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☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら④

④はお店を出たあと、まずは駐車場での立ち話。
そこからさらに別の場所に移動して、そこでの立ち話記録です。

店内でやりとりしたことをもとにして「量子もつれ」との関連や「英才児の特性」や「教育に関するあれこれ」と話題がめまぐるしく錯綜しますが、ここ数か月のやりとりを凝縮したような部分もあるので、是非読んで頂けてたらと思います。
(2019年7月13日 サイゼリア駐車場にて  諷虹・コバルトブルー・虚空)
*店を出ての駐車場にての一部 
(ある歌手の話題から発展して)
コバルト 歌で嘘をついていても何も響いてこないし。確かに上手だけど、それだけだよね、って。
諷虹 きれいごとしか書いていない。思ってもない耳障りのいい事だけを並べても共感は得られないですもんね。まさに歯の浮くような・・・
虚空 業界用語で「評価基準」っていうのがあるんだけど、人間のための評価基準じゃないんだよね。

今の学校教育を変えようっていってもなかなか無理なところはあるんだけどさ、そうじゃない基準の世界だっていくらでもある、っていうことは広めたいね。そういう場もなかなか作れないからせめてネットでそういうサイトを、って思っているわけだけどさ。

教師を目指すような若者とか、若い先生なんかも本当は駿煌会のブログなんかをみてくれるといいんだけどね。

こんな切り口で人間や教育について語っている連中もいるのか、って知ってもらうだけでもだいぶちがうから。
別に受け入れてくれんくたっていいんだよ。でも今の教師の研修とかとは全く違う切り口。
*さらに別の場所での立ち話 一部
・上原先生を伝えるということ
虚空 上原先生のことをより深く理解するためにも、ちょっと違う角度のことも参考にしてみる

コバルト こういうやりとりを通して目を通していくと、ちょっと違和感があって「?」ってなるようなものも・・・

諷虹 アンテナが増えていくというかね。今までキャッチできていないでスルーしてたことに引っかかれるようになる

虚空 この前のNanba先生とのやりとりでも「観ているところが違う」っていうことが出ていたけど、やっぱり上原先生の話を理解するためにはね、いろんなアンテナを自分で持って感度をあげていかないとね。

自分の器だけで上原先生をみちゃうとさっぱり分からないし、分かったつもりでとんでもない誤解をしちゃうわけだよ。

発想の次元そのものが違うんだから。非常に高次元で発想しているんだから。

だからさっきの座談会の記録にしたって、アニメや教育とかに全く興味がない人が読んだら、子どもに受けるための番組作りの話なのか、程度にしか受け止めないじゃない。

でも違う観点をもっている人が読んだら「これはもっと深い意味が隠されている。人間や教育の根源に迫るやりとりだ」って思える。
実際に二人だってそういう観点でさっきサイゼリアで「世の中のつかまえかた」とか「発想のパターン」とか「人生」とかそういう観点からいろいろと意見をいっていたわけだしね。
(略)
*聖徳の「おうち作文」3年2クラス分 6年1クラス分をよんだ虚空の感想


虚空「3年生でもおうち意識のポイントについてしっかりとつかまえているよ。客観的に分析して書いているんだよ。一通り網羅するように。
で、それをきちんと列挙して説明している感じのが多いかな。

そうするとね、ずっと前にいろんな学校の子に書いてもらって、それぞれに出てきたポイントを拾い上げて重ね合わせていったわけだけどさ、そんな作業をした段階は、子どもら自身で通過しようとしているよ。構造化されていないだけで。

じゃあ、授業で何がポイントになるかっていったときに、自分の今の考えは、さっきサイゼリアで読みかけたあの2号の座談会のようなことになると思ってるんだよ。


コバルト テンポと場面?


虚空 もっと後半。さっきはそこまで読まないでやりとりしていたんだけど、後半教育の常識をひっくりかえすような提言をしているんだよ。なんて50年くらい前の座談会なんだけどね、あれは。

諷虹 このタイミングでその記事に注目するきっかけがあったっていうのは・・・
虚空 そうなんだよね。
諷虹 学生の時に読んだ以来、って言ってましたよね。
虚空 そう。

諷虹 50年分のタイムカプセルをあけたみたいですね。
(略)
コバルト でも、そんな風に文字として残っていたものがこうして50年たって生きてくる、っていうのはね。すごい。

虚空 駿煌会のやりとり記録も後世に何か生かせるといいよね。ずっと先になっても。
改めて上原先生のすごさが分かるよ。だってあの座談会の時点で先生は41歳くらい。今の自分より20歳近く若い頃だよね。

話している内容もすごいけど、やっぱりその切り口とか、発想そのもののすごさ・・・立ち位置の次元が違う。
だから話している中身を分かろうとする以前に、少しでも自分自身の次元をあげる努力をしないと、「分かったつもり」で結局は自分の器でしかわからないんだから、分かったことにならないよね。

だから先生のことを後世に伝える、っていうときにも気をつけなければいけないのは、下手に自分の解釈で「これは大事、これはまあいいか」なんて決めつけないことだよね。それほど大事じゃないと思っていたことが実はすごく大事だったっていうことだって普通にあるわけだから。こちらがすごさが分からないだけで。

だから「事実」としての先生の言葉をきちんと残す必要があるわけだよね。
でもさ、教育分野に限らず心意伝承とか、とにかく先生の業績ってとんでもなく広範囲なんだよね。

そしてさ、ここも重要なんだけど、先生の頭の中では全部つながっている。それを重ね合わせて考えようとしないと迫れない。
それは一人じゃできないよ、とてもじゃないけど。
だからいろいろな分野の人たちが上原先生の業績を残すためにそれぞれの関心で行って、それを全部まとめて、っていう形にしないとね。

おんなじように、さっきの座談会記録だってね、自分一人で読んだら反応するところは当然偏るわけだよ。

諷虹 (虚空と)二人で語り合ってたとしてら、「序破急」は浮上してこなかったでしょうね。起承転結にしか目いってませんでしたから。


虚空 直接「序破急」という言葉は出ていなかったしね。だからこれはコバルト君がいればこその観点だったよね。


諷虹 序破急から一気に広がった感がありましたよね。


虚空 だからさ、そういうところから聖徳のおうち作文だって読んでいかないとならないと思うんだよ。
単に内容がどうのこうのじゃなくて、いろんなつかまえ方をする人たちの感じ方を重ね合わせて。
一人だけでは、どうしてもそれぞれの関心事によって受け止め方が180度変わるから。
それは聖徳に限らずそうじゃない。同じ作文とか、同じ発言とか・・・もっと言えばうちのクラスで褒められる子は、教師主導の考え方の先生には問題児扱いされてしまうとかね。


コバルト 普通のそういった授業って「シナリオ通り」ですよね。


諷虹 4コマ漫画タイプ


虚空 だからさ、自分はさっきの言い方をすれはいい意味での「序破急」を期待していたんだよ。予定調和の発言ばかりじゃなくて、あわよくばこちらの意識も打ち破ってくれるようなね。


コバルト 4コマ漫画って先が読めるじゃないですか。
諷虹 オチがみえる。

コバルト パターンができてるわけで、それに当てはめているだけ。結局「起承」の「承」って「承認」だから「そうだよね、そうだよね」でみんな同じになっちゃうんですよね。
「序破」だと「破」の部分が「量子もつれ」なんですよね。


*「鳥瞰」の話題
虚空 この前の6月1日のNanba先生とのやりとりも早く文字起こしを進めたいんだけどね・・・

諷虹 鳥瞰の話も出ましたしね。(聖徳・地理教育)

コバルト 鳥瞰っていうのも結局は意識じゃないですか。場面がたくさんうかんでくる広い意味での場面じゃないですか。

虚空 実際に自分が鳥になって眺めているわけじゃないからね。その視点だったら、って想像していることだよね。
しかもさ、あの時に話題にした鳥瞰は、ただ見下ろしての鳥瞰だけじゃなくて、「現実には見えないようなものまで時空を超えて見えた」っていう鳥瞰だからね。

参考1
::::::::::::::::::::::::::::::::::
*ここでいう「鳥瞰」は シノハユ (9巻) 麻雀漫画「咲」の外伝作品 に登場。
(対戦相手が気合を入れなおす)
「風が凪いだような・・・この感じ・・おかあさんと打ったときにもよくあったな。
(回想)
慕「ああいうときどうするの?」
母「どうするの、って、そうねぇ・・・麻雀に限らずすべてにおいてだけど、まよったら一歩ひいて周りをみてみるの。」
慕「麻雀だと一歩引いても見えるものはかわらないよ」
母「おっしゃるとおりですけど、なんというか、卓上より広く見て、他の打ち手のまとう空気、それぞれのバックボーン、自分のバックボーン、世界全体をみるのよ。
たとえば~・・・なんかこまったときにね、おじいちゃんの外国の友達にバイオ研究者がいたなぁとか、北欧人のお金持ち女性がいたなぁとか・・・冷蔵庫にアイスクリームのケーキがあったなぁとか・・・」
慕「あるの!?」
母「ああ・・・口がすべった」
慕「やった」
(回想おわり)


⇒11巻についての諷虹・虚空やりとり(5月26日)
諷虹 この時は一瞬だけ垣間見る・・・能力に目覚めかけるんですけど、それが丁度昨日発売された最新刊(11巻)で、滅茶滅茶絶望的な状況にたたされたときに水底にいるような描写が描かれて、羽根の描写がこのあとでて、空中高く浮かんで、今の試合だけじゃなくて他の会場の様子だとか、今まで戦ってきた人たちが今何をしているのかが、同時に見えるんですよね。まだ登場してきてないキャラもいたりして。・・・それで今の局面がみえてきた、って。

虚空 さっきのお母さんの説明でも感じたんだけど、一歩ひいてみるものの実例が、常識的にかんがえれば全く関係ないようなものもいっぱい含まれているよね。
今の対戦中のだって、局面に直接関係ないものも同時にいっぱいみている。
その中で「局面に関係ありそうなのはどれかな?」って考えているわけじゃないんだよね?関係なさそうなものも含めていっぱい観て、それが重なりあったところから局面を直観しているような感じに受け止めたんだけど

