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☆学修塾ダンデリオン 1月22日ツイッターに関して 諷虹・虚空 やりとり② 「逆縁」

虚空 バガボンドのことも引用してたけど、あの世界だって「この先」を考えるか考えないかの覚悟っていうのがよく出てくるじゃない。象徴的だったのは、吉岡道場の大勢が武蔵一人を狙う場面。武蔵は「今」に生き切る、いつ切られてもという覚悟。対して吉岡の多くは「帰ってから食べるよ」とかいって、自分は生きて帰れると決めつけていて・・・結局みんな切り殺された。
そんな極限の中での命のやりとりをする対決の相手だからこそ、究極の「親愛の情」を抱くんだろうけど・・・寿命を感じる日々を送っていながら自分には全く創造できない境地。
諷虹 文の中で引用っされている言葉
武術研究家甲野(こうの)善(よし)紀(のり)の言葉を参考にしてみます。
「逆縁(ぎゃくえん)も、出会いの最高形態である。」
愛しあったり尊敬しあったりするのを「順縁(じゅんえん)」とすれば、武人同士が命懸けで戦うのは「逆縁」となりますが、それもまた、互いの全存在をかけた、最高に熱いコミュニケーションである、ということです。
これって  なのはA’s   にもよく出てくるセリフに通じますね。シグナムとフェイトのやりとりとかで。
虚空 騎士道精神として描かれていやつだね
諷虹 九話ですね。
・「(なのは→ヴイータ)悪魔でいいよ。悪魔らしいやりかたで話をきいてもらうから」
・「(シグナム→フェイト)こんな出会いをしていなければ、私とお前は一体どれほどの友になれていただろうか」
・「(シグナム)我ら守護騎士、主の笑顔のためなら騎士の誇りさえ捨てると決めた」
これもある意味で道ですね。騎士道を外れて外道に落ちる。
虚空 この前の火曜日、CSでのタイガーマスクの最終回だったんだけど、クリーンファイターになっていたタイガーが虎の穴を壊滅させるために、すべてを捨てて大反則の限りを尽くして・・・多分ボスを試合で殺した。そして密かに海外へ去っていった・・・
諷虹 この大反則をする時って、マスクをはがされた時じゃないですか。それで悟ったような笑いをして・・・タイガーマスクであり伊達直人であるという状態
虚空 虎の穴で叩きこまれた反則をすべて返して伊達直人に戻るという・・・器の中のものをすべてブチ開ける・・・。この前ラインのやりとりであった「黄泉の国」だよね。汚れた部分を出し切る。それでどんなに自分は汚名を着せられ孤独になろうが・・・その覚悟が命がけであったから。
諷虹 ちょっと話もどりますが、考えてみれば なのは と フェイト だって逆縁が結ばれたようなものだし、ドッグデイズも。まああれは順縁が逆縁になってまた順縁になったようなものですがね。
虚空 だいたい なのはシリーズ の基本ってそれだよね。人間関係もそうだし。
あとは身分。時空犯罪者で執行猶予ながら裁判で有罪になったフェイトが、執務官・・・この世でいうところの捜査を行う検事のようなポジションとか、はやてが機動六課・・・自衛隊の特殊部隊の隊長のようなポジションについている。
他にも犯罪者が改心して管理局に協力を申し誰ば、受け入れてしまうんだからミッドチルダって不思議な地球外世界だよね。
諷虹 シスターもいますからね。
逆縁の集合体のようなものがガルパン劇場版の大洗女子チームですよね。それまでの敵チームの隊長たちがどんどん仲間として参戦して・・・
虚空 上原先生が心意伝承の研究で引用していた折口先生の言葉
『従来親愛と尊敬との極致を現して来た殺戮を、冒涜・残虐と考へ出したのは、抑既に神人交感の阻隔しはじめたからのことである。』(髯籠の話)
諷虹 「暗殺教室」みたいですね。自分たちの学んできたすべてを込めて、自分たちの手で大好きな「殺せんせー」を殺す。一番慕っていた渚が代表してとどめを刺す
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☆学修塾ダンデリオン 1月22日ツイッターに関して 諷虹・虚空 やりとり① 「人生のなかの因果関係」

