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☆金城哲夫氏 × 上原輝男先生 対談にからんで 「先入観の壁」-1

2019年7月 13日 諷虹・虚空の対談記録です。
先日のサイゼリアでのやりとりの続きとなります。

今後の考察にも大きく影響しそうな上原輝男先生の発言がいくつも登場します。

・ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら 記事に先立って:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/369/
・ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら
・① http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/370/
・② http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/371/
・③ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/372/
・④ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/373/
4コマの積み重ねに関して
虚空 たとえばさ、アニメの「サザエさん」なんていうのは3つのパートにわけてるけど、さらにその中の各エピソードは原作では独立した4コマ漫画なわけだよね。それにストーリーを感じさせるようなものを並べて構成されている。
最近のストーリー4コマは、最初からそれを想定して並べられているわけだよね。
サザエさんに近い作り方をしていたのが「ひだまりスケッチ」だと思う。あれも時系列とかバラバラのエピソードを並べ替えたりして一つの流れをつくっている部分もあるじゃない。

監督の新房さんはもともとは昭和世代・・・自分と同じ頃だから、サザエさんっぽいリズムに近いんじゃないかな?
でも同じ新房さんが化け物語シリーズになると展開の仕方に非常にクセがでてきて、自分にとってはとっつきにく世界になっている。

そのとっつきにくさの正体っていうのが、今回の座談会記事で分かった気がするわけよ。
構成の仕方のコマワリ、積み重ねの仕方が新房さんの中で大きく昭和流から、新たな平成流っていうか、NEW新房流に変わった。

新房さんも上原先生と似たような気質があるよ。足踏みが嫌い・・・常に新たな映像の文体を探求する。

自分が好きだった市川崑監督もそう。失敗を恐れず・・・っていうか晩年になるほど駄作と言われるようなのを連発していた。「万年新人監督」なんて評する人もいた。
でも、それは市川監督にしてみれば勲章だったんだろうね。
世界の認識の仕方って、同時に意識世界の構成の仕方っていうことがはっきしりた。
今、文字起こしをしている養老孟子さんの対談で「バカの壁」について語っている部分があるんだけどさ・・・・

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山下 ・・・バカの壁というね、あれを思いつかれたのは?

養老 それは若い時に教師になってしばらく学生さんに一生懸命に教えるじゃないですか。通じないんですね。
それがバカの壁ですね。

同時に相手がバカというよりも、自分がそう(笑)あることが全然通じないわけでしょ。お互い様ですよ。壁でね。なんだこれ、って。・・・・・・
自分が興味ないことって、およそ理解しようとしない。僕はものすごく分かってるというか、慣れてるんです。

完全に壁を作っちゃう。それはその人がバカでわからないからじゃなくて、分かりたくないからブロックしてしまうんですね。そういう好き嫌いがちゃんと出来てくるのが、僕は中学生ぐらいからだと思ってる。社会的には。
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虚空 たとえば世界構成が違う作り方のアニメだと受け付けない・・・化物語シリーズをほとんど観ないのは、内容云々っていうよりも、わけのわからない展開だから。それが新房さんの癖のある演出、って片付けていたけど、養老さん流にいえば、新しい世界定めの流儀を受け付けていないことに根本的な原因があったんだな、って。

内容じゃないんだよ・・・構造そのもので拒絶反応を起こして壁を作っている。

逆に言えば、これまでと違う構造があることを認識して、認めて、受け入れたら、結構それまでの自分と違うことでもスッと受け入れるんじゃないかな。
それを今まで自分は「器化」と呼んでいた。型を先につくる。

その時に国語っぽいことを通してだと、自分の発想とずれている時ほど「そんなのあり得ない」って壁をつくられてしまう。

だから、完全に自分の感情やイメージ・・・当たり前・・・がくっついていない数理的な扱いをした方が、国語でもパッと転換できる。

前の「風立ちぬ」の離れの間取りを図式化させてみたとたんに、あの映画の謎が一気に解けた、っていった高校生だってそうだしね。
最近中学生や高校生に数学や物理のエネルギー論や量子論なんかをネタにして国語をやっているのもそう。

具体的な教材で扱うよりも、一気に広げて受け入れてくれるようになる。

そう考えると、19号にそこまで突っ込んでは書いていないんだけど、全教科領域を通しての「〇〇的思考」とか「知識・理解」っていうのは、「型」を広げる方向に生かせれば、全部が国語となり構えとなり、生き様に直結する。

そのことが、2号の座談会の特に後半で語られていると思うんだよね。
T・K先生のメールで紹介されていた上原先生の言葉なんだけど
・「人間の感情構造は、この世に生きるためにあるのではなくて、あの世との交信するために感情構造はあるのだ」(昭和62年)
・1年生3人の作文をよんだ先生のことば、(昭和62年 福井六呂師温泉)
「焚火」なり「遠足」なり「国語の時間」いずれにも共通することが見だされるような気がする、(中略)自分の視界の中にそれが入ってくる、そのときに凡人と違うっていうことが出てくるっていうふうに思うんです。簡単に言うと長いんですね。目を止めてから目が離れるまでが長いってことですよ。焚火を見た、そうすると焚火から目が離れるまでが非常に長いんです。僅かな時間かもしれないけれど、僅かな時間の中に本当に克明にそれが見えるっていうわけですね。

言ってみればね、これは結論を急ぎすぎてるかもわからないけど、個人性すらないんですよ現象を見てるんです。
一般的な言い方をしてしまえば観察してしまうんです。観察するから長いんです。(中略)もう1年生以前からこういう習性がついているからものを見るときには、こんな姿勢が出てくるんじゃないかなと思うんです。
 そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。そういう意味でこちらの意識ではなく物自体についていく。個性個性というけれども、実は個性が捨てられているからっていうことになるのではないか。
 

彼らは決して人間関係を取り結ばないから、絶えず自分の世界にいる。とも先生は言っています。先の超君の「心の風景」の世界が成立するのも頷けます。
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(それに対しての虚空返信の一部)
これは「論理性」等々で、感情やイメージと切り離した言葉の世界があるということに気づかせる、ということの視覚Verなのかなと受け止めました。
 

そういう世界の言葉を用いる・・・それが論理の訓練やぼけとツッコミということだったと思うのですが、T・K先生がずっと問題にされてきた「俯瞰」・・・さらには先日の6月1日のNanba先生との水戸でのやりとりで航太君が口にした「鳥瞰」(話題にしたアニメ独自の要素が入っているのですが)・・・そこいらへんとの関り。
 

それが、「おうち意識」を「深める方向」と「おうち以外にも一気に拡張する方向」との両方向に突き抜けることになるのではないかな・・・という気がしています。
 
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諷虹 この2個目って、記号的な情報をみて、それを自分の中で・・・目についたものを自分の中で反芻する・・・一瞬みたことが頭の中に残って・・・・あとになって初めて「これってこういうことだったんだな」とか「こういうことだったのかな」って後付けでいろいろと考えるのかな、って。

そこで感情とかが付随されて、1個目の「感情構造があの世のため」っていうのが、あっちの世界というだけじゃなくて、自分の中の宇宙・・・ミクロコスモ的な。
「あの世(宇宙・マクロコスモ)」と「自分の中のあの世(ミクロコスモ)」


虚空 もう少し一般化するとさ、「想定外のこと」・・・想定っていっても今自分が意識できている世界、って言う意味だけどね・・・を掘り起こす・・・・.
想定外っていっても、それは意識できている世界の外っていう意味だから、自分の無意識の中に既にあるという意味では、想定内なんだけどね。
注)もう少し後で、上原先生の桃太郎のたとえから関連の深い話が再びでる


