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☆おうち意識からのあれこれ  合宿前後のラインやりとりから①

児言態の合宿前後のラインやりとりの一部です。「おうち意識」「母胎回帰」「子宮内感覚」などが常にベースにあってのやりとりです。


新たにキーワードにしたいと考えている「体感による類化性能」のもとになった諷虹君の発言もラインで紹介した前半からはじまって、非常に多様に話がとびます。


「馬」とか「ドラゴンボールと仏教」とか「天気の子」に等々との関連もちょっとずつ・・・



児言態で知り合った方が新たに参加してのやりとりもあります。



2019,08,08
10:38 虚空 ブログアップに関するツイッター記事の転載です。
・「おうち意識」をさらに深める「出産時の思い出」作文等々から、をブログアップです。  (link: http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/395/) syunkoukai.edoblog.net/Entry/395/
手話を会得したゴリラの死後のイメージからはじまり、小3生が書いた作文からの考察、そして最終的には「ウルトラマンのカラータイマーは陣痛ではないか」という説まで飛び出します。


2019.08.09 金曜日
21:14 虚空 現在、諷虹宅。
母胎回帰の話がちょっとでたところで、諷虹君がある歌を紹介してくれました。
そこのやりとり記録部分です
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諷虹 (トリック主題歌 2000年8月9日に発売された。作詞・作曲は鬼束ちひろ、編曲は羽毛田丈史。表題曲は、抑圧からの解放を願うミディアム・バラードである[1]。)
8月9日というのが・・・・。
♪ I am GOD'S CHILD(私は神の子供)
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?)
こんなもののために生まれたんじゃない

諷虹 この「産み落とされた」っていう表現ってよくあるじゃないですか。
この天から降りてきたっていうのはよくあるじゃないですか。
不思議な表現だと思うんですよね。曲名も月光ですからね。
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21:32 ヒマワリ
おぉぉ〜…穴って、月光なのかな?  月、天の穴。

21:39 虚空 
諷虹宅です。今こちらでは、浮遊感覚と「水」が話題になっています
(ヒマワリさんへ)あのお子様方と一緒にお風呂に入った時に、いろいろと聞くなり試してみたら面白いかもね。

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諷虹 やっぱり重力に縛られている感はあるんですかね。煩わしさというか
羊水に包まれているってことは水中に近いような浮遊感覚・・・それが出てくると重力を感じてしまう。
空を超えて、宇宙という無重力状態=羊水の中っていう母体回帰のイメージが結びつくんですかね。
湯に浸かるというのも。心の洗濯なんてミサトさんは言ってましたけど
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8月10日
10:44 虚空 ゆうべのやりとりをブログアップしたお知らせのツイッター記事です。
・☆「産み落とされた」という言葉から「子どもは神の領域」感覚へ:  をブログアップ(link: http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/396/) syunkoukai.edoblog.net/Entry/396/
実際に昨日耳にした幼児の語る出生前記憶や、自閉症の青年の内なる言葉の世界、等々の話ともからんで、「子ども」が稚児であり生命の指標であるという古来からの感覚に迫ろうとしています。

・この中で簡単に触れている「ことばが劈かれるとき」という書物の内容や、幼児が語ってくれた言葉は、後程正確に紹介できたらと考えています。
『表現しない子=何も感じられない子』

という勝手な決めつけはとんでもない誤解であることがある、それは私の経験からも確かなことだと思います。

・さらに、本音では教育産業等々の利害の思惑で行われていることもある各種「早教育」が、必要以上に「現実対応意識」を早くから植え付けてしまうことへの危惧。
国によってはそれが優秀な子を育てるカギだという発想があるようですが、日本人は真逆の発想で逆境に極めて強い人間を育ててきました。


2019.08.11 日曜日
02:12 コバルト
https://youtu.be/qCVkLDM_SIE

 記憶は生物だけではなくモノにも宿る、それに今を台無しにしたら過去も台無しにしてしまうことになってしまう、また未来にしても。
過去現在未来は全てが繋がっているということになるのかな?
過去に在った事が無かったことになる‥過去はもう過ぎ去って無くなるものではなく、同時進行で生き続けるモノが過去であるということなのかな。
月光について、日本人が抱いていた心象がこういう動画の人物みたいな感覚なのかなと思いました。
黄泉がえり、不確かなモノ、やさしい光、包まれる、ボヤァと光るから映し出されるものがある。などなど色んなキーワードが浮かんでいます。
ちなみに全ては知識からではなく心象風景から導き出しています。
こういうテレビゲームにしても心象が根付いたものであれば、共鳴共振を起こしてパッと甦るものなんですね。
作文、学習、言語にしても心象風景が要になってくるんだと思います。
不自然になってしまえば心象がつかないんです。
すぐに忘れてしまうし、頑張って覚えたとしてもうれしくない。
満足感は得られても、幸福感は得られないです。



02:51 虚空
そこが人間の意識の不可思議なところでしょうね。かなり自由に意識世界を構築できる。
それこそ先ほどのやりとりでも意識の持ちようがいくつか出たけど、あんな風にナマのやりとりをしていると、自分がすぐに取り入れられるかどうかは別にして「いろいろアリなんだな」という了解事項は増える。
それだけでも多分バタフライエフェクトが起きる・・・よね????


10:56 虚空 ゆうべのやりとり・・・明日からの児言態の合宿との関連も深そうな内容だったので、これもアップ作業を急ぎました。

☆「英才児の特徴を作文から探る」 ・・・日本語英語の違いなども交えて:  ブログアップです(link: http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/397/) syunkoukai.edoblog.net/Entry/397/
諷虹・虚空のやりとりにコバルトブルー君ことりのおやつ君も加わりました。
英語と日本語の違い、身振り手振りの違い、その他インチキ商法などの話題なども混じっています。


2019.08.13 火曜日
(児言態の合宿で知り合った方を招待)・・・もちろんこれはライン上の名前です

18:30  りんしゅんと申します。宇都宮で家庭教師をしています。よろしくお願いします。
18:52 ヒマワリ
ほぉ、よろしくおねがいします! 児言態の集まりで知り合ったの?


19:47 コバルト
そう! 言葉に対してすごい誠実な方だよ!
20:05 りんしゅん
(夕飯を他の会員の方とりながら)子どものキラメキを捕えるときに、現れた言葉のキラメキだけで捉えてしまわないようにしないといけないよねー、なんて話を指摘しました

何かを語るのに、思いもよらない例えとか切り口を引っ張ってくるってことと、知っている事柄や概念を関連付けて話を組みたててくるってのは、「言葉以前の何かに潜ってそれを表現しようとしてる」って点では同じだと思うんですよね

だから、子どもが「言語以前のなにか」に触れられてるかどうかを見てとる時、単に子どもの文章の奇抜さだけを拾ってきてしまうと、目を向けられないキラメキが出てきてしまうかもしれない
というか、そうじゃないと自分みたいな子どもはかえって「魂」に触れてないかもしれない……というのが本音です
(児言態 合宿帰り  コバルト・虚空は一緒に高速バス)

20:53 コバルト ・・・児言態雑誌15号 おうち構造図に書き込み





20:54 Nanba先生
ああ、なんかいいねー。こちらは、飛行機故障で羽田留め(笑)今から乗ります  では、また会う日まで。


21:00 コバルト
お疲れさまでした!只今虚空と高速バスで水戸に向けて移動中です。また10月楽しみにしています!

(児言態会議中にしていたコバルトメモ)





2019.08.14 水曜日
04:03 虚空
会議の空気をガラッと換えてしまった、あの「風発言」の元となったメモも是非載せてくださいな。



07:57 コバルト





08:29 コバルト
りんしゅんさんありがとうございます。自分達もその煌めき(あたたかみ)について結構やり合っているわけですけど、実の所よく分かっているわけでは無いんです。目には見えない所に実体が無いわけですし。ただそこに在るって信じているだけなんです。信じるしかないんです。
温泉を掘り当てる感覚に近いかも。ただ子供達っていうのはそれを信じちゃっている訳なんです。だから信じちゃっている子っていうのはキラメイているんです。

昨日りんしゅんさんと天皇陛下の違いついてのやり取りで決定的な違いって信じている部分「あたたかみ」があるかないかになってくるんじゃないかな。
(中略)あたたかみを発しているのはNanba先生でしたね。
だから最初に話題になったマンダラの真ん中に大日如来(あたたかい)とその化身、不動明王(あつい)は必然だったんです。

馬に好かれる人と好かれない人っていますが、馬ってその「あたたかみ」が在るか無いかを見抜くんですね。だから皇居では今でも馬を大切にするのかな。



09:05 虚空
馬が「神様の乗り物」「異界と行き来できる特殊な動物」というのも、誰かがそう決めたからそういう風に日本では信じられるようになった、というよりは、実際に馬とかかわっている中で「そうに違いない」と感じるのがあり、そのみんなの想いが凝縮されたことで先の様な信仰が発生したんだと思います。

だからその後も共感・共鳴できているんだろうな、って。
だって、実際に児言態岩手合宿で出会った道産子にしても、神田明神のあかりちゃんにしても、神奈川の施設にしても、馬を間近にしてあの瞳などをみるとそう感じてしまいましたから。
そして、それは特に乳幼児にじっと見つめられた時の感覚とも同じ。

