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☆「序破急」・・・秩序や責任

2019,07,15以降のラインやりとりからです。

「破」ということについて、都合よく解釈する人間は自分の手前勝手な屁理屈を正当化する手段として用いかねません。
西洋哲学の「正反合」とか・・・「反対の合一」の 反 にあたるもの・・・上原先生の師匠である郡司正勝先生の指摘するような「日本の神はマンネリを嫌う」というようなことに通じる境地。

香取神宮や鹿島神宮の神々の御神徳につながるようなこととして「破」を位置付けています。

そういう点で言うと、本当に子どもらしく生きている子どもは、まさに「破」をもたらす存在であるが故にライフインデキスたりうるわけです。
後半、「好き勝手に生きるんや」と豪語している小3の動画に関してのやりとりもあります。ちなみに私(虚空)は否定的な見解を抱きました。


11:25 コバルト
 ゲゲゲの鬼太郎を昨日観たのですが、やはり要はねずみ男なんですね。
ねずみ男が序破急の「破」なんです。
起承転結スタイルではなく、普通じゃありえない2年目に突入したゲゲゲの鬼太郎ってストーリーをぶち壊す存在がいるねずみ男がいるお陰かも。


12:20 虚空
アンパンマンでいうバイキンマンなのでしょうが(自分はアンパンマンはほとんどみていませんが)、水木しげるさんににしてもやなせさんにしても、原作者はとっても重要な位置づけにしてますよね。
個人的にはねずみ男は例の親戚たちを思い起こさせるので、あの行動は非常に不快極まりないのですが(苦笑)

でも、「破」というのを日本人が重視していたというのはいろいろなところにみられます。
世間ではついつい「伝統を重んじる国」「封建的な国」という思い込みがあるので、そうは思っていないことが多いのですが・・・。
上原先生の師匠の一人である郡司正勝先生なども「日本の神はマンネリを嫌う」というような指摘をされていました。



12:42 コバルト
日本人はそういった存在を「お稲荷さん」と言っていた訳ですね。
お稲荷さんといえばキツネですが、ごん狐もやはり破の存在だった訳ですね。



13:27 虚空
真の稲荷神は(キツネ信仰と結びつく以前)は伊勢神宮の外宮に祭られている豊受大神のようです。
これは現象世界と神の国の恩恵をとりむすぶというお役目の神様。
そして、以前も触れたことがあるけど、稲荷神は農耕神ゆえに
「収穫」=「刈り取る」だからこそ次の豊作が約束される
それで、チベットのもともとの信仰を集めていたダーキニーと稲荷神が習合したわけですが、このダーキニーもある意味で破壊者的な存在。
ネット「ダーキニー)
仏教のタントラ聖典に登場する女性修行者もしくは女神の部類。ヒンドゥー教ではカーリーの侍女。元はインドの土着信仰の魔女とも。日本では荼枳尼天と呼ばれ、稲荷神と習合した天部の神格。 ⇒ 荼枳尼天を参照。
西洋でいえば「死神」の本当のイメージが、稲荷神と通じている、というのも社会人クラスの時に扱った通りです。
だから古いタロットでは死神は不吉なカードではないと。刈り取ることで次への飛躍を約束する神。

香取神宮の布津主の神と通じる精神です。刀で目先の価値観を切り取る・・・禊・祓いですね。


14:54 コバルト
収穫→耕す→植える→‥っていう感じの循環な訳ですから、現代は収穫というより搾取になってしまっていて、その後の耕すがない。
そうなると豊かにならないんです、荒廃していってしまうんですね。
三途の川の鬼だって豊かになるための重要な存在であるわけなんですね。
無意味に幼子の積み上げた石を崩している訳じゃないんです。
序破急の破でも豊受神でも鬼にしても、どれも通じるのは変調、転換ということですね。
大企業の会社によくお稲荷さんを祀っている所が多いわけですけど、その変調、転換期が最も重要視されていることな訳ですね。
変化が起きなければ稼ぎ時自体が起きないんです。
もっと言えば転換期を見過ごすと会社は潰れるということです。



14:57 虚空
そうだよね・・・目先のことばかり考えていて、次の収穫のことを考えない。・・・次の人たちのことも子孫のことなど全く考えない。
日本の伝統文化が多くの分野で数百年、千年以上の単位で物事を考えていたというのはやっぱりすごい意識を伝承していたんだと思います。



17:46 コバルト
現代は長い目で観ての起承転結スタイル「人生100年計画」なんてバカバカしい型を作ってしまっている訳だしね。
それぞれ人生100年生きると前提にしたレールを走らせれも、想定外というキツネがイタズラを仕掛けてきて、ひっくり返えてしまうのは結構当たり前なんですね。
何より怖いのはレールの上で波風起たぬ事で病んでいく自身の心です。
人生の序破急スタイルって大変ですけど、真理に沿ってるし、「今」に沿ってるから結果的には滑らかに見える訳なんですよ。

起承転結が直線構造。
序破急がスパイラル構造なんですね。
 序破急とスパイラル構造(卍)が結びつくきっかけは、先週の金曜日のやりとりがあったからこそですね。

18:23 コバルトhttps://bunshun.jp/articles/-/10831?page=1
今テレビでやっている、これからの新しい学校スタイルですね。
子供達もこの学校に行きたいって言ってます。

 https://knowsfree.com/kojimachi-junior/

 https://gentosha-go.com/articles/-/20345



21:22 虚空
こういう決断をしていくのはなかなか勇気がいるし、できないものですが・・・・
例えば同じ町内とか市内にいくつも中学校があったら校長会が黙っちゃいない場合だってあります。横並びを大切にするから。
行政や親の説得も大変でしょう。ちょっとでも学力が落ちたとか何かあれば、反対派がここぞとばかりに総攻撃してくる・・・そういう落ち度をみつけようと常に目を光らせて、こういた校長をつぶしにかかるから。
 ついさっきまで中3の授業で、ちょうど夏休みに向けて自律的な受験勉強に向けてあれこれと話してきたところです。
そりゃ大人の権力をふりかざして無理やりさせれば多少の向上が一時的にはあるかもしれない。でもそれは反動も大きい。
もちろんそれをきっかけに自分もやればできるということに気が付いて、伸びる子もいるから無理やりというのを完全否定する気はないですがね。
やっぱり時と場合によって同じ子でもいい方法っていうことにマニュアル的な万能薬はない。


2019.07.16 火曜日
09:14 コバルト
重力エネルギー
引用
天体の重力圏内で、物体が持っているエネルギー。物理で習う「位置エネルギー」と同じです。
天体に向かって物体が「落ちていく」エネルギーといえます。
その天体から物体が離れているほど、物体が重いほど、 そして天体の重力が大きいほど、重力エネルギーは大きくなります。
分子と分母がひっくり返ると言っていた原理の裏付けで、やはりこれも(序破急スタイル)スパイラル構造。


12:11 虚空
宇宙との共振・共鳴ですね、まさに



13:23 コバルト
「位置エネルギー」というのは、駿煌会でいう「柱が立つ」ですね。



13:25 虚空
まあ・・・・生命力の象徴とつながる、ということですね(笑)

2019年7月17日 水曜日
☆「俺は自由気ままに生きるや!」と豪語する小学3年生の動画をみて
14:06 ソルティ
「 麹町の中学校 」のお話を読ませていただいていたら、ユーチューブで今話題になっているらしい「ゆたぽん」君という小学三年生をTVで紹介していました。どうなんだろう?ちょっと衝撃の映像でしたが。。。
このゆたぽん君のお話し、TV途中から見たからよくは分からないけど、まあお父さんの影響大だとは思った。刷り込みみたいにお父さんの主張がそのままゆたぽん君に移って喋っている印象はあったけど、それも一つのおうちのお話しだよね。


17:18 虚空
いじめとか理不尽な担任とかで追いつめられている場合は例外として、ちょっとあの3年生の動画は正直言ってみていて不快でした。

お前、元気いっぱいじゃないかと。
もちろん学校は絶対という考えは私はもっていません。
今のような教育制度が整ったのは日本の歴史の中でもまだ浅いし、そういった制度がない時代の方がすごい生き様の人間が育っていたというのもありますから。

でも、じゃあ「好きなことだけしての自由人」なんていう生き方が許されていたのか・・・・学校に通わない・・・通えない・・・でそれこそ過酷な労働の担い手としてほどんどの子は幼少期をすごしていわけですよね。(たまたまBSで「おしん」の再放送などをやっていたから余計にそう思います)

もちろん今の学校教育のシステムはおかしいところが多々あって、絶対基準をおく価値があるとは思いません。

ならば、自分でホンモノの学習をする、自分を磨く場を確保して、真剣に自分の器を広げることにエネルギーを費やしているという生き様を展開して当然・・・・

もちろん彼の日常は知りませんから、本当はそういって生活をしているのかもしれませんが、あの雰囲気だと「お前ら、何を嫌なことまで我慢してやってんの、馬鹿じゃねー、俺みたいに好き勝手生きて人生楽しもうぜ」と、好き嫌い関係なく過ごしている人たちを見下しているような感覚を受けました。

もう少しいえば、世の中のそういった人たちの生活・・・気ままではなく仕事等々に従事している方々・・・の恩恵を受けて自分の生活はなりたっているんだ・・・・という社会の仕組みすら感じようとしていない。

少なくとも彼が今こうして自由気ままに生きていられるのは、これまでご両親がきちんと育ててくれていた恩恵あってのことだと思いますから。もし親が乳幼児の頃からその日その日の気分で「今日は食事なんてつくらない」「子育てなんてしない」なんて自由気ままにやっていたら、成長できなかったはずだから。

そんなに好き勝手したかったら、生活費も親からもらわず、誰かが作って入れたものは一切使わず、無人島ででも山奥ででも完全自立で暮らせばいい。

それがイヤダ、できない というなら、それは他人の恩恵だけは受けて、好き勝手にだけ生きようとする唯の我が侭です。
・・・・と、つい例の親戚の生き様を想起されるような感じをうけてしまったので感情的になっています。

何でもかんでも都合の悪い事、やりたくない事は人に押し付けて、自分達だけはいいとこどりをして、それで私の生き方を「馬鹿正直で要領が悪い」と見下す。
そんな風にみえてしまいました。
(おうち意識を他の分野に適応する発想に関連して)
こうした意識をかつての軍部は自分達に都合よくねじまげて悪用したともいえます。
天皇陛下が全国民の親、とか日本が全世界の親(八紘一宇)とか・・・・。
でも軍部のそれは、うちの親戚だとか、さっきの小3と同じ。
もっともらしい理屈をこねて、自分の利益のためにみんなは貢献しろというのが実は本心。
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☆おうち作文をよみながら  ~英才児の特性 から考える 教育全体への視点~

2019年 7月14日  諷虹・虚空

英才児の「おうち」作文をいくつか読んで

諷虹 (書式を揃えている子)よくこれだけ言葉をそろえて書けましたね。


☆おうち論文を読みながら

おふくろの世界 : 「おうち」「におい」作文に見る時間と空間
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/45173/20180313142836116737/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_15_19.pdf

諷虹 石崎小のってツイッターのようなノリですね。


虚空 心の実況中継なんだよね。


諷虹・・・笑いながら個々の作文をよむ


虚空 共感をよぶでしょ。生々しいから故の体感が伝わってきての共感だよね。

似たような経験をしているとか、体感をしたことがあると「ああそれ、分かる分かる」って。
でもさ、留守番なんかのが分かりやすいだけど、留守番を喜ぶ子と怖がる子。怖がる子でも電気をつけまくる子もいれば、真っ暗なところにこもる子もいる。