諷虹 ダンデリオンさんのツイッターをみて、コンステレーション(constellation)っていうことから水樹奈々の PHANTOM MINDS  の中のサビの部分を思い出しまして・・・
PHANTOM MINDS
水樹奈々
いつも探してたんだ 本当の笑顔溢れる場所
微かなその温もりに未来を映して動けずいた
見えない明日に希望を重ねて
不安な夜を繰り返すより
今ここにある小さな幸せを守りたい
蒼く澄んだ瞳に浮かぶ 名前もない星空に
僕だけが知ってる夢の座標-星座-をそっと記す
例え深い闇の中 消えてしまったとしても
君へと続くこの記憶は決してなくすことないよ
「教えて…?」 君が初めて触れた僕の心の扉
一人で過ごす時間にいつの間に慣れてしまっていた
胸を刺す痛み 届かない思い
気付かないように嘘をついた
寂しさに理由なんてあるはずないと思ってた
あの日出会った奇跡は
誰にも想像できない物語のプロローグに繋がっていく
ありふれた言葉でもいい真っ直ぐに伝えたいよ
君の元へと羽撃いていく
「行こう…」もう迷わない…
諷虹 この中の特にこの部分・・・
『蒼く澄んだ瞳に浮かぶ 名前もない星空に 僕だけが知ってる夢の座標-星座-をそっと記す 例え深い闇の中 消えてしまったとしても 君へと続くこの記憶は 決して失くすことないよ』
「なのは」って星に関するキーワードが多いじゃないですか。スターライトブレイカーとか。なのはのチームもスターズ。
虚空 配置による人間がある意味で勝手に意味づけたイメージ・・・そこからの解放っていうことと、意味付けやバタフライエフェクト的な部分とのかねあいをどう考えるか・・・・
諷虹 この僕だけが知っている星座って「図式化」ですよね。だから「俯瞰視点でみる」という部分もあるのかな・・・宇宙をみて人生観を悟る・・・今の自分達の・・・なのはとフェイトの二人の距離感や人生をとらえるために一旦図式化しているという感じなのかな?
そしてのその「夢の座標」を「星座」と読ませている。
虚空 イメージの投影っていうことなんだろうけど、それを確認のために図式化して確認したあとだよね。この老子の言葉をふまえてどう考えるか・・・
『それを、特別に複雑な因果関係の絡み合いというふうに思い込んで、何が何でも原因理由を究明しようとするから、かえって混乱するのでしょう。』
今思い出したんだけど、昔の小津安二郎監督が撮った日本映画で・・・「秋日和」だったかな・・・縁談をもちかけて話をこじらせた当の本人であるおじさんたちが「人生なんて案外単純なのかもね、それをみんなで寄ってたかって複雑にしている・・・」なんていうことを語り合ってた場面があった。正確な言い回しは覚えていないけど。
あれって小津監督が老子の言葉から発想したドラマだったのかも・・・。
*帰宅後にセリフ確認 A B C 3人のやりとり
A しかし世の中なんて、みんながよってたかって複雑にしてるんだな。案外簡単なものなのにさ。
C それはお前達のことだよ
A・B (笑)
諷虹 簡単なことの積み重ねで、っていうのとつながるんでしょうけど、高専での初めてのレポートをまとめた時に、数式の一行一行の意味を積み重ねて複雑な数式をつくる時に、一歩一歩はそれほど難しいことはしていないんですよね。
虚空 この前、なんかの数式を見た時にさ、自分は全体をパッとみてなんだこれ、ゴチャゴチャして、と思ったけど、諷虹君はそれをパッとみてある文字の塊同士に分けて、本質的に言わんとしていたポイントをみつけたじゃない。
諷虹 フーリエ変換の式ですね。この前 T・K先生の送ってきた資料の中にあった
虚空 単純なものから複雑、複雑なものから単純っていう両方向の変換がフーリエ変換にはあったけど、やっぱりそういう両面っていうことかな???
「フーリエ変換」と「フーリエ逆変換」
諷虹 SHIROBAKO の「小さいことからコツコツと」っていう宮森の口癖。巨匠のセリフで 目の前のことを片付けていたらここに来ていた っていう。
虚空 この前の武豊もそうだろうね。4000勝を目指していたわけじゃなくて、一つ一つの勝負の結果から何かを地道につかみとっていった結果・・・。敗戦や失敗から学んだことの積み重ね
諷虹 対極的にみすぎたインタビューに対して「普段通りやるだけです」っていうのはまさにその感覚なんでしょうね。
スラムダンクの山王戦冒頭で「同じ2点だピョン」っていうのもね。あの一言で流れを自分たちのいつものペースに戻してしまうわけですからね。

