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☆「道」と「自然(じねん)」② 諷虹・虚空やりとり-1「空と自由」に関する歌あれこれ  2019年2月8日

現在放送中の深夜アニメ 「荒野のコトブキ飛行隊」の話題から (監督は ガルパン イカ娘 などの水島努)

諷虹 今回の冒頭・・・「でも、隼でこんなに長距離を飛ぶのは久し振りだもの。ああやって好き勝手に飛び回って、時々は思い出さないと。空は青くて自由で…そんな自由な空だから、私たちは飛べるってこと」・・・同じ何もないでも下界は荒野じゃないですか。
その対比が・・・
虚空 これってキリスト教とかの世界観に通じるかもね。山折哲雄さん(宗教学者)が言ってた、砂漠の国から発祥した宗教と、日本のような四季折々の自然に恵まれたところから発祥した宗教。荒野ばかりの土地だと、神の国は地上には見いだせないから天のかなたになってしまうけど、日本は身近なところにいくらでも神の国を感じられる場所がある、って。だから八百万の神々とか、あちこりに聖域があるとか・・・。
まだこのアニメの設定はきちんと明かされていないけど、第一話にちょこっと出てきたセリフ

《その昔、世界の底が抜けて…そこから色々なものが降ってきた。良いものも悪いものも…美しいものも汚いものも…色々なものがあった。そして今――再び世界は閉じられて、あたしたちは…色々なものを失いながら…生きている》

から考えるとどういう世界構造なんだろうね。世界の底がぬけて降ってきた、っていうんだからこの荒野の世界は下にあるわけだろ?じゃあ、この底が抜けた「世界」ってどの世界???
諷虹 パンドラの箱の考え方・・・しかしパンドラの箱とかラプラスの悪魔・・・よく分からないけど、どうしてか知らないけど意識にひっかかっているのはどうしてなんでしょうね。
虚空 このまま受け止めると、上空かなたに別世界があって、下に彼女たちの住む荒野の世界があって・・・・「自由な大空」っていうのはその二つの世界の間にある「境界領域」っていうことにならない?
諷虹 天空の城ラピュタ・・・・。あとそれに近い設定の何かがあった気がして・・・・(検索)「クロノトリガー」でした。浮遊大陸と極寒の地上とが二分されていて・・。

これに限らず「高天原」とかもそうですよね。あと「イカロス」とかが空から落ちてくる(ギリシャ神話 太陽に近づきすぎて蝋が溶け、翼がとれてしまい海に落下、死亡)

みんなの歌にもありましたよね・・・イカロスを歌ったのが・・・
⇒みんなの歌『勇気一つを友にして』 
https://www.youtube.com/watch?v=xQ930Dqyx4w
昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根(はね)
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして
赤く燃(も)えたつ太陽に
ロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼(つばさ)奪(うば)われイカロスは
墜(お)ちて生命(いのち)を失った
だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日(あした)へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして
虚空 イカロスのように果敢に攻めろ?
諷虹 無茶しすぎるなよ
虚空 無茶を奨励してるんじゃない?
諷虹 これだと地上は海になっていて・・・死んだにしてもちょいマシになってますね。
荒野のコトブキ飛行隊は、水と真逆の荒野って設定なんだなって、改めて・・・
歌つながりでいうと『翼をください』なんてはどうですかね。
虚空 今や新劇場版エヴァンゲリオンの劇中歌っていうイメージだね。
エヴァンゲリオン新劇場版 林原めぐみ https://www.youtube.com/watch?v=Upk5rWX9Pok
(『翼をください』歌詞検索)
いま私の 願いごとが
かなうならば 翼(つばさ)がほしい
この背中に 鳥のように
白い翼 つけてください
この大空に 翼をひろげ
飛んで行(ゆ)きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい
いま富とか 名誉ならば
いらないけれど 翼がほしい
子供の時 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている
この大空に 翼をひろげ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい
諷虹 「悲しみのない自由な空」って誰が決めたんですかね。
空戦ものだと、「オヤジや恋人が死んでいった空」っていうのがあるじゃないですか。
虚空 「ちいちゃんのかげおくり」でもそうだね。かげおくりをして遊んでいた空は空襲が激化して怖い場所になった、っていうような描写が確かあった。
諷虹 空は理想郷と隣あわせっていうイメージありますよね。地上は地獄とか。

