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☆いじめ問題に関するラインやりとり・・・靴隠しのことから

靴隠しに関してのやりとりから、コバルトブルー君が「いじめ」についての仮説を述べ、それに対して虚空が幼い頃からのいじめ体験を紹介しています。


2019.04.01 月曜日
15:56 コバルト
イジメに関して考えているのですが、イジメとはやはり他人が他人をイジメルというより、本人が自身をイジメているように感じます。
端からみたらイジメられているのに、本人がそれをイジメと認識していなくてノホホンとしていれば、それはイジメにはなっていかないと思うんですね。

それとよく世間でイジメの標的になってしまう人の要因は「キャラが立たない人間」なんですね。もっと言うと「自分を持っていなくて主張しない人」、こう捉えるとイジメって「揺さぶり」なんですよ。
「おい!!おまえは一体誰なんだ!?」「どういう人間なんだ!?」「何者だ?」というふうに。
御神輿の揺さぶりとかがそれに近いかも。
人間が恐怖心、懐疑心を抱いてしまうのは「知らないこと」「理解出来ないこと」「得体の知れない物」なんですから。
テレビでも司会者などにいじられて、どんどんキャラを引き出していって、世間にキャラを確立していくじゃないですか。
そうやって居場所を確立していく。
それも一つの産みなんですね。
また「あらしのよるに」というオオカミとヤギの映画があったと思うんですけど、オオカミがただのエサだと思っていたヤギのことをどんどん知っていくうち、食べられなくなるっていうのを思い出しました。


16:05 虚空
卵が先かニワトリが先か、ではないですが・・・自分がいじめられはじめたのは(今のいじめとはちょっと違うかもですが)低学年の頃からだったんで、はたしてキャラがたっていたかどうかは分からないですね。
ただ、抵抗をしないようなタイプ・・・・黙ってグッとこらえてしまうタイプではありました。

中学校になってもいじめは続きましたが、いじめてくる連中は大別して2つありました。
一つは昭和っぽい言い方をすれば「不良グループ」「ぐれかけていたグループ」・・・これは弱い者いじめで面白がって。
もう一つは親や教師の前では優等生連中・・・勉強とかいい子を演じることへのストレスを教師などにいいつけそうにない私をいじめることで憂さ晴らしをしていた・・・こちらの方が陰湿でしたね。
職場でのいじめは、逆にキャラがたっていたからかもね。出る杭は打たれる。あるいはクラスのみんなが自発的に動いていることへのヤキモチや嫉妬。・・・・・(具体的なやりとりが続きますが、そこは一応割愛します)
これは大人だけにより陰湿でしたね。

16:14 虚空
打っているうちに感情がこみあげてきてしまって、書きだしの文章とつながらなくなってしまいましたね。
キャラがたっていないからいじめられるのか、いじめられて人間性が封印されたり絶望的になってしまい結果としてキャラがたっていないような人間にみえるのか・・・どちらかははっきりしない・・・あるいはどちらの場合もある、って書こうと思っていたんです。
現代風のいじめであっても、多分要因はいろいろ。
ヘタすれば「理由なんてどうでもいい。スカッとできれば」というのもあるだろうしね。
神様のゆっさぶりということもあり得るけど、下手をするとその理屈は「いじめられる側にも問題がある」という方向へ行って、いじめる連中を余計に調子づかせることにもなります。
(私がいじめられている頃はそうした風潮が強かった時代。だから困って担任に相談した時には、母にひどく叱られました。告げ口は卑怯者のすることだ、って。いじめられて苦しんでいる自分が全部悪いかのように。

だからそれいこう(小学5年)は、担任にもいじめられていることを知られないようにするために、休み時間は外で遊んでいると思わせるために体育館の裏や校庭の隅のニワトリ小屋の陰で毎日隠れるようにすごしていました。
そして6年生の頃は学校帰りは、いつも自殺の仕方を考えながら一人で帰っていましたね。

16:28 コバルト
桜の季節ですが、桜で思わされるのは「生きることは表現する事」だということ。
誰の為でもなく自分自身のためだけに咲く。
自分はここにいる。ここで生きている。ただそれだけでいいんだ。
ていう感じに思えます。
桜は人から綺麗に見られたいから綺麗に咲く訳じゃありませんから。

16:29 虚空
誰かを喜ばせようと思ってさいているわけではないということ・・・だからこそそんな桜に「感情移入」するということかな???


16:36 コバルト
https://youtu.be/x2WP1ZSQVlQ
桜と上杉達也が重なります。
上杉達也はマウンド上でバッターの対決ではなく、亡くなった弟と勝負をしている所が、生き様=咲く表現というところに惹きつけられるんですね。

16:50 虚空
タッチは放送当時かな周囲は話題にしていましたが、完全ノーチェックでしたね。
このビデオ内をみた範囲内での想像ですが・・・想定外の強さが発揮されるというのは自分一人だけではできないということ。
味方・ライバル・恋人・家族・・・・
自分の場合はそれが担任していたクラスのみんなだったということ。
余談ですが、よく諷虹君と話題にしていることで・・・最近のアニメって、昭和の頃に定番だった「恋人のためなら頑張れる」というのがうんと減っているというのはどうしてなんだろうと。同性のため、あるいは同性のずっと年下の子のため・・・というのが受けている風潮。
それを現代的な解釈ではなくて、心意伝承的な視点で考え続けています。
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☆「天使」と「血」のイメージ② + 「靴」「足」・・・ラインやりとりから

30日の諷虹宅のやりとりはまだ続くのですが、先にその後のラインでのやりとりを紹介します。
「天使と血」の問題、「八墓村」の話題が飛び交う中、のんのんびよりのOPのことから「靴」や「足」にまつわる話題などが錯綜します。
「靴」の問題は「いじめ」についての話にもつながっていくのですが、それは次の記事でとりあげます。