☆学修塾ダンデリオン 1月22日ツイッターに関してラインやりとり

学修塾ダンデリオン    https://twitter.com/hp45z6dx0wlrka6
(老子道徳経 下編徳経63)
無為を為し、無事(むじ)を事とし、無味(むみ)を味わう。 
小を大とし少を多とし、怨(うら)みに報(むく)ゆるに徳を以てす。 
難きを其の易(やす)きに図り、大を其の細(さい)に為す。
...天下の難事は必ず易(やす)きより作(お)こり、天下の大事は必ず細(さい)より作(お)こる  
是(ここ)を以て聖人は、終(つい)に大を為さず、故に能く其の大を成す。 
夫れ軽諾(けいだく)は必ず信寡(すく)なく、多易(たい)は必ず難多し。 
是(ここ)を以て聖人すら猶(なお)これを難しとす、 
故(ゆえ)に終(つい)に難きこと無し。
【大体の意味内容】
ことさらな仕業(しわざ)を一切為さずに自然体であり、仕事したような顔もせず、何の面白みも無いようなことの味わいに感動して生(い)きる。とるに足らない小さなことを大事にし、ささやかな幸(さち)を、身に余る多量のものと受け止め、怨(うら)みごとへの報復としては、仁徳を以てできるだけ相手に施し、感謝する。
 難しいことは、易(やさ)しいこととして対処し、大掛(おおが)かりなことは、細かなこととして取り扱う。 (どんなに大きな難問でも、それは必ずシンプルな基本から成り立っているものだからである。)
同様に、天下の難題も、必ず容易な問題から始まっており、 天下の一大事も、細かな事件のつながりや取り合わせ(コンステレーション)にすぎない。
それゆえに聖人は、ことさら大それたことを為そうとはせず、本質を突くのみであるから、結果的に偉大な仕事を成し遂げるのである。 
自らを大物と装って、軽々しく人の期待にこたえるかのように見せかけてばかりの者は、必ずや信用信頼を失うこととなる。 
安易な対応ばかりで自分の評判を上げようなどともくろんでも、必ず難儀なことが噴出して対応しきれないことになる。
だから聖人ですら、どのような些細(ささい)な問題にも、必ず難点が潜んでいることを予感して慎重に対処するから、 結果的に、解決しきれない難題に直面してしまうということがなくなるのである。
【お話】  途中で使ったコンステレーション(constellation)という言葉は、心理学では「布置(ふち)・配置」と訳されることもありますが、本来は「星座」のことです。オリオン座とか北斗七星とかの星座は、その図を作っている星たち自身は実際に横に並んでいるわけではありません。
地球からの距離が比較的近いものもあれば大変遠いものもあり、 私たちから見えている星座の星たち同士は、互いに全く無関係、 仲間でも家族でも親戚でも何でもありません。たまたま地球から見ると「ひしゃく」の形に並んで見えたりしているだけです。
関係ないけれど、そうした取り合わせが私たちに物語を作らせています。 同じように、私たち自身、生きていくうえで様々な人や出来事との組み合わせ・取り合わせを通じて、自分でも予想もしなかった精神状態になったりすることがあります。
たとえば、本当はAさんが好きなのだけれど、たまたまBさんと話したり手伝ったりする場面が連続したり、偶然拾った財布を警察に届けたらそれがまたBさんの家族のものだったり、そんな「たまたま」とか「偶然」とかの取り合わせで何かが始まってしまう、などということがあったりします。
原因が特定できない、偶然の取り合わせに私たちが「布置(配置)」されてしまい、その状況にふさわしい心理状態を生きるという事。これをコンステレーションといいます。 「物事は必ずしも原因と結果で成り立つとは限らない」、ということですが、実際問題、単純な因果論では説明のつかないことが生身(なまみ)の私たちには多いですよね。それを、特別に複雑な因果関係の絡み合いというふうに思い込んで、何が何でも原因理由を究明しようとするから、かえって混乱するのでしょう。
『老子』が言うように、物事は本来「易(やす)きこと」や「細(こま)かい」ことの組み合わせにすぎないのだと思います。なるべく物事おおらかにとらえた方が、世界は豊かに見えるものかもしれません。
09:24 コバルト
あっちこっち多大な努力で事を成すのではなく、本質だけを一突きで事を成すみたいな。
商業的な格闘技はとにかく手数を多くして観客を喜ばせますが、張り詰め合った本物の真剣勝負はほんの一瞬で勝負がついてしまう。
またお城をたった一本の柱を破壊するだけで、全て崩れてしまうような。
前にピカソの話題にしていた道化なんですが、人に笑われる存在である一方、実は状況を簡単にひっくり返えてしまえるほどの畏れられた存在でもあるみたいに。
本質を突くというのは大した力もいれないのに実に簡単に事を成してしまえるんですよね。
09:47 虚空
「道化」を古来の日本人的に考えると、折口先生のいう「もどき」になるような・・・。このあたりは深く読んだことがないので予感です。
「構えの変革」(トランスフォーメーション)という意味で、しっかりと考えてみる必要がありそうです。
☆1月26日 土
20:26 ヒマワリ
ダンデリオンさん記事読みました!
(最近この「ダンデリオン」とゆう単語を言いたいだけでわざわざ打つところありますw
耳心地が良いとゆうか口が言いたくなる言葉なのかw)
たしかにバタフライエフェクトの根底にあるものですね。
ときどき自分の人生や生き方…選んできた道がこれでよかったのかと、考えてもどうしようもないことを考えてしまうときがありますが、「それでいいんだよ」と言われている気がします。
そんなもんで、人生ってある程度ゆる?く…出会うときに、するべきときに、選んでいけばいいんじゃないかなーと思えました。
20:34 虚空
 今、諷虹君宅で昨日の話(バタフライ)の続きとして諷虹君から提示された漫画「このはな綺譚」の中のある話の内容がこの書き込みとリンクしています。ここの波がそちらに伝わっていたりして・・・
何度生まれ変わっても ああ、私は結局何ものにもなれない そう思ったら今までやってきたこと全部無駄だったって気づいた 何度生まれ変わったって一緒だよ だからもう人間は嫌といって人間への転生を拒む女の子の話です。
この子は覚えていませんが、実はこれで18回目・・・いつも15歳で人生を終えている子。
でも此花亭での仲居ぎつねたちとのやりとりを通して今度こそ大人にまで成長して人生の意味を見出そうとするお話です。
(よくわなんないでしょうが、これだけでは)
*諷虹・虚空のやりとり記録は次のブログ記事で紹介します。
21:00 ヒマワリ
やっぱ駿煌会メンバーとして、波動が似ちゃうんですかね(笑)
100万回生きた猫っぽい感じ?
21:04 虚空
100万回生きた猫 は表紙はみたことありますが、中身はしりません。
この書き込みがくる前に 別のアニメを紹介されていました。そのセリフを起こしたサイトがこれなんですけど、このセリフもけっこう関係ありそう。