諷虹 想定外もある意味であの世ですもんね。「彼岸」と「此岸(しがん)」


虚空 人知を超えた領域なんていうのは、まさにあの世といえばあの世。
物理学者が数学を駆使してこの世の始まりを探求しているけどさ、数式が先にできて、あとづけで現実的にはどうなんだろう、って考えるわけじゃない。

他の分野だったそうだよね。原子構造だとか電子の分布って顕微鏡でも見えないのに、「こうなっています」なんていうのだって、なんで分かるのかっていったら、数式からイメージしているわけだよね。だから学者によって最先端のことほど主張内容が違う。
それは同じ数式からでも飛び出してくるイマジネーション・・・イメージ運動の動き方とかがみんな違うから。

でも先生の言葉って「あの世」なんていうとすごいオカルトめいて考える人もいるかもしれないけど、そうやって一般化していくと、誰もが新たな世界を獲得して成長していく姿の原理そのものを言っていると思うんだよね。


諷虹 先週出てきた「先験的イメージ」なんかともつながるのかな、って。なんやかんやわかんないけど何故か頭の中にずっと残っているな、っていうのもね。


虚空 ユングの元型との接点でいえばさ、先験的な世界が無意識に膨大に蓄積されているわけだよね、最終的には宇宙意識ともつながっていると。
無尽蔵に無意識界にはあると。
自由な発想で浮かんできたイメージ世界は、なんだかんだ言っても浅い部分の、比較的その子その子によって出やすいものがポンと出てきたって感じだと思うんだよね。
それはそれで素晴らしいんだけど、それだけじゃない。

でもそれを深く掘り起こそうとする前に、自分にとっての当たり前とか世間の常識とかの知恵が邪魔をするようになってしまう。

だから中学年なんかだと「これはお話だ」とか前置きをするようになるとかね。
あるいは「もう自分はそんな馬鹿げたことなんて考えないぞ、信じないぞ」って盛んにやりはじめる。それが中学年のボケとツッコミ関係。

でも、そういった自分を縛りにする論理性や知性を、逆に利用して、現実と夢の間を・・・それこそコバルト君が昨日こだわった言い方では卍マークをグルグルと回転させる・・・それで人知をはるかに超えた領域にどんどん踏み込めるような人間になる。


諷虹 子どもの頃に意地悪クイズの本・・・発想の上をいくような意地悪クイズ・・・一問目はやられた、っと思うけど、2問目以降は切り替えて正解に近づける


虚空 一時期流行った「頭の体操」なんてそうだよね。企業でもよく使われていたけど、企画会議なんかでいかに他社が目をつけていないような分野を開拓するか・・・それには常識に囚われないしなやかな発想が必要だ、って。

Nanba先生と盛んに話になっている中学生や高校生以降の上原先生の発想の生かし方、っていうのがこのあたりにありそう、っていうのはずっと言い続けてきたことだけど、今回の座談会記事で確証になりつつある・・・かな・・・


諷虹 頭の体操なんですが、カラオケボックスでNanba先生と話した時に、言っていた「発想がずばぬけた人間って迫害される・・・周りに同じレベルの人・・・周りが一つ下くらいならいいけど2つ下だと迫害対象になる」っていうような話があったじゃないですか。
あれって、ことりのおやつ君そのものなんじゃないのかな、って。感受性がものすごく高い


虚空 そうなんだよ。そういう子は教え子にもいっぱいいたから。「わけのわからない子」「デタラメな発表をするから研究授業とかのときには絶対指名できない」なんて公言する先生がいたけど、実際に担任してみると、桁外れに発想が優れているんだよね。本人の頭の中ではちゃんとつながっているんだよ。でもそのつなげ方が感じられないと、そう言う風にしか受け止めてもらえない。これは本当に悲劇だよ。

だってさ、世の中を大きく転換してきた歴史上の人物なんて、悪くいえば「頑固」「妄想家」「わけのわからない非常識な人間」のオンパレードじゃない。


諷虹 信長なんて「うつけ者」でしたからね。


虚空 規格外だよ。でもそこで「俺をお前らの尺度でなんて考えるんじゃない」なんていう桜木花道のような態度をとれればいいんだけど、ほとんどは潰されてしまう。
馬鹿正直な発言をしてしまうから、優れた人間ほど浮きまくるしね。

上原先生が言っていた「出る杭は打たれる、打たれぬ杭は出られない」なんていう境地になって、同時に謙虚さも失わない・・・っていうのが令和流の生き方になるのかな???
新房監督作品に関して再び
諷虹 虚淵玄がそもそもね・・そこに新房さんという二大何かやりそうな人。そこに蒼樹うめのキャラデザ

虚空 だから普通にはならないだろう、って覚悟をしていたわけだけど、そのはるか上をいったわけだよね。第三話でマミさんが死んでしまう。
そしてさ、それが大きな反響を呼んだら、もうそのパターンのアニメがぞろぞろ出たじゃない。だからみんな第三話を警戒するようになった。

あれなんてひどかったじゃない「魔法少女育成計画」あの第三話はいくらなんでもね・・・自分はあそこで観るのをやめたから。


諷虹 自分は最後までみていたんですけど、途中の展開で裏切られた感があって。
自分で勝手に決めていた着地点と違っていたから、ということにもなるんでしょうけど・・・


虚空 上手に作られた作品は、そういった着地点を想定してさ、それをさらに上回るようにみせるわけじゃない。
水島監督なんてそういうところがあるだろ。有名なミスリード予告編とかね。
劇場版の「モーレツ宇宙海賊」なんかもそうだよね。クライマックスで完全に肩透かしくらった感しか残らなかった。

上原先生の発言の中にこんなのがあった。

諷虹 実は私もそこには線をひいていたんですけど、特にコメントは書き込まないでいたんですけど。
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上原
 そういうことですね。簡単に言うと、子どもに桃太郎の本を見せるときわめて初歩的な段階では一場面一場面としてしかとれないわけですよ、「ももから生まれた……」とね。それが、どんどん大きくなるのが次に出てくる。

ところが、いま、要求されていることは、場面ごとにパンチがきいていて強烈でなくてはならない。と言うことは、次の場面と切り離されていることが、子どもに受けがいいということなんでしょう。全体の中の部分、都分と集合としての全体を子どもは、どこかで習得するわけでしょう。その関係のしあいを、いまは、問題としている。そうなると、その辺に秘密がある。
(中略)

 それは、私流に言えば、二つの問題があって、継続型の方をとるのと、意外性の方をとるのとある。しかし継続を拒否する型をとるものも、拒否されながら、どこかで完結されなければならない。そんな宿命を持っているのですよ。テレビにしたって漫画にしたって、完結はしなければならないんだから。

形式的に言うと、昔よく言われた起承転結ね。それは、もはや、子どもにとってだめなものか。そして金城さんは、新しい作品を作るとき。その形ではなく、別な新しい場面のっかまえ方、たとえば、部分と全体との関係のしかたを、起承転結ではない新しいバターンを考えつつあるんではないかというふうに、金城さんあたりは考えているのではないか。
 この点をいま少し知りたい気がするんですよ。
(中略)
金城
 あの、意外性ってね、僕は、桃太郎の話だってものすごく意外性があると思うのです。でっかい桃が、どんぶらどんぶら流れて来るわけです。まずこれが意外性ですよ。でっけい桃だなと婆さんが、爺さんの帰って来るのを待って切って見た。中から赤ん坊がとび出した。これは猛烈な意外性ってわけですよ。鬼ケ島へ鬼征伐に行くでしよ。いぬ、さる、きじが家来っていうのもそうですよ。鬼退冶ですからね。ウルトラマンみたいなものですよ。これは。桃太郎というと一般化した話だと思うけど、よく考えてみると。