この歌って受け止めようによっては「自殺志願者」の歌のようにも受け止めることができますよね。『今日の日はさようなら』にしても林原めぐみが歌っていた力ってすごいものがありますよね。
自由な世界へ・・・
エヴァンゲリオン新劇場版 林原めぐみ https://www.youtube.com/watch?v=1ZL2v30Pq5k
『今日の日はさようなら』歌詞検索
いつまでも絶えることなく
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで
虚空 別世界への強烈な憧れがあって、この世から離脱したい願望の歌・・・確かにそういう風にきこえてくるね。林原さんの雰囲気は。
諷虹 この歌が流れるところ・・・ダミープラグを使う・・・父親との決別を象徴するシーンじゃないですか。もうエヴァに乗らないって駄々っ子のようになる場面。
この前話題になっていた「覚醒」の場面・・・エヴァの暴走と本来の姿を現した。起承転結の起にあたるところですよね。
こうやってみてみると「空を飛ぶ鳥のように」って出てくるんですね。
虚空 最初に戻ったね。
諷虹 自由の象徴ですよね。進撃の巨人での「調査兵団」のマーク・・・「自由な翼」と呼ばれている・・・
あの壁の中は鳥かごみたいな発想ですものね。
虚空 昔浜崎あゆみのWhat ever プロモの中で最後に天使が鳥かごに閉じ込められているのは、誰が閉じ込めたのか、って中学生たちに聞いたんだけど、「社会」とかっていうのと「自分の心」っていうのと両方あったよ。
*中3の時のコバルトブルー君も混じっての発言
タカピー「これはね、あれだね、鉄条網と檻っていうのは周りにいる人達か自分に期待することのプレッシャーで自分がそれに壁を作っているような感じで・・・」

コバルト「これはもう心の中に閉じた悲しい思い出・・・。もう二度と出したくないようにぐるぐるまきにしている。・・・いや違う、わかった!檻の中にいるのは本当の自分で、この檻の外にいるのはただ人の言う通りに動いている」

ムラ仙人「この中にいるのは閉ざされた自分で、有刺鉄線とかは傷」

虚空「有刺鉄線とかは誰が用意したの?」

コバルト「自分の心!」
あの頃の浜崎あゆみの歌ってさ、ねこ娘さんに紹介されて初めて知って・・・プロモとかも録画して随分と集めたんだけど、どっかいっちゃって・・・。
でもあの世の中に大ブレークして、自分の実態がみえなくなってグチャグチャになっていた頃の浜崎あゆみのプロモとか、コンサートの演出とかはイメージ世界として興味深かったから・・・。まあ見つかってもビデオテープだからもうカビだらけで再生できないかもしれないけどね。 
諷虹 (駅伝アニメから)縛られずに自分の意思で自由に遠くまで走る・・・っていうセリフがあるんですが、今日の自由に飛ぶという話につながるかな、って。
虚空 自分の受け止め方はちょっとひねくれちゃって・・・あのこのはな綺譚8巻の人間生まれ変わりを拒否する娘の話・・・「鳥に生まれ変わりたい」っていうシミュレーションが全然期待通りでなかった場面・・・最初から飛べる鳥はいない、って言われてさ・・。あそこを思い出した。

自由っていうのは「楽」を簡単にゲットできるということじゃないよね。自分の意思が自由。その上で誰からの強制でもなく厳しい練習を自ら行うという意味なのに、現代人はどこか勘違いしてるかもね。自由に好き勝手していれば自分らしい人生が送れる・・・誰も俺の好き勝手を邪魔するな、とばかりになって結局は無法者になってしまっている。

そこがこの駅伝アニメキャラは違うんだ、ってちゃんと意識して観てればいいんだけどね。
うっかりすると「誰にも縛られない」という自分に都合のいいところだけしか意識にひっかけないで、「あのアニメでもそう言っていた!」と自分を正当化する理由に使ってしまう。
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☆「道」と「自然(じねん)」① 「学習塾ダンデリオン」ツイッター記事