21:12 虚空
100万回生きた猫 の粗筋はwikiで確認しました

☆ 学修塾ダンデリオン 1月12日・15日ツイッターに関して

*かなり長い引用が続きます。下の方にやりとりがあります。

学修塾ダンデリオン    https://twitter.com/hp45z6dx0wlrka6
(老子道徳経 下編徳経59)
人を治め天に事(つか)うるは、嗇(しょく)に若(し)くは莫(な)し。夫(そ)れ唯(た)だ嗇、是を以て早く服す。早く服するは、これを重ねて徳を積むと謂(い)う。重ねて徳を積めば、則ち克(か)たざる無し。克たざる無ければ、則(すなわ)ち其の極を知る莫し。
其の極を知る莫ければ、以て国を有(たも)つべし。国を有つの母は、以て長久なるべし。是を、根を深くし柢を固くし、長生久視するの道なり、と謂う。【大体の
意味内容】人を治め天に仕(つか)えるには、過剰な利益を削り過剰な支出を抑えるように、得るも払うも節制することが第一である。
いずれにおいても過剰さを慎むのが「嗇(しょく)」である。そうすることで、早く宇宙の道理に従える自由を得られる。本来の「理」に従い、「理」の中に在ることが、自分自身の心身が最ものびやかに活動できる合理性という「徳」を「積む」ということになる。
今日、自分本来の「合理」をひとつ見出し、明日また別の合理を見出してゆけば、その「徳」は足し算ではなく掛け算の「積」として大きく確かなものとなってゆくであろう。こうして「徳」を「累積」してゆけば、いかなる障害があろうとも、克服できないものはない。
そもそも「理」の中に在れば、障碍(しょうがい)を困難とは思わないのだから、自分の究極の限界などというものを知ることがないのである。何事も限界とは思わぬ志が、国を生かしめる。国を生かすための母(もと)が「嗇(しょく)」であり、それによって国も人も長久の命脈を保てる。
これを、「物事の根柢を深く固め、長(とこ)しえに久しく生きるの道」という。
 【お話】私は小学3年生から5年生までの間、剣道を習っていました。左(ひだり)利(き)きの私は、右手を上、左手を下にする竹刀の持ち方に違和感を覚えましたが、「左手で竹刀の重みを支えなければならないから、左利きのほうが有利なくらいだ」と師範に言われ、そうかと思って取り組んでいました。が、どうしても、すぐに疲れてしまいました。ほかにもいろんなスポーツに取り組んでいたので体力にも腕力にもある程度自信はあったのに、剣道だけは、いくら竹刀を軽くしても、友だちより先に腕が上がらなくなってしまうのです。結局、段を取ることもなくやめてしまい、ずっと謎のままでいたのですが、後年、ある剣道家(剣道研究者でもある方)と話す機会があって、この謎について質問しました。氷解しました。
右(みぎ)利(き)きの人は、力が弱い左手で下を持つから、竹刀全体の重みを支えるだけであとは右手に任せる。力の強い右手が負担の軽い上のほうを持って、太刀筋(たちすじ)をコントロールする。両手とも、無駄な力を入れないからバランスが取れてしなやかな太刀振(たちふ)りができるのだ、と。
目から鱗(うろこ)でした。剣道の決まりごとになっている、右上・左下の竹刀の持ち方は、右利きにとってこそ合理的であって、左利きにとってはアンバランスもいいところだったわけです。非合理的で、「身体道徳」に反するものでしかない。くだんの剣道家の方も「(剣道界は)硬直してる」と独(ひと)り言(ご)ちてらっしゃいました。私は「型」は大事だと思っています。でも、生きた「理」を考えない硬直した形式論は、「型(かた)」ではなく「枷(かせ)」に過ぎません。「手枷(てかせ)」「足枷(あしかせ)」「首(くび)枷(かせ)」の「枷(かせ)」です。
初めから「自由を奪う」目的のもの。どんな分野でも、最初はお手本のまねをして、基本の「型にはまる」練習を積みますが、まずは多くの人に共通の「合理」を体得する。それから工夫を重ねてて「型破り」していきます。「型にはまる」ことは不自由になることではなく、自分の心身にとってなるべく自由を得られる流れを獲得することなのです。段階が進んでくると、いよいよ、他人とは違った自分独自の「理」を追求して、「型破り」するわけです。 「型」がなければそれを「破る」ということもできません。初めから「型」も何もないのは「単なる「型なし」です。
それではいくらカッコつけても「様(サマ)にならない」。それを「無様(ぶざま)」といいます。自分の身の周(まわ)りにある様々な「お手本」は、ぜひ大事にしましょう。
(老子道徳経 下編徳経60)
大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが若し。道を以て天下に莅(のぞ)めば、其の鬼(き)も神(しん)ならず。其の鬼の神ならざるに非ず、其の神も人を傷(そこな)わず。其の神の人を傷わざるに非ず、聖人も亦(ま)た人を傷わず。夫(そ)れ両(ふた)つながら相い傷わず。故に徳は交(こも)ゝ(ごも)焉(こ)れに帰す。
【大体の意味内容】大国を統治するというのは、小鮮(こざかな)を烹(に)るようなものだ。かき回すと形が崩れてしまうので、余計な手を加えずコトコト静かに煮る方がよい味わいが出る。「道」の理に従って、天下における自分本来の位置を見極め、そこに立って生きよ。そうすれば、大地の精霊たる「鬼」が人々に霊威をもたらすように、「道」理の徳が、「処」を得た人の内側から湧き出るように、その人を徳(はたら)かせる。神鳴(かみなり)が天地を突(つ)ん裂(ざ)きこの世に祟(たた)るような暴発はしない。いや、大地の「鬼」霊が祟り神にならないというだけではない。「道」理の徳を体現すれば、雷や祟り神であっても、その人を傷(やぶ)ることはできないのだ。さらに言うと、祟り神が人を傷(そこな)わないというだけではない