上原
 ちっとも変わらないっていうことね。……ところが僕なんかはね、実は意外ではないんだという考え方をしている。つまり、作られるべくして作られていった作品であって、川上から桃が流れて来るのも、驚かしてやれなんていうでまかせじゃなく、日本人にとって完全な意外性でなく、予期されるところの意外性なんだな。

日本人の感覚にぴったりした意外性であるから、あの話は今日まで伝承されて来た。子どもにとって、完全な無縁性ならぱ、その作品は当たらない。わからないということになってしまう。期待される意外性でなくては、やっぱりダメなんだと思う。
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虚空 これってさ、「心意伝承」っていうかね、折口学をふまえての発言だと思うから。

川上・・・山の上には神の国がある、っていう信仰。しかもね、桃っていうのを単に果物なんてとらえるのは現代的な感覚で・・・つまりね、あそこで流れてくるのは他の果物ではダメという暗黙の了解。桃がくるっていうから桃太郎が産まれても意外ではあるけど、なるほどね、って納得してしまうものがある。

つまり「生命力」の象徴だから。あの形状からしてもね。だからそこからすごいやつが産まれてきた、っていうのは無意識に納得できてしまうものが意識のベースにある。

考えようによってはね、大胆な言い方をすれば、難波先生とのカラオケ対談の時にも出た雌雄同体の問題・・・ガルパンの話題で「戦車は雌雄同体の象徴」なんて言っていたあのことだってあるかもしれないよ。桃太郎がきび団子を渡すわけだけどさ、あれを犬たちが受け取ってパワーを発揮して鬼を退治するんだから。
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☆「感情やイメージ」のオン・オフ能力  現代社会の歪み改善のカギ?

7月11日以降のラインから・・・やりとりの内容は多岐に渡っていますが、背景にあるのは「ことば」に伴う自分の感情やイメージを「くっつける・切り離す」というコントロール能力を身につけていく必要性に関してです。


上原先生は中学年の時期の「論理思考」や「言語操作性」(ボケとツッコミ等々)の授業等々の必要性を繰り返し強調していました。

そうしたことが高学年や中学生・高校生以降にどのように人間としての成長につながっていくのかが教育全体を考える上での大切な視点の一つだと考えています。


さらに上原先生がいつも強調されていたのが「現実世界は幻のようなもの」という古来からの日本人の世界観。

成果主義や競争原理などのような現代の主流の考え方の背景には「目に見える世界が価値の絶対基準」という世界観があります。それがよけいに「目先のことだけにとらわれた感情を切り離せない」状態を作り上げています。

もしかすると、京アニ放火のような、昨今様々な形で相次いでいる「身勝手な言い分による」凶悪な事件や、人間関係の歪み等々も、そうしたコントロール能力が未発達であることに大きな要因があるかもしれません。
自分の思い描いている世界・・・これから犯行に及ぼうとしている行為も含めて・・・が、自分の激しい思い込みと分離できないために、他者の立場とか人間らしい感情・分別・理性等々が流れ込んでくる余地が生まれないのではないかということです。


22:59 虚空
 昨日からあるメールをきっかけに、非常に注目する児言態雑誌の記事があります。
ウルトラマンの生みの親と言われている上原先生の愛弟子、金城哲夫さんも交えての対談記録です。
このアドレスにアクセスすると、その記事が出てきます。
広島大学リポジトリ http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/45035/20180306135326102493/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_2_35.pdf


2019.07.12 金曜日
(精神を病むということに対してのやりとり 抜粋)


10:56 虚空
 本当に脳などの働きが器質的な要因で誤作動をしてしまうようになっているのなら、投薬も大事なことだと思いますが、幼い頃からの蓄積や、時代の流れによる価値観の変容での適合・不適合で、自分の意識がつかみきれなくなっての・・・世間の見方としての「病的な状態」というのをきちんと区別する必要があると思うんだよね。

ましてや、病名をつけることで「変わり様はないんだ」と決めつけてしまうという風潮すら、今の教育界にはあります。

これは何も精神病に限らず「苦手なものはやったって無駄。」「しょせん才能がものをいう」「理系・文系」・・・・等々と、効率優先の社会の中で仕分けされる現代のシステムもみな同じ問題ですよね。

でも、あのクラスもそうでしたが、大人や社会の都合で勝手に壁を作ってしまうのがいかに愚かなことなのかというのを、教え子たちが教えてくれました。才能云々とかこの子はこうだから等々の決めつけを頭から信じないで働きかけてみたら確かな変容が起きたという事実。

仮に世間的に認められるような進歩が起きなくても、本人の中ではそのささやかな変化がとてもおおきな「バタフライエフェクト」になる、っていうことも。

「隠れた才能があった」なんていう言い方もありますが、これだってあの「DNAスイッチ」の話のように、意識(構え)が変容することでスイッチのオン・オフが切り替わって、まさに別人のようになっていくというのも感じますからね。

人間同士の直接の音声言語によるやりとりだって、こうしたスイッチのオン・オフにものすごい力を持っている・・・それを古来から「言霊」と称していたんだろうし。

そんなことを打ちながら、この前まで放送していた「ぼくたちは勉強ができない」というアニメで、数学に特化している女の子がスマホの音声に関して、このやりとりは単なる電気信号というような言い方をしていたのを思い出しました。

 ナマの対話がかつてと比べて圧倒的にたりなくなっている・・・いつでもスマホなどで友達とつながっていると本人たちは思っていても・・・その弊害には現代人は気が付けないでしょうね、なかなか。物心ついた時にそれがあたり前の生活を送っているから。

昔ながらの空気を多分にのこした地域で成長してきたみなさんは、そういう意味では現代っ子といっても、かなり例外だと思います。


ちなみに先のアニメですが・・・
主人公の男の子がお風呂で勉強中に、スマホ検索するつもりで女の子のところに電話をしてしまうシーン。
その女の子もお風呂で勉強していて・・・
『い、いや!す、すまん…!実は俺も風呂で勉強してたんだけど、スマホいじったら間違えて電話掛かっちまって!迷惑だよな…?もう切るから!』

理珠《いえ、迷惑ということは…》

『いや、まずいだろ!どう考えても状況的に、これは…』

理珠《状況?》

理珠「お互いに裸ということですか?」

成幸《言ったぁぁぁ!》『なんで言っちゃうんだよ!余計意識しちまうじゃねーか!てか…なんでお前平気なの!?』

「平気も何も、別に姿が見えているわけではありませんし
そもそも電話の声というものは本人の声に限りなく近付けたただの合成音声で…」(あれ?でも…こうして目を閉じると――)」

しかしそんな理珠にも突然恥ずかしさがこみあげてくる

http://anicobin.ldblog.jp/archives/55454912.html  動画ではないです)

これって、理屈で感情と音声が分離していたのが、電話ではありながら音声のやりとりで感情とくっついてしまったという面白い場面だと思います。
13:14 ソルティ
(関わっている施設に)自閉症の子供がいて、ウルトラマンのフィギュアが 大好きでいつもそのフィギュアで遊んでいるんですよ。それを見るたびに、上原先生の言っていた、「電車の中の ウルトラマンのフィギュアを持っている子(&母)のお話し、金城さんは早くに亡くなったけれど、そのフィギュアの中に生き続けている。」 みたいな話を思い出すんですよ。

その自閉症の子供の中にも 金城さん(& 上原先生)は生き続けているわけでね、こういう形で受け継がれていくって素敵なことだなと思うようになった。


13:21 虚空
そりゃもう自分にとってもそうです。新しいウルトラシリーズは形式的になってしまっていますが、少なくとも初代ウルトラマンやウルトラセブンは自分の中で別格の存在。
リアルタイムでみていたのは幼稚園の頃なんですけどね。
でも、再放送ではなくて、最初の放送時からいろんなシーンが記憶にやきついています。