そうなってくるとね「えッ?何でこんな風になるの?」って・・・体感の基準が違うから、共感できる作文とできない作文の差が極端になるわけだよ。

英才児の作文に多い分析・・・・場合分け・・・だとさ、没我では自分のことだけになってしまうわけだけど、それを超越する可能性を秘めていることが分かるんだよね。

作文そのものは生々しくないから、そういう意味での、読み手の心が動くような共感は読んでいても起きにくいんだけどね。

でも、その気になればより多くの違った立場の人達にも共感を呼ぶような方向にいけるような。
自分とは関係なく網羅できている。観察で。
自分の中に多様な「器」を「型」として用意できるんだよね。だからバカの壁を超越して貪欲にいろいろなことを盛り込めるし、そこに体感をもって反応できる。それらに触発されてイメージ運動を多様に発動できるから。

諷虹 聖徳の作文って要素から「集合」を考える、っていう感じですかね。


虚空 場合分けだと、集合の中に他にどんな場合が入り得るかを機械的に想定できる。
両方向が同時に出来ているっていう感じだよね、英才児は。


諷虹 そこに添加もからむと面白いですよね。この子がこれを学んだら、とかこれを体験したら集合にどんな影響・トランスフォーメーションが起きるか・・・それによって人生の方向が変化する。

虚空 それをどんどん自己増殖できるし、他の意見を聞いても片っ端から取り込めるじゃない、英才児って。それが一昨年参観した数学では山ほどみられたわけだしね。

諷虹 だから変幻自在になれるんでしょうね。相手によって「パッ」と共感できる内容を膨らませて作文を書いたり発表をすることができると思うんですよ。その時には体感豊かに。

自分基準で相手を否定するとダメなんですよね。聖徳は特に。だから余計にあらゆる場合を想定して観察できるんでしょうね。

虚空 答えが確定っていうか正解・不正解がはっきりするような「数学」の授業でもね。

諷虹 いつもここで話すことって、頭の中で留まっている事柄と近いことが出た時に、その事柄をパッと出してその周辺をほっていくという感じですかね。「共振」的にずっと頭の中でとまっていたものが動き出すエネルギーを持つという感じで、他のこととどんどんリンクしていく。共振の連鎖がおきていく。


虚空 それが駿煌会の基本スタンスなんだよね。だから自分が全くこれまで未知だった話題が飛び出したり、いきなり突拍子もないような話題が飛び出しても「自分にはみえない何かではつながっているということでこの話題が出てきたんだろう」ってお互いに察しながらやりとりしている。

そういう姿勢って、教師に限らず人間の基本だよね。

でもさ、それもネット社会とかスマホ生活では、主導権をにぎっている人間とかネット内のあたりまえに沿って演じる。主導権をにぎっている人間は周囲に気をつかわずにやりたい放題だけど、付き添っている周囲はものすごく気をつかっているよね。周りから浮かないようにって。
これが家の中にまではびこってくるんだから本当に気が休まらない。

*「うんちまみれ」・・・体が生温かさに包まれる作文


諷虹 これって「優しい闇」っていう感じがしますよね。

まちカドまぞくで、ご先祖がメソポタミアでの木陰での体感の思い出を語る。(4巻P11)・・・乾季と雨季・・・日本との気温レベルの違い。乾季だと人が死ぬ程暑いから木陰ですっぽんぽんで昼寝するのが気持ちいいって。
寒ければ日向ぼっこ、暑ければ日陰ぼっこ・・・と光が強ければ闇のほうへ、闇が深けれ光のほうへ・・・陰陽一体とか混沌とも繋がっていきそうですかね
 

(正義と悪 の対応が普通と逆 遊☆戯☆王デュエルモンスターズGX
第二クールは光の結社が敵、第4クールはダークネス(深淵の闇)が敵


虚空 自分なんかはそれをきくと「仮面ライダーブラック」を思い出すね。あの当時も話題になっていたんだけど、正義の方が「ブラック」で、悪の組織ゴルゴムの大神官たちが白い衣をみにまとっている。

「黒」「闇」のイメージの拡張だよね。
その「ダーク」だけどさ・・・宇宙をとりまく「ダークマター」の問題も以前に出たけど


諷虹 そのあたりとこの物語全体をふまえて考察すると面白いんですけど(笑)

主人公のプロフィール(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%9F%8E%E5%8D%81%E4%BB%A3
破滅の光
宇宙で「闇」と永遠の戦いを続けている光。二期で斎王にとりついていた意思。宇宙の本質が「闇」であることから「やさしき闇」と相反した「破滅の光」また「光の波動」と呼ばれ、十代は破滅の光と戦うために「正しき闇の力」の使い手としてネオ・スペーシアンに選ばれた。 インダストリアル・イリュージョン社の調査によれば数億年前にホワイトホールから出現し10年前に地球に降り注ぎ、更にそれ以前からも存在し人間史の変化や世界大戦など事実上世界の歴史に影響を与えてきた。二期の最後で十代とのデュエルに敗れ、斎王から去って行った。三期ではユベルもその存在について言及しており、十代との和解・魂の融合の際に「これから一緒に破滅の光と戦っていく」と発言。十代は破滅の光との戦いのため宇宙へ旅立ち、しばらくしてアカデミアに帰還したが、その後の破滅の光については不明。

ダークネス
宇宙が一枚のカードから始まった時、カードの裏側の闇から生まれた存在。人が必ず持つ「心の闇(負の感情)」に付け入りその精神と肉体を蝕む闇の力であり、また「心の闇」そのものの具現体でもある。四期の物語の焦点。一期ではセブンスターズの一人として、吹雪の身体を操り十代たちに敵対。四期に入ってからは、ミスターTを操り出し本格的に活動を始め、童実野町住人やデュエルアカデミア生徒など、多くの人間をダークネスの世界に引きずり込んだ。在りし日にダークネスと契約し、事の発端を作り上げた藤原優介は今やダークネスそのものとなっており、ダークネスの世界の中で全ての存在を絶望に陥れて闇と同化させ均等化することで苦しみから解放する、ということを目的としている。
「破滅の光」という言葉が何度も出てくる


虚空 自分がこれで思い起こすのは「セーラーサターン」だよね。全てを無に帰する「破滅の戦士」
ネット サターンが覚醒と同時に世界を滅ぼしてしまう「目覚めてはいけない」破滅と誕生の戦士
 

上原先生用語でいえば「死と再生」の象徴みたいなキャラだよ。
さっきの「黄泉の国」「禊・祓い」に通じる。

だいたいさ、セーラーサターンが覚醒するための外部太陽系戦士の3つのアイテムが「剣」と「玉」と「鏡」を象徴した武具。

「三種の神器」だよ。そういう意味ではあのセーラームーンって日本神話なんかの発想も根底にあるよ。最終決戦は「カオス」との闘いだしね。


諷虹 そういえば シャミ子が夢の世界に入るときの最初のアイテムが「夢見鏡」なんですよね。


虚空 吸血鬼じゃないけど、鏡に写るとか写らないとかさ。あとは怪盗セイントテールなんかに出てきたけど、その鏡には正体が写るとか。あとは閻魔の鏡だよね。誤魔化していたことがすべて明るみに出る。


諷虹 となりの吸血鬼さんの主題歌の中にもありましたね。

♪ きっと本当の気持ちは鏡には写らない
ちょっとばっか変だって それもご愛嬌です
不思議を愛しましょい

虚空 まあ気持ちだから写らないのは当たり前なんだけど、そんな風にツッコミをいれちゃダメなんだよね。

見えるから実在、見えないからない、っていうのが世間の常識になってしまているけどさ・・・目にみえないものこそが宇宙全体の8~9割をしめているっていう話じゃない。しかもそれは原子からできているのではない、って。この世のものはすべて原子からできているというのは、大嘘だって世界的な宇宙物理学者がいってたしね。

虚数世界もそうだけど、闇っていうか「見えない世界」「潜在世界」「無意識の世界」が本体。
日本人古来の発想にどんどん近づいているよ。

そこにインフレーション宇宙論なんて持ち込んだら、それこそ全てを産みだす基本が光も何もない世界・・・だから「母胎」そのものだよね。
  
(20時半頃終了)

☆「まちカドまぞく」からの心意伝承的考察② 上原語録「母胎回帰と闇」「観察力と世界の拡張」

前半は、諷虹・虚空同士の個人ライン 及び、その中で紹介したT・K先生へのメールの抜粋が中心です。

後半は7月14日 の諷虹・虚空やりとり記録です。

アニメに関する部分は軽く読み飛ばしてくださっても結構です。やはり実際のアニメをみていないとこれだけでは読んでも分かりにくいですから。


とどのつまり・・・やりとりの根底にあることを後半にこう発言しています。

このあたりのことなんだよ。「母体回帰」が「また闇の世界に帰っていく」って上原先生が言い切っているところ。
そこでさ、最初の話にもどると「おうち」が意識のベースだというのは、どういうことなのか。単に「落ち着くための居場所なのか」と。
それと「量子論としての様々なものが同時に同居しているカオス状態」と「真床覆衾」の関係。このあたりが「闇」とどうつながっていくのかが「色のたとえ」なんだけどね。
それでもって、上原先生のいう「英才児の観察」の能力と構え。・・・それと俯瞰・鳥瞰との関係や論理性、知性との関係。(後述)
これが結び付けられていけば、「意識のベース」についてのまとめになっていくんじゃないか、って。

その部分から発展して「共感のもととなっているのが観察」ではないかという仮説をたてています。
06:03 諷虹 今さっきまちカドまぞくの原作を最新話まで読み終えました。
まちカドまぞくの主人公・シャミ子が夢魔の系譜なのもあって夢の世界での台詞や用語に無意識・先天性知識・(心の弱さに)つけこむ≒共感、共鳴・・・等々去年10月からここ数日までのやり取りと繋がることがかなり大量にあったことを観測しました。

そして母胎と闇の世界の話題・・・
偶然だとしても本当に出来過ぎてる話だと思っています。
06:05 虚空
 あのですね、今、T・K先生に出すメールを打っている最中なんですが、ここを打っている最中にこれを受信しました。書きかけのをそのまま送信します。
:::::::::::::::::::::::::::::::
ゆうべの諷虹君とのやりとりでは十分にふれられなかったことで、次の2点についても、近々深めようというのがあるのでお伝えしておきます。
「観察」に関して
少なくとも先日送って頂いた3年生6年生の作文では、おうちのことを無自覚について書いているというよりは、本当に「観察者」という視点で書いていますよね。だから以前石巻で分析したような要件を観察結果として列挙して書いている(そういった構え)の作文が圧倒的。
これを「イマジネーションを素直に書いていない説明作文」と片付けては大変な誤解になる、英才児の実像に迫れない、ということから葛西先生が上原先生の言葉をひろいあげたと思うのですが、諷虹君とこのところずっと語り合っている「量子論の発想からの 観測者 問題」なんかとの視点も合わせて考えてみるとどういったことが考えられるか?
「シュレーディンガーの猫」という思考実験などで有名な観測者問題・・・あらゆる可能性が同居した状態でいるものが、観測された瞬間に確定する・・・・「観ること」(認識すること)=観測者にとってその世界が一つに確定すること・・・ということが、個々人の「意識世界」を設定(確定)していく。
それが通常は非常に狭い範囲の観測から確定させてしまうから
06:10 諷虹
 まちカドまぞくはなんとなーくあらすじは頭に入っていて、何となく好きだなーって感覚はありましたが改めて読み返して、がっつりと心が奪われてキャラやストーリーや世界観が頭に入る・・・今日ようやく”観測”したという表現がぴったりだと思いました
”悟り”の境地にちかいかなと
06:54 虚空
さきほどのT・K先生へのメール、 続きの部分です
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それが通常は非常に狭い範囲の観測から確定させてしまうから・・・観察というよりは表面的なぱっと見の決めつけで終わってしまう・・・だから単なる縛縛りの意識にしかならない。やっぱりそれはいわゆる第一印象によって「感情」「イメージ」を「確定」させてしまって、もうそれ以上のことは観ようとしないから。
 
ちょうどここ数日、バカの壁の作者である養老孟子さんの対談の番組も文字起こし中なのですが、こんなやりとりがあります。
 
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山下 ・・・バカの壁というね、あれを思いつかれたのは?
 