諷虹 まさにそうだと思うんですけど。どっちかっていうと対戦相手のことはあまり観ていないですからね。麻雀中でない人のことの方が多いくらいですからね。
「見えた!」っていってみているのは会場の外の風景ですからね。

虚空 だからさ、最近教え始めた高校生にもよく言うんだけど「理系文系」なんていうつまらない仕切りなんて取っ払って・・・できれば自分が今まで関心のなかったような分野とか、絶対関係なさそうなものからヒントを得よう、っていう姿勢こそが本当の意味での実力・・・生きる力になるんだ、って。まだ「類化性能」っていう言葉は紹介していないんだけど・・・。

さっき「垣間見る」っていう言葉も使ってくれていたけど、チラッと垣間見たことの意味が「なんのこっちゃ?」っていう事の方があちらの世界からの深い意味が内在していることが多い、って。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
参考2 「英才児 その神性と野生」 葛西琢也 著
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
P177 三、トランスフォーメーションの適応 -見立てー
想像的上昇は私たちに鳥瞰の視点をもたらす。大地から離れることなくして、上空から地上を見下ろす視点、のぞきこむ視点を獲得することになる。そのとき既に時空の転換、トランスフォーメーションが発動しており「世界定め」が成立している。(後略)
:::::::::::::::::::::::::::::
*国語以外の教科との関連
コバルト 違う教科をみるっていうことは、自分の「起承転結」におさまらないっていうことだから、壊すための「破」が必要になってきちゃう。

虚空 普通の公立小学校の学級担任はそれをあたりまえにやっているわけだよ。でさ、例えば国語の授業ではこの子はあまり意欲的でない、っていうのが、理科とか体育とは違う授業の時には全く違う顔をみせるとかね・・・「この子はこう」っていうのをぶっ壊すようなもんだよ。
もっともそういう見方をしない先生も現実には多いけどね・・・残念ながら。

でもそれをきちんとしなければならないのが小学校の先生の役目なんだよね、上原先生がよく言っていたけど、小学校の教科内容を上手に教えられるかどうかが小学校の先生の専門性ではないと。

いろんな教科とか活動の場面の顔をみることができるんだよね。それらを重ね合わせて一人一人の子供をつかまえることができるのが学級担任にしかできないことだよ。

聖徳とか中学校・高校だって、本当だったら学年の担当の先生たち全体が、一人の学級担任であるかのように横の連絡を密にする必要があるんだけどね・・・これは学校によって極端に違うと思うよ。


諷虹 重ね合わせですよね・・・量子論的な。


虚空 実際には自分が担当している教科だけでアップアップになっちゃうんだけどね。

コバルト それが起承転結の並びになっちゃっているっていうわけだから・・・。それは(量子)もつれが起きないっていうことだから・・・。自分が今まで目にしていたものでしか、目がいかない。どうしてもそうなっちゃう。もつれる、って大事。
補足)・・・NHKの番組 コズミックフロント NEXT「にゃんこ博士が説く? 量子が教えてくれる宇宙の謎」 より
量子論で初期に言われていた「量子もつれ」よりも拡張した概念の「量子もつれ」の方でコバルトブルー君は使っている。
初期の「量子もつれ」
もつれている二つの量子はどんなに離れていても片方の性質が決まれば、もう片方も自ずと決まるというものです。
最も進んだ「量子もつれ」
アメリカ 量子コンピュータ―の物理学と、宇宙のなりたちを考える物理学が合体をして面白い研究が進んでいるといいます。
「量子コンピューターの科学者たちが編み出したテクニックは私達が時空について考えるときに、大きなヒントになります。
たとえば重力と量子力学の関係を考えるときに、量子コンピューターの理論が役立つのです。⇒ブラックホールと量子力学 
そのキーワードが量子もつれ。
「最近の研究で量子ビットが十分に強く相互作用した場合に、重力が働く宇宙が生まれることが分かりました。
相互作用がなければ 重力も宇宙も出てこないのです。」
コンピュータ―の中で使われている量子ビットがもつれると宇宙が生まれるという
「量子ビットを1本の糸だとすると、それが量子もつれによって複雑に織り合わさり、時空という布が出来上がるといういうイメージです」
⇒ここから諷虹・虚空の二人はほぼ同時に「君の名は。」を思い起こす・・・紐に関しての祖母の解説セリフ
さらなる補足)同番組ですぐあとに出てくる次の言葉・・・古来日本人の「この世(現象世界)はうつしよ・・・目に見えない世界の方に実体はあり、それが投影されているようなもの」という見方と通じるような内容。
「宇宙で起こることはすべて、この外側のスクリーンに描かれているようなものです。
現実の究極の記述はこのスクリーン上にあります、量子ビットの一種だと考えてください。
それが動画のプロジェクターのように3次元世界の幻想をつくり出し、私達が経験しているのです。」
つまり、3次元のぼくらは本当は量子ビットに記録された2次元情報でしかない、ということ。それが量子もつれのおかげで3次元のこととして写し出されているということ」
⇒別冊 Newton 「次元のすべて」2019年1月5日発行
P154~「空間は幻なのか」(ホログラフィー原理)
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
諷虹 観測するって焦点が合うっていうかな・・・合わない状態で見るのが俯瞰とか鳥瞰的な感じですもんね。

コバルト 桜井章一も本当に強いなと思った相手は「視点が定まっていない人」。こいつは何を考えているんだろうっていうような


虚空 古武術のポイントもそうだっていうように言っているよね、甲野さんが。あとはあの忍者の大先生・・・空手の達人が全く手だしできなかったというのも、これだよね。


コバルト つかみどころがないんですよね。つかみどころがあれはつかめて、起承転結のシナリオ通りにもっていけるんだけど・・・・「ああ、こいつはこうやっていくんだな」って読めたりするわけです。予想できるんですよね、ある意味。

諷虹 到達地点がみえるから妨害ができるというか
コバルト そうです

諷虹 それがどこを目指しているのが見えないと何処で邪魔していいのかもわからないで、下手すると自分だけが転んじゃう。


虚空 そういう意味では(麻雀漫画 咲 の主人公)宮永咲が「何でこんな打ち方を?」って周囲に思われてしまう場面って、よく出てくるじゃない。時には「こいつ、全くの素人か?」とか「まるで空気が読めていない」とか。

諷虹 プラマイゼロを狙っているなんて普通思わないですからね。

虚空 勝ちにいくようになってからだって、そうだよね。それで周囲が勝手に錯乱していくようなところがあるよね。で、最後になって「それが真の狙いだったのか!!!」って。でもその狙いへの筋道の立て方が、普通の全国レベルの打ち手でも見抜けない。
全く違うところを見ている・・・・さっき出てきたことだよね。
だから「化け物」なんてまで評される。
逆に和(のどか)なんかは、ネット麻雀で鍛え上げて全国レベルになった口だから、強いのは強いけど、人知を超えた化け物みたいな脅威を周囲に抱かせる場面はあまりないよね。

*序破急 の 破 の発想から

虚空 風を吹かせるというか、暴風を吹かせるくらいの存在っていうのも時には必要になるわけだよね。大きな転換期には。
そういうのと 上原先生の犠牲論 がつながっていると思うんだけど・・・


コバルト そういうのがないと(結果として)虹は立たないから。結局「虹」の部分って何なんだって・・・


諷虹 諷虹ってどっちの部分も含んだ名前を駿煌会では名乗っていながらその要素が・・・

コバルト こんど公開される(新海誠監督新作)「天気の子」、あれだって 虹 っていうのが大切な・・・

結局「不幸」か「幸」かっていう・・・その反転がね・・・「回転」が起きている、ってね・・・
(注 別の場面で 卍マークが相反することの回転の象徴という発言をしている)
虚空 そういうのって「相転移」っていうのとからむのかね・・・自分は数学でも「位相学」っていうのは入門程度にもあんまりかじったことがないからよく分からないんだけど、「相転移」っていうのも語彙として使えるようにはなりたいな、って思っているんだよね。
ちょうど上原先生が「構えの変革」とか「時空の転換」とか「世界定めの軸の設定変更」なんかを「トランスフォーメーション」なんて呼んだような感覚で。

諷虹 まあ、 Sin だって90度ずれれば真逆になったりするわけですからね。


虚空 やっぱり「位相学」だとか「線型代数」とかもう少し真面目に向かい合わないととは思う。人間の考察のためにこそね。

上原先生の考え方っていうのもさ、漢語を使ってっていうと、どうしても世間的には難解でわけわからないとか、誤解されやすかったりするわけだよ。「言葉」からの印象で、それこそさっきの言葉で言えば「上原輝男がどこをみているか全くわからない」って。
つまり先生の使う「言葉」が、通常の使い方と違うっていうか・・・「どうしてこのことをこの言葉で言い表すの?」って思われてしまう。
そういったこれまでの世間の常識が、大きな壁を作ってしまう。

だから逆に理系用語・・・トランスフォーメーション・・・とかっていう言い方の方が、普通の言葉の意味にほとんど引きずられないから、カチッと言い当てられるのかもしれない。
よく先生がさ、授業の狙いを「漢語」で言い当てろ、って言っていた。それはあいまいさがなくなるから、って。授業の焦点とか狙いがビシッと定まる・・・自覚できるから、って。
理系の論文なんて特に英語で書く慣習が専門家の間ではある、っていうのもそういった面があるわけだろ?