学生になってから上原先生の話で、初めてウルトラマンのベースには折口先生の「まれびと」の発想があるとか・・・あるいは金城哲夫さんの生涯について知って・・・そういったことが幼い子供にこそ、共鳴し続けるんだなと・・・。

ウルトラセブンの中で、マニアの中で伝説的な名作の一つとされている「ノンマルトの使者」が沖縄問題をベースにした金城哲夫さん入魂のシナリオだと知った時にも相当驚きました。
あの作品は自分の「分校問題」なんかとも非常に強くからんでいて・・・上原先生が分校にいらっしゃる前に子ども達にも観せました。

ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さんを生みだした立場といことで、分校の子ども達は上原先生を「ウルトラのおじいちゃん」と呼んでいました、当時(笑)


13:42 ソルティ
 話はちょっと変わるんだけど、昨日だったか?「あなたの家について行っていいですか?」という番組で、カメラは座間に住んでいる陶芸家のおじいさんちについていきました。おじいさんは、竹やぶの中に入っていきました。このふる~~~いおうちも全部手作りです。登り窯も ぜ~~んぶ自分で作り上げました。おうちに入っていくと、藪の中の一角に不思議な形の便器があって、それがね、なななんと 魯山人が作った便器なんだそうで。。。1000万以上するんじゃあないかな?こともなげにおじいさんは言ってました。

このおじいさん、陶芸が趣味のそのへんのおじさんだと思ってましたが、魯山人の孫弟子なんだそうで、ろくろも魯山人の使っていた足でまわすやつを今も使っているみたいなんですよ。若い時には十朱幸代さんとTVの宣伝にも出演していて、それがなかなかかっこいい。人はみかけに寄らないものだ。と。

おじいさん、お金とか全く興味がなくて、ただただ 自分が納得いく作品を死んだ後に残したい みたいなこと言ってました。今日より明日、明日よりあさって 毎日変化していく器、人の手になじんでまろやかなお茶がいただけるような。。。そんな器つくりをしたいのだ。。。みたいなこと言ってました。

自分が死んだあと何が残るのか?何を残したいのか?そんなことを思いました。

13:47 虚空
 ちなみにその便器は便器として使用されているのですか?それとも魯山人先生の作品として鎮座されていたのですか?
それとは別に、いろんな番組で陶芸でも漆塗りでも非常な高価なものであっても、作りてとしては「長年使い続けてこそ本当の味わいが出てくるのでちゃんと使って欲しい」という発言をされる方は結構いらっしゃいますよね。

上原先生の言葉等々を残す、という点で、私やダンデリオンさんは、今風のことなどにもどんどん結びつけていこうというスタンスですが、それもこうした事とつながるかもしれません。

上原先生が講義の中で「伝承と保存(保管)は違う」と言っていたことも思い出されます。

13:53 ソルティ
 いや~ どうだろう。昔のね 外にお手洗い(むきだし)ってあったじゃないですか~。そんな感じで、木でできた、三方のかこいだけがあって、扉はついていないんですよ。ほぼむき出し藪の中。花器みたいな形でね、そこに用をたしたら、どんどんたまっていくんじゃあなかろうか?と思えるような。。。 かぎだってかかっていないわけだから、ぬすっとに持って行かれるんじゃあなかろうか?って思いましたよ。


14:02 虚空
 まあ、まさかそんなやぶの中の家とも思えないような場所に、そんな高価なものがあるとは思わないでしょうから(テレビ放送後は分かりませんが)

とにかく後世の人たちがどんな風に受け止めるかは別として、何らかの形にしておかなければならないことは確かかな???
いろんな番組の文字起こしをしているのも、それが駿煌会でのやりとりや、上原先生の考えを深める上で不可欠と思うからせっせとやっているというのもあるし・・・

アニメもね・・・俗っぽいものであるほど、上原先生の心意伝承とたちかにつながると思えた時のインパクトが大。
(ジブリの宮崎アニメや、新海誠監督の映画はもちろん超一級品ですし、それも心意伝承とはつながるのですが、もっと庶民っぽいというか大衆的というか・・・そういうものもね)

今は載っているかどうか分かりませんが、6年生の教材に「桃花片」っていう陶芸家が主人公の物語があって・・・上原先生に助言を頂いたことがあります。
それも高価な陶芸に価値があるのか、ありふれた日用品にこそ価値があるのか、というお話でした。

14:10 ソルティ
 へ~ッ そうなんですね。で、上原先生はどっち派だったの?
私は日常に使うものだけ残してあとは全部捨てたいかも?これが自分の分身だ。と思えるような器、数点だけ残しそれだけで食べたり飲んだりしてみたいかもな。ただ今 断捨離中。


14:17 虚空
 その時にははっきりとは言いませんでしたが、石巻での「おうち授業」で私の茶碗の思い出エピソードを採用されたことなどから考えると、使う事に意味のある派・・・ある意味で自分や他人の分身・・・ということに最も大きな価値があるという立場だったと思います。

お金とかの現実的な価値にはいつも否定的でしたよね・・・「こんな現実だと思っている世界なんて、原爆一発でガラッと変わってしまうんだから」とおっしゃっていましたが、それは本当に先生の被爆された時の実感なのでしょうね・・・

原爆ほどではないですが、自分にとってあの東日本大震災はそういう位置づけですね。


14:31 ソルティ
 確かに 大きな想定外の出来事に出会うと、価値観は大きく変化すると思う。五徳の 福(幸せ感)・寿(寿命)・禄(財)・官(名誉)・印(生きる知恵)のどれを第一と考えるか?みたいなことも人生の課程において どんどん変化していくしね。占(私の習っている)では、最終的には 福にたどりつくという考え方をしていますけど。

幸せだな~(だったな~)~と思える人生を歩きたいものだと思う。

14:38 虚空
 それも最終的には「どんなイメージの風呂敷でそれらの思い出を包んで、イメージタンクの中にしまいこむのか」ということなのでしょうね。

(という助言を先生に頂いたのは4年「たかのすとり」の研究授業に向けての時でした。「イメージのオブラートにつつむ包み方」・・・それが子どもらしいたくましさの原動力にもなるんだと。)
2019.07.13 土曜日
00:33 虚空
 5時半からのことりのおやつ君や上司の方々との駿煌会特別会合・・・そのあと、諷虹・コバルトブルー・虚空の3人でサイゼリアに行き、児言態雑誌2号の金城哲夫氏を交えた上原先生たちの座談会記録の冒頭部分を読んで盛り上がり、その後駐車場でも話し込んでお開きになったのは0時頃でした。
体調としてはお世辞にもいい状態ではなかったのですが、今後につながる貴重なやりとりをすることができました。

09:29 コバルト
 昨日のやりとりの大きなキーワードが起承転結スタイルと序破急スタイルでした。
要はアテを作ってキッチリ筋道立てて行くスタイルと、アテを作らず一瞬一瞬の場面でスタイルが映り変わっていくスタイルです。
そして駿煌会の話しの拠点は後者であって、ズレ(もつれ)が大きな流れを生み出すバタフライエフェクトになっているんですね。

だから驚きとインパクトが常に起きて転換がおきる、
回転(卍)が起きるんです。
だからもっと味わっていたいような心地よい風が吹くんですね。


10:31 ヒマワリ
 昨日はお疲れさまでした!
会合楽しかった?!
上司の人たちに名刺きちんと渡せなかったの後悔(たらりー)
社会人としてやっぱ持ち歩かなきゃダメだね?。
私、仕事内容的にもとても近しい存在だったのに(たらりー)