やりとりのきっかけとなった 2019年 2月4日 「学習塾ダンデリオン」ツイッター記事の転載です
「お話」では東日本大震災のことなども例に出されています。
(老子道徳経 下編徳経65)古の善く道を為す者は、 以て民を明らかにするに非ず、将に以てこれを愚かにせんとす。 民の治め難きは、其の智の多きを以てなり。 故に智を以て国を治むるは、国の賊。...智を以て国を治めざるは、国の福なり。 此の両者を知るは、亦た稽式なり。常に稽式を知る、是を玄徳と謂う。 玄徳は深し、遠し。 物と与(とも)に反(かえ)る。 然る後乃(すなわ)ち大順に至る。
 【大体の意味内容】 往昔(おうじゃく)の、「道」理を善く体得した者は、それによって人民を明敏にしたのではなく、むしろ凡愚であるかのように配慮した。人民で治めにくいのは、自分の利に敏く、「道」理を無視した知識をやたらと振りかざす者たちである。だから功利的な知を重視した政治は、国を害することになる。そのような理知を振り回さずに国を治めることが、国家にとっての幸福につながる。この二つのことをわきまえることが、「稽式(けいしき)」すなわち「法則を稽(かんが)え実践すること」になるのだ。 言い換えれば、この世を成り立たせている「道」理を稽え、その「道」理に従った生き方を実践しようとする努力である。 常にこの「稽式」を知るべく修行すること、これを「玄徳」という。「玄徳」とは「玄(くろ)」くて深く、そして深淵(しんえん)なる生命の「徳(はたら)き」である。 万物が皆そこへと帰還するような、根源である。そのようにして我々は、「大順」つまり「大いなる自然(じねん)への順応」の境地に至るのである。
【お話】この章はよく誤解されます。「愚民(ぐみん)政治(せいじ)」を説くもの、つまり「民衆を愚かな存在にして、支配しやすくするべきだ」と主張していると決めつけられることがあります。しかしそのような浅はかでくだらない考え方とするのは、『老子』全体を読んでいない者の独断に過ぎません(もちろん、「愚民政治」を実行しようとする不届きな権力者や大富豪はたくさんいるので要注意ですが)。 
『老子』全編を通じて忌み嫌われている『智』とは、宇宙・自然・世界・時間(じかん)・空間(くうかん)・人間(じんかん)(『人間(にんげん)』とは本来は「人間(じんかん)」です)の力動的(ダイナミック)な均衡(バランス)をつかさどる「道(みち)」の「徳(はたらき)」をゆがめたり狂わせたりするような、 利益に偏(かたよ)った「智」なのです。
たとえば、東日本大震災で広範囲にわたって街が破壊され津波で流されてしまいました。この後、被災地域の復興のため30兆円規模もの巨額の金額が用意されます。世界第3位の経済大国日本の国家予算のほぼ3分の1に当たるとてつもなく大きなおおきなお金ですが、 被災した人々はきちんと救われたと言えるでしょうか。 到底そんなことはありません。

復興で発生する利権に群(むら)がる大手ゼネコン(general(ゼネラル) contractor(コントラクター)の略:大手の総合建設業者)によって、 放射能汚染も受けている現地での復興作業に伴う危険から、通常よりもはるかに割高の料金が国に請求されました。たしかに危険な現場で働く人々には一応割増賃金は支払われたものの、それでもはるかに高い利益を企業が得られるように計算されていて、まじめな労働者やボランティア、何よりも一番救援の必要な被災者の方々には、そこまで豊かな配慮が届かず、 手を汚さない大企業ばかりが「焼け太り」しています。
「焼け太り」とは火事などで保険金や見舞金などを受け取り、かえって以前より金持ちになることですが、 大手業者自身は「火事」にも遭(あ)わず、よその災害でどでかく「焼け太り」できるので、 災害があると目の色変えて「復興」へ群(むら)がるわけです。こんな風に、不幸があってもそれを最大限利用して利益を得ようとする「智」をどう思いますか。ここに挙げたのはほんの一例に過ぎません。 別にゼネコンだけがずる賢いわけではありません。
日本の様々な分野で、世界中で、道理を無視し、バランスを稽(かんが)みない「智」の行使が当たり前の様に行われています。 2500年前の老子がこのような「智」を何度もやり玉に挙げて批判しているということは、同じようなことはそんな大昔から繰り返し行われていることも意味しますが、だからといってあきらめたり認めたりしてよいとは思えません。

また、自分自身がこうしたずる賢い「智」の行使者ではないと、断定することもできません。そのつもりはなくても、自分だって当事者かもしれないのです。 常に自己批判の精神も、持ち続けなければならないと思います。

☆「自然(じねん)」についてのやりとり 諷虹・虚空やりとり版・・・「存在」「生命と燃焼イメージ」・・・第三項理論とも?