中学生や高校生に 人間の心とか意識の問題 を考えてもらうときに、ずっと以前から数学とか理科の例えを使うようになったわけだけど・・・最初の頃は国語の依頼のない・・・数学や理科や英語という依頼ばかりの家庭教師という立場で、上原流のことをどうやって扱うかっていう苦肉の策として、理系から人間の心や意識の問題を結び付けることを模索してきたんだけど、今はもっと積極的に考えるようになっているよ。

むしろ、上原先生の発想や、日本人古来の神話的思考なんかを扱う時に、そのままよりも理数用語を使った方が、スッと入っていける。

見かけ上の言葉にひきずられないから。神話的思考だからといって直接神話をとりあげると、ギャップが大きすぎるんだよね。相手によっては「軍国主義」のイメージをひきずって受け止められてしまうし。

「感情」だってね、どうしたって「喜怒哀楽」のことなのに、なんだかわけの分からないことを言っているな・・・って、どうしても常識的な言葉の意味が、大きな壁になってしまうから。
それがそのまんまで、テスト対策用の国語なんて授業でやられるから、言葉の感覚が豊かっていうか・・・言葉にこだわりが強いほど、理解不能・・・自分とは全く関係ないのが国語の授業・・・大嫌い・・・ってなっちゃう。

国語の素養が豊かなほど、国語は大嫌いです、っていう子は沢山いたもんね。

でも理系用語で自分の意識が整理されると「納得できない理由ってここにあったんだ」「これが壁の正体だったのか」って自分で気が付けるんだよね。そうすると一気に、いわゆる世間的な「テスト対策国語」にも対応していける。特に問題演習をバカみたいにやらなくてもね。
壁の正体がみえないままだとね、そんなに難解な文章でなくたって、言葉が脳にまで届かないよ。どんなに丁寧に解説をきいたって頭を素通りしちゃう。だって人間ってそうできているんだもん。

だからね、上原先生が「構え」を国語教育に導入した、っていうのはすごいことだったんだと思う。

コバルト 結局、自分をずらせるか、ずられないかですよね。


諷虹 線形代数って・・・(基底ベクトルの解説)・・・普通はそれをX軸 Y軸 という直交座標で習っているわけですけど、別にそれにこだわらないで、違う向きのベクトルのいくつ分、って違う基準のとりかただって別にいいんだよ、って。
自分基準で、この感覚でも許せるか、許せないか・・・って国語的に置き換えることができるんじゃないか、っていうことですよね。


虚空 同じ事実であっても、軸が変れば、その世界の中では新たな位置づけになるわけだよね。位置を表す数字がかわるから。
そういったそれぞれの座標系を「意識世界」ってよんでいると思ってくれればいいんだよ。
そして、国語の授業っていうのは、その座標のとりかたの違いによって同じことが違った意味付けになる、っていうことからはじまって、自分の中の軸をかえたらどうなるか・・・それがトランスフォーメーションだよね。そして個々人がどういった座標系で生きているのかを察し合う・・・認め合う・・・いろんな座標系のとりかたを想定できる、許容しあえる・・・そういうことだよね。

そういうことを最終的には目的としているんだ、って意識して授業が行われれば、たとえ世間的な「テスト対策授業」だって、生き様っていうか・・・構えの柔軟さにつながっていけると思うんだよね。

だって、物語文でも説明文でも、違う座標系の理解っていうことなんだもん。相手の座標系が分からなければ、テスト的な正解だったできない。
テストでさ「あてはまるものに〇をつけなさい」式の選択問題で間違える子、って大半はそれだからね。筆者とか登場人物のモードじゃなくて、「自分が納得できるのはどれかな?」で選んでいるよ。

そうするとね、たまたま自分と傾向の似ている場合は、それで〇になる。でもその土台の部分からして違う場合は、?になる。しかもね、どんなに表面的な解法のコツを解説されても、そのずれに関しての軌道修正がなされていないから「わけわかんない」ってこうなっちゃう。


随分前にNanba先生が「憑依能力」って言っていたことがあるんだけど、結局それっていうのは「それぞれの座標系に立つ」っていうことなんだと思うよ。


コバルト 頭ごなしに相手を否定する人っていうのは、自分の基準は変えないっていうのが前提だから・・・

虚空 そう。自分だけは絶対正しいって。今のネットの世界なんてそればっかりだからね。アニメの感想にしても何にしても。
だからうっかりちょっとでも違う意見を書き込むと総攻撃を受ける。

上原先生の発想っていうのはそれこそ桁外れだからさ、簡単に「先生の考えはこうです」なんてとてもいえないよ。
うっかり分かったつもりになったら大変。だから常に「こういうことだったのかな???」とか吟味を繰り返しているからね。

コバルト そこに本当に上原輝男はいるのか、
諷虹 (分かっていると思ってしまったら)影だけ追っていることになりますね。

コバルト 結局神社だってそうじゃないですか。分社っていって・・・一か所にとどまらない。お守りだってそうだし。

諷虹 量子論的にいうと、観測した地点で(たまたま自分にとって確定した瞬間のものを)ずっと追っかけてしまうようなものですよね。
「ここもあり得る」っていういろんな可能性が本当はあるのに、一回たまたま目にした場所だけを重点的に調べているとかね。「ここも出そう」なんていうことには目も向けないで。自分の前にでた事実だけを頼りにして。


虚空 そりゃね「ああ、こういうことを先生はいいたかったのか!」って自分なりにストンと落ちた・・・納得できた・・・っていう感覚になることはあるよね。それは自分だってあるよ。ただ、問題はそれを絶対基準にしてしまうのかどうかだよね。

それは今の自分・・・今の「器」に盛り込むことができた上原輝男。でも自分の器がもっと大きくなれば、違う上原輝男がどんどんと流れ込んでくる。
もちろんこれは上原輝男に限ったことじゃなくて、世の中のことを認識するときの全てだよね。

だから成果主義とか競争原理がはびこっている今の世の中とか教育界はコワイんだよ。
どれだけ「すぐに分かった」という意志表示ができるかで競わせるから。そして実はまだ本当のところは分かっていない、っていう指摘も極度に恐れる。「自分はもうわかっている」という虚像を壊されるのが、自分の存在を根底から脅かすと思ってしまうから。

中途半端な優等生って、そういうところが強いから、なかなか自分(虚空)とは合わないことが多かったよね。どうしても「さらに奥深くへ」っていう自らの探求を求めるから。そうすると「もう自分は分かっているのに・・・」っていう不満ばかりを鬱積させちゃう。

コバルト 結果論になっちゃうんですよね。例えば血液型だって、それに当てはまらない部分だって実際にはたくさんあっても「ああ、これはA型だ」とか「B型だ」とか・・・後付けなんですよね。過ぎたことに対して、それにあてはまることだけを拾い上げて・・・。
でもそれって人間が本当に実生活でいきていくのには何の役にもたたない。

虚空 それで「そうだそうだ」「当たった当たった」っていうのあるよね。
あとづけじゃない場合でもそうだよ。いい例がさ、テレビでよくやる「朝の星占い」。「今日一番の運勢は 〇〇座のあなた」とか「今日一番運勢の悪いのは△△座のあなたです」って・・・でもさ、テレビ局の番組によって全然違うじゃない。極端なことをいえばさ、ある番組で一番だったのが、別の局の占いではワースト1だったりね。
でもそれを素直に信じると、一日をすごすことで、それにあてはまる事実ばかりを意識の中で拾い上げてしまう。たとえそうでない出来事があってもね。そして、そのたびに「ああ、これも当たった、あれも当たった」って。


だからといって自分は占いを全く信じていないかっていうと、実際のところはかなり受け入れてしまうところがある。それは若いときから自覚しているんだよ。だからいろんな占いの結果を聞かないようにしてるんだよね。それは信じてしまっているからこそ、よりそっちの意識ばかりを強化してしまって・・・自分をその壁の中に閉じ込めてしまうから。自己暗示によって、占いの結果以上に「当たった」っていう状態を自ら作り上げてしまうから。
(これなら確実ということにしか手を出さない人が多い現代社会の傾向について)
コバルト 位置づけをガッチリさせたい

虚空 そんなに高尚なもんじゃないと思うよ。ただ失敗したところをみられたくない、っていう守りだけ。だから絶対確実にできるという自信のもてる過去の引き出しだけで何とかしようとしているだけなんじゃないの。

諷虹 自分が知った土地で旅行するみたいですね。


虚空 気に入ったいきつけの店にばかり食べに行くっていうのもそうだよね。新たな開拓をしない。
「この店は失敗だった」って思いたくないから絶対に間違いのない店にしか行かない。
勉強もそうだよ、安全圏ばかり。虚像をつくりあげたいし、それを守るのに必死だから。

でもさ、よく教え子に例えて話すのは「金」でも「ダイヤモンド」でも掘り出そうと思ったら、無用とされるような大量の土砂と一緒に掘り出そうとしないと絶対にダメじゃない。そうしたのは抜きにして、「金やダイヤだけを掘り出すんだ!」なんて思ったら、全く新たなものは手に入らないよね。

それが神話だったらあの千曳の岩のところの問答に表れている・・・「毎日1000人殺す」「じゃあ毎日1500人産みましょう」っていうあれ。

イザナギとイザナミの国産みプロポーズだってそうだよね。あれがさ、その場でやったっていいのに、大きな柱をみたてて、それを逆方向に回ってわざわざ裏側でプロポーズする。しかも最初イザナミが先に言葉を発したら国産みに失敗する。別にそれは男尊女卑なんていうことじゃなくてね、この目にみえる世界の大原則っていうか原理だよ。

大いなる進歩をしたかったら、大いなる失敗や無駄もいとわない。そういう意味からいうと、本当の失敗とか無駄はないんだ、っていうのが古代人が直観したことなんだろうと・・・これはうちのオヤジの受け売りだけどさ。


(授業の基本姿勢について)
コバルト 破を起せるか・・・もつれを起せるか。
虚空 そうなんだよ。それがなかったら子どもにとっては授業で新しい視点が獲得されたとか、そういう実感が得られない。
どんなにその発言を周囲の大人たちが褒めてくれたって、褒められたことは嬉しいかもしれないけど、それだけだよ。
自分の今までの引き出して対応しただけだから。

コバルト そういう起承転結の授業だけで人間の意識が済むんだったら「植物」でいいんだと思いますよね。結局自分の世界だけで終われるんですから。
こうやって人間が意識を持てるっていうことは・・・意識そのものって何故あるかといえば、やっぱりいろいろなものをキャッチできて、そこに向かっていけるっていうのがあったからこそ・・・

諷虹 だからね・・・せっかくキャッチできていても、それを自分で包み込めないと思ってしまうと悩んでしまうこともある。

虚空 自分なんかもうまくまとめられないなんていったらいつもそうだから。だから駿煌会の中ではそれをありのまま言っちゃうわけだよ。それでみんなに整理してもらっている・・・結構丸投げしてるもんね。「あとはよろしく」っていうように。

