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☆アニメ「少女歌劇☆レヴュースタァライト」より⑨ ~未熟ゆえの可能性 互いに「まれびと」~

諷虹君の「舞台少女」という言葉からの「少女」に対してのイメージ考察から「未熟ゆえの意義」についてのやりとりです。もちろん女性限定の話ではありません。


また、世の中においては一般的に考えられているような「優劣関係」は本当には存在しないのではないか・・・すべてが互いに「まれびと」としての意味合いを持っているというのが本当の関係なのではないか・・・という話に発展します。



途中、アニメのやりとりや歌の引用が長々と続きます。

はっきりいってきちんと読んでもアニメを観ていないとよく分からないと思いますので、読み飛ばしてくださってかまいません。





*2019年11月29日 諷虹宅
(自分の漫画がアニメ化された際の原作者の意識に関して)

諷虹 アニメの評判が悪くて叩かれるのが一番精神的にはこたえるんでしょうけどね
虚空 評判がいい、っていうのも場合によってはものすごいストレスになることだってあるよ。素直に考えて行動することが出来なくなったりね。

子どもなんてみてるとよく分かる・・・褒めるのってかなり大変だから。
よく「褒めて育てろ」って言われることがあるけど、案外逆効果になることもある。相手にもよりけりだしね。
スラムダンクでもあったじゃない。福田と仙道・・・田岡監督がタイプを間違えてしまったエピソード。

諷虹 この前レビュースタァライトを見直していて気になったキーワードが「舞台少女」だったんですよね。それこそ「魔法少女と魔女」ではないですけど「舞台女優」ではなくて「舞台少女」なんだな、って。
どのキャラも人生のどこかで舞台に憧れを持って舞台少女に生まれ変わったという・・。「未完成だからこそ無限の可能性を秘めている」っていうのが少女とか少年っていう部分。あとは「ひよっこ」っていうのもそういう意味なのかな、って
虚空 今回も出てきたね(放課後さいころ倶楽部)

諷虹 舞台少女一つにしても深い言葉だな、って。
11話でも使われていた歌でこんなのがあるんですけど・・・
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『舞台少女心得 幕間』
シャンと背筋を伸ばして 凛と目線を上げて 
今日も青空 高く果てしない 
太陽のように眩しく 咲いた花に見習って 
出会いのすべてに意味があるの 夢を振りまくのよ 
夢を忘れないで 未来は未知数 
さあ カーテン開いて

私たちは舞台少女 生まれながら舞台少女 
勇気乗せて指を伸ばし 優しく弧を描く 
私たちは舞台少女 真ん中には常に愛を
希望なぞって足を前へ 揺らがないように 
世界は私たちの 大きな舞台だから 

きゅっと唇結んで  そうよ不甲斐なくたって 
ただ無駄に泣いたりはしない 
理想どおりの自分に まだ届かなくても 
昨日よりはぐっと近づいている 
進化し続けるの そっと見守ってね 
悔しさ後悔 その全てがねぇきっと 糧になる明日の 

私たちは舞台少女 生まれながら舞台少女 
勇気乗せて指を伸ばし 優しく弧を描く 
私たちは舞台少女 未完成の舞台少女 
どんなときも胸を張るの 凛々しくなれるから 
私たちは舞台少女 真ん中には常に愛を 
希望なぞって足を前へ 揺らがないように 
世界は私たちを ずっと待っていたの 
世界は私たちの 大きな舞台だから

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第11話 この歌と重なるセリフ
純那「星を掴もうとした罪、か。 
じゃあトップスタァを目指した私たち舞台少女って、みんな罪深い存在、なのね。 でも、だから何? 
誰に何を言われたって、掴んでみせるわ、自分星! 
神楽さんに伝えて 舞台で待ってる」 

まひる「別々の幕開け、別々の筋書きから
私たちは出会って、同じ舞台に立ったんだよね 
すれ違って、ぶつかって 
でも、一緒にキラめきを見つけられた 
この出会いにはきっと意味がある 
だから 舞台で待ってるね」 

双葉「舞台が繋いだ腐れ縁、か」 
香子「舞台があったから ウチらは今ここにおるんやね」 
双葉「同じ舞台で同じご飯食べて」 
香子「舞台少女は繋がってるんや」 
双葉「舞台で待ってるよ」 
香子「待ってますえ」 

なな「消えることのない明かり、尽きることのない興奮と情熱
記憶に焼き付いた永遠の一瞬・・・
いつか終わるからこそ、私たちは今を激しく燃やすのね 
その瞬間を一緒に 
舞台で待ってる」 

クロディーヌ「舞台は私たちの心臓、歌は鼓動、情熱は血・・・
私たちは舞台に生かされている」 
真矢「傷ついても倒れても 
舞台が私たちを蘇らせる 
舞台少女は何度でも 
生まれ変わることができる 
だから」 
クロディーヌ「Je t’attends sur scène!(舞台で、待ってる)」
 真矢「舞台で待っています」
 華恋「うん・・・・・・舞台で待ってて」
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虚空 こんなやりとりを読むとさ、改めて「舞台」の純粋な世界を一人・・・一匹でぶち壊していたのが「キリン」って感じがする。
こういう境地に少女たちが目覚めるようにああいった裏のオーディションをやっていた、っていう風にはみえなかったしね・・・あの驚きのセリフかんかからみると。
そのあたりの世界観をもう少しはっきりさせたかったのが、あのOVAかな????
諷虹 「未完成の舞台少女」・・・なんていうんでしょうね・・・ゴールしていないから「今を変えよう」って思う・・・。
虚空 大人だってそうだけどね。「もう分かった」「到達した」って終わったらそこでオシマイ。だから上原輝男は常に生きようとしていたとも言える。

諷虹 そういう意味では「大人」っていう字が・・・。傲慢さを引き起こす。
それこそ「成人式」のたびに起こる話ですけど、「大人になった」という意識と「まだまだひよっこ」「半人前」っていう心の問題。
「中人」くらいにしておけばよかったんでしょうけどね。


虚空 それこそ「成人」・・・「人に成る」・・・あの言葉そのものが怪しい言葉だよね。金八先生の「人」と「人間」の違いの解説じゃないけど・・・・


諷虹 「大吉」と「中吉」のことを前も言いましたけど、「大吉」「吉」「中吉」の並びだと、大吉が1.5で中吉が0.5って感じするじゃないですか。中は「1未満」になっちゃう感じがする。「中」の字のイメージ。
「甘口」「中辛」「辛口」だと辛口が辛いだけど、中辛って何なんだ?って。

虚空 このやりとりの感覚って「ゆゆ式」だね
以前よく問題にされていたのが、日本人の意識って「自分は中流階級」ってみんなが思っていた、って。それでもっと上を目指すようにっていうようなことで「競争意識を植え付けよう」・・・「エリート意識を植え付けよう」なんて風潮ができてきた。そしたら今度は格差社会。
「どんな立場にも意味がある」じゃなくて、「違う基準なのに、同一基準で優劣を決めよう」ってばかり。
それは教育界とかスポーツの世界ばかりじゃなくて、演劇とかのトップスター云々もそうだし、1日に話題になっていた「ぐるナビ」もそうだよね。
同列で優劣を競うべきものじゃないものも盛んに比べてランキングを決めようとする。余計なお世話だよ

諷虹 「日本人が好きなものランキングの1位はランキング」っていう皮肉がありますよね。
そういう意味では「さいころ倶楽部」の翠ちゃんもそうだし、レビュースタァライトの純那ちゃんもそうですけど、まだまだ自分はひよっこだという意識が強すぎて、自分を最下位に置いてしまう。で自分の近くに自分より優れた子がいると焦りだす。とたんに比較対象の基準ができるからパニックを起こして視界が一気にせまくなる


虚空 心から自分はひよっこって思っていればそんなことはないんだけどね・・・。でもそれは翠ちゃんも布団の中でつぶやいていたよね「つまらないプライドが・・・」
自分はまだまだと思っていても、他人に「まだまだだね」って言われると反発したりショックを受けたり・・・・