養老 それは若い時に教師になってしばらく学生さんに一生懸命に教えるじゃないですか。通じないんですね。
それがバカの壁ですね。
同時に相手がバカというよりも、自分がそう(笑)あることが全然通じないわけでしょ。お互い様ですよ。壁でね。なんだこれ、って。
そりゃあ子供でもそうだと思います。誰でも体験するから、ひょっとしたら売れたんだと思う。
自分が興味ないことって、およそ理解しようとしない。僕はものすごく分かってるというか、慣れてるんです。
・・・・・・完全に壁を作っちゃう。それはその人がバカでわからないからじゃなくて、分かりたくないからブロックしてしまうんですね。そういう好き嫌いがちゃんと出来てくるのが、僕は中学生ぐらいからだと思ってる。社会的には。
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そこが英才児は上原先生の指摘のように切り離せる。だから様々な事実をそのままキャッチし、矛盾していようが何だろうが、それをそのまま「同居した形」で同時に「確定」し、意識世界(イメージタンク)に確定できる。
 

それは、しばしば私が引用する郡司先生の「多次元構造の同時進行」という認識・発想がとれる・・・その秘密なのではないかな、と。
 


 
「闇」に関して
「母体」というのがどうして「闇」となるのか・・・それも量子論の確定前のあらゆる可能性が共存している状態というのと通じるのかな・・・と。

生まれ出てどのような人生が確定していくのか分からない混沌とした状態で子宮内に存在している子ども。そこは心意伝承的にはあらゆる階層の先験的イメージも眠っている(埋蔵されている)世界と一体。

深ければ深いほど「闇」・・・見えていないからこそ確定もできない・・・逆に言えばあらゆる可能性の宝庫。
 

家に帰って休むということがどうして真床覆衾襖となりうるのか・・・やっぱり暗くした部屋で休む=母体回帰の世界に毎晩浸る・・・外の生活でついつい確定してしまった現実意識をオフにして、可能性を開いてまた翌日でかける。
 

神社のお参りが構造的に子宮にかえること・生まれなおすことだと先生が話されてたことがよみがえってきます。
 

でも、本当の暗闇が生活の中から消えた現代っ子、夜でも常にラインなどの動向を気にしながら生活している若者達・・・それは児言態だって無視できない問題。小学生にだってスマホは浸透しているし、今や幼児にもスマホを与えて育児の手間をはぶいている母親が増えているそうですから。
 

諷虹君とは色の重ね合わせの話もこれまで何度もでてきました。
・現実世界が「絵の具の三原色」・・・混色によって「黒」に近づいていく・・・黒はあらゆる可能性の混沌同居状態
・あちらの世界は「光の三原色」・・・混色によって「白」(透明)に近づいていく・・・白(透明)があらゆる可能性の混沌同居状態
 
 
 
先生が英才児との出会いで感じ取ったことの追体験をぜひ今回の授業でしたいものです。
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2019年 7月14日  諷虹宅 15時スタート
虚空 ゆうべからまちカドまぞくの分析を通して、2号座談会でのことだとかを深めようとしているわけだけどさ、それだって「まちカドまぞく」の研究とか、2号座談会のポイントをおさえよう、なんていう目的でやっているわけじゃないんだよね。
そこからさらに一般化したら何が出てくるか。
「おうち」意識にしても、おうちが意識のベースっていうことは、単に「家」がどうのこうのではなくて、イマジネーションの世界を展開していく、日常生活を送る・・・今後の人生を生きていく・・・それらすべての根底に「おうち意識」があるということ。

「おうち意識の構造」は石巻でやったわけだよ。そして少なくともこの前送られてきた3年生と6年生の作文には、子ども達自身の分析的な記述がかなりあった。
だから「おうち意識の中身」を問う段階は済んでいる・・・じゃあ何にポイントをおくかなんだよね。
「まちカドまぞく」の3巻と5巻に特に心意伝承と関りの深いことが出ているって、調べてくれたわけだけど、それも「何がどう出ているか」を突き抜けた先を考えたいわけだよ、最終的には。
そのヒントになるのがこの前からT・K先生がメールで知らせてくれた上原先生の言葉であり、2号座談会の、特に後半のやりとりだと思うんだよね。

諷虹 紹介の前に、読み終わった直後(夜中に最新刊まで一気読みをした)だからなんでしけど・・・「おうち意識」って結局ホーム・ハウス的な意味でとらえていたふしはあるんですけど、それをもう少し広げると「落ち着く場所」・・・自分の部屋とかいう風な解釈だったんです。

でも今、昨日チラッと出した「ミクロコスモ」的な自分の中の無意識世界とか心の中、内側ということで「おうち」という捉え方もできるのかな、って。

で、3巻の前にシャミ子の魔力の調子が非常にいいときに、桃の夢の中に侵入する回があるんですけど・・・。
・シャミ子は夢の中に入れる
・魔法少女の血の一滴のエネルギーで呪いの一部が解除
・桃の目的は行方不明の姉探し
・魔法少女は弱るとコアの状態になる。・・・動物形態だったり水晶形態だったり(姉のコアは猫・・・たまさくらのモチーフ)
3巻の自分の無意識世界に入って記憶を探そうとする シャミ子の場面を読む

虚空 夢の中同士で交流・・・なんていうのでパッと思い出すのは「風立ちぬ」のエピソード。遠く離れた日本とドイツでの夢が交錯して交流しあう。
「君の名は。」はそれこそ時間をとびこえて離れた者同士の交流。
それが空間をとびこえる「量子もつれ」だけではなく「時間も含めて飛び越える量子もつれ」・・・そんなのが本当にあるのかどうかは分からないけど、そういう感じだよね。
そもそも「時間」とは何ぞやというのでは、広く認められていない学説も含めると、物理学の常識をはるかに超越したものもあるから・・・そう考えると時空を超えた量子もつれだって、もしかしたらあり得るのかもよ。
ちょっとさ、大変だけど、この3巻の夢とか無意識とかに関するところのセリフ、打ってもらえる?
:::::::::::::::::::::::::::
ごせんぞ
余たちの能力を正確に表現すると・・・人 動物 無生物――『あらゆる有情非情の無意識に侵入する能力』だ
 
無意識っていうのは人間でいうと個々の心のすごく深い所で 記憶とか先天性知識とかが蓄積されている場所だ

余たち一族はそこに入り込んで勝手に覗き見したり改ざんしたりできるわけだ

夢っていうのは無意識領域の入口みたいなもんだから余たちのことを夢魔って呼ぶ奴もいるぞ
つまり・・・シャミ子の力をシャミ子自身に使えば10年前の記憶を見ることができるかもしれない」
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虚空 魔族云々の力というのを一旦オフにしてみるとさ、このご先祖の解説は、潜在世界が人間にどういう影響をあたえるのかの解説をやっているようなものじゃない。

「世界定めの軸の変更がトランスフォーメーションを起こす」っていうのが「改ざんしたりできる」っていうようにも対応すると考えられるだろうしね。
自分で自分の意識世界を改ざんするから、日常の受け止め方が変わったり、運命が変わる。包み込み方が変わるんだから「過去」さえも改変できる。
これがユング派なんかのカウンセリングの基本なんだとも思うんだけどね。

諷虹  シャミ子が桃の夢の中を掃除するのが1巻に出てきたじゃないですか・・・あれも一種のカウンセリングと同じ効果なのかな、って。リセットする。
ドロドロの状態だと何が入ってきても汚れてしまうところを・・・

虚空 神話風にいえば「禊・祓い」だよね。それで新たな神々が誕生する。
:::::::::::::::::::::::::
ごせんぞ
「しゃーみこや-そこはおぬしの10年前の記憶の層だ!「幼いころの記憶は入り組んでいることが多いのだ。探索してコアと会った時の光景を探すぞ
初心者が深部から帰るのは大変だからな余が見失わないようなるべくゆっくり行動してくれ」(中略)
「あれは・・・違うな
おぬしの嫌な思い出が変質したものだ・・・嫌な思い出なんて記憶を掘れば誰にでもある
むしろああいうのをちゃんと埋め立てて笑顔で過ごせているのはおぬしと周辺の心が健やかな証だ。

一番ダメなのは・・・いやな記憶を何度も心の中で反芻しちゃう奴だ
そういうやつの夢はな・・・ドロドロで動きづらい」
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虚空 自分の心の闇なんかは、無意識世界とかでどんな風になっているかなんて、分かったもんじゃない。
ちょうと今朝のゲゲゲの鬼太郎は心の闇が実体化する「妖怪 水虎」だったんだけどね・・・
無意識世界ほど心の深淵・・・闇になるわけだけど、「心の闇」っていうと悪い方ばかり考えるじゃない。
でもさ、T・K先生から送られてきたメールの上原先生の次の言葉・・・・
えぇ、だから今まで、かっこいい言葉を使っているのは母体回帰というような言い方をされますね。人間のイメージの一番の基本になっているのは母体回帰、母の胎内に帰ろうとする、母の胎内から出てきてまた胎内に帰ろうとする、そういう原則を持っているのかもしれないという気もするのですね。

それからもう少し思い切った言い方をすると、母胎に帰るということはまた闇の世界に帰っていく、だからその作品読んでみると不思議に明るいこと書いてないんですね。
虚空 ここで先生が「母の胎内に帰ろうとする」ことを「また闇の世界に帰っていく」って言っているじゃない。そうすると一般的に言われている「闇の世界」とはかなり違うんだと思ったんだよ。

だからT・K先生への返事のメールにこんなことを書いた。
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「闇」に関して
「母体」というのがどうして「闇」となるのか・・・それも量子論の確定前のあらゆる可能性が共存している状態というのと通じるのかな・・・と。

生まれ出てどのような人生が確定していくのか分からない混沌とした状態で子宮内に存在している子ども。そこは心意伝承的にはあらゆる階層の先験的イメージも眠っている(埋蔵されている)世界と一体。
深ければ深いほど「闇」・・・見えていないからこそ確定もできない・・・逆に言えばあらゆる可能性の宝庫。
 

家に帰って休むということがどうして真床覆衾襖となりうるのか・・・やっぱり暗くした部屋で休む=母体回帰の世界に毎晩浸る・・・外の生活でついつい確定してしまった現実意識をオフにして、可能性を開いてまた翌日でかける。
 

神社のお参りが構造的に子宮にかえること・生まれなおすことだと先生が話されてたことがよみがえってきます。
 

でも、本当の暗闇が生活の中から消えた現代っ子、夜でも常にラインなどの動向を気にしながら生活している若者達・・・それは児言態だって無視できない問題。小学生にだってスマホは浸透しているし、今や幼児にもスマホを与えて育児の手間をはぶいている母親が増えているそうですから。
 