2019.03.30 土曜日
22:28 コバルト
ここ最近、天使ワードが重なってきている気がします。
エヴァンゲリオン(天使)、八つ墓村、そしてあの殺戮も天使の所業とも言えるのかな?
少なくとも悪魔は人の心に棲みつくものだから、無闇に殺したりはしないだろうし。

22:30虚空
八墓村について、もう少し詳しく見解を聞きたいな・・・松竹版で主人公を演じた萩原健一も亡くなったことだし・・・


23:13 コバルト
http://www.kasi-time.com/item-4110.html

23:15 虚空
CMで起用されたというやつですね。
諷虹君からさっき説明されたんだけど・・・「殺戮の天使」っていうゲームとかもあるんだってね。
この両者の関係について現在あれこれと語り合っています。


2019.03.31 日曜日
00:23 コバルト
混沌は色んな物が入り混じっている状態ですから、余計な物をそぎ落としていって行って純度を高めていけば、クリアな領域に辿り着けるということなのかな。
製鉄技術(たたら)のような感じ?

00:27虚空
最初から純粋なものを狙っては本物にはたどりつけないかな。
製鉄の砂鉄集めも砂鉄だけを集めようと思ったらダメだしね。
金山でも宝石でも何でもそうだけど、金や宝石だけを掘り起こすというのは不可能。
夕方の中学生に「無駄なことに本気になれるのが人間」っていう話をしたんだけどね。
栄養素だけをとれば生きられるというなら栄養点滴とか昔の宇宙食でいいことになってしまう

00:44 コバルト
そうですね。
ただ始めから核心部分だけを求めてしまうと抽出技術は身につきませんから、それはサプリメントだけの栄養補給と同じになってしまうわけですからね。
クリアな領域にするって、うまく言えないですが、物事を数式化して図式化にして構造を捉えるような感じですかね。
数式化、図式化がなくても、実感(経験)で構造を捉えることも可能だと思います。

07:52虚空
構造をつかまえるということが、実際には無意識に「数学的なセンス」を働かせているんだと思っています。抽象化によってこその類化性能を「実感を伴って行う」というのが日本人は得意ですからね。家紋とかもそうですが・・・


☆ここから「靴」「足」に関わることが混じってきます。
07:55 虚空
ゆうべたまたま諷虹君宅から帰宅するときに、エンジンをかけた瞬間カーステレオから流れてきたのが、のんのんびよりのOP 「なないろびより」でした。
先日来「名前」ということから「空海」の話などもやりとりの中で出てきていたので、これまで何度も聴いていた歌ではありましたが、初めて聴いたかのようにハッとしました。そのまま聴いていたらこの数か月のやりとりを暗示するような言葉の連発で・・・・
歌詞
https://animesongz.com/lyric/1776/6229

08:11 コバルト
オノマトペ、(コーヒーコーヒー)も正にそうですよね。
象徴なんですよね。
天皇も象徴の位置づけになっているわけですけど、象徴とは一体なにを示しているかなんです。
それは感じられているわけだから理解が出来るものなんです。

凄い歌詞ですね。
片っぽだけの靴をなにかの象徴(暗示)と捉えて行くのもハッとしました。

08:18 虚空
あの歌詞の中には現実的に考えると不思議な描写が満載・・・それらが統合されてあの世界観になっているわけですが・・・
「蛍」がらみのこともあるし・・・・


09:18 ソルティ
1,八つ墓村 ⇒ 実際に起きた事件をモチーフにしたものでしたっけ?岡山県の? 怖いからみたことないけど。 ずっと以前 占で習ったな。

2、染まる 染まらない。は占いでもいう。 純星と濁星というのがあって、純星 特に 牽牛星(純)は染まるとまさにそれ!という感じになる。

3、色々なコメントを読んでいると、”正義”ということを 重んじている感じがするのだけれど、なんとなく思うに。。。神々の世界って そういうものも超越している感じがするな。
4、片っぽだけの靴。。。困るな~。よく子供がお友達の靴の片方をとりあげて や~い!みたいにやるでしょ?あれって どうなの? 歩けなくするってこと? 

Q,そういう場合、みなさんは、取った子供に何ていいます?もしくは 取られた子供に 何と言います? みんなに聞いてみたいな~。


09:38 ソルティ <近況>
1、TSUTAYAで なのはを探した。あるわけないんだ(古いものですよね)と気づいた。
2、サマーウォーズを借りてみた。快感。
3、そういえば、プーさんの大人になったクリストファーロビンが森に戻る映画もみた。できることなら ず~~~~っとあの森に棲んでみたいものだ。
4、色々な方々(メンバー)の人生を支えてきた 映画であったりアニメであったりするのだから、そのほんの一部を垣間見ることでさえ 時間がかかるものなのだな~と思う。

11:51 コバルト
歌詞の中の片っぽだけになってしまった靴の意識ですが、自分的に裸足になって夢中で遊んでいるうちに気づいたら片方の靴をなくしてしまっていた、というイメージをもちました。

11:57 虚空
自分はいじめられていた当時、やっぱりよく靴は隠されていましたね。
個人的なことはさておいて、いじめの手段として靴を隠すというのは昔からの定番ですが、何故靴に意識が集中するのか?
西洋文化では玄関でくつを履き替えない・・・日本人は何故履き替えるのか
諷虹君と何度か話題にしたものでは、飛び降り自殺などで靴を揃えてというイメージが何故「そうだろうな」と思えてしまうのか・・・
靴にまつわる心象っていうのは興味深いところです。
トトロでメイの靴!という場面もありましたが、靴と人間は運命共同体というのはあるんでしょうね。
新しい靴を買う、ということに伴う心象もね。
ちっちゃい時の靴をとっておいてもらった、という心象も


13:24 諷虹
靴は靴下の上に履く等、直接肌身に身に着けるものではありませんがなぜか靴下なんかよりも足と密接にリンクしている気がします。
道端に靴下が落ちていてもそんなに気に留まりませんが、靴があると「えっ?」ってなるのは不思議だと思います。
此花亭奇譚(下巻)の花火の帰り道を裸足で歩くシーンや、天和通りの快男児で赤木の葬儀編での原田が靴下で中庭に出るシーンを思い出しました

13:28 虚空
やっぱり靴は世界転換の引き金ですね。
あのOPの中での靴はどういう世界定めと関係あるのかな?????