*少女歌劇 第二話のやりとり
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純那『観客気分なら出てって。彼女達を超えていかないと舞台の真ん中には立てないの』
華恋『何か知らない?昨日のあの舞台のこと…』
純那『書いてあったでしょ?メールに』
華恋『メール?』
純那『選ばれた舞台少女によるレヴューって…来てないの!?』
華恋『何それ?』
純那『あなた飛び入り?』
華恋『飛び入っちゃった…』
純那『ふざけないで!やっぱり無効よ!』
選ばれてもない人がどうして私の邪魔するのよ!こっちは真剣なの。あなたと違って私は…』
(再戦シーン)
純那『なるわ。必ず。私がスタァに。主役に!
ずっと勉強ばかりしてきた私が初めて見つけた煌く夢…
偉い人、賢い子じゃない。私だけの星
出会ってしまった。巡り合ってしまった
あの日私は生まれ変わったの。舞台少女に
でもどんなに努力してもいつだって届かなかった
前を走り続けるあの人達には
スタァになるためなら私は…
(このまま埋もれてなんかいられない。絶対に追いついてみせる!)
負けない!負けられない!絶対に追いついてみせる!
このオーディションはチャンス。私はこのチャンスを逃さない
絶対に逃せない。私は私の星を手に入れる。私の舞台を終わらせないために。決める!』
華恋 『ノンノンだよ。一度で終わりなんかじゃない。私達は何度だって舞台に立てる!』
キリン 『情熱と煌き。分かります。それが舞台少女の力』
純那 『諦めない…私だって舞台少女よ』
華恋 『私だってスタァになりたいの!
私はひかりちゃんと二人でスタァになる!』
(華恋の勝利)
キリン『オーディション2日目、終了します
彼女(華恋)がなぜ初めから選ばれてなかったのか分かりました
二人で一つの運命』
(二人、仲良くなる場面)
*この背景に流れていた歌 
『The Star Knows』
どんな訳があったのか
私は炎に包まれて囚われていた
とても長い間
その炎はもうずっと消えることはない
 
理解者など誰一人
傍にはいなかったから
向かい風に煽られ心を焼いたの
何を求めているのかはあの星だけが知っている
 
触れられない未来かは
誰にも分からないでしょう
戦い続けてた 自分自身の影と
何を求めているのかはあの星だけが知っている
 
幕が開けば未来が 必ず私を迎えに来るはず
そう ここにいてはいけないもっと遠くへ
 
負けられないここで
負けなんかない
失敗できない
失敗じゃない
あなたには分からない
あなたのこと分からない だからこそ
 
語り合える 二人
夜の闇は
朝が来るまで深くなる
未来は誰にもある
埋もれていては それではいけないから
 
一人だけで
忘れかけていた夢を ah
何もできないあなたに
それでも
私だって 
負けていられないの
約束を果たしたい 
ひとつの ひとつの
たったひとつの約束のため
あの星だけが未来を知っているのなら
空を見上げてそっと手をのばす
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虚空 そうかと言って、自負心がありすぎるのもね・・・勝手に周囲を見下してしまう。それでこの純那みたいに一人でカリカリしちゃって周囲の雰囲気までどんどん悪くする。
舞台ってそもそも集団芸術だし、スターだけが偉くて価値があるんじゃないんだけどね。端役を見下しているといつか必ずしっぺ返しがくるよ。
そのあたりはキリンの言動も含めて、どうしても気になってしまう部分。きちんとした舞台監督とか演出家だったら常識だよ。無駄な役とかセリフなんてないんだから。必用だから台本に書いてあるし、キャスティングされているんだから。
仲代達也が無名の頃にたった数秒の街中通行人のカットで一日中黒澤明にしごかれたのは伝説になっているけどね。他の俳優を待たせて撮影したって。

別にトップとか主役を目指したいならそれはそれでいいんだよ。でも選ばれないで他の役になったからやる気をなくすとか、ましてや主役以外を見下すのなんて論外。一人芝居じゃないんだから。・・・一人芝居だってスタッフさんとか裏方の人達にお世話になるしね。


諷虹 「負け」や「失敗」に対する意識が全然違いますよね。
こうやって歌詞を色分けしても、対極的なことを歌わせているっていうのがよくわかりますね。「夜の闇は深くなる」「朝が来るまで未来は誰にもある」

「一人だけでなにもできない」に対して「(二人の)約束を果たしたい」っていうのも。

あとここで「星」っていうのだけが知っている、っていうのも・・・単体で名前がついている星・・・ベテルギウスとかシリウスとか・・・っていうのと、あとはコンステレーションとして星座をつくる集合としての星、っていうのと二つの側面があると思うんですよね。
それが「スタァ」とかかっているという部分が。
キリンにしても純那にしても「トップスタァ」しか見えていない、見ていない・・・みたいな未熟な部分。
それがまだ未熟な「舞台少女」っぽさになっていると
それがドラマを産んでいる・・・展開を産んでいる。
キリンがオーディションをやろうとしていなかったら・・・。あれによって団結力が生まれたという部分もね。両面性を知ってか知らずかというキリン。
人間だったら「そういう面もあるのか」って反省しうるけど、キリンはそれも出しなさそう・・・そこの不安定さ


虚空 そのキャラに自覚があるかどうかは別にして、そういう立ち位置ってあるんだよね。ちょうどゆうべかうと君(高3)がこの前出来なかった分の授業をしたんだけど「まれびと論」の話になって・・・来訪神っていう意味だけど、神にはみえなくても、上原先生の「犠牲論」とか「落人論」からすると「まれびと」の役目をはたしているキャラ、って話題になってさ。
「例えばまどマギなんかでは?」って聞いたら、ちょっと考えたあとで「キュゥべえですかね」って。
まああのキャラが神なんていうと抵抗ある人も沢山いると思うけど、少なくとも新房監督や虚淵玄はそういう意識で位置付けていると思うんだよね。「アルティメットまどか」っていう新たな神を産みだしたことになるんだから。

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アルティメットまどか・・ピクシブ百科
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%81%8B
まどかは宇宙の法則をも変え、永遠に魔女を消し去るという概念、魔法少女達を救済する「神」に等しき存在へ進化した。まさしく一姫当神・超因果。その願いと神々しく変身したまどかを表したタグである。
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虚空 だからキリンも立ち位置としては来訪神のような意味合いがある。地下の世界から上の世界に割り込んでくるんだから。


諷虹 そういえばついでなんですけど・・・2話冒頭でキリンがのってるこの機械仕掛けが先週話題にしてたデウス・エクス・マキナで神役が乗る機械らしいですね。


虚空 そうすると監督はある意味で神扱いっていうこと?



*ネット上でのある考察記事
https://anibu.jp/20180904-revuestarlight-kirin-105272.html

諷虹 これって見方によって誰がまれびとになるか違ってきますよね。相互作用。互いにまれびとだったり・・・。


虚空 それが面白いところなんだよね。単純に上下関係ができない。
だからまどマギで言えば、転入生のほむらがまどかにとって「まれびと」だけど、こまでの自分の世界にいなかった存在と出会ったという意味では、ほむらにとってまどかがまれびとなんだよね。


諷虹 話の流れによって杏子がまれびとだったり、マミさんがまれびとだったりもしますよね


虚空 そうそう。決定的に誰がまれびとで神格を持っているんです、他は下なんです、じゃないんだよ。それぞれの関係が複雑にからみあったまま同時進行をしてる・・・そんな風に世界をとらえているんだよね。

余談だけどさ、クラスを能力度別に分けるなんていうのも愚かしいと思っていた。だって、細かくみえていけば、得意不得意の違いっていろいろあるのにね。互いに補いあっていく・・・重ね合わせをしていく・・・互いに凸凹の部分が違うし、一人の中でも違うし・・・そんな単純で出来る出来ないを仕分けできない。
ましてやここでもよく話題になるけど「素人」とか「苦手だ」っていう人間の発言が大きく歯車を動かし始める、ってことだってあるしね。


諷虹 場違いだけど場違いじゃない発言・・・セオリーからは外れているけど、純粋にこの状況からはこうしたらいいんじゃない、っていうのが見えていない。


虚空 それはあり得ない、って頭から除外するからね。
推理小説でよく出来ているのなんてそうじゃない。
それを哲学的に探求すると西田幾多郎の「純粋経験」になるのかもね。あるいは英才児の「観察」という構え。

諷虹 鳥瞰もですよね。人間としての尺度ではなくて、純粋に場況をみる。麻雀用語なんですね、場況って。これ一般的な言葉じゃなかったんですね


虚空 俗に言う業界用語をついつい普通の言葉として使っちゃう


諷虹 でもそれが日常語として定着したのもいっぱいありますよね。「成金」は将棋用語だったし、「定石」は囲碁用語だったし、麻雀でいうと「テンパる」とか。


虚空 レビュースタァライトは最終的には互いの複雑な人間関係で舞台は成り立つという方向で落ち着いたからね


諷虹 そうなるとあのイギリスのエピソードっていうのはどうだったんでしょう。トップを目指した子が悪いわけではないけど、結果的に他の人達の煌きを奪ってしまって・・・


虚空 それじゃあ舞台はダメになるよね


諷虹 そのあと舞台がどうなったのかはにごしていますけどね


虚空 でもみんなが煌きをなくして腑抜けになっていたら、いい舞台なんかにはなるわけないじゃない。
(アニメをチェック 腑抜けて練習になっていない)