13:11 コバルト
 https://news.livedoor.com/lite/article_detail/16765713/
 筋道(起承転結)を立てて行くというスタイルって時には本質とズレた大きな間違いを生むおそれだってあるんですね。
この記事の事例だって覚せい剤=有罪でしょ?っていうのが固定概念が警察や検察官にあってそれに先走ってしまった一つの事例だと思います。
こういう被疑者とされた人に罪を償いなさいと、刑務所に送ってしまって、なにを反省させて償わせるのかが疑問ですね。

更生させるにしても、そもそも更生とは更に生きると(さらにいきる)と読むんですから、問題行動を排除させるというのとは別問題なんですよね。
矯正は更生に結びつかないんです。
警察や検察官の姿勢って自分達の思い絵描いたストーリーにそって裁判にかけ有罪にさせるのが仕事なので、どうしても脅しやプレッシャーをかけての誘導尋問というのは体質的にやってしまうんですね。


14:16 虚空
 司法試験組・・・検察官・裁判官・弁護士・・・は論理の勉強を相当やると聞いたことがありますが、それが裏目にでているということはあるかもしれないですね。
本来なら、数学の証明でいう「背理法」の精神で、「この人間が犯人」と仮定して論理的にきちっと話を進めていった結果、事実と反する結果(十分に犯人と断定できないという結果も含めて)に到達できなかった場合には、出発点である最初の仮定が間違っているということが結論、として「無罪」とするんでしょうけど、「決めつけ」という意識が強いと、そもそも現実を自分の都合のいいようにしか受け止められなくなる。

問題は、そういった思い込みが強いと、嘘とか誤魔化しという意識とは全く別に、本当にそれが事実だとしか認識できず、しかもそこには本当に「リアルな体感」が伴ってしまう事。

人間ならば誰しも・・・特にバーチャルリアリティーに慣れっこになっている現代人は尚更・・・です。
そういう人間の認識を18号の世界定めの原稿では前半に書いたつもりです。http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/46609/20181218114109393822/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_18_45.pdf
それを起してはいけないお仕事の人たちだから、そういうイメージ・感情とは切り離す訓練をしっかりとしているハズなんですが・・・「成果主義」なんていうのがはびこっていると、それが吹き飛んでしまっているのかもしれません。

15:06 コバルト
忍者でもいうと感情を切り離した「者」になる感覚は必要なんですよね。
人間らしすぎると、どうしても人間のズルい感情‥もっと言うと欲望を絡めてしまうから物事を歪ませてしまうんですね。
またそれが場合によっては感情や欲望が良い方向に向かう時もあると思うんですが、基本感情って独り善がりになってしまうことが殆どなので、結果的に色んな人を苦しませてしまうことも多いんだと思います。

15:18 虚空
以前NHK特集でもやっていたけど、アメリカ軍などに入隊したら感情をオフにする訓練を徹底的にやるんだと。
最初が上官の命令に対しては、どんなに常識はずれのものであっても、間髪いれずに「YES」といって反応・実行させる。
次が人を撃つことに対してためらわない心にする。
これはアメリカ軍に限ったことではないでしょうけどね。

最近放送された「魔法少女特殊戦あすか」なんていうアニメは、むごたらしい描写で録画したもののスルーしたシーン満載ですが、人間らしい感覚を遮断しないとやっていけない世界を冷酷に描いていた・・・
主人公の魔法少女は普段は全く「冷徹になれないタイプ」のキャラであるというところがポイントのアニメでした
15:41 コバルト
 https://youtu.be/NWF2JBb1bvM

15:48 虚空
どういう状況の映画なのか分からないけど・・・軍人であっても「人間性はあってほしい」という願いがこもっているような感じでしたね。
(でもこのあと再び敵味方と別れて戦う運命なのかな?????)
古いですが、モノクロ版の「ビルマの竪琴」なんかも思い起こしました。

15:50 コバルト
実際にあったクリスマス休戦ですが、ポイントはこれで戦争が終わった訳ではなく、この後また殺し合いが行われるというところですね。
汚泥から咲いた綺麗な蓮を連想させてくれます。
地獄から咲いたきれいな華って感じですね。

15:53 虚空
 やっぱり戦闘は再開されるんですね。仲良くふれあったあとの殺し合い・・・罪の意識はより強くなるんでしょうね・・・

16:11 コバルト
 どうだかわからないですが、ただ感じるのは心を交わした相手と本気で殺しあえるなら本望の内だってあるということですね。
愛をもって殺しあえるなんて、最悪ですが最高の瞬間でもあるのだと思います。
それが北斗の拳のラオウとケンシロウの最後の死闘でもあるし、また「泣いて馬謖を斬る」にもなるんだ思います。
無差別殺人みたいに心をかよわせてもいない人間に勝手に命を奪われるなんていうものとは訳が違うんです。
エヴァのカオル君みたいに最愛の人(碇シンジ)に命を奪われる事を選ぶ感情と同じです。

16:19 虚空
上原先生の師匠である折口先生の言葉を思い起こさせますね
『従来親愛と尊敬の極致を現してきた殺戮を、冒涜、残虐と考へだしたのは抑既に神人交感の疎隔しはじめたからのことである』
17:51 コバルト
このど真ん中を行くアニメ(バジリスク)の言葉が「愛する者よ、死に候え」ですね。
概要
愛し合いながらも、立場の違い、生まれの違いetc.で殺し愛いをしないといけない作品等につけられる。
2019.07.14 日曜日
05:47 虚空
 江戸時代の近松門左衛門などによる「心中もの」(人形浄瑠璃・歌舞伎)あたりのことを本気で調べてみる必要もありかもです。

許されぬ恋におちた男女が道行をし、むごらたらしい心中をする。曽根崎心中でも男が愛する女性を結構むごい殺し方をし、(もちろん女性が望んだ上で)それから自分も・・・
その苦しみが大変だったが故に、あちらの世界に旅立ってからは「恋の手本になりにけり」

そんな世界観をもっていたのが日本人。
(もっともひとつ間違えるとストーカー殺人に身勝手な正当性をあたえてしまうような危険な思想ではあるのですが)


09:05 コバルト
「君の名は」での忘れてしまう前に、マッキーペンで名前を思い出せるようにしましたが、結局は名前を憶えるよりは「大好き」という感情そのものを遺したという事にも繋がりそうですかね?


09:06 虚空
 そこで「感情」ということがリンクしていたからこそ、完全に忘れていたかのようでクライマックスでの「甦り」になったのかな???

「感情」を「エネルギー」として考えると、再起動するエネルギー源になった???

09:16 コバルト
https://youtu.be/GIXr3soHhUo
この動画は君の名は。と同じ用なパターンですね。
記憶は消えても想いは消えないというのを描いています。

☆上原先生の言葉「人間の感情構造」「英才児の 観察」 から教育全体を考える

駿煌会ラインの載せたことなのですが、カテゴリーは「教育」としました。
英才児に関する上原輝男先生の言葉ですが、実はこれは「教育全体」に対しての重要な示唆です。決して英才児に限った話ではないということを踏まえてお読みください。


2019.07.14 日曜日
朝 虚空
先日、メールで紹介された上原先生の言葉です。

(昭和62年)「人間の感情構造は、この世に生きるためにあるのではなくて、あの世との交信するために感情構造はあるのだ」
 
 

(昭和62年 福井六呂師温泉)英才児の1年生3人の作文をよんだ先生のことば、
「焚火」なり「遠足」なり「国語の時間」いずれにも共通することが見だされるような気がする、

(中略)自分の視界の中にそれが入ってくる、そのときに凡人と違うっていうことが出てくるっていうふうに思うんです。簡単に言うと長いんですね。目を止めてから目が離れるまでが長いってことですよ。焚火を見た、そうすると焚火から目が離れるまでが非常に長いんです。僅かな時間かもしれないけれど、僅かな時間の中に本当に克明にそれが見えるっていうわけですね。言ってみればね、これは結論を急ぎすぎてるかもわからないけど、個人性すらないんですよ現象を見てるんです。