13:47 諷虹
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26982437
 改めてみると、opラストの監督名が出るところでれんちょんの足元(靴)のドアップっていうのが
監督の名前が「川面」なのに対して、「地面」に着地した瞬間にテロップを出すっていうのは面白いと思います
 あと、サビに入る直前の花のカットから川に飛び込むシーンっていうのもここ数日の話題との関連性がありそうですね


14:21 コバルト
http://nihonjintoseisho.com/blog001/2017/10/23/japanese-and-jews-68/

聖なる領域に土足では入れないという意識があるのかもしれないです。

18:13 虚空
OPの冒頭、缶蹴りのアップというのもね・・・子どもの元気の象徴としてかな?・・・稚児のパワーの暗示?
本当に日本の習慣がイスラエルかた伝わったかどうかはわかりませんが、人類共通の無意識ということを考えると、伝わってきたのではなくても共通のものを持っているというのはありえるでしょうね。呼び方は違うにしても「神」「宗教」というような発想を持つとか・・・。
このはな綺譚でも足を洗うおもてなしがあった。
それから火曜日までの限定公開として紹介した「私に天使が舞い降りた」のミュージカルシーンの中にも足湯の場面。
単に冷えた体を温める、汚れた足を洗ってあげる・・・という以上の関係のあかしかもね。
逆に言えば「靴を隠す」という行為の奥底にあるのは、この世界に入ってくるなと絶縁状。
だからこそ精神的なダメージは深刻。


18:43 コバルト
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E5%B1%B1%E7%89%A9
尾上は岩藤に草履でもって殴られるという恥辱を受け、それにより尾上は自害する。草履で叩かれた女性が自害する。
という場面も「履き物」に関しての意識がどういうものなのか考えてさせられます。

18:53 虚空
史実とは違う方向に偏向していく・・・この偏りが興味深いところですね。
そしてまた大衆もそのイメージ世界を受け止め、やがて芝居であっても、現実であったかのように入れ替えてしまう。
それだけ草履で殴られるのは屈辱であろうと了解しあえる土壌が心の中にあるということ。
草履がなくなっている今でも、屈辱的な象徴シーンでよくあるのは「土足で踏みつける」ですよね。
本人を踏みつける、あるいは大事にしていたものを土足で踏みつけて壊す・・・・
土足が汚いからという以上の何か・・・・
また逆に土足というかボロボロになった草鞋や靴が苦労を積み重ねた象徴としてとらえられることもありますね。
比叡山の千日回峰行での行者さんははきつぶした草鞋を全部とっておいているというしね。
(ちなみに私はボロボロになって底に穴があくまで靴は履き続けることが多いです。そして履けなくなった靴は・・・うちの縁側の下に放り込まれています)

19:04 虚空
天使と血のイメージに戻るけど、市川崑監督が撮った八墓村の32人殺しの冒頭は民家で行われていた結婚式の最中に殺人鬼がやってきて、白無垢の花嫁が血まみれになる描写があります。天使ではないですが「無垢な存在」であるイメージは共通。
そんな心象も共通して持っている何かなのでしょう。
*ちなみに以前話したと思いますが、「日の丸の旗」なんかもね・・・・学生時代に私は受講していなかった日本史の講義で大学教授が「あれは初夜の血からきているんだ」と解説していたということなのですが・・・あまり一般的には認められていない説のようです。
でもネットで調べたら、それも含めていろいろな説を紹介しているサイトがありました。
http://minatoya-aoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2642.html
こういうのって、どの説が正しいかというのはあまり問題ではないと思っています。体感というか・・理屈も何もない何かそうさせる感情がわきあがってきてしまう、というのが先。理由付けはあとから、ということが多いからです。
やっぱり最後は「実感実証」という姿勢が大事かな・・・。「主観はダメ」と叱られそうですがね。

でも人間って本当の意味で客観などにはなれない
19:52 コバルト
それをもっと言うと「俯瞰的主観」って言うんですかね。
完全な主観になってしまうと、関係性を結びつける事がどうしても困難になってしまいますから。


19:54 虚空
面白いね・・・こういう造語感覚。
何年かたって駿煌会発信の用語が定着して、Wikiのような検索をすると載るようになっていたりして・・・

☆「天使」と「血」のイメージ①・・・「テレビ作家の教育力」

上原先生の心意伝承研究で「血」のイメージは大きなポイントです。
最近のアニメを通して「天使」との関連で述べていますが、「白装束」というイメージで考えると日本人の心との接点がみえてくると思います。
これらの内容は「犠牲論」などとも関連が深いものだと思います。

2019年3月30日 諷虹宅②
*ここでコバルトブルー君からライン
『ここ最近、天使ワードが重なってきている気がします。
エヴァンゲリオン(天使)、八つ墓村、そしてあの殺戮も天使の所業とも言えるのかな?
少なくとも悪魔は人の心に棲みつくものだから、無闇に殺したりはしないだろうし。

諷虹 「殺戮の天使」っていう歌詞が出てくる主題歌で有名になったのがあって・・・
はたらく細胞のマクロファージさんも天使みたいな姿で鉈をふりまわして血まみれになるし・・・
「天使」と「血」・・・・