諷虹 それでも懲りずに日本で地下オーディションを開催するキリン・・・
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キリン『オーディションで最も煌いたレヴューを見せてくれた方には星のティアラが与えられトップスタァへの道が開かれるでしょう』
ただし負ければ全て奪われる。大切な煌きも全て
分かります』
ひかり『騙したのね。私を』
キリン『トップスタァの誕生にはそれなりの燃料が必要ですから』
ひかり『それが私から奪った煌き?』
キリン『そこまで煌きが残るなんて予測できませんでした
そこであなたにもう一度チャンスを。次のオーディション。場所は日本。オーディションで最も煌いたレヴューを見せてくれた方にはトップスタァへの道が開かれるでしょう
ひかり『もう一度参加できるの?どうして?』
きりん『全てをなくした舞台少女。何が起こるか誰も予測できない運命の舞台。私はそれが見たいので
(日本での場面)
キリン《オーディション6日目。孤独のレヴューの開演です!トップスタァを目指して歌って、踊って、奪い合いましょう》
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諷虹 この時点ではまだ、ななに気持ちの余裕がありますよね。演じてる感というか。
でも、ここでひかりに負けたことによって次の9話では感情むき出しというか、初めて心の内が見えてくる
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(ななと華恋の闘い)
なな 『舞台に実ったたわわな果実。だけどみんな柔らかだから誰かが守ってあげなくちゃ。99期生大場なな
私が守るの。ずっと。何度でも!』
キリン 『オーディション7日目「絆のレヴュー」の開演です』
なな 『決して誰にも邪魔はさせない~私だけの永遠の舞台~
私の再演を変えたのは華恋ちゃんあなただったのね!
スタァライトは8人で紡ぐ永遠の物語9人目は存在しない
だったら華恋ちゃん。あなたの役は何?あなたは一体何なの?
今までの華恋ちゃんじゃない!
今までの再演じゃない!
ひかりちゃんが来て何が変わったの?なぜ変わったの?ひかりちゃんと二人になって何が!』
華恋 『私はひかりちゃんと二人でスタァライトするの!』
なな 『大嫌いよ…スタァライトなんてー!!
仲良くなった相手と離れ離れになるあんな悲劇!
だから私が守ってあげるの!守ってあげなくちゃいけないの!私の再演であなたを倒さなくちゃ私の再演が途切れちゃう!』
華恋 『ノンノンだよばなな!舞台少女は日々進化中!同じ私達も同じ舞台もない!
どんな舞台も一度きり.その一瞬で燃え尽きるから!
愛おしくてかけがえなくて価値があるの!一瞬で燃え上がるから舞台少女はみんな舞台に立つ度に新しく生まれ変わるの!
なな 駄目だよ華恋ちゃん!みんなでずっとこの再演を演じてなきゃ駄目!
華恋ちゃん…駄目!駄目よ!』
華恋 『ごめん。なな。私はあの子と…ひかりちゃんとあの星を摘みにいく!』
なな 『華恋ちゃん…どうしてそんなに煌いてるの?
どうしてそんなに眩しいの』
(華恋パートの歌詞)繋がったの星の絆いつまでも守るよ~
*外での語り合いシーン
なな 『守りたかったの。みんなを。私間違っていたのかな?』
純那 『…いかに優れた人間でも時には我を忘れることもある』
なな 『えっ?』
純那 『ウィリアム・シェークスピアの言葉よ。時間はそれぞれの人間によってそれぞれの速さで過ぎる。これもシェークスピアの言葉』
なな 『もっと』
純那 『前進しない者は後退していく
過去が現在に影響を与えるように未来も現在に影響を与える。ニーチェ
人生で一番の失敗はなりたかった自分になるのに遅すぎることはない。ジョージ・エリオット。
人生で一番の失敗は、失敗をするのではないかと恐れることである。エルバート・ハバード』
純那 『あっ!人には運命の星がある
綺羅星明け星流れ星。己の星は見えずとも見上げる私は今日限り!』
99期生星見純那!掴んでみせます自分星!』
なな 『それって…』
純那 『私の言葉よ』
なな 『ふふ…はははは!こんな楽しい純那ちゃん初めて』
純那 『ずるいわ。私はななのこと何にも知らないのに』
なな 『はあ…欲張りすぎたのかな。あの一年がもっと楽しくもっと仲良くなれるようにって再演の度に少しずつセリフをいじったり演出を加えたりした
でもひかりちゃんが来て華恋ちゃんが変わってみんなもどんどん変わって
私の再演が否定されていくみたいで怖かった
だけど新しい日々は刺激的で新しいみんなも魅力的で
どうしていいのか分からなくなって…』
純那 『なあんだ。あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない
もっといいものに、いい再演に
舞台も舞台少女も変わってゆくもの。舞台少女なら大丈夫。だから一緒に創ろう、なな・・・私達で次のスタァライト』
なな『ごめんね…私…私…』
純那『知らなかった。ななってこんな大きいのに怖がりで泣き虫で。子供みたい』
なな『これ…』
純那『持っていこう。あなたが大切にしてきた時間。守ろうとしてくれたもの 全部持っていってあげて。次の舞台に!』
なな『うん!』
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虚空 さっきからのやりとりをふまえてこのシーンをみると「舞台少女」っていう言葉にかなり深い意味をやっぱり持たせているんだね。


純那 『なあんだ。あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない
もっといいものに、いい再演に
舞台も舞台少女も変わってゆくもの。舞台少女なら大丈夫。だから一緒に創ろう。

虚空 キリンは完成品としての姿を求めているから妙な事になっているんだね・・・少女たちに。

それって今の教育界と同じだね。子ども達に常に「分かった?」って完成品になったかのような意識を持たせることばっかりやってる。
だからまだまだ先があるんだよ、っていうのを好奇心を刺激するつもりでこちらがいっても、中途半端な優等生なんかは「自分の不完全な部分を暴露しようとしている」って受け止められて、だいぶ拒絶されたからね。
一見簡単にみえることだって、裏側にはとっても深いものがある、そっちに目を向けて欲しいから言うんだけど・・・目に見える世界、表面的なことが出来ればそれで評価されてしまうから、どうしてもそこで止まってしまう。
自分だってますます分からない事だらけになっていくのにね。
それを若い頃から「もう分かっています」っていう完成品の意識をもってしまってどうするんだろう?
失敗も怖れ過ぎてさ。


諷虹 舞台女優じゃなくて舞台少女だからっていうある種の開き直りはありますよね。


虚空 だから無限の可能性が拓けていくんだもん。
そういうことでいうとテストの点数だけで子ども同士でけじゃなくて学校同士とか都道府県を競わせるなんて、アホだよ。


諷虹 これって3年間の中での2年生っていうことじゃないですか。その段階でこの地下オーディションが行われている。例えば香子みたいに新たな再スタートをきったキャラが、物語的にフェードアウトはしていても来年のスタァライトの時にはもしかすると、って思わせるみたいなのが、どのキャラも救われていることになるのかな、って。それが3年生最後のをあの二人が持って行ってしまった、というのとは違うから。舞台少女のように、発展途上


虚空 そういう意味でもね、最近の学校が文化祭とか学芸会を数年に一度とか、やらなくなっている、っていうのもね、大きな損失をしているんだと思う。
「発展途上」でいいじゃん、って


諷虹 まだ未完成だと嘆くんじゃなくて、まだ未完成だと喜べる

虚空 名言だね。


諷虹 今やってるガルパンって最終章ってつけているじゃないですか。スラムダンクはあそこで最終回になったから良かったって言われるじゃないですか。
人気だからって長々続けて駄作になったのも多い中でね。
きっちり完結させるっていう部分が名作を産むっていう部分もありますし、そうするとそれ以上の変化を加えられないというのもありますよね。
だからこそ名作としてしまわれるのかな、って。
ただ、名作どまり?超名作にはなれない?