【お話】これまで「聖人」を理想的な存在として語りだしてきていたのに、ここでは神よりもマイナスな存在として扱われ、神はまた神鳴(かみなり)(雷)が原義であるように、本来祟(たた)りを為すマイナスな力として語られています。ただし「聖人」よりはましなものとして。さらにその「神」よりも良いものとして「鬼」を真っ先に挙げているのが面白いですね。「鬼」は大地の草木や生き物、岩や土や水などあらゆるものの精霊として、認識されていたようです。後々(のちのち)の時代には、悪いものの代表のように扱われる鬼も、老子の時代にはこうした、生命全般を育(はぐく)む者、人々の、死んだ祖先を指す言葉として、尊重されていたようです。お正月に、「お年玉」をもらいますね。これはもともと「お年(とし)魂(だま)」で新しい年の魂がやってきて、それが体につくから、すべての日本人が一斉に「年を取る」つまり年齢が一つ上がったそうです。明治時代以前は「数え」という方法で年齢を加えていました。最初は、生まれた瞬間で1歳となり、その後は誕生日に年を取るのではなく、正月元旦に「年魂」を獲得してみんな年を取ったらしい。その「年魂」が宿るモノとして、おもちが考えられていたわけです。確かに柔らかい丸餅(まるもち)は、魂が形を持ったものとしてぴったりですね。餅は、もちろん「もち米」という穀物から作られます。秋に稔(みの)る稲穂の、その穀物が一度稔る期間のことを「稔(とし)」と呼んでいたので、「年魂」はさらに本来は「稔(とし)魂(だま)」だったのでしょう。古代中国ではこうした精霊たちを「鬼(き)」と呼びならわしていたようです。私達が食べる様々な穀物や草、野菜、果物、肉、魚などなどには、その者の生命だけでなく、宇宙の「鬼」が宿っている。
宇宙空間に様々な星が生まれ其の星の中であらゆるものが成り立ってきたわけですから、日常の食べ物すべての背後に宇宙の力があるわけです。「僕らは『鬼蹟(きせき)』でできている」。そのことに感謝して、何でもおいしく味わい、元気になりましょう!
(老子道徳経 下編徳経61)
道なる者は万物の奥なり。善人の宝なり。不善人の安んずる所なり。
美言は以て尊を市(か)うべく、美行は以て人に加うべし。
人の不善なるも、何の棄(す)つることかこれ有らん。
古(いにしえ)の此の道を貴(とうと)ぶ所以(ゆえん)の者は、何ぞ。
求むれば以て得られ、罪有るも以て免(まぬがる)ると曰(い)わずや。故に天下の貴きものと為る。
【大体の意味内容】
「道」は宇宙生成の最奥(さいおう)の原理である。善い人にとっての宝である。善くない人にとっても安心して生きながらえる居場所のようなものだ。
美しく飾り立てた言葉を操って、人々からの尊敬を買い集めたり、美しい行いでさらに自分への利益を加えてゆくこともできる。(そんな「おためごかし」は見苦しいものだが、それでも良い報(むく)いを得られるのも事実だ。)
だから善くない人であろうとも、どうして見捨てられることがあろうか。
(「道」理とは、そのような取捨選択をせず、万物万人に働きかけるものである。)昔から「道」が貴ばれてきた理由は何であろうか。
それは、「求めれば、そのことが原因となって、得ることができ、罪があっても、「道」の働きにおいては免(ゆる)されているから」と、言えまいか。
(罪を犯せばすぐに死んでしまうということはないからである)ゆえに、「道」はこの世で最も貴いものと為(な)る。
【お話】
鎌倉時代の高僧「親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)」の有名な「悪人(あくにん)正機説(しょうきせつ)」とはこれが源流だったのだとわかりました。
「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや…」で始まる『歎異抄(たんにしょう)』の冒頭の大意は以下の通り。
「自力で善行(ぜんこう)を積み上げ、他力(たりき)を恃(たの)むことの欠如(けつじょ)した人であっても極楽往生を遂げられるのだから、ましてや煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)にして他力(たりき)を恃(たの)む悪人である我々が、極楽往生しないわけがない。
慈悲(じひ)深(ぶか)い阿弥陀仏(あみだぶつ)は、むしろこのような救いがたい悪人こそ救ってくださるのだから。」
このかなり理屈っぽい一節も、老子のシンプルな文章を読めばすっきりと腑(ふ)に落ちます。
特に、「道」とは「不善人の安んずる所」とか「求むれば以て得られ、罪有るも以て免る」といった簡潔な文が、かえって力強く響きます。
よく言われるように、「お天道(てんと)さまはすべてのものを等しく照らす」のであって、こちらの箴言(しんげん)のほうが老子の意をよく継いでいるといえましょう。
「善(よ)い行い」をすれば褒(ほ)められ、「犯罪」を働けば処罰されるというのは、小さな人間たちが行う小さな行いであって、宇宙の大道(たいどう)から見ればどちらも小さな者たちのうごめきにすぎず、大した違いはない、ということなのでしょう。
