしょう。

コンビニでたまたま「三鷹の森ジブリ美術館」のリーフレットを見ました。そのキャッチフレーズに惹(ひ)かれて、思わず一部もらって来ました。「迷子になろうよ、いっしょに。」さすがだなあ、と思いました。森や山に入って方向とか目的地がわからなくなったり、旅先でも道に迷ったり、或いはどちらに行こうか選択に迷ったり、そうした非日常的なことや、日常卑近の生活の中でもあれこれ迷ったりするのが、生きている醍醐味(だいごみ)なのでしょう。

少なくとも、「迷う」のは悪いことばかりではありません。真摯(しんし)に努力しているからこそ、大いに迷うこともありますね。自分の意思や判断では決められなくなってしまう状況。何か自分ではないものに翻弄(ほんろう)されているような、世界そのものが遊働(ゆうどう)してどこかへ流されているような感覚。

それは案外、「天の道」が働きかけてくれている状況なのかもしれません。逆らわずに流されてみるのも一興でしょう。かえって勇気がいりますが…
【大体の意味内容】勇敢に立ち向かえば、直ちに滅ぼされることもあるし、勇敢に逃げれば、助かった命を何かに活かすこともできる。とはいえ、リスクはあっても立ち向かうことに利がある場合もあるし、助かって使命を全うしても、誰かにとっては有害な影響を及ぼされることあろう。

どちらにおいても、利害はそれぞれあって、天が何を憎むかは、我々には諮(はか)り知ることはできない。「天の道」というべき無為自然(ぶいじねん)の道理は利害を超えている。争うことなくしてよく勝つこと。つべこべ言わずとも、よく人々の期待に応える。招かずとも、人が寄り来たる。悠然と構えながらも、緻密(ちみつ)な計略を立てている。

このためには、ことさらに功績をひけらかそうとはせず、無為自然(ぶいじねん)に事は成るのだとわきまえ、そのように努力するものだ。この世に張り巡らされた天道の網は、広大無辺、おおらかにして、しかも水も漏らさない。

(老子道徳経 下編徳経7)
敢えてするに勇なれば、則ち殺、敢えてせざるに勇なれば、則ち活。此の両者、或いは利あり、或いは害あり。天の悪(にく)む所、孰(たれ)か其の故を知らん。天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ずから来たし、?然(せんぜん)として善く謀る。天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして失せず。