虚空 今のアニメとかでの中途半端な最終回は今後の可能性への含みを残しての意図的なものというよりは、制作者側の都合での中途半端だからね。観ている方は消化不良を起こしちゃう。

(ネット上の考察動画 紙飛行機(真矢)と扇風機(クロディーヌ) 片方が飛躍するためにもう片方が必用
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35043114

虚空 これも言い方をかえればさっきのまれびと論になるよね。
下支えがいてくれるからトップになれる。
本当のライバル同士だってそうじゃない。
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☆アニメ「少女歌劇☆レヴュースタァライト」より⑧ ~ロマンなどへの美意識~

アニメやプロレスの話題を通して、人間がそれらの向こう側に何を見出そうとしているのか・・・見いだしたいと無意識に思っているのか・・・等々についての考察です。


どうしても「結果重視」の風潮が横行して、自分の望み通りにするには「何をやっても構わない」「バレなければいい」「やったもの勝ち」・・・という今の社会。


それはつい数十年前まで、最も日本人が忌み嫌った醜い生き様だったのですが・・・・。

同様に「結果が分かっている」「自分の都合よく展開するのが本当に満足する生き様となるのか?」という点についても、シナリオや演出の手法などから考えています。



後半は、市川崑監督が金田一耕助シリーズにおいて「金田一耕助は神様である・・・故に犯罪を未然には防げない・・・人間の生き様をじっと見守ることしかできない」という発想で撮っていた話です。


これはまさに、日本古来の神の発想であり、教育における教師の立ち位置を示唆することであるとも思われます。





*2019年11月23日 諷虹宅
*諷虹 少女歌劇を再び友人とゆうべ見なおしたという話から具体的なやりとりが続く。
(その内容については省略)
諷虹 ・・・・あとはOVAをみて思ったのは、ひかり は他の99期生とあまりからんでいなかった。でもみんなの煌めきを奪わなかったってところが少し気になっていたんですけど、4話で無断外出したひかりを助ける話があったじゃないですか。

あそこで「おかえり」って迎えるところで一つになったのかなというのはありましたね。それこそ「おうち意識」じゃないですか。
あとはまあ、追う者追われる者の話を前にもしましたけど、もっと細分化できるようなキャラ設定になっているんだな、って。

才能はあって努力もしている者や、才能があるけど努力はしない・・・境遇が悪くても努力する。ふたばとクロディーヌはどちらも追う側だけど、2位から追いかけたのと、30位から追いかけたってのも、2位で満足しないで追い続けているとう点で、同じ追うでも意味合いが違うよな、って。


虚空 自分はさ、ちょうど今テープ起こししている11月1日のやりとりとの関係もあって「組織論」とか「個と全体」「個性」なんていう観点であのアニメを観てしまうわけだけど、昨日のOVAでいうと、あの背が低いから云々っていうエピソード。主役になれずに子どもとか少年の役ばかりだって不満をもらしていた子がいたじゃない。
でも悔しいという本音はあって、これは自分にしか出来ない、自分だからこそ出来る役だ、って納得している。

昔から名脇役とか助演男優賞とかもあったけど、それこそ本当の作品はちょい役とか通行人Aとかも大事にされている。全部が重なり合っても舞台ってね。
だから初めて観た時にキリンの言動が、まるで初心者のような発想に感じられちゃったわけだしね。主役になれなかった子が「煌きを失う」っていうのもね・・・トップを選び出すために、他の出演者や裏方はただの踏み台なのか、って。
まあそういうことにどうしてもこだわってしまうのは、例の親戚たちの姿勢を思い出してしまうからなんだけどね。
でもさ、今またやっと治まったと思った口内炎が今度は舌の脇に出かかっているんだけど、あんなちっぽけなものが生活にも気力にも大きな支障をきたすじゃない。
脳とか心臓とか所謂生命維持に必用な臓器だけがちゃんとしていればいい、なんていうことはないんだよね。どの部分もベストであって、本来の能力が発揮できるのが人間

それはそのまま組織や集団にもいえる・・・っていう話を1日には延々とやっていたわけだよ。
アニメでいえば、それがシロバコとかじゃないの?ガルパンもそういうところがある。それが水島さんの人間観だよね。


諷虹 一方でガチガチの組織、システマチックな組織ができると英雄がいらなくなる。1番から9番がガッチリしていたら、すごい4番バッターがいなくても勝率は良くなる。どこのチームもそれをやりだすと英雄待望論がね。
チームがボロボロでも主砲の存在に憧れる。そういう風なすごい逸材がみてみたい・・・ひとことでいえばそれがロマンなんでしょうね。
セオリーを無視してもとにかく・・・


ネット検索 『ロマン』
ロマンとは、自我の欲求からくる実存的不安、さらにはそこから派生する個人的感情、オリエンタリズム、神秘性を追求した精神主義、精神運動の総称である。
日本では「浪漫」と訳され(意訳したのは夏目漱石)、明治中期から昭和初期まで影響を与えていた。
簡単に言えば「意味や実用性は皆無で非合理的に思える、だけど格好良い事」。
対義になるのは古典主義で、理性、論理性を追求した思想である。ローマ帝国時代には、政府が古典主義であるのに対して、庶民はロマン主義であったといわれている。

諷虹 昔からよく言われるのは、何でロボットが人型でなければならないのか、っていう。非合理を追うロマン。


虚空 人間って勝手なもんでね、そういう英雄を歓迎する割には、それでも負けがこんでくると、急に批判もしはじめる。
自分は野球は詳しくなかったけど、それでも覚えているのは森監督率いる西武ライオンズの黄金時代。バントとかで手堅く攻める森監督の方式は「つまらない」と随分世間に非難されていた。でも森監督は「じゃあ、主砲がドカンドカン打つだけで勝負は度外視して本当に受け入れてくれるのか?」って反論していたよ。実際にはそれはそれで非難される。勝たなければならないという大前提がプロにはある。まあ、勝って、ロマンもかなえてくれたらそれが最高なんだろうけどね。
それこそ自分は知らない世界だけど・・・所謂巨人の黄金時代って連覇もするし王や長嶋もいる、っていう意味で「勝ち」も「ロマン」も両方満足させることができていたのかな?????


諷虹 イチローとか羽生ってそういうところがあるんでしょうね。


虚空 「ロマン」というのがプロとしての努力をしないで済むという逃げ道になったらそれこそおかしいんだよね。特にチームの場合、スターである本人じゃなくて、他の選手とか首脳陣が頼る姿勢にばかりなったら、チームとしては見限られてしまうんじゃないの?「あいつに任せておけばいいや」なんてね。
「ファンだって、どうせ俺の活躍なんて見たいとは思っていない」って腐っていたらね。
これ、以前にも話したことがあるけど、西武ライオンズが発足した頃、ちょうど西武沿線に住んでいたからよく覚えているんだけど、一気に野球少年の帽子がジャイアンツのから青い帽子に変わっていった。
その頃西武の選手のインタビューを聞いたことがあるけど、セリーグだったらスター選手ばかりが注目されてしまう。でもパリ―グのファンになった子ども達は、いいプレーをすれば、それまで控えのような選手でも注目して声援を送ってくれるんだ、って。それでやる気が出てきた、って。


諷虹 それはありますね。最近野球全然わからないけど、なんとなく試合とか見た時、前情報がない分、知らない選手でもプレーそのもので評価したり楽しめる。
オリンピックのモットーで「より速く より高く より強く」ではあっても、美しさだって重視されるじゃないですか


虚空 人間としてのモラルとか美意識は大前提としてあるだろうね。勝負のためには問答無用とか、反則ギリギリとかはね。
だから以前柔道の金メダリストが「ズルをすることを子ども達に教えるんだ」って豪語していたのはすごい嫌だったもんね。
そんなことを言っているなら、こいつは審判のみていないところでズルして金メダルをとったのかな、なんて思っちゃったもん。


北京オリンピック柔道の金メダリスト・石井 慧選手(21)が、町内の運動会でズルをしました。


10月13日、北京オリンピック柔道の金メダリスト・石井 慧選手(21)が町内の運動会で障害物競走に出ましたが
ズルをしてトップでゴールしたました。
石井選手は「他人をけ落としてでも自分がのし上がる心を持たないと、日本が駄目になる。きょうはそういうことを指導しに来た。ズルしてでも勝つ」と語ったそうですが、ひどいと思いませんか?
スポーツマンシップを教えなくてはいけない人が、そんな事言っていいのでしょうか?