コバルト 自分なんかもフッと思ったことがあっても語彙力がないからうまく言い表せない。でも何とかそれっぽい言葉で言おうとしてる。
そもそも完璧に伝えようなんて思ってないから。あとは分かってくれ、って(笑)

虚空 諷虹君なんてわかるでしょ、いつもやりとりで丸投げしてるの
諷虹 何か含みを残しているなかな、って・・・
虚空 よく言えばそうかもしれないけど、実は何も分かっていない(笑)
コバルト 起承転結の最初は序破急の序・・・「起こす」ですよね。
諷虹 0を1に・・・起こす才能が優れている人って面白い着眼点をしますよね。

虚空 そういうのだって、何があるかな・・・なんて考えて絞り出しているというよりは、論理的というか機械的にパターンで「こういう場合があありうる」って先に器とうかな・・・部屋割りをしちゃえるんだよね。機械的だから無理に考えていない。

上原先生が「英才児は頭が疲れない」っていうような言い方をしていたけど、「考える」「論理思考をする」っていうのも、自然にできちゃうくらいに身についているからなんだと思う。
だからいわゆる普通の子だって、修練をつんで日常でも自然につかえるようになれば、英才児のようにごくあたりまえに自分の器を広げたり、異なる物事や考え方を、どんどん受け入れる・・・添加できる・・・そういう構えが獲得できるんだと思うよ。


諷虹 我々も「こうなるだろうな」って結果が分かっているものとか自明・分かり切っているものは知らず知らずのうちに発想を捨てているのかもな、って思いますね。当たり前すぎて捨てているものって多いのに、言葉を大切にしている人って、それも捨てないでこだわり続ける。


虚空 そういう人はものすごく言葉に対しても他人に対しても誠実なんだよね。
(以上)
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☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら③

③は「現実と妄想」の問題に話がうつってからのやりとりです。
先日アップした「ことりのおやつ君」の統合失調症のこととの関連です。
上原先生の「世界定め」という発想からすれば、現実を認識する際に必ず主観がはいるわけなので、極端ないい方をすれば、この世で生きているということは、個々人それぞれの「妄想の世界」に生きていると言えるのかもしれません。

そのあたりの、個々人にとっての「あたりまえ」という心の別世界が整理する過程についても語り合っています。


(2019年7月13日 サイゼリアにて  諷虹・コバルトブルー・虚空-3)
(「このはな綺譚」をとりあげる 
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
このはな綺譚 第二巻
『潮騒』
砂浜に漂着していた少女に出合う柚。少女は柚に「自分の船が遭難した」とか「自分は人魚」とかいう。柚は大真面目に信じて何とか力になってあげようとする。
少女 ・・・ちなみに人魚っていうのも嘘。
柚 嘘なのですか!?
少女 仲間を探しているのも嘘。あたし友達いないから。だってみんな嘘つきのあたしが嫌いだもん。親も学校の子たちも。
みんなの陰口 「いつもそんな子どもみたいな嘘ばっかり」「人の気を惹きたいだけでしょ?」
少女 あんまり嘘ばっかりつくから最近はもうなにを言っても無視される。
誰も話を聞いてくれないから、嘘をつかなくなるとさ、現実って残酷なくらい変わり映えしないんだよね。
柚 そうですか。私はお宿で仲居の仕事をしておりますが、色んなお客様がいらしゃって毎日わくわくします。
少女 それは柚ちゃんがやりたい仕事をしているからだよ。
あたしは趣味とか将来の夢とかないから、毎日ただ学校に行っていつか大人になったら毎日仕事に行って、これからずっと毎日毎日その繰り返しで。
なんだか未来(さき)が見えちゃったんだよね。
騙してごめんね、狐ちゃん。あたしそろそろ行くわ。
柚 騙されてなどおりませんよ?だってお姉さんはおまんじゅうを返してくれました!
騙すというのはそれでなにかを盗ったりひとを傷つけたりすることです。
お姉さんの作る「お話」は楽しいです。だって私は今日一日で、遭難者と迷子の人魚とあなたに会えました。とても楽しかったです。
少女 楽しい?
(過去回想 聞いて聞いて!いまそこで宇宙人見たの!!ほんとうだって、ほら!今UFOがいた!)
少女 子どものころは嘘でも構わないからわくわくした。
答えの分かり切った代わり映えのしない「現実」
妄想も空想もぜんぶ含めて「現実」なのにね。
アンタみたいな子があたしの傍にもいれば良かったのに。そしたらあたしはあたしを否定しなくて済んだ。
柚 いらっしゃいますよ。きっとまで出会っていないだけです。
わたしが今の仲間たちと出会うまで「仲間」を知らなかったように。
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補足 この時にはとりあげなかったが、同じこのはな綺譚での「花嫁御寮」も同様な内容
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このはな綺譚 第一巻
『花嫁御寮』
*柚を人違いしているおばあさん 人形を本当の娘だと思って話しかけている。
桐 柚、あんたは人間に育てられたんだったわね。じゃあこんな話知ってる?
若くして亡くなった娘の代わりに人形に花嫁衣裳を着せる風習があるんですって。
娘があの世でお嫁入するために…。
柚、あんたはどう思う?ここに居ない人たちと過ごすあのご婦人を可哀そうだと思う?
柚 それをお客様が望まれたのなら、お客様の見る世界が真実です。
だってお客様は神様ですから。
*人形が人間化して現れている娘、桐に向かって
娘 お母さんを化かすのはやめてちょうだい。・・・いつまでお母さんをこんなところに閉じ込めておく気!?
早くここから出して!!
桐 それはできかねます。お母さまは自ら望んで此花亭ののれんをくぐって来られました。
私達仲居にできることはお客様をおもてなしすることだけ。追い返すことはできません。
あなただってなんの因果かもう一度産まれて来れたんですから、ここでの時間を楽しまれればいいじゃございませんか。
娘 できるわけないじゃない。
どうせこんなの夢なんだから。
覚めたら余計に悲しませるだけじゃない。
桐 でもねえ、お嬢さん。
あんた方人間様の一生も、ここ(此花亭)でみる束の間の夢も、あたりら狐にゃたいして変わりませんよ?
「ああ、いい夢だった」それじゃいけませんか?
少なくともお母さまはそれ(夢)でも構わないんですよ。
(娘、泣き出しながら)
娘 わたし、ここであなたたちに恥ずかしいところばかりみられているわ。
桐 人が成長するってのはそういうことでございましょう?
たくさん恥をかいて何度も後悔して、どうか素敵なひと(女性)になってくださいね。
(娘 白無垢姿に)
お婆さん 今日はいい日ね。よく晴れた暖かな春の空。まるであなたが産まれた日のような。
娘 お母さん
お婆さん 子どもはすぐに死んでしまうから、七歳までは神様の子だとされていたの。
娘 あなたはわたしのことを神様の子だと言うけれど、わたしはずうっとあなたの娘でした。
本当に夢みたいに幸せな一生でした。
ありがとう、お母さん。
(消えていく)
お婆さん みんな、行ってしまったわ。また、ひとりになってしまったわね。
仲居さん、本当にありがとう。あなたたちのお陰で、幸せな時間を過ごすことができたわ。
本当に夢のような・・・
桐 夢ではございません。これからはずうっと娘さんとご一緒にいられますわ。共に過ごすことの叶わなかった数十年より長く…。
お婆さん ああーっ、本当に今日はなんていい日なんでしょう…。
(柚が部屋にくる)
柚 お客様、ご昼食をお持ちしました。
(室内は桐だけになっていた)
桐 お客様ならもう旅立たれたわよ。娘さんのところへ…。
柚 (寂しげに)そうですか…きっとお急ぎだったのですね。お見送りできなかったのは少し残念です。
桐 そういえばお礼を言われたわよ。
あんたたちのお陰で夢のように日々だった、って。
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諷虹 見ている世界が全然違う

虚空 妄想だとかそんなの全く気にしていない。


諷虹 人を楽しませようとした結果。人を楽しませようとするのを楽しむ・・・これも一種の共鳴なんですかね。幸せスパイラル理論(リトルバスターズ)なんかも

コバルト 自分の友達にいまだに小学校の頃にUFOにさらわれたっていうのがいる。


虚空 だからさ、人間の感覚とか実感とかも、本当はかなり怪しいわけだよね。それは雑誌の18号にも書いたように、自分で実際に体験したということだって、それはやっぱり主観が作り上げている部分がほどんどなんだから。

妄想妄想っていうけれど、自分が本当にあったと思う通りだけに現実の世界で起きていた、なんていう保証は絶対ないよ。

それこそ感覚器だって、人間個々人の意識で知覚するものとしないものは振り分けているしね。関心のないものなんて網膜に写ってたって、鼓膜に響ていたってスルーするなんて、毎日の日常で経験してることじゃないか。

ブランドものに関心がない自分なんてまったく無頓着だけど、そうしたアンテナを伸ばしている人にはまったく違うものが視えてるし。

そしてそこに価値観とかそういった感情やイメージのラベルをベタベタはりまくって、自分なりのしまい方を脳内にする。

それが積もり積もって意識世界っていうのかな・・・パーソナルリアリティーを作り上げているわけだもん。
(人間性が豊かなゆえに、現代社会で潰されそうになっている事例等々がやりとりされる)
(注、諷虹友人の具体的な内容を多少オブラートにつつんで書き換えています)


諷虹 そういうのをみていると、一歩まちがえれば自分もこうなっていたんだろうなとしかみられないんですよね。

世間の常識通りの道を歩んでいたら今頃精神を病んでいたかもしれないって。


コバルト 自分で決めたことではあっても、深く考えず人からの指図で決めたことに対しての責任が自分で持てなくなったというのも・・・。
心と感情が全くかみ合わなくなってくる。