虚空 もっと広げると「聖女」と「血」かな。
「堕天使」っていうのが何故関心を惹くのかっていう問題もあるよね。

諷虹 白って何にでもなれる可能性をもつ・・・血に染まることもできるし、汚れ役にもなれる。
天使って神の意志に忠実に従う・・・神になりかわって

虚空 だからさ、神の立場ではできないような汚れ役も引き受ける存在、っていうことかな。今風に言えば「執事」というよりは「秘書」が汚れ役・・・すべてをひっかぶって悪者として葬り去られる・・・主人を守るために。
「マルサの女2」でもそんなセリフがあったよ。三国廉太郎が演じる地上げ屋の親分が自分たちの存在の正当性を主張する場面。公の人たちが立ち退きをさせるために犯罪めいたことはできない。それを自分達が汚れ役をすることで、新しい社会が構築されていくんだと。日本の社会をよりよくするための存在なんだ、っていうような言い方をたしかしていた。
市川版と野村版では八墓村もスタンスがだいぶ違うんだけど・・・市川版の方が犯人への眼差しが優しい。
日本人ってそういうところがあるじゃない。西洋だと悪魔は絶対悪だけど、ガブリエールにしても悪魔ほむらにしても、さらにその背景を描こうとする。

諷虹 今晩最終回をむかえる「えんどろ~」なんかも「魔王」を見かけ幼女にしてそんなに悪くない・・・教育者として描いて

虚空 教育者としてはかなりまっとうだよ。とても正体が魔王だなんて思えない。

諷虹 ちゃんと面倒みがいい。

虚空 「はたらく魔王さま」もね、大魔王サタンの方がよほど人間社会の秩序を守っている

諷虹 西洋だと魔王は理由もなく悪者にするんでしょうけど、日本人は魔王側に感情。を描く分、むしろ勇者側が理由もなく魔王を倒そうとするって描き方が多いような気がします。従順に悪を滅ぼそうとするところは天使っぽいのかな。頭の固い風紀委員とか生徒会

虚空 ガルパンの風紀委員は随分やわらかくなったけど、アルペジオの霧の生徒会はガチガチだったね。

諷虹 だからこそ金剛の姿がね・・・
マヤという感情のないのがいておかしくなった。感情があると思っていたものがなかった・・・トリックスター。

虚空 はたからみればすごく物騒な話をしているようだけど、でもこれが日本人の素直な感覚。

諷虹 「ひぐらし」での山犬とかオヤシロサマとかの存在もね。
鷹野が自分でオヤシロサマを名乗って返り血をあびる・・・あれもそういえば日常では看護師として診療所で働いているんですよね。

虚空 白衣の天使。

あのわたてんのミュージカルもね、もともとも聖書で死後の復活とかがどうなっているのかは詳しく知らないけど「天使」が登場していても極めて日本人好みの話になっているように思う。
現実的にはすごく重たい話なんだけど、現世の位置付け方からして本体があちらの世界・・・それこそ「現世」は「うつし世」・・・投影・・・目にみえるこの世界の方が影でしかない、っていう発想だから。

それで貴種流離だとか犠牲論だとか・・・親愛の極致が殺戮だとか・・・そんな発想が飛び出してくる。

☆「テレビなどだから意識にひっかかる」・・・「テレビ作家の教育力」

学校の授業として扱われた内容は、いくら教師が「これは大事なんだから」と強調してもさほど意識には残らないということが大いのではないでしょうか?

それはやはり「大人たちが大事だということは、テストに出るから大事」なのであって「本当は自分には関係ない事」という決めつけが大きな要因だと思います。実際に多くの教師も「ここはテストに出すからよく覚えておけ」「入試によく出るぞ」という言い方をしてしまうから尚更です。


ところが好きなアニメなどで描かれている事だと、スッと頭に入ってきて、一回観ただけでも結構細かい部分まで覚えている・・・あるいはそういったことについて自分なりに考えてみる・・・何年たってもその事が頭に残っているということがよくあります。
これは非常に重要なことだと思います。

何度も紹介している上原先生の言葉通りです。
子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。
ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、
教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。
教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
1992年(平成4年)9月15日 月例会 



2019年3月30日 諷虹宅①
虚空 ゆうべさ、帰ろうとしてエンジンをかけたら、カーステレオから流れてきたアニソンが、ちょうどシロバコのオープニング(My beautiful life ずっと 昨日話題になっていた歌)だったんでビックリしたよ。あまりのタイミングのよさ。

諷虹 実はこちらも昨日の事からちょっと「コトブキ飛行隊」を第一話から全部観返しまして・・・あのアニメの世界観をまとめている公式サイトの動画を観て、いろんなことを知った上でもう一度第一話から観返すと全然違ってみえて・・・。意識にひっかかっていたところとそうでないところがね。
最初悪役だと思っていたのが実は全然まっとうだったとか

コトブキの解説総集編
https://www.youtube.com/watch?v=Zj_FkDDMOtg (2/7公開版)
https://www.youtube.com/watch?v=VBAKazgyJiw (3/21公開版)
ユーリア議員のセリフ
ユーリア「勝手にレッテル貼らないでくれる?簡単に決め付けて分かったフリするの最悪」
ユーリア「いい?仕方がない話なの。みんなで協力して生存努力をしないと、自由を罠に結果全部檻にブチ込もうとほくそ笑んでる奴に飲まれちゃう。相手がクソみたいな連中だって…一緒に心中するより生き残る方が良いでしょ?」
虚空 水島さんの狙いとして現代の風潮に対してのこと・・・安易に世間の風潮にのっかって決めつけるのがいかに危ういか。
さっきの50円玉君の時にも話してたんだけど、本気で生徒のことを考えて命をかけてくれるようなかつての熱血教師が、今はただの「ウザイ教師」とされて、ネットとかを使って抹殺される。悪役というレッテルをはられて。
そんなことへの警告も沈めているのかね。