だからどちらも「神の領域」・・・・でもこの神っていうのは、いわゆる国家神道などで政治利用される神、西洋でも人間の利益のために利用される神ではなくて、トトロの世界にでてくるような土着信仰をベースにした神ということですが。

だからマンダラも単にマンダラが好きな子、というよりも、マンダラを観てきっと何らかの衝撃が走ったとか、強烈に引き寄せられるものがその子にはあったんでしょうね。そこに児言態として一般的な名称を与えたらこれも根源としては「おうち意識」なんだろう、ということだと思います。


09:47 コバルト おうち意識が「あたたかみ」の部分になってくるんですね。
五七五(器、型、風車)七七(血、風)であるなら納得がいきます。
血、風があたたかみ(熱、エネルギー)を生み出すんですから。
だからNanba先生は俳諧連歌にこだわっていたんだと思います。



09:50 虚空
自分は和歌(俳句も含めて)は自分でまともに詠んだこともないのでこれまで深く考えたことはないのですが、昨日も発言したように、何故あの形に落ち着いてきたのかということを改めて考えて観る必要を感じました。

それこそ例の雑誌2号の「かたち」と関連させながら

10:11 虚空
昨日の会議で最後に話した「柳田先生と折口先生の神対立」(氏神と来訪神)ですが・・・自分が教師をしていた10年間もそうだし、家庭教師をしてからもそうですが、一般的な大人基準で表面的に否定的な判定をされてきた子を担当する・・・という場合が比較的多かったわけです。

でもそれこそ初めて出会ったばかりの自分は「まれびと(来訪神)の立場。だから前任者や学校でこう言われてきました、ということは抜きにして接してみて、自分でその子の見えないところにある様々なことを感じ取ろうとしてきたわけです。
その結果、大きな変容をすることがあいついだ・・・・
それは自分に指導力があるわけでもなんでもなくて、ただ内なるみえない部分を信じただけ。
そしてそれが出てくるのを邪魔しないようにし、本人の中に何か壁があるようなら、そこに風穴をあけるお手伝いをしただけ。
そういったこちらの姿勢(構え)を感じ取ってくれたというのが、指導力云々というテクニックのようなものとは全く違ったところだったと(自画自賛のようですが)考えています。
どんなに熱心に作文分析をしても、こちらにも「発見の喜び」というのがなければね。

12:50 コバルト


画像

大日如来と不動明王とスーパーサイヤ人。昨日のマンダラのやりとりから繋がってきました。


13:38 虚空
ドラゴンボールはZの数話をみた程度なのでよくは分かりませんが、仏像的なイメージは演出上かなり意識されてはいますよね。
昨日の私の例え話で「宇宙戦艦ヤマトの波動砲」とか「リリカルなのは」の「収束砲」ではうまく伝わらなかったのが「ドラゴンボールのカメハメ波」と言い直されて了解ムードになったというのも面白かったです。(誰がいいかえたんだっけ???)

「波」だしね・・・ヤマトのも「波動砲」・・・やっぱり「共振・共鳴」のイメージが根底にある?????
単なる必殺技とか破壊兵器という以外の何か????


2019.08.15 木曜日

08:55 虚空
「煌き」も新たなキーワードになりそうですね
ここでアンパンマンがでてきたわけですが、合宿初日の夜、同室だった児言態メンバーに三匹の子ブタの話をした流れから、アンパンマン誕生でも「受精」「死と再生」「真床覆衾襖」等々が現れているという、以前社会人クラスで出てきた話をちょうどしていました。
(今回の資料にもジャムおじさんのパン工場の写真も載せたわけですが)



8月16日
07:28 ソルティ
おはようございます。ソルティーです。りんしゅんさまようこそ。私はたまにやってくる(元)児言態会員です。虚空さんにいつもお知恵をいただいているものです。この駿煌会の中では一番年上です。現在学童保育でアルバイトをさせていただいています。どうぞよろしくお願いいたします。



10:05 虚空   児言態合宿 2日目の会議室からの展望




12:42 ヒマワリ
景色の写真、天気の子みたいだね。
コバルトブルーのまれびと感すごいわ(笑)
8月16日
21:07 虚空
現在諷虹宅で、13日の会議ビデオのごく一部(Nanba先生先生やコバルト君の発言のあたり)をきっかけにして「母胎回帰と闇」の話になって盛り上がっています。
素朴に思うのは、こうして駿煌会のやりとりが・・・核心部分は同じであっても・・・様々な話題とかアニメとかの観点から繰り返し繰り返しなされている・・・このことが、例えば今回の聖徳の作文を読んだ時に、さりげない言葉から無意識をキャッチしていける力のアップにつながっているんだろうな・・・って。

だからこの間の土浦でもそうでしたけど、大いに盛り上がれる。
改めて諷虹・虚空の次のやりとりは、大事なことを含んでいるような予感がします。


*聖徳の作文からみえる母胎回帰性について

諷虹 ふとんに入るも、お風呂に入るも、みんな「あたたかさ」じゃないですか。それから理想の家族をいう時にも「あたたかい家族・家庭」って言うじゃないですか。

虚空 それが「ナマ温かいものに包まれる体感」なんだよね。それが子宮にいたころの無意識の記憶だろうしね。穴だってそうだし・・・。

かつて児言態が藤岡先生と共同研究していた時の表題の一つが「穴と留守番」っていうのもね・・・結局「子宮願望」なんだから「母胎回帰性」だと思うわけだよ。

22:05 虚空
虚空が昨日、お盆で帰省していたある教え子たち一族と会ったさいに、数十年ぶりに乳児を抱っこさせられて・・・そこから感じ取ったことのやりとりも諷虹君としています。
まだに意識のベースとはこういうことだという実感。
そして、このあと、ヒマワリフクロウさんのお姉ちゃんの娘さんがお母さんのおなかの中にという記憶を語りだした動画を視聴。

丁寧に言葉をひろっていくと、いくつか気になる点があらたに出てきました(それはのちほど)
で、この言葉の中身から、「私に天使が舞い降りた」の最終回、天使の劇シーンをこれから二人で観ます。

年齢からすれば自分はこんな風にじいさんとして孫を抱いている・・・なんていう歳なんですね・・・・・



22:27 ヒマワリ
先生若返ってるわ。いい顔してる(moon amused)


22:30 虚空 子どもにエネルギーをもらえました。

13日の空についてもひとこと
朝、一時的にですが、いきなりザーッと雨が降り出して・・・間もなくやんで、5階の会議室からこのような空が見えました。朝日や夕日でもそうですが、やっぱり大事なのは異なるものの組み合わせのよるコントラストですよね。
雲一面でも、雲一つない青空でもどちらの場合もハッとしない。こんな風に適度に混じっているから美しい
まさに「天気の子」の根源に関わるかな?
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☆Nanba先生を囲んで Ⅱ番外  このあとのラインやりとり

土浦での語りあいとジブリアニメ等々をむすびつけてのラインやりとりです。



8月26日 
23:32 虚空
先ほどから土浦でのラーメン屋やりとりの文字起こしに着手しているのですが・・・ヒマワリさんの発言「おうちベーション」って文字でいうとこれでいいのかな? 意味としては「意識のベースとしてのおうち」であり、それがそれぞれ違っているという文脈と考えていいんだよね?


23:37 ヒマワリ
私おうちベーションなんて言ってたの全く記憶にないうけるー
モチベーションみたいなのに寄せてそんな発言してたのかな?
そんな感じだと思う先生の解釈でオーケー!
それぞれ育ってきたおうち意識ってことだね今読み返した感じだと。
私らの中には田んぼ、作文の子らの中には屋上、がおうち意識のベースにある、みたいな。
先生の解釈でやはりオーケー!

2019.08.27 火曜日
00:15 コバルト
平屋に慣れた自分の意識が二階建ての家になったとたん、自分と地面の繋がりに希薄さができて不安が生まれた事を思い出しました。

現実的に特に困ることはないけど、やっぱり色んな気配を感じられなくなるのは不安になるんですね。今現在もそうですが、鈴虫やらの自然の聲は心に安らぎを与えてくれます。
自分が人間である限りでは安らぎはないと思っています。それ以前の自然に還る事が本物の安らぎになると感じています。
人間であって、人であって、動物であって、自然であって、地球そのものであって、宇宙そのもので在るように、意識を広げていける感覚が自分の俗な感情を大海の中に一滴の醤油を落としても醤油という区別は無くなってしまい結局は大海になってしまうような感覚になるんですよね。


07:26 虚空
自分の記憶にある生まれ育った家は5階建ての団地・・・そこの2階なので、ずっと地面から離れていましたね。1階はよその家だから2階建ての家というのとは全く違う感覚。同じ団地でも4階や5階に住んでいる人とは意識世界は全く別・・・窓からみえる同じ景色が全く違ってみえる世界。
だから祖父母の家での庭付き一戸建てというのは妙に落ち着けたというのがあります。
最近の涼しさで秋の虫が鳴き始めましたが・・・平屋に住んでいると、確かにコバルト君が書いているような感覚になりますね。すごく近くで鳴いている感がありますから。
08:08 コバルト
そこにあたたかさが含まれるかですね。おふくろさん意識。そのあたたかみが人が人としていられる要因なんだと思います。(エヴァのシンクロ率の高さも、おうち意識の高さになってくる)
逆にあたたかさを奪うとは凶暴になっていくんですね。