(ベストアンサー)
  私もそれはひどいと思いました。怒


見ててイライラしました。怒
石井選手の考えは間違ってると思うし,
インタビューに受けていた子供が言っていたように
大人げなさすぎると思います。


諷虹 「残心」なんかも・・・・


ネット検索 『残心』
残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。

概念
だらしなくないことや気を抜かないことや卑怯でないことであり、裏を返せば「美しい所作」の継続ともいえる。

相手のある場合において卑怯でない、驕らない、高ぶらないことや試合う(しあう)相手があることに感謝する。どんな相手でも相手があって初めて技術の向上ができることや相手から自身が学べたり初心にかえることなど、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張でもあり、相手を尊重したり思いやることでもある。

生活の中では、襖や障子を閉め忘れたり乱暴に扱ったり、また技術職の徒弟で後片付けなどを怠ると「残心がない」や「残心ができていない」といって躾けとして用いられる言葉でもある。仕舞いを「きちっと」することでもある。ちなみに「躾け」とは「美しい」所作が「身」につくことを表した和製漢字である。
虚空 だかその金メダリストだって、引退後もね、それを求められるわけだよね。あとよく話題になるのは相撲の「横綱の品位」ってやつ。
単なる「相撲チャンピオン」じゃないわけだよね。これが特に外国人力士には分からない・・・もっとも最近は日本人力士にも分からなくなっているんだろうけどね。
プロレス界なんてはとっくに変質してる。じいちゃんがプロレスにのめりこんでいたころは卑怯な外国人レスラーを、日本人レスラーが正々堂々を負かす姿をみたくて、みんなチャンネルをあわせていた。それは戦争の反動というのもあってのことだったんだけどね。
だから日本人で反則専門なんていうのがでてきた時は今以上のブーイングの嵐だったよね。
その一方で外国人選手でも反則はしても桁違いの存在感・・・人間ばなれしたレスラーは人気が出るようになっていった。スタンハンセンもそうだし・・・タイガージエットシンとか・・・。ブッチャーなんてもね。
ブッチャーが日本大好きになったっていうことを、ちょっと前に「アナザーストーリー」でやっていたけど、あれも面白かった。日本人の意識の特性っていう上で。


諷虹 ヒールターンですよね。人気選手がいきなり悪役に転向するみたいな。
卑怯なことをしてもさらに勝ちをとりにいく。そうなると反則も魅力になるんですよね。度をこした反則は嫌だけど、適度だとスパイスにもなるんですよね。香辛料。だからアニメゲームでも正義のためのキャラが悪に落ちて人気が爆発することもありますからね。


虚空 それこそ「善悪」をどうつかまえるのかという哲学的テーマだよね。
だからさっきのブッチャーの話でも、選手としてのジャイアント馬場と、プロモーターとしてのジャイアント馬場の話も紹介さてていたんだけど、それも面白かった。


諷虹 ルパン三世とかの怪盗キャラもね。


虚空 古典芸能でいえばねずみ小僧とかね。


諷虹 やっていることは盗みなんですけどね・・・義があればヒーローになる。
さっきのヒールの話でも、自分より強い選手、格上の選手に反則をするならいいんですが、弱い選手に反則して勝つのはね・・・。
あと強い選手に対しても、圧倒するような反則だと「そんなので勝っていいのか」っていう気持ちが湧いてきてしまう。そのさじ加減ですよね。


虚空 プロレスアニメでもさ、初期のタイガーマスクでは世紀の大反則魔である「赤き死の仮面」とか「タイガーザグレート」の反則に対して馬場と猪木が評価すべき点があるというやりとりをしていたけど・・・「超一流の反則」っていうように。プロレスの美学からすると、そんな桁違いの反則をされても、それに耐え抜いた上で相手をねじ伏せて勝てるかどうかが大事なんだろうからね。

諷虹 「混沌」させるのは大いにアリなんでしょうね。反則で勝ち負けが決まると興覚めですけど、その反則したことで勝負の行方が分からなくなったな、っていうとね・・・互いに拮抗した感じになると・・・
競走馬でも重りをつけるとか・・・勝つべくして勝つっていうのはあんまり好まれていないのかな、って。
そうするとさっきの西武の黄金時代も勝つべくして勝っちゃうばかりになったから非難されてしまったのかな、って


虚空 人間ってさ、自分の未来がどうなるのかが気になるくせに、本当に全部分かってしまうことを望んでいるか、っていうとそうでもない。
それこそ人生へのロマンが感じられなくなるから。
コバルト君が起承転結じゃなくて序破急っていうのにこだわっていたのもそれだよね。予定調和ばかりじゃ面白くない。あるいは人生の苦難をどう乗り越えていったらいいのかが全部分かってしまったら、逆に毎日がつまらなくなる。

諷虹 こんな言葉がありまして・・・・・
ネット検索  『デウス・エクス・マキナ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%8A
デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、羅: deus ex māchinā デウス・エクス・マーキナー[注 1])とは演出技法の一つである。「機械仕掛けから出てくる神」[1]、あるいは「機械仕掛けの神」[2]などと訳される。


由来[編集]
由来はギリシア語の ἀπὸ μηχανῆς θεός (アポ・メーカネース・テオス) からのラテン語訳で、古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。

悲劇にしばしば登場し、特に盛期以降の悲劇で多く用いられる。アテナイでは紀元前5世紀半ばから用いられた。特にエウリピデスが好んだ手法としても知られる。

エクス・マーキナー(機械によって)とは、この場面において神を演じる役者がクレーンのような仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場し、このからくりが「機械仕掛け」と呼ばれたことによる。由来は、「機械仕掛けで登場する神」ないし、舞台装置としての解決に導く神そのものが機械仕掛けであることとも解される。

日本語で思いがけない展開を指す「どんでん返し」(歌舞伎において、大道具の背景を倒し、瞬時に場面転換する「強盗返」から来た)あるいは「超展開」とも発想は類似しているが、これらは物語を解決に導くものだけを指すわけではない。


内容[編集]
古代ギリシアの時点で既にこの手法は批判されている。アリストテレスの『詩学』において、デウス・エクス・マキナは褒められた解決方法ではない、とされている。アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。現代においてもまったく評価されない手法である“夢落ち”はデウス・エクス・マキナであり、手塚治虫はそれを禁忌とした。


虚空 アニメでもさ、これはよく批判されるところだよね。どんなにピンチになっても、どうせ最後はお約束でひっくりかえるんだろ、っていう目で観てしまうから。
「いせスマ」とかはそういう批判を随分受けていたけど、自分はあれは気にならなかった。それは描きたかった部分がどうピンチを乗り越えるじゃなくて、それだけの万能な力をどう使おうとするのかの人間性を描こうとしていると思ってみていたから。
でもタイトルは忘れたけど、別のアニメでは見せどころで毎回それだったんだよね。どんなにピンチになっても「(呪文を)思い出した」っていって今までと違う魔力を発揮して勝つ。そうすると「どうせまた思い出すんだろ」ってしらけた気分でみちゃう。
ポイントになるところで毎回同じパターンで回避されるとね・・・。

諷虹 今、ピクシブ百科にこんなことを書いてあるのをみつけたんですが・・・
演劇において、混乱に陥った局面に際し『神』たる絶対者が登場し、登場人物たちの運命を決めてしまい強引に幕引きへ持っていくことを指す。

古代ギリシャの演劇では、こういうのが王道の展開であったらしい。
ギリシャの演劇は「悲劇」と「喜劇」の二種類があり、悲劇はとにかく登場人物が理不尽にひどい目にあう話が好まれていた。その流れがエスカレートしていく中で、物語上であまりにトラブルを詰め込みすぎて事件の解決を登場人物の誰もできないようになってしまい、自然に「神様が全部なんとかしてくれました」というオチをつけることが脚本家たちの間で流行したようだ。

分かりやすく言えば、物語のオチなんて別にどうでもよく、その途中での登場人物に降りかかる鬱展開を感動的に描く方がこの当時は求められていたということである。

なお、「機械仕掛けの神」という訳がしばしば見られるが、「機械仕掛け」とは、その時代の演劇において、神様が登場する際の演出に大掛かりな舞台装置が用いられたことから。つまりエクスと合わせて「機械仕掛けで登場する神様」という意味であり、神様そのものが機械仕掛けで作られた作り物というわけではない。イメージ的には小林幸子に近い。 
諷虹 琴浦さんの第一話なんて監督自らがこれを意識していた・・・真鍋が早く登場してきてくれ、っていうか登場すると分かっていたから、あそこまで陰鬱な回想シーンにできた、っていうようなね。


虚空 そりゃあの突然色がつくトランスフォーメーションカットがなかったら、もう次からは絶対観なかったよ。
まあ同じ太田監督作品ということで、今期の平均値でもシビアな過去が描かれていたけど、それは回避が約束されているからという安心感がある