諷虹 波長があう・・・海にだったり、飛行機にだったり・・・

虚空 ちょうどさっき50円玉君と「好奇心」についてしゃべっていたんだけどね・・・子供らの興味関心とか憧れを重視っていうのは新採の頃からだった・・・でもそれに対して先輩の先生たちの中には否定的な人の方が多かった。
「こうすべきだ」っていうのが根強かったから。だから教師の期待するものに関心は持ってほしいけど、期待しないものに関心を抱いたら完全否定で叩き潰す、って。
でもそれから間もなく「興味・関心を重視せよ」っていう文部科学省の通達があって、成績表の評定欄の順番も興味関心がトップになった。
それがまた面白くないわけだよね・・・そういった先輩の先生とか、教師主導型の人たちからすれば。

諷虹 興味関心があった場合は同じものを同じ時間みてもそこから得られる情報量も吸収する量も段違い。

虚空 まさにそれなんだよね。大人も子どももそうじゃない。昨日話題にした「私に天使が舞い降りた」の最終回のセリフもね。ずっと人見知りでひきこもりのような生活を送っていた「みやこ」に花ちゃんがいった言葉。

花「お姉さんって普段人見知りでおどおどしてるのに好きな事になると一生懸命というか後先考えないですよね」
こうした好奇心の効能については知られているけど、教育現場で必ず出てくるのが「興味を持って欲しい事には全然興味を持ってくれないから困る」っていう言葉。

だからこそ「類化性能」なんだよね。本当の「抽象化能力」・・・図式化・構造化・記号化・・・そういうことで、みえないところで貫いていることを見抜く力。
それに目覚めていけば、見た目には関係ないようなことからいくらでもヒントを得られるようになる。
学校の教科書に載っているものとか、学年配当なんていうことに限る必要なんて全くないんだから・・・極端な言い方をすればね。
その証拠っていうわけじゃないけど、学習指導要領だって改定のたびにある単元が削られたり、加えられたり、極端に教える時期が変ったりするじゃない。
そういうことからこの前から出ている上原先生の「テレビ作家の教育力」・・・日本教育史をふまえれば旅人によってもたらされた芸能による教育力・・・そういったことを拡大して考える必要があるよ。
それこそ日本文化のすべてとか、職人の人たちとか下働きと言われていた人たちの後ろ姿から自然にみにつけた大事なこと・・・学校教育制度が整っていない時代だってすごい人材が豊富に育ったんだからね。

実益をあげなくたって、「人間性」という点からすれば、学問的には学んでいなくても「人間としての完成度」はすごかったと思うよ。それこそ学問なんか許されなかった女性たちなんかはね。下手に学問をしました、なんて威張っていた男たちが到達できない境地。そりゃ最後は「おかみさん」って神様になったんだから。
だいたいさ、人間の人間たるところって無駄とか実益とかとは関係ないことをどん欲に探求しつづけてきたところにあるわけじゃない。
宇宙の始まりの探求にだって莫大なお金を世界中でつぎこんでいるけど、それが分かったから何なの?って。芸術だって文化だって、ただ他の生物と同じように生きることだけを考えたら余計なことといえば余計なこと。
調理の追求だってさ、生きる為に栄養補給というなら栄養点滴や初期の頃の宇宙食でもいいわけだよね。でもそれでは人間としての精神をキープできないのが人間。

極端な言い方をすれば無駄な部分こそが面白い。
好奇心いっぱいで本当に出来る奴って、テストとか受験とかとは関係ないじゃない。テストに出ないようなことを面白がる。だから結果としてはテストだって出来る。
テストに出ないことは勉強しない、なんていうのほど、実力はつかないよね。
教師だけじゃなくて今の社会の大人たちは、どれほど自分達を偉いと思っているのかわからないけどね・・・あまりに自分達の当たり前を絶対視して子どもや他人に押し付けすぎる。「合理化」なんていって勉強の世界をどんどんつまらなくしている。
そしてそれに従わない人間を否定し、潰そうとしすぎる。
人間の特性を無視しすぎているよ。

諷虹 世界史なんかでも学校でやっていた頃はほとんど受け止めていなかったけど、今の観点からみなおしたら随分違うんだろうな・・・・(ネット検索でいくつか調べて感心をする)

虚空 話がずれるんだけど、さっき50円玉君としゃべっていたことで一つ思い出した。「影」の問題。影の存在とかね。日本人独特のみえている世界とみえていない世界のワンセット。前にも話したけど、古語で「月のかげ」っていったら「月の光」という意味だ、っていうのも意味深だよ。

自分にとって大きかったのはこれもテレビ作家の教育力になるんだろうけど「仮面の忍者赤影」・・・影一族なんていうのも出てくるしね。赤影たちは織田信長や木下藤吉郎の影ということで登場している。

これは余談だけど、赤影を作っていたのは東映。同じ東映が作ったアニメで「ぴゅんぴゅん丸」ってあったけど、どちらも昔と現代をちゃんぽんにした忍者もの。破天荒といえば破天荒だったんだけど、幼い頃にあれを見慣れていたから、発想が柔軟になった部分はかなりあるよ。昔のものと最先端のものとの共存共栄という発想でもね。

諷虹 まさに影の存在という意味ではコトブキ6話の襲撃シーン・・・執事が黒幕の影・・・表では人のためと見せかけて、暗躍する存在がいる。
どっちにも転べるキャラ、っていうのもいますよね。

虚空 特殊能力の持ち主なんかはみんなそうだよね。まどマギのほむらが悪魔にもなれちゃうというような。
生々しい描写とかむごたらしい設定のアニメなんかは観ていて全く幸せな気分になんかならないけど、今の社会問題・・・民族紛争とかの世界情勢のことを踏まえたシーンがあったりするよね