一般的な言い方をしてしまえば観察してしまうんです。観察するから長いんです。(中略)もう1年生以前からこういう習性がついているからものを見るときには、こんな姿勢が出てくるんじゃないかなと思うんです。

 そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。そういう意味でこちらの意識ではなく物自体についていく。個性個性というけれども、実は個性が捨てられているからっていうことになるのではないか。
 

・・・・彼らは決して人間関係を取り結ばないから、絶えず自分の世界にいる。



これらをふまえて別のところで書いた文の一部です。
金曜日にやりとりしたこととも関係が深そうなので、転載しておきます
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英才児にとって、通常の「作文」は科学者のような視点での「観察結果の報告文」というのが主眼なのだと・・・そこに個々人によって、をれらを踏まえての想いや感想やイメージを付け加える度合いの違いが加わるんだ・・・そんな風にきちんと位置付けて考えるとスッキリと整理できるのではないかと思いました。

イマジネーションの世界が大事、基本、人間のベース・・・それは私も全く異論はないことは再三申し上げているわけですが・・・どうしても「イマジネーションがすべて」という想いが強いと、「思考」とか「知識」が作文に入り込んでくると、イマジネーションの世界にブレーキをかけてしまうものという対立構造でとらえてしまう・・・でも上原先生の視点をきちんと踏まえて考えてみれば、やはり両者は全く対立などしないものだということがはっきりすると思うんです。

「夢か現実か」ではなくて「夢も現実も自由自在に入れ替える」そういった境地に高学年以降は・・・という先生の言葉も、「直線的」「平面的」に二つの世界を行ったり来たり自由に切り替えられるように、とつかまえてしまうと、やはり根本的には両者を対立概念としてとらえていることになってしまう。

でもそれを・・・・例えばこのところよくコバルトブルー君が卍マークの回転に例えているのですが・・・両者が同時に回転することで もつれあって (これも量子論の「量子もつれ」から取り入れている言葉です。「君の名は。」の紐がもつれあって時空が・・・というのとも関係ありそうです)ととらえると、どちらも表裏一体で発展していくもの、という構造がみえてきます。

昨年の英才児たちの作文でいえば、あのように「生命」や「宇宙の振幅」について自分がとらえている知識も含めて、自分が意識できていることを「観察」し「主観を交えないような構えで報告(記述)」できている。だからこそ、あの授業のような場では宇宙とも共振していけるようなイメージ運動が発動できる。

「どちらも自由にできた」ととらえるのか、「あの説明的な作文があのように書けたからこそ、イマジネーションも深まった」ととらえるのかは、英才児に限らず、教育全体のカリキュラムを考えていく上であいまいにしてはならないことだと感じています。

(それがやはり通常の教育現場では中学校や高校以降にこそものを言うのではないかと。Nanba先生が学会で発表されたことの裏付けにもなるではないかと)

この前も書きましたが、こうしたことは特に変わった視点でも何でもないと思うんです。

そこれそ自分の感性・自分の世界こそが生命である 芸術家の方々が、デッサンなどの訓練をカチッと行う・・・だからこそ独自の世界を生みだせる・・・それと全く変わらない。
でも国語だと何だか急に両者は相いれないもの同士とみてしまうのは奇妙なことです。

そんなことをふまえながら先ほど、別の英才児の子の作文をひっぱりだしたのですが・・・5才の時の作文でも、まさに上原先生の指摘された 観察 ということがはっきりと見てとれますね。

そんな視点で、あの中2のツボ作文なども読み返すと、また違った中学生の実像がみえてくるかもしれません。

☆京アニ放火事件 ラインやりとり②

先日ブログアップした http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/369/ ラインやりとりの続きです。
(#京都アニメーション #京アニ )
2019.07.18 木曜日
23:24 虚空
ダンデリオンさんからこのような言葉がTwitterに寄せられました。
学修塾ダンデリオン
@hp45z6DX0wLrKA6
「才能ある人々」なのはもちろんでしょうが、何より志を抱いて真摯に勤め生きていた人々を十把一絡げに葬り去るという、テロというか暗殺というか、何とも形容しがたい凶事(まがごとに)…


2019.07.19 金曜日
06:40 虚空
今朝、別のサイトに載せた文です。

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昨日の京都アニメーション放火事件・・・知ったのは昼前だったのですが、大変なショックでした。通称「京アニ」で親しまれていて、家族体制のような雰囲気で丁寧に良作を生みだしている、という会社。私にとっても非常に好きな作品・大事な作品等々があります。ニュースをみるたびに厳しい現実を突きつけられ、そのたびに涙があふれでてきます。

「気に入らなければこの世から消してしまえ」式の全く自分本位の理屈での犯行・・・そうした行為に容易く及んでしまう人間がますます増えて行ってしまうのでしょうかね・・・。テレビゲーム等々で幼い頃から「邪魔者は消去」という反射神経ばかり異常に発達させてしまっているのかもしれません。

そういった心の歪みを正常に戻してくれるのが、ごくありふれた日常での、人間同士のナマの関わり合いだと思うのですが・・・・ゲームだけではなく、スマホや学習教材DVD等々を乳幼児の頃から与え続けている事も大変な問題とつながるのではないかという危機感を抱いています。

勉強にかかわるものだったら大丈夫じゃないか、と思われがちですが・・・・そういった機器をつかっての学習など、特に語学に関しては効果がないという研究結果もあると随分前に放送されていたのをみたことがあります。でもそういう研究成果って、発表しようとすると業界から強い圧力がくるんですよね。

沢山のお金をかけて大切な我が子を人間として育てず、子どものためを装いながら私腹をこやす業者を潤わせている・・・そんな家庭がますます増えるんでしょうね。

そしてハッと気が付いた時にはもう手遅れになって呆然とする・・・・・・・・・・



09:31 コバルト
自分自身の世界定めをリセット、リスタートするか、自分以外の世界をリセットしてしまえ!の違いですかね。
本当の序破急にはしがらみがないんですから。
沢山の世界観(可能性)が豊かさを生み出すんですが、これしか無いと思ってしまえば、これしかなくなってしまうんです。
単一性が(ゆがみ)になるんですね。


 宗教間の争いなんてまさに今回の放火事件と一緒。
神は唯一の存在、それぞれの一神教という思想が戦争を引き起こすんです。

☆「この人生、夢か幻か・・・」 2019年7月16日のダンデリオンツイッター記事より

19日に駿煌会ラインで紹介したダンデリオンツイッター記事。それをきっかけのやりとりです。

実は20日の夜には、諷虹・虚空の二人が、この記事と、公開されたばかりの新海誠監督作品「天気の子」とを結びつけて・・・様々なアニメの話題も交えながら4時間半あまりやりとりしています。

ただ、「天気の子」のネタバレ満載なので、このやりとりのブログアップは、後日にします。


最近、何度も引用している「このはな綺譚」の一部を記事の最後に再び載せています。
是非合わせてお読みください。


またその中の最後の部分のやりとりは、京アニ放火事件等々、昨今の容易く人の生命を殺めてしまう犯罪行為に走ってしまう人たちとの関連でも重要だと思います。



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2019年 7月16日 ダンデリオンツイッターより

(荘子 逍遥遊篇第一―7)
昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。
栩栩(くく)然(ぜん)として胡蝶なり。
自ら喩(たのし)みて志に適うか、周なることを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち??(きょきょ)然(ぜん)として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。
周と胡蝶とは、必ず分あらん。
此(こ)れをこれ物化と謂う。