2019年2月2日 諷虹・虚空
ダンデリオンサイトから「自然(じねん)」という言葉について身近な例から語り合いが始まって・・・
諷虹 年配者の経験を中国では重視するんですかね
日本でいうお稚児さんとか神童っていう考えは少ないんですかね。

(風や雨による浸食の話)これって流体の関係ですね。自家発電や光合成のように・・・自分の中で起こっている核融合みたいな・・・。それプラスまわりの流体の影響。
<たまたまその場に存在したり、そうした現象に触れたりすることもそのものにとって宿命的な「自然」(じねん)に他なりません>
諷虹 先週だかのコンステレーション・・・そいつとそいつがその場にいることでの化学反応。何かしらの変化が起きる。磁石も一つなら何も起きないけど、二つ以上だから何らかの変化が起きるというような。
虚空 今キーをたたいていて「竜」が出てさ・・・「流体」を「竜体」ってとらえたら、なんて思っちゃったんだけど・・・。天と地を貫く存在、水神系というだけでなくて風・・・竜巻・・・とか稲妻とか、そんなのがひっくるめてのイメージがあるじゃない。サンズイをつければ瀧・・・新海誠監督も「君の名は。」の主要キャラは水に関係したもので付けたっていうけどさ。やっぱりトランスフォーメーションに関係する。
諷虹<明治になって西洋の様々な文化文明が入ってきて、日本語に訳せそうにない言葉もたくさん紹介されたので、漢字の組み合わせで「新しい日本語」が強引に作り出されました。「ネイチャー(nature)」もその内の一つで、もとからある和語では訳せませんでした。「世界の中で人間から独立して存在する物、大地、岩石、天候、植物、そして動物」>
っていうのが、昨日の「客体」という感じかな、って。観測していない状態・・・「主体がとらえた客体」のように観測されていない・影響されていない状態のそのもの自身
虚空 量子論的になってきたね。そもそも物質の存在って何なのかの哲学的な問いにまでなっていくよね。認識しないものが存在するのかしないのかというような。
諷虹 量子論の観測されると粒子、っていうのも「主体が捉えた客体」になるのかもしれませんね。「客体」は波であったりもする側面を持っている・・・
虚空 言葉をあてがうというのもさ、名称が与えられていないものとか知らないものは物質でも概念でも、「ない」とか・・・
諷虹 昨日の陰謀論じゃないですが、UMAとかUFOとかもあるという人にとってはあるし・・・
虚空 ちょうど先週の50円玉君とのかたりの関係で「パーソナルリアリティ」のことを調べ直していたんだけど、あれも「ある」って極端に信じ切った先に、意識世界のものが量子論の原理で現実世界に飛び出してくるっていうことじゃない。
アニメでは超能力の原理としているけど、そうでなくてもこの発想は現実にあてはまることがいろいろあるだろ。絶対無理といわれた発明もそうだし、受験だったら絶対受からないよ、と言われたところに合格とか・・・。
そのあたりの人間の認識の根本問題と「自然(しぜん)」と「自然(じねん)」との問題を考える必要もあると思う
諷虹 最後の
<「無為(ぶい)自然(じねん)」は、決して「怠けていろ」という意味ではなく、また科学技術や文明と対立するものでもなく、むしろ「nature(ネイチャー)」と対立するものなのではないかと思えてきました。万物の自然(じねん)を捻(ね)じ曲(ま)げるような営みをせず、私たち自身も含めた自然(じねん)を輔(たす)け、その力によって生かされるよう、努力すること。「今、私にどのような自然(じねん)が働いているか」感覚を磨いて冷静に受け止め、それに従って全力で生命燃焼することが大事なのではなかったか。>
それこそ今出てきたとあるシリーズの「科学と魔法」とか、現実社会でいう・・・「科学は自然を破壊する代償として発達する」とか・・・「デジタルとアナログ」。対立する2つのものがあったら、新しいものだけを良しとする風潮・・・「まだそんなの使ってんの?」みたいな
でも「温故知新」のように、古いものには古いものの良さがある・・・アナログレコードなんかはその感覚が生きているのかもしれませんね