諷虹 古畑任三郎もそういう部分がありますよね。解決するのは分かっているけれど、そこまでの経緯。お約束とご都合の違い


虚空 あのモデルは刑事コロンボなわけだけど・・・犯人が最初から分かっている「倒叙物」ってやつ。そうすると、どこで犯人だと気が付くのか、どうアリバイを崩していくのか、どう立証していくのかが焦点となる。
ただ、刑事コロンボも回を追うごとにネタがつきたのか、それこそご都合のようなのが増えてしまってあんまり面白くなくなってしまった。


諷虹 さっきのプロレスでいえば、反則でそのままフォール勝ちでなくて、最後は得意技できめると印象がいいのかな、って。
ちょこっとして部分を神様が手をかすけど、大オチの部分でも手を貸してもらうのか、そこは主人公の力でなるのかどうか。


虚空 じいちゃんとプロレスを観ていた時にやっぱり興覚めだったのは「反則勝ち」での決着だよね。勝った方がリングの上でのびているのに、相手の反則で勝ったというのはね。


諷虹 卑怯な手をつかった上で負けるっていうのはね。スポーツものでこすい手を使うやつは序盤で消えますよね。


虚空 反則負けでもいいから、とにかく相手をブチのめすことをモットーにしているようなのもいるけどね。それは前座みたいにこっちも割り切ればいいんだけど。
でもなかなかの名勝負をしていたのに、最後の最後突然狂暴化して、っていうのはね・・・しらけた。マア、もしかしたら大人の事情というか業界の事情でそういう段取りになっていたのかもしれないけどさ・・・でもね・・・。


諷虹 神様の介入っていうのは物語における反則技ですからね・・・


虚空 今思い出したのはさ、犬神家の一族を撮った時の市川崑監督のインタビュー。あれって日本人的な神様の発想なんだよね。
「金田一耕助は神様なんです。でも犯罪を未然には防げない。すべての犠牲者は出てしまう」っていうような発言だったけど。これは西洋的な全知全能の神の発想じゃないんだよね。人間世界のことに介入することは神様でも許されていない、っていう感覚。

あるサイトでの考察記事  http://www.nihoneiga.info/classic/0008/00.html
確かに『犬神家の一族』に出てくる探偵・金田一耕助は大量殺人を結果的には止める事は出来ず、犯人である松子夫人(高峰美枝子)が全ての犯行を完了した後に、ようやく謎を解明する。「犯人は…」と一拍置いて「あなたです…」と言う時の石坂浩二の声は犯人の心を救済し解放へと導くかのように優しさに満ちている。

そう、金田一耕助は真犯人を追い詰めるのではなく、常に犯人の身になって自白に向かわせる(強要ではない)のだ。『病院坂の首縊りの家』で、草刈正雄が演じる探偵に憧れる若者が金田一に「金田一さんは、犯人に同情的ですね。いつもそうなんですか?」と言う場面があるが正にその通りだ。

昭和30年前半で金田一耕助を演じてきた片岡千恵蔵や高倉健は時代が求めていたせいもあってヒロイックな探偵であったが、横溝正史の原作に登場する金田一耕助は、決してカッコ良くない…が、犯人を本当の意味で救ってやる事が出来る優しさを持っている探偵なのだ。

そして、金田一が傍観者でいるしかなかった顕著な作品は『悪魔の手毬唄』ではなかろうか…。十数年前に起こった殺人事件から、現在に至るまで消すことができない忌まわしい血の系譜。その血を断ち切るには殺人しか選択肢がなかった犯人を前にして、金田一耕助はただ目に見えない人間関係の糸を手繰りながら真相を突き止めるしかないのだ。

その反面、自分が一番最初に真相を発見してしまった悲しみを抱きながら真実を明かすのだ。そう…犯人を一番知りたくなかったのは、本当は金田一なのかも知れない。


諷虹 キリンも「わかります」って言っていたけど、実際には分かっていなかったわけですよね。煌きの再生産とか驚いて・・・


虚空 本当の組織っていうことだよね。主役だけが煌いていて、あとはみんな煌きを失っていたらどうなるかなんてこそすら、みんなが示してくれるまでは分かっていなかったわけだからね。

第一話からあんなに偉そうにしていたけど。
それをキリンが気が付いていくプロセスを描きたかったのが真意っていうのなら別だけど・・・もしかしたらアニメを作っていく途中で方針が変わったのかな、なんていうことも感じちゃう部分があった。


諷虹 連歌のこととかあってからアニメをみるとキャラソンなんかでもキャラに合わせて歌詞をつけたのか、歌詞に合わせてキャラ付けをしたのか・・・。
それが「ああ、ここは映像につけた っぽいな」とかね。匂い付けとかじゃありませんが

諷虹 BGMの付け方って難しくてさ、そのシーンにいかにも合うようなBGMがいいとは限らない。特に編集して一本につないだ時に、全然印象が変わって・・・それで別のに入れ替えた、なんていうのは何度もあった。
それなんか「連歌」の発想からとらえなおすと面白いね。
それこそ実写の時にはキャスティング。いかにもイメージ通りなんだけど、出来上がったのはいまひとつとか。
さっきの市川崑の金田一シリーズも石坂浩二が金田一って発表された時には二枚目すぎる、っていう意見が大半だったけど・・・でも原作通りの金田一といえば石坂金田一、って言われるくらいの定着だったからね。
マア金田一に関してはテレビシリーズでの古谷一行も金田一の代名詞みたいになったけどさ。
ミスキャストと思ったのが案外そうでなかったり、本当にそれは難しい。
ただ、最近のように大手プロダクションの戦略として出演者が決められるような場合は、ミスキャストが本当にミスキャストで大失敗作品になるっていうのが多いけどね。「ほうらやっぱり」って。
スタッフがミスキャストと言われようが、明確な意図をもってキャスティングしているのか、イメージを無視して上から押し付けられてのキャストなのか・・・。
そのあたりもシロバコで描かれていたけどさ。

☆アニメ「少女歌劇☆レヴュースタァライト」より⑦ ~「人間を育てる」とは?~

テーマは「人間を育てる」とは?・・・という教育の根本に関わることなのですが、それをこのアニメの監督さんの言葉をきっかけにして語り合っています。なので実はこのアニメの内容そのものについてのやりとりはありません。


漫画界でいえば「担当者」の立ち位置から「育てる」ということについて考察しています。


「内なる世界(個々のイマジネーションの世界)」と「外の世界(現実世界)」の仲立ちをする存在ということです。そういう人によって「観察」という構えの獲得にもなって、「自己教育力」そのものがアップしていくのではないかと考えます。



*2019年11月22日 諷虹宅
「少女歌劇レヴュースタァライト」の監督さんの言葉
監督 「演出は因数分解だ」
諷虹 要は核心部分を抽出するという感じなんですね。

⇒偏向性の強い監督さんの作品 監督の好み通りに自由に撮れる企画よりも、何らかの制約がある方が面白い場合がある


諷虹 英才児の生き様と通じるところがありますね。
本気出したら誰にも理解されないような境地にたどりつけるポテンシャルは持っているんでしょうね。


虚空 今週のゲゲゲの鬼太郎がガチな内容で話題になっていたんだけど、前にここでも観た漫画家志望の子のドキュメントを思い出したよ。担当さん相手が嫌になって結局ネットで好きに投稿することにした、っていうオチの。
担当さんを自分を縛る人間としてとらえるか、最初の読者=大勢の読者の代表者 としてとらえるかで随分違うと思うんだよね。

(鬼太郎 あらすじ確認  http://anicobin.ldblog.jp/archives/56097679.html

虚空 コミックガールズの担当さんもそうだけどさ、本気で新人を育てようとしているかどうか・・・まあベテラン漫画家になってもそうらしいけどね。
手塚治虫が行き詰まったときに窮地を救った担当さんによって、名作「ブラックジャック」が生まれたとか・・・。
世の中と作家をつなぐ橋渡しだもんね。

もう一つ言うとさ、最近みた対談番組で、シコふんじゃった とかの監督さんのをみたんだけど(映画は一つもみていない)・・・学生相撲がものすごく面白いと感じてスタッフをつれて観に行ったら、スタッフたちがみんなつまらなそうに居眠りをしていたんだと。その時にハッと悟ったのが自分がこんなに面白いと感じていることが、他の多くの人にはつまらないんだ・・・そのズレってどうしておこるのか・・・。
自分が面白いと思うものをそのまま撮っても面白くならない・・・それから他人の意見をどんどん聞くようになった、って。
もちろんそれは他人の意見にふりまわされるとか、自分の信念を曲げるっていうんじゃなくて、ズレを軌道修正する人達が仲立ちとして必用っていうこと。

夢の世界と現実の世界との周波数を調整してくれる存在。
それが漫画の世界だと担当さんになるのかな?????