諷虹君とは色の重ね合わせの話もこれまで何度もでてきました。
・現実世界が「絵の具の三原色」・・・混色によって「黒」に近づいていく・・・黒はあらゆる可能性の混沌同居状態
・あちらの世界は「光の三原色」・・・混色によって「白」(透明)に近づいていく・・・白(透明)があらゆる可能性の混沌同居状態
 
 
虚空 このあたりのことなんだよ。「母体回帰」が「また闇の世界に帰っていく」って上原先生が言い切っているところ。
そこでさ、最初の話にもどると「おうち」が意識のベースだというのは、どういうことなのか。単に「落ち着くための居場所なのか」と。
それと「量子論としての様々なものが同時に同居しているカオス状態」と「真床覆衾」の関係。このあたりが「闇」とどうつながっていくのかが「色のたとえ」なんだけどね。
それでもって、上原先生のいう「英才児の観察」の能力と構え。・・・それと俯瞰・鳥瞰との関係や論理性、知性との関係。(後述)
これが結び付けられていけば、「意識のベース」についてのまとめになっていくんじゃないか、って。
その足掛かりに、「2号の座談会」や、「まちカドまぞく」なんかのことが浮かび上がってきているんだよね。
諷虹 というところで、新たな材料を提供しますね。5巻なんですけど、「闇」についての考察に関わりそうな部分・・・ちょっと込み入っているので分かりにくいと思うんですが。
「優しい闇の力で心の中のドロドロを浄化する」っていう感覚。
⇒(原作の言葉だと)夢魔らしく優しい闇で包み込むようにこの人の気持ちを掬い取ろう
虚空 そうするとさ、常識的な「闇」とか「魔」というのとは違うよね。
諷虹 きゆずきさとこ的なものもあるかな「棺担ぎのクロ」とか「GA」でのキョージュの黒に関するイメージ・・・ただ忌み嫌われる物というだけでなく別の一面もある
虚空 あのさ、古いタイプのタロットだと死神が不吉なカードではないとか、悪魔だって神の世界の入り口にいて、その中に入る資格を得るための大事な存在、ってなっているじゃない。
キリストの前にも釈迦の前にも悪魔とか魔女みたいなのが出現して、惑わそうとする場面があるけど、別の味方をすれば神界とか仏の世界に入れるかどうかの「資格試験」をしたともいえる。
諷虹 探してるのとは違いますが「悪魔」で検索したらこんなのが出てました。(Wiki)
「悪魔」が最も強調している象徴は「訳がわからない」である。頭部の角は牡鹿の形であるが、手には猛禽類を思わせる爪を備えている上、背中の羽は哺乳類であるコウモリの形である。また、股間の膨らみは男性を象徴するが、女性の胸部を意図した図形を胸に模している[4]。

これは「悪魔」が(エデンの園など)人間に接触する際のカモフラージュとして、女性の純粋さや無邪気さを装い、悪魔の持つ「残忍さ」や「姑息な心」を覆い隠そうとしているためと考えられている。このように“ちぐはぐ”な象徴を一体の像に集約することは「混乱」や「葛藤」といった心理的錯乱状態を示し、「悪魔」を滅亡や破壊へと誘う恐ろしい存在として扱っていると解釈される。
(中略)
一方で、「悪魔」を「救世主」と見ることもできる。悪魔は創世記においてイヴをそそのかし知恵の実を食させたが、見方を変えれば(逆位置)、悪魔の意思がどうであれ、人間にとっては科学を発展させ地球上に種を広げる良い結果[6]をもたらしたといえる。これは「意図の有る無しに関わらず、当人の望む望まぬに関わらず、結果的に起こる奇跡」、即ちトリックスターを意味する。
諷虹 ここにも雌雄同体がでてきましたね。

虚空 ちょうど自分が「別の見方をすれば」っていっていた時に、この記事がとびだしてきたというのもね・・・

虚空 今思い出したんだけど、「盂蘭盆経」・・・来月は旧暦のお盆だけどさ・・・
お釈迦様が祇園精舎におられたときに目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。
その霊視力をもって 世間を探した所亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。
母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に
炭に変ってしまい食べることはできない。
目連は大いに泣き叫び、お釈迦様の所に帰って、このことを報告した。
お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ
(後略)
虚空 目連にしてみれば、なんであんなにもいい母親が「罪深い」のかということになるわけだけど、そこが母親の「業」だというわけだよ。
我が子の幸せを最優先させてしまう・・・それが逆に言えば他人の不幸に知らず知らずつながってしまう・・・「自分の子」という煩悩にとらわれるというかね。
そういったわが身があの世で餓鬼道や地獄におちても構わない、というような無償の愛に包まれて、子どもは育つという・・・ちょっと理不尽な部分もあるんだけど、実際の世の中をみるとそういうことは多いよね。特に最近はさ。
我が子のためなら他人はどうなってもいいというような。
これも「優しい闇」の一つかもね。
諷虹  シャミ子は他のキャラの夢の中にも入ってうまく話をまとめていくんですよね。で、解決した後のやりとりで・・・
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シャミ子「・・・不安なんですあの解決の仕方で良かったのか
紅さんの悔しい思いとリコさんの恋心につけこんで・・・
偽物の平穏を作ってしまったんじゃないかって・・・
この力に頼ってたらいつかとんでもないことになrそうで怖くなったんです
うまく・・・行き過ぎて・・・
人の気持ちを軽率に書き換えてしまって・・・」
桃「シャミ子さ 私の夢の中勝手にいじった事あるでしょ」
(中略)
桃「仮にシャミ子がそんな力を使わなくても いずれ私は絶対にシャミ子のことを好きになってた!
がんばりやだし 見てて面白いし ・・・かわいいし
それにシャミ子の行動が・・・幸せを増やしたことが私は間違いだと思わない
誰に間違いだとも言わせない」
シャミ子「そ・・・な・・・あの・・・」
桃「・・・はい洗脳完了」
シャミ子「・・・え?
せ・・・洗脳!?」
桃「『つけこむ』・・・寄り添って共感する力なんて誰でも持ってるんだよ
シャミ子は弱ってる人に共鳴する力がちょっと強いだけ
さいきんシャミ子を怒らせまくった反省を踏まえて子が言ってほしそうな言葉をかけてみた・・・・
どうだった?洗脳された?」
シャミ子「な」
桃「・・・これは私の想像なんだけどシャミ子が助けたいって思った子たちはみんな泣いてたんじゃない?
シャミ子が心の隙間に差し出したものは間違ってなかったと思う」
(中略)
桃「・・・確かにその力は使い方間違ったらヤバいけど でも使い方間違ったらヤバいのは刃物も炎も筋肉も言葉も・・・この世のすべての力がそうだから
・・・それにねもしシャミ子が道を間違えてもシャミ子 にはもう宿敵がいるでしょ
シャミ子が世界の宿敵になる前に 私が殴り倒すよ
・・・安心した?」
シャミ子「・・・怖いです きさまそれでも魔法少女か」
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虚空 ちょっと確認なんだけどさ、ここでいう「洗脳」ってどういうことなの?それから、相手を洗脳っていうのは誰でもその気になれば出来るっていうことなんだよね?

諷虹 多分ですけど、 シャミ子が洗脳という言葉の重みを感じちゃっているから桃があえて洗脳という言葉を使ったんだと思います。

虚空 だからその洗脳の意味


諷虹 シャミ子が夢の中でこっそりと働きかけたことが実際に無意識のうちに行動に出る
虚空 そうすると、誰でもできる、っていうのはどういう原理?
諷虹 夢魔ほどではないにしても、相手が欲しい言葉をかければ気持ちや行動をコントロールできる、っていうことですかね
虚空 言語操作性の一種?
うちのあの親戚なんかは、それが上手だと自負してるんだよね。若い頃から。こうすれば相手は自分に都合よく動いてくれる、っていうテクニックを上手に使いこなせていると。本当は逆らうと面倒くさいから周囲が善意で合わせてくれているだけなんだけどね。でも結局は自分の思い通りになるんだから、相手が本心であるかどうかは全く問題にしないんだよ。

ところがね、自分なんかは「誰がそんな安い手にのるか」っていう気があるから、思惑通りの行動をしない。そうすると激怒するんだよね。「あんたには人の心が分からないのか!」「だからあんたは要領が悪いっていうのよ!」とか。

通用しないだけなんだけどね。
でも、ここでの洗脳・・・特に今書き出してくれたところでの「洗脳」っていうのは、そういう相手を都合よく動かすっていう意味での洗脳っていうのとはちょっと違うように感じるんだけど・・・

諷虹 それこそ「共感・共鳴」なんでしょうね。それが「相手との共感」があっての「動こう」との違いなんでしょうね。
ここですよね。
桃「『つけこむ』・・・寄り添って共感する力なんて誰でも持ってるんだよ
シャミ子は弱ってる人に共鳴する力がちょっと強いだけ
さいきんシャミ子を怒らせまくった反省を踏まえて子が言ってほしそうな言葉をかけてみた・・・・
どうだった?洗脳された?」
虚空 つけ込むと言っている割にはさ「共感」って言っているのが常識からすれば変じゃない。それこそ今朝のゲゲゲの鬼太郎の水虎なんかはさ、人間の心の隙間を狙い撃ちしてつけ込んでくる・・・まさにつけ込むだけど、この言葉って違うニュアンスに感じる

諷虹 夢魔だと「共感・共鳴」関係なく、操れてしまう・・・だから桃が「その能力のヤバさに気づかないなんて戦闘センスが無いっ 私なら悪用する方法の100や200簡単に思いつくよ」なんていう場面もあります。でも シャミ子は魔族のくせに悪用の仕方が全く思いつかない。
 シャミ子の魔力発動の言葉が結局は「みんなが仲良くなれますように」なんですよね。(1巻)・・・心優しすぎる・・・これが根元的な願い。魔族らしからぬ。

虚空 そうするとね、ここでの洗脳っていうのはさ、自分の都合で相手を自由自在に操るという意味での洗脳じゃないよね????