辞書的な意味

百科事典マイペディアの解説
無為自然【むいしぜん】
人為・人工を否定する思想の中で,特に老荘思想の基本的概念をいう。儒教の仁義中心主義や形式主義に対して唱えられたもの。
精選版 日本国語大辞典の解説
むい‐しぜん ムヰ‥【無為自然】
〘名〙 作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。「無為」「自然」は「老子」に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとした。
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%82%BA%E8%87%AA%E7%84%B6-640764
諷虹 やっぱり自然(じねん)っていうと燃焼のような・・・生命(いのち)を燃やすような感じがしますね。そもそも「生命が燃える」っていうのは不思議な言葉ですね。
虚空 燃えつきるとかね・・・。燃えつき症候群なんていう言葉もあるけど、自分の場合想いうかべちゃうのは臨終の方だけどね、どうしても。
諷虹 でも火葬っていう意味ではないですよね。
「あしたのジョー」のラストシーンだって「燃えたよ、燃えつきたよ、真っ白にな」(アニメ版)
虚空 でもあれって死んだんじゃないの?自分はそう思っていたけど。(特にアニメは観ていなかったが、なつかしのアニメ等々の番組で目にしていた)
諷虹 「 燃えたよ… まっ白に…燃えつきた… まっ白な灰に…  」っていうのもサイトにありますが、これは何なんでしょうね?原作は何のセリフもないっぽいですね。
虚空 前に観た落語・・・「死神」だってろうそくの火にたとえている
諷虹 太陽・・・。命を燃やせ、最後の一滴まで、とか。
怒りを燃やせ・・・
虚空 それだったら毎日のようにやってる。特に車の中で怒鳴りまくってる
諷虹 戦隊もののレッドなんかも熱、熱血
虚空 かつては若者たちに愛された青春ドラマの熱血教師が「うざい」って言われる時代っていうのはね・・・
諷虹 星飛雄馬とかドラゴンボールとかでも炎の描写ばかりですよね
虚空 そのイメージの根源に何があるのか、っていうのは興味深い。
諷虹 火を起こしての文明発達というのもあるんでしょうね。
あと、太陽が単に光を放っているんじゃなくて、燃えているというのがいつからそう思われるようになったんですかね・・・。
そういえばコバルトブルーさんが太陽を肉眼でみた桜井章一の話をラインに書いていましたよね。
虚空 科学的な証明は別として、太陽信仰で「燃えている」というイメージは随分前からあったんだろうとは思うけどね。
諷虹 この前見返したなのはA’sでなのはが炎の中から出てきたシーンがありましたが、あれってなのはの性格なども反映してたと思うんですよね。あれがもしフェイトが炎の中から登場っていったらすごい違和感があると思うんですけど。
虚空 はやてが出てきてもなんか納得しないよね。
諷虹 なぐりあいとかもなのはだから
虚空 そこは新房監督が昭和の熱血青春ドラマを魔法少女アニメで描いたようなものだからね。ガルパンもね。だからガルパンなんてかつての青春ドラマに感動したオジサン世代がとびついたんだと思うしね。
(「色」に関する日本人のイメージについてあれこれから、「主体と客体」の転換に関しての話題。参考例として アニメ「ヲタクに恋は難しい」での「攻め・受け」論争場面、等々)
⇒過去のやりとりでの関連項目
・「雌雄同体」・・・カタツムリに関しての上原先生の疑問 戦車のイメージも雌雄同体?
・「日本人はハリウッド的なマッチョは好みではない・・・中性的・病弱なのに強い が好み 沖田総司 バガボンドでの小次郎 吉岡清十郎」(ジャニーズ系。韓流スター) 
・アニメ等々にみる稚児への意識の名残りや「BL・百合」 江戸の「恋」意識
・「図と地」
諷虹 「熱」と「熟練」っていうのとは何か関係ありそうですよね。 
虚空 「灬」という部分の共通イメージは?