本当に自分が決めたことに、心から感情を結び付けて、それで行動するっていうのは自己責任で片付けられる・・・間違いなく。


諷虹 やれるかどうかですよね。最初からダメだろうなって思ってしまう。無理だろうなとか・・・。

別の道を探そうとしても、周囲によって断たれてしまうこともあるだろうし。可哀そうだなとも思いますけど。



虚空 悩んだり追いつめられたりする人って、繊細だったり責任感が強かったりするからね。
ことり君だってさ、形式的な言葉を使えないというよりは、それは不誠実とかいう風に思ってしまっているわけじゃない。

相手に対して失礼じゃないか、とか・・・心のこもっていない言葉とか態度はとりたくないとか。

それはすごく分かるよ。特に父方がそういった姿勢を大事にする人達が多かったからね。
裏表もない。愚直なまでにね。だからかけひきとかの世渡りが下手。
他人を気遣わない人の方が、相手にどんなに迷惑をかけたって平然としているから悩まないしストレスもためないよ。

で、他人に気をつかって病んでいく人をみると頭からバカにする。「そんなに他人のことばっかり気にしないで、もっと利用するくらいの気でなくちゃ上手になんて生きていけない」なんてね。「お人よしじゃダメ」とか。

まあ、そういう世界じゃないとやっていけないところで生きてきたということなんだろうけど、でもだからといって人間性を大切にしてきた人を全否定したり、人のいいことにつけこんで都合よく利用しようなんていうのはね・・・自分はそれが嫌だった。


コバルト 責任感で身動きがとれなくなる・・・


虚空 そういう人たちがむくわれないという世の中も寂しいものだね。

世の中で大威張りして生きているのは、他人の心をふみにじる名人ばかりなんていうのはさ。
震災の時のきちんと行列して待つ、とかお年寄りや子ども達に食べ物を譲る姿に外国の人たちが「うちの国だったら奪い合いの暴動が起きるのに、何故日本人はああいった態度をとれるのか」って感心されていたけど・・・だいぶ事情は変化しているところでは変化してしまっているよね。


諷虹 どんなに仲のいいグループでも何か一度でもへまをしたらあとくされがなくパッと離脱できるっていう人も居ますよね。

話し合えば仲直りできるでしょ、っていうくらいでも一回身をひいたら一切かかわりなしで生きていける。あとくされなくつながりが断てるという部分ではすげーな、って感心してしまうこともあるんですけど。


虚空 それがそういう人間がどっかで獲得した知恵なんだろうね。


諷虹 切り離す。


虚空 寂しい知恵だと思うけどね。結局あいつもイヤダ、こうつもイヤダ・・・って切っていくうちに誰ともつながっていない自分が残るだけだから。もっとも、その方が気が楽でいいと思えるんだろうね。


諷虹 それが切り離せない状況の人間は・・・


虚空 だから世代間のギャップがある場合とかもそうだけど、今までの人間関係のとりむすび方の知恵が使えないんだよね。
新たなパターンになってきている。それが進歩なのか退歩なのかは分からないけど、確実に人間関係のあたりまえが違ってきているよね。


コバルト (責任感とかが強いと)ガチッと固まっちゃうからね。


虚空 悩むのはそういう人ばっかりになっちゃう。

☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら②

②は主に「作品ジャンルのイメージの変化」についてです。

そこから、今回のやりとりでの最大のキーワードとなる「序破急」が、「起承転結」との対比と共に浮上してきました。

アニメに限らず、「教育での授業の発想」「人生観」・・・それらについて「序破急」で最後まで考察されています。

⇒ これらのやりとりは 京都アニメーション事件 の前に行われたものなのですが、関りとしてはかなりのものがあると思います。

(2019年7月13日 サイゼリアにて  諷虹・コバルトブルー・虚空-2)
諷虹 宮崎アニメとかは世間的な知名度もそうですし、センスとかも特出はしているけど今のアニメっていう感じではないですよね。普遍(不変)的なものとか根源的なものを描いているから時代・世代を超えて愛されている。そこを深く掘って考察したとしても世相のようなものは出てきにくいのかなって

そういう意味では最近は異世界転生モノとか魔法少女モノとかが考察対象なのかもしれません


虚空 あるいみでテンプレみたいなのがあるよね。そのテンプレが分からないで初めて深夜アニメをみたころはさ、そもそも意味不明の世界で「これってどういう趣旨のアニメなの?」なんて聞いたこともあるけどさ・・・。

それを了解した今はさ、ああなるほどなるほどって受け入れられるわけよ。

内容を知っているかどうかよりも、世界観っていうのかな・・・。そこの基本形が自分の中にないと、作品の入り口から中に入ることもできない。

でもね、今の子供のことを本当に知ろうと思ったら、やっぱり新しい型も受け入れないとならないと思うんだよね、ある程度は。


だからうちのオヤジなんかも滅茶苦茶忙しい毎日だったけど、仕事しながらも教え子たちが好きでみている番組はわきでテレビをつけっぱなしにしていたもんね。

もっとも自分は子供に人気のあるアニメでも教師をしていた頃はほとんど観ていなかったけど・・・セーラームーンなんて本当にスルーして、いつも子供らに叱られてたから。

「魔法少女もの」だってそうだよね。昭和のイメージの魔法少女っていうか「魔女」「魔法使い」とかは「サリーちゃん」とかそんなもんだよ。でも今、魔法少女モノっていったらとんでもない展開になるんやないか?って警戒しちゃう。

ジブリで魔女といえば「魔女の宅急便」だけど魔法を使う少女が出てきてもあれを「魔法少女モノ」っていう人はいないじゃない。

もう少し新しいアニメだったら「ふらいんぐういっち」とかだよね。ストパンだってウイッチが出てくるけど「魔法少女モノ」っていうと違和感がある。
そのあたりの感覚って世代によって極端に受け止め方が違うよね。

そうするとさ、金城さんたちとの座談会ででているような「場面認識」なんて本当に違っていると思うよ。

そしてそれは「世界の認識の仕方が違っている」つまりは「意識世界の構築の仕方そのもの」が違っているんだから、本当に丁寧に調べる必要があるんじゃないの?
自分達の当たり前とはかなり違っていると思わないと・・・それをこちらから理解しようとしていないで、自分達の感覚と比較して「今の子はわからない」とか「今の子は歪んでいる、異常だ」なんていうレッテルばっかりはってどうすんだ、って言いたいよ。

諷虹 (最近の)アニメを観ていない人にそのアニメを使ったたとえ話をするとして、「このアニメにはこういう表現があって、(それが〇〇と繋がるかも)」って頭でっかちな情報を与えてしまうと逆に捉えられなくなるんじゃないか、って。


虚空 素朴に感じるのはさ・・・どうしても内容を知りたがるんだよ。でもね、この座談会記録をよんで自分を振り返った時に「ああ、自分がこだわっていたのは内容じゃなかったんだな。型だったんだな」って。だから「思考」とか「型」とか「構え」っていうのをずーっと言い続けているし、それらとのせめぎ合いで感情やイメージ運動がどう関わっているのか・・・それがいつも関心事だったから。


コバルト やっぱり「序破急」なんですね、盛り上がるところが破の部分、韓国ドラマでは露骨に破(ありえない)(どんでんがえし)を使いまくっている・・・


虚空 以前自分の教え子で3コマ漫画がすごく面白く描ける子がいたよ。で、職員室でも話題になったんだけど、「この子は3コマなんだね。もし4コマで描いたら、っていってもダメなんだろうね」って。「この子の頭の中は3コマなんだね」って子どもの世界に目をむけることができる先生方はそんな風に話していたよ。

そもそもさ、4コマの方が中国の漢詩から入ってきた型じゃない。「起承転結」って。

「序破急」は室町時代の能楽だとかではっきりと位置付けられた日本人の型だよ。



コバルト 起承転結でやってしまうと、そこからの広がりってなかなか難しいですよね。序破急だと破の段階でいろいろな流れが考えられる。いろいろなストーリーの展開が。


諷虹 起承転結の「転」じゃ、ここは次にこうなっておさまる、っていう方向性がかなり決まってしまいますけど、「破」だからどこにも行ける。


コバルト 序破急だと破の部分が破壊だから


虚空 起承転結の方が論理的っていうのか、筋道がはっきりしてしまうから「予定調和」の展開になるやすいということかな。

だって、あまりに矛盾していたら「何これ?つじつま合わないじゃない」とか・・・ちぐはぐでデタラメな話だと思われちゃうよ。


諷虹 4コマ漫画だとだと「起」・「承」・「転」の間で伏線をはれているんですよね。その伏線を回収して落とすみたいな。

そのテンポが序破急だと伏線をはる暇がないっていうのか、まず状況を説明して今の状況をぶっ壊して、急展開みたいな


コバルト ある意味で投げっぱなし。


諷虹 このあとはご自由に、みたいな。
起承転結はあくまでも型を作って、それを中身まで綺麗に仕上げる。
序破急は型を破って、様々な可能性に飛躍していく・・・やはり守破離と通ずるところがありそう


コバルト 「承」だと「承認を得る」なのが、「破」だと「破壊する」・・・


諷虹 決まりきった最後を拒否するみたいなね。「破」されたからこそどんな展開でも生まれうる・・・タロットの「塔」と同じですね


コバルト (図示したものと漢字の意味をもとに解説しながら)全然構造が違う。


虚空 かつては映画監督になりたい、っていって映像を編集していた・・・カットの積み重ねで世界をつくっていったんだよ。

でもさ、今は1枚イラストだろ。一枚の中で世界をつくりあげなければならないわけだよ。できればキャラ達が動いていた、そしてこのあとも動き続けるって感じさせるような世界をつくるのが理想。これって全く違う感覚だよね。

諷虹 一コマ漫画ですね。


虚空 風刺画なんていうのもそれだよね。とにかく一枚で広がりをもつ世界をつくる。
一枚のイラストではあっても、過去や未来、背景なんかを想像させる・・・そういうスイッチをいれるような設定。


諷虹 結局「起承転結」っていうのは結んじゃっているんですよね。でも「序破急」は結んでないんですよね。

コバルト 序破急っていうのはストーリーが広がっていく、あらゆる可能性の爆発が起きる。(絵画のたとえを話しているようだが聞き取れない)