諷虹 人間の持つ共感能力が人一倍この シャミ子は強い。だから仮に夢の中に入り込んで操ろうとしても、悪意がそもそもないから、相手のためを思っての力の使い方になっている、っていうことなんですよね。
その象徴がこのセリフ
桃「・・・これは私の想像なんだけどシャミ子が助けたいって思った子たちはみんな泣いてたんじゃない?
シャミ子が心の隙間に差し出したものは間違ってなかったと思う」
虚空 それでね、さっきから書き写しているやりとりなんてみんなそうなんだけどさ・・・そしてそのことと「共感」っていうのとがつながるんじゃないか、って思っているんだけど、それが、やっぱり今回T・K先生から紹介された上原先生の言葉「英才児の観察力」なんだよね。
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これは結論を急ぎすぎてるかもわからないけど、個人性すらないんですよ現象を見てるんです。
一般的な言い方をしてしまえば観察してしまうんです。観察するから長いんです。(中略)もう1年生以前からこういう習性がついているからものを見るときには、こんな姿勢が出てくるんじゃないかなと思うんです。
 そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。そういう意味でこちらの意識ではなく物自体についていく。個性個性というけれども、実は個性が捨てられているからっていうことになるのではないか。
 
・・・・彼らは決して人間関係を取り結ばないから、絶えず自分の世界にいる。
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T・K先生に対する虚空返信メールの一部
先ほど、木曜日に送信をし忘れていたメールを送ったわけですが、あの時点では「観察」ということが意識の中にはありませんでした。
 
送信後に自分の書いた内容をふりかえって違和感を感じ・・・「観察」という点を踏まえて考え直しました。
 

英才児にとって、通常の「作文」は科学者のような視点での「観察結果の報告文」というのが主眼なのだと・・・そこに個々人によって、をれらを踏まえての想いや感想やイメージを付け加える度合いの違いが加わるんだ・・・そんな風にきちんと位置付けて考えるとスッキリと整理できるのではないかと思いました。
 

イマジネーションの世界が大事、基本、人間のベース・・・それは私も全く異論はないことは再三申し上げているわけですが・・・どうしても「イマジネーションがすべて」という想いが強いと、「思考」とか「知識」が作文に入り込んでくると、イマジネーションの世界にブレーキをかけてしまうものという対立構造でとらえてしまう・・・それがここ数年の溝となっているわけですが、上原先生の視点をきちんと踏まえて考えてみれば、やはり両者は全く対立などしないものだということがはっきりすると思うんです。
 

「夢か現実か」ではなくて「夢も現実も自由自在に入れ替える」そういった境地に高学年以降は・・・という先生の言葉も、「直線的」「平面的」に二つの世界を行ったり来たり自由に切り替えられるように、とつかまえてしまうと、やはり根本的には両者を対立概念としてとらえていることになってしまう。
 

でもそれを・・・・例えばこのところよくコバルトブルー君が卍マークの回転に例えているのですが・・・両者が同時に回転することで もつれあって (これも量子論の「量子もつれ」から取り入れている言葉です。「君の名は。」の紐がもつれあって時空が・・・というのとも関係ありそうです)ととらえると、どちらも表裏一体で発展していくもの、という構造がみえてきます。
 

昨年の作文でいえば、あのように「生命」や「宇宙の振幅」について自分がとらえている知識も含めて、自分が意識できていることを「観察」し「主観を交えないような構えで報告(記述)」できている。だからこそ、あの授業のような場では宇宙とも共振していけるようなイメージ運動が発動できる。
 

「どちらも自由にできた」ととらえるのか、「あの説明的な作文があのように書けたからこそ、イマジネーションも深まった」ととらえるのかは、英才児に限らず、教育全体のカリキュラムを考えていく上であいまいにしてはならないことだと感じています。

(それがやはり通常の教育現場では中学校や高校以降にこそものを言うのではないかと。難波先生が学会で発表されたことの裏付けにもなるではないかと)
 

この前も書きましたが、こうしたことは特に変わった視点でも何でもないと思うんです。
 
そこれそ自分の感性・自分の世界こそが生命である 芸術家の方々が、デッサンなどの訓練をカチッと行う・・・だからこそ独自の世界を生みだせる・・・それと全く変わらない。
でも国語だと何だか急に両者は相いれないもの同士とみてしまうのは奇妙なことです。
 

そんな視点で、あの中2のツボ作文なども読み返すと、また違った中学生の実像がみえてくるかもしれません。
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虚空 ちょっと引用が長いけど、これをふまえて今の「まちカドまぞく」の転載部分を読み返すとさ・・・

つまりね、「共感」のもとになっているものが「観察」・・・ シャミ子も桃も二人のやりとりって「観察に基づいた事実確認」が沢山出てきてると思うんだよね。

しかも夢の世界の深いところに踏み込もうとしている。無意識世界が知らず知らず汚染されていれば、掃除する。

日本神話でいうところの「黄泉の国(世見の国)という現実にどっぷりと漬かった上での禊・祓いっていうのが、まず日常などの現実的なことをとことん観察して、事実だけをキャッチしていく。その段階があってこその次のステップ。

だからさ、無意識の中がドロドロに汚れるのだって、現実生活を逃げずに送っているからこそだよね。別のアニメでいえば「世話焼き狐の仙狐さん」だよ。あれだって、ブラック企業で命をけずって働いているキャラだからこそ、「おうち気分」を仙狐さんが保証してあげる話じゃない。
汚れがあるから掃除も禊もできる。そしてきっとこの「落差」が神々を産むエネルギーなんじゃないかね。だからどっぷりと黄泉の国を通過する必要がある。

さっきの例だと「悪魔」や「魔女」が神仏の世界の境界領域に存在している。
この二人のようにね、夢の中の深い部分を・・・しかも「闇のお姉さん」とか「優しい闇」なんていう意識でね・・・そこをいろいろと知っていくことが「共感」になっていく、というプロセスがね、上原先生が英才児に見いだした構えと通じていると思うんだよね。
メールの中にも書いたけど、現代社会って「競争原理」とか「成果主義」が蔓延しているから、「すぐに分かった」「もう分かった」っていうポーズをどうしてもとりたがる。
そうするとね、あらゆることを「観察」するんじゃなくて、パッと見でキャッチできることだけで「すべて分かった」って・・・中身は空っぽ・・・だから論理性や知識が「縛り」にしからなないんだと思う。何の「共振・共鳴」も起こせない。

本当に世間の常識や自分の勝手な思い込みを超えていくためには、この英才児の構えっていうのは、誰でも獲得する必要があるものだと思うんだよ。
そうすれば、高学年とか中学生、高校生以降の全教科領域に関する「思考」も「知識」も意識のベースを整えるための大きな武器になるっていうことが分かってくるんじゃないのかな。
現実世界のいろいろな観察結果を重ね合わせれば重ね合わせるほど「黒」になる・・・こじつけじゃなくてね・・・だから「闇の世界」はあらゆる可能性を孕んでいる、内在している世界。
そして心の世界というか「神の世界」は光の世界というふうに例えると、重ね合わせが「白というか透明」・・・闇と光が出合えば「光」が闇を包み込む・・・
仏でいえば、罪深い存在だった「母性」が「慈母」に相転移する感覚。
仙狐さんだよね。浄化。
それを「内なる世界」でやって「帰る=孵る=甦る」を毎日やっている。
家ではなくても、「おうち気分の本質」を感じ取れる世界を自分でいろいろと拡張できる人間は、外の世界でも頻繁にリフレッシュできるかもしれないし、現代のように「家が最も危険な場所」とか、まあそこまでいかなくても「勉強したの!」と追い立てられるようにおうち気分になれない子ども達が、どう「家」の代わりの場を保証されるのかというのにも関わる。
これだって本人が心からそう思えなかったら、ダメなんだからさ。
そうなってくるとね・・・あの雑誌2号の座談会後半の「型」の問題が重要なキーワードになってくると思うんだよ。
*メール内容をみながら
諷虹 「没我」・・・「没 我」・・・こことつながりそうですかね

ごせんぞ「・・・嫌な思い出なんて記憶を掘れば誰にでもある
むしろああいうのをちゃんと埋め立てて笑顔で過ごせているのはおぬしと周辺の心が健やかな証だ」
ごせんぞ「余も基本負けた記憶は即座に埋めておるぞ!!おかげでいつも尻尾ピンピンだ!」
虚空 これだって、自分と言う意識とか感情とかイメージを捨てることじゃない。
科学者の観察モードなんだよね。

没我状態でのイマジネーションっていうのも、イメージ運動をコントロールしようとか、いう意識がない。こんな想像なんておかしいかな、とかいうブレーキもかけない。
これは自分のイメージ運動そのものを観察していると、いってもいい。観察しているという意識もなく・・・没我状態で作文を書いている時は上手に作文を書こうとかの言語操作性なんて働かないよ。心霊世界でいう「自動書記」の感覚だよ。

だから書き終わってハッと我に返って、読み返したら「えッ、こんなこと書いちゃったの」なんて赤面する子がいっぱいいたからね、特に石崎小では。

おうち作文を書いた時にも観察報告じゃなくて没我だった。だから匂いを含めて体感とかも満載の作文。生々しいんだよね。
諷虹メモ書きより
*そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。
⇒物が変化することで流れになる。そしてそれをただ見ているだけで自分も動き出す(共振)
*広島から私の郷里、兵庫県なんですが、広島から帰ってくるその中に放り込んでいるんですね。
⇒まちカドまぞくの夢の中のやり取り(人生のターニングポイントに通りすがりの闇のお姉さんが優しい闇で包み込む)
⇒八神はやてと闇の書・Snow Rainの歌詞http://www.kasi-time.com/item-14429.html
*横川君の言葉でいえば自分の中に「橋」がない
⇒心の壁・ATフィールド・無意識領域(ドロドロの夢)
⇒シャミ子はそこに自由に入り込める(その人の記憶を観察できる→共感・共鳴)

☆「まちカドまぞく」からの心意伝承的考察①

2019年7月 13日 諷虹・虚空による夏アニメとして放送がはじまった「まちカドまぞく」と関連させながらの考察です。金城哲夫氏と上原先生の対談記事ないようもふまえています。

後半は「日本神話」にからんだ話にもなっていきます。
アニメ未視聴の方々にとっては、あいかわらず読んでみようという気持ちになりずらいタイトルだとは思いますが、これも教育とか人間全体に関わる問題として語り合っていますので、是非敬遠なさらずに読んで頂きたいと思います。
分量が多いので、アニメそのものに関する部分は一部カットしています。
諷虹 原作のリズムの方が面白かったかなって・・・
(原作をみせられる)

虚空 これって妹とかは出てこないんだね

諷虹 原作ではもっとあとからですね。

虚空 12話完結だから冒頭から出したんだろうね。
確かに原作ではお母さんと主人公の二人のやりとりだからポンポンというやりとりの4コマが積み重なっていくノリがあるよね。
そこに妹が絡んでくるからリズムが違う。

昨日の話でいえば、2拍子と3拍子の違い。


諷虹 自分の中で理想を高くしてしまっていたんですかね


虚空 理想っていうよりも、2拍子のノリが「まちカドまぞく」って思っていたのが、リズムそのものが違うから違和感を感じたんじゃない?


諷虹 キャッチボールが三角になっての・・・・

(改めて視聴)

諷虹 こうやって観直すと、ちょっと感じ方は変わりますね。

穀雨 3拍子っていうのを受け入れてっていうか、そういう風に切り替えたからだよね

虚空 12話完結を前提だから妹が最初から出ているんだろうけど、それはもう原作では妹がいないかのような出だしなのに、姉妹だと。これは世界構成員が全く違うわけだからね。やっぱり別モノって切り替えた方が楽しめるのかもね。だって、原作を読んでなかった自分には全く違和感がなかったから。

ついでにいうとさ、原作を知っているアニメで本当に面白いって思うのは、予想を上をいっていたアニメオリジナル要素が上手にはいっていた時だよ。

だからゲゲゲの鬼太郎の原作者がテレビスタッフに注文したのは「原作通りにやるな」だったからね。原作に忠実にやったら怒ったそうだから。

実写ドラマになった「悪魔くん」も「河童の三平」も原作とは全く違う構成の別モノになっていたからね。
今放送中のゲゲゲの鬼太郎6期もいろいろな意味でかなり大胆なアレンジをしているけど、すごく面白い話が多いよ。

その逆が、フルーツバスケット。今回のアニメ化では原作者が大幅に注文をつけているらしいんだけど・・・だから原作に極めて忠実だと思うよ。丁寧なつくりだしね。
でも正直言って面白くないっていうか感動できない。

声優さんが全面入れ替えでという違和感も一話からすごくあったけど、新しい人達の声を受け入れないといけないだろう、って思うから、新シリーズがはじまってから、一度も旧シリーズはみていない。そんな状態で3か月以上たったけど、なじめない。