【大体の意味内容】
むかし、荘周(荘子)は自分が蝶になった夢を見た。
くっきりとした体感をもって、蝶であった。
楽しく飛び回り、のびやかな心のままにふるまうことができて、自分が荘周であるとは自覚できないでいた。
そうしているうちにふと目覚めてみれば、はっと我に返り、荘周であった。
しかしよく考えてみるとわからないではないか、荘周が、夢で蝶となったのか、それとも蝶が見ている夢で、今この荘周が存在しているのか。
(現実に生きているのが荘周であるという保証は、どこにもないからだ)。
荘周と胡蝶とは、必ずや区別はあるだろうと、我々は考えてしまう。
しかしどちらが原因でどちらが結果なのかは、誰にも判定できない。
今、荘周を「本当の自分」だと信じ込んでいることは、「物化」すなわち便宜上、荘周の方を「実物」とみなしているにすぎないのである。
(怒りに任せて人を殴っておきながら、「これは愛のムチだ」と言い張ることを、暴力の「美化」というのと同じことである。)


【お話】
有名な故事成語「胡蝶の夢」の原典です。「自分」と思っているものは、現実の存在か夢幻(ゆめまぼろし)か、確定はできない。
現実と思いこんでもいつかは必ず死んでいなくなるのだから、やはり夢といえばそうともとれるわけです。

ですが荘子の考えは、そうした「永久不変のものはないからすべては夢『のようだ』」と言いたいわけでは、どうもなさそうです。

蝶と自分とをはっきり区別しようとするのは、片方を「物化」しているにすぎないと断ずるのです。本当の本気で、自分自身を「夢に過ぎない」と考えてみている。存在世界の相対性、我々が生きていると信じ込んでいる「この世」とは、ほかにもいくつもある世界〔宇宙〕の内のひとつに過ぎない。
別次元の宇宙があるのではないかという発見を吐露しているようです。

現代では「相対性理論」とか「人間原理」とかの着想で想定されている宇宙観、またSFで描かれる多次元的宇宙観を、二千年以上前の荘子が既に着想していることにも驚きますが、そんな風に驚くこと自体が現代人の思い上がりで、昔のほうがレベルが低いはずと考える非礼に過ぎないわけです。

むしろ現代人のほうが、「これまでの常識がぶっ壊される」ことについて、臆病です。

これまで自分が正しいと信じ込んでいた常識が破壊されたり否定されたりして、それを受け入れてしまうと、「自分がなくなってしまうようで怖い」という決まり文句で及び腰になり、新しい発想や逆転の発想を拒否してしまいがちです。

荘子はむしろ、「胡蝶の夢」で、「自分がなくなってしまう可能性」を、嬉々(きき)として受け入れたわけです。

「自分自身が『存在する』と思いこんだり、『生きている』と信じ込んでいたことが、実は錯覚なのかもしれない、そりゃあ面白い!」と。

いまの自分は蝶によって見られている夢なのかもしれない、
その意味で、蝶によってほんの一時(いっとき)、生かされているだけなのかもしれない。
ならばそのほんの一時(いっとき)を、精一杯夢見られていればいいではないか。
蝶が夢から覚めたとき、「ああ、いい夢を見た」とご機嫌になってもらえるような、素敵な夢であればいいではないか。

きっとそう考えたのだろうな、と勝手に思いました。
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22:28 ヒマワリ
私も「天気の子」観てきました!
つくばで観てきたのですが、向かうときは雨が降っていて、帰りは青空が見えるほど晴れていました!

ダンデリオンのお話、ステキ。
こんな感じの話を今月の上旬に我が家でやった地元バーベキューのとき、姉ちゃんとかと喋ってた内容に近いなーと思いました。

なんでそんな話になったか詳しく覚えてないんだけど、
私が「『自分』ってなんなの?って考えだすと止まんなくなって怖くない?」って言ったら、
姉ちゃんが「分かる!ってゆうか死ぬって怖くない?死ぬの考えると怖いから考えない」みたいなこと言ったんだ。

うちのばあちゃんが死ぬときって皆んなで看取ったよねとか、あっちばあちゃんが死んだときはパパが棺桶に六文銭を入れたのを姉ちゃんよく覚えてるって言ってたりして。
三途の川を渡るのに必要なんだってゆうとこから。

そんな話してるときに、どっちが現実で、どっちが夢かなんて分からないよって言ったりしたんだ。
死ぬってきっと眠りにつくみたいじゃないかなーって。
死んで、あっちの世界に行って、目覚めたら、あっちが現実かもしれないよって。
こっちで生きてきた出来事を、あぁ私は長い夢を見ていたんだなって思うかもしれないね!って、ワクワクしながら話した。
それ聞いて姉ちゃんも「おぉ?」ってリアクションしてた!

2019.07.20 土曜日
06:17 虚空
そういう感覚ってかなり前からありましたね・・・・。
最初に強烈に感じたのは、やはり予備校生時代に、大好きだった祖母が目の前で臨終したとき。(祖母に意識はなかったですが)
祖母が「人間からモノ」になっていく。
体調がどうにも悪いというので救急車で病院に連れて行って数時間後のできごと。私が知らせを聞いて東京から到着して1時間後くらい。
真っ先に感じたのは「祖母は自分が死んだのを分かっているのかな?」って。
魂があったとしても宙に浮かんで天井当たりから不思議そうに見下ろしているのかな・・・とか。
だから叔母たちが号泣しているとき、自分は妙に冷静になって(感情が切り離された状態 スピ用語でいう離魂状態?)いて、天井を見上げていました。姿はみえないけど、目があっているかな・・・なんて思いながら。

もし魂がなかったとしたら、眠っている間にそうやって他界したら、もう意識はそれっきり・・・永遠に起きることもないんだな、どころか起きるという感覚すらこの世からなくなるんだなと。
魂があるのかないのか・・・そのうち分かるんだと思いますが・・・でもなかったら気が付けないか(苦笑)

そんなことからいっても、京アニのような身勝手な人間によって、かけがえのない生が奪われるなんていうのはね・・・・

事件報道のあった日の翌未明・・・いつも録画している温かい雰囲気のアニメをみながら「こういうアニメをみることができるというのは当たり前のことではない世の中になってしまっているんだな」と思ったら、妙に悲しくなりました。

で、明るくなってからの天気の子・・・
朝の情報番組で新海監督ナマ出演のを夜になってみましたが、冒頭、京アニのことを悲痛に語っていて・・・

天気の子の具体的な感想だとネタバレになってしまうでしょうから、もしよかったら個人ラインとかメールで聞かせてくださいね。
(他に観た方々も同様にお願い致します。少しすれば駿煌会の方でみんなでやりとりできると思いますが、今はまだね・・・)

(20日、夜 諷虹・虚空 このツイッター記事と「天気の子」とを関連頭けての様々なやりとりが4時間半あまり。ネタバレ満載なので今回は記載しません)
7月21日
07:00 ソルティ
 おはようございます。
「蝶」のお話。。。見るならこのような夢をみてみたいな。と思う。楽しく飛び回り、「 のびやかな心のままにふるまうことができる。」 ってとても豊かなことだなと想像する。折角この世に生をうけているのだから、あの世にお出かけする前に、この世でこの心境になれる経験をいっぱいしたいな~と思う。 このところ とんと夢をみなくなってしまった。見た夢を覚えられない位、記憶力が低下してるのかな? 嫌な事だけさっさと忘れ去って いい思い出だけ残ってくれるといいな~と思う。
現実は しがらみだらけで結構重いので何か良い手を考えてみよう!!