虚空 そこがさ、4コマでのストーリー漫画だとさ「結」のところが完全に「結」じゃないじゃない。次の「起」につながらなけりゃいけないじゃない。
だから全然違うよ、昔の4コマ漫画とは


諷虹 新しいフレームアームズガールが起動して終わり・・・新たな展開をにおわせて終わり。
そういう意味ではバンブーブレードは序破急だったと思うんですよね。たまちゃんが榊心と闘いはじめたところで(連載が)終わる。あれはかなりネットでたたかれていましたけど。あれは受け手側の受け取り方


虚空 そうだと思うのよ。スラムダンクの連載終了だって同じようなもんじゃない。


コバルト (対談記事よみあげ)
『 司会  これまでのお話は、一つ一つ強烈な場面というものを子どもがたいへんに要求しているということ、すなわち、寸断きれた楊面の要求ということでした。』

どこなんだ、ワクワクさせてくれるところ。一つ一つが強烈・・・
やっぱり序破急で「こうなるんじゃないか」「ああなるんじゃないか」それで子どもを楽しませる。

麻雀牌とおんなじで完成形じゃないから、いろいろなのがグルグルグルグル産まれてくるわけですよね。


諷虹 「結」だと結局「完結」しちゃっているけど、「急」だとまだ。


虚空 昔と今のすごい大きな違いの一つは、全部拾わない。エヴァンゲリオンもそうだしまどマギ(魔法少女まどか☆マギカ)もそうでしょ。

だから普通のおじさんたちも飲み屋で議論して社会現象にもなったって。
昔だったら途中ではられていた伏線がすべて回収されたわけだよ。最終回ですべての謎も明らかにされてオシマイ。
でもある時期から全くそれを気にしない風潮が広がった。


宮崎駿だってそうだよ。特にハウルあたりからはっきりと公言してた。だからいろんなことがあいまいなまま映画が終わっていることに対しての批判に「人生すべて謎が解きあかされて生きているわけじゃないのに、何故映画は全部分かるように説明しなければならないん」っていうような反論をしていたよ。

でも今は謎が謎のまま終わっているのばっかりだよ。

それが逆に想像する余地を与えている。劇場版まどマギだって、分かりやすく作っていたらあんなに観客動員にならなかっただろ。

「面白い」でも謎だらけ・・・だから知り合いといろいろ議論して、それを確かめたくてまた劇場に足を運ぶ・・・そうやって何度も何度も観た人が多かったわけだよね。

ただ、面白くないのに訳の分からない作りをしていたら、もう一回きりしか観てもらえないし、そういった感想があっという間にネットで拡散して、閑古鳥。
面白くて、でも一度や2度じゃ分からない・・・分からないから面白い・・・そういう作り方が求められているのが現代だよね。

いい意味で荒いシナリオ。昔だったらそんな荒いシナリオを書いたらすぐにダメ出しだったと思うけど、今は十分に練られた荒いシナリオ。


もっともね、作者の御都合だけで進んでいくシナリオはどんなにベテランが書こうが、感動的なテンプレを使おうが、ダメなものはダメだけどね。


諷虹 その方が2期3期が作りやすいっていうのもありますよね。


コバルト でも宮崎駿は2は出さないですよね。


虚空 今の世の中でひどいのは、2期3期が作られない場合が結構あるのに、もしも作られたら、っていう前提ですごい中途半端な最終回になることも多いじゃない。

シナリオとして計算された上で謎がすべて明らかにされないで終了、っていうんじゃなくてさ。絶対これは普通に来週だって続くでしょ、なんていうところでオシマイっていうのがザラだよね。

仮に次が作られても、何年もたってからとかね。もうそれを熱心にみていた世代はアニメを卒業してたりするし、新たな世代は昔の作品を知らないのに、あたかも先週の続きをみせられるかのように作られている。
「とある魔術の禁書目録」なんてそうじゃない。


諷虹 7~8年ぶりですね。


虚空 昭和の頃にね、新たにリメイクで何年もたってからというのはあったけど、普通に前の続きとしてそんなに開けられてみ。大変だよ。

それとさ、劇場版が作られる時だって、初めての人にはほとんど配慮されていないというのも主流だよね。そりゃさ、東映まんが祭りのような感じで作られたのは、テレビ放送の話との連続の中でつくられたっていうノリだから、それをよく知っているという前提でつくられていたけどさ、最近はアニメでやったすぐあとじゃなくて、随分たってからもそんな作り。

テレビシリーズをみていた人だってそんないない、いても忘れている頃に、いきなり続きとして映画が始まる。


コバルト 場面っていうのは、そこに「旬」が存在するかだね。


虚空 今は1クールで最終回があたりまえになっちゃっているから・・・12話完結。
そうすると今の若い人達にとっては12話完結が普通なんだよね。2クールなんで随分長く感じる。

それはさ、幼い頃はアニメをみていたけど、その後数十年アニメの空白期間があって、数年前から今風のアニメで再デビューした自分だってそういう感覚になっちゃってるもんね。

昭和の頃はストーリーアニメでも半年どころか1年2年があたり前だった。そのくらいじっくりと描かれていた。タイガーマスクにしたって、非常に丁寧なヒューマンドラマとしてのシリーズになっていたよ。全105話だもんね。今で換算すれば約9クール。丸2年の放送だよ。
そんな頃だったら、12話なんていうのは、まだまだ序盤も序盤。

だけどさ、今は・・・自分もそういうところがあるけど・・・第一話とか、第一話の前半だけでもうその番組が面白そうか、これからも観ようかを判定しちゃうもんね。
例の第三話のことがあるから気の長い人だったら、とりあえず3話までは我慢して観てそこで決めようとかね。
でも3話まで観るっていうのは多くの場合はもうそのシリーズの4分の1はみたということになっちゃうわけだよ。

そうするとね、いろんなキャラのことをじっくりと掘り下げることもできないし、ストーリーにふくらみを持たせることだってできない。
この前、セーラームーンシリーズがリメイクされたけどさ、新作はなんだかただのダイジェスト版っていうか「あらすじ紹介」くらいにしか感じなかったから途中でみるのをやめたもん。
(補足 ダークキングダム編 旧作全46話  新作のクリスタル 全14話)

諷虹 昭和のって「2」として作られると急につまらなくなったということがありますよね。全然話がちがっちゃってて。


虚空 それは随分あった。だいたいね、人気のあったものの「2」の時は人気だけをあてこんでいるから滅茶苦茶予算が削れれていて雑な作りになっちゃうのが多かったしね。
もちろん2も良かったっていうのはあるけど、がっかりする方が多かったよ。

タイガーマスク2も一話でみるのをやめた。これは作画がひどいというよりは設定がひどかったから。あれだけのヒューマンドラマがさ・・・孤児とか底辺の暮らしを懸命にしている人たちの為に命をかけて闘う・・・っていうのがさ、「宇宙プロレス連盟から日本プロレスを守るために闘う」なんて。


諷虹 今はそういう意味ではちゃんと 2期だな っていう作品も多いのかなって。


虚空 好評だった雰囲気をそのまま持続してくれているとかね。「からかい上手の高木さん 2」はそのタイプだよね。

同じような雰囲気で同じようなスタッフがやったのに趣旨をかえてちょっと自分では納得いなかかったのが「ゆるゆり」とか「イカ娘」かな。

2ということを意識して変えすぎちゃダメだよね。特にコアの部分は。そこを面白がってみんな観ていたんだから。

劇場版の「モーレツ宇宙海賊」だってそうじゃない。
コアの部分まで変えたかったら、いい意味で裏切られた・・・これもアリで面白かった って思わせるくらいの絶対的な自信がないとね。
そこが中途半端だと肩透かしをくらった感じになっちゃう。

そういう意味では本当に世代によって「あたりまえ」の基準がちがうよね・・・でもその違いを意識したり認め合ったりしないから、互いに「わけわかんない」とか「あいつは宇宙人だ」っていうように壁を作ってしまう。

昔も今も変わらない「人間の認識のしかたの通性」も一方ではあったんだけどね。

昭和の時代だってそりゃ世代によって全然認識法は違ったんだから、子どもの時に戦争中だった世代、テレビという娯楽はなかった時代、テレビで育った時代・・・そういう3世代が同じような人口構成で同居していたのが昭和だから。

だから結構「通性」と「違い」とを認識しあえていたかな。
テレビも一家に一台で、嫌でも何でも居間にいれば他の世代がみている番組が目に入っていたから。
でも今は家族の中でも誰がどれを熱心にみているのか分からないことだって珍しくないじゃない。ましてテレビじゃなくてスマホの動画サイトでみてる、なんていったらね。
尚更世代だけじゃかくて、同じ年代でもバラバラ・・・通性が失われていると思うよ。

まあ、そのあたりのことが、座談会記事の後半
「教育的であるということは、内容ではなく形式である!!」
の内容と深く関わってくるとおもうんだけど。


*コバルト君、上原先生のある発言に注目
コバルト 今見つけた!上原輝男の発言で
上原『私は浸画家の才能と言うのはテーマなり、内容的なものをどう配分するかというのではなく、新しい形式を見つけることだと思う。さっき言った起承転結とはちがった、転々承々か何か知らないけれど、何か他のパターンを見つけることであり、そうしたときにこそ内容が盛り込めたというのだと思う。』


承々転々これが「序破急」っていうことになるんじゃないかな。そういう言葉にはなっていなくても。


虚空 こうした型を持っていると、起承転結型よりも、周囲からみると突拍子もない人間にみえてしまうんだろうね。
でも本人の中には、壊すことも含めて何らかの必然性がある。
その基準が一般常識とかけはなれていればいるほど、「変なやつ」で片付けられてしまうわけだよね。
それこそ人知を超えた神の領域に踏み込める人間ほど、はみ出したり浮いてしまう。

上原先生が、この座談会でこういう発言もしているじゃない。

上原 『 ……ところが僕なんかはね、実は意外ではないんだという考え方をしている。

つまり、作られるべくして作られていった作品であって、川上から桃が流れて来るのも、驚かしてやれなんていうでまかせじゃなく、日本人にとって完全な意外性でなく、予期されるところの意外性なんだな。