こうした大きな視点に立てば、宇宙の根本原理に反しない限りはつつがなく生きられるし、「道」に反すれば、自ら滅びの道をたどることになると。
「合理」というか、「道理」に沿うか沿わないかが最重要のポイントになるわけです。
といっても、例えばテロのような非道なふるまいが許されるわけでも正当化できるわけでもありません。
それは当然のこととして、視点を地上的なところから宇宙論的な広がりに転換してみるべきと、老子は訴えているのだと思います。
武術研究家甲野(こうの)善(よし)紀(のり)の言葉を参考にしてみます。
「逆縁(ぎゃくえん)も、出会いの最高形態である。」
愛しあったり尊敬しあったりするのを「順縁(じゅんえん)」とすれば、武人同士が命懸けで戦うのは「逆縁」となりますが、それもまた、互いの全存在をかけた、最高に熱いコミュニケーションである、ということです。
『バガボンド』というマンガの中で、聾唖(ろうあ)の剣士佐々木(ささき)小次郎(こじろう)と、凄腕(すごうで)の武士猪(い)谷(がや)巨(こ)雲(うん)とが、
斬りあいのさなかに互いを認め合い、惹(ひ)かれあってゆくシーンが印象的でした。
「小次郎、俺たちは、抱きしめるかわりに斬るんだな」と決着がつく。
ぶつかり合う命が宙空に昇華した瞬間。
何ともすごい絵でした。
「最強の敵は、最高の友」
2019.01.16 水曜日
00:12 コバルト
駿煌会との感覚が妙に近い気がします。
ぜひダンデリオンさんと駿煌会の直接のやりとりをやってみたいと思いますね。
06:27 虚空
そういう交流が少しずつでも広がるといいんですね!
08:59 コバルト
自分がどの道を歩いているか知ったときに、筋道というのを立てられるんじゃないかと思います。
要はそれは自分そのものの道理であって、例え世間的に外れていたとしても、自分自分達の道理に律することが出来れば、それで十分保たれるんですよね。
特に新選組なんかは厳しい規律の中で居場所を確立したもので有名ですよね。
あれも道筋を建てたもので、それに外れたら切腹という厳しいものだったみたいですし。
でもその厳しさが自分達そのものを見立て、律することが出来たものじゃないかと感じました。
09:02 虚空
「歩いているのか知ったときに」というのが先ず興味深い部分ですよね。今この瞬間には分からないけど、あとで分かるというような。以前諷虹君とT・K先生から送られてきた雪道の資料でやりとりしていた時にも出てきたのですが、今自分がどういう道を歩いているのか分かると、逆にその道以外の選択肢が見えなくなる、というのもありますから(縛りになってしまう)
難波先生が最近のツイッターで幅広い視野ということを発言されたことに対しての異議(?)のようなツイートがあったのですが、いわゆる「専門バカ」にならないような心がけは自ら必要だと思います。(諷虹君とよく話題になるのは、同じ数式を扱う同士でも、案外「数学者」と「物理学者」の交流がないらしいということ。)
10:30 コバルト
たしかに先細りになっていく道や破滅の道などあります、覇道(死んだとしてもそれは本望)という道にありつけるか、たとえば美空ひばりなんかは、歌道に突き進んだ人なんだろうと思います。
舞台の上で死にたいと言えるのはすごいです。
ちなみに道と波(波長)は同義であると言ってもいいかもしれません
波動と覇道!
☆1月18日 金
23:46 ヒマワリ
読みました!
漢文は飛ばしましたが、何故かダンデリオンさんのお話の部分は音読しましたw
誰も聞いちゃいないのにw
全部いいお話だな?と思いました。
型 枷 型破り …ほぉほぉと。
学ぶは真似ぶでござりますね。
数え年の意味を初めて理解しました。
よく耳にしてました数え年とゆう言葉を。
でもふーんぐらいにしか聞いてなかったから、そうゆうことなんだ!って理解。
お年玉の意味も、そうなんだーって感心。
鬼はなまはげだね!
2019.01.19 土曜日
00:04 ヒマワリ
こりゃスケールのデカい話だよ。
お天道様は見てんだかんねって、いいことしてるとこ見ててくれて、悪いことしてる奴にバチが当たるってことかと思ってたら、等しく照らしちゃう系なのね
嫌いな奴は嫌いだ!
因果応報!地獄へ堕ちろ!とか思わない系?笑
神様の領域じゃん。
シシガミ様系ですか、森の道理に沿うか沿わぬか…
命を与えもし、奪いもする。
生と死、死と再生。
はーーーん?
10:47 ヒマワリ
もっと頭の中に釣り糸を垂らしたら、もっと他に何か出てくるかもしれない。
数学的だし、福祉的だし。
↑あの老子道徳経 下編徳経59の部分。
18:50 ソルティ
難解でしたが、ダンデリオンさんの剣道のお話しが面白かった。
悪人しょうきせつは いまだに やっぱり書き直してほしいと思う。あと、カトリックの聖歌で「幸いなるかな~」というのがあって、幸いなるかな~義にうえ乾く人~天国は彼らのものである~。まあこれは良しとして、「幸いなるかな~ 心の貧しき人~」 これがどうしても、(なんでやねん?)だった。だけど、宇宙って 何でもあり! あなたの存在、それ自体が素晴らしいのですよ~。と言われているんだと理解することにした。
19:28 ソルティ 
悪人正機説は書き直してほしい、と書きましたが、親鸞さんに凡人にわかるように書き直してほしいという意味です。