08:11 虚空
その感覚・・・超実感です!
08:16 ヒマワリ
ナウシカもさ、自分が人造人間だったとしても、毒のある腐海の森でしか生きられないと分かっても、今の世界を選んだのはおうち意識、私のふるさとってのもあるんかな。
なーんて私ナウシカの原作しっかり読んだことないんだけどさ。
08:21 虚空
ナウシカに限らず、宮崎アニメって、手を変え品をかえて「おうち意識」だよね。幼子から大人まで共感できるのは当たり前・・・ただ、その切り口の多様さが、それまで意識していなかったところをどんどん掘り起こしてくれる・・・
紅の豚だって、あの秘密基地(?)は子宮だよね。とじられた空間の中に水があって・・・そこに稚児としてやってきたあの娘が泳ぐ。
ポルコにとって大きなトラウマだった戦友たちのことを語るというのも魂の在りか、行方・・・帰る場所・・・のシーンともいえるし。
おうち意識がどういった出方をしているのかを、「君の名は」の映画についてあれこれじっくりと語り合った時のように、ジブリアニメでもきちんと点検してみるのも面白そうだし、必要だよね。
09:23 コバルト
あの虚空教室の空間にあったものは邪魔をしないのと、否定しないって事ですね。
最初からそれは間違いだよと言わず、あえて間違い自体も取り込んでみる、そして突き詰めてみると間違いを間違いなんだと知ることが出来たんですね。
当時小学2,3年生でもとにかく深く考えていました。
他の教師になったときにかなり戸惑ったのは、間違いを間違いと認識できず、いつまでもそれが腑に落ちないからなんですね。もはやそうなると思考停止状態です。


10:29 虚空
これはオヤジの受け売りですが・・・「間違い」は「間の違い」・・・他との相関関係がその場の流れとずれたから、人間がそう認識しているだけ・・・・
だから「失敗」の受け止め方が「修理固成」を体感した、ということ・・・・因果関係等々を会得できた
古来日本人が「失敗は成功のもと」と言っていたこととか、本当にそれが「間違い」「失敗」なのかどうかなんて決めつけられない・・・そんな境地が保証されるような空間に近づけたかった・・・という感じですかね。
だから「邪魔しない」・・・・本当の学びを妨げないように・・・。
もちろん時と場合によっては、かなり激しいカミナリを落としましたが、それも子どもを否定するカミナリではないと、自分では位置付けていたつもりです。


11:39 コバルト
他人を見下(バカに)した発言や教師(目上)に対する迎合的発言、そういったズルい歪んだ人間成形に関するものに対しては厳しい対応していましたね。
12:33 コバルト
http://news-act.com/archives/20749242.html
この1%の「ひらめき」というのが「位置づけ」がハッキリしたという事なんですね。


13:18 虚空
凡人(常識人)からすればとんでもなくの努力・・・試行錯誤・・・をめげずに繰り返したという事実は間違いないのでしょうが、その受け止め方ということでしょうね。だから電球の素材で失敗をくりかえしても、それは「これは素材には向かない」という理(ことわり)を会得したということなのでしょうから。
そのあたりの発想がかつての日本人のようにとれるように復活させるだけでも、人生はガラリと変わるんでしょうね

22:39 諷虹
「このはな綺譚」個人的なオススメは第1話の『花嫁御寮』と第4話の『てのひら』です


23:15 虚空
花嫁御寮は一部のメンバーにはみてもらったことがありますが、奥の深い話なので、お時間があればゆったりと丁寧に繰り返し読んで、いろいろなことを感じてほしいな、と思います。


2019.08.28 水曜日
08:57 コバルト
読みました。ここでも邪魔をしない
否定しないがありましたね。逆に乗ってあげている。
「まどこおふすま」だと思いますし、49日にも繋がるのかな、ウルトラマンの3分みたいに、ある程度の期間が経てば還らなきゃいけなくなるみたいに。
また心の傷口はダークエネルギーで再構築しているのかな。

☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-⑤  英才小2年生向け「おうち意識」の授業へのあれこれ

翌日から児言態の合宿ということもあり、自然に話は英才小の2年生に対しての「おうち授業」への話になっていきました。

「やり方を考える」というよりも、ここまでの膨大なやりとりをふまえて自然に湧き上がってきた想いを語り合っているという感覚です。
そこからNanba先生が「連歌」というアイデアを出されてきました。

こうした授業の発案の手順そのもの・・・上原先生が生前繰り返してた「授業の方法よりもまず、テーマに関係しそうなことの徹底的な考察。それから単元設定の理由はテーマの確定。授業のやり方はその後に自然に決まってくる」というのを地でいった感じです。

*もちろんこれらの授業へのやりとりは児言態としてのやりとりではなく、駿煌会としての好き勝手なやりとりではありますが・・・・。
虚空 英才小の作文をよむと、この意識構造図に載せているような観点とか項目がね、1年生の段階から相当出ている。だからそれをいちいち出してもらう段階はすっとばしていいと思うんですよ。

Nanba先生 すっとばすと・・・今までの児言態の授業って「出す」ということに命をかけてきたじゃん。仮に「出ている」とするじゃん・・・出ているし。そうすると「次に何をするか」っていうところだよね、今回は。

それは僕が英才小に「小説」を使ってね、って言っているのと全くおんなじだと思うんだよね。中学生や高校生のように小説に向かうというところに彼らはもう行くべきだし、行かないと物足りないと思うんだよね。

だから本当のことを言うと、もしかしたら「おうち」とか書く次に・・・てきとうだけど・・・「地球」とか「宇宙」とかね、そういうテーマで書いたらむしろ「おうち意識」が出るかもしれない。

虚空 まだそれほど深く考えているわけではないんですけど、この前ちょっと思い浮かんでKS先生にもメールしたのが、新潟の大赤沢で行われた3枚のカード合わせの授業。三題噺の。私は参加できなかった合宿なんですけど・・・。
そのカードの中に一見おうちとは関係なさそうな言葉・・・でも本質的には「おうち」とか「母胎回帰」とかに関する言葉も入れておいて・・・それで長編を書かせるんじゃなくて、短文。粗筋。そして一つ書いたら「次のカードを選らんで」って次々と書いてもらう。
選ぶカードの語彙をどこまで広げていけるか・・・常識とかの枠を超えて。あるいはものすごく条件をつけて・・・。
できれば「えっ?これがおうちのお話?・・・あっ、でも確かにおうちだ!」っていいうのが飛び出してくるとね


Nanba先生 ああ!そういうのがいい!!
って言うかそういうのじゃないといけないような気がするね。


諷虹 圧縮ですね


虚空 そう、圧縮と解放。そりゃ何段階かの活動を用意していいんだけど・・・導入で1年生にやったようなことを入れるとか、体感を出してもらって、確かにそう注文すれば英才児はサッとモードを切り替えて出してくれるんだ、っていう確認をしたいならそういうのを入れて「体感も出る」という確認をするのもいいとは思いますけど、でもそこでとまって満足したんじゃね。


Nanba先生 体感はあるんだ、って。僕らは。むしろそっから出発しなきゃならんのよね。せっかく英才小でやるんだから。


諷虹 いかに短文の中にエッセンスというか核になることを入れられるか・・・ちっちゃくすることができれば、でっかくすることも出来るわけですからね。それに応用できるし。本質をつかんで短い言葉で伝えるということもできる。

虚空 あるいは「お話リレー」。これは収拾つけるのが大変だけど。特に研究授業ではね。
この発想は長浜君がかつてやった「接続詞の授業」のアレンジなんだけど、接続詞をなればておいてランダムに「これ」「次はこれ」って指定して続き話をさせる。想定外の筋立て・・・お話リレーでも「次にこういう風に展開させようかな」というのを回りが平気でひっくりかえすような状況。
数学の授業で端的にでていたけど、英才小の子はそれはそれでちゃんと受け入れると思うんだよね。
でもそれによって、コバルト君が最近よく使う「起承転結型」じゃなくて「序破急型」・・・いい意味で想定とか予定調和をぶち壊す・・・新たな発想に転換できる・・・そういう他の児童とのやりとりを授業の中盤あたりに持ってくるとかね。
自分の今意識していることとか、無意識でも出やすいところじゃない部分・・・地下2階とか地下3階を掘り起こし合うような他の子とのやりとり・・・


Nanba先生 それを聞いていたら・・・例えば「連歌」とか「連詩」とかいうのもいいかもしれないね。


虚空 ああそうですね!日本人ってそういうことで、自分の意識世界をすごく修練していたんですもんね

諷虹 俳諧連歌。

虚空 自分が思っている通りには作れないという「制約」が、逆にものすごい広がりを生んでいったわけですもんね。

Nanba先生 そうそうそう。

虚空 好きに自由にやったんじゃ生まれてこない境地


諷虹 「縛り」とか「負荷」をかけることで、っていう感じですよね。

Nanba先生 それが大好きだったんだもんね。それが明治になって正岡子規が俳句という形で独立させてしまったがために面白くなくなってしまったんだよね。


虚空 自由主義なんていうのもね・・・季語はいれなくてもいいとか・・・それが裏目に出ちゃっていると思うんだよね。


Nanba先生 連歌って相手の五七五に対して、ただ七七をつけるだけじゃなくて、何句目には必ず月を入れるとか、そういうのが全部決まっていたんで、その制約がかえってむしろ想像を呼ぶ・・・。