日本人の感覚にぴったりした意外性であるから、あの話は今日まで伝承されて来た。子どもにとって、完全な無縁性ならぱ、その作品は当たらない。わからないということになってしまう。期待される意外性でなくては、やっぱりダメなんだと思う。 』


虚空 日本人の感覚をキープしている・・・心意伝承とか集合的無意識とか神の領域とか・・・そういう世界と無意識に交感できている人間にとっては「完全な意外性」ではない。だから難波先生の言っていた「別のものをみている」というような・・・そういう世界が見えていれば、一見突拍子もない意見や行動にでる人間に共感・共鳴できるんだろうね。

「ああ、君はこういうところが見えていたから、こうしたんだね、こう考えたんだね」って。

だからさ、ネット上のアニメの感想なんかでも、ちょっとでも自分の感想と違うと、問答無用でバッサリと批判するのだって、そういう受け止め方をした人は、どういう世界を見ているのかを、推察しようなんてまるで思っていないわけだから。

それこそ自分の観ているこどだけが全て・・・周囲の人も同じものをみているハズ・・・なのにずれたことを言うのは訳のわからんやつだからだ・・・って、そういう理屈で他人を完全否定してしまうんだろうね。
誰かの本にも書いてあったけど「しょせん人間は 自分の器 というもの以上のものは見えない、分からない」って。
器がちっちゃければちっちゃいほど、他人を否定してしまう。

英才児なんていうのは、先にどんどん器を広げていくことができるんだろうよね。論理性とか知的好奇心とかもあって。

だから受験指導の目先の知恵から生まれた「理系文系」なんていうあんなくだらない分類なんてはおかまいなしに、自分の中に勝手に壁もつくらないでいられる。いわゆる「理系か文系か」じゃなくて「どっちもおかまいなし」って。

それが教室の掲示物にもあらわれていたわけだよね。同じ子が恐竜のいる空想いっぱいの絵と、ものすごく緻密な飛行機のメカを描いているような・・・どっちもできる。

(補足)
このあたりのことが、今回の「京都アニメーション事件」の背景にもなっているのではないかと考えています。
*コバルト その直後のラインでの書き込み
「重力エネルギー」
引用
天体の重力圏内で、物体が持っているエネルギー。物理で習う「位置エネルギー」と同じです。
天体に向かって物体が「落ちていく」エネルギーといえます。
その天体から物体が離れているほど、物体が重いほど、 そして天体の重力が大きいほど、重力エネルギーは大きくなります。
分子と分母がひっくり返ると言っていた原理の裏付けで、やはりこれも序破急(スパイラル構造)。

☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら①

*児童の言語生態研究 第二号 (1968年 昭和43年 12月20日刊行 上原先生 41歳頃) 

「子どもの目をT・V作家と子ども雑誌編集者と語る」 の原稿を読みながらの 諷虹・コバルトブルー・虚空3人のやりとり記録です。

対談記録の後半が、教育一般にとって、非常に重要なことが明確に語られているのですが、冒頭も大切な観点が語られています。

その前半部分を読みながらのやりとり・・・・かなり盛沢山なので分割しています。

①は主に「新旧4コマ漫画 考」です。そのことを通して、同じ物事でも発想の仕方が違ってきている・・・それは意識世界の構築の仕方も根本的に違ってくることに通じます。
なお、対談の記事全部はこちらで読むことができます。
広島大学リポジトリ http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/45035/20180306135326102493/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_2_35.pdf

参考 金城哲夫 上原先生の愛弟子 上原先生の紹介で円谷英二に師事、円谷プロ入社。ウルトラマンの生みの親と言われている
初代ウルトラマン 1966年(昭和41年)7月17日から1967年(昭和42年)4月9日
ウルトラセブン  1967年(昭和42年)10月1日から1968年(昭和43年)9月8日
子どもの目をT・V作家と子ども雑誌編集者と語る
出席者
円谷プロダクション シナリオライター  金城哲夫
雑誌「家の光」「子どもの光」編集者   郷右近タエ
本誌主宰 玉川大学助教授        上原輝男
本誌編集担当 小学校教諭        飯泉良夫
司会     小学校教諭        松原俊一
☆2019年7月13日 サイゼリアにて  諷虹・コバルトブルー・虚空
諷虹 前にも話しましたけど、最近私は漫画を一巻からしか買えない・・・子どもの頃は表紙買いで5巻を買ったりだとか週刊誌でのを途中からとか平気でやっていたんですけど、それって子どもの頃の方ができてたよな、って。


虚空 内容っていうか、ストーリーを追っていたんじゃないんだね。


コバルト もっと動いているものをとらえていた

参考)江戸時代はどうだったのか分からないが、現在の歌舞伎座などの公演では「通し狂言」となっていない場合は、芝居全体のうちの一部分だけ・・・「~の場」・・・という感じでプログラムが組まれている。そもそもストーリー全体を筋道だてて追うというスタイルにはこだわっていない傾向があったことがこういうことからも見てとれる。

上原
 一般的には、そうかもしれないが私はそうは考えません。それよりも、それは、子どもの頭の中でイメージの構成をやるやり方が、変わってくるのではないかと思うのです。

 ストーリーを考えるということは、過程を考えるということ、全体的な継続を考えるということは、パンチのきいたものがほしい・・・切断されたものを必要とすることは、これは矛盾する。一つ一つの場面が切り離されているほうが気持ちがいい・・・しかし、全体的なストーリーを必要とする。これは、やはり、相矛盾する。

⇒諷虹 よく「あのシーンありましたよね」というやりとりの時に、そういったシーンがまとめてニコニコ動画とかにあげられている3分くらいのまとめ動画を見るじゃないですか。例えば「恐怖というのには鮮度があります」というような場面とか、「〇〇の覚醒シーン」みたいな。

ああいうのを切り取ってあげている人がいるっていうことは同じ事をおもっているんですよね。3話の中でのほんの1分のやりとりでも、「ここに何かある」って感じているから、他の人もあげている。それですごい人気になって、逆にそこを知ったことで、全体も観てみようという人もでてきているだろうし、全体をみている人も、その一分にすごい凝縮されていると感じる。
さっきのパンチっていうのは「凝縮」っていうのがあるのかな、って。



虚空 昨日からこの座談会のことで自分が騒いでいるのもね、単にシナリオとかの話じゃなくてね、日常の認識の仕方そのもの話題だと思うわけだよ。

そうすると学校の授業でもね、印象に残るとか意識に残るとかいうのと、今のがね。
ここが共通して「やっぱりみんなこのシーンが印象に残ったんだね!」っていう感覚。互いに納得がいくような場面。

逆に、個人的な好みでみんなと違う場面をあげると「えっ、そこ!?」っていう反応が起きるのだって、「通性」が前提となっているからだよね。


諷虹 ごんぎつねだって、ラストシーンに白い煙が出ている、っていうことにごんぎつねがすべて凝縮されているんだな、とか。そのシーンを見ただけで自然と物語全体が自分の中でハイライトのように駆け巡る。

ファンが選ぶ名場面とかもそういうとこあるんだと思うんですよ。



虚空 ある程度なるほど、って思えるじゃない。そこに何があるのかなんだよね。
ところがさ、集計の仕方によってはね、多くの人が「なるほど」って思えない結果が出ることだってある。

あのNHKが日本の国産アニメ50年記念に集計したのなんて、全然世の中の実態から乖離していたからね・・・・。
参考 以前NHKが日本のアニメ50年を記念した特別番組を放送。ネットでアンケートをとってランキングを発表したが、国民的に誰もが知るようなアニメはほとんど入っていなかった。上位のアニメ、ましてや1位のアニメは国民全体としたら知らない人の方が多数派のようなアニメだった。

その集計の仕方に当時随分と批判があびせられていた。(放送した番組の中でさえ、出演者も同様な違和感を感じていた雰囲気があった)

これは世代を超えて印象に残り続けたアニメ、ではなく、熱心な投票が熱心なファンたちによって行われたアニメが上位の得票になったことを示している。アンケートの集計が現実と大きく乖離する好例になってしまったともいえる。
集計結果 1位~50位
https://yorozu-do.com/animation100/#150
うちベスト25
1位 TIGER&BUNNY/2011年
2位 劇場版TIGER&BUNNY -The Rising-/2014年
3位 魔法少女まどか☆マギカ/2011年
4位 ラブライブ!(第1期)/2013年
5位 ラブライブ!(第2期)/2014年
6位 劇場版TIGER&BUNNY -The Beginning-/2012年
7位 コードギアス反逆のルルーシュR2/2006年
8位 力-ドキャプターさくら/1998年
9位 ラプライプ!The School ldol Movie/2015年
10位 おそ松さん/2015年
11位 銀魂/2006年
12位 ジョーカー・ゲーム/2016年
13位 銀河英雄伝説/1988年
14位 新世紀エヴァングリオン/1995年
15位 コードギアス反逆のルルーシユR2/2008年
16位 ご注文はうさぎですか?/2014年
17位 機動戦士カンダム/1979年
18位 デジモンアドベンチヤー/1999年
19位 PSYCHO-PASSサイコパス/2012年
20位 ソートアート・オンライン/2012年
21位 CLANNAD~AFTER STORY~/2008年
22位 力一ルズ&パンツアー/2012年
23位 ハイキユー!!/2014年
24位 名探偵コナン/1996年
25位 氷菓/2012年

虚空 実際に、昭和を代表するアニメや、日本の代表的なアニメとして、観ていない人でも多くの人があげるであろう作品、たとえば

「サザエさん」「ちびまるこちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎」「あんぱんまん」「鉄腕アトム」・・・・なども入っていない。
ネットでの投票に参加する人間が全世代の中で極めて偏っているといる・・・これでは日本のアニメの歴史に残るベスト作品は選ぶことができないというのは、素人でも分かりそうなものなのに・・・
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(場面の分け方についての話題)
虚空 世間は内容内容っていうけれども、やっぱり「カット割り」とかのもっていきかたで同じ内容でも全然印象は変わるから。


諷虹 テレビシリーズでもね、毎話毎話楽しみでみている時って、ラストのところ・・・あと数秒で残りが描けるのにあえてそこをみせないで続きは来週って。(ガルパンなどの例をだす)
切り方ですよね。