☆2019,01,19 諷虹宅 ヒマワリフクロウ・虚空⑨ 「バタフライエフェクト」「生態研究の授業と心意伝承」

ヒマワリ 手の届く範囲っていうことで・・・バタフライエフェクトだっけ。一羽の蝶の羽ばたきがいつかは嵐になってしまう・・・風を起こす・・・とういう感じかな、って今思った。
いつかこのブログがとんでもないところにまで広がって・・・
(児言態の活動との関連)
(諷虹からは なのはシリーズの冒頭セリフ「小さな小さな事件」とバタフライエフェクトとの関連)
ヒマワリ 宇宙空間からみたらちっぽけな話・・・
虚空 そりゃ人間の悩みも考えも宇宙全体からみたら埃にもならないよ。特に物質的にみたらさ。
でもね、「波」って言う風に考えると、波ってどんどん伝わって広がっていく。共鳴しあったりするものでしょ。
それこそこの前の授業のように小さな個人が、大きな自然や宇宙の波と共鳴しあえるということをやったわけじゃん。
ヒマワリ この前みた錯綜の図(11月3日の立体グラフ)もそうだよね。(思い出を語る)
こうみたらいろいろと見えてきました、とかを感じていた気がする。
虚空 「錯綜」っていうのだって単なるクロスではなくて、そこからの共鳴で新たなものが生まれてくるということだろうからね。
(補足 
1、アニメ「君の名は。」・・・「紐」による 時間、空間、人間(ジンカン)を錯綜するたとえ話。
2、複素数=complex number  直訳すると 複合した数  実数と虚数が複合したという意味
虚空 駿煌会ホームページの用語解説欄もなかなか進んでいないけど、本当はそれぞれが自分流の説明を書いて並べられると面白いんだけどね。変に統一しないでさ。よく諷虹君がネット検索ででしてくるサイトがあるじゃない。いろんな辞書の解説文が紹介されているやつ。あんな感じで。
それぞれの分野からの違った切り口を重ね合わせることで観てくる何か・・・とくに専門外の意見も交える意義 ということから教科担任制の私学や中学校・高校の学校体制についての話になっていく  聖徳のカリキュラムについての話もまじる)
諷虹 今、バタフライエフェクトについて調べてみたんですけど、まんまカオス理論につながるんですね。
バタフライエフェクト(バタフライ効果)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E5%8A%B9%E6%9E%9C
力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象[1]。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である
ヒマワリ カオス理論?
諷虹 混沌
ヒマワリ えっ!そうなの!!!
諷虹 の用語っぽいですよ。
ヒマワリ へー
虚空 あなたはどっからバタフライエフェクトって持ってきたの?
ヒマワリ なんかビデオ屋さんかなんかでみて・・・
諷虹 蝶の羽ばたき一つがテキサスの大ハリケーンになるか、みたいな。先が読めないということですよね、それだけ。カオスっていうのは。
ヒマワリ なるほど・・・さっきの上原先生の言葉をかりるならば、そのバタフライエフェクトと言う言葉が私の辞書に残っていたという感じかな。特別そんな意味があるって分からなかったけど。
虚空 これを日本的に言うと「風が吹けば桶屋がもうかる」っていうんじゃない。
ヒマワリ なにそれ?
(諷虹が解説)
虚空 そういう風に思いもよらないことに影響がでることが世の中にはいろいろあるよ、っていうたとえばなし。
ヒマワリ 今の時代でいいうと「みんな髪の毛そめる」→「はげる」→「ヅラ売れる」みたいなことじゃん。受ける!
虚空 まあかつら業界はそういったシナリオを描いているだろうけど、消費者側からすればそんなことは想定外だろうね。
諷虹 私が「羽根ペン」ってどんなんですかね、ってさりげなく言ったことで絵を描く人が一人増える、っていうのも(笑)
(しばしこの話題)
諷虹 バタフライエフェクトって実際に風が起きているわけじゃないですか。羽ばたきによって。そのちっちゃい羽ばたきを毎週こことかラインで反響させあって反響させ合ってとてつもない大きなムーブメントになっていく・・・
あの葛西先生からの雪の道の記事もそうじゃないですか。あれからどんだけガルパンとかに結び付けて語り合ったんだ、って。
虚空 さっきから言っているけど、この駿煌会って、教育関係者だけのやりとりとは全く違った次元でのやりとりが蓄積されている
諷虹 「万年中二病」っていう一言だけで一日中やりとりしているわけですからね。
ヒマワリ 「君の名は。」とかね・・・。(注 どちらの言葉もヒマワリフクロウさんが何気なく書いたことが火種になって大きく話題として広がった)
虚空 だからさ、ヒマワリフクロウさんも相当羽ばたきをばらまいているんだよ、この二人(諷虹・虚空)に対して。
ヒマワリ 本当だね・・。でもキャッチしてくれる人がいなければ・・・
諷虹 それもまた共鳴ですよね。言葉っていう音でラリーをしていくうちにどんどんどんどん蓄積して。原子同士が何回もぶつかりあうことで化学反応が起きるみたいな。その感覚がありますね。
ヒマワリ やっぱ、キャッチする人の心がないと無理だしね・・・。すごい、面白い。
(補足 児言態50周年でも何度か出てきたように、そのキャッチ力のベースの一つとして大事なのが「心意伝承」ということ。

折口先生の万葉人の感覚や、古来からの神話的思考、古典の裏側にある発想・・・等々、が教育者の資質として大切だということを、盛んに上原先生は学生に説いていた。
それは単に教養としてではなく、そうした感覚をみがいておかないと子ども達のさりげない発言などの価値を見出せないから。

特に「生態研究」の授業においては重要。テクニック(技術)ではできない領域。

では蓄積を積んだベテランでないとダメなのかというと、そうではない。駿煌会の若手面々がその見本。それも上原先生が盛んにいっていたことだが、教育というよりも「人間そのもの」という根源に対しての好奇心があるかないか。それがあるだけで、子ども達の言葉には的確に反応できる。

それは知的には意識化されていなくても、心意伝承は個々の中に誰もが持っているものであるという大前提があるから。関心さえもっていて日頃からそうしたやりとりや思索をしていれば、無意識にでもキャッチして、響き合える)
諷虹 バタフライエフェクトの一言でここまで話が盛り上がるっておうのもね。
ヒマワリ 本当だね。あの半分寝ているような状態で「バタフライエフェクト・・・」って言ったことがね。
諷虹 (ネット解説をさらに読み上げる)非常に小さな事象が因果関係の末に大きな事象に・・・。そういう意味ではまどマギってそうじゃないですか。まどかの願いをなかったことにしようとしたら宇宙の改変を2度起こすくらいの大きな因果の糸のからまりになっていった・・・
虚空 さっきも言ったけど、個々人を物質的な量としてしかとらえなかったら、大宇宙の中でないようもなもだけど「波」として考えたら決して侮れない。波だからこそいろいろなところに響き合って大きな力になっていく。

歴史をふりかえったってそうじゃない。たった一人の出来事が大きく歴史をかえる原動力になるなんて、いくらでもそんな実例はあるだろ。共鳴して。
(補足 いわゆる「宗教」のはじまりなどもその例。たった一人からはじまった教えが何千年たっても非常に多くの人間や文化等々に影響を及ぼしている)
虚空 それが今の世の中はさ、もちろん負の部分もあるけれど、ネットによって響きが広がる速度も範囲も昔とは比べ物にならないくらいになっている、っていうのがあるじゃない。
諷虹 そういう意味では不用意なことは言えないのかもしれないですけどね。
虚空 そりゃね、何も考えずにベラベラとネットでつぶやいたら今の世の中はね・・・そりゃツイッターなどでつぶやいた失言があっという前にネット拡散して、日本中、世界中から非難を浴びせられる世の中だからね。