虚空 そうするとその中に一見おうちの要件とか違うもの・・・それは5年生や6年生の作文からキーワードを拾い出してもいいんだけど・・・要件の出し方にはあんまり学年の差がないと感じているんで。高学年になるとそれこそ数学的に家の定義を述べるとか、一般化しようとするとか・・・書式は変化するけど家の要件としてはね


Nanba先生 変わんないね。


虚空 でも何人かは宇宙とかに突き抜けている子がいるから・・・それこそ星に移住する話を書いている子もいるし。


ヒマワリ すごいね


虚空 それでも「おうちの要件」ってあるわけだよね。これを外したらおうちにはならない。
でもね逆に言えばその要件が満たされていれば、それは一見したらおうちとは関係なさそうなものも「ああ、これもおうち意識なんだな」って・・・。
具体的にいえばさっきの2年生の立体マンダラだよね。どうして「おうち」という課題でマンダラのことをかきたくなったのか。


諷虹 やっぱり自分の興味関心のある事だからじゃないですかね。

虚空 そこでね、立体マンダラの構造を的確に描写というか説明しているでしょ。そうするとね、おうちには何らかの閉じた世界という構造があるというのを満たしている。自分のおうちを書いていなくても、立体マンダラの世界も閉じた世界としてはこれもおうちだと2年生なりにつかんでいると思うんだよね。
でもヘタをすると普通の先生は「ちゃんと話を聞いていたの?おうち で作文を書くって言ったでしょ」なんて叱りそうでしょ。

ヒマワリ ああ、言うね。

虚空 でもね、あの子はちゃんと「仏の世界です」って書いているじゃない。

ヒマワリ おうちの作文で仏なんて言われたらゾッとするよね。逆に「怖」!

諷虹 ピカソの絵だとか・・・著名な人が全く関係のないようなことを言ったときに「深いな」って思うのか、「荒唐無稽なことを言ってるな」と思うのかの違いですよね。

ヒマワリ 関係ない事を言わないわけはないよね。

諷虹 結局その人の中ではつながっているから出ているんですからね。

ヒマワリ そうそう。

虚空 それが周囲が全く無理解でずっときてしまうと、統合失調症だと診断されるくらいに追いつめられてしまうことがあるわけだよね。

でも実際にすごく感覚のいい子って、学校でもわけの分からない子、変なことをすぐに言い出す子・・・っていうことで問題児扱いされるからね。教師の期待する発言をしてくれないから・・・あの子がいなければもっと授業がきちんと進むのに、とかね。
研究授業でそういった子が挙手しても指名しないとか・・・・。事前に発言を禁止している教師もいたしね。指導案での期待通りの発言をしないと自分の指導力が疑われるとか・・・プロの教師として・・・。
Nanba先生 やっぱり(他人とは違う世界が)「見えちゃう」人の不幸が近代はやっぱり強いよね。
(補足 広い意味での 犠牲論 ともつながりあり?)

虚空 西洋の自我のとらえかたと、日本古来の自我のとらえかたの違いっていうのも大きいと思うんだよね。それぞれ相性が悪いように思う。
西洋でいうと「自己同一性」とか「アイデンティティの確立」とかうるさく言うけど、日本人なんて「そんな生き方はつまらないじゃないか」って。短い人生なんだから何通りにも生きよう、って。それが郡司先生の江戸庶民の発想法にもつながると思うしね。
異なる自己を同居させてしまう。
その名残だと思うんだよね、ネット上で複数の自分を使い分けているというのも


ヒマワリ アカウントね。

虚空 それを一つに統一しないと大人として成熟していない、なんてね

ヒマワリ 全然そんなことないよね。

虚空 それは表面的には異なるアカウントを単に使い分けている・・・それによって本音を出せる・・・とか、そういう処世術の一つと思われがちだけど、日本人の場合はもっと根の深いものがあると思う。

諷虹 個人レベルで終わってしまっていますよね。


(立体マンダラ作文の話に戻る 文の冒頭よみあげ)
諷虹 それを家族としてとらえている可能性がありますよね

虚空 そうそう。

Nanba先生 あるある。それはすごくあるよ。

諷虹 鯉のぼりもお父さんとかお母さんとか子どもとか・・・並んでいるからあれが家族構成に通じていくわけですもんね。

虚空 「大日如来は太陽の仏でもあるし、すべての仏が集まったものでもあります」って。

諷虹 天照・・・お母さん意識ですよね。

Nanba先生 こういうことが「おうち意識」の拡大であり「自己」が拡大していって、それでこの子の中で「おうち」自体も拡大しているよね。
それこそ「コスモス」・・・「宇宙」が「おうち」だものね。
そういうとらえかたが出来ている・・・この段階はもう抜けているわけだから・・・次の段階へということだよね


虚空 次を考えてあげなきゃいけない

Nanba先生 次だよね。

虚空 だからね、よっぽど本気で「意識のベース」とかね、「知識を拡大させるとはどういうことなのか」とかね・・・そういういくつものことを徹底的に突き詰めてからじゃないとね・・・・

 実際今日もね、ほんの2年生の作文を数枚読んだだけだけど、Nanba先生先生が着く前のファミレスから始まってもう何時間もこれだけ盛り上がっているし、教育全体のいろいろなことに話が発展しているんだよね。


諷虹 2~3時間はゆうに超えていますからね・・・この作文に直接かかわるやりとりだけでも。


Nanba先生 この作文を子ども達が読み合ってもいいくらいだよね。何か言うよね、子どもは。


虚空 そういうのも導入の中で面白いかもね。この立体マンダラなんて。どう受け止めるのか・・・この子の個人的な思い込みとして片付けるのか、「ああ、たしかにこれもおうちだ」って受け止めるのか。
でもね、「これっておうちじゃない」って否定する子は少ないんじゃないかな

Nanba先生 少ないと思う。

諷虹 この作文の続きを書いてみようとか・・・

虚空 導入段階でこの作文をつかって「ああ、おうちっていうことをどんどん拡大していいんだ」って・・・それは誘導じゃなくてね・・・「構え」の問題として。「ああそうか、今日はそういう発想もアリなのか」っていう「世界定め」の確認事項の一つとしてね。
そうしたらもうあとはね

Nanba先生 行けるよね。

虚空 それがバタフライエフェクトになっていく。あの言葉、最近本莊さんもよく使ってくれているけど。

ヒマワリ 波がブワーッと広がっていく感じだね。

虚空 なんだかんだいって本荘さんが一番ブログを丁寧に読んでくださっていると思う。それで新たな漢文紹介がそれにつながっているような事を書いてくれているし


諷虹 さながらこれも「連歌」ですね。


虚空 お互いにそれでいろんな方向に広げ合える。


ヒマワリ 本莊さんも一緒に呼んで話をしたいよね。


(そういういろいろな分野の人たちを一同に集めてのイベントを開けたら、という企画を語り合う。 Nanba先生がみんなに日常スケジュールを細かく聞く)
Nanba先生 なんでこんなことをきいたかというと・・・ガッツリ時間をとってこのためだけにみんなを集めて・・・これは実現できるかどうか分からないけど、うちの学生たちも集めて連れてきて、お話をきく座談会を・・・
ヒマワリ 面白そー、やろー!
虚空 私もね、英才小の先生たち・・・数学の先生とか。
この前、数学の授業をされた教務主任の先生ともずっと話し込んで結構深まったんですけどね・・・。
私は絶対英才小なんかは数学と国語とか・・・いろんな教科の先生方がタイアップして子ども達の発達を検証した方がいいな、って
Nanba先生 それはやるべきだし・・・あとあの図書の先生とか・・・すごい人達が揃っているんだよね。
そういうメンバーとうちの学生と・・・。
まあいきなりだと大変だから、まずは茨城に来れる人だけでも一日きて・・・。
何かのついでにというのではどうしても時間が短くなっちゃうから。
だからみんなで予定を合わせられないかな、って。
それをやりたいね・・・ちゃんとテーマを設けて・・・
ヒマワリ いいね、楽しそう!会場押さえよう!!
Nanba先生 会場をおさえて・・・そうしたらいいよね。
虚空 異種格闘技じゃないけどね・・・
ヒマワリ 畑違い合戦。
Nanba先生 一応みんなも児言態は知っているでしょ。うちの学生たちも児言態は知っているから。だからベースは一緒。
やっぱり朝から来て、ずっと一日やるというのがいいかもね。夜は無理だね・・・茨城のこの状況を考えたら。
諷虹 開いている店もないですしね。
虚空 今日だってこのロビーが使えなかったら、大変だったもんね。
Nanba先生 やっぱりガッツリ時間をとりたいね。今日は結構しゃべれたからよかったけど、ちゃんとテーマを決めて・・・
(具体的な計画に向けてのやりとり)

ヒマワリ その束が全部作文なの?1年生から6年生までの・・・
虚空 そう
Nanba先生 そしたらすぐに発達がとれるよね
虚空 できますね、大変だけど(苦笑)
でもざっくりした印象なんですけど、おうち意識の発達というよりは「型」の発達っていう傾向の方がはっきり出ているように思います。
だからこの前からずっと話題にしている雑誌2号の「教育の本質は形式である」っていうことの秘密は、多分ここからも伺えると思います。
そういう時にね、「ナマの感覚」っていうのをヒマワリさんなんてどんどんぶち込んでくれるじゃない。
ちょっと話が変るんですけど、この前の金曜日にヒマワリのお姉ちゃんと会って・・・
(娘さんの出生前の記憶に関するエピソード紹介)
夜11時、時間切れでお開き

☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-④  「かたちの教育と自己の拡大」古典を生かす 

上原輝男先生は芸能論を通しても様々な考察をされていますが、人間の成長や教育に関しても「かたち」(型)「様式」「構造」等々を究めて重視されていました。

「中身を教える(覚えさせる)のではない」という主張です。

「おままごと」のような「ごっこ遊び」も「見立て」という観点から、先ほどの「数理思考と類化性能」の発達のためには大切な素地であったということから始まります。

英才小では今もやっていますが、江戸時代の寺子屋教育や藩校などでも漢文の素読が幼い頃から繰り返し行われてた意味。

そういう下地をみんなが持っていたから「共振・共鳴」も自然におこっていた・・・他人同士、社会全体・大自然や宇宙全体・・・異界も含めて・・・ということへの共鳴が起きて、現代人が考えるような身勝手でちっぽけな「個人」を超越できたのだろうと。


それが「型」(器)ではなく、そこに何を盛り込むのかを強制し、目に見える形になっていなければダメとする風潮・・・現象思考ばかりに偏っている・・・が、教育だけではなく社会全体の歪みにもなっていると思います。


やりとりの後半、「おうち意識の構造図」をみながらのやりとりが続くのですが、その中でNanba先生が指摘されている「この図の隠れた部分」への指摘は大変に重要だと感じています。


虚空 上原先生が芸能論もずいぶんと使うじゃないですか。そうすると水戸に京都のお茶屋の女将さんがきたときに話をきけた時のようにね・・・実際にあの時に来ていた芸妓さんが沖縄出身だったというのはね・・。あれは衝撃だったんですよ。あんなに純京都風なのに出身が沖縄です、って。なんで沖縄の人がこうなれちゃうの!?って。

以前Nanba先生先生が「憑依」の話をされたじゃないですか。最近の広島大学の学生は憑依能力が低下している、だから読解ができなくなっている、って。祇園だとか古典芸能の世界って憑依能力ですよね。

能でも日本舞踊でも「神」とか「精霊」に成るわけですよね。そうすると西洋演劇のように「役の気持ちになりきる」とかはそもそも出来ない、って。人間がいくら想像したって、そんな人間の想定の範疇だったら「神」とはいえないわけでしょ、人知を超越した存在なんだから。

ヒマワリ ごっこ遊びの究極みたいなものなのかな?

虚空 (Nanba先生先生に対して)さっきもおままごとの話になっていたんですけど、「おままごと」とか「ごっこ遊び」の哲学というか・・・「約束を想定してそこから世界をお互いにつくっていく」

諷虹 哲学とか数学も「仮定」からはじまって、仮定からはみださないようにやっていって最終的に目的地とか証明したいことに到達・・・哲学はどこまでも行く、みたいな。・・・定義づけして約束ごとで繰り広げられていくことなのかな、って。

虚空 段取りだけであとはそれぞれの役に成っちゃうじゃないですか、ちっちゃい子たちは。どう演じようかなんて考えないで。
ただ、今の子たちは例えば道具が完成されすぎているおもちゃばっかり。昔のおままごとのようにものすごく単純化された状態で見立てをしてというんじゃなくて。そんなのでのおままごとをしていたら「数学」だとか「哲学」の素養が育たない、なくなってしまうんじゃないか、って。

諷虹 棒切れを剣に見立てたり、とか。包丁に見立てたり・・・それって「自己の拡大」のようなものじゃないですか。これが棒状だから棒状のものには何にでもなれる。

虚空 それがね、さっきのように「表現されていなければ意識されていない」なんていう発想では、見立てなんてそもそも成り立たない。

よく話すことだけど、ずっと前に参観した「ごんぎつね」の授業でもそうだよ。ごんを撃ってしまった兵十がごんに手紙を書きました・・・っていう想定で最後に子ども達に書かせていたけど・・・。歯の浮くような言葉を沢山書いていた子ほど褒められて、「とりかえしのつかないことをしてしまった、どうしよう・・・・」としか書いていなかった子は「もっと書けないの!」ってダメな子扱いされていた。

「言葉にならない言葉」だって日常の中でいくらでもあるじゃない。「言葉を失う」とか・・・「とても言葉では言い尽くせない」とか。

でもね・・・和歌でも能でも落語でも全部そうだよね。それが日本の文化じゃない。「たくさん表現していない」「具体的な表現がされていない」ましてや「表現されていないということは、中身もないんだろう」なんていったら成立しない。

上原先生が国語教材の講義で最初にうるさく言っていたのは「日本人は言葉は こと の は とつかまえていた。物事の端っこのところしか表し得ないのが言葉なんだ」って。

ヒマワリ なくてもあるっていうこと?

虚空 それこそ能なんかでは、旅の僧侶がスーッとちょっと歩いたら、もうそれで諸国を旅した、ってことになっちゃう。

諷虹 そういう意味ではお客さんってどの立ち位置にいるんだろうな、って。

虚空 お客さんがそうしたことに共鳴できたわけじゃない。演じ手と観客との間で約束事による世界の共有というかね、それが成り立っている世界。それを支えているのがものすごく数学的な抽象と類化性能。
でも最近のお客さんは共鳴できないんだよね、日本人でありながら。西洋的な発想というかものの見方になっちゃっているから。

諷虹 何かその「自己の拡大」っていうのがさっきから頭に残っているんですけど、西洋演劇は自分達が劇と一体化することでお客さんを引き込んでいくという感じだと思うんですけど、日本の歌舞伎とかって、自分が一体化していながらも、お客さんが盛り上がるところはお客さんの気持ちで演じるみたいな・・・お客さんはお客さんとしてそれを観て掛け声を飛ばしながら世界をつくっていく。
西洋演劇では掛け声とか入れちゃったら崩れちゃう。お客さんと劇は・・・

虚空 確かに「成駒屋!」とか、あれって役者の屋号だからね。全然違う人間を演じているのに、役の名前を叫んでいるんじゃないんだよね。

諷虹 役に成り切らないで戻ってこい、って言っているような不思議な感覚ですよね。

虚空 そういう感覚を同居できるんだよね。

Nanba先生 役と自分との行ったり来たりとみせるというところはあるよね、歌舞伎は。

虚空 本人もみせる。ベルサイユのバラを宝塚が初めてやった時、歌舞伎役者の長谷川和夫が演出して・・・練習の時に主役たちが怒られたって。
本編が始まる前のプロローグがあるんだけど、そこで幕があいた時からアンドレとオスカルに成り切っていたというので怒られたって。成り切り過ぎているって。

ヒマワリ へー

虚空 お客さんはあなた方を観に来ているんだよ、って。完全になりきっていたらダメなんだ、って。それでかなりビックリしたって。
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(その言葉に関するものは見つからなかったが、「型」の演出に関してはいくつかありました)
参考 「ベルサイユのばらはミュージカル界の歌舞伎~古典の力。型の力」
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12186072209.html
主役、オスカル。原作ではその瞳に星が飛んでいる。少女漫画ですから。
「あの瞳の星を舞台の上で飛ばしなさい」
と言われ、呆然とする榛名さん。(初代オスカル役の方です)
けれど…初日に、彼女はちゃんと舞台上で目に星を飛ばすことに成功するのです。
客席からは「光ってる」「ひゃー」「キャー」の叫び声。
「目線を、二階席の手すりから一階席まで落とせ。そして『い‐二三番』の席を見なさい」
これが、長谷川さんの指示。
ピンスポットが絶妙に目に当たり、乱反射する角度までを計算しつくした演出。
…これは300本以上の映画を通して照明の当たり方を研究し尽くした長谷川さんならではの
技だったそう。
 「ちょっと感動したこと。」~タカラヅカ~
https://blogs.yahoo.co.jp/phjbd514/18663191.html?__ysp=44OZ44Or44K144Kk44Om44Gu44Gw44KJIOmVt%2Biwt%2BW3neWSjOWkqw%3D%3D
鳳蘭、「ベルばら」秘話を明かす
https://www.daily.co.jp/gossip/2018/04/28/0011206441.shtml
「右に3歩行って、2階の3番目の端のお客さまをパッと見て、そこから上手の一番前をすっと見なさいとか、そういう演出でしたね。形。様式の。長谷川先生がスターだったから分かったと思うの。エキスを全部タカラジェンヌに教えてくださった」「今の宝塚の、スターが出て来る前にチャンチャカチャンチャンチャ~ン!で、スター登場!っていうのも長谷川先生が最初に作った演出です。ものすごく客席を盛り上げてからスター登場、は長谷川先生の演出です」と、長谷川演出が後の宝塚に及ぼした影響の大きさを証言した。
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諷虹 確かに映画とかでも好みの役者さんが出ているから観るって

ヒマワリ そうだよね、

虚空 その役者さんが成っているかどうか

Nanba先生 歌舞伎も宝塚も似ているところあるよね。応援している俳優を観に行くっていうところがあるから。
逆に劇団四季なんかは徹底的に役者が消える・・・劇団四季だと役者名が分からない。