⇒「燃え立つ炎の象形」
https://okjiten.jp/kanji2887.html
諷虹 「燃える」・・・
「半熟」からの連想で「ハードボイルド」が浮かんできたんですけど、なんかこれは「熟しすぎている」というか「固くなりすぎている感」がありますよね。

ネット検索 (wikiより)語源

「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。
人間的でなくなって・・・超えちゃって・・・機械的と言うかマシンに
まどマギでいうとマミさんとか杏子が熟練の魔法少女のような感じじゃないですか。ほむらはハードボイルドになっちゃっているというか、擦り切れちゃっている感じ。感情が死んでいる。「ゴルゴ13」なんていうのも人間っていう感じがしないじゃないですか。
ゆでたまごも一番美味しいタイミングってあるじゃないですか。
虚空 目玉焼きもね。半熟って「半死半生」のイメージ・・・シュレーディンガーの猫のような「あいまいな境界領域」・・・日本人の大好きな
諷虹 口にいれてはじめてころ合いが分かるというのは「観測してはじめて」っていうのと似てますよね。武士が刀を交えて相手の見えない部分を察知するなんていうのも。
虚空 それこそ言葉にならない、できない領域。接触による響き合い「カキーン」とかね。
達人級だったら接触しなくても分かるんだろうけど。
今日たまたま玄関先にきた人が、おもちゃの刀をみて「これ何ですか?」ってきいていたから「虚空実験」の話をしたんだよ。忍術の世界の基本中の基本訓練の。意識したとたんに防御率が下がる、っていうことも。
無念夢想であるほど相手の見えない動きが察知できるのに、察知しようと意識したとたんにそれができなくなる、って。
それなんかも「自然(じねん)」のこととつながるかもね。
諷虹 どっちかっていうと「第三項理論」かもしれないですけどね。「主体」が「客体」をとらえて「主体が捉えた客体」になってしまったから、「客体」そのものがとらえられなくなってしまう・・・?

☆「自然(じねん)」についてのやりとり ライン版

☆2019年 2月1日 金
13:35 コバルト
自然ってちゃんと(じねん)で変換されるんですね。
自然(じねん)という呼び方にはちょっと衝撃を受けました。
人間同士でさえも人種、身分、職業でもかなり分けてしまっていますから。
実際すべての人間社会としては繋がりがあって恩恵を受けているのに、差別している部分はある。
まして自然との関係性なんて余計戸惑うものだとおもいますね。