旧シリーズで何回みてもボロボロ涙がでてしまうエピソードがいくつかあるんだけど・・・それも放送されたけど、感動できない、泣けない・・・。

これって単に声優さんの問題だけじゃないんだ、っていうのが昨日からのことで・・・つまりあまりにも原作漫画のトレースというか文体に沿い過ぎていて、アニメとしてはつまらないというか感動できないというか・・・・


諷虹 まちカドまぞくのことだと、じゃあ原作のテンポでやったら面白くなったのか・・・

虚空 テンポが変わってしまった大きな要因が登場人物の数なんだから、妹も登場している状態で2拍子っぽく、っていうのがちぐはぐになってしまうかもね。

諷虹 まあ、自分の中でスッキリしたんで、もう一度みれば一回目よりずっと楽しめるかな、とは思います。


虚空 最初にイメージを作り上げすぎていると、その上をいって面白がれる時もあれば、違和感ばかりが、っていうのはあるよね。上をいった例が「上野さんは不器用」だとか「川柳少女」かな・・・。

あとはさ、趣旨が全く自分のこれまでの世界観の中になかったアニメ。「ゆるゆる」なんかそうだったじゃない。「百合」なんて全然知らなかったから勧められて観た時に楽しむどころじゃなくて、「何なの?あの世界???」って。

でも解説されて「そういう世界なの」って了解して観直したらすごく楽しめた


諷虹 そういう意味では一話って大切ですよね。


虚空 それがさ、最近のアニメって、原作を知っているのを前提に世界観について何も紹介しないで、っていうのも多いだろ。そういうことに貴重な尺なんて使えないから。
ちゃんと世界観が紹介されているけど、観る側が勝手な常識の尺度で作品の世界観を拒絶して、っていうのもあるよね。「異世界はスマートフォンともに」なんてその典型。
(中略)

諷虹 まさしくね「まちカドまぞく」に出てきた魔法少女が、本名が「千代田桃」で、魔法少女になった時の名前が「フレッシュピーチ」なんですよね。

魔法少女と敵対関係にある魔族の主人公は「ツノ」が生えたわけですし。
まさに桃太郎の鬼退治。で、鬼は負ける宿命。
それを鬼の側から描いているんですね。


虚空 なんだか出来過ぎの話だね!

(変身シーンの画像をみながら・・・原作にはないオリジナル)

虚空 ものすごく下世話な発想なんだけどさ・・・今の画像で変身後にチラッとピーチさんの髪の毛が写ったじゃない。上をグーッと向くように描いていた。みようによってはね・・・。
で、そのあとのやりとりで周囲に描いてあったモモの絵もとがった方を上に描いている。雌雄同体の象徴のように見えちゃう(苦笑)・・・(これも原作にはない描写)

テレビスタッフが意識しているかどうかは分からないよ。でもね無意識にそういった画面構成とか演出をしている可能性はあるよ。それこそ難波先生が今再注目しているフロイトなんかだと、きっとこんな風にとらえたんじゃないかな?

諷虹 このあと、ダンプを止める力強さの象徴めいた描写とか、あと餌付け・・・これはたびたび出てくるんですけど、さっきのきびだんご。

この二人は最終的には町のために共闘する関係になるんですよね。
だから作者が桃太郎を意識していたかどうかは分からないですけど、餌付けとかも無意識に日本人的な発想ででてきたのかなって。

これは完全な予想なんですけど、多分「桃」のモチーフになったキャラは、「まどか」がかなり入っているんじゃないかと思うんですよね。

ピンクの魔法少女もありふれていても、あのまどか・・・赤が中心じゃなくて、ピンクが中心の戦隊構図。それも新房さんの発想じゃないですか。

それが世界を作りかえるまでというキャラにまで。村を救った桃太郎・・・鬼の支配という村の構造を変えたわけですよね。そう考えるとね・・・魔法少女の運命を構造で示しているような・・・


虚空 いま頭の中に変なスイッチが入っちゃっているんだけどさ・・・ピンクって「赤と白」を混ぜて作るじゃない。日の丸のイメージの根元が「初夜」にある、って言う説もあるらしいけど、赤と白。初夜じゃなくたって、生殖の二大要素の色だよ。

昔18禁の映画を「ピンク映画」っていっていたイメージだってね。

あの国民的ヒットと言われた「君の名は。」だってそういう生殖に関わる見方をしようと思えばできるシーンが満載だったわけだよね。

でもそれは下世話な描写っていうんじゃなくて、日本神話の根元がそればっかりだから。
そしてそれが「世界定め」の根元でもあるわけだよ。国産みにしてからに。


諷虹 今魔法少女で検索したから「なのは」も出てきたんですけど、そういえばヴォルケンリッターのまとめ役「烈火の将 剣の騎士シグナム」もピンクだったし、なのはの魔法陣も桜色だし。


虚空 そこからもピンクのイメージってあるんだろうね。「桜」・・・日本人はもともと梅の花も大事にしていたというけどね、春の訪れの象徴として。梅も「白梅」と「紅梅」。どっちも咲き乱れている状態の偕楽園なんて遠くからながめると「ピンク一色」のようにみえるじゃない。

新たな生命の誕生・・・世界の転換っていうことでいえば、世界の誕生・・・そのイメージがいろいろな重ね合わせからピンクに統合されていくような感じだよね。


諷虹 原作の冒頭にある「まちカド駅前MAP」なんですけどこんなことが書いていありますね。
『森や山が近い閑静なベッドタウン。せいいき桜ヶ丘駅 を中心にお店は商店街、学校が並んでいます。桜の名所としても知られる穏やかでいい町です。』

それから千代田桃の義理の姉が「千代田桜」なんですね。


虚空 この駅名なんだけどさ「せいいき」って「聖域」と「生域」「生息」「性域」なんていうのが重なっているイメージなのかな???


諷虹 ストーリー的には「聖域」なんでしょうけど、平仮名表記だからこそ重ね合わせができるんでしょうね。
商店街の名前は「たまさくら商店街」で、のちのち出てきますが「たまさくらちゃん」っていうゆるキャラもでてきます。千代田桃が特別な想いを抱いていて、グッズを集めています。


ネット検索
たまさくらちゃん
たまさくら商店街を象徴するゆるキャラ。商店街の入り口には石像が設置されており[90]、町の人の間の人気も高く[91]、グッズも多数生産されている。またファンである桃は作中で便箋やストラップなどを使用している。
設定は「多魔市の大きな桜の古木から生まれた妖精」「特技は持っている茶碗から中毒性の高い飴を無限に溢れ出させる『バク宙あつあつおでん』」といったことが杏里によって語られている[92]。ショッピングセンターマルマ前の広場でも着ぐるみを使った出張イベントが桜ヶ丘商工会により行われている。
SNSもあるようだが、公式にも関わらずフォロワーは80人程度らしい[41]。
後に、デザインをしたのは白澤で、モデルとなった猫は桃の義姉である千代田桜が魔力を使い果たし、魔力のコアとなって消滅する寸前の際の姿であったことが明かされた[93]。このことが桜の足取りを追う手がかりとなる。
虚空 あと、さっき日本神話っていった時にシグナムの話がでたわけだけどさ、香取神宮の「経津主神(フツヌシの神)」も鹿島神宮の「建御雷之男神 別名 建御雷神、武甕槌神、建布都神、豊布都神、建雷命 等」だって、どちらも剣の神だからね。
現実的なしがらみとか、こだわりとかを切り捨てる・・・禊・祓いだよね。
一度はどっぷりと黄泉の国(世見の国)に浸かって、それを通過した上で、器も中身も一旦全部捨てきって、新たな器化が起きる・・・天照などが誕生する、っていう流れ
諷虹 しかもここに「雷」っていう字が入ってきますからね。フェイトの象徴である。
虚空 そうするとさ、自分自身と闘っていることにならない?
それは神話でいうと、スサノオがヤマタノオロチと闘って退治するわけだけど、それが自身と闘うような説があるよ。
諷虹 これって強烈なキーワードですね。
「出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立った建御雷神は、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主神(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。」
まちカドまぞくでこんな話になるとは・・・
虚空 そうだよね、予定では座談会記事を丁寧に追いながら考察っていう予定だったのにね。
でも今日のやりとりをふまえて後半なんて読み返すと、また全然違った次元でつかまえられて、やりとりできそうだよね。
(片付けモードになろうとしたときに)
虚空 あのさ、この「千代田桃」の桃のことばっかり出てたけど、「千代田」もね、君が代の「千代に八千代に」の「千代」に「田んぼの田」でしょ。農耕民族の象徴だよね。
つまりそこに「桃」という生命力の象徴を組み合わせた名前。
諷虹 千代田区1の1ですね。
虚空 あれ、魔族の子は何だっけ?
諷虹 吉田優子ですね。
虚空 吉の田んぼ の 優しい子、優れた子・・・ってことだよね。
そうすると名前からしたら、もう敵対じゃなくて「共闘」するしかないよね。
今はダメにみえても、それこそセーラームーンのダメキャラだった月野うさぎが、月のプリンセルであり、最終的には「セーラーコスモス」にまで進化するんだからね。
諷虹 二人の出会いのきっかけをつくったのが「ほえる犬」なんですよね。
やっぱり桃太郎ですね。
虚空 ついでといってはなんだけど、優子の魔族のような名「シャミ子」の正式名って?
諷虹 「シャドウミストレス優子」ですね。ミストレスって最も優れた女性とか、女王とか・・・
虚空 闇の支配者・・・昭和の感覚でいうと「愛と誠」で流行った「陰の大番長」ってところだね。(ネット検索 「裏番」とも)

☆金城哲夫氏 × 上原輝男先生 対談にからんで 「理数の発想とからめて」

前回の続き内容で、2019年7月19日  諷虹・虚空のやりとりです。
理数の発想と、人間学・教育学・民俗学の話題がめまぐるしくクロスしています。
あまり難しく考えずにお読みください。


上原先生の「意外性 は 実は 意外ではない」という指摘について繰り返し話題にあがっています。人間関係のコミュニケーションの隠れた基礎部分なのかもしれません。
 


 
「京アニ事件」に関して
虚空 この前から出ている 生活意識のパターンだけど、気に入らない時に堂々と相手に伝えて・・・という発想がないんだよね。無条件で叩き潰せみたいなね


諷虹 今朝も京アニで救われたという人が話していましたけど・・・だから恩人が亡くなったという感覚なんでしょうね


虚空 庶民同士での潰し合いというか・・・言語弾圧。
アニメの作品が気に入らないから過激なネット上の書き込みっていうのはこれまでもあったし、自分も別サイトでだけど散々攻撃されたことはあるからね。
いつ暗殺されるか、なんていうのも現実味を帯びてくるよ。

はからずも、サイゼリア会談の内容が悪い方向で懸念にていた通りになっちゃったわけだけど・・・やっぱり「意識世界」の構築の仕方そのものが相当歪んできてしまっているというのはいえると思う。

誰もが大なり小なり「妄想の世界」を構築して生きているわけだけど、それが反社会的なことになるかどうかの境目に何があるのか・・・・。

それも2号対談の中に隠されているような気がしてる。
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2号対談記事をふまえて

諷虹 自分でメモしておいたことなんですけど「子どもの場のとらえかた」と「流れ・動き」・・・

最初「場」ですけど・・・。物理的な話になると必ず出てくるじゃないですか。「重力場」「ヒッグス場」って。それをこの時代の対談で真っ先にとりあげているのが印象に残りましたね。
やっぱり「現象を見ているんじゃなくて場をみているんですね」。