諷虹 展示されている絵画をみるのか、ライブビューというか描いている姿を見せるのか・・・そういう違いがあるのかな、って。一つの世界で。

Nanba先生 最終的にはどちらもおんなじだとは思うんだけど、自分がそこに入ってしまうんじゃなくって、出たり入ったりすること自体をみせるとか・・・・

そういうのを含めての「私」みたいなのを英才児は英才児は感じていると思う。平凡な大人はそこまでいけないのかもしれないね・・・統合されていない。

虚空 だからやっぱり上原先生は英才児に江戸庶民をみたんだと思うんですよね。
Nanba先生が以前「児言態の教育って近世の教育を復活させようとしているのかな」って・・・それは単に古臭い日本に戻そうというよりも、その頃の日本人の方がずっとすごかったじゃないか、って。

Nanba先生 各藩の藩校のようにやればね。だって藩校で教えられていたものは小さな自分を捨てるということで、要は自分を捨てるというのは自分を大きくしていっているわけじゃん。

諷虹 イメージなんですけど、例えば水戸藩校だったら「土地に根付いた知識」というか、農業が盛んだったら農業、海が近かったら漁に特化した内容だったり・・・段階をふんで大きくしていったのかな、って。

まずは自分の村の形で・・・世界を変えるくらいの大きな人材にするんだったら、そこからさらに広い視野・・・やっぱりいきなりは大きなサイズにはなれないから、雪だるまみたいに・・・藩校のように土地に根付いた教育で、次に日本の教育があって、それからグローバルになっていく。

虚空 それが「おうち」がベースっていうことだよね。国際教育の基本は郷土教育っていうのもあの当時から文部科学省も言ってはいたんだけど、今は「おうち」「ふるさと」「世界」っていう基本的な流れがおかしくなってしまった。

Nanba先生 各藩の藩校について一時期調べたことがあって、各藩の特有の勉強と同時に、中国の古典のような滅茶滅茶ユニバーサルのようなものも小さい頃からやられているんだよね。必然的にグローバルとローカルがつながるような教育をしているんだよね。
それってすごくないですかね。

四書五経なんていうのは当時でいえばもうグローバルスタンダードなわけよね。そういうのをちっちゃい時から教えつつ、自分たちの地域のことも。それはすごいシステムだと思うんだよね。

諷虹 素読っていうのは、あれはどっちなんですかね。自分がない状態なのか・・・文章と一体化するという意味では幽体離脱みたいな感じで・・・フッと。英才小では最初にやるじゃないですか。ストレッチというか体をほぐす感じで・・・素読でただひたすらに文章を読むという感じで、自我の没我感というか・・・

Nanba先生 素読は確かにちっちゃな自我は消えるんだけど、僕はあれは自我の柔軟運動だと思っていてちっちゃな自分を柔らかくしていく時に、グローバルスタンダードなことを読むということによって何千年もとべるということをやっているんだと思う。
それはヨーロッパがラテン語とラテン語文献をずっと手放さなかったのと全く同じ。ヨーロッパの国語はラテン語を学ぶということだから。それは東洋でいえば中国思想を学ぶということだから。

唯一違うのは、日本は中国語を日本語で読めるようなシステムを作っちゃったっていうところ。
ヨーロッパのどこの国がラテン語を英語読みできるようにしたか、って。ラテン語のまま読むわけじゃん。そこがすごい。

諷虹 ホームポジションが変ったという感じなんですかね

Nanba先生 そうかもしれない。

諷虹 中国時代じゃなくて、国風文化とか、日本語読みができた時代の・・・平安なのか・・・日本人が始まった時、みたいな

Nanba先生 そうそうそうそう。あくまでも中国の文献を読んで、そこでグローバルなものに飛んでいけるんだけど、一方でローカルだから。・・・それが素読によって何千キロも飛べると同時に、日本の古代にもとべる。

虚空 このまえ諷虹が言っていたミクロコスモスとマクロコスモスだね

Nanba先生 ちっちゃな自我が柔軟になっていくことを素読でやっているんだと思うんだよね。そうした中からいろんなものが入りやすくなるんじゃないかな。知識とか・・・。そして自分というものが大きくなっていく。

虚空 そういうところがさ、ヒマワリにしてもコバルト君にしても、素読はやっていなくても、アニメだとか数学のやりとりを聴いて、そのまんま受け入れて・・・

ヒマワリ そうだね。大きくなっている感じがするね。
なんだか新しいのがペターッてくっつくような感じだから。

Nanba先生 分かりやすく言うと「素直」なんだろうけど・・・柔軟にしていくというのは・・・。
でも単なる素直ではなくて、「大きくなっている」という感じ。
「おうち」っていうのも自己だと思うの。大きな自己になっていく。

虚空 のべつくまなく受け入れるっていうのとはちょっと違うよね。幅広くっていっても。
「人のいいなりになる」とか「洗脳される」というのとは違う、っていう意味で。
そのカギをにぐるのは、自分の無意識世界との経路の風通し具合じゃないかな。

(新興宗教がらみの話題から、現代人が人生においても、すぐに答えをおしえてもらいたがる傾向について)

ヒマワリ 人から教えられるような人生なんだね。

虚空 今の学校教育も同じじゃない。全部こうしなさい、ああしなさい、って段取りを教えて・・・失敗も挫折もしないように。
だから子どもの方も「そんなの教わってない」とか「どうしたらいいのか答えを早く教えて」なんてばかり言う。
司令塔がいなくなったらもうどうしていいかわからないんだよね。


Nanba先生 みんな答えがあるものばかりやってきたから、人生には答えがあると思っちゃうんだね。


虚空 答えなんてなくたっていいんだ、ないのが普通なんだ、って言ってくれる人がいないんだよね。


ヒマワリ 答えがみえていても、その答えに歯向かいたくなる人間はどうすんだろうね・・・ヒマワリとかコバルト君とかみたいな。
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(児言態雑誌15号 おうち意識の構造図の話題)
虚空 ゆうべ、この図をみた瞬間にコバルト君が「ここんところは・・・」とかいろいろと熱く語りだしたんですよ

ヒマワリ さっきのNanba先生先生の話が「あれ、この図と似ている」って

Nanba先生 そうね、おんなじだね。

諷虹 「お笑い芸人は結局ここをネタにするのが一番受けるし、万人に笑いがとれる」って言っていたんですよね

虚空 それをね、この図はああなんだこうなんだとしゃべっていたわけじゃないんですよ。たまたまこのページを開いて「そういえばこれは以前おうち作文をもとにみんなで作成した構造図」っていった瞬間に、いろいろと言い出したわけなんですよ


Nanba先生 ああ、そうかー


虚空 教えられたから言えるとかじゃなくて、そこから何か感じたらそれを口にする。
だから洗脳なんてされないと思うんですよね。。虚空が言ったから「はいはい分かりました。先生の仰せのままに」なんていう態度はとらない。ヒマワリにしたってそうだよね

ヒマワリ そうだね。

虚空 むしろこっちが何か言ったって「でもですね・・・」ってすぐに何か言い返してくるもんね

諷虹 こういうのもあるんじゃないですか、ってね。

虚空 むしろ虚空の考えが及ばぬところを言ってやろう、っていう姿勢だもんね。
そういう風にスッと反応できる。

ヒマワリ 図に反応しちゃうね。

諷虹 さっきの自我が広がっている考え方をふまえると、これは自我が広がっていく過程だともとれますよね


Nanba先生 そうそうそうそう


虚空 だから意識のベースっていえるわけだよね。
ただ、英才小の特徴としてはこの辺(生理感覚)が作文には書いていないと。

Nanba先生 それはだけど違うんだよね。これはこういう風に閉じられた感じにはなっているけど、この「生命」っていうのが満たされていくんだよね。

諷虹 広がっていくということは・・・

Nanba先生 そこまでが生命。「生命」でもあるし「社会」でもある。この子たちはそいいうふうになっていこうとしているし、なっているんだよね。

虚空 現実意識の外側にイマジネーションの世界がドーンとあるんだけど・・・ヒマワリさんもそういう感じなんだよね。

上原先生がよくいっていたんだけど「イメージを先行」・・・「イメージをイメージを」っていうのはこういう意味で言っていると思うんだけど、それがここ(中心)がイメージなんだから、その外側はイメージにとって邪魔なんだ、っていう発想になっちゃっているんだよね

Nanba先生 ここを突き抜けて出てこなきゃあかんと思ってしまっているわけね。

虚空 でも英才児は突き抜けなければならない対象ではないんだよ。「論理」も「知性」も。それらもすべてイメージを豊かにする道具なのよ。

Nanba先生 柔らかいよね。満たされているし柔らかい。だから出やすくもなっているし、それが「統合」されているようにも見える。

ここにはもう「他人」も一緒に入ってくるので「私とあなた」ということがどんどん「同じ生命」ということにつながっている感じだよね。


諷虹 この前、戦後ワースト2位の選挙の投票率だったというのがね・・・愛国心とかいうのもこれが広がっていけば自然に「日本が苦しめば自分も苦しい」って考えるから、社会に対してとか政治に対してだとかに興味をもつことになるのが、ここで止まっちゃっているから「日本がどうなろうと、俺が生きていければいい」っていうようになっちゃっていると思うんですよね。
だから「生命」が広がっていっていないのかな、って。