また桜井章一の話になってしまいますが、オススメはしていませんでしたが、桜井章一は太陽を肉眼で見ることができるようです。
それは自身と太陽をわけすぎているからであって、太陽と同化してしまえば、眩しいとは感じないようです。
(肉眼で太陽を見ていると緑色に輝きだすというのも気になりますけど)
心頭滅却すれば火もまた涼しみたいなことわざがありましたけど、それと似ていますかね。
あと裏と表で分かりやすいのが、綺麗なお金と汚いお金ですかね。
それをお金はお金だと言ってしまえばそれまでの話でしょうけど。
17:24 虚空
よく「自然にやさしい(地球にやさしい)」という言葉は人間の傲慢だ、という意見もありますね。
聖書における「万物の霊長」・・・神によって託された存在・・・という意味も人間の都合のいいように解釈されているといういう意見も。
*素人が太陽に挑んだら危険ですね!
21:22コバルト
陽射しでさえも十分眩しいのに直視で太陽は流石に見てみようとは思いません(笑)
自分達だけの住みやすさ、や意心地のよさなど生活範囲内での都合だけですからね。
自然が破壊されて、わー大変だ、と他人事みたいに受けとる感覚では、まだ自然を別ものとして置いている節がありますからね。
自分もそうですが、実際報道とか見てもまったく身近に感じられない部分が大半です。
21:24虚空
それが「自然」というのが人間と離れた感覚でとらえることのできる、ある種便利な言葉ということなのかもしれないですね。
論評みたいに言える。自分も責任の一端を担っていると感じなくてすむような
21:25虚空
現在 諷虹宅で 難波先生の第三項の話からかなり飛躍してアニメ談義になっています
⇒別記
21:58コバルト
感覚(自然)を広げると感じたくない事まで感じる事になりますからね。
大人になるにつれて、だんだんと感覚を閉ざしていった気がします。
感じない(シャットダウン)というのも、一種の自己防衛本能なんでしょうけど、鈍感になっていってしまいますからね。
22:03虚空
さきほどのやりとりで出てきた諷虹発言の一部です。
:::::::::::::::::
諷虹 特異点的なことだと、意図的に無視というか気にしようとしないことがあるんですよね。「黒歴史」にしてしまう。設定の積み重ねをないことにしてしまう・・・そういうファン心理が働くこともあるんですよね。
公式が追加した要素であっても受け入れない・・・スルーしちゃう。
それでいつのまにか公式でもないことになってしまう。
2019.02.02 土曜日
15:20 ソルティ
こんにちは~。コバルトブルー君の「桜井章一は太陽を肉眼で見ることができるようで」 
実は以前やったことがある。ガンガンの太陽じゃあなかったような記憶があるけど、直視してみたことがある。(サングラスごしだったかな?ちょっと忘れた?(バカとしかいいようがない行為だが。。。)太陽自体は銀色に変化していき、周りの空の色は濃紺から~ピンクになるんだよね。ディズ二―のシンデレラのお洋服がピンク・ブルー・ピンク・ブルーって変化させられるのって、ここからきてるのかな?と思ったりした。
そして、地上に 目を戻すと、きれいな黄緑色の〇が目の前に現れるけど そのうち消える。私は目に奇形があるので、きれいな丸がみえるんじゃあなくて、三つくらいにわかれた小さな〇みたいな形なんだけど、その形の黄緑のまる。だから 桜井さんの話は嘘じゃないと思う。やっぱりおすすめはしませんけど。 そういえばそれが原因で視力が落ちた可能性がなくはないかな?
外国の人で、じっと太陽をみて、そこからエネルギーをもらっているとかいう お兄さんをTVでみたことがある。栄養ははちみつだけらしい。 へ~~~~っ って感じだけど。真実かどうかはわからない。
森 ほにゃららさんという人は、青汁だけを飲んでもう何年も生きているらしい。1リットルの涙?でしたっけという映画になった 難病にかかっていたことがあって、甲田式?だっけかな?その先生のもとで指導をうけて蘇ったらしい。 まあそういった不思議な世界はあるのだろうな~と思うが。。。?
上原先生が蘇ったことだって 不思議だもの、まあそういうこともあるんだろうと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/森美千代
15:58 コバルト ノルウェーについてのサイト紹介
https://www.visitfinland.com/ja/kiji/finrandowo-sukininaru-riyuu/
ライバルがいないほどクリエイティブな人々が沢山暮らす国で、幸福度が世界一みたいです。
国の7割が大自然と白夜、オーロラなど超自然の中で暮らす人々が創り出す世界は別格のようです。
北極圏(死の世界)にあるノルウェー、現実空間が閉ざされて、そこから生まれるものには興味があります。
2019.02.03 日曜日
00:07 虚空
気候風土が国民性などに与える影響って大きいでしょうね。だからある国のあたりまえは他の国でもあたりまえとは限らない
あのイギリス留学の男もそれを痛感したのが最大の意義だったのかも・・・
⇒留学体験に関する体験談ブログ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/144/
「自然(じねん)」がどういったことを具体的に意味するのかという問題も当然いろいろとあるでしょうね。