子どもの時に観ていたものって、セリフとか話の内容とかそういうの全然理解できてなくても何故か好きで何回もみていた、っていうのはどういうことか


虚空 この前も話したけど、ウルトラマンと同じ頃にやっていたマグマ大使もね、夢中になって全話みていた。でもほとんどの怪獣とかは覚えていなかったんだよね。

あとは、ウルトラセブンのあとの「キャプテンウルトラ」円谷ではなくて東映が作った。これも全部みているハズなんだけど、覚えている敵はキノコのお化けみたいなバンデル星人くらい。
でもね、初代ウルトラマンとかウルトラセブンは本放送の一回観たきりでもほとんどの怪獣が印象にのこったしだいたいの話も頭に残っていた。

これは内容への記憶力の問題じゃないと思うんだよね。

この前コバルト君とも話したけど、児言態っぽくやった国語の授業って、結構子ども達が覚えている。
そういう違いって何からくるのかというと、やっぱり単に内容が興味深かったっていうだけじゃないと思うんだよね。


諷虹 後になって見返したときに、このシーンすごい覚えているな、とか、「このシーン好きだった!」って・・・でもそれがどうしてだったか全く分からないんですよね


虚空 今それを話してくれた時にも、声のトーンが大きく変化したでしょ。あたかもその時の感覚そのものが甦ったかのように。

自分の記憶では、学生の頃にレンタルビデオ屋さんっていうのが出来始めて、最初に借りてきたのが、仮面ライダーの旧1号のだったんだけど、OPをみた時に、毎週放送がはじまるのをワクワクしていて「始まった!」っていう瞬間の感覚そのものが甦ってきた覚えがあるよ。

それはさ、家庭教師時代にヒマワリフクロウさんのところでお姉ちゃんと一緒に時、セーラームーンをみせた時、OPが始まった時に、やっぱり同じような雰囲気だった。

覚えていたからっていうのとは違う感覚。今回の言い方でいえば「当時の型が甦る」ということで、当時の「感情やイメージが流れ込んでくる」っていうのが近いんじゃないかな。
「器」としての自分の中に。

それが上原先生が桃太郎を通して言っていたことかも。どこか思い当たるところがあるはずだっていう。


諷虹 結局自分の奥底にしまってあったことなんですよね。分からないのは「何故それをしまったのか」という感覚。今だったら心の奥になんかしまわないだろうな、って
大掃除をしていて、「アッこんなところにこんなのが」って思いがけないことがでてきた時の感覚


虚空 それがもしかすると「現実意識」に目覚め始めた時に「もう卒業」っていって封印していったものなのかもしれない。

このはな綺譚でも浜辺のあの子が小さい時の妄想の記憶というよりは、そういった「場」に伴う感覚を甦らせて、再確認していたじゃない。
そして、「すべてが」って受け入れた。
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(前回引用したばかりだが)
(過去回想 聞いて聞いて!いまそこで宇宙人見たの!!ほんとうだって、ほら!今UFOがいた!)
少女 子どものころは嘘でも構わないからわくわくした。
答えの分かり切った代わり映えのしない「現実」
妄想も空想もぜんぶ含めて「現実」なのにね。
アンタみたいな子があたしの傍にもいれば良かったのに。そしたらあたしはあたしを否定しなくて済んだ。
柚 いらっしゃいますよ。きっとまで出会っていないだけです。
わたしが今の仲間たちと出会うまで「仲間」を知らなかったように。
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虚空 ラインにも書いた「歪みを是正してくれるのがナマの人間同士のやりとり」っていうのも、この場面だよね。「アンタみたいな子があたしの傍にもいれば良かったのに」っていう。
もしかしたら秋葉原の犯人とか今回の犯人も、全然違う人生を歩んでいたかも


諷虹 しかもあの話って、実は身近にいた、っていう内容じゃないですか。
顔はしっていても出合ったことにはなっていない


虚空 そういうことが本当に多いと思うよ。
だってスマホとかであんなに密にやりとりをしているようで、互いに「演技ごっこ」しているようなもんだもん。

諷虹 「流れ・動き」ですけど・・・ここでは紙芝居よりもアニメの方がスピード感をもっているという風に書いてあるわけですけど、「流体」の「風」とか「水」みたいな・・・動きを伴いながら変化する。

何故か自分のメモの中に「波紋」ってあるんですけど・・・ここに「石を投げる」、っていう発言から連想したのか・・・覚えていないですけど・・・

虚空 まあ、今夜の映画(天気の子 のこと) を楽しみにね!


諷虹 紙芝居って子ども達が集まっていてリアクションをするじゃないですか、ツッコミをするとか。そういう風シンクロ・共鳴っていうのも起きるかな、って。
今もツイッターで放送中に書き込みを入れながら(実況)というのが流行っていますけど・・・この紙芝居感覚なのかな、って。


虚空 一人で観ているんじゃない、という実感が欲しいのかね。誰にも干渉されるのは嫌でもさ。そういう書き込みをするメンバーは「YESマン」同士でしょ?だいたい。
昭和の家族が同じ居間で番組を観ている時って、それこそ世代間ギャップが飛び交ってやかましい、っていえばやかましかったよ。母親が気に入らないようなシーンが出てくると「消せ」とか騒いで



諷虹 実況の書き込みをみると「こんな受け止め方もあるのか」っていういろいろな発見
もありますけどね。


虚空 それが「添加」っていうかさ、「自分の枠を広げる」方向にいけばそれは豊かさにつながるんだよね。

で、聖徳の子なんかは、それができてしまう。論理性も武器にして。相反しているかどうかは関係ない。だって「場合わけ」をしている感覚だから。

これが、「こんな考えの人もいるかも」っていうように相手の気持ちを想像しながら「どんな場合があるかな」ってやっちゃうと、「これはあり得ない」って勝手に切り捨てる。
聖徳の子はそこがちょっと違うんだよね。倫理的に場を想定していしまう。気持ちとか、そそれがあり得るかどうかの可能性の考察は後回しなんだよね。


諷虹 数学とかやってて、その公式とか数式を考え出した人と同じ気持ちにリンクできるとすっと理解できるってのがありましたね。これこれこういう理由だからこれを用意した・・っていう背景がわかると「なるほど!」って腑に落ちるんですが

そういう意味ではカントールとは共鳴できませんでしたね。無限の集合を用意して、それを体系づけるっていうのが・・・晩年は精神を病んでしまったって話も残ってますが、カントール自体が「無限」の世界とリンクしすぎてしまって人の域を外れてしまったのかもしれませんね・・・


虚空 生まれるのが50年早すぎたとか・・・そういうことだよね。周りの人とあまりにもみえているものが違うから。数学界でも相手にされなかったんだよね。相当孤独だったと思うよ。
「無限の濃さ」なんてね・・・無限は無限で同じだろ、という世間の見方を根底からひっくりかえしたんだから。

ニコニコ大百科
しかし集合論は無限をまるで普通の数のように扱う大胆な理論故に否定論者も多く(特に有限の立場以外信じられないとしたクロネッカー)、またあまりに無限の世界に踏み込み過ぎたためか、カントールは次第に精神を病み、40代以降の後半生をほとんどサナトリウムで過ごしたという。数学の持つ自由と狂気を代表する一人といえるだろう。


虚空 この「数学の持つ自由と狂気」っていうのがかなり言い当てているよね。
やっぱり「論理」とか「手続き」だけで話が進んでいくわけだよね。だから常識のブレーキをかけない限り、どんどん人知を超えていける。常人の枠を超えられる。

それだって、ちゃんと自分の無意識の奥底にあるものなんだけどね。ないものは出てこないんだから。

で、物理学者なんかは、学問の性格上、数式の変形にあとから現実を対応させようとする。そうすると全く思いがけないイマジネーションの世界が広がるわけだよね。
インフレーション宇宙なんて、リアルに想像しようとしたらものすごいっていうか、それこそ人知をはるかにしのぐイメージ世界だよね。


諷虹 一時期巨大数を調べていたことがありますが、いかにスマートな書き方で無限のすごさを記述できるか・・・しかもあれは自然数の世界なんですよね。


虚空 「流れ・動き」にしてもそれこそ無限に考えられる・・・。それを圧縮する知恵


諷虹 (無限を利用した最近はやりのウィルスについて)

虚空 日本の笑い話だかなんかにもあったよね。寺子屋で「一、二、三」という漢字を習った子が家に帰ってきて親に自慢する話。「もう習わなくても全部の字が書けるようになった」って。確かオチは・・・よく覚えてないんだけど「万八」さんに出す手紙の宛名を書いてくれとたのまれて、いつまでたっても出来たといってこないから部屋を覗いたら「まだ・・・つ目までしか書けていない」って。


諷虹 そういうのでは位取り法っていうのがすごかった、って何かの本にありましたね。数字としての文字の数は10種類でも、それですべてが表記できる。


虚空 指数をつかえばもっと圧縮。


諷虹 そういう意味で言うと3ケタ4ケタのひっ算っていうのはすごい高度なことをしていると力説していた人がいました。


虚空 もう同じ手続きのくりかえしだからね。
ただ、さっきの笑い話はそれが裏目にでるのを利用しているわけだよね。それじゃ不便な点があるから改善された

(「これでなっとく! 数学入門 瀬山士郎 ソフトバンククリエイティブ)

虚空 (P22の内容から・・・ローマ数字や漢数字の限界を突破)
「0」」の導入の偉大ささよね。
ない数に数字は必要ないだろうという常識を打ち破ったからできた飛躍。

数学でも上原先生の用語にしてもそうだけど「辞書的に意味を知る」っていうのは、全然分かったことにならないし、使いこなせないところがあるよね。
その根元にある「型」とか「構造」をつかまえる。

コバルト君とかヒマワリさんなんかは「パッ」と構造で物事をとらえるから、新たな言葉を自然にバンバン使っていくだろ。添加力がすごい。

諷虹 今ここにある記述・・・(対談記録 P37)

『上原
 そういうことですね。簡単に言うと、子どもに桃太郎の本を見せるときわめて初歩的な段階では一場面一場面としてしかとれないわけですよ、「ももから生まれた……」とね。それが、どんどん大きくなるのが次に出てくる。

ところが、いま、要求されていることは、場面ごとにパンチがきいていて強烈でなくてはならない。と言うことは、次の場面と切り離されていることが、子どもに受けがいいということなんでしょう。全体の中の部分、部分と集合としての全体を子どもは、どこかで習得するわけでしょう。その関係のしあいを、いまは、問題としている。そうなると、その辺に秘密がある。』

ここの集合っていう言葉に線をひいたんですけど・・・。でもこれは「部分集合」っていう意味ではないんですよね。「部分」と「集合」としての全体。


虚空 それが「同時に」っていう感覚?