虚空 一体感がないんだよね。「俺は俺」っていう「俺」は、すごいちっちゃい「俺」。


Nanba先生 それが逆にいえば、それが広がっていくようなきっかけを失っているんだよね。学校教育とか家庭教育でそれが奪われていったんだよね。

それがこの3人のやりとりでは「同じ生命の競合」っていうのがあるじゃん。「おうち意識」って結局「拡大された自己」のことだから。それがうまく出来ないままきてしまったのかな、って。それがうまく出来ないようにするのが「近代」というシステムだし。
日本でいえばかろうじて近世までが「自分」と「共同体」の幸せが、って。

虚空 やっぱり幕末なんかで若者たちが「にっぽんのために」って本気で動けたのは、「国家がリードする国家意識」ではなくて、本当に「内側から湧き上がってくる国意識」

Nanba先生 「社会」なのよ、ちゃんと。でも幕藩体制は作られたものというよりは、古代から作り上げられてたものをベースにされたところが多かったから。でも戦争中の日本は「国家」という人工的につくられたものによってやられたから結局壊れていくんだよね。

虚空 国民に言っていたきれいごととは全く別の下心があったわけだしね。

諷虹 天皇という象徴があってそれと共鳴しあうか

Nanba先生 それが近世まではそれがあったんやけど、近代以降は明治政府が天皇を利用するために「人工的な天皇像」を作っちゃったんだよね。


諷虹 それが今はゴチャゴチャになってしまっているんですね。


Nanba先生 神だとかいうことも近世まではそんなに言っていないからね。そういうのが一番こわいんだよね。


虚空 自分もよく神話の話を出すけどね、手あかがつきすぎちゃっているんだよね。日本神話といっただけでアレルギー反応がおきてしまう。

だからこそ去年の10月のがすごいと思ったのは、KS先生の書いた単元設定。
Nanba先生 うんうんうん。今回この辺が大きなポイントになるんじゃないの?
「大きな自己」みたいなものとか「生命」ということが、「おうち」という意識が満たされている感覚として、もうこの子たちは持っている。それがどんな風に言葉に表れてきて、それがどんな風に伸ばしていくのか。

諷虹 「おうち」ってさっきの話でいえば「自己の広がりの第一歩目」であり、そこで自分がおうちにまで拡張するから・・・拡張できたわけだから、じゃあ今度は「村」とか「国」って

Nanba先生 広がっていくよね。

虚空 前の石巻での単元設定のところで、「第4番目に問題とするのは空間・時間・人間関係の相関の中に世界観を得ているということである」・・・このことが今回の要になるんじゃないのかな、って。

その要というところで、この「世界」っていうのが自分は「あの世」も「宇宙」も含めての全ての世界と思っているんですよ。そこが「現実的な意味での世界」という常識的な見方とのズレがあって。

でもそれらを結び付けていくのが「共感」。

さっき、石巻の時の授業で上原先生に「虚空、あの話を授業でしろ」って言われて・・・(茶碗のエピソードをすることになった経緯)・・・そのところの授業記録をさっきファミレスでこの二人にも読んでもらったんですけど、その時に随分と共感してくれて・・・

ヒマワリ もう勝手に涙がポロポロでてきて・・・・

Nanba先生 ああ、そうなんだ

虚空 泣き出してね・・・

Nanba先生 あらまあ・・・

ヒマワリ 共感力高いね。

虚空 その私の話に対して石巻の1年生たちが「浦島太郎みたい」って言い方をしてくれて・・・。
1年生なりに「この先生の気持ちに共鳴しよう・共感しよう」って・・・それをすごく素直に出してくれた。
英才小の子はそういうことが「作文に書いていないからできない」じゃない。


Nanba先生 書かない

虚空 書かないだけ。
4年生の片っ方のクラスが「理想の家」ということをやたらと書いていて、なんかそういう方向に偏るような何かが書く時にあったんだな、って。
ただ、怪我の功名というかね・・・単なるこんな家に現実的に住んでみたいというような意味での理想の家じゃなくて、突拍子もないあり得ない家のイメージを書いている子が何人もいて。そのクラスの子たちだけが書いているといってもいいくらいなんですよね。

でもそれはそのクラスの子が特殊なんじゃなくて、それが英才児が「きっかけさえあれば、いろいろな形で書けるよ」証拠だと思うんですよね。

Nanba先生 そのきっかけの与え方が、もしかしたら公立校の子ども達は違うきっかけの仕方を与えないと出ないかもしれないね。ここが難しよね。
ここで数学で躾けられていたことって、多分大きいよね。

虚空 自分も2年生は担任したことが1回あるので・・・参観していてビックリしたのは、先生が特に投げかけなくても「一般化しよう」という発言がいくつも出てくるんですよね。与えられていた帽子の課題から離れて数理的に一般化しようとする子までいて。
もちろん完全な形では一般化できていませんでしたけど、そういう風にしようしようという意欲というかね、それが出てきていて

諷虹 私なんかは、これは母胎回帰につながるな、って・・・全部は出てきていないけどエキスというのかな・・・ほんの一ミリでもここに表れていれば、ちゃんと根元にはあるんだろうな、っていう安心感があって・・・ここにこれを書いているということは多分「ここからひっぱっていけばここにたどりつけるかな」とか・・・英才児に対する信頼感のようなものがあるんです

☆Nanba先生を囲んで Ⅱ-③  英才児の特性・・・自己の拡大と没我性

類化性能や数理的発想が、「人間としての器を大きく成長させることに、どうつながっているんだろう?」ということに関しての考察です。同じエネルギッシュな子どもでも、一般の子と英才児の違いはどこにあるのだろうか?ということも・・・・


そのカギの一つが「没我性」にあるのではないかという仮説が出てきます。



場所を移して、Nanba先生が宿泊するホテルのロビーを語り合いに使わせて頂きました。
虚空 たとえば私はちょっとだけ数学にも首をつっこんだけど、彼(諷虹)は大学で数学を専門にやった立場。
それでね、さっきファミレスであの6月の時の数学のプリントと作文を突き合わせてみたんですよ。

Nanba先生 わー、すごいすごいすごい。

虚空 そうするとね、「見比べてどう?」って聞いた時に諷虹なんかは切り口が違うわけですよ。それがすごく面白かったんです。

諷虹 リンク大、とかメモりましたよね。
(何人かのを丁寧にみる)
諷虹 きっちりと仮定からはじめてというような流れ・・・道筋のたてかた

虚空 そういう型が2年生でも増えている・・・普通の発達からいえば5~6年生くらいの段階になっている子もいる。

Nanba先生 すごいね、すごいね、
明日の合宿の時にこの作文って話題になるの?
この子たちなんだよね、10月に授業をするのは

虚空 ええ、それで思考面の発達もみてみたかったんで、数学の授業だったのもあって参観したんです。KS先生も一緒に。

Nanba先生 ちゃんとこういうことも話題になるかね?

虚空 私が話す時間もあるので、そこで話します。

Nanba先生 なるほど。

虚空 (数学のプリントに特徴ある答え方をしている子)この子だって数学ではこうだけど、国語とかは全く別というわけではないですよね。こういうこだわりは必ず出てきていると思うんですよ。それが数学だから出やすい部分っていうのもありますから。

諷虹 (別の子の作文で)「弟を持っている」ってすごく英文っぽいかな、って。have から来ているんじゃないかというように考えると、文章全体が英文を日本文にしたような雰囲気・・・

Nanba先生 「わたしが6歳だったとき」っていうのも「私が6歳のとき」っていうよね。「だったとき」っていうのは珍しいよね。
諷虹 こういう方向で英語が伸びていくのかな、って
虚空 英語頭なのかもね。小さい頃から習っているとか・・・・


(別の作文)
Nanba先生 数学のこうした形式論理と国語をつなげて考えるのは大事だよね
(落書きの二人 それぞれの違いの様子と作文、プリントの分析)

虚空 この子は複数のことを同時進行でいけてる・・・落書きをして面白がっても、そちらだけに暴走しない。ちゃんと数学も進めていたんです、きちんと切り替えて。
私がずっと上原先生の師匠である郡司先生が江戸庶民の発想といっていたこと・・・勝手に「多次元構造の同時進行」って名付けていますが、それをやれている子。
量子論でいえば「量子コンピュータ―」の「量子ビット」。いろんな状態を重ね合わせて同時に違った演算ができる・・・そんな頭の使い方だと思うんですよね。
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(参考 https://ferret-plus.com/9474 
実際には、もっと直感的に言えば、量子コンピュータの情報単位は、「重ね合わせ」により状態が2つ以上であり、0でもあり、1でもあり、2でもあり、3でもあるという状態になります。(中略)量子ビットは、例えばn量子ビットあれば、2のn乗の状態を同時に計算できることになります。先日アメリカ・ラスベガスで行われた「CES 2018」では、インテルが49量子ビットのテストチップTangle Lake(タングルレイク)を発表しています。
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諷虹 「帰ったら手洗いうがいをして、ランドセルを空にして中にはいっていない状態にしておやつを食べます」って、ランドセルを空にしなかったら家に帰ったことにならない・・・

虚空 儀式だね

諷虹 ルーティーン (routine)かな、って。

Nanba先生  ルーティーンだね。

諷虹 私だったら家に帰ってパソコンのスイッチをいれたり、靴下を脱いだら落ち着ける。外行の格好をしているうちはおうち意識になれない。

虚空 どうしても英才小の子はそこに体感とか気持ちの記述をしていないから、どうしても表面的な事実ばかりをつかまえているように見えてしまうけど、実はそうじゃない。裏側にはある。でも、もしかしたらこの子たちは所謂作文にはそういったことを書くものではないと思っているかもしれないな、って。