参考)テレビ地上波での劇場映画や、バラエティ番組などでは、CMをみせることを優先するためにとんでもないカットを連発する。「衝撃の事実がこのあとに」というような感じで実際には核心をみせないで数十分もひっぱり、とうとう「結末は次週!」なんていうひどい番組もあった。
これは「ズタズタにした不快感」という印象しか残らない。
司会
 自ずと問題がしぼられてきたと思いますが、場面がどんどん動かねぱならず、未来、過去ということもはいって来なけれぱならない。それはテンポを早くするという問題につながってくるわけですよね。

コバルト 未来と過去というのは想像しずらい・・・置いてきぼり。

この前「量子論」の動画をみていて「時間の概念」っていうのがあったんですけど、量子論的にいうと「過去と未来と現在はすべて同時に起きている事」って。


虚空 それがアニメになると「ひぐらしのなく頃に」とか「まどマギのほむら」になるんだろうね。


諷虹 さすがに時間軸が滅茶苦茶になっている作品はなかなか観てもらえないかな、っていう。例えば自分は全く覚えていない未来の痕跡が発見されるとか、連続でない時間、つまり自分が経験してない過去がどんどん積み重ねられるみたいな気持ち悪い作りのものだとSFとかミステリーになっちゃうのかなって。


コバルト 「テンポ」っていう言葉が頻繁にでてきますけど、テンポって結局「時間」じゃないですか。時間の感じ方。


諷虹 タイミング。リズム。


虚空 純日本映画風ということで有名な 小津安二郎 って言う世界的に有名な映画監督がいるんだけど、特別なドラマが展開されるわけでもなく、淡々と進むんだよ。非常にゆったりとした感じで。でもねカット割りはうんと細かい。カメラが頻繁に切り替わる。監督自身、世界的も最もカット割りが細かいんじゃないか、って自負している人。でもカット割りが細かくても、ゆっくりとしたテンポにしか感じない。

参考 映像の魔術師というような異名をとった市川崑監督(犬神家の一族 東京オリンピック等々)はうんと長いカットがあったかと思うと、コンマ何秒というようなカットをたたみかけたりが変幻自在。それによって非常に強い印象を与えるのが得意)


虚空 自分も一時期本気で映画監督になろうとしていたし、教師になってからもドラマ作りだとか放送集会用の動画だとか、研究発表会用の資料ビデオ作成とかさんざんやったけど・・・・「編集」によって同じ素材がどうとでもなるというのはあったよ。
だからこそこの2号の座談会のやりとりはすごく面白いっていうのもある。

あとはね、四コマ漫画の構成が昔の四コマ漫画とは全然違うわけだよね。サザエさんにしてもいじわるばあさんにしても、一つ一つが完全独立だったわけだよ。その四コマで完結。でも今は四コマ漫画を並べてストーリーを組み立てるのが主流じゃない。きらら(芳文社が出してる漫画雑誌のシリーズ)なんていうように。ストーリー四コマっていうやつだよね。

本当だったら一続きのストーリーとして描かれてたいものが、四コマという単位の積み重ねで描くようになっていきている。



諷虹 ストーリー4コマといえども、あくまで4コマ漫画だからストーリーを追いつつも、4の倍数のコマの時にオチを言ったり、変なことを言うわけですよね。ギャグが雰囲気をぶち壊さすぎず、でもそれがアクセントになるような絶妙なボケ・笑いが必要



虚空 そうするとね、昭和の頃とかに四コマ漫画を読んでいた人とは全然違うと思うよ。場面の切り取り方や受け止め方や重ね合わせの感覚が。

四コマだけの完全独立完結で成り立っていた世界が、四コマ漫画がユニットになっていて、それがストーリー全体の中で役割をもって構成されているわけだろ。しかもそれが「連載」の形をとっている。そういう場面の切り方・まとめ方が現代人の標準になってきている。

だから全体を考えるときにも、いくつの四コマ漫画で割るのか、そしてそれぞれの四コマにそれぞれのオチをつけてさ・・・

なかなか上手にできているな、っていうのも多いけどさ、一般に昭和のオジサン・オバサン世代はこういった構成には不慣れなわけだよ。きらら系の漫画なんてよんだら面食らうと思うんだよ。


四コマなの?ストーリー漫画なの?どっちなの?って。
「いや、どっちもです・・・」っていいうのがなかなか伝わらないし、受け入れられない。それはもう頭から「どっちか」と分類してしか考えられなくなっているから。

この座談会で話題にされていることだってね、今からおよそ50年前の対談だよね。この50年にしたってテレビも映画も漫画も表現の方法は随分と変化したりバラエティー豊かになっているよ。


この座談会で語り合っている人たちは50年後の日本のテレビや漫画がどうなっているかなんて知らないでしゃべっているわけだよね。


でも現代の問題に大きくふれることをちゃんと語り合っている・・・それは当時爆発的に広まった「テレビのある家庭」「漫画のある生活」っていうのが「新たな世界構築法」との出会いで、大人も子供もすべての人たちが、新しい表現方法・・・場のつかまえかた、分割の仕方とかを次々と受け入れなければならなくなった時代だったということだよね。



諷虹 今のものをそのままみせても通じないでしょうね。50年前で止まっている。



虚空 そういうことだよ。自分が小さい時にみていた作品の構成までだから、受け入れているのは。

でもね、もし今上原先生が生きていたら「ああ、今はそうなのか」って受け入れたと思うんだよね。変化していくのがあたり前のことだと思っているから。

☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら 記事に先立って

実はこの記事、昼頃にはアップする予定でした。

その作業に入ろうとした時に飛び込んできたのが、「京都アニメーション火災(放火)」事件です。
京アニについては、やはり諷虹君ともよく話題に出ていたのですが・・・ショックなどというレベルではありません。

今回のやりとりのキーワードは「序破急」で、特に「破」の意義がしばしば登場します。

しかし、それは今日起きたような社会の秩序を「破壊する」のを肯定するような意味では決してありません。
従来の枠にとらわれている自分や社会に新しい風を吹かせる・・・これまでの枠から脱皮していくための「破」です。

それは自分にも周囲にも社会にも、より大きな深い「幸せ」をもたらすための「破」です。
①での内容からして、人によっての意識世界のズレが想像以上に違ってきているという現代社会の病理に関係してくると思います。
なので予定を変更して、駿煌会ラインでの、今回の事件についてのやりとりを、先に一部紹介しておきます。
(#京都アニメーション #京アニ )
19:31 虚空
京都アニメーションの続報があるたびに、どんどん心が沈んでいっています。
あの会社の作品にも随分と初期の頃から影響をうけているんで。
さっきも続報のニュースをみて涙がこぼれました



19:32ヒマワリ
さっきちらっとニュース見たけど、なに放火なの?



19:33 虚空
放火のようです。「パクりやがって」という捨てゼリフをはいていたという目撃者もいるんで、なんかの逆恨み?

 印象深い京都アニメはいろいろありますが、諷虹君とよく話題にしたのだと、中二病でも恋がしたい 小林さんちのメイドラゴン 響けユーフォニアム とかですかね。 Kanon などは、車椅子の知り合いの方に勧められて観ました。



19:37ヒマワリ
放火なのか…
それは悲しいし、なにもそこまでしなくてもね。
知ってるアニメあるだけに余計ね。



19:45 虚空
Wikiなどで調べると分かりますが、あの会社って、非常に古きよき日本の老舗の業者という感覚を残しています。
外注などはしないで、気心しれたスタッフ同士が連絡を密にして「いい作品を生みだそう」という姿勢。
だから社員はみんな部品としてではなく、家族の一員という感覚の会社です。
それだけに、一度に大勢の社員を失ったというのはね・・・・・・・・・・・・



20:50 虚空
今回のことに関してネットでこういう記事がありました。
京アニ社長「残念で断腸の思い」=惨劇に悔しさあらわ
2019/07/18 19:48時事通信
 死傷者多数を出したアニメ制作会社「京都アニメーション」の火災で、八田英明社長は18日午後、京都府宇治市の本社前で取材に応じ、「こんなことになり残念で断腸の思いだ」と悔しさをあらわにした。

 放火されたスタジオについて、同社長は「会社の核となる場所」と説明。事件当時は監督をはじめ、原画やキャラクターデザインの担当者らも現場にいたことを明らかにした。

 会社には、数年前から作品への批判や、スタッフの殺害予告が相次いでいたという。同社長は「弁護士に相談したり、警察に被害届を出したりするなどして、その都度対応してきたつもりだった。ここまでする人がいるとは想像もできなかった」と言葉を詰まらせた。

 その上で、「暴力行為に訴えてどうするのか。作品に批判があるならちゃんと主張すべきだ」と怒りを隠さなかった。



20:53 虚空
話し合いという「人間としての基本姿勢」が急速に失われている世界ですね。
不満があったら問答無用でこの世から消し去れというような・・・・もしかしたら、幼い時からテレビゲームなどで邪魔者は消す、嫌ならリセットする・・・そんな繰り返しをしてた世代がこういうようになってきているのかもしれません。



21:23 コバルト

https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20130608-00025545/
ある犯罪心理学者は語っています。
「殺意を待っている人に殺人を実行させる方法は、誰も彼に話しかけないことだ。」
みんな人付き合いを無くしてしまえば、感情を抑えつける堤防がなくなってしまい、暴走にいたってしまうんですよね。



21:34 虚空
この前のサイゼリアでの言葉を使えば、自分だけの「起承転結」の世界を邪魔するような人間も社会も消えてなくなれと極端な「破」に及ぶ。

人との関りが希薄でゲームやネット三昧で暮らし続けると、(サイゼリア対談で語り合ったように)ものごとの認識の仕方そのものが歪む・・・そこが多分想像以上に・・・。

あたりまえのことですが、人間と生の交流をしながら人間として成長していくわけだよね。

乳幼児のときからスマホやビデオやゲーム機や各種教材でのやりとりばかりで大きくなっていく子が社会の多くをますます占めていきます。

今回のことは決して他人事ではありません。