☆「自然(じねん)」についてのやりとり① 「学習塾ダンデリオン ツイッター」原文

今回のやりとりの元になった 2019年1月30日 「学習塾ダンデリオン ツイッター」漢文とそれに関する解説文です
(老子道徳経 下編徳経64)合抱(ごうほう)の木も毫(ごう)末(まつ)より生じ、九層の台も塁土より起こり、千里の行も足下(そっか)より始む。為す者はこれを敗り、執(と)る者は之を失う。是(ここ)を以て聖人は、為(な)すこと無し、故に敗るること無し。執ること無し、故に失うこと無し。
民の事に従うは、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いて之を敗る。終わりを慎むこと初めの如くなれば、則ち事を敗ること無し。是を以て聖人は、欲せざるを欲して、得難きの貨を貴(とうと)ばず、学ばざるを学びとして、衆人の過ぎたる所を復(かえ)し、以て万物の自然(じねん)を輔(たす)け、而(しこう)して敢(あ)えて為さず。
【大体の意味内容】その幹を両腕で抱えるほどの大木も、毛先ほどの小さな芽から生まれ、九層にも積み重ねた築山(つきやま)も、一杯の土の積み重ねから起こり、千里の道も足元の一歩から踏み出される。
効率的に事業を営もうとする者ほど、かえってそれをぶち壊しにするし、成果や利益に執着するものは、それを失うものだ。聖人は、ことさらなことを為(な)そうとはせず、故(ゆえ)にぶち壊しにすることはない。物事に執着することがない、故に失うこともない。
人民が、とあるプロジェクトに従事する際は、いつも完成間際になって、それを台無しにしてしまう。最後の仕上げを、開始した時と同じように慎重に、時間のかかることを覚悟のうえで進めれば、失敗することもない。
したがって聖人は何も欲しない、無欲である生き方を欲して、希少価値の高い宝を有難(ありがた)がったりはしない。これは成功するための方法を学ぶことではない。人間の行為として学習するということをなくし、道の徳(はたら)きに生かされている真実を「学び」として、人間中心的な生活態度を本来の在り方に復(かえ)すべきだ。万物に備わる「自然(じねん)の力」つまり「自(おの)ずからあるべき姿へと成り上がってゆく働き」を輔(たす)ければよく、殊更(ことさら)に何かを為(な)そうなどとはしない方がよい
【お話】「無為自然」を「むいしぜん」と読むのは本当の本当は間違いなのです。本来は「ぶいじねん」と読む言葉でした。人間の浅知恵(あさぢえ)で余計なことや、かえって有害なことをするのではなく、すべてのものには、そのものにおいての本来あるべき姿や、成(な)るべき相へと進む力が備わっている「自(おの)ずから然(しか)らしむる(おのずと、そう、あらしめる)」という意味で「自然(じねん)」と呼んでいました。これは生命あるものに限りません。

地球の自転や太陽光や熱の影響で空気の流れや水の循環が起こり、風や雨によって山や岩石がゆっくりと削(けず)られ様々に変貌(へんぼう)したりするのだって、その物たちに備わった「自然(じねん)」なのです。たまたまその場に存在したりそうした現象に触れたりすることも、そのものにとって宿命的な「自然(じねん)」にほかなりません。

明治になって西洋の様々な文化文明が入ってきて、日本語に訳せそうにない言葉もたくさん紹介されたので、漢字の組み合わせで「新しい日本語」が強引に作り出されました。「ネイチャー(nature)」もその内の一つで、もとからある和語では訳せませんでした。
「世界の中で人間から独立して存在する物、大地、岩石、天候、植物、そして動物」といった説明がされる言葉で、生き物や無生物などすべてを包括(ほうかつ)する言葉です。しかも人間とは切り離して考える物だから、ほとんど苦(くる)し紛(まぎ)れに一番近い「自然(じねん)」という語を借りてきて、でもそれだと当然人間も含んでしまうから、「自然(じねん)」とは区別する意味で「自然(しぜん)」と読ませるようにしたのではないかと思われます。

でもそうだとしても、やはり「exists independently of human being(人間から独立して存在する)」という「nature(ネイチャー)」の見方考え方は、私たちにとっては違和感ありますね。人間だって「自然(しぜん)」の一部ですし、「自然(じねん)」が備わっています

「無為(ぶい)自然(じねん)」は、決して「怠けていろ」という意味ではなく、また科学技術や文明と対立するものでもなく、むしろ「nature(ネイチャー)」と対立するものなのではないかと思えてきました。

万物の自然(じねん)を捻(ね)じ曲(ま)げるような営みをせず、私たち自身も含めた自然(じねん)を輔(たす)け、その力によって生かされるよう、努力すること。「今、私にどのような自然(じねん)が働いているか」感覚を磨いて冷静に受け止め、それに従って全力で生命燃焼することが大事なのではなかったか。