諷虹 担当さんが漫画かけるのか、っていったらそんなことはないんですよね。
それからその監督さんはつまらないものを面白くキャッチできる逸材なんですよね。無から有を産みだす。作家が0を1にして、担当さんがその1を100とか1000にする。
多分幾原さんとかはそれが「1」じゃなくて「i (虚数単位)」なんですかね。担当さんもどうそれをふやかしていいのか分からなくて、そのまま出すしかない


虚空 ヘタなことを言えないもんね・・・大御所だから。
だからある意味では人間って年をとったり経験を積んでからの方が大変。独りよがりになっても、なかなか意見してもらえないから。特に権威ある立場、尊敬を集めている立場ほど、教祖様のようになって何でも許されるというか、すごいことだと思われてしまう。
本当にズレていたことでも「何は我々には分からないような深い意味があるに違いない」って思われちゃって。


諷虹 時代が追いついていない、っていうのもあるのかもしれませんね。数百年後に再評価されることだって珍しくないじゃないですか。


虚空 それも事実だよね。
ただ、やっぱり最初から他人の意見をきかない、のと、いろんな意見にも耳はかすけど、最終的には「それでも自分を貫きたい」というなら責任をもって貫く・・・そのあたり。


*諷虹 ネット検索
『電波系』
https://dic.pixiv.net/a/%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E7%B3%BB
電波系とは、妄想癖のある人、何らかの啓示を受信したとする人、行動や言動が意味不明で不気味な人、他者とのコミュニケーションを取ろうとしない人を指す言葉である

諷虹 歌詞が独特で、とても一般的には理解されないような楽曲・・・でもなぜか中毒性があっていつの間にか口ずさんでいたりするのを電波ソングなんてもいったりしますね


虚空 さっきもでかかっていたけど、こうした電波系っていうことと英才児のことが結びつきそうな気もする。
ただ、英才児の場合は「観察力」が伴っているから、電波系そのものとは違う気もするけど。
諷虹 「うまぴょい伝説」なんかもこれの系統ですね。(アニメ・ゲーム 「ウマ娘 プリティーダービー」)

うーーーー (うまだっち)
うーーー (うまぴょい うまぴょい)
うーー (すきだっち) うーー (うまぽい)
うまうまうみゃうにゃ 3 2 1 Fight!!
おひさまぱっぱか快晴レース (はいっ)
ちょこちょこなにげに (そーわっ So What)
第一第二第三しーごー (だんだんだんだん出番が近づき)
めんたまギラギラ出走でーす (はいっ!)
今日もめちゃめちゃはちゃめちゃだっ (ちゃー!)
がち追い込み (糖質カット)
コメくいてー (でもやせたーい!)
あのこは (ワッフォー)そのこは (ベイゴー)
どいつもこいつも あらら (リバンドー)
泣かないで (はいっ) 拭くんぢゃねー (おいっ)
あかちん塗っても (なおらないっ) (はーっ?)

(後略)

⇒ https://www.youtube.com/watch?v=HYrVKLBhitE
虚空 この歌詞をあらためて読むとさ、歌詞の展開が連歌っぽいね。
それこそ、この飛び方は「音付け」「心付け」「におい付け」とかさ・・・・

*ガルパンと大洗・・・町おこしと結び付けて成功に導いた「某 とんかつ屋 の御主人の話題から

虚空 被災して落ち込んでいた人達が、ガルパンをきっかけに多くの人達とつながって・・・救われる側から「お迎えする側」「勇気づける側」にひっくり返ったわけだよね。この大転換は大きいと思う。
アニメが好きな若者世代だけじゃなくて、アニメとは縁遠かった年配者の人達がどんどん主体になっていった、っていう。
そこが水戸は「誰かまかせ」なんだよね。だから一生懸命に誰かが火起こしをしても、それっきりで消えてしまう。
コミケにしても、水戸を舞台にしてのアニメもあったにもかかわらずね。


諷虹 当たり前の基準が違い過ぎると感覚が麻痺してきますよね。


虚空 それがさっきのことでいえば「担当さん」とかの存在なんじゃないかと思う。ある意味では作家はどんどん自分の妄想の世界に入っていって、夢の世界が自分にとっての現実世界になっていってしまっているんだから。
それを捨てるとかじゃなくて、ズレを認識しておくことは必用だと思うんだよね。
それが「観察」という構えの獲得なんじゃないの???

自分が学校につとめていた時に、盛んに「本音作文」とか「イメージ作文」を書いてもらったのも、「頭と心の実況中継をしてくれ」って注文していたから。

イベントの映像なんかをみて振り返るのだって、そういう意味合いもあるのかもね。そのときに夢中になっていて気が付けなかったことを確認する。

少女歌劇なんかだと、例えばバナナさんがタイムリープするのも、ある意味ではこれをやっていたと思うんだよね。最初の時にはただただ興奮状態だったわけだから。

*タイムトラベル と タイムリープ の違い

虚空 「鳥瞰」を空間的にじゃなくて、時間的にやろうとすると、頭の中のシミュレーションとしてタイムリープとか並行世界の旅をする、ってことになるんだろうね。
そうしているというちょっと離れた視点の自分が「自分」????

さっきのOVAでひかりさんの違った一面オンパレードも、ひかりさんが地下であんな時空を通過したからこそ転換した結果、自然にあんな風に変わったんだろうしね。
(シノハユ の鳥瞰のこと)

虚空 単に鳥の視点になったから広大な風景も見えました、っていう鳥瞰じゃなかったでしょ。

諷虹 ガルパンでもみほが大洗に来たから・・・ウマ娘でも スぺが北海道から上京してきたから・・・っていうのがあるでしょうね。

虚空 世間的に当たり前の世界で生まれ育っていたら、それこそ「当たり前すぎて気が付かない」・・・トランスフォーメーションを起こす出会いを見逃してしまう。


諷虹 そういう意味ではガルパンであんこうおどりを自ら踊りだすっていうのがそうなのかな、って。
あとなのはA’sでヴィータが「アイス食べていいか?」ってきく場面。
自然に染まっていく場面。メジロマックイーンがスピカにだんだん染まっていってしまうとか・・・のんのんびよりもね。
虚空 ネット社会なんかはズレを許さない・・・主導権を握っている者に合わせないと居場所がなくなる。
でもね、今放送中のさいころ倶楽部なんてそうだけど、面と向かってのボードゲームだから周囲とのズレを遊びながら気にしなくなったりするじゃない今回の男の子もそうだよね。その場の雰囲気そのもので自分の居場所があるかどうかを確認できる。これがネットでゲームだと、疑心暗鬼になっただろうよね。
さっきの(少女歌劇)OVAの階段のシーンでもさ、マジな本音が爆発していたけど、でも面と向かっていたから、浄化の方向へいけたんだよね。「冗談」と「マジ」の微妙な境界線。


諷虹 それが逆になると、顔を合わせているからこその怖さもありますよね。能面的な怖さなんですかね。表情が変わらない怖さ。
ほむらもメガネをかけている時と、はずして無表情なのと


虚空 能面だって、本当は豊かな表情をしているんだけどね・・・ただ、見ている側のイマジネーションに相当影響をうける。

面と向かってのさりげないやりとりの中での本音のぶつかり合い、っていうので定評があったのが飛行機事故で亡くなってしまったけど向田邦子さん。

最近「阿修羅のごとく」の再放送があってひさしぶりにみているけど、若い時には全然分からなかった心のかけひきが分かるようになってる分、すごい脚本家だったんだな、って思ってる。さりげない日常の中でのさりげないやりとりの中での、みえない部分のすさまじさ。

☆アニメ「少女歌劇☆レヴュースタァライト」より⑥ ~ ≒ との関連で~

内容的にはかなり中途半端なままで終わってしまっていますが、以前ブログアップした

「コーヒーコーヒー」と「純粋経験」と 「≒ ニアリィイコール」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/430/
の際のやりとり後半です。

もし未読の場合は、そちらから読んで頂けると、「一体何がいいたかったの?」ということから少しは回避できる????