Nanba先生 その部分をみつけていくのが多分私達なんだね。書いてないようにみえるところを。

(落書きと行き来できる子に関して)

虚空 いつも話すことですけど、あの6年生の数学で、図形の説明でどう言っていいのかわからなかった子が「トイレの便器みたいな形」って言ったときに、クラス全体がワーッと笑ったけど、でもすぐにそれを「数学用語」として受け止めて話し合い活動に自然に戻った。あの変わり身の早さの芽生えが、この子には出ていると思うんですよね。

諷虹 ほかの子もその言葉を使って話し合いをするんですよね

虚空 それはヒマワリとおんなじ。すぐに取り入れて使える。

Nanba先生 なるほど

虚空 さっきの便器の6年生も、その時にはもう数学用語だから大真面目な顔をして話し合っているんだよね。
多次元構造の、っていう部分でゆうべのやりとりで出ていたのは、Zaki小と英才小は何が違うかっていうと、ベースになっているエネルギーは同様なんだけど、Zaki小は「収束砲」・・・宇宙戦艦ヤマトの波動砲のようなかんじ。全エネルギーを自分の関心のある部分にグーッと収束させて、ドーンと撃つ。リリカルなのはでいえば「スターライトブレイカー」・・・なんていってもよく分からないと思いますが・・・。
英才小の子はそれがマルチというのかな・・・ここにもここにもここにも撃てるぞ、っていう感じでドーン。


*この日のやりとりの前日に行われた、諷虹君宅でコバルトブルー君やことりのおやつ君を交えてのやりとりでも、こうした点などについて語り合っていました。
☆「英才児の特徴を作文から探る」 ・・・日本語英語の違いなども交えて:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/397/


Nanba先生 何でそこが違ってくるんだろう?

虚空 これは諷虹と話したんですけど、「観察」の時の「没我」の違いじゃないか、って。
英才小の子は「主観」を生じさせる「我」を封印してる・・・美術でいうデッサンに近い。最初から「こう」って関心のあるものしか目に入らないんじゃなくて。デッサンって何でやるかっていうと、正確に描くだけじゃなくて、なるべく気が付いていないものまで発見するという意味があるわけだよね。

諷虹 あとは、自分の中に入れて自分の言葉として表現するのか、ここにあるものを「これはここにあってこういうものです」という風に説明できるのか・・・「自分の中に入れる」「だから伝えられる」んじゃなくて、「入れていなくてもこういう考え方がある」と言う風に。

虚空 それが高学年になると急に増えるんだよね。自分はこう思うけど、「こういう場合もあるでしょう」って場合分けをすごく使うようになってくる。英才小の子は。
Zaki小の子は自分の思いでワーって行く。

諷虹 集まらないもの、自分の中に入って来ないものは発射できない

虚空 だから自分の受け付けるものだけを収束させてバーンと撃つか

諷虹 その場にあるもので、その場のままで

虚空 Zaki小の子も感性はいいからいろんなことをキャッチはしてるんだよ。でもその中で自分の関心のあるなしで強力なフィルターをかけちゃうんだよね。関心のあるものを発射するエネルギーに変換してしまう。

諷虹 考え方の違う人の話と融合できるかどうか・・・

虚空 さっきの没我でいうと「我を忘れて夢中になってしまう」のがZaki小なの。余計なことを考えないんだよ。こんなことを作文に書いたら変かな・・・なんていう他人の目を気にする自分をオフにする。そりゃ担任したばかりの時にはナマを作文に書かない子だっているよ。女の先生に担任されたあとの子とかは特に。でも、書いていいんだ、って了解するとあっというまに書く。そこは最初に勤めた県南の子たちとは全然違っていた。
だから「うんち」なんかの話も平気でどんどん書けるわけだよ。女の子でも。
英才小の子は、自分の好みとかを一旦封印する傾向にあるんじゃないかなと思うんだよ。特に作文を書くというときには。
それはそういった指導をされている部分もあるかもしれないけど、「こういうこともある」「ああいうこともある」っていろいろな発見をしたり、違う考えを受け入れてそれをおもしろがっているところもあると思う。

ヒマワリ 位置づけができるのが英才小の子?

虚空 位置づけをしちゃうんだよね。さっきの立体マンダラみたいに。自分の意識世界を構造化できる。

諷虹 コンステレーションですね。

ヒマワリ コンステレーションだねー。図式化が頭の中で出来るんだね。

虚空 そうそう。それを感覚としてやっちゃうんだよ。論理もね。
だからね、Zaki小の子だって・・・・(雑誌15号に掲載されている るすばん ボットン便所探検作文 を読み上げる)
すごく丹念に観察した様子を書いているでしょ。こういうところは英才小的なんだよ。
コバルト君のこの前の生まれた時作文もそうなんだよね。周囲を観察している視点での描写ばかり。

ヒマワリ 面白いねー。最高やん!

諷虹 茨城県人の特徴として、興味のあることにはとことん熱中するけど、興味のないことには全然っていうのがありますよね

虚空 そうそう、

諷虹 改めて英才児というのを考えてみると、何でもできるという印象・・・万能型というか。それって興味のない分野でもそれなりに結果を出せてしまうから・・・オールラウンダーみたいな。自分の興味がないことでも説明できたりとか。自分の領域外も受け入れられちゃう。

虚空 もちろん鉄道マニアとか魚マニアとか、自分の興味関心にとことん忠実な子もいるけどね。
でも違う世界を否定はしていない。
今のネット社会だと、同じアニメでもちょっとでも考えが違うと叩きつぶそうとするやつが多いじゃない。それは英才児にはないような気がする。

諷虹 共存共栄

虚空 共鳴しあえる。

諷虹 共存・共栄・共鳴ですね。

虚空 それがね、ただ単に分母分子がひっくり返ったあとの普通の中学年高学年に早い段階からなっているな、じゃないと思うんだよね。それとは違う境地に到達できてる。それが上原先生が英才児の中にある意味での教育の理想的な到達点をみた気がした、っていうことだと思うんだよね。
英才児の研究をしたいというよりは、公立学校でもこういう風に統合していける子ども達を目指せれば、って。

諷虹 やっぱ勉強が嫌いだったら勉強できないですよね。
万能型でありながら、そこに自分の好きなことがあると・・・

虚空 「何故万能になれるのか?」っていうところに類化性能があるんじゃないかな、って思うんだよ。抽象思考に裏づけられた。
ヒマワリさんなんてそれをいつもやっているんだよね。だから虚空と諷虹のアニメや数学がバンバンでてくる話に普通についてこれちゃうし、自分でもすぐに取り入れて話として使えちゃうわけだから。

諷虹 完全にのめり込まないみたいな感じなんですかね。好みに合わなくても使えるものは使う。自分の流儀に反するものでも。

ヒマワリ 引き出しとしてもっている分には別に構わないもんね。

諷虹 この人は嫌いだけど、この人の考えはマアいいかな、とか。
一般の人だと「この人きらい」っていったら何をいっても全部否定じゃないですか。

虚空 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、だね。
上原先生が「英才児は個性がない」っていったのも「没我の一つの形をそういったのかな」って。
それは英才児が没個性で全員同じなのか、ってそういう意味ではなくてね。
「これは自分だ」っていう壁を作らない、という意味での個性がない。
そういうことも含めて、本当に丁寧に「英才児ってどういう子たちなんだろう」って話し合って、仮説をたてていかないと、どんなに授業のやり方を考えても、彼らにとっても意味のある授業にはならないとね。
あとこれは教頭先生と話した時にでたことだけど、「我々は英才児しかみていないから、お二人が驚かれていることに、そういうところで驚くんだ、と驚いています」って。
だから私と諷虹とで驚いたことをいろいろお話したときに、最初は何にビックリしているのかが本当に分からなかったって。

諷虹 そういう意味でいうと「すごい生徒を作ろう」っていう気でやっていないと言えますよね。自然に。

虚空 さっき出たことでいえば、英才児の成長の邪魔をしないということだと思うんだよね。

Nanba先生 それはすごいことだよね。ああいった学校だったら「英才児育成システム」なんていう方向に行きそうだけど。
先生たちは、実際にそんなことをやってもこの子たちには関係ない、って分かっているから。
ずーっとさっきから気になっているのは、成人発達の発達段階の研究から考えると、自己がどんどん大きくなっていく発想があり、最終的には宇宙が自分になる、みたいな感覚に発達するようです。だから地球が環境汚染でよくない状況になった時に、本当に自分自身が痛くなる、感覚的に。

諷虹 確かにそれはあるかもしれませんね。

Nanba先生 そういうところまでいっちゃうみたいなね。
この子たちの没我性というところがね、「おおきな自己を実現していくプロセス」なのかな、って。
夢中になるというのも「個」にこだわるんじゃなくて・・・・なんで多くのところに目がいくんだろう?っていったら、俯瞰的にというわけではなく、他者や周囲を一つの大きな自己として、そういう風に大きくなっていくという意味かな、と思って。
それが「統合」という言葉でもあるんだけど。

虚空 そういう時に「自分」「自分」なんて言えば言うほど

Nanba先生 ちっちゃくなっちゃう