でもかつてだったら、それだけ自分の考えを発信しようとしたら膨大な資金が必要だったのが、ネット接続さえできれば可能になっている、っていう部分もある。
最終的には人間性の問題に行きつくよね。よく酔って書いたことだから覚えていない、なんて言い訳して余計に顰蹙をかっている人がいるけど。
諷虹 そうしたことも大きな効果をおよぼすっていうことですよね。
虚空 駿煌会のやりとりって、本当に「あの一言で」とか「あの紹介したサイトで」とか・・・そういうことの繰り返しじゃない。それに対してそれぞれが自分の観点で響いていって、からみあっていく。共鳴しあっていく・・・。
ヒマワリ そこいらじゅうに「その一言」はころがっているんだね。そこにどう惹かれたかが「履歴」としてどう残るかが自分次第っていうことだよね。
諷虹 人から誘われた時に、それにどう応じるかによっても流れって大きく変わっていきますよね。パラレルワールドなんてまさに・・・
虚空 どっちがいいとか悪いとかじゃなくてね。それぞれの人生として展開していくわけだから。
あの時に体を壊さなければ教師を続け照られたのに・・・っていう想いは当然あるんだけどさ、でも一方で続けていたら、こういう出会いもないし、駿煌会なんていうのもない。そういった枝分かれした別人生が無数にあるんだろうけど、今この人生を送っている以上は、この流れをしっかりと進めていくしかないもんね。
ヒマワリ そうなんだよ・・・本当にそうなんだよね・・・。
虚空 ずっとブログにやりとりをあげているけどさ、更新作業でそれを読み返すたびに、こういうやりとりが出来ている人生っていうのもアリだな、って自然に思えてくる。やっぱり人生の価値を決めていくのは「人との出会い」かな・・・。
諷虹 生徒会やったのも、先生に「やってみたらいいじゃない」って言われたのがきっかけっていうのがありますからね。「ああ、そういう受け止め方でもいいんだ」っていう変に軽いノリで「じゃあやります」って引き受けて・・・。生徒会ってすごく固いイメージがあったんで、自分なんかがやっていいのか、って思ってたんですけど。
(という経緯で中学校の時に生徒会長をしたことに関する思い出話)
虚空 なのはとかは観ていないんだよね。劇場版も。
ヒマワリ 観てない。観る観る・・・。
(なのはに関するやりとり  諷虹からディスクを借りる)
ヒマワリ すごいね・・・その熱量が。
(のんのん・若おかみ 劇場版のブルーレイ話題)
ヒマワリ 小さな事故がその後の大きな事故を防ぐっていうのも・・・
諷虹 ヒヤリ・ハットってありますよね。重大事故の裏側にはいくつものヒヤリハットがある、って。
(ネット解説の読み上げ)
虚空 ちょっとそれとは違うけど、似たような発想でこの前騎手の武豊さんが4000勝達成したときの番組で言ってたよ。

世間は4000勝のことばかり言うけれど、実はその何倍も負けている、怪我やスランプでなかなか勝てなくてもう自分はダメかという想いで辛い日々を送ったこともある・・・その膨大な負けや辛い日々から学んだことの積み重ねが4000勝になっているんだ・・・っていうような発言だったんだけどさ。うっかりすると世間って、ほとんど無敗で4000勝った、って脳内変換しちゃっている。そうじゃないっていうことだよね。

これもだからこの前から話題になっている「見えない部分にこそ大切な本体がある」っていうことだと思う。
さっきの動画編集だってそうだよね。出来上がったものだけみるとただのおふざけの1分間作品って思われちゃうからしれないけど、その裏側にはいろいろなことがあるわけじゃん。今日の編集の裏側には前回の音楽のタイミングに今度は合わせて編集してみようとかいうのもあったわけだし。そいういういろんなこと・・・気が付いていないことも含めて様々な因果が一つのことにからみあって今の結果になっているわけだよね。
ヒマワリ 見えないところが見え過ぎちゃうと、素直な気持ちでみることができなくなる、っていうこともあるね。ジブリアニメなんてどんだけ大変なんだろう、っていう気持ちになっちゃってさ。世界に入り込めなくなる。
虚空 それがもしかしたら日本の神々のことにつながるのかもしれないね。柳田先生と折口先生の対立。氏神様重視の柳田先生が「まれびと」に異議を申し立てたという。地元の事情をよく分かっている氏神様だけではなくて、逆にそういった事情も経緯も全くわかっていないまれびと・・・よそからお客さんとしてやってくる来訪神も日本の中では重要な意味を持っている、って。事情を知らないからこそ「枷」になっている枠をぶち壊せることができる。それこそ想定外な発想をもちこめる。
ヒマワリ 素人
虚空 それもある意味ではまれびとになりうる。畑違いの人の意見とか発想が大きな転換のきっかけになるのだってそうだよ。「風をふかせる」って。
諷虹 スラムダンクの赤木と桜木とか・・・(具体的にいくつかの例)
ヒマワリ バガボンドも読みたくなったし、最近すごいよ、情報量が。
虚空 そうだよね、例えば吉岡なんていう伝統的な道場に野生児みたいな武蔵がやってきて・・・って。
ヒマワリ まれびとか・・・
虚空 どうしても組織でもなんでも長く続くと膠着する。そこにまれびとが必要になる。
諷虹 バタフライ効果を起こす
虚空 誰かさんが眠いながらボーッとして口にした一言がね・・・それがこうして基本用語の一つになって・・・
諷虹 これからさらにどれだけ大きなムーブメントになっていくか・・・。
自分になのはを勧めてくれた友達が言ってましたよ。そこまで なのは にはまるとは思わなかったって。
そういう意味では今日も琴浦さんのビデオをみて、そこから思わぬ買い物をするという流れになっていったっていうのは・・・
ヒマワリ 本当だね。
虚空 あそこで「残響」っていうサイトを出してこなかったら、琴浦さんを観よう、っていう流れにはならなかったわけだよ。最初に中学生と琴浦さんを観てやりとりした、っていう話の紹介で終わっていたんだから。残響っていうことがでて、それをやっぱり確認したいといことで、琴浦さんを観てみよう、っていう提案になったわけだからね。
(以上、約8時間半)