諷虹 断片的でありすぎて、集合になっていないという意味でなんですかね。


虚空 それが近いかもね、この文脈では。
たとえば個々にインパクトがあるというつかまえかたから、そこに何故インパクトがあるように設定されているのかの意味を全体との関連で考えられるように、いつかなる。


諷虹 でかい模造紙に絵を描く時に、思い付きで書いていく感覚のような、そういうつかまえかたなんですかね。
ただ、犬がでてきた、キジが出てきた、・・・そういう登場でパンチがある。
鬼が島にいく道筋で出合っていったというのではなくて


虚空 人生なんてまさにそうじゃない。日々目の前に何かがおきて過ぎていく。あとになって人生をふりかえった時に「ああ、あれがあったから今の自分があったんだ」って意味付けをする。それがトランスフォーメーションによって「過去もかえられる」っていうことだろうしね。


諷虹 シロバコの大御所がみんなそれをいっていますよね。ただ目の前仕事をやってきただけとか、好きなことを追い続けただけ・・・それがやがて重鎮のようになっていく。


虚空 京アニスタッフさんたちは、まさに地道に愚直にそれを積み重ねてアニメ制作してきたんだろうにね・・・・
(SHIROBAKO の関連シーンをみる・19話)


再び「意外性」について
『上原
 ちっとも変わらないっていうことね。……ところが僕なんかはね、実は意外ではないんだという考え方をしている。つまり、作られるべくして作られていった作品であって、川上から桃が流れて来るのも、驚かしてやれなんていうでまかせじゃなく、日本人にとって完全な意外性でなく、予期されるところの意外性なんだな。

日本人の感覚にぴったりした意外性であるから、あの話は今日まで伝承されて来た。子どもにとって、完全な無縁性ならぱ、その作品は当たらない。わからないということになってしまう。期待される意外性でなくては、やっぱりダメなんだと思う。』



虚空 「意外性」っていうことなんだけどね、この言い方を発展させて、「意中性」っていう言葉を使ってみたことがあるんだよ、以前。


具体的にいうと、上原先生が「夢」についての原稿をまとめる時に会員それぞれに下書きを分担させた時・・・自分は「手形占い」のことで書いたんだけど・・・

雑誌15号 「子どもと夢 夢は体感とともにあり」のP101
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/45181/20180313150148259518/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_15_96.pdf
下書きでは自分は「意中性ともいうべき やっぱり との感覚」ってしていたんだよ。そうしたら先生から電話があって「言葉を少しかえるけどいいか」って。
で「的中性」に変わっていた。

『 この内容の真偽はともかく、今問題にしたいのは、ある出来事に対して、子どもが「えっ?」という意外性ではなく、的中性ともいうべき「やっぱり」との感覚を伴わせていることである。夢の世界での出来事に、現実の世界現象の原因の説明ができるとするこの符号性はどこで獲得するのであろう。世にいう。夢うらない‘である。』
諷虹 その話をきくと、「意中性」よりもかなり精度があがっている感じですね。
さっきの昔の映像をみた感覚のように「スパッと射抜かれた」ような。
核心に一気に迫っている。

まさに的なんですね・・・的を射る。


虚空 自分では意識していなくてもね。
それこそ心意伝承として無意識にはあったものが、突如甦った感覚かな。
意識していないのに、結果としてはど真ん中を射抜かれた感かくだから「的中性」なのかね。


金城
 あの、意外性ってね、侯は、桃太郎の話だってものすごく意外性があると思うのです。でっかい桃が、どんぶらどんぶら流れて来るわけです。まずこれが意外性ですよ。でっけい桃だなと婆さんが、爺さんの帰って来るのを待って切って見た。中から赤ん坊がとび出した。これは猛烈な意外性ってわけですよ。鬼ケ島へ鬼征伐に行くでしよ。いぬ、さる、きじが家来っていうのもそうですよ。鬼退冶ですからね。ウルトラマンみたいなものですよ。これは。桃太郎というと一般化した話だと思うけど、よく考えてみると。


諷虹 桃が流れてくる事とか、桃から子供が出てくることを自然に受け入れたうえで、こっから先、何が起きるのかなモードでワクワクしながら続きを見ていく・・・


虚空 そこが先生の指摘なんだよね。何がおきるか分からないんだけど、無意識の奥底では「こんなことが起こりそう」っていいう予感になることはあるわけで・・・それと無意識にはコンタクトをとれている。

サイゼリアでも言ったけど、川上の山の上には神の世界があるということや、桃の実が生命力・・・生殖っていった方がいいか・・・の象徴の果物であるということをふまえるとね。

この前の「まちカドまぞく」でも、桃太郎を踏まえるのかな、って薄々感じていれば「ああ、だから犬がここに出てきた」とか「餌付けされている」っていう場面の必然性がね。
あのさ、くだらないことなんだけどさ、桃太郎で出合う順番って犬さる・・・


諷虹 犬猿キジだと思います


虚空 キジはともかくなんだけどさ、犬に吠えられたあとで邪神像を落とすじゃない。転がりおちる。あれが手元から「去る(サル)」なんじゃないかな、なんてね。


諷虹 鳥と考えれば、階段をポンポン落ちていくんで・・・「跳躍」=鳥 ?
あと、お母さんが一族の呪いの影響で稼ぎすぎた給料を大きな鳥に持ってかれるエピソードがあって・・・


虚空 「うちの娘。」のことだけど、3話でさらに子煩悩っていうかデレデレだったんだけどさ、ラインでも書いたような母親に包み込まれた感覚の問題。

これって現実的な母親に限定して考える必要なんてないわけだよね。
「うちの娘」の主人公の冒険者の若者だって、ちゃんとそういう役割を果たしているから。

諷虹 今の親での母親と父親との役割分担の話がこの前も出ていましたけど、仮にそれが片親だったにしても、どちらの役目もしていれば、っていう


虚空 ある先輩の先生に昔言われたんだけど、「先生、っていうよりも親・・・お母さんってみられてるかもね」って。確かに子どもらが時々「お母さん」って話しかけてくることはあったんだけど「お父さん」って言われたことは一度もないんだよね。

諷虹 ゆゆ式にもいますよね、お母さん先生


虚空 でもあれは若くても一応女性でしょ。
ただね子どもの認識の仕方は型なのかもしれない、っていうことでは、あの頃はうんとお腹がでていたから・・・

よく1年生には「ねえ、一体いつ産まれるの?」って大真面目に聞かれることもあったよ。そんな時に「先生は男だから産まれないよ」っていいうのも野暮だから「いつだろうね」とか「先生にもわからないんだよ」なんて答えていたんだけど。


諷虹 ゆゆ式の松本先生にしても、仙狐さんの尻尾にしても大きなものに包まれる感覚ってやっぱり母性ですね。昔の聖母とかってふくよかに描いていることが多かったですよね。


虚空 今のダイエットは、業界によって作られたイメージだからね。金儲けのために。


諷虹 まちカドまぞくのお母さんも白い割烹着をいつもきているじゃないですか。
母親感がすごい出ているよな、って


虚空 割烹着って給食のときしかみなくなってるんじゃないの?今の子どもは。
今のお母さんはせいぜいエプロン。


諷虹 商店街を割烹着で買い物かごをもって歩いている描写なんて、すごい昭和感ですよね。


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『上原
 怪獣ていうのも、やっぱり期待された人聞じやないけど(笑)、期待されたものだったと。

金城
期待されたものだったでしょうね、いまヒーローがいないんだから。(笑)』


諷虹 怪獣を望むものの根元ってヒーローを望んでいるんだろうな、って。

ここの隣には「破壊衝動」ってメモ書きをしているんですけど・・・これも昨日の今日だからなんでしょうけど、テロとかそういう破壊行動に出ているというのは根幹では「救いの神が現れるのを望んでいるのかもしれないな」って。


虚空 淀みの解消というかね、マンネリや惰性は「死」と同等だからさ・・・ニュートンの慣性の法則のように。だから「いい風をふかせる」という「再生」という意味では大事にしていたと思うよ。

だから安政の大地震のあとに、あんな鯰絵が流行ったんだろうしね。町が新生するための起爆剤になってくれた感覚。

でも、秋葉原にしても京アニにしても、そういうものは産みだしていない。


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 もう少し聞きたいことがあるんだけど……三十分ドラマで一話一話完結式の連続ドラマっていう形式について。……子ども向きの十五分形式はまだないですよね。

郷右近
 「ひょっこりひょうたんじま」があります。

上原
 あっそうか、とにかく、いまでき上がっている形式は、考えに考え抜かれて、今日の形式を生んできたのではなくて、子どもにとって、これが一番正しい所だからというようにしてきたものではない。ですから、そういう面での、研究とか改良だとかについての、お二人の考えはどうですか。
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諷虹 これなんて今は15分アニメなんて普通にいっぱいありますからね


虚空 実質3分の5分アニメもね


諷虹 それの本質って自分の中では何だろうと思うと、30分ではちょっときつい(設定が重たい)内容でも、割とぶっとんだ内容でも15分だと観ていられるかな・・・

これって「夢心地」とか「夢世界」なのかな、って。

今夢っていう言葉で、一昨日みた夢の世界なんですけど・・・。巨大なショッピングモールみたいなところで、下調べの段階では「あ、ここに目当てのものがある」って見つけて、最初はそこにたどり着けたんです。で、そこから隣に並んでる関連した物をどんどん追っていくうちに深部まで迷い込んでしまって、結局自分の足で最初の目当ての場所に戻ることはできなかった・・・っていう迷路みたいなところに迷い込む夢だったんですけど

アトラクションの迷路とかも自分の足で出口を探してるときと、地図で見て入口と出口を探している状態・・・俯瞰・鳥瞰の状態だと同じように楽しんでいるようでもどこか冷静に、論理的に処理してるところあるのかもな・・・って起きた瞬間に思ったってのを思い出したんですけど

(シノハユ11巻 鳥瞰のシーン)
虚空 鳥瞰し終わったときに、ハッと夢から醒めたようなシーンがあったじゃない
あれも今対局中っていう現実意識から飛んじゃっていたってことで・・・だからこそ麻雀とは直接関係ない描写まで見えた。


諷虹 地図上でみているときには冷静な自分もいるじゃないですか。
実際に歩いている方が得ている情報も多いし、ベンチに座ってそこで時間をつぶそうかな、とか。地図だったらなかなかそうは思わないじゃないですか。

『上原
 それがというのは、十五分の中にテーマが盛り込めるかということでしょう・・・で。

郷右近
 いいえ、テーマではなく、十五分の中の山場です。それが短い中にはいるかということです。

上原
 それは、僕には気にならないんだな。そんなことよりも、それを縮約した形と考えなければいいのであって、三十分の、十五分には十五分の形式を見つけることだと思う。おとなであれ、子どもであれ十五分のパターンがあるというのではなく、子どもの見るパターンを発見してやるというふうに、私は考えたいのです。』

諷虹 阿知賀編もそうですが、麻雀自体を紹介するきっかけになったキーワードが「山」・・・そこに今日最初にも出てきた「場」・・・。
二つの言葉が組み合わさってるじゃないですが「山場」って。

最も盛り上がった重要な場面。クライマックス。やま。「芝居の山場にさしかかる」

山場というと地理学としてとらえられがちですが、実際には「哲学的」というか、盛り上がった状態みたいなエネルギーの状態をあらわしているような言葉になっている。それを今までも違和感なく使いこなしている、不思議な言葉だなと。さっきの的中性なんかもあるのかもしれないですね


虚空 (このはな綺譚の)柚って、本人は全く自覚していないけど、相手のど真ん中を射抜くんだよね。「的中性」・・・的中率が抜群。

だから相手もハッとして、自分の意識世界を整理するとっかかりをつかめる。
自分の中の仕組みを自覚して整えられるからこそ、柚と分かれたあともちゃんのやっていける。


諷虹 柚がいうタイミングって、物語の山場で的中させるわけじゃないですか。一番エネルギーが高い状態・・・適時打(タイムリーヒット)。

そのタイミングだから、相手はハッとするんですよね。
そういう意味では「起承転結」の「結」の部分でピッタリと的中させている。だから結びの言葉になる。


虚空 これがそういう言葉だからこそ、印象深いセリフになるわけだよね。


諷虹 山場だから。2時間ドラマの断崖のところで犯人がわかるというのも、ハッとさせるものがあるんでしょうね。
別にどこでやってもいいやりとりを同じような場所でやる。
「山場」であり「水場」なんですね。