13:49 コバルト
序破急スタイルって以前から出ていましたけど、まさか核心のあたりの事に繋がるとは思いませんでしたね。

泡となって消えて行くもの。
稀に消えずに広がっていくものがある点にしても量子論的だし序破急になるんですもんね。
すぐに核心(正解)を立てる必要はないと思っています。
沢山のシチュエーションを持つことが大切なんです。
それが行き詰まってしまえば自分の中から勝手に消えていくだけなんですから。

15:13 虚空
 逆にいえば「これだ」と分かったつもりになって、満足してしまう方がコワイかもね。
思考停止・・・未知の領域は永遠に分からない・・・だから諦めるんじゃなくて、どこまで迫れるかという気持ちかな・・・

上原先生が既に分かったことにはこだわらず、すぐにそれは「もう終わった」として自分の過去から「消去」し、「さあ、次!」という姿勢をみせていたのもそういうことかもね。
どうしても「分かった」ということに安住したら、事実上生きていないのと同じになってしまうから。
だから古代日本人の「禊」の知恵はすごいことだと思います。

かなり前(社会人クラスの頃)にそうした話をしましたが、古来からの日本人の発想からすれば「著作権」という概念も「商標登録」という概念も多分なかった。そうしたアイデアもすべて、あちらの世界から頂いたものという発想があったから、個人が独占すべきものではないと。個人の業績というのはそもそも存在しない。

名を残す、とか 名誉 云々は中国などから入ってきた外来思想。そこに西洋的な「個々人の権利」という考えがはいってきてなおさら強化。

だって、和歌の本歌どりなどもそうだし、芝居もそうだけど、現代風な言い方をすればある意味では日本の文化は「パクリの文化」。ただ、それを「自分だったらこうする」とアレンジする。それを互いにやりあっていた。

過去の形のままで、それにしがみついていつまでも地位ア名誉は収入を頼るのは恥ずべきことと考えていたようです。
むしろ、誰もパクッてくれなかったら、土台にする価値もないもの、という証と受け止めていたんじゃないかな。

それも泡の思想かもね。
*国産みに最初に失敗した時に生まれた子の一人は「淡島」・・・アワなんですね
参考 1)
現象にとらわれて、現象を主体に考えると、そこから生み出されるものは「泡のようにすぐ消え去ってしまうもの」ということを示唆している・・・というのが虚空の父の解説です。


参考 2)
ダンデリオンツイッターの今回の内容、これをアニメ(コミック)で端的に示したようなものの一つが、最近も何度も引用している「このはな綺譚」

紹介している内容での最後の柚と少女とのやりとり・・・あのような事件(京アニ放火)の犯人もそうですが、昨今のなるふり構わないような凶行に及んでしまう人たちは、そういった出会いをする機会を自ら断ってしまって生きてきてしまったのかもしれません。

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このはな綺譚 第一巻 アニメ4話後半
『花嫁御寮』
*柚を人違いしているおばあさん 人形を本当の娘だと思って話しかけている。
桐 柚、あんたは人間に育てられたんだったわね。じゃあこんな話知ってる?
若くして亡くなった娘の代わりに人形に花嫁衣裳を着せる風習があるんですって。
娘があの世でお嫁入するために…。
柚、あんたはどう思う?ここに居ない人たちと過ごすあのご婦人を可哀そうだと思う?
柚 それをお客様が望まれたのなら、お客様の見る世界が真実です。
だってお客様は神様ですから。
*人形が人間化して現れている娘、桐に向かって
娘 お母さんを化かすのはやめてちょうだい。・・・いつまでお母さんをこんなところに閉じ込めておく気!?
早くここから出して!!
桐 それはできかねます。お母さまは自ら望んで此花亭ののれんをくぐって来られました。
私達仲居にできることはお客様をおもてなしすることだけ。追い返すことはできません。
あなただってなんの因果かもう一度産まれて来れたんですから、ここでの時間を楽しまれればいいじゃございませんか。
娘 できるわけないじゃない。
どうせこんなの夢なんだから。
覚めたら余計に悲しませるだけじゃない。
桐 でもねえ、お嬢さん。
あんた方人間様の一生も、ここ(此花亭)でみる束の間の夢も、あたりら狐にゃたいして変わりませんよ?
「ああ、いい夢だった」それじゃいけませんか?
少なくともお母さまはそれ(夢)でも構わないんですよ。
(娘、泣き出しながら)
娘 わたし、ここであなたたちに恥ずかしいところばかりみられているわ。
桐 人が成長するってのはそういうことでございましょう?
たくさん恥をかいて何度も後悔して、どうか素敵なひと(女性)になってくださいね。
(娘 白無垢姿に)
お婆さん 今日はいい日ね。よく晴れた暖かな春の空。まるであなたが産まれた日のような。
娘 お母さん
お婆さん 子どもはすぐに死んでしまうから、七歳までは神様の子だとされていたの。
娘 あなたはわたしのことを神様の子だと言うけれど、わたしはずうっとあなたの娘でした。
本当に夢みたいに幸せな一生でした。
ありがとう、お母さん。
(消えていく)
お婆さん みんな、行ってしまったわ。また、ひとりになってしまったわね。
仲居さん、本当にありがとう。あなたたちのお陰で、幸せな時間を過ごすことができたわ。
本当に夢のような・・・
桐 夢ではございません。これからはずうっと娘さんとご一緒にいられますわ。共に過ごすことの叶わなかった数十年より長く…。
お婆さん ああーっ、本当に今日はなんていい日なんでしょう…。
(柚が部屋にくる)
柚 お客様、ご昼食をお持ちしました。
(室内は桐だけになっていた)
桐 お客様ならもう旅立たれたわよ。娘さんのところへ…。
柚 (寂しげに)そうですか…きっとお急ぎだったのですね。お見送りできなかったのは少し残念です。
桐 そういえばお礼を言われたわよ。
あんたたちのお陰で夢のように日々だった、って。
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このはな綺譚 第二巻  アニメ 八話前半
『潮騒』
砂浜に漂着していた少女に出合う柚。少女は柚に「自分の船が遭難した」とか「自分は人魚」とかいう。柚は大真面目に信じて何とか力になってあげようとする。
少女 ・・・ちなみに人魚っていうのも嘘。
柚 嘘なのですか!?
少女 仲間を探しているのも嘘。あたし友達いないから。だってみんな嘘つきのあたしが嫌いだもん。親も学校の子たちも。
みんなの陰口 「いつもそんな子どもみたいな嘘ばっかり」「人の気を惹きたいだけでしょ?」
少女 あんまり嘘ばっかりつくから最近はもうなにを言っても無視される。
誰も話を聞いてくれないから、嘘をつかなくなるとさ、現実って残酷なくらい変わり映えしないんだよね。
柚 そうですか。私はお宿で仲居の仕事をしておりますが、色んなお客様がいらしゃって毎日わくわくします。
少女 それは柚ちゃんがやりたい仕事をしているからだよ。
あたしは趣味とか将来の夢とかないから、毎日ただ学校に行っていつか大人になったら毎日仕事に行って、これからずっと毎日毎日その繰り返しで。
なんだか未来(さき)が見えちゃったんだよね。
騙してごめんね、狐ちゃん。あたしそろそろ行くわ。

柚 騙されてなどおりませんよ?だってお姉さんはおまんじゅうを返してくれました!
騙すというのはそれでなにかを盗ったりひとを傷つけたりすることです。
お姉さんの作る「お話」は楽しいです。だって私は今日一日で、遭難者と迷子の人魚とあなたに会えました。とても楽しかったです。
少女 楽しい?
(過去回想 聞いて聞いて!いまそこで宇宙人見たの!!ほんとうだって、ほら!今UFOがいた!)

少女 子どものころは嘘でも構わないからわくわくした。
答えの分かり切った代わり映えのしない「現実」
妄想も空想もぜんぶ含めて「現実」なのにね。
アンタみたいな子があたしの傍にもいれば良かったのに。そしたらあたしはあたしを否定しなくて済んだ。

柚 いらっしゃいますよ。きっとまで出会っていないだけです。
わたしが今の仲間たちと出会うまで「仲間」を知らなかったように。