諷虹 ガンダムでもあります

虚空 そうするとね、普通に世界情勢とかには無関心であっても、アニメで描かれると意識にひっかかる、関心を持つ、っていうことがあるよ。
いじめの場面なんかでも、もしかすると自分たちのしていることを客観視するきっかけになるかもしれない。ちょびっとでも。
学校で普通に行われる通り一遍の「いじめはいけません」では心に届かなかったり、心に届くような教材で授業をしたら一部の親からクレームが来る・・・そんな世の中にとっては、ちょっと刺激が強いくらいの描写のそういったアニメに期待するしかない部分もある。

諷虹 浮世絵師が政府なんかを風刺したような・・・コトブキなんかもね。分かる人にはわかる

虚空 ウルトラセブンですごく印象に残った「ノンマルトの使者」が実は沖縄問題を正面から取り上げた金城哲夫さん渾身の一作だった、なんていうのもそうだよね。

諷虹 自分の脳内で歴史的事実と照合していけばね。

虚空 それこそ世界史にも疎かったから今でもベトナム戦争っていうことの根幹は分からないんだけど、ウルトラセブンにはそれが色濃く反映されている話がある、っていうのもね。
同じ円谷プロがセブンのあとに作った「怪奇大作戦」なんかはあらゆる社会問題を扱っていた。学生の頃にレンタルビデオで観返してビックリしたもん。こんなのをよく作っていたなって。まさに高度経済成長の歪とかね。
アニメだとタイガーマスクが社会問題をね・・・

☆「出会い・別れ」「本当に分かるということ」③・・・トランスフォーメーション 

平成8年に孤独死した虚空の母親の「桜」にまつわる事からはじまって、「つくし」にまつわる春の意識、アニソンや美輪明宏さんのステージからダイヤモンドの煌きの話と多種多様ですが、結局それらのことを引き金にしてトランスフォーメーション(意識の転換)がどう作用しているのかという話題です。

2019年3月29日 諷虹宅③
虚空 今日から3日間がうちの母親の推定命日なわけだけど、毎年桜の花見を楽しみにしていたのが、(孤独死で一か月後に発見された際の)枕元のメモ帳に今年はみられそうもない、っていう気持ちのようなことが書き残していた。もう4月は迎えられないと覚悟していたんだろうね。



去年はもうこのあたりでもあちこち満開。ちょうど一年前の3月29日に磯前神社の周辺の桜の写真を撮ったんだから。



で、今日、初めて境内にいってみた。でもね、桜は全く咲いていなくてさ・・・寒かったしね。それで車に乗って帰りかけたら小さい桜の木が一本だけ満開近かった。これはビックリだったね。


桜にまつわる日本人の心象については古来から語りつくされているけどね、咲いている期間が極めて限られているからこそ、例えば今日みたいに、他の木が全く咲く気配がないのに、一本だけ気の早いのが咲いている、なんていうときに特別な感覚を持ってしまう。
うちの母親が見せてくれたのかな、なんていうような。
逆に満開のタイミングでいったら、もうこれは葉桜になっているし、ちっちゃいから目にもとまらなかったと思う。

諷虹 ヘタすると桜って気づかないかもですね。
さっきのわたてんのミュージカルもそうですけど・・・花が散ったあとに「種子が残る」っていう、この圧縮感ってすごいですよね。
植えてみないとわからないような・・・ダンデリオン(たんぽぽ)に至っては、それが風に乗って空をまっていく

虚空 天使だね。

諷虹 白く空に舞って・・・。ホウセンカとかよりも見栄えがいいですよね。風物詩。


虚空 そりゃタンポポが咲き誇っていた野原が綿帽子になって風と共に一斉に舞っていく姿はね。

諷虹 氷がはっていたら割っていたように、たんぽぽの綿毛があったらフーッと自然に吹いてしまう。小学校の帰りに盛んにやったな・・・。

虚空 それがこの前更新したツイッターまとめでコバルトブルー君とのやりとりに書いたこと。身近なところにトランスフォーメーションが起こせる引き金がやたらと転がっていて、それを見逃さなかったのが日本人。別の言い方をすれば、それが「旬」の感覚。
それは単に季語とかではなくて「生命の発露」。

諷虹 「つくし」とかね

虚空 それも味わったりもするじゃない。のんのんびよりにもあったけど。あとは「ふらいんぐうぃっち」のフキノトウとかの山菜エピソード。
「苦い」という味を「春の味」っていうイメージで包み込んで「美味さ」に転換してしまう。

諷虹 カルピスのCMでの「初恋の味」とか、「ミルキーママの味」とかの表現もね。

虚空 あまりに定着してしまうとイメージに縛られてしまう、っていう側面もあるけどね、でもイメージの働きの重要な側面を示唆してくれる具体例だよね。
さっきの数学とかの話や強敵の話もそうだし・・・。
「たかのすとり」の教材について上原先生に相談した時に「イメージのオブラートに包む働きを人間は持っているということを扱う教材」って助言されたんだけど、本当にそう思うよ。
包み込み方が変われば世界認識なんていくらでも変わる。深夜アニメをある程度受けいれていた自分でも、今までだったら完全拒絶していたようなギャグアニメを今季は受け入れた自分、っていうのを発見したというのもそうだよね。
それも「分かった」と決めつけすぎないことの広い意味での例といえるよ。
「自分ってこうだ」と分かった気にならないことの大切さ。想定外の人生はいくらでもありうる。

シロバコのオープニング(後期)でも「想定外のピンチは神様からのプレゼント」って。
My beautiful life ずっと
遠くで朝陽が昇る 昔見た景色に似た街角
忘れてた 時間に追われ過ぎて
想定外なピンチは神様からのプレゼント?
やるせない。+゜(ノω・、) ゜負けられないo(*≧Д≦)o 脳内はパニック
探していた場所を見失っても
あの日 交わした言葉 座標になる
いざっ行けっ