そこまではこのやりとりで言及はされていないのですが、他人のことを「分かる」という時には要注意・・・・本当に分るわけはない・・・これは勉強している内容でも同じ・・・

野口体操で知られる野口三千三さんの言葉に「理解は誤解」というのがあります。理解したと思っていても、それは本当に100%分かっているわけではない、という自覚がお互いに大切ということ。

だからこそ「本当のところはどうなのか?」と絶えず問い続けて、核心そのものには到達できなくても、限りなく近づいていこうという構えでいることが大切・・・ということなのです。
☆2019年 11月9日 諷虹・虚空
*スタァライト あのハチャメチャなエレベーターを受け入れるかどうか(第1話)がカギ
それでないと「キリン」なんて受け入れられるわけがない
あのエレベーターの描写で、視聴者は華恋の驚きにシンクロできる
戦闘もボタンをとるための刃物・・・ボタンの重み ≒ 命の重み ?(6話等々)

諷虹 まどマギの魔女の結界への入り方もそうですね

*パッとの思いつきのスタァライト図(諷虹)
(参考 華恋はインパルス関数)
https://dic.nicovideo.jp/a/%CE%B4%E9%96%A2%E6%95%B0

一瞬一瞬で無限の煌き・・・その舞台その舞台で

大場なな→99回聖翔祭(はじめて他の人と作り上げた初舞台)の煌めきを最高の煌めきとして、その幻想を追い続けている
⇒「スラムダンク」中学MVP時代を美化しすぎる三井寿と類似 ≒

イギリスレヴュー優勝者→他人の煌めきを奪い集めて、最高の輝きを目指す

神楽ひかり→自分一人が永遠の時間を使うことでいつか最高の煌めきに通じるかもしれない・・・という呪いを自分に科すことでキリンを永久に自分に釘づけにさせておく
⇒人柱、叛逆の魔女化ほむら→ソウルジェムの中で魔女化することでQBが円環の理に干渉されないようにする

愛城華恋→舞台少女を志した瞬間から、常に「二人で最高の煌めき」がモットー→イギリス戦の否定・ひかりが必要不可欠。だからひかりの解放(12話)

天童真矢→思想がイギリス優勝者に似ているようで、クロディーヌの存在(自分を追い続けてくる存在)があるからこそ自分は高みに上っていけていることを自覚している(10話?)そのため、地下レヴューで優勝せずとも最高の煌めきを得られそう→華恋・ひかりが勝った?
※キリンの「分かります」は全ての事柄を ≒ で繋ぐ?


虚空 そもそもさ、きりん自体がどこまで分かっているかが一番怪しい(笑)


諷虹 きりんはそれぞれの思惑、各人が思う最高の舞台を思う存分実験させているような・・・キリンの考える最高のぶたいを強要するわけではない。


虚空 だいたいさ、最後の方では「これが最高の舞台なのか」って想定外の遭遇に感激しているような描写もあったしね。


諷虹 想像を超えてきたーみたいな台詞があったような・・・・12話ですね。
しかし12話は本当に夢の世界での夢のような・・・見終わった瞬間に全部忘れるような
 

☆アニメ「少女歌劇☆レヴュースタァライト」より⑤ ~見えない存在にも意義がある~

人知を超えた「鳥瞰」という視点にたって舞台づくりを考えた場合、前回ふれた日本の古典芸能の「世襲制」の世界でなく西洋演劇の世界でも、すべての役柄やスタッフたちに大切な役割がある・・・ということの再確認です。


後半、日本独特の役割である「黒子」についてもふれているのですが、「見えない存在」という約束のもと舞台の上で動き回る役割があるというのも、演劇を超えて、人生や世の中すべてに関わるような大事な世界観が隠れているように思います。




☆2019年9月22日 諷虹宅
諷虹 やっぱり俯瞰だと人間の視線なんですね。

虚空 人知を超えるなら鳥瞰だね。


諷虹 視点の違い・・・観測者が違うから。俯瞰だとどうしても人間の尺度だから、人間にとって有益なものばかりに偏りがちなのかなって。
でも、鳥瞰だと鳥視点、鳥にとって有益な情報・人間にとって不利益な情報・・・ノイズみたいなものだから、人間にとっての価値観とは違う観点もどんどん含んでいる?
レポートと論文みたいな感じかもしれないですよね・・・淡々と事実が綴られている・視界に入るものが全て描かれているレポート・鳥瞰に対して、その人の考えとか強調した部分がデフォルメされている論文・俯瞰・・・


虚空 K・S先生の英才児の著書は「鳥瞰」って言っているんだよね。英才児の視点を。
(・P177 「鳥瞰の視点」・・・「観察」⇒宇宙空間の転換(上原言))

ずっと話題になっている「英才児の作文の観察という視点」っていうのは、まさに人知を超えた領域への道なんだね。幅広い事実のキャッチだから。



諷虹 前に意識をスターライトブレイカーとファランクスに例えていましたけど、その場から動かさずにキャッチできる英才児(ファランクス)と、自分の方に寄せる、収束させて興味関心のあるものをにフィルタリングしてキャッチするIZ小的な子(スターライトブレイカー)


虚空 今日の話がなんで少女☆歌劇とつながるのかっていうのもね、決して無理やりじゃなくて、舞台の構成要素をどうつかまえるかの根幹になると思って居るから。
昨日能や歌舞伎の世界の世襲制の話もしたけど、努力して主役を勝ち取るとかの世界じゃないんだよね。だからといって端役の家に生まれたからといってやる気を失い、煌きを失ってなんて言っていたら日本の古典芸能なんて最初から破綻しているよ。
で、キリンがどう思っているのか知らないけど、勝ち抜いたトップスタァを生み出す代償として、他のメンバーが煌きを失うなんていうことで、本当に魅力ある舞台なんて生み出せるわけないじゃない。主役以外は輝いていませんでした、なんていったら。
ただね、結婚式で花嫁以上に目立ってはいけないというようなことは必要かもしれないけど、どんな役でもエキストラでもそれぞれの輝きはなかったらダメ。
黒澤明なんかはそういうことをしっかりと考えているから、エキストラとか通行人とかでも場合によっては何時間もかけた何ていう伝説が残っているけど・・・(例 七人の侍 無名時代の仲代達也が画面をただ横切るだけのシーン)


諷虹 あの学園でB組が裏方専門もきちんと育てているわけですから、それは意識しているんでしょうがね


虚空 だから最初の頃に聞いたんだよ。あのキリンって学園の表の関係者とつながっているの?って。キリンの現在までの言動をみると、トップ以外は価値がないというような言い回しばっかりじゃない。
まあ、そういう言動を通して、自分の内面に価値を見いだせないでいる子たちの背中を押しているような節もあるけど・・・本心はどうなのか、って。究極の目的は何なのか?
それに学園の関係者はからんでいるのかどうなのか?って。
・・・キリンはともかく、さっきも出た八百万の神々とか大日如来とか神性とか・・・・劇をつくる上ではすべての役やスタッフに究極の存在が内在している。そして・・・ナマ演劇だったらお客さんとの共振共鳴があって、そういう力もすべて重なり合って、素晴らしい舞台って生まれるわけだよね。
だからトップ以外にはトップ以外の煌きを、その時その時に背負った自分の役割に従って精一杯に生き切る・・・輝く・・・その煌き・・・。

それを人間の成長に置き換えれば、どの年齢でどういう構え、どういうことに興味を持たせるか・・・それをある意味で勝手に誰かが密室で決めたカリキュラムを絶対基準であるかのようにして、取捨選択し、子どもを評価するなんていうのはね・・・・。
そういう点でも、昨日や今日の「自分」「偏り」の話題は考え続ける必用はありそう・・・自分自身のためにも。

この前高校生ともしゃべっていたのが「黒子」。見えない存在という約束ごとになっているけど、文楽でも日本舞踊でも非常に大事なポジションだよね。
そういう文化をもっていたのがやっぱり日本。
アニメでいえば「ガルパン」なんかはそういう世界観だよね・・・だから自分なんて惹きつけられる。


諷虹 もっと露骨なのはシロバコですけどね。


虚空 どっちも水島監督だよね。
実写映画の監督だと自殺しちゃったけど伊丹十三監督。メイキングビデオとかも出していたから・・・そうすると画面にちょっとでも映るものにはとことんこだわりまくっていた。主要シーンのものでないことにだってね。
そういうのをいっぱい知っているから、あのキリンさんの発言をそのままに受け止めるというのには違和感があるんだよね。
まあまだ8話までだから、今後キリンの真意が出てくるのかもしれないけど・・・・