未来へのフライトは視覚的ホログラムを
ほらね 空に描く 夢を形にして It’s that you get!
自分にしか出来ない 物語の“主人公”演じきって
笑顔!!! ぜったい大丈夫ね
My beautiful life for me

頑なに閉ざすココロ 時々傷を癒せず
誰もが立ち止まる それならば休めばイイ
何度も同じ失敗 遠回りした道なら
掴みたいヾ(δ_δ。)飛び出したい (‘-‘*)β☆*°新しい世界
探していたモノがもし変わってもきっと
約束は そう色褪せない
A to Z

未来へのフライトは刺激的フォトグラフを
ほらね 胸 -ココ- に残す
夢を大きくする energy
自分にしか出来ない宝探しの旅へ出よう
いまだ未知の発見!!! 大胆 Good Day
シャラララ今すぐ
ライバルのあのコが優勢に見えても
Don’t mind 輝ける原石…信じてっ

未来へのフライトは視覚的ホログラムを
ほらね 空に描く 夢を形にして It’s that you get!
自分にしか出来ない 物語の“主人公”演じきって
笑顔!!! ぜったい大丈夫ね
-Everyday- is My beautiful life’s dream
諷虹 「探していた場所を見失っても あの日 交わした言葉 座標になる」なんていう言葉もありますね。
あと「自分にしか出来ない宝探しの旅へ出よう いまだ未知の発見!!!」
「未来へのフライト」なんていうのも、さっきのタンポポですよね。

虚空 発見の感覚が伴っているじゃない。一つの話題からどんどんね。それが共鳴を起こしてバタフライエフェクトのようになる。それがまさに人知を超えた領域。
よくヒマワリフクロウさんが繰り返し使っていてくれているけど。
あと、この前のラインでコバルトブルー君が書き込んでいたこと。

『始まりの予感はなにをもって決めているか!
終わらせら、また次の世界があるということ。
引退、蛍の光、アニメや映画のエンディングを見ている感覚に通じることだと思うんですが。
夕日が沈んでいく感覚ですかね。
ただそれを美しく感じるのか、もう終わりなんだと感じてしまうのかは、心の構えそのものになっていくんでしょうか。』

「夕日」を引き合いに出しているけど、夕日も結局は数時間後にまた朝日として昇ってくるという大前提があるわけだよね。月の満ち欠けもそうだし。
それを日本人は作物の収穫周期とか、人生のサイクルと重ね合わせていた、だから「死」も含めて「別れ」は「出会い」とワンセットで考える事ができた。
以前ここで出てきた言葉で言うと「究極のバッドエンドが究極のハッピーエンドに連なる」という日本古来の「球体思考」

諷虹 正月よりも4月1日の方が「別れ・出会い」の感覚になるのも年度末・年度初めだからかな、って。年度の感覚がちょうどしっくりくる。

虚空 大学の入学式を西洋風に秋になんていう話が何度も起こっても、やっぱり日本人は感覚に嘘がつけない、っていうのと関連深いよね。桜の開花がこの時期に重なっていなあったら、ここまでこだわらなかったのかもしれない。

諷虹 さっきの「始まりの予感はなにをもって決めているか!」での関連なんですけど、なのはの劇場版のパンフをまとめていても、「innocent starter 」(なのは1期OP)の歌詞からの引用が多くて・・・ここが自分のアニソンの原点というか始点(アニソンのプレイリストの不動の一曲目)なんですが・・・


 膝を抱えて 部屋の片隅
いつも不安で 震えていた
「本当」を知ることが恐くてトビラを閉じた
優しい嘘に 居場所を見つけて 夢の中に逃げ込んだ
誰も知らない 孤独の海を 深い蒼に染めてく
寂しさ隠す 一途な想い
君のココロを傷つけている
瞳の奥の秘密 吸い込まれそうな 笑顔の裏の真実に
柔らかな愛 僕が届けに行くよ
触れたら壊れそうな 温もりが今 過去を離れ溢れ出す
ずっと側にいるから 悲しい影に惑わないで
子供のように ただ憧れを
求めるだけじゃ 何も見つからなくて
大切な物 見失うだけ
「アタリマエ」とか「普通」の中に 飾らずある幸せを
守れる力 手に入れたいと
まっすぐ 現在-いま-を生きてく
迷うことない視線の先に 浮かぶ答えは そう「1つ」だけ
夜明けの朱い空に 虹を描いて 闇もすべて包みこむ
小さな勇気 言葉を越えて行く
未来が囚われても 遠く消えても この祈りは果てしなく
ありのままの気持ちを 君のもとへ 伝えたい
「始まり」くれた君に そっと囁く
二人だけの約束を
変わることのない永遠の魔法
未来が囚われても 遠く消えても
澄んだ風-こえ-が覚えてる
僕の名前を呼んで
あの日のように笑いかけて

それこそ何百回も聴いていますけど、歌詞に出てくるフレーズを聞くたびに頭の中でこの曲が流れたりして、言葉が共鳴しあっていて・・・
この曲は水樹奈々本人の作詞っていうのがすごいところなんですけど・・・

ネット上記述
オリコンの週間シングルチャートにおいて、自身初となるTOP10入りを果たした楽曲である[1]。プロデュースを手がけた三嶋章夫はこの楽曲について「彼女が台本を深く読み込んで時間をかけて作った楽曲」と語っている[2]。また三嶋は「全く色褪せないメロディと歌詞はいつ聴いても鳥肌が立ちます」とも語っている[2]。

虚空 水樹さんって幼い頃からお父さんに演歌で鍛えられてるじゃない。それが単に歌唱力だけの問題じゃなくて、日本人の心の奥底と響き合えた・・・それこそ「教育は感染」

諷虹 それが中2病的なセンスとも結びつけられているところがすごい。3期のOP作詞も水樹奈々ですが・・・サビの「銀河を舞う Diamond dust -天使の囁き- 確かな記憶を辿って これからきっと生まれてく 真実へのトビラ どんな冷たい暗闇に縛られていても 僕は知りたいから決して止まらない」っていうのがあって、”Diamond dust”と書いて”天使の囁き”と読ませるセンス

虚空 実際にダイヤモンドダストってみたことないけど、どんなに素晴らしい画像でも分からないと思うよ。

そもそもダイヤモンドなんてね、実物をまともにみた事がなかった時には「なんであんなものを喜んでいるんだ?ガラスと大してかわらないだろ」なんて思っていたけどさ、国立博物館の「煌きのダイヤモンド展」をみたら一挙に見方が変ったもん。国宝クラスのティアラなんかのあのキラキラ感は静止画なんかじゃ絶対分からないし、高画質の4K動画だって伝わらないんじゃないの?

あれ観たら「古来から貴族や盗賊たちが命がけになるのも分かる」って思ったもん。
それも「分かった気になる」っていうか勝手に自分のイメージ世界で決めつけてしまう愚かさの実例だね。
何百回聴いた曲だって、何だって、新たなことが添加された状態になればまた違った印象を受ける・・・逆に言えば、何度聴いても同じ印象しか受けないというのだったら「お前、本当に生きているのか?」ってことになってしまう。

上原先生が歌舞伎を素材にしたということをもっと真剣に考えるべきだと思うんだよね。
今でこそ「伝統文化」とか「芸術性」何て言われているけど、江戸時代は庶民の娯楽で、しかも風紀を乱すものとして何度も幕府から禁止令が出て弾圧されたりもしたわけじゃない。
明治維新で外国人がたくさん来るようになった時も「あんな恥ずべきものはお見せできない」って。今に当てはめれば「深夜アニメ」よりももっと怪しい位置づけだったんじゃないの。
だからこそ「ナマ」を拾い上げることが出来る、って。
それを現代になぞらえて「アニメ」や「ゲーム」から、ってしているわけだけど、そのアニメもね、いわゆる宮崎アニメのような幼い子から大人まで幅広く共鳴するのが当然、というように思われるものではないアニメ、もっと歌舞伎に近い位置づけである庶民というか若者たちが感覚で受け入れるような深夜アニメも大真面目に素材としている。少年漫画やゲームとかも含めてね。

諷虹 「花」とか「宝石」っていうこともきちんと考え直さないとならないかな、って。
あんまり花を育てようとかは思ったことがなくて・・・綺麗だとは思いますけど。でも「世界に一つだけの花」なんていうのがヒットしたり・・・・

虚空 沖縄の歌でもあったじゃない。なんだっけ・・・いろんな人が歌ってた・・・美輪明宏なんかも歌ってたよね

諷虹 「花」ですね。(正確には 花~すべての人の心に花を~)

☆美輪明宏のコンサート動画 https://www.youtube.com/watch?v=7zA1ly44rC8
コンサートフィナーレで定番のキラキラが大量に最後降ってくる

虚空 ダイヤモンドダストだね。

諷虹 (ネットでこの歌について調べる)
「すべての人の心に花を」というフレーズは1964年東京五輪のアナウンサーの実況がもとになっている。1964年東京オリンピックの閉会式では、選手たちは各国入り乱れ、肩を組み、肩車をし、踊りを踊り、笑うものあり、泣くものあり、そして互いに祝福しあいながら入場行進を行った。そこには国境や人種といった人類の垣根を越えた「平和の祭典」の姿がたち現れていたが、テレビの中継でこの模様を見た喜納は涙がこみ上げる感動を覚えたという。実況のアナウンサーの、「泣いています・・・笑っています」という言葉とともに、この日の感銘が歳月の中で喜納の中で発酵して生まれたという[2]。

虚空 この東京オリンピックの閉会式は市川崑の記録映画を使って道徳の時間にも観せたけど、そりゃあ感動的だったよ。
でもね、当時裏方を手伝った年配の体育専門だった先生に聞いたんだけど、主催者側はお怒りだったんだって。本当は開会式のように整然と整列してきちんとした儀式で行う予定だったんだって。それがはじまったとたんにドーッとスタジアムにみんながなだれ込んでのお祭り騒ぎになってしまって・・・。

でもだからこそ強烈な印象に残る名閉会式になったわけだけどね。
人知を超えた領域だよね・・・これも。

諷虹 わたてん症候群というか・・・この歌詞を読んでも、あのミュージカルが・・・


川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
涙流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として 迎えてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の うたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
諷虹 今後甘いものを食べるたびに「花ちゃん」を思い出すんでしょうね。

虚空 確かにね・・・・。

諷虹 花の歌って色とりどりのっていう・・・「色」とかと直接的なかかわりがありそうですよね。「色づく世界の明日から」で語り合ったような。

虚空 そこに人間にとって深いイメージとつながりやすい「匂い」が伴うしね。

諷虹 宝石でも「色」は大事ですよね。たしかブルーダイヤモンドっていうのもありましたよね。
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やっぱり自分は「純粋に無色透明」が一番いいと思ってしまいますね。

虚空 こうして静止画をみても、やっぱりあの煌きは分からないよね。

諷虹 結晶化にとんでもない時間がかかっているというのもあるんですね。時間がとまっている感覚。

虚空 人工ダイヤモンドはどう?

諷虹 (ネット検索)かなり天然に近いものになっているようですね。見た目には専門家でもほとんど識別できないそうです。

虚空 ダイヤモンドダストっていうのも実際に見てみたいものだね・・・寒いのはダメだけど。 

*終了しての帰宅時、エンジンをかけた時にちょうどカーステレオから流れてきたアニソンが、先ほど話題になったシロバコのOP「My beautiful life ずっと」でちょっとビックリ。